タニシ文庫リニューアルのお知らせ
タニシ文庫にお越し頂きありがとうございます。
この度、タニシ文庫をリニューアルすることになりました。
新しいタニシ文庫は↓になります。
このページをブックマークしていましたら、お気に入りの登録し直しをよろしくお願いします。
こちらのタニシ文庫も残りますが、今後こちらでは記事の更新はされませんのでご了承くださいませ。
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美味しい蕎麦を頂いた。絶品の味! その日の朝に打った本物の手打ち蕎麦! しかも石臼で挽いたそば粉で作った蕎麦。初めて食べたそばがきも何とも美味!
今まで食べていた蕎麦は一体何だったんだろう?
面倒ぐさがりやの私は、蕎麦をゆでるのも面倒で、年末の年越し蕎麦ぐらいはかろうじて作り、家族で食べるのだが、それほどうまいと思った事がなかった。
蕎麦好きの人が、ここのお店は美味しいよと教えてくれても、他の店との違いもあまり分からず、蕎麦に魅せられ、自分で蕎麦打ちの道具一式買う人だっているにも関わらず、全く理解が出来なかった。
この年になって初めて蕎麦の美味しさに開眼。昨年は香港・台湾に行き、美味しい料理に舌鼓を打ち、中国料理には何と紹興酒が合うのかと紹興酒の美味しさにも驚いた。
人生は捨てたものじゃない。この年齢になって食べる事で新たな出会いと感動を味わえる。
今までは食べる事に対して、せっかく食べるからにはまずいものを食べるのは止めようというくらいの消極的な思いと、カロリーを取り過ぎないようにと注意をしていた程度だったが、少し損をしていたかな、と思う。
美味しいものを探して食べ歩く人の気持ちが多少なりともわかった気がした。
昨日は採れたてのサバを頂いたので、久しぶりにしめ鯖を作ろうかと思ったが、長いこと手間のかかる料理をしていない私は、サバを3枚におろせず、諦めて味噌煮にした。久しぶりに作った新鮮なサバの味噌煮はなかなかに美味しかった。
いろんなものの作り方を忘れ、冷蔵庫の中をみても何の料理も浮かばないくらい、料理オンチになってしまった私。これからはせめて月に一回くらいはきちんと料理をしてみよう。まだまだ人生は続く。食べる楽しみを手放さない為に。
新年明けましておめでとうございます。
百年に一度の不況と言われ、新聞もテレビもちっともいいニュースがない昨年末でした。でもピンチがチャンスとも言います。いけいけどんどんの時代には世の中全体が浮かれ、乗り遅れまいと焦っていたように思います。一度立ち止まってひとつひとつを考え直す時でしょうか。
個人の事で言えば、自分は何に価値をおいてどういう生き方をしようとしているのか?
今の仕事の仕方はどうなのか? 仕事をする事で何を達成しようとしているのか? 人間関係はどう作ろうとしているのか? どういう死に方をしたいのか? それには自分の身体とどう向き合っていくのか?
事業で言えば、経営理念は今のままでいいのか?事業の目的・目標は何か? 他に考えられる展開はないのか? 経費の使い方は目的・目標に合っているのか? 自分たちが作ったり売ったりしているものが社会にとって益となっているのか?
社会との関わりで言えば、買物をする時、自分が買う事によって世界の誰かが不幸になっていることはないのか? 市場原理主義が行き着くところまで行っている現在、すべてが世界とつながっていることを想像するということ。そしてストップ地球温暖化、自分にできるささやかな事をやっていくということ。
さて今年の大河ドラマは戦国の「利」の時代に「愛と義」を貫いた直江兼続。いよいよ「利」から「愛と義」の時代に大きく舵を切ろうと社会が動いていくような予感がしてなりません。とは言っても、実は妻夫木聡君や小栗旬君、城田優君などイケメン諸君に会えるのが日曜の夜のおばさんのささやかな楽しみ。うれしい!
創業以来お世話になっている製本会社の社長様が、突然お亡くなりになりました。五十七歳の若さでした。亡くなられるつい二時間前には電話で話したのにと、うちの発注担当者が愕然とし言葉もありませんでした。家族を愛し、一生懸命仕事をし、友人知人仕事関係の方みんなに愛されたとてもいい社長さんでした。弊社もどんなに助けられたか。心からご冥福をお祈りいたします。
今はケア手帳の製本作業をお願いしその最中でしたので、残されたご家族・社員さんで、もう翌日から頑張って頂いています。きっと社長様も天国から「悲しんでばかりいないでとっとと仕事をしろ」と言われているのでは・・・と思いますので。
ピンピンコロリが理想の死に方とよく聞き、私もそうありたいと思いますが、五十七歳ではあまりにも早い! 本人もご家族も残念で仕方がないでしょう。
ところで、私は二月生まれなので、今年は最後の五十代。仲の良い同級生達は一足先に還暦を迎えました。身体は正直なもので、さすがに元気印の私も、あちこちガタがきています。血圧はもう十二年前から上昇しはじめ三年前から薬でコントロール、肌はカサカサ、シミが目立つようになり、少し高めの化粧品を奮発しました。 幸いな事に、肝機能・脂質・糖など、血液の中身には問題ありませんが、腹囲に問題が・・・。今年の生活習慣病予防検診での結果は腹囲+血圧の項目で要経過観察です。せっかく頂いた命、あの世に行くその日まで、しっかり働けるよう日々メンテナンスをおこたらないようしなくてはと改めて肝に命じております。中小・零細企業の経営者は得てして自分の健康を後回しにしがちですので。
今年も残りわずかになりました。昨年より今年にかけて、用紙やインキなど20%以上値上りし、とうとう十月から介護帳票の値上げに踏み切らせていただき、お客様には多大なご迷惑をおかけしました。でもそれにも関わらず、ご愛顧いただきまして本当に感謝です。もっとお役にたてるよう研鑚を積まなくてはと肝に命じております。
又、九月・十月と我が社の事が新聞やケーブルテレビに取り上げられ、又、会計事務所のセミナーでの経営発表や中小企業家同友会経営研究会でのパネラーと今までにない体験をさせて頂きました。その上、社員までが地元新聞の『緑地帯』にコラムを書かせていただき、たくさんの人の目に触れさせていただく機会を得ました。
それもこれも五年前から取り組んでいた介護事業所向けの企画が軌道に乗り何とか経営が安定してきたためです。たった一冊の小冊子から始まった介護事業所向け企画が今や我が社の大黒柱。経営危機の時諦めないで、何とかしたいと頑張ってきて本当によかったと思っています。
でも問題はこれから! うまく行き出した時が危ないとは古今東西言われている事。まずは「一つ一つの仕事に心を込めて、社会に役立つ良い製品、良いサービスを創造し続ける」という経営理念に立ち返り、名刺ひとつ、封筒ひとつと日々の細かな仕事を大切に、しかし常に新しいものを創造することを忘れずに、社員全員で取り組んで参りたいと思っております。これからもよろしくお願いいたします。
先日、香港・中国に行ってきました。今まで韓国には二回行きましたが、それ以外海外旅行はビギナーです。回りは海外に行ったことがないという人を見つけるのが難しいくらいたくさんの人が海外旅行をしています。仕事で海外に行く人も本当に増えました。
