生命の力と平和の尊さを
原爆被爆樹から学ぶ
――風彦
広島の町を流れる京橋川にかかる鶴見橋の東側たもとに、老いた一本の被爆柳がある。
痛ましいケロイドの木肌を晒しながらも、今なお川風に枝を靡かせている。早春に芽をふいた青葉の色も夏の日に輝いている。誰が捧げたのか千羽鶴の束…。風雨にさらされて色あせている。
そのそばを通るたびに私は、きまって立ち止まり、老柳に話しかける。というのも、私の被爆した父は、死の際に、一夜明けた翌日、避難した比治山からおりて鶴見橋のたもとで救援を待っていた―と聞いていたからである。
柳はまさに当時の生き地獄さながらの、あの一帯を知る、なによりの「生き証人」。いとおしむ心もさることながら、逞しい生命力にただならぬ畏敬の念が込み上げてくるのである。被爆者の多くは、すでに亡くなり、高齢化して記憶も風化している。
あれから六十二年。被爆直後、広島には七十年間、草木も生えないとの風聞があった。それでも広島市内には、被爆樹木(五十二本=広島市植物公園資料=平成十六年三月)が今なお逞しく生きている。
その中でよく知られているのは、平和公園の一隅にある被爆アオギリだろう。このアオギリは広島市中区白島町にあった広島逓信局(中国郵政局の前身)の中庭で被爆した三本。一九七三年、現在地に移植(内一本枯死)されたもの。同局勤務中、被爆した沼田鈴子さん(当時二十二歳、現在、八十四歳)は、このアオギリのもとに寝かされて救護された。結局、沼田さんは、左足を切断、九死に一生を得て、現在「原爆の語り部」として活躍。被爆時のこと、このアオギリをめぐる生命の力、平和の尊さを語り伝えており、広く世界でも知られるようになった。
被爆アオギリは、夏に淡黄色の花を咲かせ、秋には実を結ぶ。落果したタネを、今では広島市植物園で育苗。苗木は広島市内の小、中、高校にも植樹。逞しく育っている。世界各国でも育苗、苗木が移植されるなどアオギリを通して「ノーモア・ヒロシマ」運動の輪に広がる。八月は忘れることのできない原爆忌であり、敗戦忌。改めて原爆被爆樹から生命の大切さ、平和の尊さを学び、訴えよう。
「世界平和の花を咲かせよう」
― Let's bloom for the World Peace!―
(風彦)