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縄文が日本を救う!

2008年10月02日

『縄文が日本を救う!』 あとがき

縄文が日本を救う! 

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 2002年2月から「縄文塾通信」に掲載を始めて、先月2008年5月までの66回、途中で入院・手術で中断期間を含めて、(もっともメルマガ以前の郵送時代から数えて)6年と3ヶ月になる。

 その間ご愛読賜った方々に心より感謝申し上げたい。

 ここで復習として、日本民族特有の気質というか、あるいは性状というかだが、渡部昇一がつとに指摘するように、

 これはごく卑近な例に過ぎないが、明治という王政復古・藩政返還によって、諸侯のお抱え時計師達は失職する。

 精巧極まる和時計を作っていた彼らが目にした舶来の「ゼンマイ時計」は、至極幼稚極まりないものであって、彼らのDNAの中に眠っていた、
   1.これなら我々(日本人)にはすぐ出来る
   2.我々(日本人)なら、もっと良いものが出来る

 という気持ちが働いたとしても決して不思議ではない。また渡部昇一、それに堺屋太一が強調するように、日本人はつねに、

 「新しい文明を吸収する場合、不要なもの危険なものを鋭く嗅ぎ分けて捨て去り、換骨奪胎し自家薬籠中のものにしてきた」

 のである。

 当然そうしたことが許されたのには、我々(日本人)特有のメンタリティがあっただけでなく、それが許された理由として,「他とは隔絶された」特異な風土があったことも忘れてはならない。

 つまり幸運にも、こうした立地・風土は、他からの文化はなんとか吸収できても、そとからの武力的な攻撃は受けることがなかったのである。

 「逆も又真なり」で、その歴史上国力を外に向かって発揮することは稀であり、しかもその悉くが失敗に終ったという経緯がある。

 その立地から、日本を海洋国として、大英帝国に擬するという思想もあったが、これは全くナンセンスなものであった。

 さて、この両識者が指摘したメンタリティは、明治以降近代化した西洋文明の吸収に止まらず、、その後昭和の御代、欧米列強との戦いに敗れ去った後にも遺憾なく発揮され、むしろ一層強化され、「追いつき 追い越せ!」というスローガンを強化し、拍車をかけて脇目もふらず走り続けてきたのだのである。

 ところが今、気付いてみると、目標とすべき先行ランナーがいなくなったことから章狼狽しているのが現状だと謂えるだろう。なにしろ先頭ランナーだと信じてきた対象が、実は一周遅れのランナーだったのだ!

 このあたりを前号・前々号で触れてきたが、このことに加えてもう一つ重大なことは、それに軌を同じくするように、文明的爛熟による退廃の機運と、少子化による人口減少と重なりあっていることである。

 すなわち今の日本は、目指すべき目標の喪失と、少子化による「人口減」という、かつて経験したことのない二つの難題に直面しているのだ。

 こうした事情から、日本が2000年に亘って求めてきた道、「追いつき 追い越せ」というスローガンを捨て去って、「過去の英知から学ぶ」という新しいスパラダイムを国是とすべき重要な時期に来たのである。

 折しも、内には食糧自給率の低下・ゆとり教育の弊害・老齢化の進行など、かつてないマイナス要素が重なり合って問題を大きくしており、外では、エネルギーの高騰から、穀物事情の逼迫、加えて環境の悪化と砂漠化の進行など、問題山積である。

 特に中東を舞台に血を血で洗うエンドレスの宗教戦争から、世界中に拡大したテロの恐怖と、世紀末から新世紀に掛けていつ何時、第3次世界大戦が勃発してもおかしくない状況下にある。

 本文中紹介した「東西文明800年周期説」が、ますます現実味を帯びてきたとも謂えるだろう。

 こうした状況下、他国と比較するべくもないが、かつての明治維新における政治家・施政者の真摯且つ無私無欲な取組みに反して、いまの政治屋たちの無能さと脳天気さには唖然とするばかりである。

 もっともこうした人たちを選良と称して選んだ我々にも大きな責任がある。彼らの無能さに加えて,かつて世界最高の「テクノクラート」と賞賛された国家官僚の堕落と硬直性は目を覆うべきものがある。

 一方国民サイドではどうだろうか。多様化時代とはいうものの、昨今あまりに非道で不条理な事件が多すぎる。子供達もだが、、親の側や世間全般に対する「教育」の不毛性を指摘する声も多い。

 今こそ少子化を前提に、あらたに教育の基本的姿勢を再構築する必要が最大の課題であろう。

 これもまた大切なことだが、道州制度への前提としての小さい政府への移行の為に、何から何までお上が定めるという姿勢からの脱皮が肝要であろう。

 ただ悪い点ばかり強調しても事態はなんら改善されない。すでに先頭ランナーが居ないと言うことは、日本の技術が世界で最高に位置していることを示していることに通じる。

 今我々に求められるのは、現実を逃げることなく凝視して、自らの未来を、一部政治家や官僚に委託してよしとせず、加えて目を国外にも向け、積極的に日本をアピールする時期だと認識することではないか。

 環境問題にしろ、省エネ技術にしろ、今や日本の技術や発想抜きには成り立たないことに自信と誇りを持つべきである。

 加えて日本の精神文化としての「勿体ない!」「有り難う!」の心も、アニメやJポップと一緒に,輸出しようではないか。 

 

 

2008年09月02日

“バック・トゥ・ザ・トクガワ” ・・・ 今こそ「温故知新」だ ・・・

縄文が日本を救う! (66)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

★徳川時代再認識が始まった!

 前回(サブタイトル)『グロ-バリズムといかに対決するか』の後半で、「目標を失った今」として、次のように書いた。


 ところが今大きな問題となっていることは、「気がつけば日本が世界の先頭を走っていた」という事実であって、今までのように「追いつき追い越せ」という手法が通用しないことがはっきりしてきた。
 (中略)。
 同時に、「過去に捨て去ったものの中に、再評価すべきものがあまりに多くはなかったか」しかも「良いと信じて導入したものの中に、むしろ排除すべきものはなかったか」という反省がある。 (後略)

 同文中、列記してきたように、かつて日本は常に新しい文化・文明を吸収・咀嚼し、一定の消化・熟成期間を経て、換骨奪胎して新日本ハイブリッド文化としてきた。

 ところが明治維新というかつてない巨大な国難に直面したとき、早急且つ貪欲に新文明を受け入れなければ国家存続に関わるという危機意識に捉らわれたのである。いわゆる「疾風怒濤時代」であった。


★2つの超弩級「国難」

 国の首脳・中枢要員を含むによる一大デリゲーション(遣欧使)を組織して、1年有余という長期に亘って欧米列強への訪問・視察という破天荒で貪欲な新文明吸収という壮挙を成し遂げるのである。

 その結果、無血で技術革命を自家薬籠中のものにすると共に、明治革命の主役であった武家階級まで(秩禄革命によって)切捨て、富国強兵を旗幟に掲げて瞬く間に世界の大舞台に躍り出た。

 かくして大正・昭和と拡大の一途を辿り、結局大東亜戦争(太平洋戦争)に一敗地に塗(まみ)れてしまう。

 その後の経緯は省略するが、想像を絶する苦労の末、お家芸の「モノづくり」によって奇跡的な復興を遂げ再び繁栄の途を歩むことになるが、ここでもまた新しい文明吸収に努めることで、さらなる繁栄を勝ち取ってきた。

 かくの如く日本は、常に「追いつき追い越すための目標」を必要としてきた歴史を繰り返してきたのだが、ここに来ていわば一種のバーンアウト(燃え尽き症候群)を発症したと言えるだろう。

 現在の日本の混迷と不安、自信や目的達成意欲喪失などは、ここに由来するといっても言い過ぎではないだろう。

 ここで明治以来日本の採ってきた来し方を振り返ってみよう。

1. まず明治維新=王政復古という革命の達成には、どうしてもそれ以前の「徳川時代」というパラダイムを打破する必要があった。
2. その後吸収すべきものの余りの多さとグローバルな時代趨勢の中で、過去を振り返る余裕などとても持てなかった。
3. 戦後マルキシズムの汚染で、江戸時代を「暗黒時代」として糾弾する風潮が高くなった。
4. 技術革新のめまぐるしい進歩の中で、「追いつき追い越せ」という思想があたかも「国是」のような合い言葉になっていった。

 そして今、気付けばいつしか先頭ランナーになってしまっていたのだが、バブル絶頂期には、むしろ「(日本は世界から)すでに学ぶものはない」という傲慢で思い上がった考えが横行し始めたのである。

 その後バブル崩壊によって、そうした自信が打ち砕かれると一転して、重症の「混迷と不安、自信と目的達成意欲喪失症候群」に罹ってしまったのである。


★国家的規模での「温故知新運動」のすすめ

 ここで今始めてといえる、国家的規模での「温故知新運動」として、「バック・トゥ・ザ・トクガワ!」に取り組むことを提唱したい。

 ご存じのように昨今、省エネ意識の高まりの中で「リサイクル運動」が活溌になってきた中、江戸時代こそ世界に誇りうる「超リサイクル先進国」だったことも昨今大いに喧伝されるようになった。

 なお少し前から「江戸学」として、265年に及ぶ平和な時代「パックス・トクガワーナ」が注目されてきた。(本号記載,「感銘の1冊」『江戸の遺伝子』参照)

 「前方に目標を失ったのならば、後ろを振り返ってみよう!」という話である。
一寸考えてみるだけでも、急ぎすぎた結果失ったものの余りの多さに気付くであろう。最近ベストセラーになっている「品格本」などのブームがまさにそれを示している。

明治維新当時、新興日本をリードしてきたのは、福沢諭吉・森有礼(ありのり)・西周(あまね)などの西欧派教育者たちであった。彼らは日本語を捨てローマ字・英語を国語として採用しようとまで考える。

 そうした文明開化の波の中で、過去との決別の一端として強行したのが「廃仏毀釈」運動であり、「神社合祀」であった。その結果いかに国家的財宝が破壊され放逸し、しかも弊履の如く海外流出していったことか。

 さいわい、日本の自然環境と伝統文化の破壊を憂慮した南方熊楠や、佛教美術・芸術の破壊や海外散出に警鐘を鳴らし続けた岡倉天心などの尽力で、「廃仏毀釈」の流れは辛うじて堰き止められたのである。

 そうした経緯を踏まえて現状を見ると、やはり教育面での問題が指摘されるだろう。
 いまや日本の伝統的教育の根幹が失われ、漢字制限という愚行に加え、まるで役に立たぬ英語教育が延々と継続されてきたことか。加えて自分の頭で考える術を軽視する、丸暗記方式という進学優先教育に堕してきたか。

 ここではいささか極論的に(明治から敗戦までの)日本における、「過去との決別」を強調してきたが、誤解を防ぐために付言すれば、それでもなお日本は、伝統文化とその継続を重視してきた国柄であることはまぎれもない事実である。

 ただ敢えて「文化と文明」とに別けて考えた場合、たとえば悲惨な生活を強いられた戦後において、「物質文化から物流文明」へ、「自然から人知」への偏向を余儀なくされたように、予想以上に進んだ欧米(舶来)文明に対する憧憬が、文化継承意識を上回った結果だとも謂えるだろう


★破綻に直面したグローバリズム

 昨今の狂乱的石油価格、代替燃料としてのバイオエタノールへの移行など、アフリカを中心とした食糧難や水不足現実化の中で、まるで歯止めの掛からない状態が続いている。

 これは現在の投機市場・金融システムが、いかにいかに不条理なものかを如実に示している。果たしてこうした理不尽な仕組みがこのまま継続されて良いのか、おそらく何かのきっかけで一挙に破綻し崩壊する危険性を内蔵している。

 デリヴァテイヴの基本となる先物取引は、江戸時代世界で始めて米のリスクヘッジを目的に大阪堂島で創出された。ところが今では、本来のリスクヘッジの本質を逸脱して、行き過ぎた投機目的手段に堕しているのだ。

 こうした中において、世界経済の有力一員として、日本のなすべき事の見極めと、確固たる信念の元でのネオ・グロ-バリズム構築のために、我々は真摯に「江戸の智恵」に学ばなければならない。

  『江戸の遺伝子』と重複する部分も多いので以下割愛するが、いま日本における国家的規模での『新温故知新運動=バック・トゥ・ザ・トクガワ』こそ、喫緊の急務ではないだろうか。


*** お知らせ ***

 長らく『縄文が日本を救う!』ご愛読賜り、ありがたく厚く御礼申し上げます。

 実は今,本稿を中心として新たな構想も加え、『縄文が世界を救う!』として世に問うべく鋭意執筆中です。

 つきましては『縄文が日本を救う!』本号を持って、休筆いたしたく御通知申し上げます。

 

2008年08月31日

グロ-バリズムといかに対決するか

縄文が日本を救う! (65)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

★理不尽な現実

 2000年少し過ぎた頃からようやく回復を見せ始めた日本経済だが、相次ぐ原油高と、穀物価格の高騰に加え、アメリカで発生したサブプライムローン崩壊の影響をもろに受けて、前途に再び暗雲が立ち籠めてきた。

 一国の力だけではどうしようもないグロ-バリズムの荒波に、日本はいかに対応していくのだろうか。なにしろ実際には、それ以前に比べて急に産出量が減ったわけではないのに、金融市場に溢れた余剰資金が石油業界に流れ込んだのが原因で石油価格が高騰した。

次いでそれまで食料・飼料用に生産されていた穀物が、バイオエタノールにシフトしたことから、その暴騰につながり、たちまち食糧難に陥ったアフリカ諸国では、大きなパニックから暴動騒ぎまで引き起こしている。

 工業先進国として化石燃料への依存度が高く、しかも食糧自給率30%を切っていることから、その影響をもろに受けた日本として、いかにこうしたグロ-バリズムの荒波を乗り切ればいいのだろうか。


★今更鎖国は許されない

 特に金融・株式界でグロ-バリズムの(日本人の意識にとって)不条理・非常識さは目に余るものがある。だからと言って開かれた世界に住む以上、今更「鎖国政策」を、「攘夷主義」を採るわけにはいかない。

 逆に一方日本も、グロ-バリズムの恩恵を受けて来たことも事実である。グ-バリズムの負の一面だけを取り上げての、軽率で身勝手な判断は厳に慎まなければならない。

 では我々は、いかに対応していけばいいのか。個々の問題にまで踏み込むことは別に機会に譲るが、一つだけ言えるのは、かつて日本が外に開かれる度に行ってきた、
海外文化の導入術、言うなれば、「縄文に発した匠の技」をバックボーンとして、弥生との遭遇以降、常に無意識のうちに行われた、「ヒトと文化のハイブリッド化」を、ここでも意識的且つ積極的に行うことである。

 考えようでは、グロ-バリズムとはいいながら、その現状はアングロ・ユダヤというアメリカ発市場原理の最後の足掻きだと見ることも出来る。いまこそ新しいグロ-バリズムの創成を考えるべき時期ではないだろうか。


★日本ハイブリッド文化の軌跡

 日本においては、外来文化の吸収→咀嚼→消化の過程において、不要なものは排泄してしまい、必要なものだけを取り込んでまさに換骨奪胎、一定の熟成期間を経ることで、従来の日本文化と合体して、移入元の文化を遙かに凌駕する新日本文化を創造してきたのである。

 ここでその軌跡を検証してみよう。
 (↓は醸成期間)

<日本のハイブリッド文化>

縄文×弥生

↓ 古墳時代
     (農業革命)
帰化人×縄+弥=日本文化・文明

↓  奈良時代・律令
     (都市文明)
髄・唐×日本文化・文明

↓  平安時代
     (漢字+仮名文字)
(元寇)×日本文化・文明

↓  戦国時代/下克上
     (古い権威の崩壊)
明・ポルトガル×日本文化・文明

↓  室町・安土・桃山時代
     (百花繚乱・絢爛豪華)
英・オランダ×日本文化・文明

↓  徳川・江戸時代
     (庶民文化・地域産業)
欧米文明×日本文化・文明

↓   産業革命時代
     (疾風怒濤時代・富国強兵)
米・物量文明×日本文化・文明

↓  敗戦後の日本時代
     (平和モノづくり立国)
グローバリズム×日本文化・文明

↓  バブル崩壊時代
 
ネオ・グロ-バリズム
(新日本文明の創成へ)