今回の旅行で一番感心したのは現地のガイドさん。韓国では二回とも中年女性で、いかにも日本にもいそうな感じのガイドさんでしたが香港・中国は違います。若い男性です。
中国では日本語学校に行って勉強し、日本人旅行者のガイドをする若者が多いらしく、工場見学をさせて頂いた社長さんも初めは日本人旅行者のガイドから出発し、ビジネスの世界に足を踏み入れ、今や大成功を収めているとのことでした。中国は観光大国世界一を目指し目覚しい進歩を遂げつつありますが、そこには優秀な若者が活躍し、チャイナ・ドリームが実現できる世界が広がっているように思いました。
翻って日本はどうでしょうか? 世界の観光大国の三大条件は、①国の知名度 ②交通アクセス ③安全性 だそうです。日本は全ての条件を満たしているのにもかかわらず、世界で三十位以内にも入っていないそうです。若者が外国人観光客のガイドをしているのも余り聞いた事がありません。
政府は二〇一〇年までに訪日外国人旅行者を一〇〇〇万人にするビジット・ジャパン・キャンペーンをしており、二十一世紀の日本のリーディング産業と位置付けています。
人口減少時代に入り、これからは観光でお金を稼ごうという訳です。日本は料理も美味しいし、人情も豊かだし、自然の美しさは比類ありません。でも来る外国人観光客が少ないというのは、きっと外国人旅行者が来たくなるような仕掛けがないのでしょう。政府任せにしないで、私たち一人一人が考える必要があるのではないでしょうか。
秋です。いい季節になりました。今年の夏は殊のほか暑かったですね。
いろいろと話題を振りまいた北京オリンピックも終わりました。平泳ぎ二連覇の北島康介は貫禄ありましたね。体格にして劣る日本人を含め東洋人が頑張っている姿を見ると、努力の素晴らしさを実感します。しかし、特に水泳競技の決勝に並ぶ国々を見ると経済格差もはっきりわかります。先進国として経済的に裕福で平和な国ばかりです。中国もこのオリンピックを機に先進国として益々経済成長を遂げ、国内の矛盾を解決していくに違いありません。平和への近道は貧困の撲滅と言いますが、世界中のあらゆる国で貧困がなくなり、鍛えぬかれた男女が、このオリンピックで存分に競技できるようになってはじめて平和の祭典と言えるのかも知れません。このオリンピック、一八九六年のアテネ大会が第一回、今回は第二十九回で百十二 年続いていますが、もう百年後のオリンピックでは 平和の祭典 が実現できているでしょうか?
さて我が社は第二十六期に突入。個人営業の時期が七年ありますので、創業からいうと三十三年です。企業の寿命は三十年という説がありますので、寿命はクリアできたところで第二創業期といったところですがこれからは百年を目指して頑張ろうと思っています。百年というと六十七年後、私を始め今いる社員はもう全員いません。その時どんな会社になっているでしょうか? 社名は同じでしょうか? 印刷機は回っているでしょうか? どんな商品をどんなお客様に提供しているでしょうか?そもそも会社が存続しているでしょうか?
夫が始めた事業を引き継いで、次世代に渡し、又次の世代にと、長~い目で将来を見ようとすると、創業の精神、ミッション、ビジョン、経営理念、企業文化、社風、それらを支える堅固な財務基盤が必要です。今期はもう一度創業の精神に立ち返り、ミッション・ビジョンを明確にし、経営理念を社員全員で練り上げ、財務基盤を堅固にしていく、そんな期にしていきたいと願っています。
孫にと、とうもろこしを買って行って娘に蒸してもらい食べさせた。よほど美味しかったのだろう。「甘い」「甘い」と言いながら二本分全部すっかり平らげてしまった。それはデパートで買ったトウモロコシだったせいか、本当に素晴らしく甘いトウモロコシだったが、一歳十ヶ月でも、もう美味しいものはしっかり分かるらしい。先日は近所のスーパーでデラウェアを買って食べさせると、「すっぱい」と言って吐き出した。確かに熟れ方が足りなかったが、そんな吐き出すほどすっぱくはなかったのだが、子供の味覚は侮れない。
我が子を育てている時は、子どもが何時どんな言葉を覚え、初めてその言葉を使うのがどんなシーンだったかなんてちっともわからなかった。私はずっと働きつづけてきたので、保育所に預けるまでは母に預け、保育所に預け出してからは、子どもが病気の時・自分が病気の時は母の出番。弟のお嫁さんにも世話になった。歯医者などは殆ど近所の友達が連れて行ってくれていた。離乳食もパンツはずしも保育所の保母さんがやってくれた。長男は「自分は親にほっとかれた」と今だに言っている。確かに下の子が小学校に上がった頃は七つ下の妹の昼ご飯はお兄ちゃんに任せていたような気がする。ともかく我が家の子ども達は習い事をさせるわけでもなく、塾に行かせるわけでもなく、特に長女が心臓が悪かったので、健康な子どもたちはほったらかしだった。今子ども達が健康で人並みに仕事が出来ているのは、祖父母や叔父さん伯母さん、両親の友達、保育所の先生、学校の先生、すべて回りの人たちが育ててくださったお陰なのだとしっかり覚えておいて欲しい。
しかしそれにしても我が子の時は残念なことをした。子どもの成長を観察するのは実に面白い。「まだ ある」「もう ない」と二語文が出ると、人は言葉によって人間になっていくと思ったり、木馬に立って乗ろうと試みているのを見て、人間は生まれながらに冒険者なのだと思ったり、いろいろな発見をする。我が子の時には出来なかった楽しみを孫が与えてくれている。
又暑い夏がやってきた。七月は私にとって喪の季節。娘が七歳で亡くなったのも。孫が一歳で亡くなったのも、看護師として手術室に勤務していた折、夏休み中に治そうと蓄膿症の手術をした高校生の男の子が、思わぬ出血で亡くなったのも、すべて七月。人は生まれたからには必ず死ぬものだが、いかにも早い死は、受け入れ難いものだ。しかし、一歳は一年分のたくさんの驚きや喜び、七歳は七年分のたくさんの思い出を残してくれた。あの高校生のご両親は今どうされているだろうかと三十年以上たった今も時々思い出すが高校生になるまでに重ねた想い出をご夫婦で楽しく語らっていらっしゃればと願う。
先月、毎年行うクラス会で宇治平等院を訪れた。平等院鳳凰堂は、約千年前の藤原頼道による建造物で、建築・彫刻・絵画・工芸が一体化し、さらにその周囲は、浄土庭園の遺構がひろがり、建築と庭園が融合したたぐい稀な遺跡で、世界遺産に登録されている。そのテーマは極楽往生を願う浄土信仰。鳳凰堂内部に描かれた各扉の来迎図には、看取るものと臨終者、仏様たちのお迎えの瞬間が、日常生活する場所や活動も含めて上品・中品・下品と生き方の格に応じて描かれている。
「まさに平生の中にこそ死があり、そこに自然の中からの迎えがあり、そのこと自体が「ありのまま」=自然である」と『平安色彩美への旅』の中で神居文彰氏が述べられているが、死と極楽往生を表す鳳凰堂を、お財布の中に必ずある十円玉に刻むという発想をしたのは、一体どこの誰なんだろう?
