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2006年11月 アーカイブ

2006年11月20日

今月の言葉(11月)

「世界は一冊の本」


 ひとむかし前は『灯火親しむ候』といった。読書に快適な季節から『読書の秋』ともいった。活字ばなれした現在の若者には、その実感がないだろう。まんが、アニメ、映像文化の氾濫をはじめ世の中は、パソコン、インターネットなど、いわゆる『IT時代』。書物ページを操るとかページを切る、といった言葉は死語に近い。いまや『検索』の時代である。しかし、人間形成には、小さい時からの読書がいかに大切か、が論議されている。
  美智子皇后陛下が「子供らの可能性を信じて」と題し、児童書評議会でスピーチされたのは、平成十四年十月二十九日(スイス・バーゼル)だった。美智子皇后様は、「国際児童図書評議会」(IBBY)創立五十周年記念大会の名誉総裁でもあったが、ご自身の少女時代の読書の思い出から読書により多くの恩恵を受けられたことを英語でスピーチされた。世界の人たちも感銘したものだ。
 いまだに、当時新聞に掲載されたスピーチの全文を保存している。
 冒頭の『世界は一冊の本』は、詩人、長田弘の有名な詩である。
 本を読もう/もっと本を読もう/もっともっと本を読もう/書かれた文字だけが本ではない/日の光り、星の瞬き、鳥の声/川の音だって、本なのだ(中略)
 本でないものはない/世界というのは開かれた本で/その本は見えない言葉で書かれている(後略)
 三行ずつに十五行に書かれている。
 詩の解釈をするまでもあるまい。
 読書は人によってさまざまである。扇屋正蔵さんの「聞き上手・話し上手」(講談社現代新)を読んでいたら、経団連会長、当時の土光敏夫さんの読書法があった。
 「私は一日に何冊かの本や雑誌に目を通す。その中の一行でもピンとくるものがあればそれをむしりとる。私の読書法はむしり読み」
 といった内容だった。
 私は思う。読書は人生の学校。先人たちは言った。
 「読書百遍意自ずから通ずる」
 ― 我思う。ゆえに我あり ― (デカルト)
 皆さん! 灯火親しむ季節です。

(風彦)

雑感(11月)

代表取締役 田河内秀子

  この一ヶ月余り、あまり歩いていない。そのせいか膝を屈伸すると痛む。昔からの友人が今年の四月に退職し、その後、運動不足解消の為にも毎週山に登っていると言う。先週などは鳥取県の大山に登り紅葉がきれいだったとの事、その健脚ぶりもゆとりある生活もうらやましい限りだ。
 何とか時間を作り、自然に触れたいのだが、なかなかそのような時間が作れない。最近「ロハス」という言葉をよく聞く。何だろうと思って、インターネットで検索してみた。
 ロハスというのは、英語のLifestyles Of Health And Sustainabilityの頭文字を並べた略語(LOHAS)で、日本語に訳すと「環境と健康に配慮したライフスタイル」だそうだ。昔はエコロジー、つい最近でもスローライフという言葉があるが、それらとどう違うかというと、「エコロジー」や「スローライフ」は、住まいや家族を含めた大掛かりな生活の改革が必要で、なかなか敷居が高くて実践がむずかしいのに比べ、「ロハス」は今の暮らしを続けつつ、その暮らしの中で環境や健康にいいと思えることを取り入れるライフスタイルのことを言うのだそうだ。
 あまり無理をせず、自分の住環境や仕事の環境はそのままで、やれる範囲で自分流の楽しみ方を足していく。例えばご飯を炊くとき玄米を少し足すとか、車で移動するところを休みの日は電車を使うとか、そんなちょっとした事が「ロハス」というのだそうだ。
 振り返れば、自分の日常でもやっていることが多いが、それに「ロハス」と名前がつくと、意識的にもっと出来る事もあるのではと思う。
 山にはなかなか登れないが、ロハス的に電車を利用し、道々街路樹で秋を感じることにしようか?  さて、あなたのロハス度は? 次の項目のイエスの数が多いほど、「ロハス」的といえるのだそうですよ。

□持続可能な地球環境を支持する。
□生活は出来るだけシンプルでいたい。
□大切なのは人間関係だ。
□仕事よりも大切なものがある。
□女性の社会進出は当然だ。
□けっこうお人よしなところがある。
□小さくても自分の目標を持っている。
□占いや神秘的なことにひかれる。
□自分っていったい何? と考えることがある。
□金銭的・物質的な豊かさを志向しない。
□自分で物事を決めるタイプだ。
□外見だけでなく、内面を磨く努力をしている。
□政治に諦めを感じていない。
□自分の時間を犠牲にしない。
□代替え医療に関心がある。

(ソトコト・ドット・ネットより)

Q:グループホームと小規模多機能型居宅介護どう違うの?