 
 ここでは影響力の大小を問わず取り上げたが、それ以外にも数多くの海外文明との接触によって、日本の文化そして文明の進化が行われてきたことは間違いない。


★目標を失った今

 ところが今大きな問題となっていることは、「気がつけば日本が世界の先頭を走っていた」という事実であって、今までのように「追い抜き追い越せ」という手法が通用しないことがはっきりしてきた。

 しかも一神教に発したグロ-バリズムが、ようやく崩壊の兆しを見せているという事実である。

 同時に、「過去に捨て去ったものの中に、再評価すべきものがあまりに多くはなかったか」しかも「良いと信じて導入したものの中に、むしろ排除すべきものはなかったか」という反省がある。

 ここらで一呼吸置いて、じっくりと過去を振り返って見るべき時が到来したのである。  
 (以下次号)

 

2008年07月01日

世界を席巻するJ・カルチャー  サブ・カルチャーから真のカルチャーへ

縄文が日本を救う! (64)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 日本のマスコミは、国内の情報に重点を置いた報道を倦むことなく続けている。しかも明るいニュースを避けて、極端に暗い事件に偏っているきらいがある。良くも悪くも、「海外の日本を見る目」についての報道は、ほとんどないのが現状で、そうしたことからいつしかネクラにされてしまった日本人は、自らをまた自らの文化を極端に低く見ることに慣らされてきた。

 冷静に伝統文化という面で見た場合、日本ほど長い歴史を有する文化は世界のどこにも存在しない。単に歴史の長さだけを見ると、お隣のチャイナなどに及ばないが、易姓革命によってそれ以前の歴史を否定し、事あるごとに「焚書坑儒」を繰り返してきたチャイナには、継続した文化や文明を持ち得なかった。今こそ日本の価値ある文化に新しい光を当てる時ではないだろうか。 

 それはしばらく置くとして、今いわゆるサブ・カルチャーと呼ばれるジャンルの中から、いつしか世界の注目を浴び、いまや真のカルチャーとして大きく羽ばたこうとしている分野があることを認識しなければならない。日本人自体が、それを日本文化だと認めるかどうかは別として、世界中で日本発文化として認知されたものが数ある事に気付かされる。

 日下公人『数年後に起きていること』によると、「フランスやイタリアで学んだ日本人と、原宿表参道で感性を磨いたフランス人・イタリア人の競争が始まる」というのだが、いまや世界中、日本人の美意識や芸術的感性を疑う者は少数派だと言えそうで、「知らぬは日本人ばかり」という風潮といえる現状にある。

 たとえば、ポップ・アーティスト村上隆だが、日本では「単なる模倣者で知らないガイジンばかりが持て囃す」と、その評価が依然として手厳しく毀誉褒貶の最中にあるが、あの世界一のブランド、ルイ・ヴィトンがデザインを依頼し、しかもそれが世界中で売れていることを無視できない。彼の評価は、評論家よりも年端もいかぬ少女が握っているのだ。

 世界中でもっとも有名ブランドが売れ、特大の店舗をつくっている国は日本を置いて他ない。今や世界に著名ブランド(メーカー)にとっても、日本人の感性を無視してはやっていけない時代になったことを知るべきであろう。そこには「モノを唯の物と見ない」、縄文以来脈々と続く「モノづくり」に対する日本人の、美意識・感性の大きさがある。

 もはや私たちは、かつての高度成長の復活を夢見たり、競争力の消長に一喜一憂する時代ではない。今こそ「日本人にしかできない 世界の新しい価値観を創造する」ことに意を注ぐときではないだろうか。

 たとえば、世界中で普及しているカラオケ、スシ(寿司)をトップバッターとした和食、それにJ・カルチャーと呼ばれて注目を浴びているJ・ファッション、J・アニメ、J・ポップス(ポピュラー・ミュージック)など、私たちの目にはごく当たり前のサブ・カルチャーに過ぎませんが、その実、カラオケにしろスシにしろ、いずれもそのまま世界語として通用しており、高度に普及しているのが事実である。

 特にスシの場合、ハンドメイドの和食というイメージに相反する、スシ・ロボットとコンベアーシステムというメカトロとの奇妙なハイブリッドが世界中で受けていると言えるし、カラオケではどんな歌でもワンタッチで即座に選択できて、曲に同調したテレビ画面には、状況にマッチした映像に加え、歌詞までがタイムリーに現れるというハイテク性が売り物となっている。ここには、決して他国が思いも付かなかった、ハイテクと感性を巧みにハイブリッドさせた日本の文化力が見て取れるではないか。

 特に世界中を席巻している日本のマンガ・アニメだが、たとえば野茂英男やイチローが「巨人の星」「ドカベン」を見てプロ野球選手を夢みて成功し、女子バレー選手たちが「サインはV」を見て大きく育ち、日本の選手だけでなく、フランスの名選手ジダンにまでがサッカー選手を夢みるきっかけとなったという「キャプテン翼」、最近では少年囲碁ファンを増やしたという「ヒカルの碁」…。こうなればサブ・カルチャーなどという時代ではなくなったことがはっきりしている。

 つづまるところこうしたJ・カルチャーは、決して無から有が生じたわけではなく、日本という国土が生んだ「たぐい稀な感性」に裏打ちされた文化であり、その根底に脈々と流れるのは、「縄文癒しのアニミズム」であり、「万葉の大らかさ」であり「平安の雅(みや)び」であり、「源平のものの哀れ・無常観」であり、「鎌倉の侘び・寂び」であり、「戦国の婆娑羅(ばさら)」であり、室町の「百花繚乱」であり、「安土・桃山の絢爛豪華」であり、「江戸の粋(いき)・風流」である。

 しかもそれらが、集約され、渾然一体化し、醸成され、しかも昇華された「多様化の美」なのである。マスコミや多くの識者は、今の日本の持つ「多様性」に目をつむって、その一面だけを切り取って悪し様に言挙げしているのだと言えるだろう。

2008年06月02日

グロ-バリズムとジョーモニズムのハイブリッド ・・・ ネオ・グロ-バリズムの創成ー2

縄文が日本を救う! (63)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 小泉前首相は、「自民党をぶっ潰す!」「改革無くて成長無し」と獅子吼して、国民の圧倒的な支持を得、強引な手法で「規制緩和・構造改善」に着手した。その結果保守論壇を含め、自民党内も真っ二つに割れてしまった。

 ところが小泉さんのあとを継ぎ、国民の大きな期待を担って、ようやく世界で通用する若さと実行力を持った(と思われた)安倍総理の登場だったが、相次ぐ閣僚のスキャンダル、それに思わぬ年金問題から、タカ派的スタンスを恐れ嫌う守旧派議員や官僚に加え、マスコミまでもが陰に陽にその足を引っ張るという、まさに「ヤヨイズム」の猛攻に会い、結局衆参両院における大きなねじれを生んだままで退陣してしまった。その結果いま福田内閣になって、改革路線の大きな後退が指摘されている。

 おそらく意見の大きく分かれるところだが、だったら「改革は不要か?」といえばノーであって、やはりこれからも改革は大いに進めなければならないという事になる。結果の是非は歴史が答えを出すことだが、いまの守旧派の有り様を見ると、明治維新での改革派と守旧派の対決と酷似している気がしてならない。

 原理原則をモットーとするアメリカでは「共和党=保守VS民主党=リベラル」という明確な図式だが、日本の場合保守とリベラルの混在、それに社会主義者まで加わるという「あいまい型」であり、確固たる主張や大義名分は欠如し、「政策無くて政局有り」という現状から見て、とても2大政党政治実現は「夢の又夢」といったところである。

 それと同時に、今日本の取り組むべき急務は、どう考えても「官僚制度のリストラ」なのだが、まず自民党では不可能だし、さりとて自治労シンパや官僚OBが横流れた民主党で、それを成し遂げることが出来るかという危惧がある。

 となればねじれ現象を解消させるための再編成「ガラガラポン」が不可欠なのだが、現実的には、政治の停滞を懸念する形での「大連合論」がくすぶり続けている。欲を言えば、いたずらに政権に恋々しない若手を中心とした真性保守政治家が1つになって独立し、理想を現実化させる努力を地道に講じて欲しいのだが…。

 さて本題の「ネオ・グロ-バリズムの創成」だが、その前提として「日本をいかなる国体とすべきか」という、根本的命題抜きには不可能である。その場合政治家にしても官僚にしても、はたまた学識経験者やマスコミにしても、確たる回答を持たないようでは、到底実現不可能な相談である。

 金融市場において、いまや「ニホン・パッシング(無視・素通り)」がますます進行している。少なくとも世界第2位のGDPを誇る国の有り様ではない。ここは実質経済をはるかに凌駕する金融マネーが飛び交う世界とはいえ、閉鎖的な日本の株式市場のあり方に愛想を尽かしたためであって、なにも日本の企業に魅力が無くなった訳ではない。むしろ実力に比べて株安だと言われている。

 本当に日本企業に実力がないためなら諦めも付くが、実力以下に評価されるところに、日本における市場関係者の不手際や拙策があるというべきである。まず第一に、自国の力に自信を持てない事に繋がる「円安誘導」がある。しかもそれを論議しない(させない)風潮がある。もしそれが低評価の原因だとすれば、その改善を急ぐ必要がある。

 企業サイドにしても、いたずらに買収を恐れることなく、しかも充分に買収問題の研究を怠ることなく、その戦術・戦略を研究して逆に買収側に廻ることも視野に入れるべきであって、そのためには広く世界から人材を求める事も必要であろう。

 と同時に、特に製造業の場合は企業のアイデンティティや経営理念として、「短期利益を優先しない。研究費や最新設備を導入する。それに人材育成に投資する。」という方針を大きく掲げ、つねに公表する努力を怠ってはならない。しかもこれは、技術立国ニッポンの国是だということを広く知らしめることが必要であろう。

多くの人は日本製造業の代表を自動車・家電・IT機器だと思いこんでいる。ところがそれらはすべて全世界からの部品の集合体であって、相対的に日本の製品が多いというだけで絶対的なものではない。

 いま我々が知るべき事は、そうした部品の中でも特に必要不可欠な部分において、日本が圧倒的な力を持っていることと、そうした圧倒な力量を持っていることであり、しかもそうした製造業のほとんどは、買収には無縁の中小企業だという事実である。ということは、そうした中小企業群が安泰でいる限り、世界の中でしめる日本の地位はいささかも揺るがないと知るべきである。

 日本の企業の、実に99%以上が中小企業であり、しかもその比率は年々高くなっており、2004年度では、実に99.7%に達している。ちなみに中小企業の定義だが、平成11年の中小企業基本法改正で、

1.資本金3億円以下(卸売業については1億円以下、小売業、サービス業については5,000万円以下)
2.常時使用する従業員の数が300人以下(卸売業、サービス業については100人以下、小売業については50人以下)の会社及び個人事業者とされている。

 このことは、いわゆるグローバリズムによる買収や合併騒ぎには無縁の企業がいかに多いかということを示している。それを知った上で国の取るべき政策とは、

1.中小製造業の保護・育成・振興をはかる
2.地方大学との産学協同による新製品開発研究制度の拡充をはかる
3.過疎地の活性化と併せて、企業の移転・拡充に便宜を図ること
4.共同製品開発・販売・仕入れや販売のネットワーク構築、
5.中小企業のために、海外での関連見本市への出品など、クローバルな販路拡充へのテコ入れと優遇策

などなどである。

 ここでの問題は、こうした中小企業への融資を、日本の金融機関が(土地担保・連帯保証など)旧態依然とした対応に終始し、いわゆる「貸し渋り・貸し剥がしなどを行うようでは、優良企業の外資依存への傾斜を招きかねない。寡聞にして、日本金融界が世界での実例を元に、新しい融資システムを構築することが急務であろう。

 

 

2008年05月02日

グロ-バリズムとジョーモニズムのハイブリッド ネオ・グロ-バリズムの創成

縄文が日本を救う! (62)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

(毀誉褒貶はあるものの)小泉・竹中路線によって、一応はどん底から立ち直った日本経済だが、マスコミは、新たに格差問題とか、「勝ち組・負け組」「ワーキング・プア」など新しい課題をことさらに喧伝している。いくらグロ-バリズムに問題有りと言っても、日本もその開かれた世界市場で活動する以上、それを鎖国的感覚で排除するわけにはいかない。

 問題は、もっと広く視野を広げて、アメリカという「アングロ・ユダヤ」という市場原理主義者以外の価値観を持つ、穏健な仕組みの中で生きる国々の研究も怠ってはならないだろうし、その上でニホンナイズした新しいグローバリズムを構築する必要がある。

 また相手の手口を研究して、「待った」のかからない企業乗っ取り騒ぎや、株の買い占めなどから会社を守る必要がある。企業買収の動きは、なにも外資だけではない。かつてのホリエモンや村上ファンドなど、マスコミが「勝ち組」と持ち上げ続けてきた虚業の仇花であるマネーゲーム感覚の若者たちの跳梁も目に付いた。

 その後、介護サービルの「コムスン」・英語教室の「NOVA」・人材派遣の「グッドウイル」などなど…、時代の寵児と謳われたソフト企業のモラルハザードや破綻を見ると、虚業のむなしさが増幅されるばかりである。これは何もソフト産業が日本という風土に根付くかどうかという問題ではなく、トップの知らないまま、あるいは知った上でのモラルハザードを許容する姿勢に虚業の本質があることを知るべきである。

 さてこのグロ-バリズムだが、どうもアメリカにおける1970~80年代の「脱工業化社会論」から端を発しているのではないかと思う。アメリカでは、日本を始めとする工業国台頭の中で、次第にその思想が国是になり、急速にサービス産業優先に傾斜し、製造品は外国の安いものを購入し、アメリカは物販を基底として、IT産業・金融産業など頭脳産業に特化していった経緯がある。その結果、ゴールデン・シィクスティ(黄金の60年代)といわれた中流階級花盛りの時代から、急速に上下の格差が拡大していき、低所得者層やホームレスの増大に繋がっていく。

 ある識者は、アングロ・サクソンをハチ(蜂)、イスラムをサソリ(蠍)、ユダヤをクモ(蜘蛛)、そして日本をアリ(蟻)であると例えた。ご存じのようにいままで働きアリの日本は、相手の弱点を鋭く突くハチと、知的所有権の網を張り巡らして獲物を絡め取るクモの共同部隊「アングロ・ユダヤ」の、狡猾極まりない戦略と戦術によって、いかに膨大な国富を掠め取られてきただろうか。今こそ馬鹿正直で脳天気なアリが、いかに彼らに立ち向かうべきかが問われているのだ。

 たとえばこのグロ-バリズムの本性だが、日本の閉鎖性を突くために、「グローバル・スタンダード(国際標準)などといいながら、その実アメリカ発の市場原理主義ルールであって、そのアメリカ自体、いまだにポンド・ヤード法を遵守し国際標準であるグラム・メートル法を採用していないというダブルスタンダードに安住していることも認識する必要がある。

 では、西欧はどうか? 最近アメリカ主導の経済環境から脱して、ユーロが堅調なところから、国際通貨としての道を着実に歩んでいるEUでは、そこに食い込もうとしている日本企業の動きを警戒して、多くの制約や罰則強化している。日本円が国際通貨としての力を持ち得ず、さりとて今更かつての鎖国制度に戻れない以上、否応なくグローバルな視野での対応を講じる必要がある。

 あの有名なヘッジファンドの雄、ジョージ・ソロスは、最近急速にアメリカ離れの言動を行っているが、考えようでは沈みかかったアメリカという船から、ユダヤがいち早く逃げ出そうとしているという見方さえ出来るだろう。

 すなわち幾多の欠陥を蔵した「グロ-バリズム」と、どのように接していくべきかが今後の重要な課題となるであろう。ここで提示したいのは、新しいグロ-バリズムとジョーモニズムの合体、言い換えると両者のハイブリッドとして、「ネオ・グロ-バリズム」を創成することが急務でではないか。
 (以下次号へ)

 

