« 大地の咆哮 元上海総領事が見た中国 | メイン | 身近な野鳥 「大型シギのチュウシャクシギ」 »

ハイブリッド文化の精華「漢字とカナ」の融合-3

縄文が日本を救う! (52)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 聴覚と視覚から見た日本語

 角田忠信『日本人の脳』は、聴覚を通じて右脳と左脳というそれぞれ違った脳の働きを探ることで、世界中の人たちとは全く異なった日本人の独特な性情について、興味ある考察を行っている。氏は本来耳鼻科の学究だが、その研究過程で日本人は音の処理を、西欧人を始め、他の民族とは全く異なる音声処理を行っていることに気付く。

 たとえば、虫の声・せせらぎ・潮騒(しおざい)・雨音などを、ほとんどの民族が右脳で雑音として処理するものを、日本人は左脳でそれぞれの音や声として処理しているというのだ。しかもこの能力は、6歳くらいまで日本で過ごした人は、外人であっても取得する反面、日本人でも6歳くらいまで外国で過ごした者には、雑音としか聞き取れないのだという。

 角田は、そうした違いを生むのは、日本人の話す言葉に大きく影響されることを突き止める。日本語は全ての子音の後に必ず母音を伴う言語である。たとえば印欧語族など、子音と母音が明確に分離した言語の場合、子音は左脳、母音は右脳で処理されるところ、日本語では全て左脳で処理されるという。この差が虫の声やせせらぎ・雨音などを聞き分けの差になっていると角田は謂う。

 日本語に多い「擬態語・擬音語」は、自然の音や、音を持たない動作などを独特の音として表現するものだが、たとえば日本人は、西洋音楽は右脳で捉えるものの、それぞれ擬音として表現している琴・三味線・笛の音など邦楽は、すべて左脳で捉えていると指摘している。こうした日本に近い言葉と感性は、わずかにポリネシアの人たちくらいに見られるというのだが、角田はそれを「日本語がもっとも自然に近い発音を持つ言語だからだ」と定義する。

 約3000年前日本の地に、大陸より弥生の民が金属器と水田稲作を携えて渡来した。縄文の民は、彼ら弥生人に支配されたと言われてきたが、ならば我々は外来の言葉を話さなければ為らないはずだ。このことは、ポルトガル・スペインに征服された中南米の民が、ポルトガル・スペインの言葉を話すことを見れば明白である。

 ところが我々の先祖は、古来よりの言語を継続して使い続けてきた。この事実は、逆に弥生の民がいつしか縄文の民に吸収され同化していったことを示している。そして時代に即応して変化を続けながらも、今に至っても他国とは全く異質な、自然に同化した言語を使い続けていることがはっきりしてきた。

 ご存じのように、右脳は感性を左脳は理性を支配すると言われている。そして人は、言葉の中で、必要に応じて右脳と左脳を使い分けているのだという。角田が謂う日本人とそれ以外の民族との差異はかくも大きい。たとえば「日本人は外国語習得を最も不得意とする民族である」と言われている理由も、その原因はここにあったと見ることが出来よう。

 さて、角田の脳へのアプローチは「聴覚」であるが、一方ハイブリッド日本文字へのアプローチは当然「視覚」からということになる。日本文字の内漢字はイメージとして右脳で処理され、かな(カナ)やローマ字や外国語の場合は左脳で処理される。

 もし日本の文字がすべて仮名=かな・カナ、あるいはローマ字になった場合は、一度すべて左脳に送られた後必要な部分は再び右脳に送られてイメージとして認識されることになる。同音異語の多い日本語の場合、何度か脳内で反芻された後ようやく正しい認識となって意味が読み取れることになる。

 この「漢字と仮名」と「仮名かローマ字」という2つのケースの認識スピードを比較だが、かつて東京電気大学とNTTのグループが比較実験によって得た実証によると、この両者の間には大きな差が生じたという結論を出している。その理由として、「漢字は後頭部の視覚野で反応し、かなお(カナ)は話し言葉を聞いて理解する左脳の後言語野で認識される。漢字の場合は音声化段階を省略する分、認識が早く、仮名よりも3倍も早く認識できる」と謂う。

 印欧語族圏の人たちに比べて日本人の読書率が高いことは、こうした理由があるからかもしれない。加えて日本語優位性を挙げるならば、
1. 知能開発機能
(漢字を覚えることで知能が向上する)
2. 識字率向上機能
(仮名から始めて、すこしずつ漢字を覚えることが可能)
3. 少ない発音機能
(同音異語が多すぎる欠点はあれ、覚えやすい長所がある)
4. 造語機能
(明治維新時、無数の二字熟語を創ったように、簡単に新しい言葉を創ることが可能である。


    仮名書き論者・ローマ字論者の泣き所

 かつて、日本でも仮名論者・ローマ字論者が大手を振って横行していた時期があった。果たして彼らは、彼らの主張する仮名書きや、ローマ字書きの手紙の交換などしていたのだろうか。果たして仮名書き・ローマ字書き文章の判読が、現行の(表意+表音という)ハイブリッド文字の3倍程度で収まるだろうか。

 前述柳瀬尚紀『日本語は天才である』は、揶揄を込めて次のような文を載せている。

  <ローマ字>
──korekore,takagagagagagakuwomaunomohohoemasiisi-njanaino
──kore kore,takaga gaga gagakuwomaunomo hohoemasii si-n ja nai no

  <カタカナ>
──コレコレ、タカガガガガガクヲマウノモホホエマシイシーンジャナイノ

  <平仮名> 
──これこれ、たかがががががくをまうのもほほえましいしーんじゃないの

  <漢字+仮名文字>
──これこれ、たかが蛾が雅楽を舞うのも微笑ましいシーンじゃないの

勿論これは極端な例だとしても、漢字をイメージとして捉える日本の文字形態が、いかに判読しやすいかを示している。しかもまず、仮名50音図を習得することで、最低限の読み書きが可能であること、しかも少しずつ漢字を習得することで、高度な認識を深めることさえ出来るようになるのだ。

 たとえば西欧言語圏において、学術用語の多くはラテン語に依存している。これはかつての文明の中心であったローマの言語を共通語にしてきた名残だが、通常の人には取り憑きにくい現象を生んでいる。

 ところが日本語では、意味を漢字で表現するところから、さして知識のない者にでも理解できるし、外来語をそのままの発音で表現できるというメリットもバカに出来ない。たとえば、エイズあるいはHTVでも通用するし、「後天的免疫不全症候群」としても、中学生程度の知識で理解できるのだ。