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今月の言葉

2009年02月03日

今月の言葉(2月)

 「知識」と「知恵」

プラス思考で日本人の復興を

            ―風彦 


 「知識」と「知恵」は、「ニワトリ」が先か「卵」が先かの論点に似ている。「知識」から「知恵」が生まれる。「知恵」から「知識」が生まれる。これまた事実である。
 ある日、幼稚園児の母親から提起されたこの論点で、すこしばかりとまどった。
 が、私は単純な例をあげて説いた。ここに一つの林檎ともう一つの林檎がある。さて、林檎はいくつ? とたずねると、二つ。1+1=2で、当たり前の計算。林檎を六つにしたい。どうする? 1+1=6は成り立たない。さて、となると林檎を切ることにより、六つにする。これが「知恵」。そのあとにつけくわえた。
 幼いときから分かち合う心をはぐくむようにしたら―と。単純明快に理解してもらった。決して思想的な主義主張ではない。
 話は変わる。ある日、書店で一冊の文庫版を見つけた。完本「梅干と日本刀」―日本人の知恵と独創の歴史―(著者・樋口清之)である。六百五十一頁にのぼる分厚い本で、一昔前のベストセラーでもあった。
 樋口清之氏は生前、テレビなどマスメディアでも評判の学者(国学院大学名誉教授)。
 十二章にわたって日本人の先祖が培った知恵と知識のすばらしさを検証した一冊である。内容も語り口調の文章で、いまはやりの「雑学」の史書ともいえる。
 「日本には古来、すごい〝科学〟があった」「驚くべき〝自然順応〟の知恵」「日本人は〝独創性〟に富んでいる」「古来計画性に富む日本の職業教育」「日本企業の驚くべき柔軟性の原体」など、日本人讃歌論でもある。
 樋口氏は、敗戦後、日本人は、日本人でありながら自虐肯定論者が多いことへの批判の一書。この本の解説者、伊沢元彦氏は、「一種の文化的閉塞状況を打破。独善的な国粋主義に偏ることなく外国文化の優れた点を認めた客観的な日本文化の美点を捉えており、日本人に勇気と誇りを与えた名著」という。
 百年に一度という不況社会に対処するためには、日本人は、外国には見られない日本人らしい「知識」と「知恵」で、日本の伝統・文化の美点への回帰をはかることだろう。
 これは、政治にも企業にも社会にも「温故知新」―。古きをたずねて、新しきを知る―。
 何事も「グローバル」化という名の中で埋没してはならない。
 ―寒空に知者の一灯朝までも―

(風彦)   

2009年01月05日

今月の言葉(1月)

 

「笑いの効用」

笑い上手は生き上手

            ―昇 幹夫 

 「笑う門には福来たる」―。この意味は言うまでもあるまい。「いつもにこにこして笑いが満ちている人の家には自然に幸運がめぐってくる」(広辞苑)
 「和合、平和、快活、明朗などは幸福を招く原因となる」(福音館小辞典文庫)。笑いは人間社会での大切な要素である。
 以前、職場の昼食時に、「笑いの効用」のおしゃべりを楽しんだ。座長格は年長者。物の本で得た知識を披露してくれた。
 「笑うとアセッルコリンの分泌が高まり、副交感神経の働きが強まり、末梢血管はひろがり血圧はややさがる。血中の糖分が減る。唾液、胃液などの分泌が高まる」(笑いの辞典・神吉拓郎著)。さらにかの有名な哲学者カントの自説まで話す。「哄笑は消化に必要な筋肉の振動であり、それは医者の投薬よりもはるかに消化を促す」
 はたまた「人は相手の笑い方でその人柄を知る」とまで説いた。
 いま、そのメモを拾い読みして思い出した。
 後年、NHKのある雑誌で「健康百話」(著者・昇幹夫)を読んで、よく理解できた。
 この人は、大阪の産婦人科の先生で、「日本笑い学会」の副会長。「元気で長生き研究所」を主宰。医師の立場から「前向きで極楽トンボの生き方が長生きの秘訣」と各地で説く。
 現実にガン患者に吉本興業の新喜劇を見せたり、落語を聞かせたり、糖尿病患者・リウマチ患者に「お笑いビデオ」を見せて治療効果を裏付けた。(詳細は割愛する)「人は賢くなったからこそ笑う。賢くなった分、同時に悩む。悩むだけでは、生きてはいけない。悩むことと笑うことはセット」(昇幹夫氏)
 昨年、NHKテレビの「プロフェッショナル百人の脳活用法」の番組で、脳科学者の茂木健一郎さんは、各界プロがプレッシャーに打ち勝った共通点を「笑いの効用」にあげた。
 笑い上手は、生き方上手でもあるようだ。
 さて、ことしは例年以上の厳しい不況の社会。
「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」と高浜虚子は、一夜にして年の移り変わる感慨を詠んだが、皆吉爽雨の一句に「茶の間には笑初めともなくつづく」がある。笑って暮らせる「福の神」の到来を望みたい。

(風彦)

  

2008年12月01日

今月の言葉(12月)

 

「地球の温暖化を憂う」

            ―風彦 

 十二月は師走という。語源は「為果つ(しはつ)月あり、一年の終わりの物事をなし終える」―。
「この月は師(僧侶)と呼ばれるような人々も東西に走り回る」―。との俗説もあり、また、極月(ごくげつ)とも言う(現代俳句歳時記)、歳末らしい季節である。
 俳人・山口青邨の句に、こんな一句があった。
 ―極月の人々人々道にあり
 いつの世も歳末になると、街は人出で賑わう。不景気になればなったで、「Xマス商戦」・「歳末大売り出し商戦」が、よりいっそう激しく、騒然とする。以前、タイのバンコクでこの時期を迎えたことがあった。デパートの入り口に、赤いマントをまとい、トナカイのソリを操り、雪を蹴立てて走るサンタの大きな看板を飾っての歳末商戦を目にしたときは、季節の違和感があった。
 現地の人には暦通りの「歳末風景」だろうが、日本人には、師走といえば「冬の歳末」であるし、これまた「サンタといえば冬のXマス」として体感する。四季列島のなかで生きてきた遺伝子のせいかも知れない。
 広島気象台の資料によれば、昨年の十二月の平均気温は、七・五度。年により気温の変化は微妙な高低現象があるものの、百年単位で見ると一・八度高くなっている。
 気象庁の資料でも、日本は長期的には百年当たり一・一度の割合で上昇。とくに一九九〇年代以降、高温となる年が頻出しており、すでに自然界では、昆虫、植物、渡り鳥、海中の生物にも影響があるという。
 二年前、NHKテレビの番組「NHKスペシャル」では「地球温暖化」を取り上げていた。スーパーコンピュータの予測では、百年後の正月は紅葉の季節。四月は初夏…。モンゴルの草原は砂漠化に―。このまま気象の変化(温暖化)が続けば、当然、四季によってはぐくまれた日本の文化も衰退への道をたどるだろう。日本だけの問題ではなく、人類の危機であることを警告した。これは二百年先か五百年先かわからないが、過去、地球の気象変化で文明国家が滅亡した歴史もある。
 「病める地球」を救うのは、人類の知識と知恵の課題である。「行く年、来る年」の師走の風物詩のなかで考える。

(風彦)

  

2008年11月04日

今月の言葉(11月)

 

「もったいない」と「捨てる」

―複合的な精神の苦悩― 

            ―風彦 

 食欲の秋というのに、いまなお相次ぐ食品をめぐる偽装、欺瞞の事件があとを絶たない。
 なかでも事故汚染米の流通事件に至っては、言語道断。政府も業者も指弾されるべきであり、指弾すべき重大な事件である。
 食は生命の源泉。食の不信は、政治への不信へ波及する。利潤追求のあまり、企業家は企業モラルをも一顧だにしないのか。あれほどまでに世の批判、非難を浴びながらである。
 以前、ビジネス評論家、今泉正顕著の本で読んだ言葉を思い出した。企業にたずさわる人間で大切なことは、「七つのシン」を忘れないことだと、強調して説いていた。そのなかで
 「真」。嘘やごまかしのない真実の「真」
 「信」。人間で一番大事な信用の「信」
 「心」。真心のある人の「心」
 この三つのシンこそが企業モラルのバックボーンではあるまいか。その欠如が今回の一連の不祥事である。
 こうした社会背景のなかで、過日、ある民放テレビで日本人の食の消費の無駄を指摘し、ケニアのマー夕イさんは、こう言った。
「地球上には飢餓に苦しむ人々が沢山いる。日本には『もったいない』という言葉があるのに『もったいない』心を忘れているのでは」と。
 今、現地では「もったいない」という言葉が「MOTUTAINAI」として広まっているそうだ。私たちは、食事の際でも一粒のご飯をこぼしたりすると、バチが当たる-。お百姓さんへの思いを。そして物への大切さ、人への感謝-という躾を受けて育った。それが日本人の倫理観でもあった。その心が希薄になったのは、戦後の経済社会の変化だろう。
 大量生産、大量消費…。消費こそが「経済天国」の思想を生んだ。戦前、戦時中、敗戦直後の貧しい時代を体験した世代の人間には、その思いが一入。「漢字の楽しみ方」(岩波書店発行)の著者、辰濃和男さんは、「捨」の項目で書籍、資料の整理などにふれながら「捨てるということは、執着を捨てること」と言い切る。が、何事も「もったいない」心の煩悩が世の功罪に-と思うと複雑である。