2008年04月02日

グローバリズムの本性

縄文が日本を救う! (61)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 20世紀の後半、日本を襲ったハゲタカ・ファンドだが、資金の出所は全世界に亘るとして、運営の主力は(筆者が)アングロ・ユダヤと呼ぶ、アメリカを中心とした金融界における自由経済至上主義者である。

 彼らは閉鎖的な日本の金融障害を打破するために、当時の大蔵省官僚に「グローバル・スタンダード」という和製英語まで作って押しつけようとした経緯がある。真に実情のわかっていない当時の橋本首相と大蔵官僚たちは、彼らが言うがままに、「金融ビッグバン」と称して、金融機関の自己資本比率の拡大や、所有株式の簿価評価から時価評価への切り替えなど「ハードランディング」を強行した。

 加えて当時の大蔵大臣宮沢喜一は、金融機関に対して土地絡みの貸し出しに制限を加え、地価監視制度を設け、更に土地税制を変更したのだが、そのとき既に、土地の価格は下落し始めていたため、そのタイミングを失した引き締め経済制度によってバブルは一気に崩壊したのである。そうした愚策のため、その後10年以上に亘って、バブル崩壊後の長くて暗い「宴の後の呻吟」を続けることになったのである。

 2001年4月、「自民党をぶっ潰す」「改革なくして成長無し」また「郵政改革」という勇ましいかけ声と共に登場した小泉内閣に、国民は熱狂的な支持を持って応えた。経済金融面で小泉首相を支えた竹中金融相は、大きな不良債権に悩む銀行に「公的資金」を惜しげもなく投入し、無金利に等しい低金利という超優遇策を講じるという荒技を断行した。

 その間日本の多くの製造業は、血のにじむリストラを行うと共に、本来の「モノづくり」に回帰していくことで、ようやくバブル後遺症から立ち直ることが出来たのである。製造業には(金融機関のような)優遇策は一切採られなかったが、国の援助に頼らぬ自主努力によって、自らの進路を確実にしていったのである。

 これを見ると、明治維新後の産業革命を、和魂洋才とばかり欧米に追いつき追い越せという「モノづくり」によって乗り切り、その後有史以来初めての敗戦という最悪の国難時も、やはり「モノづくり」によって見事克服してきた。続いてバブル崩壊後の立ち直りも、おなじく「モノづくり」というジョーモニズムによってなされたことを強く心にとめるべきである。

 ご存じのようにアメリカは1970年代以降、第3次産業という「脱工業化社会」への道を歩み始めた。これはサービス業・金融産業・知的所有権関連などだが、そのごIT産業の台頭から、一段と加速されていった。

 もともと「商」というカテゴリーに秀でた民族性から、また四半期決算・株主優先という制度もあって、彼らにとって脱工業はそれほど苦にはならなかった代わりに、製造業での国際競争力は停滞の一歩を辿ることになる。たとえば、約10年という大きなハンディキャップを貰いながら、結局GMにしろフォードにしろ、再びトヨタ・ホンダを先頭とする日本自動車業界に再び席巻された事でも明白である。

 だだ残念なことに最近日本の製造業界において、かつて見られなかったモラルハザードが発生している。その根拠として(すべてとは言えないまでも)トップにモノづくりの経験のない人たちが占めているケースが考えられる。日本の製造業には一時もてはやされたNBAという利益追求型の経営スペシャリストは不要だったのである。

 すなわち日本の企業風土として、株主優先でなく顧客・社員優先であり、何よりも品質優先であって、研究のための投資を、それに即応する設備投資を惜しまずに重視してきた。これこそグロ-バリズムと相容れぬジョーモニズムの真骨頂であって、そこに立ち返らない限り、真の日本の復活はなされないであろう。幸い日本の企業には、まだ自浄作用が働いている。今こそ新たな企業倫理の立て直しと、モノづくりの原点に立ち直ることが急務といえよう。

 その一方利益追求という一点のみで、「企業買収」というグローバリズムが、爪を研いで虎視眈々と日本の優良企業を狙っている。それに対抗するためには、「敵も知り 己も知る」という対応策の構築が急務だと言えよう。と同時に、「モノづくり」においては、日本型経営法が最適であるという発信をつねに怠らない事が肝要ではないか。

 

2008年03月15日

「ジョーモニズム」とはなにか-2

縄文が日本を救う! (60)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

5.ジョーモニズムに対する(比較文化論としての)ヤヨイズム、そしてグローバリズム

 縄文人は「クニ意識」を持たなかったが、後に渡来する弥生人ほど、国家統一意識が高く、邪馬台国から大和王朝などを形成する。弥生人の特徴・資質それに思想は、コメづくりを根底とした社会制度を完成させる。

 この縄文(ジョーモニズム)と弥生(ヤヨイズム)の邂逅は、自由と規則、創造性と模倣・改善性、工と農、断続と継続など相反する特性を包含したハイブリッド日本人を誕生させた。しかもその絶妙の立地によって、殆ど狩猟文化に触れることなく、この採集→農耕という生活様式は、必要なものだけを吸収し、不要なものは捨て去るという「いいとこ取り文化」によって他国の侵略をかわして、実に19世紀、黒船襲来・開港に到るまで継続することになった。

 では「グローバリズム」とはなにか。世界の歴史を文明発祥の時代から大きく俯瞰すれば、なべて狩猟→遊牧の民による、採集→農耕の民の支配・隷属化であった。移動という「足の文化」は、通商を発達させ、弱小種族を支配するという構図を拡大していったのだ。彼らの信奉する一神教は、農耕の民の持つ多くの神々を滅ぼした結果という側面を有しているのだ、旧約聖書に見られる(アダムとイヴに発した)「原罪」は、ヒトの「性悪説」を物語り、旧約・新約という言葉通り、神と人さえ契約によって結ばれるという「契約の文化」を信奉している。

 この「性悪説・契約の文化」を逆に見れば、「契約になければそれはないことに等しい」という意味であり、日本の「性善説・縁の文化」の対極点にある。彼らがいま信奉する市場原理は、まさ(狩猟に発した)理論であって、ダーウィンの謂う「食物連鎖=弱肉強食説」を牽強附会したものである。

 彼らの戦争を頂点とする「商」の原点は、他を信用しない疑心暗鬼が生む「性悪説」だと知るべきである。すでに征服し、隷属化してきた農耕の民との争いがすでに終焉したいま、(ご存知のように)バスク地方VSスペイン・アイルランドVSイングランド・イスラエルVSパレスティナ・イラクVSアメリカ…、すべて一神教同士の争いである。

 20世紀末、日本は突然バブルが崩壊、日本金融界はハゲタカファンドに、いいようにしゃぶり尽くされてしまった。彼らの旗印こそ「グローバリズム」である。では「グローバリズム」とはなにか?これは西洋特にアングロ・ユダヤという狩猟→遊牧の民の本分とする、「待ち伏せ・追跡・ワナ・囮(おとり)・落とし穴・威嚇・はったり…」という商の原点である。

 バブル景気を謳歌する日本に、彼らは、「閉鎖的な日本は、グローバル・スタンダード(この言葉は、外圧を利用する日本官僚の造語)に合致しない」といって、守旧的保護主義ヤヨイズムの堅城に、楔を打ち込んできたのである。今成すをべきこと事は、彼らの「買収・合併」など、その戦略を洞察し、十分な対策を講じることであり、その上で新しい「ジョーモ二ズム戦略」を打ち立てることである。

 疲弊した「ヤヨイズム」に、再び「ジョーモニズム」の血を、そして心を注入しなければ、日本全体が早晩「グローバリズム」に飲み込まれてしまうことだろう。だったら「グローバリズム」をやみくも排除すればいいのかといえば、自分たちは海外でそのルールに則りながら、日本においてそれを拒むことは不条理である。

さて「ヤヨイズム」を打破した後、「グローバリズム」の大波に飲み込まれるか、それとも「ジョーモニズム」に回帰するか、今その選択が迫っている。いずれにしろ、今こそ硬直した排他的な意識を捨て去る必要があるのではないか。

 

2008年01月08日

「ジョーモニズム」とはなにか

縄文が日本を救う! (58)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 いままで縄文に関わる思いを、たとえば『乱世の縄文』『縄文が日本を救う!』というように、すべて「縄文」という大きな括りで表現してきた。これはあまりにあいまいな表現であり、逆に考えれば「縄文」にとって重荷であったとも謂える。

 今まですでに私の諸文を読まれた方は、おそらく至極明確に、あるいは漠然としながらも、意とするところを汲み取って下さってきたものと思うが、時事あるいは政局に関する発言などから、矛盾を感じさせたり、また誤解を与えたりした可能性も否定できない。

 加え新しい読者も対象にして、あらたに私の思想の根底にある「縄文観」を指し示すために、「ジョーモニズム」という造語によって定義付けすることで、より深い理解を頂くための一助としたい。では「ジョーモニズム」とは一体何か。ごく簡略に述べてみたい。

1. 日本という風土が生んだ思想・生命観、それに性状

 アジアモンスーン地帯という湿潤な気象に、峻険な山脈が連なって南北に細長く延び、外部から攻めるにも、逆に外部に侵攻するには遠く、なんとか諸文化の吸収は可能という絶妙な立地であって、四季を持つ気候、大きくて幾つもの天災にさらされ、1万4000年の長きに亘って採集と漁猟を生業として平和に過ごしてきたことから、生まれた穏やかながら芯の強い、独特の思想や生命観を保持して、稀有の文化を今に継続さて来た。すなわち日本の風土は、狩猟という生活様式を主体とすることを拒んだことから、世界的に稀有な採集文化を確立した民族だった。

2.森が育んだ「縄文の匠の技」

 豊かな森の恵みは、早くから縄文の民を定住させ、大きな余裕を、余暇生んだ。縄文の民は、余暇に手仕事を発達させていくが、その最大の成果が「土器の文化」である。世界に例を見ない素晴らしい土器こそ、森にはする縄文の「モノづくり=匠の技」だといえるだろう。

 縄文の匠の技は、その後弥生との邂逅で益々洗煉され、大陸の文化と接する度に、「師の国を超える技」にしていった。西洋のモノづくりが戦争によって陶冶されたのに反して、日本においては、縄文以来の平和に根指したモノづくりに特徴がある。

 日本は幾度も存亡の危機に見舞われていた。曰く明治維新・大東亜戦争の敗戦、それにバブルの崩壊…、その都度いかにしてそうした危機を乗り越えて、不死鳥のごとく甦ってきたのか?それはすべてによってであることを心に銘記すべきである。

3.モノに霊性を、生命を見た!

 日本のモノは、決して物質ではない。そこには精神的な要素を包含した命あるモノがある。たとえば同じ「商」にしても、かつて縄文時代より連綿と、「霊を持った物=マナ」という意識がある。「霊を持ったモノ」を贈り、貰った者がそれに匹敵するモノをお返しするという崇高な習慣が、他に類のない「進物文化」となって連綿と続いているのだ。

 こうした特異な歴史の中で生まれた「ジョーモニズム」のバックボーンは、穏やかな多神教であり、敵すらも死すれば神として祀るほど、常に相手をおもんばかる「性善説」なのである。

 <参考文献:『縄文からアイヌへ』町田宗鳳(せりか書房)

4.弥生との邂逅と融合
    ──ハイブリッド日本人を誕生

 世紀前8世紀、チャイナより弥生の民がボートピープルとして渡来した。彼らは主として採集から進化した農耕(水田稲作)と漁撈の民だったので、容易に混血を果たし、遅まきの「農業革命」を経験し、わずかの期間に最果ての青森の地まで稲作を普及させる。

 縄文=創造の資質と、弥生=継続・改良の資質のドッキングによって生まれたのがハイブリッド日本人ということになる。

 我々が弥生から継承したのは、その根底に日本という風土に根付いた「コメ文化」である。それはいつしか社会全般の底辺に拡大され、何時しか「縦割り・横並び・談合・経験優先・農業暦に基づくディジタル発想であり、個より集団であり、出る釘は打ち、他者は排除する」という、陋習を形成していくのである。これをヤヨイズムと呼ぶことにした。

 こうした「コメ文化=ムラ意識」は、平時では大きな力を発揮するが、賞味期限・耐用年数が過ぎると次第に硬直化し、内部から崩壊していくが、(それと気付かぬまま)守旧派が旧来の陋習に固執し、結局外圧によって解体されるという経緯を辿ってきた。
                 (次回につづく)

 

2007年12月10日

なにが人を救えるのか?

縄文が日本を救う! (58)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 最近「一体なにが人類を救えるのか?」という難問が大きく膨れあがって、筆者を苦しめる。この場合の人とは、個人々々ほど狭くなく、さりとて全世界の人類というほど広範囲ではない。世界中には数多くの国々があり、そこに居住する種族は無数である。そうした人たちのすべてを包含することは不可能であり且つ無意味に近い。従って「一つの国」ほどに限定して考えるしかない。

 もっとも「一つの国」といっても、そのすべての人が同じ価値観や思想、感性や感受性を持つわけではないので、少なくとも他国と比較し、いろんな係数や数値を元にして、「個」ではなく「マス」として考えたい。当然対象として「日本」を中心にしている。

 さて今回のタイトルだが、「一体なにが人類を救えるのだろうか?」それは「宗教」だろうか?それとも「哲学」だろうか? いやいや「政治」なのか?あるいは「教育」? そうじゃあなくて「経済」?
 
 まず「宗教」はどうか?
昨今中東を中心に、憎悪と相互不信をむき出しにして、エンドレスの「宗教戦争」が血で血を洗っている現実がある。
 
  「なぜ宗教同士が相争うのか?」
  「お互い永遠に和解できないのか?」
  「宗教は人を救えるのか?」
  「宗教で人は幸福になるのか?」
  「宗教の教えで、一体どのくらいの人が善行を旨とするようになれるのか?」
  「救われた人はまた人を救うのだろうか?」

 偉大な宗教者である、キリストを生んだユダヤから、布教の拡大したヨーロッパから南北のアメリカ、偉大なる預言者マホメットを生んだ中東一帯(トルコ・アラビア・イラン(ペルシャ)からアフガン・パキスタンなど南アジアから東南アジア。釈迦を生んだインド。孔子・孟子・老子を生んだチャイナ、偉大な宗教者を生んだ国々には、すべて平和で愛に満ちているか?