A:地域密着型小規模多機能型居宅介護という介護サービスが、4月から新しく始まりました。以前からあるグループホーム(認知症対応型共同生活介護)は、認知症のある方5~9人が1単位で、一つ屋根の下に住み、家庭的な環境の下で日常生活の世話や機能訓練を受け、その能力に応じて出来るだけ自立した生活を送るというものです。職員はお年より3人に対して一人以上、夜も一人以上の従事者を置きます。又、職員のうち一人以上は介護支援専門員で、介護計画を作成しなければいけないことになっています。(他の施設と併設になっていたり、2単位で運営している場合は、兼務の場合もありますが)
 新しく始まった「小規模多機能型」というのは、認知症か否かは関係なく、介護を必要とするお年寄や家族の要望に応じて、通う(日中のデイサービス)、泊まる(一時的な宿泊)、訪問を受ける(緊急時や夜間の訪問介護)、住む(居住する)といったサービスを切れ目なく一体的に提供するサービスの形態です。他の単独の介護サービス(訪問介護やデイサービス等)を利用する場合との違いは、顔なじみの人からいろいろなサービスを受けることができ、心身の状態の変化や、中長期にわたる過程を把握してもらえる事。緊急事態にも対応がしてもらえるのではないかと期待がもてる事です。
 できるなら在宅生活をしたいのに、介護度が段々重くなると、どうしても施設に入所を考えてしまうのは、365日・24時間安心して暮らしていけないからです。
 今後この「小規模多機能の介護サービスの拠点」があちらこちらに出来て、その機能を充分に発揮して欲しいものだと思います。

身近な野鳥「アメリカヒドリの初飛来」

野鳥観察の楽しみ(五十二)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫

 

  

▲ 写真はアメリカヒドリ雄('06.10.17,大沢田池)〔Nikon D100, Nikkor ED600mm×1.4, F/5.6S,1/125秒-f/5.6,〕

  アメリカヒドリがいる! 鴨の飛来を今か今かと待ちわびていて、やっとその日が来た。上機嫌でヒドリガモをカウントしていて、突然彼を発見した。しかし、なかなか頭を上げてくれない。移動で大変疲れている様子だ。

 アメリカヒドリは北アメリカ大陸北部で繁殖し、南部~中央アメリカに渡って越冬する。日本はコースから外れていて稀に飛来する程度、大沢田池では観察されたことがなかった。しかし、今年1月三永水源地で1羽確認されている。

 アメリカヒドリの雄は前額から頭央にかけて灰白色、眼の周囲から後頭部と後頚にかけて金属光沢のある濃緑色。一方、ヒドリガモの雄の前額から頭央にかけては黄色。顔や頭、頚が赤茶色なので容易に識別できる。雌はヒドリガモの雌に似ている。

 このアメリカヒドリはいつも遠くのヒドリガモたちに混じっていて、なかなか近くに来てくれない。用心深いのであろうか。しかし、10月16日飛来以降居ついているようだ。ここで越冬してくれると嬉しいのだが。

(2006年10月29日記)

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― 人生は50歳から (9)―

ひろしま女性学研究所
代表 高雄きくえ

 最初に年齢が50代になると人生の仕切り直しをしたくなる時期だと書いたが、わたしの実感もあながち当たってないわけではないことが、ちらほらと聞こえてくる。
 ある人は、これまでの散乱した知識や思考を論文というものにまとめたいと改めて大学院に行くひと、高齢社会の中でふと今までのパートナーと一緒でいいのだろうかと熟年離婚を実行する人、DV夫にようやく三行半を突きつけ自分の人生を歩こうとする人、女友だちが集えるようなスペース作りをする人…。
 11月2日からぎゃらりぃ茶房fの展示は、坂本雅美さんによる「わたしが出会った『小さなチュニジア』展-シニアボランティア2年間の日々」。坂本さんは2003~2005までJICA海外シニアボランティアとして、北アフリカ・チュニジアに手芸講師として赴任され、帰国後はチュニジア出会ったイスラム文化を研究するために、大学院で勉強しています。
 やりたいときがやりどき。お金も時間も欲望もコントロール可能な50代はまさに華齢時代です。そんな空気もかもし出すぎゃらりぃに是非おいでください。
 11月11日(土)15時から、簡単なチュニジア料理とトークの時間を設けております。
 