(風彦)

  

2008年10月02日

今月の言葉(10月)

 

散策と万歩計

―歩きながら考える― 

            ―風彦 

 四季のうち十月は、ものを想う秋。京都の「哲学の道」を散策したことを思い出す。銀閣寺の疎水辺りの参道で、銀閣寺橋から若王子町までの一・六キロ。桜の季節もよいが、桜並木の黄葉、紅葉の時期がとりわけ風趣がある。日本の代表的な哲学者、西田幾多郎が京大時代に思索にふけって歩いた小径である。
「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える」-。戦後間もない頃のベストセラー。「ものの見方について」の書き出し。著者は戦時中、滞欧していた朝日新聞の特派員、笠信太郎。各国の国民性を明快に分析。その国の政治、教育などのあり方にも言及した一書。今日の日本はスペイン型。暴走した軍国主義から見れば、スペイン以上だろう。思慮深さに欠けるきらいがある。
 なにもすべてに哲学的であれ、というわけではない。「哲学」とは原語のギリシャ語では愛智の意。西周(にしあまね)により賢哲を希求するという意味から哲学という訳語に定着。のちに人生の根本原理を追求する学問となる=広辞苑(概要)
 冒頭の言葉をとりあげたのは、健康管理のための「一日一万歩」が強調され、最近は携帯電話にまで万歩計の機能がある。私の友人は、ひたすらに「一日一万歩」を目標に万歩計の数値にこだわっている。数値よりも、西田幾多郎ではないが、思索を楽しみながら「散策」をする、自然のうつろいのなかで人生を考える、いまはそのよい季節。このような「ものの見方」・「考え方」で気ばらずに「歩く」-、すなわち「散策」こそ心身の健康によいのではなかろうか。
 この季節に私の好きな句がある。
―秋深し石に還りし石仏―  福田蓼汀
―村村のその寺寺の秋の暮― 鷹羽狩行

(風彦)

  

2008年09月02日

今月の言葉(9月)

「年寄りは、年寄りの誇りを持とう」

―私の「戒老録」― 

            ―風彦 

 お年寄りをいたわる―。先祖を敬い、亡くなった人々を偲ぶ―。これは人類の美徳である。日本では、そのために九月には「国民の祝日」がある。十五日の「敬老の日」であり、二十三日の「秋分の日」。しかし、最近の風潮ではその精神が薄れているようだ。
 ある公演の席で、こんな話を聞いた。八十になるおばあさんが、スイミングスクールに通い始めた。それを知った嫁さんが、理由をたずねた。おばあさんは、『三途の川』を渡るための泳ぎの練習だと答えた。するとその嫁さんは、コーチに言ったそうだ。
「おばあさんには、ターンすることだけは教えないで欲しい」―。会場の笑いを誘った。たぶんにブラック・ユーモアだろうと察したが、「軽老」の風潮を知らされた思いだった。以前、作家・曾野綾子さんの「戒老録」を読んだことを思い出した。
「人は生きる限り、肉親に頼らず、身だしなみに気をつけ、一生涯努める。心を救うものは自ら以外にない」と説いていた。その彼女も、最近はご主人の作家、三浦朱門を悩ませる鬱だそうだ。私は、決して一人では生きていくことは出来ないと悟った。核家族化と高齢化がすすむ中で、これからの日本社会は?と考えると暗い気持ちになる。さりとて現役社会から退いた昭和一桁生まれの「後期高齢者」。自問自答の結論は―。
 「敬老精神」におもねるのではなく、自立精神の気概をもち、社会生活での共生の中で、年寄りとしての「誇り」を持つこと。あの昭和の激動期を生き抜いてきた「誇り」である。
 閉じこもり老人にならず、「社会の風」にふれて生きる。若者から慕われ、愛される。そして、若者が憧れる老人になれば、先祖を敬う気風も芽生る。社会も変わる。これが私の「戒老録」である。

(風彦) 

2008年08月31日

今月の言葉(8月)

勝って涙、負けて涙―

 ―涙の本質をみる―

            ―風彦 

 今年の八月は、スポーツの夏。北京五輪の開幕をはじめ、全国高校野球甲子園大会、インターハイの各種競技会がある。その日のために錬磨した技を競う。なかでも地球規模のスポーツイベントである五輪大会。しかも今回は共産圏で、市場経済下で経済発展をした中国での開催だけに、大いに注目される。
「スポーツには、国境はない」―。と言われながらも現実には、国威の昂揚の場。今回もその例にもれないだろう。選ばれたアスリートたちは、文字通り「スポーツ戦士」の意気込みで、その国のために競う。そこには歴然とした勝者と敗者の明暗が醸し出される。
―勝って涙、負けて涙ーである。
 先進国と後進国(開発途上国)とでは「涙の質」が違うだろうが,勝利の感激と敗者の悔しさを目の当たりにすると、第三者にも「涙の質」を越えて感動を呼ぶ。
 それはなにも五輪に限ったことではない。高校野球など、スポーツ競技の宿命でもある。
 先年、高校野球界の知将、蔦文也さん(故人=徳島 池田高校野球部監督)が、よく語った。
「鍛錬は千日の行。勝負は一瞬の行」ゆえに、日々の練習の積み重ねの結果により「涙の価値」が決まるとも説いた。
 哲学者であり、宗教学者、教育家の山折哲雄さんの著書「涙と日本人」(日本経済新聞社発行)は興味深い。その中で目を引いたのは、涙をめぐる国内外の哲学者、心理学者、俳人、茶人、演歌歌手、政治家、野球選手の引退の弁などさまざまな視点からエピソードを紹介。涙の本質を分析した内容だった。
「涙は清らかで美しい排泄物」の記述がある。(概要)「不思議なのは、体内のものが外部に排出されたとたんに、それが汚物になるが、汚物にならないものが、それは涙。涙には悲しみの涙に、喜びの涙もある。どの涙もときに清らかに美しく輝いているときがある」
 涙は欲望、愛情、感傷の万華鏡でもある。
 さて、この夏の涙の万華鏡が楽しみである。

(風彦) 

2008年07月01日

今月の言葉(7月)

「自分で選んで歩き出した道ですもの」

         ―女の一生より―

            ―杉村春子

 杉村春子といえば、広島の生んだ新劇界の女王であった。九十一歳で亡くなって十一年が過ぎる。映画に舞台に、その存在ぶりは伝説的に語られている。晩年の映画では、進藤兼人監督の作品「午後の遺言状」で、乙羽信子と共に老いた女優らしい演技力をみせた。
 私は演劇批評家ではないが、舞台では、記録と記憶に残るのは、「女の一生」。森本薫の戯曲で一九四五年四月初演。久保田万太郎演出、杉村春子主演。孤児から中国貿易商となった「布引けい」の一生を通じて、明治~昭和の激動期を描いた作品。杉村春子さんは「布引けい」役を九百四十七回の公演でこなしたほどである。
 それだけに、冒頭の色紙を見つけたときは軽い興奮をおぼえた。『流暢な書体』ながらも、言葉にこの人らしい芯の強さを感じたからである。その色紙は、広島市民球場前のレストラン「マリーナ」の一隅にさりげなく額に収められていた。
 店のあるじ中川公一郎さんが、祖母寳山敬子(ほうざん・ゆきこ)さんと女学校時代の同級生だった杉村春子さんの縁で広島公演(一九九五年三月)の際に頂いたものだという。店は場所柄もあり、カープ球団担当のマスコミ関係者が出入りする。
 過日、元カープの監督だった阿南準郎さんと選手の「能力格差」について話し合った時、阿南さんはこう言った。
「要は、選手の能力は練習への姿勢。練習をさせられていると思う者と自分の能力を高めるためだと積極的に取り組む者との差だね。自分の選んだ道への生き方だよ」
―好きこそものの上手なれ―であることを説いた。野球も芸道も同じこと。冒頭の杉村春子さんの言葉がそれを教えてくれる。
―すべての道は『愛』からはじまる―。
『愛』は『LOVE』でもあり『LIKE』でもある。

(風彦) 

2008年06月02日

今月の言葉(6月)

あなたは霊魂を信じますか?