 たとえばマザーテレサは、インドで献身的な救助活動を行ってきた。イエズス会の大木神父は、ネパールで障害児童の救済に一生を捧げている。だったらそこから相互救済の輪が広がって、大きな「善のうねり」となって、貧困者や差別に泣く人たちが少なくなっているのか? 所詮宗教が救えるのは「個」単位でしかないのだろうか。その一方で自爆テロで無辜の大衆を巻き込んでも、彼ら聖戦の徒は少しも胸が痛まないのだろうか。

 では哲学はどうか。日本人にとって「フィロソフィ=哲学」は、難解な孤高の学者の持ち物に過ぎないが、語源は「愛を知る学問」だという。ご存知ギリシャは、プラトン・ソクラテス・アリストテレスを始め多くの哲学者を生んだ。近世ドイツはカント・ヘーゲル・ショーペンハウエル・ニーチェを生んだ。

 ではすばらしい哲学者を生んだ国が、つねに英知を発揮し、幸福を継続させ、生活者の精神的依り代となり得たか? 奴度の上に民主主義を植え付けたギリシャは滅び、ドイツは2度の世界大戦の信管となり、火薬庫となったではないか。

 だったら「政治」は、「教育」はどうか。こういった設問をすること自体、どうもこれらのいずれもが、決して究極的に愛や幸福や平和を生んできていないことが明白となる。

 別の切り口で語ってみよう。もともとこうした命題は、「人(民)を幸せにする」という目的で誕生し、発達したものではなかったのではないかとさえ考えるべきではないだろうか。

 つづまるところ、宗教や優れた宗教家、哲学や哲人、それに政治家は、その国をそしてその国の民を、決して幸せにしてこなかったし、平和にすることが出来なかった。だったら彼らの布教や教えの目的は何だったのだろう。それはおそらく、スタートの時点と、拡大の時期で大きく変質し、目的と結果があらぬ方(かた)に大きく逸れていったのだろう。

 やや違ったカテゴリーで取り上げたのが「経済」である。これも「個」と「マス=全」で考えた場合で違った答えが出てくるのだが、国の経済状態がいいことは物質面で「個」にも波及する。争いに巻き込まれているときよりも、平和であった方がいい。
ただここでは、当然ながら貧富の差が生じるし、物欲の増大がかえって不幸を招くことすらある。

 とは言え、国の経済状態が悪いより良いほうがいいに決まっている。ではどうすれば「経済」がよくなるのか? 過去他国を犠牲にして自国の富を勝ち取ってきたケースが多かったという事実がある。今ではそうした目に見える国の悪行は少なくなったとしても、それは形を変えて現在でも不幸な国や最貧国を生み続けている。

 ここまで「幸せとは何か?」という命題には触れないで来た。人を救うと言うことは、人を幸せにすることに通じるが、この「幸せ」には、計量的な基準はないし、主観によって大いに異なる。ここでもやはり、前述の通り、他国と比較し、いろんな係数や数値を元にして、「個」ではなく「マス」として考えていくしかないだろう。

 さて以上縷々述べてきたことを根底において、日本という国の現状を、少しでも正しく把握し、よいところは何故よいのかを徹底的に究明し、それを伸ばして他国にも波及させ、思い違いがあればそれを是正していく必要がある。幸か不幸か、日本では「言論の自由」がある。しかも国民性というか自らを低く見る一種の「自虐性」を特性としている。

 特に最近のマスコミは、大局を無視して、些細な事象を「針小棒大」に報じ、なにかの大きな意志によってか、白痴的番組を垂れ流している。しかも(純粋な)「愛国心=ペイトリオティズム」を、危険なナショナリズム=民族(国家)主義と置き換えて、歪んだ教育を礼賛している嫌いがある。

 今こそ日本という国の「真の姿」を公平に見つめ直していくことが急務ではないか。
本項で述べてきたことの集大成として、縄文再発見」をし、そのことによって“縄文が日本を救う!”から“縄文が世界を救う!”へと進んでいくことが、いわば日本人の崇高な使命ではないだろうか。

 お断りしておくが、これはかつての「八紘一宇」でも「万国民皆兄弟」でもない、一切押しつけも強要もない、真の平和のための試案なのである。

 ここにまた、一神教と多神教の問題がありる。ほとんどの先進国はキリスト教そして少数派だがユダヤ教という一神教で、現在この二つの宗教と、その間で終わりなき宗教戦争を繰り広げているイスラム教という一神教があります。しかもこの三つの宗教は、源流を一つにした、いわば親類筋なのだ。
。 そればかりか、キリスト教ではカソリックとプロテスタント、イスラムではシーア派とスンニ派のように、同じ宗教の中の宗派の違いで骨肉の争いが止むことなく続いているのは、一体何故なのか。こうした難問が、どうしても私の前から消えようとしない。

 ところで、日本はどうなのだろうか。先進国中唯一の多神教的コスモロジー、というより、むしろそうした宗教観を超越した、無神論的コスモロジーをもった、他国から「脳天気民族」として嘲笑されるような、稀有な国柄ということがわかる。なぜ日本にだけ、こうした唯一無二のコスモロジーが生まれ、継続してきたのだろうか。

 日本には、キリストも釈迦もキリストも、ましてや孔子、プラトン・ソクラテス、それにカントやへーゲルという哲学者もいなかった。日本が生んだ三人の天才と言えば、(私見だが)聖徳太子・空海、それに織田信長である。空海は釈迦の教えを報じる仏教者であり、信長はいわば鬼っ子的異端の存在であり、残るのは聖徳太子だけだと言うことになる。

 だったら聖徳太子は一体私たちに何を伝えたのだろうか。外に対しては当時の超大国「随」の煬帝に、「日出ずる国の天子」という言葉で、対等の国発言を行ったこと、それに神道派と佛教派相争うことに歯止めを掛ける「神仏混淆」という『ハイブリッド宗教』の創造という偉業はあったが、私たちは、太子の施行した「一七条の憲法」の中で、わずかに『和を以て尊しと成す』という超有名な言葉を残したくらいしか記憶していない。

 なんでもこの言葉は、孔子の論語の中からの引用だというのだが。驚くべき事にこの「和」という思想が、私たち日本人全体の不抜のアイデンティティとして、連綿且つ厳然と生き残っていることに気付く必要がありはしないか。

 考えようでは、聖徳太子に言われなくてもこの「和」という性状は、それ以前から私たちが持ち続けていたものではないだろうか。私はそれを「縄文以来日本人の持ち続けてきた特性」だと思っている。

 

2007年11月05日

文明法則史学800年周期説と日本(4)

縄文が日本を救う! (57)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 ここでもう少し、村山史学という「東西文明」の、時空を加えたDNA的コスモロジーを、古代に遡って紹介しよう。ご存じのように通常「歴史」とは、事件とか特筆すべき要素の多いところを厚く、そうでないところは省略して記述されてきた。

 3回に亘って紹介した、村山節(みさお)先生の『東西文明周期800年説』の総括を兼ねて、今世界を覆っている、(文明交代期に生じるという)大きな混乱の概要を俯瞰してみよう。

 表面的には、両文明の中間である、中東周辺における、
1.イラクでの泥沼的混乱
2.イスラエル対パレスチナおよびレバノンでの紛争
3.イランの核開発問題
4.アフガニスタンにおけるタリバンの復活反攻

 などに集約されるが、その陰でもっと大きな問題が表面化しつつある。

 それを列記すると、
1.アメリカの実力の相対的低下
2.ロシアのエネルギーをバックにした対外戦力と、プーチンの強権政治の危険性
3.「資源爆食怪獣(宮崎正弘氏命名)」チャイナのエネルギー獲得奔走
4.世界的規模の、温暖化/エネルギー危機/環境汚染の進行/砂漠化の進行と水資源枯渇の危機

 などなどが挙げられるだろう。

 まず「アメリカの実力の相対的低下」だが、共和党ブッシュ政権がイラクでの戦後経営の稚拙さが祟ってレイムダックになり、次回大統領選では民主党の大勝が予想されるが、この中東地区でのエネルギー確保が大きく頓挫した中で、イランの核開発問題に腐心して、北朝鮮問題での変節と弱腰が日本を失望させている一方、国内ではサブプライムローンの破綻で益々ドルの価値が下落の一途を辿っている。そこにはもはやパックス・アメリカーナを誇った栄光の姿はない。

 さてそれが、民主党になってそれが劇的に改善する保証はどこにもない。共和党ほどは露骨ではないとしても、この国の復活には、軍需産業の繁栄は欠かせない。かつてのソ連と違ってエネルギー資源を握ったロシアは、いまや公然とアメリカの地位を窺う気配を見せているが、戦争と言えばイランか北朝鮮ということにななるが、なんでもイラク爆撃というシナリオもちらほら聞かれるという情報があるようだ。

イラン空爆話の再燃 (田中宇の国際ニュース解説 (2007年8月28日) 

 一方ヨーロッパ文明の低迷には、北狄(ほくてき)ロシアの台頭は頭痛の種がある。エネルギー資源の大きな部分を新興ロシアに依存しなければ成り立たない苦悩が根底にある。EU内部でもだが、同非加盟国間においても総論賛成・各論反対という矛盾の露呈、移民との軋轢やテロの脅威、そして労働人件費の格差や人種的偏見、それに失業率の増大が拡大しつつある。

 いまやロシアは、冷戦敗北の後遺症を克服して、豊富なエネルギー資源(主として天然ガス)を武器に優位な対外戦略を着々実行中である。共産主義は崩壊したものの、プーチンの強引且つ強硬な姿勢、エネルギー政策の成功はロシア国民に強い支持を獲得している。

 一方「共産主義に市場主義を接ぎ木する」という、破天荒な政策を採用して驚異的成長を続けているチャイナは、(公称)毎年10%以上という急速な成長を続けているが、その反動として急速に資源大消費国に転落し、エネルギーを主体とした資源獲得になりふり構わぬ行動を示して、世界中に恐怖と顰蹙の輪を拡げ続けている。(なお、ここではBRICsと呼ばれる新興工業国群のうち、ブラジル・インドの動向は割愛する)

 では今のロシアおよびチャイナに弱点はないのか。決してそうではない。いずれも大きな課題を抱えていることは明白である。

 まずロシアだが、冷戦の破綻、ソ連邦の解体によって、かつての衛星諸国は次々と離反していった。その中で特にイスラム信仰国と、たとえば揃ってNATO(北大西洋機構軍)に加盟したバルト3国(エストニア・ラトビア・リトアニア)のように、かつてのソ連を踏襲するようなロシアの態度を快く思わぬ国々との間に、大きな摩擦を内在しており、先般も大きな列車爆発事件が頻発し、それに対しての暗殺の横行という、「負の連鎖」が後を絶たないという悩みを抱えている。

 おそらくプーチンは大統領の任期が切れた後も、強圧的な院政を敷くはずだが、パイプラインの敷設を中心にしたエネルギー政策は、いつ引火してもおかしくない危険をはらんでいることは想像に難くない。しかも最近、ロシア国内における新興富裕層の拡大と裏腹に、低収入層の増加は過激なナショナリズムとなって、これも大きな火種になろうとしている。

 順風満帆に見えたチャイナ経済の方はどうか。ご存知のように、ここ最近世界中で有毒・有害製品が数多く発生して問題化し、中共政府は、その対策に躍起になっているが、「安かろう 悪かろう」という領域を遙かに超えたこの国のアン・モラル性が今後も続くとしたら、その経済的地位も揺るぎかねないだろう。

 今や貿易総額でアメリカに次いで第二位にのし上がり、近いうちに第一の貿易国になると豪語はするのだが、なにしろ国民の平均所得が、アメリカの27000ドルに対して1000ドルという極端な格差は、この国の実情を如実に物語っている。

 チャイナの急速な経済発展が生んだ豊富な外貨は、内に沿岸部(都市)と内陸部(農村)の極端な所得格差を生みながら、それを貧困層の救済や、後述環境破壊対策に用いることなく、飽くなき「資源爆食怪獣」(宮崎正弘氏の命名?)として、外に向かって浪費を拡大しているのが現状である。

 この国の問題点は山ほどあるが、最大の課題は党幹部による汚職と、それに関連した手抜き工事の続発であろう。先日工事中に崩壊した「湖南鳳凰是沱江大橋」には鉄筋が一本もなく、しかも割れ口には砂利ばかりでセメントらしきものが見られないというひどさで、わずか9ヶ月で、実に6つの橋が崩壊したと言うから話にならない。現在世界各地でチャイナが絡んでいる工事が多いのだが、大惨事の発生が大いに懸念されるところである。

 また最近話題になっているのは、資源・エネルギーの枯渇よりも、むしろ「水資源の枯渇」である。来年の北京オリンピックで、空気の悪さ・食品の安全性と共に、水の問題で開催を危ぶむ声が大きいほどである。識者の中には、6年後の上海万博はおろか、まず北京オリンピックさえ、無事開催出来るかという声さえも聞こえるのだが、さていかがなものか。

 両国に絡む日本にだが、個々に見られるのは、外交下手というよりもむしろ無外交政策ともいえる日本の「資源・エネルギー対策」のまずさであり、また「譲歩・謝罪・沈黙(黙認)」という、外交上のタブーを遵守し続ける姿勢である。「言うべきは言う」という、毅然とした外交姿勢の復活と、「日本ではこんな事が出来る」という自己主張が肝要であり急務である。たとえば、日本の持つ、省エネ・水問題、それに環境改善など、両国が苦手としている課題に特化して両国との関係を深める努力が必要となる。

 宮崎正弘氏によれば、両国のエネルギー効率は、日本を100とした場合、<チャイナ870/ロシア1800>という、驚くべき低効率だという。(ちなみにインドは920/アメリカ300/EU170 資料はIEA))

 両国の課題、(と併せ、過重な目標を押しつけられた京都議定書のいかがわしさ) がいかに大きいかがわかるというものだ。 

◎参考文献
 宮崎正弘著 『世界資源新戦争』 (阪急コミュニケーションズ)>

2007年10月20日

文明法則史学800年周期説と日本(3)

縄文が日本を救う! (56)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 ここでもう少し、村山史学という「東西文明」の、時空を加えたDNA的コスモロジーを、古代に遡って紹介しよう。ご存じのように通常「歴史」とは、事件とか特筆すべき要素の多いところを厚く、そうでないところは省略して記述されてきた。

 村山先生は、歴史を等しく、同じ時間で輪切りにして検証し、考証を重ねて結果、明確な東西文明交代の周期を発見したのである。

 図面を書くと簡明なのだが、それが出来ないため、各自で「バイオリズム」の要領で、水平な線を挟んで上下に相似形のゆるい半円を並べてもらいたい。上部の半円が繁栄の「陽の時代」で、逆に下側が衰退の「陰の時代」となる。

 二つの線が交差するところが、文明の交代期で、その時期が「交代の混乱期」に当たる。「陽の時代」を例に取ると、半円の上昇部から幼→青→壮(最盛期)→老(衰退期)から「陰の時代」に移行するのだ。

 当然ながら、文明交代期には大きな混乱が発生する。過去の例を見ても、ほとんどの交代期で、民族の大移動が発生しているのがわかる。そうしたところから、村山先生は、ちょうど現在という文明交代期にも、(西の)民族の大移動発生の予言をされている。

 これはある意味、気候の変動とどこかで連動している証左かもしれない。これは推察だが、かつて氷河期にはまだまだ温暖であった(日本を始め)ユーラシアの東(東洋)に比して、ヨーロッパではほとんど全土を氷河が覆い尽くしていたという事実がある。

 いささか脱線するが、日本でも(短いスパン・周期でだが)温暖に振れた時代は、三内丸山から始まり、奥羽の中尊寺文化が栄え、江戸(東京)が日本の中心となり、北海道釧路の高校が野球で優勝する。

 逆に寒冷に振れると、藤原・平家が活躍し、明治維新では薩摩や萩藩・土佐藩が国の中枢を握って、関ヶ原合戦の仕返しをする。
野球の優勝校は容易に箱根山を越せなかった。

 こう見てくると、気候の変動と800年周期説には、相関関係があるようだが、。信じるも信じないも、これは一種明確な(結果としての)「実証科学」と言うべきかもしれない。

 故村山先生の講演で予言された西洋での大移動が、もし予言通り実現するとなると、西洋は温暖化ではなく寒冷化が予想される事になる。機構との関連が濃厚だとすれば、いま懸念されている温暖化現象は、西洋文明にとってプラスでなければならない。

 ということは、前回にも述べたが、南極・北極の氷が溶けることで、万一暖流が寒流化するとしたら、この予言は当たることになるのだが、さて実際はどうなのだろうか。残念ながら自分の目で確認することは無理だろう。

 以下、文明周期(800年)交代図の概要を紹介する。
(出典:『文明の研究』村山節著) 

<西暦前3600年前から同2800年前>
◎交代の混乱期  外国人の侵入エジプト衰退
◎陽の時代(東) 古代メソポタミア文明
◎陰の時代(西) エジプト中世的時代


<西暦前2800年前から同2000年前>
◎交代の混乱期  外国人の侵入エジプト衰退
◎陽の時代(東) 古代メソポタミア文明
◎陰の時代(西) エジプト中世的時代


<西暦前2000年前から同1200年前>
◎交代の混乱期  アーリア族大移動→インド侵入
◎陽の時代(西) エジプト・エーゲ文明
◎陰の時代(東) アジア未開時代


<西暦前1200年前から同400年前>
◎交代の混乱期  ドーリア(バルカン民)族大移動
◎陽の時代(東) 古代アジア文明   
  (メソポタミア・チャイナ・インド)
◎陰の時代(西) 欧州暗黒時代


  <西暦前400年~西暦400年>
◎ 交代の混乱期  フン族反乱と民族大移動
アレキサンドロス大帝東征
◎陽の時代(西) ギリシャ・ローマ時代
◎陰の時代(東) 中央アジア(クーシャン王朝)


 <西暦400年~1200年>
◎交代の混乱期 (東)ゲルマン民族大移動
   (西)乱世=五胡十六国(東)
◎ 陽の時代(東)アジア極東文明時代
   チャイナ・古代インドネシア・中央アジア文明
◎ 陽の時代(西) 欧州暗黒の中世時代
   キリスト教の東西分裂


