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国家の品格

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
藤原 正彦 著   新潮新書

 著者は小説家新田次郎と藤原ていという、優れた文科系両親に持つ(理数系の)数学者だが、その血筋は争えず軽妙でしかも情緒溢れるエッ セーでも有名であり、本書も又わかりやすい筆致ながら、適切な表現でかつての日本が持っていた、しかし今失われてしまった、世界に冠たる 資質そして思想を的確に私たちに指し示してくれる。
100万部を超える大ベストセラーになったのも、むべなるかな!

 著者はその経験を通じて、「論理」だけでは世界は破綻すると警告し、戦後欧米型の論理優先型社会への変貌が、日本をおかしくしてきたと 指摘する。数学から敷衍して、(たとえば風が吹いたら桶屋が儲かる式の)「長い論理」は危ういのだと謂う。この典型が(国際人になるため に)「小学生から英語を教える」という発想がそれである。
これが真実なら英米人はみんな国際人になるはずだと切って捨てる。

 いま大きな問題になっている子供たちの精神的荒廃に、殺人は悪いことだと教えたり、学校にカウンセラーを置くよりも、強者が弱者をいじ めたり、大勢で少数者を襲ったりすることは、「卑怯なことだからしてはいけない」そして「ダメなものは絶対ダメだ」と教えなさいと説く。 「殺人」については、戦争で人を殺したり、凶悪人を死刑にしたり、警官が正当防衛でピストルを撃ったり、「殺人」の正当性はいくらでもあ るのに、「殺人はいけない」という論理は通用しないのだという。

 そうした規範こそ「武士道」だと著者はいう。日本の武士道には「もののあわれ」という「弱者をいたわる思想」が、そして美しい情緒が内 蔵されているからである。
美しい情緒は、日本という美しい国柄(風土)が生んだもので、ここではただ咲いた桜が美しいだけではなく、そのはかない命だから散り際まで 美しいのである。

 著者は、「自由と平等」とか、「民主主義は善」という発想を、偽善であり幻想でしかなく、むしろ平等よりも「惻隠の情(相手の気持ちを 推し量る、思いやる)」を持つべきだと強調する。また強者が弱いものに勝つに決まっているのに、自由競争がいいわけはないではないかと指 摘する。

 実は弱者が強くなったのはヴェトナム戦争以降だが、著者は1990年頃から、アメリカで生まれ、世界中に蔓延している「悪疫」に、「ポ リティカル・コレクト」、実際は「弱者こそ正義」だという考え方があるという。弱者とは社会的=(黒人などの)マイノリティや身体的=身障 者・婦女子・老人・子供などである。こうした考え方からは真の幸福は生まれることはないという。

 著者は又、「美しいところにしか天才は生まれない」として、もし万葉集ごろから、ノーベル文学賞があれば、日本では30を超える受賞者 がいただろうとして、アイルランドやイングランドに多くの天才が生まれたという事例を挙げながら、日本は、いわゆる「普通の国」を目指す ことなく、「異常な国」であり続けなさいと説く。

 そして最後に戦後日本が失い続けてきた「国家の品格」を取り戻すために、幾つかの条件を挙げているが、それは読んでのお楽しみにしてお きたい。