  「不滅の霊魂は千の風になって」  ――風彦

 六月といえば、梅雨のシーズン。花でいえば、紫陽花の咲き競う季節。私には、この季節になると、忘れえぬ思い出がある。それは今から五十五年前の六月八日のこと。瀬戸内海の柱島沖で爆沈した戦艦「陸奥」の戦後初めての海上慰霊祭の取材だった。その日は、しとしとと降る梅雨。宇品港(現・広島港)から二隻の第六管区海上保安本部の巡視船に守られた御霊船とともに遺族を乗せた貸し切り客船で現地へ。(当日の詳細は割愛するが…)
 柱島近くになると、急に海が荒れ始めた。遺族の人たちも一様に悲しみと不安におののいた。爆沈現場では波頭がたち、停船した御霊船も、その遺族船も揺れた。今でも記憶に残るのは、戦艦「陸奥」の三好輝彦艦長の未亡人が、白いハンケチで顔を覆い嗚咽されていた。雨の中、慰霊祭の祭壇が整い、同行した神職の修祓の儀がはじまり、遺族から託された花、お酒、菓子などを三人の潜水夫が海底に供えて上がると、海面は、うそのように穏やかになった。そして、海底からは戦艦「陸奥」の艦首の、あの「菊のご紋章」が引き上げられた。私を含め参列者の涙を誘った。
 「陸奥」が爆沈したのは、昭和十八年(一九四三年)六月八日 十二時十分。原因はつまびらかにされていないが、一四七一人の乗員が一瞬に海に飲まれ込み、一一二一人が亡くなった。この惨事は、当時は極秘だった。その後、吉村昭の小説「陸奥爆沈」が話題になった。が、私は当時の慰霊祭の光景を一部始終見聞して以来、「霊魂」を信じるようになった。あの日の荒れた波は海底に眠っていた人たちの魂の叫びにちがいないと。
 台風シーズン、天気予報のテレビの画面で日本列島に向けて北上する台風の進路を見ながら思う。台風は、南海に散華した人たちの魂の「望郷の叫び」ではないだろうか。
 六月は、第三日曜日に、広島の原爆医療の恩人、ジュノー博士の功績を顕彰して「ジュノー記念祭」が開催される(※)。参列する広島少年合唱隊、広島のガールスカウトたちのこどもたちとともに、安芸郡府中町の中学生たちが吹奏楽演奏で亡くなった被爆者の霊を弔う。昨年は同中学生が新井満さんの「千の風になって」を合唱。参列者の共感を呼んだ。
「私のお墓の前で/泣かないでください/そこに私はいません/眠ってなんかいません/千の風に/千の風になって/あの大きな空を/吹きわたっています」(後略)
 宗教家のひろさちやさんは、「魂は千の風になりますか?」(幻冬社発行)の著書で、魂は一人ひとりの心の持ちかたにあるという。さて、皆さんは?

(風彦)

※「ジュノー記念祭」は毎年六月第二日曜日ですが、 今回は第三日曜日になります。 

2008年05月02日

今月の言葉(5月)

  「森は海の恋人」  ――畠山重篤

  「緑化運動は平和への一里塚」  ――風彦

 青葉、若葉のシーズンである。この季節になると気になるのが、原爆被爆樹の柳。被爆直後、七十日は草木も生えないと言われた廃墟から生き続けていた柳の存在。あの日の広島市街地を流れる京橋川に架かる鶴見橋の東詰めに残る。一時は枯死の危篤状態だったが、いまなお被爆六十三年の歳月と風雪に耐えて蘇っている。主幹のケロイドは、セメントの処置を受け、鉄柱に支えられる老樹となりながらしなやかな枝には青葉が川風に靡いている。植物の生命の逞しさを知り、命の尊さを学ぶ。広島の町は、廃墟から幾多の犠牲と変遷の末、緑豊かな美しい平和都市として再生。世界に「平和アピール」を訴え続ける。
 「緑」は、まさに平和のシンボルではないだろうか。以前、ソ連のガガーリン宇宙飛行士は「地球は青かった」と言い、同じ宇宙飛行士、向井千秋さんは「地球は美しい星」と表現したが、現実の地球には、国境があり、争いが絶えない「醜い星」でもある。
 中でも中東地域。テロ行為をめぐる「戦争」が続く。「戦争」は山野の「緑」と言わず街を破壊。多くの人間を殺傷する。「戦争」だけではない。人間によるアマゾンなどの熱帯密林の伐採による行為を含め、大規模な開発は、深刻な地球温暖化を。もちろん工業優先の企業活動なども一因であろう。
 地球温暖化とは、「化石燃料の消費で生ずる二酸化炭素などの温室効果によって、全世界の平均気温が長期的にみて上がっていく現象」(広辞苑)であるが、森林(植林、緑化)によって二酸化炭素の弊害が解消されるというわけである。が、先進国、開発途上国とも国同士のエゴによりその対策は未解決である。
 過日、広島市中央図書館で興味ある本をみつけた。「森は海の恋人」(畠山重篤著=北斗出版)である。著者は、宮城県気仙沼で牡蠣養殖業を営む人。牡蠣は植物プランクトンなどを食べて育つことに着目。山(森)との自然環境との関係から海に注ぐ川の上流への植林、緑化活動に取り組み、その成果を実証。大漁旗を掲げる漁民と山村の人との連携で山地の植林、緑化運動を実践しているそうだ。
 牡蠣といえば、広島の海の幸。畠山さんは十二年前、崇徳学園での招きで太田川上流の山地での植林の大切さを説き、それがまた地球温暖化対策への一助にもなると訴えた。
「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛を紡ぎゆく」(宮城の歌人・熊谷龍子)
 畠山さんは、この一首が好きだという。
 そこで私の蛇足の一句を。
―幸せや緑を紡ぐ人と人―

(風彦)

2008年04月02日

今月の言葉(4月)

「落花の情」「花の鎮魂」
    豊かな日本語の語彙
 

――風彦

 四月は花の季節であり、春の終曲でもある。その春の花を代表する梅、桜、椿…。その花の落花には、それぞれの風情があり、日本語の表現も違う。語彙の豊かさがある。日本人の感性でもあろう。
 咲く花の終わりは、それぞれが違う。一般的には、開花の反対語は、散るであるが、梅の花は「こぼれる」であり、椿の花は「落ちる」という。桜の花は「散る」である。
 季節の言葉の「宝石箱」、歳時記(角川春樹編)を調べると、梅の花「こぼれる」ではないが、水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)が詠んだ句に、
―雹(ひょう)のあと蘂(しべ)真青(まさお)に梅こぼれ―があったが、季語秀句辞典の津根元潮(つねもとうしお)の句は印象的。
―梅の花の下には涙の壷がある―
 椿については落ちる、と詠んだものが結構ある。
―椿落ちてきのふの雨をこぼしけり―
 蕪村の句もそうだし、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の句には、
―赤い椿白い椿と落ちにけり―
 異色の一つに種田山頭火が詠んだ句がある。
―笠へぼつり椿だった―
 椿の花への惜情感は、地に落ちてなお命を宿している風情がある。以前、芭蕉の生家、伊賀上野の街にある愛染院で落下した椿が、青い苔の上に赤く咲いているかのような点景に接した。花の魂を見る思いであった。
 花の魂を供養―鎮花の念で一句ひねった。
―寒椿落ちてなお咲く命かな―
 この即興句は今も古い手帳に残っている。
―ありありと別の世があり落椿―
 これは青柳志解樹の句。無常観がある。
 散る桜にも無常観がある。良寛の一句がそれ。
―散る桜残る桜も散る桜―
 「花」にはそれぞれの終末の景がある。
 植物研究家の滝井康勝さんは、「花たちの生き方が人々に生きる喜びをもたらす」、「人々は人間として素晴らしい生き方を花に求め続ける」と言った。(誕生花の本=三五館発行)
 世阿弥の「花伝書」(風姿花伝)にある「秘すれば花なり」もそうだろう。父親・観阿弥が世阿弥に伝えた能楽論。その一部である。
「時分の花・幽玄の花(中略)咲く花のごとくなれば、また散る時分あり。(中略)ただ花は、咲く道理も、散る道理も、人のままなるべし」(中略)
 蘊蓄のある芸術論でもある。「花」を悟ることが人間の生き方にも通じる。
 私事で恥じ入るが、一筆を所望されると―
―花のごと花のごとくに咲きにけり―と。
 花といえば、平安の昔から桜に代表されるが、桜は桜、梅は梅、椿は椿。道端に咲くイヌフグリ、菫、蒲公英…。花の姿、形が違ってもそれぞれの環境のなか、精一杯咲いている。人間とても同じではないだろうか。

(風彦)

2008年03月15日

今月の言葉(3月)

「ALL IN」激!