先日、看護学校時代の友人が「暑いからビールを飲みにいこう!料理も美味しい所があるから」と電話をかけてきて、(彼女の誘いはいつも突然ですが・・・)、久しぶりに飲みに行きました。
さんざん飲んでおしゃべりをして、その中での事です。「明日コンサートがあって、コンサートの主催者に頼まれてステージのバックの字『夢』を書いたけど大きな字を書くのは難しいものだね、コンサートのチケットが余っているから行かない?」との事で、『夢』の字も見たいしと、何のコンサートかもわからないまま、出かけました。
それが、平岡麻衣子さんのユニバーサルコンサートでした。
平岡麻衣子さんは、大阪音楽大を卒業し、将来を嘱望されウィーンの音楽大に留学中の二〇〇一年十月、階段から転落し四ヶ月間意識不明、意識が戻ってからも手足に重い障害と、記憶など高次脳障害を負われたそうです。本当につらいたいへんなリハビリの中で、車椅子に座れるようになり、左手が動くようになり、硬く固まっていた右手も開き始め、この日は杖で、お母様に後ろから支えられて登場されました。リハビリの様子など、テレビで放映された時の映像が流れましたが、この七年間のリハビリがどれほど過酷なものだったか…。
演奏は、シューマンの「トロイメライ」、バッハの「プレリュード」、ショパンの「ノクターン」など十曲、バイオリンの上野眞樹さんや、ホルン奏者の藤咲真介さん、平岡さんを音楽面で支えてこられた音楽家の方々との共演もありましたが、一番感動したのは、ショパンの「ノクターン」。左手の指が優雅に演奏し、右手の指は一音一音を力強く響かせ、演奏されました。今までうまい演奏家のピアノ演奏も何度か聞きましたが、これほど音に魂を感じたのは初めてでした。
彼女の言葉です。
『自分で限界だと思ったら、何もかもストップする』
天使のような微笑と、たどたどしいけれど心のこもった言葉と、そして何より日に日に上達していく魂のピアノの音色。平岡麻衣子さん、来年の貴女に、再来年の貴女に会いたいです。
風薫る五月、本当に爽やかな良い季節です。先日東京で仕事があったのでその帰りに鎌倉に寄った。藤沢から江ノ電に乗り八時過ぎに鎌倉に着き、由比ガ浜に面したホテルに泊まった。朝早く湘南海岸をブラブラ。犬を連れた人たちが毎朝の日課なのだろう散歩をしている。海岸から一歩入った路地には、サーフボードを庭先に置いたモダンな家々。ホテルのマスターに聞くと、この辺はかつて保養所通りと言われ、バブルの頃は企業の保養所が軒を並べていたとか。泊まったホテルも昔はどこかの企業の保養所だったとか。朝食後、ともかく鎌倉駅まで歩き、さてどこを観光しようか思案。観光本も持たず前準備もしていなかったのだが、駅前にレンタサイクルがあり、今日こそサイクリングにピッタリのお天気という事で自転車で回る事にした。レンタサイクル屋のおじさんが丁寧に地図に印を付け、こう行ってこう行くといいよとの言葉に地図を片手に出発。まずは長谷寺。桜は済みアジサイは未だだが、芍薬、シャガ、大コデマリ、椿、様々な山野草たちが迎えてくれた。見晴らし台からは湘南海岸が眼下に見え、太平洋の大海原には幾艘ものヨットが白い帆をたてていた。次にやさしいお顔を前に傾けた大仏様。そこから鶴岡八幡宮に。約千年前源頼朝がこの地に鎌倉幕府の中心として祭られ、今や初詣に訪れる人の数は日本一とか。次は山奥にひっそりとという風情の瑞泉寺、そして竹の美しい報国寺。自転車で風を切って鎌倉の道を走り抜け、はや時刻は三時を過ぎもう帰る時間。鎌倉のほんの少しを味わっただけだが、鎌倉という地に魅せられてしまった。誰かが書いていたが、芥川竜之介が若い頃鎌倉に住んでいて、作家として忙しくなりだして東京に移り住み、最後自殺してしまったのだが、もしあのまま鎌倉に住んでいたら自殺なんてしなかったのではないか、と。多くの作家が鎌倉の地に住まいを定めている。何とも言えない奥深さをそこかしこに感じた。何度も訪れてみたい、いやいつかは住んでみたい地だと思った。
さくらの花の季節になりました。
近くの江波山に寄ってみましたが、麓の木が一分咲き(?)山の上の桜はまだつぼみだそうです。山の入り口には警備員さんがいて、車は上がれないようになっています。しかし、山の上では、まだつぼみの樹の下で、早々と宴会も始まっているようです。
さくらの花を歌った唄が、車のラジオから流れてきます。いくつぐらいあるのでしょうか? 森山直太郎、コブクロ、ケツメイシ、河口恭吾、福山雅治、175Rと書いてイナゴライダーと読むそうですが、知っていますか? 私は知りませんでした。ネットで調べるとあるはあるは。どちらかというと男性歌手が多いような気がします。でもこの前は沖縄の女性歌手の方も歌っていました。
なぜこんなにも桜の花は私達日本人の心を惹き付けるのでしょうか。パッと咲いてパッと散る潔さでしょうか? 日本全国の川辺や公園、お寺や学校などで一斉に花咲く壮観な美しさでしょうか? 又、桜と共に紡いできた多くの思い出がそうさせるのでしょうか?
永い永い年月の間先人達が、咲いた姿を想像しながら、思いを込めて一本一本を手で植え、作り上げてきた景観がいっせいに花開く。そこに無意識に感動するのでしょうか?
今ある日本の景観は、自然に出来たものは一つとしてなく、すべて私達の祖先が造ってくれたものだそうです。海外の樹木のない砂漠化した風景をテレビでよく見ます。それはそれで青い空と白い建物のコントラストなど美しい景観もあります。が、日本の清流と樹々と四季折々の花々の美しさにはかないません。
何十年、何百年先の景色や人々の姿を想像しながら、日々の暮らしを造っていく。それが大事と桜の木は教えてくれているような気がします。
春になるとなぜか心がウキウキしてくる。何か始めたくなる。
数年前、生協でフラワーアレンジメントの六ヶ月コースの通信教材を取り寄せたのも春! 社交ダンスを習い始め出したのも春! お茶を習い出したのも春! 何やっても一年と続かない。でも最近、それでもいいのではと思いだした。そうそうジャズダンスもちょこっと習った事があった。これはストレッチの大切さがわかったので、今は会社の朝礼に生かしている。
少し習っただけでもその事に対して敷居が低くなる。お茶を習ったお陰で、そんな席にたまに出てもドギマギしなくて済む。安い花束が目に止まったら、買ってきてちょっとアレンジをして楽しんでみる。社交ダンスは今まで役に立った事がないが、その内豪華船旅にでも参加できる機会がやってくれば(夢のまた夢?)タンゴやルンバが役に立ってくれるのではと密かに期待している。
だから、今年の春は何をはじめよう???
