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2006年10月 アーカイブ

2006年10月20日

西洋文明と東洋文明は相似形か?

縄文が日本を救う! (44)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾

 梅棹忠夫は、植物遷移の仕組みを援用して、有名な『文明の生態史観』を上梓する。それまでは西洋偏重史観に依存せざるを得なかったわれわれにとって、日本文明を西洋文明と同列に置くという、大胆且つ斬新な彼の史観に大きな共鳴を覚えたものである。

 ところが詳しく読み進むと、彼の論旨にほころびが目立つことに気付かされる。氏は──系譜論でなく機能論と断った上ではあるが──ユーラシア大陸を楕円形に見立てて、その中央を「乾燥地帯」とし、その外側の部分、東はチャイナそしてインド、西ではメソポタミアそしてエジプトなどを、本来文明の発祥の地でありながら、(植物遷移(succession)という仕組みを援用して)遷移という作用によって、その文明を東西両端に位置する日本と西ヨーロッパという第一地域=極相「(クライマック)」に譲った第二地域だと位置づける。

いわば「東西文明相似論」なのだが、たとえば氏は日本について、「第二地域に属する中国世界・インド世界などの国ぐににくらべて、地理的にはおなじアジアに属しながら、内容ではいちじるしいちがいをもっている」のだと謂っている  http://joumontn.com/mori&hito/051.html

 サミエル・ハンティントン『文明の衝突』は、明確に日本文明とチャイナの文明を別のものとしているが、梅棹は、一歩数進めて、チャイナより(遷移によって)進化した文明だと定義しているのだ。

 梅棹は古代文明が申し合わせたように乾燥地帯の真只中か、その周辺に成立していることに触れ、乾燥地帯における破壊力の主流である「遊牧民」のあらあらしい生態を次のように描写している。

 こうした乾燥地帯は悪魔の巣だ。乾燥地帯の真ん中にあらわれてくる人間の集団は、どうしてあれほどはげしい破壊力をしめすことができるのだろうか。 (中略) とにかく、むかしから、なんべんでも、ものすごくむちゃくちゃな連中が、この乾燥した地帯のなかからでてきて、文明の世界を嵐のようにふきぬけていった。 (中略)
 そうした暴力もここ(第一地域)までは及ばず、まんまと(第二地域からの)攻撃と破壊をまぬがれた恵まれた土地であり、温室であり箱入りであって、何回かの脱皮をして、今日にいたった「いわゆるオートジェニック(自成的)なサクセッション(遷移)であるのだ。

 確かに他国からの侵略を免れ、欲しい先進文明だけを享受出来た島国日本の文明は、オートジェニック・サクセッションという表現に似つかわしいといえるかもしれないが、西ヨーロッパについては、はたしてオートジェニック・サクセッションだったのだろうか。西洋の歴史をひもとけば、この地は決して温室育ちでも箱入りでもなく、「むちゃくちゃな連中」による攻撃と破壊を受けた同時に、彼らからの文明の享受にもあずかってきたのである。

 梅棹の謂う「むちゃくちゃな連中」が、ペルシャ・トルコ・アラビアなど中東の民族だとして、さらにアッチラ率いるフン族やモンゴル族など、アジアの騎馬民族からも手荒い洗礼を受けている。たとえばローマ帝国はフン族の圧力によって東西に分裂し、結局西ローマ帝国は、玉突き状態で大移動を強いられた東の蛮族ゴート族によって滅ぼされたし、ブリテン島の先住民を征服してこの地に居着いたケルト族(古ゲルマン人)もまた、ローマ軍やアングロサクソンによって圧迫され続けてきた。

 スペインに至っては、長らくイスラム(オスマントルコ)の支配下におかれてきた経緯がある。その後も西ヨーロッパは、十字軍の相次ぐ東征から、百年戦争そして三十年戦争、続いてナポレオンの覇権拡大から第一次世界大戦、ナチズムの台頭と第二次世界大戦というふうに、文明の中心を目指す覇権と覇権のぶっかり合いによって、絶え間なき戦火に明け暮れたのである。