――M・ブラウン 

待ちに待った『球春』の到来。センバツ高校野球からプロ野球の開幕である。なかんずくカープファンの思いは、いかばかりか。今年は黒田、新井の投打の大黒柱が抜けてのシーズンイン。彼らへの思いは、ファンそれぞれ違うだろう。黒田は別にしても、広島生まれ、広島育ち、カープで強打者に育った新井には格別な哀惜の情がある。私もその一人。知人の住職は今でも嘆き憤慨する。
「優勝を争うチームでプレーしたい」―何を言う。優勝を争うために必要なのは、選手自身の意識、能力、闘争心ではないか。一生懸命、応援してきたファンの心を裏切るものだ」
カープの合い言葉は、何だったのか。
「ALL IN」であった筈。もともとは自分の持っている全て(エネルギー、経験、能力)を勝つために注ぎ込むという、ブラウン監督の米国時代からのモットー。チームもフロントもファンもそして全ての人が一つの方向に向かう(球団広報資料)であった。
その意味から一昨年の黒田残留への署名運動は、『市民運動』にまで発展。黒田の心を繋ぎ止めたし、これまで頑なまで『干渉』を拒絶していたフロントもファンとの垣根を取り払って『市民運動』に理解を示す。「ALL IN」は赤ヘルのウェーブにまでなった。
しかし、ブラウン・カープは、二年連続Bクラスに低迷。黒田の米大リーグでの新天地を求めたことには理解できたものの、新井のFA宣言での阪神入りには、前述の住職ならずとも多くのカープファンの心情でもあった。
当初、私自身ブラウン野球は、従来の日本式野球を改革する「創造するベースボール」(練習内容、投手起用、打順の構成など詳しくは割愛する)として評価したが、ブラウンの意図は実らなかった。理由は一口で言えば、日本人の体質、思考に適合できなかったから。
ロッテのバレンタイン、日本ハムのヒルマンがそうであったように、彼らは苦悩した。三年、四年をかけ、日本式野球との融合をはかり、成功の道を求めた(野球と技術、戦術、指導体制など)。ブラウンは今年で三年目。
「石の上にも三年」―。もう一度、「ALL IN」。今年はこの言葉に「激!」がついた。監督もファンもフロントも激しく、あの創設期の「ALL IN」の原点に還ろう。ブラウンさん。日本にはよい言葉がある。「郷に入っては郷に従え」―。という例えもあるぞ。「創造野球を軌道修正してカープをV軌道へ」―。黒田、新井のことは忘れよう。三年目のブラウン監督に望みを託そう。

(風彦)

2008年02月18日

今月の言葉(2月)

「春望」賦は、故郷への賛歌

――風彦 

「春望」―。広辞苑、大辞林、新明解の辞書には、この言葉の漢字は記載されていない。
 「望春」、という字をひいても漢字はなかった。「迎春」とは、新しい春を迎える、とあるが、漢字の持つ感じは少しばかり違う。「春望」・「望春」は、春を待ちわびる望郷賛歌でもある。
 この二月は、まさにそんな思いの季節であるが、「春望」という言葉には記憶があった。
 杜甫の有名な詩である。「国破れて山河在り/城春にして草木深し」(後略)ー。題名は「春望」。杜甫は唐時代李白と並び称された詩人。彼の詩と人となりについての『故事来歴』は割愛しよう。
 日本人ならずとも詩人のこころには、「ふるさと」への思いー望郷の念がある。
 ある日、ある時、広島市内の寺町通りと城南通りの四つ辻近くの一隅にある知り合いの「あったかぽけっと」という名のお店を訪ねた。自然食品、健康食品などを扱っている看板通りの『あったかな』心の持ち主の主婦の店。そこで尋ねられたのは、高野辰之という人の名前だった。恥ずかしながら思い当たらなかった。
 長野県信州中野出身の詩人。名前こそ知らなかったが、この人の作品は知っていた。「春が来た」「春の小川」「故郷」「朧月夜」「紅葉」…。小学時代の音楽の時間で習い、歌った唱歌の名作ばかり。昭和時代の日本人なら誰でも歌っている。が、作者については、教えられていなかった。
 改めて詩人・高野辰之の存在を認識、人となりを学んだ。長野師範から東京音楽学校へ、のちに大正大学教授に。一連の唱歌、童謡はこの人の望郷の一念から生まれた。と同時に日本人の心の琴線にふれた作品であり、故郷の賛歌である。
 故郷は遠きにありて思うものーと詠んだ室生犀星の「小景異情」。石川啄木のーふるさとの/山に向かいて/言ふことなしーの詩もそうだ。
 また、この時期にふさわしい唱歌の「早春賦」。―春は名のみの/風の寒さや―(作詞 吉丸一昌)
 ―私は真っ赤なリンゴです―の「りんごかわいや」(作詞 武内俊子)の童謡も詩人の望郷から生まれた。
 「春望」「望春」は、日本人の心の遺伝子。そのふるさとは、いま疲弊。都会との生活格差を生じている。「ふるさと納税」なる税制が話題になるのも日本ならではの「故郷賛歌」かもしれない。

(風彦)

2008年01月09日

今月の言葉(1月)

福寿草の如く

――風彦 

 新しい年の初めの格言は「一年の計は元旦にあり」。むかしからの『定番』である。
 その年、一年の計画、準備は一月一日の朝整えておくべきである。何事にも計画、準備が大事である、という教訓。家庭、学校でも説き、聞かされた。
 ことわざ辞典によると「一日の計は、あしたにあり、一年の計は春にあり、一生の計は、勤むるにあり、一家の計は、身にあり」(月令広義)にある。解釈するまでもあるまい。読めば理解できるはなし。とくに注釈するならば、あしたは、明日ではなく、朝。
 時代の流れでこの言葉を暗誦する人もいないだろう。季節感の『旬』もなくなり、家族も『核家族』化した世の中。そんななかで、「福寿草」の鉢植えをみつけた。
 黄色い花、蕾をつけた福寿草は、おたがいに寄り添うようにしているではないか。
 むかしは、山野に自生していたが、日本では秩父の山地にみるぐらいだそうだ。
 植物図鑑で調べてわかったが、福寿草は、キンポウゲ科の多年草でアジア北部に分布、日本の山地にも自生。縁起のよい名称として花の少ない時期に咲くのが珍重され、正月用の花として栽培されている。地上茎は二十センチ、葉は羽状複葉。早春、葉に先立って黄色の美花を開く。元日草ともいう。
 私が魅せられたのは、黄色い花、蕾がまるで家族のように寄り添っていることだった。
 核家族化のすすむなか、正月になると生れ故郷に戻り、仲むつまじく一時を過ごす「家族愛」を感じるからである。
 私は年賀状に南天の小枝をペンにして駄句を添えて書く。(南天は、難を転じて福とする縁起がある)
 ―寄り添いて命はぐくむ福寿草―
 私とおなじ福寿草に思いを寄せる俳人がいた。歳時記をひもとき、思わず膝をうった。
 ―福寿草家族の如くかたまれり―福田蓼汀
 まさしく合点だ、と。
 森澄雄の―福寿草なれば豊かや静心―もよいが、保坂仲秋の句も気に入った。
 ―地に低く幸せありと福寿草―
 花には花それぞれの生き方がある。桜は桜、梅は梅…。福寿草の、あの黄色が心に残る。
 「色彩心理学入門」(大山正 著 中公新書)や「まんがでわかる色のおもしろさ」(サイエンス・アイ新書)によると黄色は、『夢』・『幸福』・『希望』を表現するそうだ。ちなみに福寿草の花言葉は「幸福」・「思い出」―。
 新しい年のスタートにあたり、この一年が「幸福」であるように願いたい。

(風彦)

2007年12月10日

今月の言葉(12月)

渦巻く義憤の嵐
  ―誤った情報操作による日本の悲劇―

――風彦 

  十二月といえば師走。歳末大売出し、クリスマス商戦の狂騒で街は活況づく。が、昭和ひと桁の世代には、この月は忘れることのできない日本の悲劇の序幕である。十二月八日。大東亜戦争の開戦記念日。今から六十六年前のこと。今でも、あの時の大本営発表は、鮮明に記憶している。
「大本営発表。本日未明、わが国は米英両国と戦闘状態に入れり」
 ラジオから流れるニュース。威勢のよい軍艦マーチ。相次ぐ勝利の戦果。当時小学五年生だった私を含め国民は、一時の勝利に酔い驚嘆したものである。
「鬼畜米英打倒!」「大東亜共栄圏確立」「一億火の玉」「撃ちてし止まん」「贅沢は敵だ」「勝つまでは欲しがりません」
 大東亜戦争を「聖戦」といい、すべてを犠牲にしての戦争。大本営発表の真偽を知る術もない社会情勢下。のちに戦場は拡大、泥沼化。神国日本を救う神風にあやかっての「神風特攻隊」、人間魚雷の「回天特攻隊」を編成してまでの異常な戦況の末、敗戦の悲劇をみた。私は今年も思う。八月十五日の「終戦記念日」などの国をあげての戦没者への追悼をする式典も結構ではあるけれど、あの忌まわしい戦争への十二月八日の「開戦日」を忘れてはならない。多くの戦争を知らない世代に、あの歴史の真実を伝えるべきである。
 過日、旧日本銀行広島支店で「戦争展」があった。戦時中の国民生活から支那事変の勃発の経緯、日本の政治、軍部の台頭、大東亜共栄圏の虚像、大東亜戦争から太平洋戦争への戦火などさまざまな当時の写真、ポスターなどの展示品を見たし、併設のコーナーではVTRの紹介と戦争、原爆の語り部たちの話も聞いた。そのなかで従軍看護婦だった老人の切々と語る戦争と人間愛は、心に残った。
「今の日本は、あの頃と似ているのが恐ろしい」
 その人が訴えたかったのは、国による情報の隠蔽と操作ではなかったろうか。
 政府筋のインド洋での自衛艦の米軍艦船への給油量の情報問題と継続のあり方をはじめ厚労省の薬害問題や建築の耐震偽造、食品の産地欺瞞、賞味期限の捏造が相次ぐ。
 今年ほど義憤を感じた年はない。それは国に対しても企業に対しても。
 義憤とは正義、人道の行われないことを憤ること。公憤(広辞苑)、とある。
 『国家の品格』。『企業のモラル』を正すためにも義憤を死語にしてはならない。