着物を一人で着られるようになれば、箪笥いっぱいの母の着物も日の目をみるし、ビーズアクセサリーもできれば、鎖が切れたアクセサリーのリサイクルもできるし、という事で今年の春は着物の着付けとビーズアクセサリーに挑戦することにします。
習いに行くのはなかなか時間がとれないので、通信教育でやろうか。それとも3ヶ月のコースを探して何とかやってみようかと思案中。皆さんは何を始めますか?
パソコンのインターネットが不具合だ。ルーターが悪いようでどういう訳か夕方になると繋がらなくなる。翌朝、管理者がいろいろ操作をすると、どうにか繋がるようになるが、今、部品を依頼しているので、2・3日うちには修理ができるだろう。しかし本当に不便である。
何時の頃からか、まず『インターネットで検索』という癖がついてしまい、英語の単語ひとつ辞書を引かないでネットで調べてしまう。もう還暦に近い私でさえこれなのだから、若い世代はいかばかりか!
先日、地域の町内会長さんにお話しを伺う機会があった。その方のおっしゃることには、いろいろな地方の昔の事を調べて記事を書く時、その土地に実際に行って、たとえ夜中であっても町を歩くだけで、書いた記事に深さがでてくる。ただ書物で調べて書いたものはそれなりなんですよ。と。
書物で調べるのも、インターネットで調べるのに比べるとあれやこれは頁をひっくり返して調べるのだから、それはそれで手間がかかっているのだが、やはり現場感がいかに大事かということだろう。
仕事に関しては、ともすれば合理的に効率的にと考え、社員にも話しているが、現場感に裏打ちされたと言う事を忘れないようにしなくてはいけない。
インターネットなしではもう仕事が出来ない時代になってしまっているのだが、実際に自分の目で見る、耳で聞くという事を大事にしていきたいと思う。
あけましておめでとうございます。
九連休の長いお正月休みをゆっくり過ごされた方、休まずお仕事をされた方、さまざまでしょうね。ご家族が集まってにぎやかなお正月ができたでしょか?
私の子どもの頃のお正月の過ごし方は、本家や分家という言い方の残っていた時代でしたので、いなかの本家に親戚中の大人も子どもも集まってお餅つきをし、久しぶりに会ったいとこ達とカルタなどして遊んだものでした。暖かい日の当たる縁側が遊び場でした。
年に二回冬休みと夏休みに大勢のいとこ達と久しぶりに遊ぶのは本当に楽しみでした。
今はその大きなかやぶきのいなかの家も普通の家に建て代わり、いとこ達と会う事はめったになくなりましたが・・・。
そして結婚すると、今度は自分や夫の実家に子ども連れで集まり、にぎやかにお正月を迎えたものです。それも母親が元気でお節料理を準備していた頃は当たり前のように思っていたお正月の過ごし方が、母親がお節料理を作れなくなり、市販のお重が並び、子ども達も独立しそれぞれのお正月を過ごすようになると、だんだんとお正月だからと特別に集まるという意識が薄らいできました。今どきは元日からデパートもスーパーも開いていて。数の子や黒豆も年がら年中店頭にあるのですから。
今考えると、お正月だけ食べられるお餅とお節料理本当に有り難いものです。食を中心に家族が集まってきたのだとも思えます。現在はそんな道具立てがないのですから、知恵を絞って家族が集まる場面を作らないと、お正月が子ども達にとって懐かしい思い出になって残るということはなくなるのではと思いました。
さて、我が家のお正月はと言えば、どうなったでしょうか?
我が社では今期(平成十九年八月一日~平成二十年七月三十一日)を始めるに当たって、経営理念と経営ビジョン、活動指針と第二十五期スローガンを成文化して、壁に貼り毎朝朝礼で唱和することにしました。四ヶ月経過して、はじめは気恥ずかしかった唱和も徐々に慣れて暗唱(?)出来るまでになりました。しかしその中身を実行するのはなかなかではありません。
今までと同じ仕事の考え方や、やり方ではできそうもないので、まずは視野を広げなくてはと、いろいろな研修に取り組んでいます。社外研修では印刷工業会が主催する印刷周辺の各種研修、通販サポート会社の主催するポートフォリオの研修、昼食休憩を利用して社員が講師になっての実務研修、外部講師を招いての出版物の編集についての研修。
目の前の同じ仕事の繰り返しは知らず知らずの間に考え方も仕事のやり方も硬直化してしまいます。
塗装業で使うただの養生テープがカラフルなマスキングテープと名前を変えて一部の若い女性達の間で密かなブームになっていることなど、私も全く知りませんでした。目の前にある何でもないものでも名称や使い方や形を変えるとびっくりするような商品に化ける可能性があるといういいサンプルです。
フレキシブルな柔らかい頭脳になって、もっといい商品、もっといいサービス、もっといい仕事のやり方を生み出せるような会社になりたいなぁと思っています。
経営理念は会社案内にもホームページにも書いてあるので、第二十五期スローガンを紹介します。
《常に工夫! もっと改善! 思い切った挑戦! 即実行! マンネリは敵、変化は友!》
スローガン倒れにならないよう 頭を柔らかく柔らかく!!
山本一力著『あかね空』を読んだ。先日久しぶりに本屋さんをぶらぶらし、単行本をいろいろ手に取ってみたけれど買う気がしない。文庫本のコーナーで『あかね空』の『あかね』という言葉に心惹かれ、又、映画『蝉しぐれ』を見た影響もあったのか、その本を買ってきた。その夜十二時過ぎに読み始め一気に三時までかかって読んでしまった。
考えてみれば最近は小説本を読むことが殆どない。ビジネス書や、自己啓発本、健康に関する本等が主流だ。カーネギー『人を動かす』とか北尾吉孝『何のために働くのか』、松下幸之助『一日一話』、新谷弘実『病気にならない生き方』といった本だ。これらの本は初めから読まなくても自分にとって必要なところだけ読むこともできるし、細切れの時間で開いたところを読む事だってできる。
しかし、小説はそういうわけにはいかない。面白くない小説にあたると、もう少し読めば面白くなるかと辛抱して読む事もあるが、結局途中で読むのを止めてしまう。反面、面白い小説に当たると読み出したら途中で止めることができない。そのような性癖で昔は寝不足で困る事も結構あったので最近は小説を避けていた。又面白い小説になかなか当たらないこともあったのだが、今回は久しぶりに寝不足な状況に陥ってしまった。
『あかね空』は平成十四年の直木賞をとった作品で、今年三月に映画化され、三月・四月に弊社のお得意様でもあるサロンシネマ・シネツインの両館で上映されていたのだが、その時分は『ドリームガールズ』と『ホリデイ』、『オール・ザ・キングスメン』など洋画ばかりに目が行き、『あかね空』は見逃していた。今となってはとっても残念だ。
江戸下町の市井の人情話だが、一組の夫婦を中心にして、親や子供、この夫婦をめぐる周囲の人間模様、お互いの思惑のすれ違い、最後に謎解きと幸せな結末、どこにでもあるような家族の話ではあるが、ぐいぐいと読ませてしまう作者の筆力と人物描写の深さに、小説の面白さを再認識した。又、時代小説と言われるこのジャンルの一般庶民や下級侍が主人公の小説がこれほど心を捉えるとは自分自身意外だった。新しく知った読書の楽しみで、この秋の夜長は充実してすごせそうだ。
