「学びて時に之を習う、また愉しからずや」
先日私も受講したセミナーの最終講で、ある受講生が「受講を終わって」と題して発表されるのを聞いた。その中で出てきた言葉がこれである。論語の中の一節である。
「学」は学問する。その内容は、詩(『詩経』・書(『書経』など)の古典を学び、礼(儀式・行事や日常生活での礼儀作法)・楽(音楽)を勉強すること。「習」は繰り返し練習する。復習・練習・習熟の習。「おそわる」ではない。
「学習」ということばは、前の「学」とこの「習」を合わせてできたもの。
意味は、「学問をして(その学んだことを)常に反復練習する。(そうすると理解が深まって身についてくる)なんとうれしいことではないか」というもの。
その方のお話は、
いろいろな講演会やセミナーを受講してたくさんの良いお話を聞く。しかし、聞いただけでは、なるほどと思っても胸にストンと落ちてこない。良い言葉を聞いた後、これは大事と思うと、大きく紙に書き、天井に張り、寝るときいつも見るようにしている。そうするとある時、何かのきっかけで、その言葉が自分の言葉として胸にストンと落ちてくる。そのきっかけは、反復練習の中で生まれる。例えば『聴く』事が大事と学び、それを家庭や職場で練習しようとする。すると人の話をしっかり聴こうとして聴けない、自分が言いたい事はひとまず置いといて人の話を聴くということの難しさ、何とか聴こうと練習をつんでいく中で、ある時、『あぁ 聴くということは、こういうことだったのか』と、ストンと胸に落ちる。この『胸にストンと落ちる』状態になる事が、『また愉しからずや』では、という趣旨だった。
ただ知識として知っている事は多い。しかし、本当に自分のものになっているかと言えば、自分のものになっているものは少ない。学んだことを反復練習する中で、少しはましな人間になっていけるのではと、その方のお話を聞いていて思った。その方は私学の高校を経営されているが、本当に謙虚で真面目な人柄で、生徒さん達もきっとその理事長さんの人柄に習う人に育つに違いないと確信させられた。