(風彦)

2007年11月05日

今月の言葉(11月)

命には終わりあり
  能には果てあるべからず

――世阿弥 

  十一月は、灯火親しむ読書の季節。文化、芸術祭の花盛りの季節。冒頭の言葉は、能の『神様』世阿弥の著述した「花鏡」にある名言である。過日、世阿弥の「花伝書」(風姿花伝)、「花鏡」を読み直したときに、あらためて世阿弥の能楽論を通しての芸術論にふれた。父親の観阿弥の口述を体系的にまとめた芸術論であるが、後世の人からは、この人の作として評価されており、長らく能楽の秘伝でもあった。
 「花鏡」にある言葉には―。
「是非の初心を忘るべからず」
「時々の初心を忘るべからず」
「老後の初心を忘るべからず」
 この言葉の解釈について、斉藤孝さん(教育学者)は、成功、失敗を問わず、初心者のときの体験を忘れては上達しない。そのためにも
「初心を忘れば、初心へ返る理(ことわり)をよくよく工夫すべし」と世阿弥は説いている。「時々の初心」とは初心から年の盛り、そして老後にいたるまで、その時分時分での習うことは、それぞれが初体験だから初心を忘れないことだという。
 未熟であることの自覚を忘れなければ、芸の上達は限り無い。
「命には終わりもあり、能には果てあるべからず」という薀蓄のある言葉につながる。
 この言葉は能に限らず、スポーツ、芸術各分野にも通じる。私たちの実社会での人生訓。まさに「初心忘るべからず」である。
 ある人が言った。たしか、岡本太郎だった。
「人生は芸術だ。芸術は創造だ」
 人それぞれ、生きる道はさまざまである。が、その生き方は、人それぞれが創造すること。作りだすことである。
 人生は演劇だと言った人もいた。そのシナリオを書くのは、自分自身。
「全ての人は自己の運命の創造者である」と言ったのは、英国の随筆家、スティル。
「人間が賢いのは、その経験に応じてではない。経験に対する能力に応じてである」とは、バーナード・ショー(英国、劇作家)。
 世阿弥の言葉に共通する。
 最後にソクラテスの言葉を紹介しよう。
「汝自身を知れ」
 他山の石として自戒したい。

(風彦)

2007年10月22日

今月の言葉(10月)

君は船なり庶人は水なり

――荀子 

 この言葉は、中国の古い諺である。一読すれば、意味簡明である。君主と庶民の関係を説いたもの。
 荀子は、中国戦国時代の思想家。(紀元前二九八年?~同二三八年以降)生年、没年は不詳。著書二十巻三十二編の中の王制編九に書かれている。念のため解釈すれば「君主は舟であり、庶民は水。水は即ち、舟を載せ、水は即ち舟を覆す」―。庶民が安ずればこそ、君主も安泰であり、君主の苛政を戒めた言葉。今回この言葉をとりあげたのは、安倍政権への警鐘である。
 多くを語るまでもなかろう。理由はともかく民意を反映できず、さきの参議院選挙での自民党惨敗。与野党逆転から衆、参両議院の「ねじれ国会」の行方を杞憂してのこと。
 この言葉は、政権与党の自公、野党の民主両党にも言える。
 現在の国会運営は、テロ対策特別措置法延長、年金記録不備、政治とカネ、大臣の任命権問題など、国内外での大きな課題がある。この難局を私たちの「日本丸」は、どのように乗り切っていくのか? 安倍晋三首相の操舵範を見守るほかはないが、これまでの経緯からは不安も隠し切れない。
 ところで、古代中国には、荀子の書のほかに政治に関わる金言、名句がたくさんある。
「国は人をもって本となす。安ければ国安し」(潜夫論、準南子、書経など)―。
「民の欲するところは、天は必ずこれに従う」(左伝、書経)―。
「国を治むる者は、民を富ますをもって本となし、学を正すをもって基とす」(潜夫論)―。
「すくなきをうれえずして均(ひと)しからざるをうれえ、貧をうれえずして安からざるをうれう」(論語)―。
 中国五千年の歴史には、孔子、孟子、司馬遷、孫子などすぐれた思想家、歴史家、戦略家などが残した言葉がある。かっての毛沢東をはじめ共産主義国家の政治家を含め、現在の市場経済導入から近代国家をめざす政治家たちへの「遺言」ともいえる。が、そのままわが国の政治家への「提言」でもある。

(注)この文章は、九月の早い時期に執筆されたものです。

(風彦)

2007年09月10日

今月の言葉(9月)

われ未だ木鶏たりえず

――三十五代横綱・双葉山定次 

 この言葉を知っている人は、もうほとんどいないだろう。かくいう私は、少年時代に父親に教えられたし、のちに書物で読んだ記憶がある。双葉山といえば、戦前、大相撲では不世出の名横綱。不敗を誇り、七十連勝を目前に安芸海に破れ、当時角界のみならず、センセーショナルな社会事件であった。
 昭和十四年春場所四日目、安芸海の外掛けに崩れ落ちた一番だった。当時、小学二年の私にもラジオ実況放送の熱狂的な叫び、私の周辺の大人も子供も欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した興奮ぶりは、今でも遠い記憶のなかに残っている。安芸海は、前頭三枚目、新進気鋭の力士。広島出身だけに広島の相撲ファンは、安芸海への身びいきは当然だった。現在の六場所制とちがい、二場所制。春場所は一月。相撲への関心は、国をあげての人気。まさに伝統ある『国技』であり、『文化』であった。
 冒頭の言葉は、双葉山が親交のあった安岡正篤(やすおか・まさひろ)氏宛て電文。
 安岡正篤氏は、東洋政治哲学者、人間学の権威で、昭和天皇の終戦の詔(玉音放送)の草案に加筆、戦後の歴代宰相の師でもあり、平成の年号の発案者としても知られる。
 当時、安岡氏は、欧州旅行中の船の中で双葉山からの無線電信を受けたという。
「ワレイマダモッケイタリエズ フタバヤマ」
 双葉山は、常日ごろ、安岡正篤から中国の故事「木鶏」の話を聞き、相撲は単なる勝ち負けではなく、心を鍛錬、天にいたる道であると自ら人格形成に励んでいた。が、安芸海に不覚をとったことから、まだ修行のたりないことを自戒したという。
 ところで「木鶏」とは、荘子の達生に出てくる話。簡略すると中国の王が、闘鶏を養う名人に強い闘鶏を求めた故事によるもので、強さを表に出さない最強の闘鶏のことである。
 さて、九月は大相撲秋場所がはじまる。が、横綱・朝青竜は、例の巡業拒否、モンゴル帰国事件の処分で、今場所、九州場所と謹慎、減俸処分問題でいまだに論議があとを絶たない。嘆かわしい話である。
 わが国の相撲は古代より神への奉納の儀式から発展。日本文化の「国技」である。横綱の綱は、神と人間を結ぶ絆。綱を締める力士は、最高の名誉ある地位。今回の問題は、相撲協会を含め「国技の品格」「横綱の品格」が問われることだ。

(風彦)

2007年08月12日

今月の言葉(8月)