 <西暦1200年~2000年>
◎交代の混乱期 ジンギスカンの跳梁と民族大移動
◎陽の時代(西) ルネッサンスに始まり、
   大航海時代を頂点とする西洋文明の時代
◎ 陰の時代陽の時代(東) アジア没落の時代

       <以下現在~>

   <西暦2000年~2800年>
◎交代の混乱期  中東における一神教同士の宗教戦争
◎陽の時代(東) 多神教的コスモロジーの到来?
◎陰の時代(西) 一神教文明の崩壊


 こうした壮大な視点に立って、日本の現状を俯瞰すると、あらゆる面で、日本人は上から下まで、あまりにひどい視野狭窄に陥っていることがよくわかる。

 いまこそ日本は、置かれた立場を見つめ直し、コップの中の嵐を、ことさらに政局化して、お互い足の引っ張り合いをしている場合ではない。世界の情勢を真摯に受け止め、自らの地位を、いかに高めることで、世界の希望に添っていくか、今こそ衆知をそして英知を結集するべき時ではあるまいか。

 その手段の一つが、硬直化し形骸化した(官僚組織に代表される)弥生発のコメづくり文化・ムラ意識からの離脱であり、崩れ去りつつある西洋一神教文明と、その強面(こわもて)の仮面としての、(いわゆる)グローバリズムから脱却である。

 そして今こそ、縄文に発した多神教世界の蘇りと、それに「山と森に発した匠の技」の踏襲であり、研磨であり、その世界的な普及ではないだろうか。

2007年09月03日

文明法則史学800年周期説と日本(2)

縄文が日本を救う! (55)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 前号でDNAの持つ4つの塩基に対比して、幼・青・壮・老を挙げた。ここらをもう少し深く見てみよう。

 幼・青・壮・老や四季という4つの数字概念の根源は、「易学」の陰陽説に見ることが出来る。まず「陽陽・陽陰・陰陽・陰陰」という四象であり、四方位(東西南北)=四聖獣(青竜・朱雀・白虎・玄亀)、および四季(青春・朱夏・白秋・玄冬)である。

 西洋的一神教世界では、陽と陰とは相否定する関係となるが、東洋的・多神教的精神世界では、むしろ相互補完的存在となる。たとえば東西交代説にしても、東の循環型・交代型思想に対して、テーゼに対するアンチテーゼという、二元論に立脚した直線的指向である。たとえばそれは、スパイラル軌道を取りながら、終局に向かって突き進むという、終末思想が彼らを支配するのだ。

 昨今『ダヴィンチ・コード』とか、反キリスト誕生とか、黙示録それに悪魔などを題材にした映画の多さを見れば、彼らの精神構造が那辺を凝視しているか、明確に見て取れるだろう。彼らにとって、たとえばそれが終末に限りなく近づいているとしても、決してキリスト教以外の世界を容認することは出来ないのだ。これはユダヤ教にしろ、イスラム教にしろ同根だと謂わねばならない。

 たとえば、このユダヤ・キリスト・イスラムという一神教の世界では、中庸とか妥協という一種曖昧な発想を嫌悪し且つ排除するのだが、ここに、かつては地方宗教であったこれらの一神教が、いつしかグローバルに拡散した結果、おのずと到着せざるを得なかった
矛盾や自己撞着に喘いでいるのが、今の姿だと言えるだろう。

 安田喜憲『蛇と十字架』は、西洋史観が近代科学の枠組みから脱却できず行き詰まりを示している状況を指摘して、世界中で顕在化してきた「文明の衝突」や、行き場のない精神の袋小路の突破口として、次のように「アニミズム・ルネッサンス」を提唱する。


 私たちは今、あらゆる宗教の出発点であるアニミズムの大切さを思い起こす時なのではないだろうか。われわれを取りまく動物や植物、あるいは山や川にいたるまで魂がある。それらを尊敬し畏敬の念を持ってつきあっていく。そこに自然とともに共存する思想の原点がある。
アニミズムはヨーロッパのキリスト教世界では手垢によごれた誤解に満ちた言葉である。(中略)
 自然と人間が共存可能な、そしてあらゆる民族とあらゆる宗教が共存可能な世界の実現に向けて、日本人が縄文時代以来一万年以上にわたって持ち続けてきたアニミズムの精神の果たす役割は、今後ますます見直されるに違いない。

 また比較宗教学者町田宗鳳は、広範且つ柔軟な宗教的知識を縦横に駆使して語る、新著『人類は「宗教」に勝てるか』の中で、


このへんで「権力的な集中的統率力」をもつ文明の形態を転換しないことには、人類社会の行き詰まりは目に見えている。そこには近代文明の軸足となっている一神教的コスモロジーから多神教的コスモロジーへの移行がどうしても不可欠となる。


のだと謂う。

 さて本題に戻って村山史学による、西の文明から東の文明への交代期が現在(いま)だとして、「ではその東において、新しい時代の文明を担うのはどこか?」という大きな命題に行き当たる。確かに、今まで東方盟主の役割は、すべてチャイナが担ってきた。ではこの度の交代期にも、チャイナがその役割を果たすのかというと、どうもそうすんなりとはいきそうにないのが現状である。

 残念ながら今の日本では、こうした視点に立つ指導者はゼロに等しい。といって日本とチャイナ以外に、盟主という役割を担える国は見あたらない。といって「今の共産党独裁というチャイナにその資格有りや」と言えば、頭をかしげざるを得ない現状が見てとれる。

 とすると、誰でも納得で来る公平な視点で、否応なく巡ってくるであろう東の時代に、「盟主として、日本あるいはチャイナのいずれがふさわしいか」という採点をするしかないであろう。

 そこでまず比較という論点で見てみよう。ここでは長くなるので、電子書籍・論文集HP 『キャッスルゲイト』の、時事小論より<比較という視座・論座の欠けた日本人> (1~3)
 http://joumontn.com/jiji_syouron/13.html

を参照願いたい。ここには幾つも両国の有り様を比較・列記している。現状を見る限り、今のチャイナには、盟主国に不可欠な、「おおらかさ・度量・慈愛」の欠如に加えて、「文化・文明・各術・科学」などに対して、すべて独裁的一党政治が優先し、敬意を払うという気持ちのかけらもない事に気付くだろう。

 もっとも日本という国柄が、果たして世界の盟主としてふさわしいかとなると、現時点ではすんなり肯定出来ない点も多く、幾つも疑問点が挙げられる。ただ今後転換・交代期における混乱が収まった時点で、前述の比較という視座、消去法という論点で語るならば、消極的ながら日本を置いて有資格者はいないであろう。いずれにしろ自らの置かれた立場を深く認識し、積極的にその任にふさわしい実力を身につけていく必要がある。

 金文学は、新著『日中比較優劣論』の中で、「日・中・韓という東アジアの国は内紛(内訌)を超克つして行くべきだと強調する。違う国同士でありながら、内紛(内訌)という指摘の裏に、日本一国でこの重責を担うことの困難さを踏まえ、ちょうど西欧のECのごとく、その協調を説いているかのようである。氏はその困難性を認めながらも、日本の忍耐強い自己主張を説いている。

 もし日本がこの村山文明史学を信じ、自らその地位にふさわしい言動を行っていけば、必ずやその実力が大きくクローズアップされるだろうことを心から信じたい。

  もし日本がこの村山文明史学を信じ、自らその地位にふさわしい言動を行っていけば、必ずやその実力が大きくクローズアップされるだろうことを心から信じたい。

 なお、その成果を体感できる時間を持たないのが心残りであり残念でもある。

2007年08月10日

文明法則史学800年周期説と日本

縄文が日本を救う! (54)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 これは故村山節(みさお)先生が、歴史の中から膨大なデータを元に練り上げられ、築き上げられ、壮大な実証科学として提唱された、東西文明が周期800年で交代するという学説である。それは「東西2つの文明が800年ごとに繁栄と衰退を交代して、1600年で一巡する二重螺旋構造である」というものである。
 
 二重螺旋と言えば、1953年ワトソン・クリック博士らが、ノーベル賞を受賞したDNAで有名だが、この文明法則史学は、DNAを構成するA・T・G・Cという4塩基の代わりに「幼・青・壮・老」を置き、時空を加えたものと言えば分かり易いだろう。

 村山先生は、最初は天才の出現を研究していたが、それには周期があることを突き止め、その結果東西文明交代の周期を発見する。たとえば800年前、ジンギスカンの出現によって、西洋民族の大移動が起きるが、これはなにもたった一人の英雄によって惹き起こされたのではなく、気候の大変動(寒冷化)が引き金になったのだと喝破する。

 文明交代は、その交代時期に生じる大混迷から幼年期・青年期という向上期を経て、壮年期で頂点を迎え、やがて老年期の衰退期に移行する。季節に当て嵌めれば、5月の青年期には万物が芽生え、冬眠から目覚めて活動を始める。そして老期の11月には、諸木一斉に落葉し、渡り鳥は旅立ち、海棲哺乳類は大移動を開始するのだと謂う。

 この説の凄さは、西暦前文明発祥の太古にまで遡るのことだが、その東西交代期がちょうどこの21世紀に当たるのだというのだ。また東西の分岐点は中東だというが、いまこの地で繰り返されている不毛の抗争を見るにつけ、混乱期という指摘と同時に、ユダヤ・キリスト・イスラムという同じ根っこの一神教の行き詰まりを痛感するばかりではないか。

 先般村山先生の講演を、初めてDDVで聴く機会を得た。話の中で村山先生は、今後もしばらく混乱は続き、そのピークは2015年から2030年頃であって、その時ヨーロッパで民族大移動=北方民族の南下大移動があると予言する。

 チンギス・ハーンの軍隊の行くところ殺戮と略奪と破壊だけが残された。その寒冷化のヨーロッパに追い打ちを掛けたのは、モンゴル兵の置きみやげの黒ペストであった。この恐怖の伝染病は、ようやく生き残ったヨーロッパの民を、ふたたび容赦なく死に追いやったのである。 

 800年前、ヨーロッパだけでなく中東でもモンゴル兵は暴虐の限りを尽くした。 チンギス・ハーンの使節団を殺害し、財宝を奪い取ったホルムズ王朝の殲滅を誓ったモンゴル軍によって、悲惨な虐殺の嵐に見舞われ、チグリス・ユーフラテス河は、数日にわたって真っ赤な血に染められたという。パニックを起こした中東イスラムの民は、カイバル峠を越えてインドに侵入した。彼らは殺生を嫌う仏教徒を虐殺し、この地に定着していくことになる。

 その後、この地にイスラムの王朝ムガール帝国(1526~1857年)を建てた。ムガールとはモンゴルの意、中東に侵入したモンゴルの系譜を引く国柄であった。

 ちなみに、あの世界一美しいタージ・マハルは、ムガール帝国 の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、愛妃ムムターズ・マハルの死を悼んで建てた霊廟(1653年竣工)である。その後時代は西洋文明に移り、結局ムガール帝国はイギリスによって滅ぼされてしまう。

 (筆者のホームページ、キャッスルゲイト第8章「森と共に消えたインド文明」
 http://joumontn.com/mori&hito/082.html
 から「西洋にとってのインド」の項、参照。

 村山先生が予言した、大移動説を裏付ける根拠として、温暖化による北極・南極の氷の溶解によって、冷たい海水の海洋循環が挙げられる。暖流が寒流に変わるとき、寒冷期あるいは氷河期の到来が予想されるではないか。そうなると俄然同説の信憑性が高まる。

 さて21世紀以降、アジアの時代が到来するとして、その中心を占めるのが日本なのか、それともチャイナなのかという論議は次回に譲るとして、村山先生は、今後も依然として「知の国日本」と「武の国アメリカ」の協調が大切だと説く。

 現在日本で行われている憲法改正問題と絡めて、集団的自衛権の問題から見て、村山説に大きなヒントが隠されている気がする。次回その問題とチャイナとの関係について考えてみたい。

2007年07月10日

ハイブリッド宗教事始め

縄文が日本を救う! (53)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 神道と仏教の融合

 『ハイブリッド文化の精華』で前回記載した"「漢字とカナ」の融合(50~52)"とは、後先になったが、縄文時代は、(言うまでもなく)宗教と言うよりもまだアニミズムの世界であった。彼らは、すでに「ハレ(晴=非日常・祭り)」と「ケ(褻)」という生活を区分をする文化を持っていた。
  
 マツリというハレの日には、男女とも精一杯のおめかしをしてご馳走を並べ、その喜びを祖霊に、森羅万象を形成する自然神に、森の中のありとあらゆる精霊に、種族を守護してくれる守護神に、心からの喜びの祈りや収穫の品を捧げて踊り、ニワトコやヤマブドウなど木の実の酒を飲んでトランス状態となり、神々や精霊と一体になって、笑い泣きまた陶酔の境地の中で歌い舞い明かしただろう。

 一方恐ろしい地震は「地母神」の怒りであり、火事は「火の神」、噴火は「山の神」、台風は「雨の神」と「風の神」、旱は「天の神」の洪水は「川の神」の、そして津波は「海の神」の怒りであった。
縄文の民は過酷な自然現象に自らの罪意識を重ね合わせ、恐れおののいて許しを乞いうた。

 それらは、あらゆる自然を神と一体に見る「*マナイズム」であり、万物の精霊を神とし、自分たちを護ってくれる先祖の霊を信仰する「アニミズム」であり、祖霊・万物の精霊が憑依し、現世の対話やお告げを行う「シャーマニズム」であり、種族を象徴する守護神、特定する主神を祭る「トーテミズム」であった。

 また「言霊」によって悪霊を避け幸せを願う、あるいは敵対するものに災いをもたらす「呪術」でもあった。たとえば、現在まで日本の風土や社会環に脈々生き続けている「言霊(ことだま)思想」だが、呪術的なものとしては、その後「真言」からお経という意味不明な形態で、また日常生活に於いても、口してもよい「縁起のよい言葉」、はばかられる「・悪い言葉」として脈々として今に生き続けている。

 こうした多彩な自然神が渾然一体となった多神教の森の世界に、水田稲作を持ち込んだ弥生の民によって、自然神は次第に人格神姿に変わっていくことになった。

 もともと蛇を主神としていた縄文の民と、同じく蛇を主体にいろんな動物守護神を集合して「竜」をトーテムとした前期弥生人との融合は容易であった。

 彼らは各地で竜信仰の「国津神」を形成していったのだが、その後より国家統一意識に満ちた、太陽神を信仰する後期弥生人「天孫族=天津神」の到来によって、自然神は急速に衰え、あたらな人格神として再生することになった。「古代神道」の誕生である。

 時代は下がり、チャイナあるいはコリアの地より仏教が伝来する。
 当然守旧神道派(物部氏)と新興仏教派(蘇我氏)の抗争が激くなり、新興仏教派蘇我氏の勝利に終わるのだが、それを契機に起こるであろう大きな抗争と分裂を憂れえた聖徳太子は、神道と仏教に儒教まで包含した「神仏儒集合」を見事に成功させるのだ。

 堺屋太一『日本とはなにか』によると、太子は、「神を幹とし仏教を枝として伸ばし、儒教の礼節を茂らせて現実的反映を達成するという詭弁的論理を編み出し、一を加えて他を否定することはない」と述べ、「神々は敬わなければならない。敬ってなお祟るのが日本である。その祟りを沈めるのが仏である」という至極便宜主義的発言によって民を納得させたと指摘する。

  「和を以て尊しとなす」という思想の根源が、そして我々日本人の精神構造と社会倫理意識の発生は、ここに遡ることが出来る。その後紆余曲折を経て、一見便宜的にも見えながら、今ほど他を許し昨日の敵を今日は友と見る寛容さが求められる時は無いことを考えれば、日本という国の一見矛盾に富んだ有り様が、いかに貴重なものか再認識する時が来るであろう。

 ユダヤ・キリスト・イスラムという一神教が破綻し、エンドレスの血を血で洗う復讐劇、さらに救いのない終末思想が、やり場のない虚無感となってわれわれに迫って来ることに比べ、この一見頼りない宗教観のなんと安らかな思いをもたらすことか。