お問合せ先

ぎゃらりー茶房f・広島女性学研究所

広島市中区白島北町16-25

TEL 082-211-0266

Email kazokusha@enjoy.ne.jp

広島女性学研究所
http://www.enjoy.ne.jp/~kazokusha/

 

移動しなかった東洋文明

縄文が日本を救う! (45)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾

 つねに盛衰を繰り返し、その都度移動していった西洋文明は、ついに海を越えて新大陸北・南米に到着、特に北米で花咲いた。しかもそれは、引き続き東から西へと移動して遂に太平洋岸に達し、虎視眈々とアジアを見据えている。

 一方東洋文明の方はどうか。インドにしろ、チャイナにしろ、遂にその文明は決して移動することなく、またヒマラヤ山脈や峻険な高原、それに砂漠といった天然の防壁に阻まれてほとんど交流することなく、お互いに独自の文明を維持し、盛衰を繰り返しながらついには陳腐化してきたのである。

 梅棹忠夫は、チャイナより日本に文明が移動したと述べているが、それはある種特殊なフィルターを通して、必要な文化や文明だけが濾過され、それが日本古来の文化・文明と融合して、特有の日本ハイブリッド文化・文明を生んだものであって、正確にいえば移動にはあたらない。

 ユーラシアの東側、すなわちアジアの中央に位置するチャイナ文明は、北方の騎馬遊牧民族による度重なる侵略と王権の簒奪はあったものの、結局黄河流域と言う農耕地帯に収斂し定着して、この地から一歩たりともよその地に移ることはなかった。したがって、つねに移動を繰り返しながら洗練されていった西洋文明とは違って、チャイナ文明は、決して移動することなく洗練され、そしていつしか陳腐化していったことになる。

 チャイナにおいて、侵入者は常に北方の遊牧民であった。この国のこうしたワンパターンの繰り返しの中で、いつしか牢固として抜きがたい「中華思想」なるものが形成されていくことになった。 定着と過大人口という、ヨーロパとまったく相反する現象は、温暖な気候風土と広大な土地に根付いた農耕文化が基底にあるためだが、この事実が侵入した遊牧の民の異文化を解体し、同化し無力化していくことになった。

 なにしろ痩せて寒い北の僻地からこの地を見れば、いかにも豊かで有り余る文化を持っており、その魅力が、剽悍(ひょうかん)な騎馬の民を骨抜きにするのにさして時を要しなかった。あるいは伝え聞くこの地の豊かさと高度な文明が、常に絶ちがたいあこがれとなって北方の民を引きつけずにはおかなかったというべきかもしれない。

 インドではどうか。この国の最南部を頂点とした逆三角形という地形は、その頂点を境にして東西相異なった気象を生んだ。太平洋に連なるインド洋は、その逆三角形に面して東側がベンガル湾、西側がアラビア海になる。ベンガル湾に面した東・南インドそれにバングラデッシュは、湿潤なモンスーン気候の影響を受けるが、アラビア海に面した西・北インド、それにパキスタンは、概して乾燥した気候に支配されてきた。いわば「湿のガンジス」というコメ圏、それに「乾のインダス」というコムギ圏というのが、この地の2つの大河流域が生んだ対極的文化の有り様である。

 古代文明の1つに挙げられるインダス文明は、4500年~3700年前ころインダス河流域で花開いた青銅器文明で、ハラッパー文化とも呼ばれて世界四大文明の一つとしてクローズアップされた。エジプトの象形文字、チグリス・ユーフラテスのクサビ型文字、チャイナの甲骨文字という、他の3つの文明の文字はすでに解読されているが、インダス文字はいまだに解読されていない。そしてインドの古代文明もまた、森を切り開いて興き、森を失って滅んでいったのである。