生命の力と平和の尊さを
原爆被爆樹から学ぶ

――風彦 

 広島の町を流れる京橋川にかかる鶴見橋の東側たもとに、老いた一本の被爆柳がある。
 痛ましいケロイドの木肌を晒しながらも、今なお川風に枝を靡かせている。早春に芽をふいた青葉の色も夏の日に輝いている。誰が捧げたのか千羽鶴の束…。風雨にさらされて色あせている。
 そのそばを通るたびに私は、きまって立ち止まり、老柳に話しかける。というのも、私の被爆した父は、死の際に、一夜明けた翌日、避難した比治山からおりて鶴見橋のたもとで救援を待っていた―と聞いていたからである。
 柳はまさに当時の生き地獄さながらの、あの一帯を知る、なによりの「生き証人」。いとおしむ心もさることながら、逞しい生命力にただならぬ畏敬の念が込み上げてくるのである。被爆者の多くは、すでに亡くなり、高齢化して記憶も風化している。
 あれから六十二年。被爆直後、広島には七十年間、草木も生えないとの風聞があった。それでも広島市内には、被爆樹木(五十二本=広島市植物公園資料=平成十六年三月)が今なお逞しく生きている。
 その中でよく知られているのは、平和公園の一隅にある被爆アオギリだろう。このアオギリは広島市中区白島町にあった広島逓信局(中国郵政局の前身)の中庭で被爆した三本。一九七三年、現在地に移植(内一本枯死)されたもの。同局勤務中、被爆した沼田鈴子さん(当時二十二歳、現在、八十四歳)は、このアオギリのもとに寝かされて救護された。結局、沼田さんは、左足を切断、九死に一生を得て、現在「原爆の語り部」として活躍。被爆時のこと、このアオギリをめぐる生命の力、平和の尊さを語り伝えており、広く世界でも知られるようになった。
 被爆アオギリは、夏に淡黄色の花を咲かせ、秋には実を結ぶ。落果したタネを、今では広島市植物園で育苗。苗木は広島市内の小、中、高校にも植樹。逞しく育っている。世界各国でも育苗、苗木が移植されるなどアオギリを通して「ノーモア・ヒロシマ」運動の輪に広がる。八月は忘れることのできない原爆忌であり、敗戦忌。改めて原爆被爆樹から生命の大切さ、平和の尊さを学び、訴えよう。
「世界平和の花を咲かせよう」
 ― Let's bloom for the World Peace!―

 

 

(風彦)

2007年07月12日

今月の言葉(7月)

五十年の歴史を忘れまい―。
広島市民球場の
過去と現在と未来

――風彦 

 早いもので、広島市民球場ができて七月二十二日に五十年を迎える。当時を知るファンにとっては懐旧の念もまた一入であろう。私もその一人。その後、二度の拡張で現在の『威容』を整えたわけだが、球場の施設は老朽化が目立ち、改装・建替え計画や新球場の建設が持ち上がりながら、建設費などをめぐり、紆余曲折(この件は割愛)、難航していた。
 過日、広島市・県・経済界のトップが会談してJR東広島駅貨物ヤード跡地に新球場建設について合意した。総工費九十億円のうち三者で四十六億円を負担しあうことを共同声明で発表した。残りの建設費の捻出には、まだ問題があるが、まずは、めでたしというところであろう。
 今の球場は広島経済界のリーダー格だった東洋工業(現在のマツダ)の社長 松田恒次さんが広島経済界の「二葉会」に呼びかけて実現した。すべて、カープ強化のためにナイター設備のある球場を作ってやろう―との思いからだった。建設資金として、一億六千万円を寄付。昭和三十二年二月、総工費は二億円で着工。七月二十二日竣工式という突貫工事だった。当時の「二葉会」の財界人は、すでに亡くなり、また当時のいきさつを知る人も少ない。
 先月、広島市南区にある広島市郷土資料館での企画展「広島市民球場の50年」に出かけた。当時の渡辺市長などの政界の動向、球場をめぐる公文書、設計図、選手のユニフォーム、ファンの熱烈応援ぶりの写真、球場建設の経過と周辺の風景写真の展示には、感慨無量…。
 そのなかで私が胸をうたれたのは、アニメの作品「ドリーマーズ」のビデオ上映だった。原作は、あの「はだしのゲン」の作者、中沢啓治。監督は兼森義典。上映は八十六分だったが、内容は、原爆で両親を失った野球少年と原爆症で息を引き取る弟との兄弟愛。そして野球少年たちの友情を軸に呉に駐留していた米国兵士たちとの野球試合。カープの創立当時の少年たちの思い、郷土愛を描いたこの作品を見て、熱いものがこみ上げてきた。一九九四年の作品だが、カープと原爆の悲劇は、語り続けなければならぬ広島の社会文化である。
 私たちは、新球場の建設の『朗報』のなかに、広島の歴史を忘れてはならない。

 

 

(風彦)

2007年06月10日

今月の言葉(6月)

「梅雨前線異常あり」??

――地球温暖化の視点 

 六月といえば、梅雨の季節。地球温暖化にともなう梅雨前線の動向が気になる。カラ梅雨か長雨か―。何らかの因果関係があるのでは…、との指摘もある。が、しかし、広島地方気象台の防災資料室の話では、断定的なことは、避けている。
 ちなみに私の日記の過去五年間の六月中のお天気メモを見ると、平成十四年では、雨の日は三日。十五年では九日。十六年では八日。十七年は三日。昨年の十八年は十一日が雨の日。降雨量の多少はもちろんある。広島地方気象台防災資料では、梅雨時期の六月、七月の二ヵ月の降雨量は次のようになっている。

     平成十四年    二九七・五㍉ 
     同  十五年    六六八・〇㍉ 
     同  十六年    二八一・〇㍉
     同  十七年  四〇八七・五㍉
     同  十八年  六〇〇六・五㍉

 同資料室の話では、月によって降雨量にばらつきがあり、一概に増えているとは言い難いという。
 しかし、気象状況は不安定な傾向である。
 梅雨とは、六月上旬から七月中旬にかけて日本と中国の揚子江流域で見られる一ヵ月以上にわたる長雨の時期。オホーツク海高気圧の冷たい湿った風と小笠原高気圧の暖かい湿った風が向き合って生れる停滞前線が、その正体。前半の雨は、『しとしと』、後半は『荒梅雨』(現代俳句歳時記)と表わし、豪雨に見舞われる。
 以前、気象大異変を特集したNHKテレビで、スーパーコンピューターによる百年後の「地球シュミレーション」をしていた。それによると、地球の気温が四・二度上昇した時、東京の正月は紅葉の季節となり、四月には初夏の気候、海開きは五月…。夏の季節が二ヵ月早くなるだろうとの予測。三年前のフランスの熱波現象、モンゴル草原の砂漠化もその予兆か。
 「病めゆく地球」の『実像』にショックを受けた。改めて地球規模の温暖化対策と環境問題を、一人一人…。国境を越えて真剣に取り組むべきである。京都議定書に批准していない大国、アメリカはもとより、中国を含めた開発途上国も、利害関係を抜きにして―。
 環境こそが何よりの平和論であろう。
 さあ、地球の皆さん、梅雨前線の動向は、地球規模の視点で思考しましょうよ。

 

(風彦)

2007年05月15日

今月の言葉(5月)

「辛いときでも幸せなつもり」       

―山崎陽子 

 五月は、若葉光る。風薫る。希望に満ちた季節である。が、しかし、進学、また社会に巣立った人の中には、新しい環境に馴染めず、心をさいなまれる人もたくさんいる。こんな症状を「五月病」といい、昔から神経症候群と言われていた。
 とくに親元から離れての生活では、ホームシックに陥ったりするのも、「五月病」の典型的なものだろう。
 しかし、現在は携帯電話、インターネットの通信事情、交通、社会経済の事情の変化とその産業の急速な発達などで、ひと昔前の「五月病」の症候群とは、様変わりしている。
 私の身近な周辺の人の話では、せっかく大学に進学したのに、学校に行かなくなった、とか、良い企業に就職したのに、人間関係がうまくいかずに挫折している、ということを耳にする。
 今ごろの若い者は、耐えることができない―などとは言いたくはない。が、たしかに、新しい環境への適応する力がなくなっていることは、事実のようである。
 冒頭の言葉を語っていたのは、山崎陽子さん。彼女は、元、宝ジェンヌのスターで、童話作家、ミュージカルの脚本家。二児の母親でもある。私が彼女の話を聴いたのは、過日のNHKラジオ深夜便の再放送。彼女の現在までの生き方を書けば、一編の長編ドラマである。が、簡潔に紹介すれば、幼いころは、病弱、運動神経も鈍く、人前に出ることすらできなかった内向性。
 その彼女が、読書が好きで、先生から人には、だれにもひとつは良いところがある―、と諭されたことから生きる自信を持ち、宝塚歌劇のスターまでに。そして子どもを育てながらの主婦生活からユニークな発想をもとに、童話を書くまでになったという。
 その彼女が、「自分史」から学び、身につけたのが、「辛いときでも幸せなつもり」の人生観である。さらに人には、それぞれひとつは良い点があることをモットーに、他人への思いやりを持つことを座右の銘にしているそうだ。
 私が感心したのは、彼女の生き生きした語り。辛いことを幸せだと受け止め、明るく耐える処世術である。

 若い諸君―挫折する前に、もう一度踏みとどまって考えよう。
 「辛いときでも幸せなつもり」で―。
 これは、私たちの処世術にも言える言葉。

 

(風彦)

 

※山崎陽子さんのサイトは、
 http://www.yoko-world.com/index.html
 エッセイ集に「しあわせは、いつも いま」(二〇〇四年二月)など。 

2007年04月02日

今月の言葉(4月)