 安田喜憲『蛇と十字架』は、西洋史観がそして近代科学の枠組みから脱却できず行き詰まりを示している状況を指摘して、世界中で顕在化してきた「文明の衝突」や、行き場のない精神の袋小路の突破口として、「アニミズム・ルネッサンス」を提唱する。

 ただ神道には、一つ決定的な問題点があった。それは「穢(けが)れ意識」という発想である。精神的にも物質的にも汚いもの、汚れたものを徹底して嫌い、そうしたものに遭遇した時には、必ず禊ぎ、祓(はら)い、清めることが不可欠というものである。

 なにしろいまの子どもたちの「いじめ」の深層にも、根強い穢れ意識を見て取れるし、原子力や基地問題から、病気や倒産まで、ある意味穢れに対する差別的な視点の存在が厳存する。またその裏返しとしての清潔意識、行き過ぎた潔癖観念、抗菌グッズの人気などに連綿生き残っている。

 そうした穢れのもっとも顕著な例は「死」であり、古事記を繙(ひもと)けばよくわかる。イザナギが最愛の妻イザナミの死を嘆き悲しみ、黄泉(よみ)の国まで追うのだが、そこで醜く変わり果てたイザナミの姿に恐れおののき、逃げ帰るという逸話に見られるように、「死穢(しえ)」を徹底的に忌み恐れてきた。

 飛鳥・白鳳・天平と続く奈良の時代の、度重なる遷都もそうした恐れが為さしめた行為に他ならない。結局そうした不得意なところを仏教に全て委譲することで万事解決としてしまうのだ。神道にとっておそらく、土葬でなく火葬という行為が、この上ない禊ぎであり、祓い清めであった。

 こうした神道が、果たして宗教かどうかという基本に立ち戻って考察する必要があるだろう。たとえば神道には教典や教義はおろか、本当の意味でのご神体もない。神社に参拝する場合、そこに祀られた神様がどういう神様なのかわからないケースがほとんどである。
 しかも現世でご利益をもたらすと思われる神様を、元の神社から分祀して貰って来たりするから、益々分からなくなる。いうなれば「原理・原則」などもともと存在しない、空気のようなものが、神道における神のなのである。

 そうした神道の性格が、仏教をはじめ儒教だけでなく、道教やヒンドゥー教まで取り込んだ、「日本教」を創り上げることになる。
 まさにご都合主義的な日本教は、敬虔な信者を持つほとんどの国にとって、疑念と不信感を抱かすのだが、案外こうした融通無碍、相手の宗教を認め、敵すらも認め包含する思想が、相互不信に充ち満ちた一神教の行き詰まりを、暖かく溶解させる、新しい宗教観として認知される可能性を期待したい。


注:*マナイズム
 上田篤『神なき国ニッポン』は、マナイズムを「万物の中で超人間的、あるいは超自然的な力を持つものを畏れる「超人間教」「超自然教」、アニミズムは「精霊教」といってよく、万物にはどんなものにでも肉体の他に精霊がある」とみるものである」と定義している。

 

 

2007年06月10日

ハイブリッド文化の精華「漢字とカナ」の融合-3

縄文が日本を救う! (52)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 聴覚と視覚から見た日本語

 角田忠信『日本人の脳』は、聴覚を通じて右脳と左脳というそれぞれ違った脳の働きを探ることで、世界中の人たちとは全く異なった日本人の独特な性情について、興味ある考察を行っている。氏は本来耳鼻科の学究だが、その研究過程で日本人は音の処理を、西欧人を始め、他の民族とは全く異なる音声処理を行っていることに気付く。

 たとえば、虫の声・せせらぎ・潮騒(しおざい)・雨音などを、ほとんどの民族が右脳で雑音として処理するものを、日本人は左脳でそれぞれの音や声として処理しているというのだ。しかもこの能力は、6歳くらいまで日本で過ごした人は、外人であっても取得する反面、日本人でも6歳くらいまで外国で過ごした者には、雑音としか聞き取れないのだという。

 角田は、そうした違いを生むのは、日本人の話す言葉に大きく影響されることを突き止める。日本語は全ての子音の後に必ず母音を伴う言語である。たとえば印欧語族など、子音と母音が明確に分離した言語の場合、子音は左脳、母音は右脳で処理されるところ、日本語では全て左脳で処理されるという。この差が虫の声やせせらぎ・雨音などを聞き分けの差になっていると角田は謂う。

 日本語に多い「擬態語・擬音語」は、自然の音や、音を持たない動作などを独特の音として表現するものだが、たとえば日本人は、西洋音楽は右脳で捉えるものの、それぞれ擬音として表現している琴・三味線・笛の音など邦楽は、すべて左脳で捉えていると指摘している。こうした日本に近い言葉と感性は、わずかにポリネシアの人たちくらいに見られるというのだが、角田はそれを「日本語がもっとも自然に近い発音を持つ言語だからだ」と定義する。

 約3000年前日本の地に、大陸より弥生の民が金属器と水田稲作を携えて渡来した。縄文の民は、彼ら弥生人に支配されたと言われてきたが、ならば我々は外来の言葉を話さなければ為らないはずだ。このことは、ポルトガル・スペインに征服された中南米の民が、ポルトガル・スペインの言葉を話すことを見れば明白である。

 ところが我々の先祖は、古来よりの言語を継続して使い続けてきた。この事実は、逆に弥生の民がいつしか縄文の民に吸収され同化していったことを示している。そして時代に即応して変化を続けながらも、今に至っても他国とは全く異質な、自然に同化した言語を使い続けていることがはっきりしてきた。

 ご存じのように、右脳は感性を左脳は理性を支配すると言われている。そして人は、言葉の中で、必要に応じて右脳と左脳を使い分けているのだという。角田が謂う日本人とそれ以外の民族との差異はかくも大きい。たとえば「日本人は外国語習得を最も不得意とする民族である」と言われている理由も、その原因はここにあったと見ることが出来よう。

 さて、角田の脳へのアプローチは「聴覚」であるが、一方ハイブリッド日本文字へのアプローチは当然「視覚」からということになる。日本文字の内漢字はイメージとして右脳で処理され、かな(カナ)やローマ字や外国語の場合は左脳で処理される。

 もし日本の文字がすべて仮名=かな・カナ、あるいはローマ字になった場合は、一度すべて左脳に送られた後必要な部分は再び右脳に送られてイメージとして認識されることになる。同音異語の多い日本語の場合、何度か脳内で反芻された後ようやく正しい認識となって意味が読み取れることになる。

 この「漢字と仮名」と「仮名かローマ字」という2つのケースの認識スピードを比較だが、かつて東京電気大学とNTTのグループが比較実験によって得た実証によると、この両者の間には大きな差が生じたという結論を出している。その理由として、「漢字は後頭部の視覚野で反応し、かなお(カナ)は話し言葉を聞いて理解する左脳の後言語野で認識される。漢字の場合は音声化段階を省略する分、認識が早く、仮名よりも3倍も早く認識できる」と謂う。

 印欧語族圏の人たちに比べて日本人の読書率が高いことは、こうした理由があるからかもしれない。加えて日本語優位性を挙げるならば、
1. 知能開発機能
(漢字を覚えることで知能が向上する)
2. 識字率向上機能
(仮名から始めて、すこしずつ漢字を覚えることが可能)
3. 少ない発音機能
(同音異語が多すぎる欠点はあれ、覚えやすい長所がある)
4. 造語機能
(明治維新時、無数の二字熟語を創ったように、簡単に新しい言葉を創ることが可能である。


    仮名書き論者・ローマ字論者の泣き所

 かつて、日本でも仮名論者・ローマ字論者が大手を振って横行していた時期があった。果たして彼らは、彼らの主張する仮名書きや、ローマ字書きの手紙の交換などしていたのだろうか。果たして仮名書き・ローマ字書き文章の判読が、現行の(表意+表音という)ハイブリッド文字の3倍程度で収まるだろうか。

 前述柳瀬尚紀『日本語は天才である』は、揶揄を込めて次のような文を載せている。

  <ローマ字>
──korekore,takagagagagagakuwomaunomohohoemasiisi-njanaino
──kore kore,takaga gaga gagakuwomaunomo hohoemasii si-n ja nai no

  <カタカナ>
──コレコレ、タカガガガガガクヲマウノモホホエマシイシーンジャナイノ

  <平仮名> 
──これこれ、たかがががががくをまうのもほほえましいしーんじゃないの

  <漢字+仮名文字>
──これこれ、たかが蛾が雅楽を舞うのも微笑ましいシーンじゃないの

勿論これは極端な例だとしても、漢字をイメージとして捉える日本の文字形態が、いかに判読しやすいかを示している。しかもまず、仮名50音図を習得することで、最低限の読み書きが可能であること、しかも少しずつ漢字を習得することで、高度な認識を深めることさえ出来るようになるのだ。

 たとえば西欧言語圏において、学術用語の多くはラテン語に依存している。これはかつての文明の中心であったローマの言語を共通語にしてきた名残だが、通常の人には取り憑きにくい現象を生んでいる。

 ところが日本語では、意味を漢字で表現するところから、さして知識のない者にでも理解できるし、外来語をそのままの発音で表現できるというメリットもバカに出来ない。たとえば、エイズあるいはHTVでも通用するし、「後天的免疫不全症候群」としても、中学生程度の知識で理解できるのだ。

 

2007年05月15日

ハイブリッド文化の精華「漢字とカナ」の融合-2

縄文が日本を救う! (51)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 日本人の英知は、そうした和風回帰の一環として、漢詩や漢文には順序を示す数字や返り点などを施して、日本流に読み解くという術(すべ)を発明したし、平仮名に併せて片仮名も生み出し、それを連綿現在(いま)に引き継ぐという離れ業さえやってのけるのである。

 かくして漢字・かな(カナ)の併用は、世界に冠たる高識字率を生んだ。このことがいかに素晴らしいことかだが、時代は下がりコリアにおいて李氏朝鮮(1392~1910)では文字(漢字)が知識階層に一部の所有物に固定され、大衆は文字が書けず読めずという「事大主義」状態の打破を願って、李世宗(1418~1450)は学者に命じて「ハングル文字」を作成させた。

 「ハングル文字」自体合成文字として非常に優れたものであったが、漢字との共通性もなかったこともあり、官僚を中心とした知識層の「小中華意識」も手伝って、その普及ははかばかしくなかった。結局漢字との併用による「ハングル文字」の普及を成功させたのは、日韓併合後の日本総統府の教育によってであった。

 それがいまのコリアでは、戦後ナショナリズムの台頭もあって、次第に漢字を廃して「ハングル文字」ばかりになっている。このことから見ても、いずれにも偏らぬハイブリッド文化の創成や継続は、思ったほど簡単なものではない。いまコリアにとって大きな問題は、次第に歴史・古典や古文書の理解が出来ぬ人たちが知識人の間に蔓延しているという事実である。

 漢字の本家チャイナではどうか。かな文字を持たないチャイナでは、識字率の向上を目指して、従来の文字=繁体字を廃して、簡体字という簡易漢字に置き換えてきた。そのためここでもコリアと同じく、古典や歴史を読めぬ人たちを増やし続けているのだ。

 戦後日本は、GHQの意を体した軽薄な御用学者によって、簡略漢字・当用漢字・常用漢字、それに新仮名遣いという愚挙を押しつけられてきた。(それでもコリア・チャイナに比べればまだましかも知れないが)そうした過去の失態を反面教師として、今後古典の学習、使用文字の増加などに取り組むことが重要課題だと知るべきであろう。

 さて、話は戻って太宰府に流された菅原道真は、結局許されぬままこの地で客死する。彼の死後、都では原因不明の疫病が流行して多くの死者を出し、時平までもが病死してしまう。迷信深い当時のことだ。これは道真の祟りであり怨霊のなせる仕業と恐れおののき、学問の宮「天満宮」を造営して彼の霊を鎮めることになった。

 どちらかというと道真に学術的にも人格的にもシンパシーを抱いていたと思われる時平が、彼を陥れた極悪人のように言われてきたのは不幸なことだが、時平が道真の政策を踏襲しながら、「古今和歌集」という絡め手からの官僚統治に成功したとしても、官僚たちへの決め手となったのは、道真への懼(おそ)れであったかもしれない。

 今の世も、官僚の壁を打ち破るためには、飛び切りの妙手と、彼らを恐れおののかす奇手が必要なのかもしれない。

 話を戻そう。文字を持たなかった日本人が漢字と出会って悪戦苦闘した末に、まず生み出したハイブリッド文字のプロタイプが万葉仮名であった。

 万葉集に収録された和歌には、漢字と漢字を仮名として使用した、いわゆる「万葉仮名」と呼ばれるもので、万葉集には「音(おん)仮名と訓(くん)仮名」が入り交じったり、チャイナの文を借用したり、当て字を用いたり、当時の人のウイットを偲ばせる創意に富んだ和歌は、今の我々にとってはまるで「判じ文」と同じくらい難解なものであった。

 柳瀬尚紀『日本語は天才である』は、たとえば、「孤悲?不有国(こひにあらなくに=恋にあらなくに)」など、「門外漢にとっても面白い」というのだが、とにかく難解であったことは間違いない。  (「に」の簡体語は常用漢字に含まれないので表示不能)

 その後仮名として、「四十七文字」プラス「ゐ・ゑ・を」を加えた五十音図が次第に定着していく。こうした仮名は、漢字を元にして表音文字として特化したもので、実際には万葉仮名も正式に仮名という位置づけとして、いまでは書道の世界で平仮名になって、生き残っている。

    ひらがな・カタカナの語源

あ(安)  い(以)  う(宇)  え(衣)  お(於) 
か(加)  き(幾)  く(久)   け(計)  こ(己)
さ(左)  し(之)  す(寸)  せ(世)  そ(曽)
た(太)  ち(知)  つ(州)  て(天)   と(止)
な(奈)  に(仁)   ぬ(奴)  ね(祢)  の(乃)
は(波)  ひ(比)  ふ(不) へ(部)  ほ(保)
ま(末)  み(美)  む(武) め(女)  も(毛)
や(也)  ゐ(為)  ゆ(由)  ゑ(恵) よ(与)
ら(良)  り(利)  る(留)  れ(礼)  ろ(呂)
わ(和) ん(无)

ゐ(為)  ゑ(恵)  を(遠)

    カタカナの語源

ア(阿)  イ(伊)  ウ(宇)  エ(江)  オ(於)
カ(加)  キ(幾)  ク(久)  ケ(介)  コ(己)
サ(散)  シ(之)  ス(須)  セ(世)  ソ(曽)
タ(多)  チ(千)  ツ(州)  テ(天)  ト(止)
ナ(奈)  ニ(仁)  ヌ(奴)  ネ(祢)  ノ(乃)
ハ(八)  ヒ(比)  フ(不)  ヘ(部)  ホ(保)
マ(末)  ミ(三)  ム(牟)  メ(女)  モ(毛)
ヤ(也)  ヰ(井)  ユ(由)  エ(慧)  ヨ(与)
ラ(良)  リ(良)  ル(留)  レ(礼)  ロ(呂)
ワ(和)  ン(无)

ヰ(井) ヱ(衛の簡体語?) ヲ(乎)
 (ヱ(衛の簡体語は常用漢字に含まれないので表示不能)

 

2007年04月02日

ハイブリッド文化の精華「漢字とカナ」の融合

縄文が日本を救う! (50)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

  「日本人は縄文×弥生のハイブリッド民族」だと言ってきた。 ではどのような文化が生まれたのだろうか。その最大の精華こそ「漢字と仮名文字をドッキングさせた日本文字」の創造であった。

 聖徳太子が随の煬帝(ようだい)に送ったという「日出ずる国の天子~」で始まる書簡によって、チャイナ文化・文明への決別宣言以降、和漢折衷型の平城京文化を経て、菅原道真の決断で遣唐使を廃したあと、平安の京の都から見事に和風回帰する。

 万葉集では、チャイナ風の韻律や*平仄(ひょうそく)を捨て去って、五文字と七文字の組み合わせの繰り返しが長々と続く長歌の最後の部分、五・七・五・七という、三一文字だけを抽出した「和歌」という短詩形式を完成させる。その後は鎌倉時代の「わび(侘び)・さび(寂び)」という日本特有の美意識まで創造し、ついには短歌の終わりの七・七の14文字までをも捨て去った、五・七・五の一七文字の発句=俳句にまで凝縮し昇華させてしまうのである。こうした事例は日本の歴史を通じて枚挙にいとまがない。(ちなみに最後の七・七を「挙句(あげく)」という)