 インドへは、西からアーリア民族が侵入して定着していったが、結局彼らもこの灼熱の地で、地元の人たちと混交し融合されて行ってしまうのである。

 そしてまたチャイナでも、西洋が2000年有余の間に失ってきた森を、わずかここ70年ほどの時間で、あらかた失おうとしている。 移動することでそのダイナミズムを保持してきた西洋と、停滞したままでの衰微から、人口的ダイナミズムで対抗しようとしている東洋、その中で独自の文化・文明を継承し発展させてきた日本、果たして21世紀以降、西洋そして東洋に、いかなる将来が待ち受けているのだろうか。

国家の決断―7つの課題

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾

クライン孝子 著  海竜社  定価1700円(税込)

奥中 正之 (寄稿)

 クライン孝子氏の新著「国家の決断 7つの課題」を読んだ。 日本を離れ、外国から母国を眺めたとき、世界常識の流れから孤立した異常な日本に気付く方が多い。

 筆者は冷戦時米ソ対決の最前線であったドイツに住み、且つ国際ジャーナリストとして情報の現場で体験された事実をベースに語られているので説得力があり、「目から鱗が落ちる」思いである。文章表現が簡潔平明で読みやすく、活字が大きいのも有難い。

 これを戦後の日本国憲法と教育基本法に起因するという。吉田茂に発する官僚出身政治家特に首相による現在の実利的政策が積み重なって次第に歪みを生じたとする。自虐的に謝罪は繰り返すが、日本の立場を相手に分かるように説明していない。ただ繰り返すことで丁寧な説明といっても信用はされない。そこには明瞭な国家観、歴史観のないただ場当たりのよいことを進めていることだという。最近の皇室典範改正問題、靖国参拝違憲判決など歴史の重みを考えない傲慢な考え方であるとしている。

 「目から鱗が落ちる」ことは多々ある、例示すれば、日本の政治家の多くは国家観を欠いているとの指摘には、全く同感である。と同時にそのような政治家を選ぶ国民が自らレベルアップする必要性を痛感させられる。

 また、ドイツは国際情勢の変化を機敏に捉え、その変化をすばやくチャンスとして、憲法を50回も変えている事実と、戦後60年間一回も憲法を改正せずにいる日本との差異が浮き彫りになる。第二次世界大戦の敗戦国であった日独、国家の意思決定機能を保持した状態で白旗を掲げた日本に対して、敵の軍事力によって国家権力が壊滅してしまったドイツという両者の決定的な違いがあった。

 しかし半世紀にわたる、彼我努力の違い、国際情勢の変化に機敏に対応する適応力の差が日独の現状に大きく現れている事を、この図書で改めて実感することとなる。特に国家安全保障面において、日独の差は約半世紀はついてしまったと筆者は慨嘆する。

 ドイツでは男性は18歳になったら「徴兵」の義務を負うということ、そして女性も武器を取って戦うことが可能としていること。これなどは「平和ボケ」した日本人には想像を絶する事実であろう。しかしこれが世界の常識なのであり、日本が異常なのだということを我々は認識しなければならない。

 著者が母国に向けられた深い愛情に応える国民が増えることが、「党利党略」や「私利私欲」よりも「国益」を考える政治家を生み出す原動力になると考える。国民が国政への前向きの姿勢を持たず、政治不信を募らせるだけでは、それがファシズムを生み出す土壌となる危険性がある。この点も著者が懸念されるところである。詳しくは是非この図書をお読み頂きたいと思います。

ストレスフリーの仕事術

デビット・アレン 著  二見書房 発行

・・・・心にゆとりを持って仕事を楽しみたい人に最適な本・・・・
 押し寄せる仕事に翻弄されて、何から手をつけたらよいのかわからない。逆に、ぽっかりと手が空いて、所在の無い時を過ごす。こんな状態は、本書を開けばすっきり解消するでしょう。って、僕はこの本の宣伝マンではないので、今すぐ本屋に走りなさいとまでは言わないけれど、一読の価値あり、いや、読むのと読まないのでは、今後のあなたの仕事に大きな差が出るだろう、くらいは言いたい。「忙しい」とグチるヒマがあったら、この本の「第5章」だけでも目を通してみて。
 それにしても、この本に出会わなかったら、と思うとぞっとする。海図と羅針盤を持たずに太平洋の真っ只中を漂うようなもの? ページのいたるところに赤線を引いて、ポストイットをペタペタ張った挙句、ノートに書き写して、パソコンでも入力しておきたいとまで思う本なので、本音のところ、人には教えたくないのです。あなたが書店に着く前に駆けつけて、僕が全部買い占めてしまいたい。今年の「僕的ビジネス書部門MVP」は、本書で決まり! って、やっぱり、僕は本書の宣伝マンなのでしょうか?