 その辺りを見つめれば見つめるほど、西洋文明は決して梅棹の謂うようなオートジェニック・サクセッションではなく、すでにスタートの段階において、森の神々や農耕の守護神を信じる農耕民と、土地の荒廃化・砂漠化が生んだ、嫉妬深い唯一神を信奉する遊牧民との間に生じた、血を血で洗う抗争・征服・謀反・融和・裏切り・相剋・嫉妬・不信の飽くことを知らぬ繰り返しであり、その過程で生じた森林破壊→洪水→荒地化であり、その結果としての民族と文明の移動という熾烈(ラディカル)な攪乱(サクセッション)の系譜だったのである。

 なにしろ西洋の民は、つい20世紀の半ばまで自国や近隣での争いから場所をはるか東洋にまで移して、勢力拡大のため血みどろの戦争にうつつを抜かしてきたのである。

 

(この項 つづく)

 

博士の愛した数式

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾

小川 洋子 著  新潮社  定価1575円(税込) 

 不眠症なので、夜小説を読み出すと益々眠れなくなるし、日中だったらやりたいことが出来なくなってしまう、というごく単純な理由で、長い間意識的に小説を読まないようにしてきた。したがって書評すら心許ない有様である。

 じつは2004年9月本欄に、CW・ニコルの「勇魚」と併せてこの『博士の愛した数式』の短評を書いた経緯がある。ここ最近所用にかまけてほとんど読書から遠のいていたため、何を書こうかと悩んでいた矢先、本書が寺尾聡主演で映画化されることになり、そうしたタイムリーさだけを頼りに、苦し紛れに一部再録でお茶を濁すことにした。

 なにしろ著者小川洋子が芥川賞作家だったなども知らなかったくらいだが、本書は「本屋が一番呼んで欲しい本」のトップになっているベストセラーなのだが、なにしろ数学といえば学生時代、嫌いだったという人が多い。塾長も大嫌いな学科で、あまりいい思い出はない。その数学・数式をテーマなのだからすごいことである。

 (以下多少手直しして再録) 「本書は、まるでノンフィクションを思わす、淡々としたタッチで3人の交流について語っている。(実は相思相愛であった)義姉の庇護のもとで、ひとり別館で暮らしている老学者はルートや私(その母)に、なんでもないような数字に息を吹き込み、数そして数式の持つ美しさ神秘さを限りなく優美に且つたのしく語り、二人を否応なく数字の持つ数式の持つ不思議な魅力の世界にいざなう。もし塾長も、こんな数学教師に出会っていたら、数学好きになっただろう」

 主人公は、17年前の交通事故の影響で、事故以後の記憶は80分(1時間20分)しか継続しないという天才的数学者の家に雇われた、(主人公に<√=ルート>)と名付けられた)子供連れの家政婦が数少ない登場人物という、きわめてユニークな設定だが、ルートの母の前に9名の家政婦が辞めさせられている前歴がある。

 記憶を繋ぎ合わせるために袖口に記憶用のメモを止め付けている一種偏狭的な博士だが、彼女に10歳の子供があることを知った博士から、小さな子供を一人にしてはいけないから連れてくるように言われ、子供連れの奇妙な勤務になるのだが、博士はこの子供を『ルート』と呼んで深い愛情を傾ける。

 こうして数学や数式を中心にした、博士と家政婦親子の奇妙な生活が始まる。博士にかかるとすべて数字あり数式であり、いつしか家政婦もルートも博士の純粋な数学に対する愛情に引き込まれていく。

 博士によると、数字・数式こそ絶対の美であり、真理であり、世界であり、宇宙である。森羅万象が数字・数式によって語られることが当然のように思えてくる。実際文中に、いくつも数式や素数とか実数・虚数などの数学用語が氾濫するのだが、それさえ美しく思えるから不思議である。

 さて映画で寺尾聡演ずる博士は、どこまで原作の博士に迫れるのだろうか。

てのひらの迷路

石田衣良 著  講談社 発行

 短編小説よりももっと短い掌編小説を集めた本だから「てのひらの迷路」。24篇の作品に、作品執筆の経緯を綴った作者のコメントが添えられています。なんだか作家と一緒にカフェでテーブルをはさんで、親密な話を聞いているような感じがグッドです。

(哉)