「人の心にタネを植えよう」

―公共広告機構のCMから 

  最近、民放テレビのCMに流れるキャッチフレーズである。荒廃する社会に命の大切さと人間愛を訴える言葉。まさに人間社会での「啓蒙的標語」といえよう。

 同機構の発案に民法各社が無償で協力、三十秒、六十秒の二本のCMを全国のお茶の間に流しているそうだ。

 この言葉の字義ではタネならば蒔く。苗木なら植える(じゃがいもの場合はタネいもを植えるともいうけれど…)であるが、些細な字義の講釈を云々するのではない。

 要するに、人の心のなかにタネからの発芽を、苗木から大きな樹木を、そだてる豊かな情愛とその喜びを通して命の大切さを訴えようというCM企画。とかく民法メディアのあり方が論議されるなか、民放の志向する一端のCMである。

 四月の言葉としてとりあげたのは、新しく進学、社会人になった人たちへの餞(はなむけ)である。新しい環境のなかでさまざまな「出会い」から新しい人間関係が生れる。そのなかでお互いが、相手を認めあうこと、友情をはぐくむことの大切さを示唆する言葉でもあろう。

 四月は若葉燃え立つ五月への序曲。生命の息吹を実感できる季節。タネ蒔きの時期で、地方によっては苗代の作業を始める土地もあるし、夏・秋に花を咲かせるためのタネを蒔く。近年は、農業・園芸技術の進歩により変化がある。が、タネ蒔きは、歳時記の季語では「春」。

 俳人・星野立子の句に―

 「きらきらと輝く種を蒔きにけり」

 また同じ俳人・岡安迷子の句には―

 「花種を蒔かんとすれば土笑みぬ」があり、ほのぼのとした印象的な句もある。人の心にタネを蒔いたり、植えたりする場合、相手の『心の土』をいかに耕し、柔らかい土壌にするかである。それは、やはり相手を思いやることで、「博愛」、「慈愛」の涵養につながる。

 荒廃した社会の復興は、まず人の心の復興からだろう。

 人に情けあり
 情けに縋(すが)りて
 人の縁(えにし)を悟る

 この三行詩には、人と人との「出会い」の絆を説いたもの。人の絆は心の絆―。

(風彦)

2007年03月15日

今月の言葉(3月)

逆も真なり

「練習を休むのも練習のうち」

―阿南準郎 

 本格的なプロ野球のキャンプの時期である。各監督は、Vを目指してチームの骨格づくりに…、各選手は、技量の上達に更なる練磨に…、励む。ファンは、テレビ、新聞を通じて伝えられる「キャンプ便り」に胸がときめく。

 この時期になると思い出すのは、冒頭の言葉。これはけだし『名言』である。

 今から十八年前、当時、広島の監督だった阿南準郎さんは、キャンプでの正田耕三選手の昼夜を問わず打撃練習に打ち込む姿を見て伊勢孝夫コーチに「正田の練習にブレーキをかけたらどうだい」と伝えた。

 というのも、正田は一九八七、八八年、連続首位打者になった。前年の八八年には、すでに右手首を痛めていた。それでもなお正田は、三年連続首位打者を目標に、昼夜の練習のあと夜間練習場にでかけての打撃練習に打ち込む。彼の気迫に圧倒されながらも伊勢コーチは、長時間の練習を思いとどめさせる。が、正田は自分が納得いくまで続けた。

 「どれだけ練習すれば、首位打者になれるか」と彼には彼なりの体感による練習量があったようだ。キャンプ中、夜間練習から宿舎に帰ってきた正田に、阿南監督は言った。

 それが冒頭の言葉だった。

 「正田。練習を休むのも練習だよ」

 阿南監督は、厳命だとも言った。

 「わかりました。監督…」

 正田は意外と素直に答えた。私はたまたま居合わせて、その光景を見た。

 当時、三年連続首位打者になったのは、巨人の長島茂雄(一九五九、六〇、六一年)と王貞治(一九六八、六九、七〇年)の二人。

 正田は右手首を痛めながらもONに挑んだわけであった。彼は翌平成一年、3割2分3厘の好成績を残したが、首位打者の巨人・クロマティーの3割7分8厘に及ばなかった。

 のちに正田は、近鉄、阪神球団の指導者として転出したが、阿南監督の説いたのは、逆説の真理。逆も真なり―である。私はマラソンの著名な監督の言葉を思い出した。

 「走りながら休め」

 これも逆説的で含蓄のある言葉。良き指導者は、ときとしてこの手法で選手を育てる。

 

(風彦)

2007年02月20日

今月の言葉(2月)

梅一輪一輪ほどの暖かさ

―嵐雪 

 梅の季節である。むかしから万木に先駆けて開花するので「春告草」の別名がある。

 植物学的にはバラ科の落葉樹。近来は園芸技術の発達で花の季節感が薄れているが、梅の花は、まぎれもなく春の序曲を彩る。

 冒頭の句は、芭蕉の門下、十哲の一人、服部嵐雪の代表句。梅が咲く時期は、冬の名残雪が舞う日もあるが、むかしもいまも春を待つ心情はかわらない。

 冬に咲く寒梅の品種もあるが、「冬梅の既に上を含みおり」と高浜虚子も、待春への思いを詠んでいるほどである。

 地球の温暖化の波及で自然現象に変化が云々される昨今。梅の梢に点々と蕾が吹き出すと気持ちがなごむ。それは桜の開花とはまた違った季節の風情がある。

 梅の原産地は中国。初期の遣唐使時代に薬用として持ち帰ったという。梅の薬用については、歳時記にも書かれており、いまここで詳述はさける。が、万葉集には梅を詠んだ歌は百数十首にのぼり、当時、花といえば梅の花に代表されていたほど。桜は、少なく四十五首ぐらいだとされていたが、平安時代、恒武天皇時代から観桜宴が盛んになり、しだいに花の座は、梅から桜に、詠まれる和歌も桜の賛歌へ変遷する。

 しかし、花=桜の前座をつとめる梅をこよなく愛した人は、昔もいまもいる。

 梅花の悲劇の主人公といえば、菅原道真。平安前期。漢学者で時の宇多天皇に重用され、右大臣に。それが藤原時平の中傷により太宰権帥に左遷、大宰府に配流された人。

 「東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と詠んだ。その故事にちなんだ梅(飛梅)が大宰府天満宮にはある。

 梅の咲く時期はまた受験シーズン。菅原道真にゆかりのある社には、合格祈願の若者が押しかける。私が「二月の言葉」に冒頭の句をあげたのは、風雪に絶えて萌芽、蕾から花、そして実となる梅の一生に人生を見るから。 この句は『梅の時候句』だけでなく人生句。

 

 「紅梅にたつ美しき人の老い」

 

 俳人・富安風生が大宰府の梅林で詠んだ句を思い出した。

 

(風彦)

2007年01月20日

今月の言葉(1月)

「平和の賞味期限」を考えよう! 

 新しい年を迎えると、人それぞれに人生のテーマがあるだろう。バブル経済がはじけたあとに、景気が回復。いまや『いざなぎ景気』を上回 る景気だという。庶民にはその実感があまりない。いまだにこの世、この社会は不透明感が拭い切れない状況である。

 過日、半藤利一さんの著書「昭和の歴史」を読み直した。半藤利一さんは、明治以降の歴史の軌跡について興味のある話をしている。

 四十年周期説である。一口で言うと、日本が国策として開国を決めたのが慶應元年、一八六五年、それから明治維新。日清、日露戦争を経て 国際社会に認められたのが明治三八年、一九〇五年。その後国際連盟を脱退して先の戦争で国が滅亡したのが昭和二十年、一九四五年。日本が 独立国として再スタートしたしたのが一九五二年。「経済大国」となり、そのバブル経済がはじけたのが、一九九二年。戦後の復興から四十年 という。その四十年後といえば二〇三二年。『歴史の軌跡』からいくとどうなるか―である。

 半藤利一さんは、いまは滅びの時期にあるという。理由は少子化時代、国債の発行残高六百七十兆円を超える状況。そこでこの四十年間を日 本人がどのような道を選択するか―。日本社会のみならず、世界情勢も不透明。混迷の時代にあって冒頭の言葉が頭をよぎる。

 「平和の賞味期限」である。どの国、民族でも『平和を希求』するが、現実は各地での対立、紛争が絶えない。そのなかで日本は、米国の傘 の下、平和憲法により、平和を享受してきた。それも活発化している憲法改正問題、『普通の国』になるための萌芽(台頭)により、また昔の 悲劇をくり返すことになるのか―。新年を迎えて、一考も二考もするべきである。半藤利一さんは言っている。

 「日本人は国民的熱狂に走りやすい。為政者の言葉で集団催眠にかかりやすい。時の為政者に一任するだけではいけない。批判精神を。反対 すべきは、きちんと反対すること」

 戦前の国際連盟を脱退した際の世論が物語るわけでもある。国際感覚に欠けていた事実であるが、ルワンダ出身、NPO法人、福島県在住のマリ ールイズさんも言った。

 「戦争を知らない日本人は平和についても関心がなさすぎる。六十年前、つらい思いで残してくれたこの平和な国をどのように維持するか、 自分に問いかけてほしい」。悲しいかな、いまの政治家の多くは、戦争を知らないジェネレーションである。

