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よみがえる緑のシルクロード

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
佐藤 洋一郎  岩波ジュニア文庫  780円+税

 縄文塾にもご縁の深い著者から贈呈いただいた一冊だが、これがジュニア(中高生)対象の文庫とは、今の子供たちはあまりに恵まれすぎているようだ。書き方こそ子供向けに丁寧に書かれているが、実に濃い内容の好著である。

 コメ化石のDNA鑑定による専門家である著者が、なぜ今砂漠の真っ直中かにあるかつてのシルクロードの終着駅」で、コメには縁の薄い、新彊ウイグル地区にある「小河墓遺跡」を中心にした視察メンバーの一員に選ばれたかだが、1997年に当時静岡大学(現総合地球環境研究所教授)助教授だった氏は、かつてのシルクロードの要衝、ウズベキスタン近郊の遺跡調査の機会を得た際に、約1500年前のこの遺跡から多量の(イネの)モミが発見されたという事情が伏線としてあったからである。 (『DNA考古学』参照)

 この「小河墓(しょうこうぼ)遺跡」は、新彊ウイグル自治区の中で、という北に天山山脈、南に崑崙(ろん)山脈とチベット高原に挟まれた広大なタクラマカン砂漠にある、約4000年の墓場の遺跡である。

 この小河墓遺跡視察では、コメこそ発見できなかったものの、コムギ・ウシに関わる副葬品、それに胡柳と呼ばれるポプラによる大きな墓標が数多く発見された。砂漠という環境に助けられた、生けるがごときミイラの顔立ちは、西域の人の特徴を備えており、おそらく現在の新彊ウイグル地区の先祖なのだろう。

 ちなみにこの地の住民は70%がウイグル人(トルコあるいはペルシャの出自だろうといわれる)、その60%はイスラム教徒で、西洋人的なはっきりした目鼻立ちで、青い目を持った人も多い。

 著者の疑問は、前著『DNA考古学』からずっと継続されたものなのだが、こうした遺跡・遺物など併せ、「果たして当時の人は、砂漠だらけのシルクロードを交易の道としたのか?」「こうした砂漠化には、気象の変化だけでなく、農業(特に農耕)がその一端を担っていたのか?」という疑問である。 

 著者は慎重に言葉を選びながらも、農業が荷担した可能性を取り上げ、当時はまだ緑の多い地帯であったとしているのだが、結局農業による過度の灌漑によって、天山山脈から流れる地下水脈を枯渇させ、もともと雨量の少ないこの地を砂漠化させてきた事を検証し、今後こうした環境を中心とした史学に力を注いで、積極的に研究していけば、砂漠のシルクロードは、必ずや緑のシルクロードになるだろうと結んでいる。 

 考えようでは、目先しか見ない大人よりも、純粋なジュニア層に大きな期待を示した1冊と言うことが出来るだろう。