 もっとも「漢字とカナ」の融合という世紀の大実験が、なにもすんなりと成功したわけではない。そこには相も変わらぬ頑強で厚い「官僚の壁」があり、「省あって国なし」という悪習が、近年生まれたものでないことを教えてくれるし、それを打破するためには、並々ならぬ努力と知恵が必要だったことも教えてくれる。

 平安の御代になってチャイナから移植した律令が破綻し、平安王朝の財政は危機に瀕していた。そこで時の右大臣菅原道真(845~903)は、寛平六年(894)遣唐大使に任じられ中断していた遣唐使の派遣を検討するが、唐の衰退が進んでいるという情報からそれを諦め、自らの手でそれを解決する必要に迫られることになった。なお、唐の滅亡は907年のことである。

 そこで道真は、地方の土地を地元の豪族に与え、分に応じた租税を徴収する策を採ろうとするが、役得と賄賂(まいない)の減少を嫌う官僚の反対で計画は難航し、その挙げ句讒言による左遷で九州太宰府の地に左遷されることになった。また道真の後を継ぎ、その政策を踏襲した藤原時平(886~909)もまた、同じように官僚の抵抗に遭い、計画は頓挫して一歩も前進しなかったのである。

 いつの世も官僚は、自らの世界を墨守して、新しい文化の風を拒むのが常である。破綻した律令を頑なに守り、自らの知識をひけらかす道具として、漢文からの脱却を頑強に拒むのである。この傾向は、今の時代に到っても、官僚そして学会という閉鎖社会でも顕著である。まさに弥生の悪い面の真骨頂といえるだろう。

 そこで時平は、和歌によって官僚を手なずけるという妙案を実行することになる。まだ漢詩に押されてマイナーな地位に甘んじていた和歌の読み手の多くは、若手の下級官僚であったが、時平は紀貫之を始めとする四名の歌い手に「古今和歌集」の編纂を命じ、醍醐天皇(885~930)の勅選和歌集として世に出たのが延喜五年(905)であった。

 ご存じのように最古の歌集は「万葉集」だが、それは「万葉仮名」と呼ばれ、例えば「仮=仮、名=な」というように、漢字の音を日本読みしたものであった。その後漢字の草書を更に砕いた書体である「かな文字」が出来ていたのだが、それを使って新しい和歌集をというのが時平の作戦であった。

 格式を重んじる官僚も、先祖たちの古い歌を持ち出されては無下には反対出来ず、ついに「かな文字による古今和歌集」が完成、さすがに頑強な官僚の壁も、時平のソフト作戦の前に瓦解することになった。

 かくして「古今和歌集」は、仮名書きが漢字の下層に甘んじることから脱して、飛鳥・白鳳・天平という唐様優位の文化から、平安という和風文化に回帰しただけに止まらず、これを契機に「かな文字」の普及によって、紫式部や清少納言という世界でも稀有な女流文学作家を誕生させ、次第に漢字との併用・合体させるという世界に冠たるハイブリッド日本文化へと昇華させていった画期的なエポックを担うことになったのである。

 注: *平仄 平(ひょう)音と仄(そく)音を、一定の配列で組み合わせる漢詩における韻律作法。

2007年03月12日

食のイノヴェーションとは?

縄文が日本を救う! (49)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 土器の発明は「食のイノヴェーション」を生むことになった。 考古学には、その当時の人が何を食べたか調べる方法として、「糞石=糞化石」を調べる方法が採られている。これを分析すると、当時の人がどんな物を食べていたかががわかるという。

 その結果縄文人は、何十種類の食材を摂取していたらしい。当時としては驚異的な数字である。それまでの食事法は「単体食」であった。せいぜい1つの食材を「炙り焼き・蒸し焼き」するという程度が関の山だったのである。

 縄文の創生期、鹿児島の上野原遺跡では、薫製したと思われる遺構が見つかっているが、それとてまだ単体食であった。土器の発明は、わずかな動物・魚介類の動物性タンパク源に、ドングリなどのデンプン質、山菜・根菜・キノコなどを加えたバランス食である、(今で言う)「鍋物」として食べた、世界で最初の民族だったのである。

 ドングリなどは、土器を使って水晒し・煮沸によるアク抜きなどを
行ったし、堅い食材も、煮ることで柔らかく消化がよくなる。

 また海辺の民は、土器を海水の濃縮に使用したはずだ。あえて補足すれば、日本で多く見つかっている貝塚だが、短い期間に非常に多量の貝殻の集積がある。

 このことは、貝の身はその場所の民が食べただけでなく、おそらく交易品として利用されたのではないか。すなわち貝は、濃縮した塩に加えられ、美味しい調味料である「出汁の素」として彼らの丸木舟で川を遡行し、奥地の民に届けられたのではあるまいか。
食べるのが精一杯だった当時の人たちは、味覚に鈍感だったといわれるが、おそらく縄文の民は、今で言う「グルマン(美食家)」だったに違いない。

 当時はもちろん「物々交換」である。交換した物はドングリ、それを元にした「縄文クッキー」だったり、塩を煮詰める土器だったり、欲しい物は幾らでもあったはずだ。逆に奥地の民は、新鮮な魚介類や海藻など、これまた幾らでも欲しい物があった。

 こうして縄文に発した「鍋物文化」は、連綿今に継続し、我々の食卓を豊かなものにしてくれていることは確かである。

 ご存じ鍋物は、「北高南低」である。ご当地鍋として有名なものも、いきおい北の方が有利である。いささか脱線して紹介すると、

    北海道  北海鍋・石狩鍋(サケ)  
    青森  じゃっぱ汁(タラ・サケ)・せんべい汁
    秋田  きりたんぽ鍋(ハタハタ)・しょっつる鍋   
    福島・茨城  あんこう鍋
    福井  かにすき  
    山梨  ほうとう鍋   
    兵庫(丹波)  ボタン鍋  
    広島  牡蠣土手鍋   
    大阪・山口  てっちり・ふぐちり   
    福岡  水炊き・もつ鍋

      (注:ミスや漏れなどがあればぜひご教示下さい)

 それに全国版として、すき焼き・しゃぶしゃぶ、それに特殊な物では鍋物では、お相撲さんのちゃんこ鍋がある。各地には知られた芋煮があるし、寄せ鍋やおでんも一種の「鍋物」だと言えるだろう。
一部を除いて、魚介類が主役と言うことも、その由緒ある?歴史を物語っているではないか。

 閑話休題。ユーラシア大陸で交易に従事したのは、移動という「足の文化」に長けた、狩猟→遊牧の民であったが、日本においては、主として漁撈を主にして来た沿海に棲む人たちであったろう。

 おそらく彼らは、丸木舟を駆って漁をし、そうした獲物や塩を川を遡って山の民に届けたに違いない。

 ではなぜ日本にこうした土器・鍋物が生まれたのか、次号では別の視点で見てみたい。

2007年02月20日

日本文明の有り様-2

縄文が日本を救う! (48)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 温暖で食料が豊富、しかも恐ろしい捕食者もほとんどいない日本の地は、長い長いサヴァイヴァルの生活を送って来た流浪の民にとって、ようやくたどり着いた楽園であった。

 日本の地には、おそらく数万年前に渡来した先住者もいただろうし、その後ヴユルム氷河期の終わりころ、寒冷期ヤンガードリアス末期の18000年前頃、新モンゴロイドに追われ、アラスカ・樺太方面より、それにコリア半島を経て、チャイナから直接、それに琉球列島を島づたいに北上した南方よりの民という5つルートから、この地に定住を果たしていった。

 先住の民はナウマン象やオオツノジカなどを追って来ただろうが、その後の温暖化は、水位の上昇を招き、日本海を形成して、夏場の豪雨、冬場の豪雪を招き、平原の減少と森林の発達、湖沼地帯の増加から、そうした草食大型動物の絶滅を見ることになる。

 日本列島では縄文時代、人口が東に偏重したと言われているが、水位の上昇で海に飲み込まれた部分や、弥生遺跡の下に隠された部分を推察すれば、また違った答えが出るかもしれない。

 「森と水に恵まれた縄文の民は、早くから定住していた」と書いてきた。では定住の条件と証拠はなにか。

 彼らは1万年以上も前から、「竪穴住居」に居住していた。当時の部落(バンド)の一族は、通常2~30人、多くても50人未満だったから、例えば直径が5m、の深さが50cm~1mの縦穴を、木片や石器で掘るとなると、1ヶ月から2ヶ月も掛かる計算になる。少なくとも1ヶ月以上も掛かけて掘ったものをすぐに捨てて移動することは考えにくい。

 移動しなかったとしたらそれは何故か。当然移動しなくても充分食料が豊富にあったからである。彼らの主食はドングリ・クリ・クルミ・トチなどの堅果であり、副食はキノコ山菜類であり、無数に流れる小川の魚であり、海岸の魚介類であり、たまには山の動物であった。

 漁労や山の猟以外、いわゆる「採集」は婦女子でも出来る。そこで余暇を得た縄文の男たちは、土器の製造を始めることになる。土器を造るための条件は、まず粘土であり、豊富な水分であり、焼き固めるための燃料である。しかも重くて壊れやすい土器は移動生活には適しない。そういう条件に合致した日本だからこそ、世界に先駆けて芸術的にも卓越した土器を造ることが出来たのである。

 ではなぜ土器を造ったのか。土器の最大の利用法はやはり「煮炊き」である。「煮炊き」のための土器を造った縄文人こそ、世界で最初に「食のイノヴェーション」を成し遂げた民族でもあった。

2007年01月20日

日本文明の有り様-1

縄文が日本を救う! (47)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 ユーラシアの西で、移動し続けた西洋文明に反して、チャイナ及びインドという東ユーラシアの文明が、決して移動しなかったことを述べて きた。ではサミエル・ハンティントンが、独立した文明だと定義した日本文明の場合はどうか。

 背面に太平洋という広大な海を持った日本という島国は、文字通り「文化果つる国」であり、「文明の吹き溜まり」という立地にあった。た とえば東西相似の島国と擬したイギリスの場合、日本と同じように背面に大西洋という広大な海を持ちながら、決して同じような歴史を辿るこ とがなかったのは何故か。それはイギリスが、

1. ヨーロッパの国々から侵略も文化の移入もあった距離に位置していたこと
2. イギリス自体、西へ西へという西洋人の移動性向を内蔵しており、むしろ海洋国としてその先端を走る存在だった
3. 民族構成も征服者(アングロ・サクソン)中心で、前住者(ケルト系住民)の抗争も未だに続いている。

という日本とは似ても似つかぬ国柄だったのだが、先人たちが日本を相似の(海洋指向の)国と見誤り、その文化や文明に追随してきたところ に、大いなる錯誤と挫折があったことを見過ごすわけにはいかない。日本という国の有り様は、万一動きたくてもそれを許さぬ国柄であったし 、また決して動こうとしなかった民族でもあった。すなわち日本は、決して海洋国ではなかったのである。(この件「葬送曲“日本非海洋国論”」参照)

 日本を取り巻くのは世界有数の「海の難所」であり、どうにか大陸の文化や文明を取り込むことが出来たが、攻めるには難攻不落の立地にあ ったし、過去世界最大の文明国チャイナは、(元という異端王朝を除き)外に目を向けることがない、すなわち海軍という組織を持ったことの ない国と海を隔てて対峙していたのである。そのため現在に至るまで、先住者である縄文人と唯一の渡来民弥生の民との混交以外に異血を交え なかった稀有の民族だと知るべきである。

 その実縄文人にしろ弥生人にしろ、その詳しい人種的構成や渡来経路、言語的始祖の地など、ナゾに包まれたままである。ここでの詳述は避 けるが、縄文人自体、いつからこの地に住み着いたかも不明で、その後北方から南方から或いは朝鮮半島や直接チャイナからやってきた可能性 もある。

 最近の時代測定技術の進歩によって、12500~12000年前に始まったと言われてきた縄文時代の黎明は実は16000年前まで繰り上がると言われ、 西暦前3~200年前とされてきた弥生時代の始まりも5~400年も遡るのだそうだ。

 日本の地に定着した縄文人そして弥生人たちは、動こうにも行き止まりであったこともあるが、なにしろこの地には猛獣が棲息せず、氷河に 覆われることもなく、山の幸・海(川)の幸に恵まれてまったく動く必要のない別天地、蓬莱の国であり、シャングリラ(地上の楽園)だった のである。この地にあって縄文の民は、世界で最も早く「定住」という生活様式を獲得することになるのだ。

 移動を重ねる民族と、定住を果たした民族では、当然文明の定着度で大きな差が生じる。縄文の民は定住によってどんな文化を、文明を獲得 したのだろうか。 

 (この項つづく)

 

2006年12月20日

移動しなかった東洋文明-2 インド文明

縄文が日本を救う! (46)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 
村上泰亮『文明の多系史観』は、インドの文明が移動しなかった有り様について、「(中国では、三百年を平均の周期として王朝が交代し)インドにおいても、 王朝の存続は短く、興亡は速やかであり、クシャーナ王朝、ムガール王朝、大英帝国はいずれも異民族王朝というふうに、近代国民国家以降の常識から見れば、 甚だしく不安定もかかわらず、文明成立以来二千数百年の歴史を通じて、ほぼ一定の社会組織が維持され、外部からの侵入勢力もいつしか吸収されて、王朝の交 代という表層の波動の下で、文明の原理は不動に保たれてきた」として、

社 会システムの上層に、抽象化された文明の原理に基づく広域的なコントロールのシステム(儒教に基づく文人官僚制と、ヴェーダ聖典を根拠とするカースト制) があり、他方、社会システムの下層には、血縁的性格の強い自治的共同体(中国の宗教・家とインドの村落・大家族)があって、限られた自衛力しか持たなかっ た。  (中略) このように、抽象的な文明の原理を不動の骨格として保持しながら、具体的な生産活動は自治的小単位で実行されるという自由度の高い構造が、外か らの衝撃を吸収し、侵入民族を文明の原理にけっきょく隷属させて、大文明としてのアイデンティティを保持させたと思われる。

と西欧の文明との違いを指摘している。これは西の文明が、移動を常とする遊牧文化に農耕文化が収斂されたのに反して、逆に(チャイナと同じように)インド文明もまた農耕文化が遊牧文化を吸収し消化してきたことを示している。

イ ンドの歴史をみるとき、この国はなぜか外に覇権を求めたという例も、インドの地に発した種族でこの亜大陸を統治して、長らく王朝を維持することの例のあま りに乏しいことをみれば、そこに複雑な人種と言語・文化そして宗教を統括していくことの困難さがわかるというものだ。

インドを制圧してイスラム教王朝とし て君臨した、ムガール帝国(1526~1857)の滅亡の直接の引き金になったのが、東インド会社のインド人傭兵によるセポイの反乱(1857~59)で ある。事の発端は、インド人の(ヒンズー及びイスラムという)信仰を無視して、先込め式小銃の火薬入れに牛と豚の脂が塗ってあるという噂からである。

しかもその背景には、イギリスの経済 的圧政や強引な藩王国の合併策があり、「海を渡る」という行為がタブーだった内陸国インドに、それを無視してインド傭兵に、海を渡って出兵させるという、 無謀なイギリスの施策にあったからだといわれている。その結果インド側のイギリス人無差別殺戮と、イギリス側の報復的虐殺に発展したのである。

4500年~3700年前ころ、青銅 器文明としてインダス河流域で花開いた、世界四大文明の一つインダス文明は、世界で最も早く火焼き煉瓦の製造、ダムや用水路の建設、それに計画的都市づく りがなされたことで知られている。雨の極端に少ない地域では通常日干しレンガである。この乾燥した地でなぜ焼かれた煉瓦が用いられたのか。

この事実は、いま砂漠と荒れ地に覆われたこの地が、当時深い森に恵まれていたことを示している。ここでも「森を開いて文明が興き、森を失って文明が滅んだ」という教訓を残している。

 

