16世紀に向かっていよいよ大航海時代が始まり、アメリカ大陸の発見など、ようやくグローバルな時代へと突入していった。当時西洋の民がいかにこの地の物産を欲したか。香料諸島とはコショウ(胡椒)に代表されるクローブ(チョウジ=丁子)・ナツメッグ(ニクズク=肉豆蒄)・シナモン(ニッケイ=肉桂)などの香辛料であるが、塩漬けの臭い肉類を美味しくする魔法の食材として垂涎の的であった。とくに胡椒にいたっては、ペストの特効薬として、金よりも高価な価値があったのである。
また香料諸島は、香辛料にとどまらず木綿・絹製品・砂糖・コーヒー・紅茶など豊かな物産を生み育み、そして交易する東南アジアの多島海であった」と謳い上げる。加えるならば、白檀・伽羅木・栴檀、紫檀・黒檀という香木や銘木、チークやラワン材という有用樹、それにゴム・バナナ・ココナッツオイル・コプラなどの物産は、すべて東南アジアの熱帯雨林という自然が生み育んだ、豊かな植生からの贈り物であった。
16世紀のポルトガル・スペイン、次いで17世紀にはオランダ・イギリス、少し遅れて19世紀にはいると、フランス、そしてスペインから奪う形でアメリカがフィリッピンにと、この地を貿易の対象としてではなく、植民地として支配することになったのである。
結局、不幸にもこの東南アジアは、インド・ビルマ・セイロンという南アジアと併せ、タイ(シャム)国を除くすべての国が欧米列強の植民地として、苦難の道を歩くことになった。また東アジアでは、日本だけが、植民地の悲哀を味わうことがなかったが、あおの大国チャイナでさえ、各地を租借地として、切り取り自由の憂き目を味わうことになった。
黄金の国ジパングとして、西欧列強の垂涎の的であった日本だけが、なぜ彼らの植民地化を免れたのか。それは言うまでもなく信長の時代、植民地化の尖兵として派遣されたカソリックの神父たちの目に、異教徒として空前絶後の高度文明を持ち、しかも信長を初め戦国武将たちの軍事力が、西欧のそれを大きく凌駕していたからに他ならない。しかも日本は、軍事面だけでなく衛生観念が高く、高い識字率を誇っていたからである。
20世紀に入って、不幸にも欧米連合軍と戦火を交えることになった日本が、開戦直後東南アジアも進攻して、有色人種として初めて(先の日露戦争に続いて)植民地支配者という白人種を見事に打ち破った。絶対的だった白人宗主国の軍隊が、脆くも敗れ去ったという事実が、その後相次ぐ植民地独立のきっかけとなったことは周知の事実である。