山本一力著『あかね空』を読んだ。先日久しぶりに本屋さんをぶらぶらし、単行本をいろいろ手に取ってみたけれど買う気がしない。文庫本のコーナーで『あかね空』の『あかね』という言葉に心惹かれ、又、映画『蝉しぐれ』を見た影響もあったのか、その本を買ってきた。その夜十二時過ぎに読み始め一気に三時までかかって読んでしまった。
考えてみれば最近は小説本を読むことが殆どない。ビジネス書や、自己啓発本、健康に関する本等が主流だ。カーネギー『人を動かす』とか北尾吉孝『何のために働くのか』、松下幸之助『一日一話』、新谷弘実『病気にならない生き方』といった本だ。これらの本は初めから読まなくても自分にとって必要なところだけ読むこともできるし、細切れの時間で開いたところを読む事だってできる。
しかし、小説はそういうわけにはいかない。面白くない小説にあたると、もう少し読めば面白くなるかと辛抱して読む事もあるが、結局途中で読むのを止めてしまう。反面、面白い小説に当たると読み出したら途中で止めることができない。そのような性癖で昔は寝不足で困る事も結構あったので最近は小説を避けていた。又面白い小説になかなか当たらないこともあったのだが、今回は久しぶりに寝不足な状況に陥ってしまった。
『あかね空』は平成十四年の直木賞をとった作品で、今年三月に映画化され、三月・四月に弊社のお得意様でもあるサロンシネマ・シネツインの両館で上映されていたのだが、その時分は『ドリームガールズ』と『ホリデイ』、『オール・ザ・キングスメン』など洋画ばかりに目が行き、『あかね空』は見逃していた。今となってはとっても残念だ。
江戸下町の市井の人情話だが、一組の夫婦を中心にして、親や子供、この夫婦をめぐる周囲の人間模様、お互いの思惑のすれ違い、最後に謎解きと幸せな結末、どこにでもあるような家族の話ではあるが、ぐいぐいと読ませてしまう作者の筆力と人物描写の深さに、小説の面白さを再認識した。又、時代小説と言われるこのジャンルの一般庶民や下級侍が主人公の小説がこれほど心を捉えるとは自分自身意外だった。新しく知った読書の楽しみで、この秋の夜長は充実してすごせそうだ。
先日テレビで「蝉しぐれ」を見た。二〇〇五年秋の日本映画。藤沢周平の長編時代劇小説の映画化で、市川染五郎が主役「文四郎」、木村佳乃が結ばれぬ恋の相手幼馴染の「ふく」。久々に心に染みるいい映画だった。いかにも日本らしい風景の中での抑制の効いた台詞、市川染五郎の歌舞伎役者らしいしっかりした立ち居振舞い、木村佳乃の立ち姿の美しさ。品の良さ、品格のある人物とはこういう事だと腑に落ちた。
最近「品格」という言葉をよく耳にする。古くは藤原正彦氏の「国家の品格」、テレビドラマの「ハケンの品格」、坂東眞理子氏の「女性の品格」。
「品格」を「漢字林」で調べると、「品」は口が3つでとりどりの個性をもつものの意。「格」は至る、正すの意。万物に宿っているとりどりの個性が正しい姿であることを言うのだろうか? 国語学者ではないので、はっきりとはわからない。
かつてはあったのに今の日本には欠けていると、多くの人たちが思っているから、この言葉が市民権を得ているのだろう。
現代のように言いたいことを言い、やりたいことをやり、自分の思うとおりに生きるのもそれはそれでひとつの生き方だが、その前提に人さまのことを思いやることの大切さをわかった上でやらないと、ただのわがままとしか見てもらえない。顰蹙を買うだけだ。下品ともいう。
禅寺の玄関には「脚下照顧」という言葉がかけてあるそうだ。履物がきちんと脱げているかが修行の第一歩であり、人の事を考え、後のことを考えて行動する基本が履物を揃えることだそうだ。これがきちんとどこでも出来るようになれば他の事はおのずと出来るようになる。実に簡単なことだ。これだけで子供が良い子に育つならやらない手はない。品格ある人間になる為の第一歩として、大人も毎日の生活の中に取り入れたいものだ。
この度会社が越してきた広島市の真中あたりに位置する舟入川口町は、比較的、爆心地近くであるにもかかわらず、昔ながらの懐かしい雰囲気の残っている町です。朝は早くから家の前を掃いているおばさん、公園には樹々から懸命の蝉時雨が降り注ぎ、子供連れの若いお母さんは買い物途中で立ち話をし、朝早くから元気いっぱい応対してくださるクリーニング屋の奥さん、見上げるとベランダにはたくさんの毛布が干してあります。大手のクリーニング取次ぎ店にはない何か暖かい人のぬくもりがあるのです。まだ一ヶ月余りしか経っていませんがとても居心地のよさそうな町です。
今朝は早くから花火があがり対岸の住吉神社の夏まつりのようです。住吉神社のお祭りは広島三大祭りのひとつと言われ、祭られている神様は、海運の神様で江戸時代は浅野藩の舟の守護神として信仰されていたそうです。その住吉神社のある住吉町あたりに浅野藩の舟が出入りしていたことから、この地域が「船入(ふないり)」と呼ばれ、のちに「舟入」と記されるようになったとインターネットで調べると記されていました。
しかし我が社のある場所は、住吉神社ではなく舟入神社が氏神さんなのだそうです。会社の前の接骨院の先生はお若いのに毎朝お店の前に盛塩をされています。日本人のよって立つ精神的な基は太陽の恵みに感謝し、土地の恵みに感謝するところから来ていて、太陽の恵みを表現した日の丸は太陽への感謝のシンボル、土地の氏神さまは土地の恵みに感謝するシンボルであり、土地の恵みは、祖先への感謝、今ある命への感謝に通ずるという事をある本で読みましたが、「日の丸」も「神社」も先の戦争のプロバガンダに利用されたため、なかなかその後遺症から抜けきれず素直に祭ることができません。
しかし、新しいこの土地で商売をはじめさせて頂くというこの機会に、今まで無視してきた土地の氏神さまに挨拶にいってこようかと思っています。
いよいよ新しい場所でのスタートです。事業年度も七月決算ですのであと一ヶ月を残すのみとなりました。この一年間いろいろな事を考え、実践しながらやってきたわけですが、出来た事、出来なかった事、多々あります。しかしその中でも長年、もっと広く、しかも社員の通勤に便利の良い場所で、しかも家賃は払える範囲の私達に最適な工場・事務所をと欲張って願っていた事が、ことごとく叶う場所を与えられたという事は、本当にただただ感謝のみです。
又、工場・事務所の引越しという一大プロジェクトを無事成功できたのは、意見の相違を乗り越えてプロジェクトリーダーの下、社員全員で協力できたお陰です。引越しが決まってから何度も会議を行い、各階のレイアウトを決め、必要な備品設備の手配、電気工事・内装工事・大型印刷機械の移動・荷造り・引越し・荷解き、旧社屋の看板の撤去やゴミの処理・掃除と六月一日からすべて完了にほぼ一ヶ月を要しました。その間、売上目標も追いかけながらでしたので、実に大変な一ヶ月間でした。
引越しが終わると関係者の方々や友人達からたくさんのお祝いが届きました。本当に有り難く、多くの人たちの支えがあって初めて出来た事だなあと実感しております。