2006年11月20日

移動しなかった東洋文明

縄文が日本を救う! (45)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾

 つねに盛衰を繰り返し、その都度移動していった西洋文明は、ついに海を越えて新大陸北・南米に到着、特に北米で花咲いた。しかもそれは、引き続き東から西へと移動して遂に太平洋岸に達し、虎視眈々とアジアを見据えている。

 一方東洋文明の方はどうか。インドにしろ、チャイナにしろ、遂にその文明は決して移動することなく、またヒマラヤ山脈や峻険な高原、それに砂漠といった天然の防壁に阻まれてほとんど交流することなく、お互いに独自の文明を維持し、盛衰を繰り返しながらついには陳腐化してきたのである。

 梅棹忠夫は、チャイナより日本に文明が移動したと述べているが、それはある種特殊なフィルターを通して、必要な文化や文明だけが濾過され、それが日本古来の文化・文明と融合して、特有の日本ハイブリッド文化・文明を生んだものであって、正確にいえば移動にはあたらない。

 ユーラシアの東側、すなわちアジアの中央に位置するチャイナ文明は、北方の騎馬遊牧民族による度重なる侵略と王権の簒奪はあったものの、結局黄河流域と言う農耕地帯に収斂し定着して、この地から一歩たりともよその地に移ることはなかった。したがって、つねに移動を繰り返しながら洗練されていった西洋文明とは違って、チャイナ文明は、決して移動することなく洗練され、そしていつしか陳腐化していったことになる。

 チャイナにおいて、侵入者は常に北方の遊牧民であった。この国のこうしたワンパターンの繰り返しの中で、いつしか牢固として抜きがたい「中華思想」なるものが形成されていくことになった。 定着と過大人口という、ヨーロパとまったく相反する現象は、温暖な気候風土と広大な土地に根付いた農耕文化が基底にあるためだが、この事実が侵入した遊牧の民の異文化を解体し、同化し無力化していくことになった。

 なにしろ痩せて寒い北の僻地からこの地を見れば、いかにも豊かで有り余る文化を持っており、その魅力が、剽悍(ひょうかん)な騎馬の民を骨抜きにするのにさして時を要しなかった。あるいは伝え聞くこの地の豊かさと高度な文明が、常に絶ちがたいあこがれとなって北方の民を引きつけずにはおかなかったというべきかもしれない。

 インドではどうか。この国の最南部を頂点とした逆三角形という地形は、その頂点を境にして東西相異なった気象を生んだ。太平洋に連なるインド洋は、その逆三角形に面して東側がベンガル湾、西側がアラビア海になる。ベンガル湾に面した東・南インドそれにバングラデッシュは、湿潤なモンスーン気候の影響を受けるが、アラビア海に面した西・北インド、それにパキスタンは、概して乾燥した気候に支配されてきた。いわば「湿のガンジス」というコメ圏、それに「乾のインダス」というコムギ圏というのが、この地の2つの大河流域が生んだ対極的文化の有り様である。

 古代文明の1つに挙げられるインダス文明は、4500年~3700年前ころインダス河流域で花開いた青銅器文明で、ハラッパー文化とも呼ばれて世界四大文明の一つとしてクローズアップされた。エジプトの象形文字、チグリス・ユーフラテスのクサビ型文字、チャイナの甲骨文字という、他の3つの文明の文字はすでに解読されているが、インダス文字はいまだに解読されていない。そしてインドの古代文明もまた、森を切り開いて興き、森を失って滅んでいったのである。

 インドへは、西からアーリア民族が侵入して定着していったが、結局彼らもこの灼熱の地で、地元の人たちと混交し融合されて行ってしまうのである。

 そしてまたチャイナでも、西洋が2000年有余の間に失ってきた森を、わずかここ70年ほどの時間で、あらかた失おうとしている。 移動することでそのダイナミズムを保持してきた西洋と、停滞したままでの衰微から、人口的ダイナミズムで対抗しようとしている東洋、その中で独自の文化・文明を継承し発展させてきた日本、果たして21世紀以降、西洋そして東洋に、いかなる将来が待ち受けているのだろうか。

2006年10月20日

西洋文明と東洋文明は相似形か?

縄文が日本を救う! (44)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾

 梅棹忠夫は、植物遷移の仕組みを援用して、有名な『文明の生態史観』を上梓する。それまでは西洋偏重史観に依存せざるを得なかったわれわれにとって、日本文明を西洋文明と同列に置くという、大胆且つ斬新な彼の史観に大きな共鳴を覚えたものである。

 ところが詳しく読み進むと、彼の論旨にほころびが目立つことに気付かされる。氏は──系譜論でなく機能論と断った上ではあるが──ユーラシア大陸を楕円形に見立てて、その中央を「乾燥地帯」とし、その外側の部分、東はチャイナそしてインド、西ではメソポタミアそしてエジプトなどを、本来文明の発祥の地でありながら、(植物遷移(succession)という仕組みを援用して)遷移という作用によって、その文明を東西両端に位置する日本と西ヨーロッパという第一地域=極相「(クライマック)」に譲った第二地域だと位置づける。

いわば「東西文明相似論」なのだが、たとえば氏は日本について、「第二地域に属する中国世界・インド世界などの国ぐににくらべて、地理的にはおなじアジアに属しながら、内容ではいちじるしいちがいをもっている」のだと謂っている  http://joumontn.com/mori&hito/051.html

 サミエル・ハンティントン『文明の衝突』は、明確に日本文明とチャイナの文明を別のものとしているが、梅棹は、一歩数進めて、チャイナより(遷移によって)進化した文明だと定義しているのだ。

 梅棹は古代文明が申し合わせたように乾燥地帯の真只中か、その周辺に成立していることに触れ、乾燥地帯における破壊力の主流である「遊牧民」のあらあらしい生態を次のように描写している。

 こうした乾燥地帯は悪魔の巣だ。乾燥地帯の真ん中にあらわれてくる人間の集団は、どうしてあれほどはげしい破壊力をしめすことができるのだろうか。 (中略) とにかく、むかしから、なんべんでも、ものすごくむちゃくちゃな連中が、この乾燥した地帯のなかからでてきて、文明の世界を嵐のようにふきぬけていった。 (中略)
 そうした暴力もここ(第一地域)までは及ばず、まんまと(第二地域からの)攻撃と破壊をまぬがれた恵まれた土地であり、温室であり箱入りであって、何回かの脱皮をして、今日にいたった「いわゆるオートジェニック(自成的)なサクセッション(遷移)であるのだ。

 確かに他国からの侵略を免れ、欲しい先進文明だけを享受出来た島国日本の文明は、オートジェニック・サクセッションという表現に似つかわしいといえるかもしれないが、西ヨーロッパについては、はたしてオートジェニック・サクセッションだったのだろうか。西洋の歴史をひもとけば、この地は決して温室育ちでも箱入りでもなく、「むちゃくちゃな連中」による攻撃と破壊を受けた同時に、彼らからの文明の享受にもあずかってきたのである。

 梅棹の謂う「むちゃくちゃな連中」が、ペルシャ・トルコ・アラビアなど中東の民族だとして、さらにアッチラ率いるフン族やモンゴル族など、アジアの騎馬民族からも手荒い洗礼を受けている。たとえばローマ帝国はフン族の圧力によって東西に分裂し、結局西ローマ帝国は、玉突き状態で大移動を強いられた東の蛮族ゴート族によって滅ぼされたし、ブリテン島の先住民を征服してこの地に居着いたケルト族(古ゲルマン人)もまた、ローマ軍やアングロサクソンによって圧迫され続けてきた。

 スペインに至っては、長らくイスラム(オスマントルコ)の支配下におかれてきた経緯がある。その後も西ヨーロッパは、十字軍の相次ぐ東征から、百年戦争そして三十年戦争、続いてナポレオンの覇権拡大から第一次世界大戦、ナチズムの台頭と第二次世界大戦というふうに、文明の中心を目指す覇権と覇権のぶっかり合いによって、絶え間なき戦火に明け暮れたのである。

 その辺りを見つめれば見つめるほど、西洋文明は決して梅棹の謂うようなオートジェニック・サクセッションではなく、すでにスタートの段階において、森の神々や農耕の守護神を信じる農耕民と、土地の荒廃化・砂漠化が生んだ、嫉妬深い唯一神を信奉する遊牧民との間に生じた、血を血で洗う抗争・征服・謀反・融和・裏切り・相剋・嫉妬・不信の飽くことを知らぬ繰り返しであり、その過程で生じた森林破壊→洪水→荒地化であり、その結果としての民族と文明の移動という熾烈(ラディカル)な攪乱(サクセッション)の系譜だったのである。

 なにしろ西洋の民は、つい20世紀の半ばまで自国や近隣での争いから場所をはるか東洋にまで移して、勢力拡大のため血みどろの戦争にうつつを抜かしてきたのである。

 

(この項 つづく)

 

2006年09月20日

性善説VS性悪説

縄文が日本を救う! (43)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 「日本の常識 世界の非常識」といわれる。この言葉は日本特有の思考、すなわち日本人の脳天気さ、絶対的な安全(あるいは平和)意識は、決して世界では通用しないのだということを言い表して妙である。

 「人を見たら泥棒と思え」という言葉がある。これはお人好しすぎる日本人に対する、一種の警告語だが、なんでも世界中で「振り込め詐欺」の被害が後を絶たないような無防備で人を信用するような国は皆無だそうで、それだけでも日本の脳天気度は空前絶後といっても、決して言い過ぎではない。

 「日本も危険になった」といいながらも、自販機が路上に並ぶ国など、日本以外にはあり得ないし、あれだけ外国人犯罪者のショベルカーによるATM被害が続発しても、新しい対策法がお目見えしたという話は聞こえてこない。

 昨今話題になっているように、外交官や海上自衛隊員が、チャイナドレスの深いスリットの奥に潜む「ハニー・トラップ」に易々と絡め取られるのも、この国のお人好し度を示している。

 このことを言い換えると、「性善説」の日本に対して、すべての他国は「性悪説」だと言うことになる。ではなぜこうした違いが生まれたか?

 外敵に隔離され、豊かな森に恵まれた環境で生まれた縄文文化は、まず定住であり、採集と漁撈という生活文化の中で、土器に代表される「森に発した匠の技」という手の文化、すなわち「工」という技能を特化させていった。「工」=物づくりにはよりよいものを造り、それを大切にするという文化に通じる。これが日本人の「性善説文化」と直接結びついているのだ。

 一方草原から発した狩猟→遊牧の民は、次第に近隣の採集→農耕の民を隷属させていくが、征服された農民の信じる多くの神々もまた、遊牧民の信じる唯一の神に征服されていった。

 種族の拡大は物資の需要を拡大し、遊牧の民は足の文化を発揮して「商」=通商という技能を特化させ発達させていった。 当初物々交換からスタートした通商には、(良くも悪くも)買い手と売り手の損得勘定が衝突するところから成り立つ。そこから必然的に「性悪説」が生まれることになった。

 旧約聖書を読み解くと、神によって土塊(つちくれ)からつくられた、始原のヒトであるアダムとイヴの時から、すでに神の言いつけに背き、罪としてエデンを追われ、額に汗する労働を科せられるという「原罪」からスタートしていることがわかる。

 その後もノアの箱船や、バベルの塔など、神とヒトの契約は破られ続ける、すなわちヒトは、生まれながら罪を犯すという、「性悪説」がその根底にあるのだ。

 ユダヤ・キリスト・イスラム教という、それぞれ根っこの同じ一神教の国は勿論、世界の殆どの国は、遊牧の民によって支配されてきた。その過程で身につけてきた「保身の術」こそ、「性悪説」に根ざした「まず疑ってかかる」「人を見たら敵と思う」という思想である。またそうしなかったら生き残れなかったのである。

 グローバルな時代、日本的美学がすんなり通用するはずがないと知るべきだが、悲しいことに、また誇るべき事に日本人は、「日本の常識こそ、本物であり、それを非常識と考える世界の人たちの発想こそ非常識だ」と思いこんでいるのだ。

 それ自体本当は正しいことなのだが、残念ながらそれが世界では通用しないことが問題なのである。なにしろ「性悪説」の「商」にさえ、「性善説」に発した倫理観である「商人道」を持ち込むほどの日本人のことだ。小泉内閣の行政改革路線の過程で、行き過ぎた金融界の動向も、遠からず落ち着いてくるだろう。

 グローバリゼーションは避けて通れない命題であり、日本人以外の人たちの考え方を学ぶ必要は不可欠である。だからといって、なにも日本人そのものが「性悪説」に染まる必要はないのだが、相手のことを十分知っていることこそが不可欠なのだ。

 いずれにしろ日本の未来も、「性善説」に発した「工」を中心に進まなければその道は絶対に開けないことを肝に銘ずるべきである。世界の人たちが、どんなことがあっても日本の製品を求める、そんな「工」の極致を極め、磨き続けていることが肝要だと知るべきである。

 間違っても、平気で偽物・まがい物を造って毫(いささか)も恥じない国の意見など、聞くべきではないし、同じ歴史認識を持つことなど、絶対にあり得ないと知るべきである。

2006年08月20日

西洋と東洋との不幸な邂逅

縄文が日本を救う! (42)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 15世紀に入って、ヨーロッパの覇権は、海洋国として覇権を握ったポルトガルそしてスペインの時代となった。地中海貿易では辺境の地であった両国は、あらたにアフリカの喜望峰を回って、直接インド洋貿易に参加する航路の発見によって、ペルシャ湾や紅海からダウ船を操ってこの一帯の権益を独り占めしていた、アラビア商人からマレーシア・インドネシアなど(モルッカ)香料諸島貿易の権益を奪うことになった。

 16世紀に向かっていよいよ大航海時代が始まり、アメリカ大陸の発見など、ようやくグローバルな時代へと突入していった。当時西洋の民がいかにこの地の物産を欲したか。香料諸島とはコショウ(胡椒)に代表されるクローブ(チョウジ=丁子)・ナツメッグ(ニクズク=肉豆蒄)・シナモン(ニッケイ=肉桂)などの香辛料であるが、塩漬けの臭い肉類を美味しくする魔法の食材として垂涎の的であった。とくに胡椒にいたっては、ペストの特効薬として、金よりも高価な価値があったのである。

 また香料諸島は、香辛料にとどまらず木綿・絹製品・砂糖・コーヒー・紅茶など豊かな物産を生み育み、そして交易する東南アジアの多島海であった」と謳い上げる。加えるならば、白檀・伽羅木・栴檀、紫檀・黒檀という香木や銘木、チークやラワン材という有用樹、それにゴム・バナナ・ココナッツオイル・コプラなどの物産は、すべて東南アジアの熱帯雨林という自然が生み育んだ、豊かな植生からの贈り物であった。

 16世紀のポルトガル・スペイン、次いで17世紀にはオランダ・イギリス、少し遅れて19世紀にはいると、フランス、そしてスペインから奪う形でアメリカがフィリッピンにと、この地を貿易の対象としてではなく、植民地として支配することになったのである。

 結局、不幸にもこの東南アジアは、インド・ビルマ・セイロンという南アジアと併せ、タイ(シャム)国を除くすべての国が欧米列強の植民地として、苦難の道を歩くことになった。また東アジアでは、日本だけが、植民地の悲哀を味わうことがなかったが、あおの大国チャイナでさえ、各地を租借地として、切り取り自由の憂き目を味わうことになった。

 黄金の国ジパングとして、西欧列強の垂涎の的であった日本だけが、なぜ彼らの植民地化を免れたのか。それは言うまでもなく信長の時代、植民地化の尖兵として派遣されたカソリックの神父たちの目に、異教徒として空前絶後の高度文明を持ち、しかも信長を初め戦国武将たちの軍事力が、西欧のそれを大きく凌駕していたからに他ならない。しかも日本は、軍事面だけでなく衛生観念が高く、高い識字率を誇っていたからである。

 20世紀に入って、不幸にも欧米連合軍と戦火を交えることになった日本が、開戦直後東南アジアも進攻して、有色人種として初めて(先の日露戦争に続いて)植民地支配者という白人種を見事に打ち破った。絶対的だった白人宗主国の軍隊が、脆くも敗れ去ったという事実が、その後相次ぐ植民地独立のきっかけとなったことは周知の事実である。