気くばりのツボ

 山﨑拓巳 著  サンクチュアリ出版 発行

 自分を変え、人に好かれるコツが、ドドーンと公開されちゃってます。会話がかみ合わない人、必読。 おれ、こんなにイイ人なのに、どうしてわかってもらえないの、と唇をかんでいるあなたにおススメします。なんであの子ばかりモテるのとグチ言ってる人は、本書を読んだら納得します。あの子はこの本に書いてあるようなことがさりげなーくできちゃってるわけですよ。

(哉)

BEAMS発行の雑誌――

表(?)から開けば男性向け、180度回転させて裏側(?)から開けば女性向け。アート感覚なイラストと写真満載の情報誌。ビームスにて\200で販売。今号の特集は、BACK TO THE 1973年。約30年前をファッション写真で構成。

(哉)

ゆれる 

【監督】西川美和
【主演】オダギリ・ジョー  香川 照之 

 兄弟とひとりの女性。女性は兄弟の前で命を落としてしまう。殺人事件なのか事故なのか確信は得ることはできない。最後の場面も、もしかしたら弟の思い込みかもしれないのだ。しかしこの映画は謎解きのミステリーではない。離れたくても離れられない、でも一方で繋がっていたいのに手を伸ばしても届かない兄と弟の心の物語である。
 映画には二人の父親と叔父というもう一組の兄弟も登場する。二組の兄弟は距離を離したり縮めたりしながら闘い続けている。家族のことは誰よりも分っていると思いたいが、完全な理解は難しい。しかし闘ってばかりかもしれないけれど、それでも家族はやはり特別な存在だ。兄弟を親身に心配する従業員が登場する。その言動は心温まるものであるのに、それに反発を見せる弟の姿に較べて薄く見えてしまうのは彼が家族ではないからだ。この兄弟は父親たちのようにこれからも衝突と抱擁を繰り返すことだろう。その時間すべてを、かけがえのないいとおしいものとして心の底に蓄積しながら。

(nao)

[不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―4

 夏も終わり、秋の空気に変わって行く・・・

 そろそろメニューから消える前に食べなくては・・・

 完全に終わる前に、

 冷たい麺を食べなくては!!

 

 11時20分、少し早いが店が開いたので入る。

 先ずは東観音の川沿いにある博多ラーメンの店。
 ここはオーソドックスな豚骨ラーメンと福岡風チャンポンが美味い店だが、

 今日はあえて、冷たい麺を食べる。

 広島ではお馴染みの漬け麺だ。

 辛くて酸っぱいタレにたっぷりのキャベツと冷たい麺が食欲をそそる。
 漬け麺専門店は多いが、この店の焼又と麺が好きなんであえて

「福岡ラーメンの店の広島風漬け麺」を始めにしてみた。

 辛過ぎなく味もあり旨かった。

 店を出て急ぎ市内中心を目指す、目的地は中区立町だ。

 ここは美味いスープをタレで割る温漬け麺も美味いし大好きだが(最後にライスを加え、だし茶漬け風がうまい)、

あえてぶっかけ冷麺にした。


 あっさりだがやはり旨い、

 ぶっかけうどんというよりやはり冷麺ぽいが酸っぱ過ぎないのが好みです。

 ここの麺好きだわ、大盛りにすればよかった。

 店を出て、一仕事を終え観音本町へ向かう。

 二号線を少しそれたところで中華そば屋を発見、韓国風冷麺の貼紙を見つけ、おもわず入る。


 ステンレスボールみたいな食器にテンコ盛りの冷麺とモヤシを中心とした野菜の迫力にワクワクする。
 個人的に韓国冷麺の独特の歯ごたえって好きなんで量が多いとほんと嬉しい。
 なかに入っるゆで卵がおでんの煮卵だったのもなんか楽しかった。

 満足して会社に戻る。

 もうついでなんで(笑)

舟入本町川沿いのラーメン屋に入り、野菜たっぷり冷麺を頼む。


 醤油とゴマの二種類からタレを選べるのだが珍しいのとサラダ感覚でゴマタレにした。
 旨いけど四杯めはさすがにキツイ。

 ・・・今度改めて醤油にチャレンジしようと思う。


 膨らんだ腹をさすり家に向かうがなんか名残惜しい。

 家に帰ったら素麺で締めようかな?