これから心機一転社業に励むわけですが、一人当たり約十五坪分の場所を与えられた訳ですのでそれを存分に生かし、今までと違う仕事のやり方、違う商品の開発、違う売り方を発想していかなくてはいけません。又、印刷会社として、もっとお客様の役に立つサービスも提供できるようにならなくてはいけません。課題は山積しておりますが、一歩一歩前進していくつもりです。
イチローが、ずっと今まで心がけていた事はたった三つのことだった、と先日の大阪での研修で聞きました。ひとつは誰よりも早く球場に行く。ふたつめは誰よりも多く練習をする。みっつめは誰よりも道具を磨く。この三つの事を積み重ねた結果が今のイチローで、決して天才ではなく、毎日毎日小さい事を積み重ねた結果がとてつもない所に連れて行ってくれるのだ。という内容でした。
イチローにはほど遠いですが、まずはひとつでも誰にも負けないこれ! というものを社員一人一人が持って新しい場所で研鑚を積んで行きたいものと思っています。
今後ともご指導お引き立ての程をなにとぞ宜しくお願い申し上げます。
今年に入って、ホームページを新しくしたせいか自費出版の受注や問い合わせが多くなっています。
その中で多いのは、既に亡くなった身内、お父様やお母様が残された日記や書簡をまとめたいという要望です。相談しにこられる方も五十才代から八十才代の年代で、そろそろ身の回りを整理するのに、捨てるに捨てられないし、そのままおいておいても子や孫も困るだろうし、それよりも何よりも、父や母のことをきちんと形に残しておかないと心残りなのだという方たちです。
ある方は戦争で亡くなった弟さんの書簡を本にされました。あとがきの中に『私も八十六歳になり、足腰も弱り、どこにも車椅子でしか行く事ができなくなりました。この本は○○○の供養のため作りました。あの戦争で二十一歳の若さで亡くなった弟に最後にしてやれることです。』とあります。
又、ある方は昨年お亡くなりになられたお母様の事を本にされました。『母は折りに触れて自分の思いや旅行記をノートに書き留めておりました。全く稚拙な文章ですが、一語一句がいとおしく思え、思い切ってこの度本にまとめることにしました。母に縁のある人々に見ていただければ嬉しく思います。』とあります。本が出来上がった時には、本当に喜んでいただきました。こういう仕事に携わって本当に良かったと思える瞬間です。
実は私にしても二十五年前に七歳で亡くなった娘が残した絵やノートを、どうしても捨てられずダンボールにまとめ押入れの上段に収めこんでいます。しかし、自分もそろそろ還暦が近づきなにもかも整理しなくてはいけない年代になりました。いつか一冊の本にまとめておいて、国会図書館に一冊、家族に一冊、自分の棺おけに一冊いれるというようにすれば、本当に心残りなくもろもろのすべてを処分できるので、いつかそうしたいなと思っています。
弊社で作った本は、必ず国会図書館に一冊収めます。又、自費出版ネットワークにも載せていきます。書店に並べるということはあまりお勧めしていません。
心残りを整理し、国会図書館と家族に残していく、そんな本つくりのお手伝いをこれからも続けて参りたいと思っております。
『ジュード・ロウに魅せられて・・・』エンドマーク5月号5ページのタイトル(サロンシネマ発行。何をかくそう弊社が長年お付き合い頂いているお客様)ですが、このタイトルに我が意を得たり。
3月から公開されている『ホリデイ』では、キャメロン・ディアスの恋人役として登場、妻に先立たれ娘2人を育てているシングルファーザー役で、とってもキュートでした。
かなり以前の『リプリー』(アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』のリメイク版)では、マット・ディロンがアラン・ドロン役を演じていて、相手役の方のジュード・ロウにアラン・ドロン役を演じて欲しかったなと思ったものです。そのクールな2枚目ぶりがアラン・ドロンを彷彿とさせていたので・・・。でも『ホリデイ』では、笑顔と涙顔が人間味豊かで、いっぺんでジュード・ロウ様いのちになってしまいそうです。ヨン様いのちを笑えない状況ですね。
二十代の頃、友人とアラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモントどっちが好き?と盛り上がっていたのですが、今ならジョニー・デップとジュード・ロウどっち?と話したら、ジュード・ロウと答えてしまいそうです。今まではジョニー・デップが一番だったのですが・・・。
本当にたまにしか映画を観にいけないのですが(年に二、三本かな?)私にとって衝撃の一本といえば『幸福』というフランス映画です。夫が不倫をして、妻が自殺し、ラストシーンは夫と不倫相手が幸福に暮らしているというストーリー(あまり記憶が定かではありません)だったと思いますが、二十代前半だった自分にとって「結婚の概念」を根底から崩された一本でした。そしてその時浮かんだ「死んでしまったら負けだよ」という自殺した妻に対しての自分の思いは未だに自分の中に息づいています。貴方にとっての衝撃の一本は何でしょうか?
たった一本の映画との出会いにひょっとしたら人生を変える力があるかもしれません。
さて、この原稿を担当者に渡したら、ジュード・ロウ様の『オール・ザ・キングスメン』を観にいく事にしましょう。
先日サンダーバードに乗車して、新大阪から石川県七尾に行った。ちょうど能登半島は地震に見舞われた直後で知り合いの会社が被害はどうなのか心配だったが、壁にひびが入り、階段も亀裂が入っていたが、けが人もなく皆さん元気にお仕事をされていてひと安心だった。しかしその会社の前のお店は瓦が被害にあったようで、ところどころ瓦の葺き替えをされていた。
途中の車窓からは一軒だけ誰も住んでいないような古い家屋がつぶれているのが見えた。
新大阪から京都、福井、小松、金沢へ。金沢からは名倉温泉行きと富山行きに列車は切り離され、とたんに特急列車がガタンゴトンという音とともにスピードが落ちた。
車窓からは、掘り起こされ、田植えを待っている田んぼや、芽吹いたばかりの青々とした草に覆われた畑、黄色いラッパ水仙の群生、ふきのとうも見ることができた。
車窓ののんびりととした田園風景と懐かしいガタンゴトンという音に、久々にゆっくりとした列車の旅を味わった。昨年の春頃から世間の猛烈サラリーマンのように自分も新幹線で慌しく移動する機会が増えてきたが、新幹線での旅は全く旅をしているという感じがしない。ただ移動しているというだけだ。
昔学生の頃、リュックを背負い、広島から北海道まで各駅列車で行ったことがある。あの頃の旅は、いまでも鮮明に思い出すことができる。十和田湖・奥入瀬・青函連絡船・函館・積丹半島・利尻・・・札幌の駅前で食べたイカの刺身、積丹半島のウニ、ユースホステルでの他のグループの男の子達との出会い、すべてを記憶に刻みつけながら、身体中で味わった旅の感触だったのだろう。
懐かしく思い出すことの出来る記憶は、考えてみれば宝物のようなものだ。今となっては、もうあんな旅は望めないだろうが、いつか『青春18切符』を利用したのんびりとした旅をしてみたいものだ。
