前号でDNAの持つ4つの塩基に対比して、幼・青・壮・老を挙げた。ここらをもう少し深く見てみよう。
幼・青・壮・老や四季という4つの数字概念の根源は、「易学」の陰陽説に見ることが出来る。まず「陽陽・陽陰・陰陽・陰陰」という四象であり、四方位(東西南北)=四聖獣(青竜・朱雀・白虎・玄亀)、および四季(青春・朱夏・白秋・玄冬)である。
西洋的一神教世界では、陽と陰とは相否定する関係となるが、東洋的・多神教的精神世界では、むしろ相互補完的存在となる。たとえば東西交代説にしても、東の循環型・交代型思想に対して、テーゼに対するアンチテーゼという、二元論に立脚した直線的指向である。たとえばそれは、スパイラル軌道を取りながら、終局に向かって突き進むという、終末思想が彼らを支配するのだ。
昨今『ダヴィンチ・コード』とか、反キリスト誕生とか、黙示録それに悪魔などを題材にした映画の多さを見れば、彼らの精神構造が那辺を凝視しているか、明確に見て取れるだろう。彼らにとって、たとえばそれが終末に限りなく近づいているとしても、決してキリスト教以外の世界を容認することは出来ないのだ。これはユダヤ教にしろ、イスラム教にしろ同根だと謂わねばならない。
たとえば、このユダヤ・キリスト・イスラムという一神教の世界では、中庸とか妥協という一種曖昧な発想を嫌悪し且つ排除するのだが、ここに、かつては地方宗教であったこれらの一神教が、いつしかグローバルに拡散した結果、おのずと到着せざるを得なかった
矛盾や自己撞着に喘いでいるのが、今の姿だと言えるだろう。
安田喜憲『蛇と十字架』は、西洋史観が近代科学の枠組みから脱却できず行き詰まりを示している状況を指摘して、世界中で顕在化してきた「文明の衝突」や、行き場のない精神の袋小路の突破口として、次のように「アニミズム・ルネッサンス」を提唱する。
私たちは今、あらゆる宗教の出発点であるアニミズムの大切さを思い起こす時なのではないだろうか。われわれを取りまく動物や植物、あるいは山や川にいたるまで魂がある。それらを尊敬し畏敬の念を持ってつきあっていく。そこに自然とともに共存する思想の原点がある。
アニミズムはヨーロッパのキリスト教世界では手垢によごれた誤解に満ちた言葉である。(中略)
自然と人間が共存可能な、そしてあらゆる民族とあらゆる宗教が共存可能な世界の実現に向けて、日本人が縄文時代以来一万年以上にわたって持ち続けてきたアニミズムの精神の果たす役割は、今後ますます見直されるに違いない。
また比較宗教学者町田宗鳳は、広範且つ柔軟な宗教的知識を縦横に駆使して語る、新著『人類は「宗教」に勝てるか』の中で、
このへんで「権力的な集中的統率力」をもつ文明の形態を転換しないことには、人類社会の行き詰まりは目に見えている。そこには近代文明の軸足となっている一神教的コスモロジーから多神教的コスモロジーへの移行がどうしても不可欠となる。
のだと謂う。
さて本題に戻って村山史学による、西の文明から東の文明への交代期が現在(いま)だとして、「ではその東において、新しい時代の文明を担うのはどこか?」という大きな命題に行き当たる。確かに、今まで東方盟主の役割は、すべてチャイナが担ってきた。ではこの度の交代期にも、チャイナがその役割を果たすのかというと、どうもそうすんなりとはいきそうにないのが現状である。
残念ながら今の日本では、こうした視点に立つ指導者はゼロに等しい。といって日本とチャイナ以外に、盟主という役割を担える国は見あたらない。といって「今の共産党独裁というチャイナにその資格有りや」と言えば、頭をかしげざるを得ない現状が見てとれる。
とすると、誰でも納得で来る公平な視点で、否応なく巡ってくるであろう東の時代に、「盟主として、日本あるいはチャイナのいずれがふさわしいか」という採点をするしかないであろう。
そこでまず比較という論点で見てみよう。ここでは長くなるので、電子書籍・論文集HP 『キャッスルゲイト』の、時事小論より<比較という視座・論座の欠けた日本人> (1~3)
http://joumontn.com/jiji_syouron/13.html
を参照願いたい。ここには幾つも両国の有り様を比較・列記している。現状を見る限り、今のチャイナには、盟主国に不可欠な、「おおらかさ・度量・慈愛」の欠如に加えて、「文化・文明・各術・科学」などに対して、すべて独裁的一党政治が優先し、敬意を払うという気持ちのかけらもない事に気付くだろう。
もっとも日本という国柄が、果たして世界の盟主としてふさわしいかとなると、現時点ではすんなり肯定出来ない点も多く、幾つも疑問点が挙げられる。ただ今後転換・交代期における混乱が収まった時点で、前述の比較という視座、消去法という論点で語るならば、消極的ながら日本を置いて有資格者はいないであろう。いずれにしろ自らの置かれた立場を深く認識し、積極的にその任にふさわしい実力を身につけていく必要がある。
金文学は、新著『日中比較優劣論』の中で、「日・中・韓という東アジアの国は内紛(内訌)を超克つして行くべきだと強調する。違う国同士でありながら、内紛(内訌)という指摘の裏に、日本一国でこの重責を担うことの困難さを踏まえ、ちょうど西欧のECのごとく、その協調を説いているかのようである。氏はその困難性を認めながらも、日本の忍耐強い自己主張を説いている。
もし日本がこの村山文明史学を信じ、自らその地位にふさわしい言動を行っていけば、必ずやその実力が大きくクローズアップされるだろうことを心から信じたい。
もし日本がこの村山文明史学を信じ、自らその地位にふさわしい言動を行っていけば、必ずやその実力が大きくクローズアップされるだろうことを心から信じたい。
なお、その成果を体感できる時間を持たないのが心残りであり残念でもある。