西洋文明と東洋文明は相似形か?
縄文が日本を救う! (44)
梅棹忠夫は、植物遷移の仕組みを援用して、有名な『文明の生態史観』を上梓する。それまでは西洋偏重史観に依存せざるを得なかったわれわれにとって、日本文明を西洋文明と同列に置くという、大胆且つ斬新な彼の史観に大きな共鳴を覚えたものである。
ところが詳しく読み進むと、彼の論旨にほころびが目立つことに気付かされる。氏は──系譜論でなく機能論と断った上ではあるが──ユーラシア大陸を楕円形に見立てて、その中央を「乾燥地帯」とし、その外側の部分、東はチャイナそしてインド、西ではメソポタミアそしてエジプトなどを、本来文明の発祥の地でありながら、(植物遷移(succession)という仕組みを援用して)遷移という作用によって、その文明を東西両端に位置する日本と西ヨーロッパという第一地域=極相「(クライマック)」に譲った第二地域だと位置づける。
いわば「東西文明相似論」なのだが、たとえば氏は日本について、「第二地域に属する中国世界・インド世界などの国ぐににくらべて、地理的にはおなじアジアに属しながら、内容ではいちじるしいちがいをもっている」のだと謂っている http://joumontn.com/mori&hito/051.html
サミエル・ハンティントン『文明の衝突』は、明確に日本文明とチャイナの文明を別のものとしているが、梅棹は、一歩数進めて、チャイナより(遷移によって)進化した文明だと定義しているのだ。
梅棹は古代文明が申し合わせたように乾燥地帯の真只中か、その周辺に成立していることに触れ、乾燥地帯における破壊力の主流である「遊牧民」のあらあらしい生態を次のように描写している。
こうした乾燥地帯は悪魔の巣だ。乾燥地帯の真ん中にあらわれてくる人間の集団は、どうしてあれほどはげしい破壊力をしめすことができるのだろうか。 (中略) とにかく、むかしから、なんべんでも、ものすごくむちゃくちゃな連中が、この乾燥した地帯のなかからでてきて、文明の世界を嵐のようにふきぬけていった。 (中略)
そうした暴力もここ(第一地域)までは及ばず、まんまと(第二地域からの)攻撃と破壊をまぬがれた恵まれた土地であり、温室であり箱入りであって、何回かの脱皮をして、今日にいたった「いわゆるオートジェニック(自成的)なサクセッション(遷移)であるのだ。
確かに他国からの侵略を免れ、欲しい先進文明だけを享受出来た島国日本の文明は、オートジェニック・サクセッションという表現に似つかわしいといえるかもしれないが、西ヨーロッパについては、はたしてオートジェニック・サクセッションだったのだろうか。西洋の歴史をひもとけば、この地は決して温室育ちでも箱入りでもなく、「むちゃくちゃな連中」による攻撃と破壊を受けた同時に、彼らからの文明の享受にもあずかってきたのである。
梅棹の謂う「むちゃくちゃな連中」が、ペルシャ・トルコ・アラビアなど中東の民族だとして、さらにアッチラ率いるフン族やモンゴル族など、アジアの騎馬民族からも手荒い洗礼を受けている。たとえばローマ帝国はフン族の圧力によって東西に分裂し、結局西ローマ帝国は、玉突き状態で大移動を強いられた東の蛮族ゴート族によって滅ぼされたし、ブリテン島の先住民を征服してこの地に居着いたケルト族(古ゲルマン人)もまた、ローマ軍やアングロサクソンによって圧迫され続けてきた。
スペインに至っては、長らくイスラム(オスマントルコ)の支配下におかれてきた経緯がある。その後も西ヨーロッパは、十字軍の相次ぐ東征から、百年戦争そして三十年戦争、続いてナポレオンの覇権拡大から第一次世界大戦、ナチズムの台頭と第二次世界大戦というふうに、文明の中心を目指す覇権と覇権のぶっかり合いによって、絶え間なき戦火に明け暮れたのである。
その辺りを見つめれば見つめるほど、西洋文明は決して梅棹の謂うようなオートジェニック・サクセッションではなく、すでにスタートの段階において、森の神々や農耕の守護神を信じる農耕民と、土地の荒廃化・砂漠化が生んだ、嫉妬深い唯一神を信奉する遊牧民との間に生じた、血を血で洗う抗争・征服・謀反・融和・裏切り・相剋・嫉妬・不信の飽くことを知らぬ繰り返しであり、その過程で生じた森林破壊→洪水→荒地化であり、その結果としての民族と文明の移動という熾烈(ラディカル)な攪乱(サクセッション)の系譜だったのである。
なにしろ西洋の民は、つい20世紀の半ばまで自国や近隣での争いから場所をはるか東洋にまで移して、勢力拡大のため血みどろの戦争にうつつを抜かしてきたのである。
(この項 つづく)