若者よ、家に閉じこもらないで貧乏旅行をしてみれば、きっとそれは記憶の中の大事な宝物になると思うよ。
毎日が余りにも忙しく、本当にこれでいいのかしらと疑問に思っていた時、いい本に出会った。『いい言葉はいい人生をつくる』斎藤茂太著。
昨年お亡くなりになられた斎藤茂太さんは、誰でも知っている精神科医だ。彼はこの本の中でこう言っている。
「人生、長く生きると、人の価値は『何ができる』ではなく、『何が楽しめるか』にかかっているのだとわかってくる。何ができるかは技術革新の時代には大した意味をもたなくなる場合があるが、あらゆることに楽しみを見つけることは人間だけに許された醍醐味なのだ。自分は若いときから人の二、三倍は仕事を抱え、食事の時間さえ取れないほど東奔西走していた。今でも毎朝手帳を見て綱渡り的なスケジュールになっていたりするとかえってファイトが湧いてくる。過密スケジュールを無事クリアできると、やったゾ、と満足感が湧いてくる。」
忙しい毎日を楽しんでいらっしゃる様子が、伝わってくる。
私の場合は、綱渡り的なスケジュールには程遠いが、それでも、食事の時間が取れないくらい忙しい時もたまにある位、以前より格段に忙しくなっている。やり残していていることも書かなければいけない原稿もたまっている。本日の予定を無事クリアして、やったゾ、という満足感で眠りにつける人生は、本当に幸せだろう。そんなふうに思うとこの忙しさがありがたいのだが、ただなかなか『やったゾ』という満足感がなくで「あれも出来なかった、これも出来なかった」という後悔が残ってしまう。これからの人生は、『やったゾ』という満足感と、自分の身に降りかかるあらゆる事を楽しんで生きていきたいものだと思った。
我が社に野良猫の親子が住んでいます。黒い小柄なお母さん猫と白黒の子猫二匹。
十二月の初め頃だったか、生まれたばかりの子猫と母猫が会社の庭に姿を現した時、とにかく道路に出て行かないようにするにはどうすればいいのかとみんなで考えましたが、いい知恵がでてきません。そうこうする内に初めは五匹いた子猫が二匹に減ってしまいました。それで、いつも名刺の仕事で協力いただいている同業の方に相談しました。早速彼は、猫用のハウスとトイレ用の砂をいれた入れ物、水入れを持って来ました。毛布やネコ用フードと缶詰もお土産です。野良猫ですので、はじめは警戒して近寄りませんでしたが、次第にハウスの中で三匹が仲良く寝るようになり、昼間はハウスの上でくつろいでいます。缶詰をやるとお母さん猫はなかなか来ない子猫を呼んだりします。子猫もずいぶん大きくなって、大柄な方の子猫はそろそろお母さん猫を追い越しそうです。
名刺屋さんの彼が言うには、トイレと水と暖かい住まいがあれば、わざわざ道路に出て行くことはないとのこと。本当にそのとおり猫達はハウスをすっかり我が家と思ってくつろいでいるので、みんな安心して仕事が出来ます。
しかし、まるっきりの野良猫で、全く人に馴れません。毎日朝に晩に、餌をやるのですが、近づくと『ハー』と威嚇します。子猫もちっとも馴れません。
しかし、その媚びない態度、餌をくれるのは当たり前だ、という態度は、それはそれでいさぎよいものです。
もうすぐ春です。猫も恋の季節。母猫が又妊娠しないように、早めに避妊手術をしないといけないのですが、さてどうやって捕まえるか。
名刺屋さんは、自分の会社の仕事場で、何匹も野良猫の世話をしていて、それだけでも餌代が大変なのに、我が社の野良猫にまで、時々これは美味しいキャットフードだからと差し入れを持ってきてくれます。
売上を上げなくてはとか、経費を削減して利益を上げなくてはという会社経営の厳しさの中で、子猫の遊ぶ愛らしさや、名刺屋さんの親切から、ほっとするひと時をもらっています。
本当にありがとうございます。
新年おめでとうございます。
皆さま昨年はどんな年だったでしょうか?
一年があっという間に過ぎ去ってしまいます。
悩みや思い煩いの中にあると、やるべきことが目の前にあってもちっとも前に進みません。私にとって昨年はそんな年でした。いろいろな出会 いや出来事の中で自分の欠点を指摘され、出来ない自分に言い訳をし、人のせいにし、自分に向き合う事を避けてすごしてきました。
しかしいくら避けても、いつかは突きつけられる時がくるものです。
もし平均年齢まで生きられるとしたら残り三十年の私の人生。やりかけた事を全うし、成果を残していく為には、自己変革しか道はないよう です。
今まで苦手だった事にチャレンジし、避けてきた事に真正面から対峙して、自分なりに成長していきたいと思います。
私に突きつけられている課題は、
①人生の責任者は自分という気概を持ち熱意のある心構えを強く持つこと
②志を明確にして一度決めたことは必ずやり遂げる努力を怠らないこと
③社会的な規律、規範を守り人にも正しい生き方を守らせること
④自分の考え方・行動に責任を持ち、物事の全体を肯定的に観察すること
⑤何事にも「何故?」の疑問と問いかけを持ち、部分的なプロセスを具体的に調べ、冷静に分析し正しく対応する心がけを持つこと
以上の五点です。
どこまで出来るかわかりませんが、今年はこの課題に取り組みます。ひとつでも出来るようになると夢に一歩近づけると思います。
皆様の課題は何でしょうか? 自分の思っているほど人生は長くないかもしれません。悔いのない一年を過ごそうではありませんか。
一年前から、布団を止めベットで寝ることにした。箪笥もすぐそばに置き、手を伸ばせばなんでも取れるように便利にレイアウトをした。炬燵も止めて暖を
取るのはエアコンと電気ストーブ。灯油のストーブは面倒なのでとっくに止めた。一階の和室はフローリングに変え、ソファを置いた。すべてバリアフリーの我
が家!これでいつ車椅子の生活になろうと寝たきりになろうと大丈夫なのだが、思わぬ事が起こってきた。
畳から立ち上がるという動作を一年もしなくなると、股関節と膝の関節にガタがきた。はじめはただ単に運動不足だから膝が痛いのだろうと思っていたが、股
関節まで曲がりにくくなってきて、はたと気づいた。毎日の立ったり座ったり、布団を上げたり敷いたりの動作の積み重ねはたいしたものなのだ。バリアフ
リー、バリアフリーというが、人間の身体にとっては決して良くない。不便であったり、面倒である事がかえって体のためには良いこともあるのだ。車もそう
だ。左足の方が右足より筋力で劣るのは、きっとオートマのせいだ。
ケアマネをやっていた時、ケアプランの中に住宅改修や福祉用具貸与を組み入れた事があったが、あれは本当に適切だったのだろうかと今になって思う。段差
をなくしたり、ベットを入れることはかえって身体の機能を損なう。ヘルパーさんを入れて家事をやってもらう事は、掃除や買い物、調理に使っていた身体機能
や献立を考える等という頭を使うこともしなくなる可能性がある。
厚生労働省は、不適切な介護サービスは介護度を重くする、介護予防が必要なのだとしきりに言い、四月から介護予防サービスが始まった。生活形態を変える