(哉)

カポーティ

【監督】ベネット・ミラー
【主演】フィリップ・シーモア・ホフマン 

  ノンフィクション文学「冷血」執筆中の T・カポーティを描いているということで、その本を読んでから映画を見ることにした。虚構の犯罪小説とは異なる緊張感を持った文章は、関係者や犯人に執拗なまでに迫りながらもどこかで突き放しているような印象を受けた。
 カポーティが殺人事件に関わった最初の理由はジャーナリストとしての興味だろう。彼をいかにも「余所者」として見る街で、近親者や担当保安官の取材を続けるうちに彼はついに犯人と接触することになる。二人組のうちの一人は、凶暴というよりは内省的な表情をした小柄な若者だった。彼に自分と同じ部分を感じると語ったカポーティであったが、それは果たしてそうだったのか。死刑前の犯人に見せる涙は、パーティで取巻き達に見せる笑顔と同種のものではないのか。そんな風に思えてしまう得体の知れないP.S.ホフマンの演技が忘れられない。殺人事件よりカポーティその人がミステリーである。

(nao)

[不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―5

二日酔いの朝はいつも辛い。

なぜかうどんや蕎麦とかラーメンを食べたくなる。

しかし午前中からうどんを食えるところはあまりない、しかし身体は昼まで待てない、それがまたつらい。

そんな二日酔いの朝に知り合いから一軒の店を教えてもらった。

朝9時半ぐらいから昼ちょっと過ぎた時間までしかやってない店だが美味いうどんが食えるらしい。
しかもホルモンうどんと言われたら内臓好きとしては今日行くしかないじゃないだろうか?

早速、福島町へ車をむける。

店の前にはまだ10時というのに三台並んでる。

もちろん四台めになり、二日酔いのけだるい身体を引きずり店に入る。

小さな店だがこざっぱりしている。

壁のメニューのホルモンうどんを頼み回りを見るとみんな天ぷららしきものを食べている。

かなり美味そう、

そしていい匂いがする、

たまらん。

カウンターを見ると店主が天ぷらを揚げている、それをカウンターに山盛りにしてあり自由に取るシステムらしい 天ぷらをよく見るとやはりホルモン系みたいだ。

二日酔いの朝、しかも弱った内臓に天ぷらはきついが悲しいことに我慢できない。
たまらず白肉がちょうど揚がったみたいなんで白肉とガリという軟骨、センマイを皿に取る。
店主に教えてもらい、テーブルの上のハサミで細く切り、小皿にポンズと唐辛子味噌か柚子ゴショウみたいなんを溶いて食べる。

う、上手いじゃないですか、

白肉は好きだけど天ぷらでここまで美味いのはあんまり出会った事はない。
思わず二日酔いを忘れてたしまった。

や、やばいビール欲しいんですが。

ガリもセンマイも続けて食べるとやはり美味い。

センマイが特に好きなんで、これは揚げたてじゃないのが少し残念だが美味いんだよね。

余韻に浸る間もなくうどんがくる、キムチ付きなんだとさらに喜ぶ。

 

麺自体はソフト麺みたいなうどんだけど汁はやっぱり美味しい。
胃袋に染みましたね、ホルモンも柔くて美味しいしこの時間に食えるのは嬉しいです。
唐辛子を汁に溶かして飲むとだんだん胃袋が動き始め、じんわり汗が出てくるのがわかる。
合間にキムチと天ぷらをつまみとまたさらに美味い。
それにしてもビールか焼酎が呑みたい。
夜にやってないんが残念だな。
しかし軽く二日酔いも抜け、元気になった気持ちになり満足です。
でもこの店を知ったんで、またこの楽しみを味わうために二日酔いになるのもいいかな、と思う。