(風彦)

2006年12月20日

今月の言葉(12月)

慈善の船を造ろう

永遠に沈まない

フレンドシップという船を

師走になると商店街、デパートではXマス商戦を煽るジングルベルのメロディがジャンジャン鳴り響き、『騒音化』する。そんな中で貧しい人、恵まれない人た ちに『愛の手』を―と今年も「歳末助け合い運動」が広がる。地震、台風による被災地への救援募金をはじめ、交通遺児のための育英資金、目の不自由な人のた め盲導犬を、心臓移植手術のための渡米資金カンパなどさまざまな街頭募金が登場する。国内だけでなく海外での自然災害による被災地への救援活動も活発に なった。
一連の街頭募金運動も、その時代、時代によって変わってきた。なかでも一番印象に残ったのは、終戦直後の街頭募金。戦争によって負傷した兵士達が白衣を まとい、義足や義手をあらわにして登場。その日の糧を求める。あまりにも痛々しい傷痍軍人の姿が、戦争による悲惨さを訴えて同情を誘ったものである。敗戦 後の貧困と疲弊した日本社会の風物詩だった。あの頃の社会事情を知る人も少なくなってきた。
当時、中学生だった私の恩師、英語の先生が説いた言葉が、今でも忘れられない。 「君たちの将来は洋々たるものだ。二度と戦争の悲劇を起こさないためにも、趣味を持ちなさい。私のいう趣味は、船を造ることだ。
あの戦艦大和やタイタニック号のような船ではない。フレンドシップという船だよ。このフレンドシップという船、友情は永遠に沈まない。お互いにそれぞれ の立場を理解し助け合うという友情をはぐくめば、戦争という悲劇は起こらないものだ」
この言葉を私は、今でも語り継ぐことにしている。先日もある集まりで趣味の話が出た。人それぞれが、ゴルフ、くるま、旅行、俳句などが話題になったとき、私の番。
私の趣味は船を造ることだ。と言ったら一同、模型の船だと勘違いしたようだ。そこで恩師の話を一席。一同、うーん。ナルホドと。その後で私は、『自画自賛』しすぎたかと自省の常ではあるが…。
歳末助け合い運動の季節になると、年老いたあの英語の先生のことを思い出しながら私は、私なりの『貧者の一灯』を。

(風彦)

2006年11月20日

今月の言葉(11月)

「世界は一冊の本」


 ひとむかし前は『灯火親しむ候』といった。読書に快適な季節から『読書の秋』ともいった。活字ばなれした現在の若者には、その実感がないだろう。まんが、アニメ、映像文化の氾濫をはじめ世の中は、パソコン、インターネットなど、いわゆる『IT時代』。書物ページを操るとかページを切る、といった言葉は死語に近い。いまや『検索』の時代である。しかし、人間形成には、小さい時からの読書がいかに大切か、が論議されている。
  美智子皇后陛下が「子供らの可能性を信じて」と題し、児童書評議会でスピーチされたのは、平成十四年十月二十九日(スイス・バーゼル)だった。美智子皇后様は、「国際児童図書評議会」(IBBY)創立五十周年記念大会の名誉総裁でもあったが、ご自身の少女時代の読書の思い出から読書により多くの恩恵を受けられたことを英語でスピーチされた。世界の人たちも感銘したものだ。
 いまだに、当時新聞に掲載されたスピーチの全文を保存している。
 冒頭の『世界は一冊の本』は、詩人、長田弘の有名な詩である。
 本を読もう/もっと本を読もう/もっともっと本を読もう/書かれた文字だけが本ではない/日の光り、星の瞬き、鳥の声/川の音だって、本なのだ(中略)
 本でないものはない/世界というのは開かれた本で/その本は見えない言葉で書かれている(後略)
 三行ずつに十五行に書かれている。
 詩の解釈をするまでもあるまい。
 読書は人によってさまざまである。扇屋正蔵さんの「聞き上手・話し上手」(講談社現代新)を読んでいたら、経団連会長、当時の土光敏夫さんの読書法があった。
 「私は一日に何冊かの本や雑誌に目を通す。その中の一行でもピンとくるものがあればそれをむしりとる。私の読書法はむしり読み」
 といった内容だった。
 私は思う。読書は人生の学校。先人たちは言った。
 「読書百遍意自ずから通ずる」
 ― 我思う。ゆえに我あり ― (デカルト)
 皆さん! 灯火親しむ季節です。

(風彦)

2006年09月20日

今月の言葉(9月)

老馬の知―老馬道を知る

     ―韓非子

 

 九月は敬老の月でもある。一九六六年(昭和四十一年)、従来の「老人の日」を改めて、十五日を国民の祝日として制定され全国各地でお年寄りを敬い、長寿を祝う行事がある。
 高齢化社会に生きる一人としては、複雑な気になる。現在七十五歳。気分は青年であり、あるときは、まだ壮年を自負(!?)しているから。しかし、世間では、老人、年寄り扱いである。広辞苑を見ると、「老人」は「年寄り」のふた文字で解釈してあるが、新明解国語辞典の定義には「すでに若さを失った人。たくましさはなくなったが、思慮、経験に富む点で社会的に重んじられるものとされる」とある。これ!これだ!と思わず膝を打った。「思慮、経験に富む…」
 とかく高齢者、年寄りは、若者に疎んじられ、疎外される風潮である。時代の流れ、と言ってしまえば、それまで。高齢者の中にも「もう若い者に任せればいいんだ」という人もある。しかし、それでいいものだろうか?と疑念をもつ。
 冒頭の言葉は、中国春秋時代の故事。まさに言いえて妙。若い駄馬よりも老馬の知恵を評価したもの。年寄りには若者には無い知恵があることを説いている。
 「温故知新」―、ふるきをたずねてあたらしきを知る―。日曜日の民放テレビのコメンテータ、竹村健一氏が口癖のように話す。「歴史をもっと知らないといかん」とパイプの煙をくゆらせながら、キャスターたちに問題の本質のカギを指摘する。この人の評価云々は、別に私も同調することが多々ある。ことのほか、歴史認識ではそうである。
 「過去に目を閉じる者は、現在にも盲目になる」西独時代一九八五年五月八日、ドイツの敗戦記念日でのワインベッカー大統領の有名な演説。この言葉のあとに「未来の悲劇に手をかすことにもなる」とまで言った。のちに同じ敗戦国、ドイツと日本の違いとまで言われた。私は思う。年寄りは自らを卑下することなく、若い世代に語り継ぐ責務がある。
 とくに広島では原爆の悲劇を語ることもそうであるし、戦後の広島の社会、文化を構成したカープの歴史をもそれぞれの立場で語り部となり、若い世代と共生する羅針盤役に―。

(風彦)

2006年08月20日

今月の言葉(8月)

永遠なるものを求めて

永遠に努力する人を菩薩という

―高田好胤 

 八月になると、生前、薬師寺の管長だった高田好胤さんの冒頭の説法を思い出す。
 六日の原爆忌、十五日の敗戦忌―。日本人には、歴史的な悲しい月。仏教では「祥月」といい、死者が死んだ月にあたる。言わば『日本の死んだ月』だともいえる。
 そして、私たちは、世界に原爆の悲惨さと戦争のおろかさを訴え、「世界平和」を希求し願った。人類最初の原爆被爆を体験した広島では、原爆慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから…」とまで碑文に刻まれている。
 しかし、あれから六十一年。地球上ではいまなお思想、宗教などの対立から争いが絶えない。また核拡散の危機から地球破滅、人類滅亡につながりかねない危惧も―。それだけに「ノーモア・戦争」「ノーモア・ヒロシマ」は、人類の永遠のテーマでもある。
 過日、私は『原爆の語り部』の友人に、高田好胤さんの言葉を伝えた。
 「あなたの弛まない活動ぶりは、まさに菩薩です。平和の菩薩です。敬服します」
 この人は、少年飛行兵出身。戦後、労働運動の活動をへて、反核、反戦を訴え、正月には『被爆者供養』のため、平和公園での慰霊碑に裸足行脚を。これまでにもハワイ、ワシントン、クウェートまで出かけて平和を訴えた実践家である。
 五月、八月に修学旅行をかねて平和学習にやってくる東京の女子中学生を対象に話す私の『原爆の語り部』とは違う、本格的なボランティアである。
 私は考えた。昭和ヒト桁生まれ、被爆当時は、中学三年生。原爆で父親を失い、私自身、入市被爆者。戦時下での体験をした一人として同じ世代の人たちと手をつなぎ、戦争を知らない若者たちに、思想、宗教を越えて戦争の悲劇と平和の大切さを訴える『平和の語り部』としての輪を広げたい。それが私たちの残された責務だと。
 平和は人類の永遠のテーマ。高田好胤さんの説いた言葉を改めて学び、広島から多くの『平和の菩薩』の誕生を。広島市基町の一角、銀色の平和観音像が炎暑のなか輝いている。

(風彦)