ことにより、わが身に明らかに身体機能低下がおこり、やっとその真意が納得できた。けっして介護保険の費用を抑制する為だけに言っているだけではなく根拠
があるから言っているのだ。
益々便利な世の中になっていく。いまさら車をミッションに変えたり、炬燵を出したりと元の生活に戻るのは困難だが、現状を認識すれば、やれることはたくさん在るだろう。
代表取締役 田河内秀子
この一ヶ月余り、あまり歩いていない。そのせいか膝を屈伸すると痛む。昔からの友人が今年の四月に退職し、その後、運動不足解消の為にも毎週山に登っていると言う。先週などは鳥取県の大山に登り紅葉がきれいだったとの事、その健脚ぶりもゆとりある生活もうらやましい限りだ。
何とか時間を作り、自然に触れたいのだが、なかなかそのような時間が作れない。最近「ロハス」という言葉をよく聞く。何だろうと思って、インターネットで検索してみた。
ロハスというのは、英語のLifestyles Of Health And Sustainabilityの頭文字を並べた略語(LOHAS)で、日本語に訳すと「環境と健康に配慮したライフスタイル」だそうだ。昔はエコロジー、つい最近でもスローライフという言葉があるが、それらとどう違うかというと、「エコロジー」や「スローライフ」は、住まいや家族を含めた大掛かりな生活の改革が必要で、なかなか敷居が高くて実践がむずかしいのに比べ、「ロハス」は今の暮らしを続けつつ、その暮らしの中で環境や健康にいいと思えることを取り入れるライフスタイルのことを言うのだそうだ。
あまり無理をせず、自分の住環境や仕事の環境はそのままで、やれる範囲で自分流の楽しみ方を足していく。例えばご飯を炊くとき玄米を少し足すとか、車で移動するところを休みの日は電車を使うとか、そんなちょっとした事が「ロハス」というのだそうだ。
振り返れば、自分の日常でもやっていることが多いが、それに「ロハス」と名前がつくと、意識的にもっと出来る事もあるのではと思う。
山にはなかなか登れないが、ロハス的に電車を利用し、道々街路樹で秋を感じることにしようか? さて、あなたのロハス度は? 次の項目のイエスの数が多いほど、「ロハス」的といえるのだそうですよ。
□持続可能な地球環境を支持する。
□生活は出来るだけシンプルでいたい。
□大切なのは人間関係だ。
□仕事よりも大切なものがある。
□女性の社会進出は当然だ。
□けっこうお人よしなところがある。
□小さくても自分の目標を持っている。
□占いや神秘的なことにひかれる。
□自分っていったい何? と考えることがある。
□金銭的・物質的な豊かさを志向しない。
□自分で物事を決めるタイプだ。
□外見だけでなく、内面を磨く努力をしている。
□政治に諦めを感じていない。
□自分の時間を犠牲にしない。
□代替え医療に関心がある。
(ソトコト・ドット・ネットより)
例年お盆が過ぎれば、多少しのぎやすくなるのに、今年は殊のほか残暑が厳しい。身体が弱っている方にはつらい日々ではと心が痛む。看護士をしていた頃、九月に体調を崩され亡くなる方が多かったのを思い出す。暑い夏を越すのは、それだけ体力を使うのだ。
さて、八月は我が社にとって、会社設立の月で、新しい期の経営方針を発表する月である。今期は今までやってきたことを総括し、更なる躍進を図るべく次々と新しい手を打っていかなければならない。しかし、製造業であるからには、基本を大事にして、地に足のついた経営をしていかなければと肝に命じている。
そこで、今期は5Sを徹底しようと、全社員で確認した。今まで5Sという言葉はよく耳にしていたが、意味についてははっきり認識していなかった。最初のS「整理」は、いる物といらない物に分別し、いる物のみにすること。二番目のS「整頓」はあるべき物が在るべき位置に在るべき数だけあるようにする事。三番目のS「清掃」は汚れたら直ぐ拭き取るというように即行動すること。四番目のS「清潔」は前記の三つのSを維持すること。五番目のS「躾」はこれらのSを習慣にすることだそうだ。「整理」「整頓」をすると、仕事の能率・効率が向上し、「清掃」「清潔」を徹底すると、仕事の質が向上すると言われる。製造業でありながら今までやっていなかったのは恥ずかしいことだ。来年の今ごろは、誰にでも会社見学にきて頂けるようピカピカな会社になるよう一年をかけて取り組んでいきたい。
我が家についてもまず「整理」をやってみた。あるわあるわいらない物が! 土曜日毎に市のリサイクルセンターに、いらない物、壊れている物、その内使うかもしれないと取ってあった物を持っていった。中には一度も手を通さなかった値札がついたままの服まで出てきた。まだ整理していない押入れが二つ残っている。台所の下もまだ整理していない。壊れたパソコン・壊れたテレビはどうしよう。庭にもいらない鉢が転がっている。「整理」だけでもう一ヶ月かかりそうだ。しかし、かなり身の回りがスッキリしてきた。
先に逝ったあの人やあの子を偲び、五十代からは捨てる生き方をと思いながら、もう六十代に手が届く年齢になってしまった。この機会に遅ればせながら身の回りを整理していこうと思う今日この頃である。
「学びて時に之を習う、また愉しからずや」
先日私も受講したセミナーの最終講で、ある受講生が「受講を終わって」と題して発表されるのを聞いた。その中で出てきた言葉がこれである。論語の中の一節である。
「学」は学問する。その内容は、詩(『詩経』・書(『書経』など)の古典を学び、礼(儀式・行事や日常生活での礼儀作法)・楽(音楽)を勉強すること。「習」は繰り返し練習する。復習・練習・習熟の習。「おそわる」ではない。
「学習」ということばは、前の「学」とこの「習」を合わせてできたもの。
意味は、「学問をして(その学んだことを)常に反復練習する。(そうすると理解が深まって身についてくる)なんとうれしいことではないか」というもの。
その方のお話は、
いろいろな講演会やセミナーを受講してたくさんの良いお話を聞く。しかし、聞いただけでは、なるほどと思っても胸にストンと落ちてこない。良い言葉を聞いた後、これは大事と思うと、大きく紙に書き、天井に張り、寝るときいつも見るようにしている。そうするとある時、何かのきっかけで、その言葉が自分の言葉として胸にストンと落ちてくる。そのきっかけは、反復練習の中で生まれる。例えば『聴く』事が大事と学び、それを家庭や職場で練習しようとする。すると人の話をしっかり聴こうとして聴けない、自分が言いたい事はひとまず置いといて人の話を聴くということの難しさ、何とか聴こうと練習をつんでいく中で、ある時、『あぁ 聴くということは、こういうことだったのか』と、ストンと胸に落ちる。この『胸にストンと落ちる』状態になる事が、『また愉しからずや』では、という趣旨だった。
ただ知識として知っている事は多い。しかし、本当に自分のものになっているかと言えば、自分のものになっているものは少ない。学んだことを反復練習する中で、少しはましな人間になっていけるのではと、その方のお話を聞いていて思った。その方は私学の高校を経営されているが、本当に謙虚で真面目な人柄で、生徒さん達もきっとその理事長さんの人柄に習う人に育つに違いないと確信させられた。