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ガイアの復讐

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
ジェームズ ラブロック 著   秋元 勇巳 訳      中央公論新社  1,680円

 現 地球温暖化についてあまりに多くの人が語ってきたが、凡百の論者の言葉より、この人ジェームス・ラヴロックの言葉だから、グサリと胸に突き刺さるものがある。

 「地球は1つの生命体である」というあまりに有名な彼の、衝撃的な「ガイア理論」は、1979年に『地球生命圏』として発表されるや、当時多くの専門家・学者からは非難と侮蔑の声、あるいは無視するという手厳しい態度で迎えられながら、一方魂の世界に回帰しようとするニューエイジ・ニューサイエンティストからは熱狂的に迎えられた経緯がある。

 地球すなわち「ガイア」という生命圏には、空中酸素量とか海水の塩分、それに気温など、われわれの身体に置き換えると体温や血液の濃度、血圧・脈拍・酸:アルカリの比率などなど、生命を維持するための「ホメオスタシス(恒常性維持機能)」(サーモスタットに似た、正と負のフィードバックシステムとか、何気なく歩行したり、ただ立っているようでも自然にバランスを取るっている微妙なメカ二ズムとして「サイヴァネティックス(自己調整機能)」というシステムが備わっているのだという。

 特に還元主義者と呼ばれる、全体像をいったん解体して、細部から探求のメスを入れ、それを再び全体に組み立てるという手法を採る学者たちや、特にダーウィンの後継者たちは、こぞってナンセンスの声を上げた。それほどラヴロックのガイア理論は衝撃的で、いままで科学通念を打ち破るものであった。

 彼の「地球圏という生命体」なる突飛な?理論に対して一斉に反発したネオ・ダーゥイニストたちが、討論の相手に送ったのが「利己的な遺伝子」で有名な行動生物学者、リチャード・ドーキンスである。

 ラヴロックは、彼との討論の中で、いつのまにか相反するドーキンスの(見事な話術の術中に嵌って)説に肯定する自分を見つけて愕然とし、その後一層の理論武装に取り組むことになる。

 たとえば「利己的な遺伝子」によって進化したと唱える、彼らネオ・ダーゥイニストたちが、「動物の排尿」がガイア理論の利他的なシステムにどう関係するのか」と揶揄するのだが、彼ラヴロックは、「もし尿素を大切な水分やエネルギーと一緒に排泄するという無駄をせず、呼吸によって窒素として排出したとしたら、植物は一切育たなかっただろう」と反論する。

 考えてみれば、多くの森に住む動物たちの排泄物もそうだし、遡上したサケなどもクマのエサになり、その排泄物や死骸もまた「利他的な遺伝子」によって森に還元するという行為を行っていることになるのだと言えるだろう。

 彼はすぐれたセンサーなど精密機器の発明・製作技術者であり、現実行動派であって、膨大なデータを駆使して理論の裏付けを行う科学者でもあり、ガイア理論は緻密な理論上の裏付けを持ってきたところから、彼の仮説は、最近次第に世界的通念として定着する動きが顕著になってきている。

 たとえば、かつて概念と捉えられていた「ガイア理論」は、その後彼自身コンピュータを駆使して、「デイジー(ひな菊)ワールド」というヴァーチャル・モデルをつくって、植物が太陽熱に対応する温度調整能力を証明したり、各分野の専門家の協力も得たりして、着々と強固な理論武装を遂げ、次第に世界的に認知されることになったのだが、彼のあまりに広範な理論の広がりに、多くの科学者は学際を越えることが出来ず、対応できないこともあって、グローバルな科学的コンセンサスを得るまでには至らなかった憾みがある。

 昨今異常気象による天災が続発し、環境汚染が進行する中、その要因として温暖化問題が急激に論議され、防止策として京都議定書策定の遵守や発展途上国も包含した見直し論も浮上するなど、各国の思惑と利害関係が絡み合って、いたずらに時間だけを浪費している感があるところに、この1冊は痛烈な一撃を与えることになった。

 例えばラヴロックは聖女マザー・テレサの発言(1988)「貧しい人々や、病める人々のために尽くすことが私たちの務めなのに、どうした地球のことを気にかけていられるでしょう。それは神のなさることです」という発言に対して、

 「実を言えば、神への信仰も、現状維持への信頼も、持続可能な開発という方針すら、われわれの真のよりどころにはなってくれない。もしわれわれが地球を大切にしなければ、地球は自分の身を自分で守るために、人間を暖かく受け入れるのを間違いなくやめるだろう。信仰心に篤い人々は、地球という故郷を見つめなおし、神が創造したこの聖地を人間が汚してしまったと考えるべきだ。  (後略)」

と問い返している。

 またラヴロックは、「温暖化は、ガイアの発熱である」と表現して、いまや増えすぎた人類による地球虐待の傷は、ガイアの自然治癒力を大きく上待っており、このままでは間違いなく地球は回復力を失って、5500万年前の到底人の住めない高温期に突入すると警告する。

 彼はすでに化石燃料の使用は極限に達しており、あらたなエネルギー源に大きく舵を取るべきだと指摘した上で、少しでもガイアの延命を図るためにエネルギー源として、なにが適切でなにが不適切かを列記している。

 ここでの詳細は避けるが、ラヴロック自身、もっとも不適切な代替エネルギー源の代表として(かなりの紙数を割いて)それは「風力発電」だと断じ、逆に大いに増やすべきものとして「原子力発電」を挙げている。原子力発電とはいささか奇異に感じに捉えられ勝ちな処方箋だが、かれは前著『地球生命圏』および『ガイアの時代』において、すでに原子力の発電利用に賛意を表して、当時多くの支持者を失った経緯がある。

 京都議定書の遵守義務だが、日本は1990年に遡って、当時の二酸化炭素排出量の-6%という厳しいもので、現在当時より8~10%もオーバーしているところから、現在の数字より16%以上も削減という。不可能に近い数字になっている。

 ご存じのように世界で最も省エネ化に成功した日本にとっては、とてつもなく大きな目標だが、それに近づける最大の方法は、「原発」の増設しかない。最近相次いで「プルサーマル計画」の実施が報じられているが、非常に喜ばしいことである。

 天然ウランには燃えるウラン235がわずか0.7%しか存在せず、そのままでは核分裂を起こさないウラン238は、99.3%を占める。そこで燃えるウラン235を3%に高め濃縮して始めて「核分裂連鎖反応」を起こす。そこで得た高温の蒸気でタービンを回して電力を起こすのが「原子力発電所」である。

 ところがこの濃縮された核燃料1gからはその1/1000gしか分裂を起こない。このままでは厖大な資源の無駄遣いになる。そこで原発で使用済みのウラン238にプルトニウムを再処理工場で混ぜ合わせたもので、そうした新しい燃料を使用しようというプランを「プルサーマル計画」と呼んでおり、こうしたプルサーマル工場は、すでに海外ではフランス・ベルギー・ドイツなどですでに100カ所以上」使用されている。

 今までは使用済み核燃料をフランスに送って再加工されていたが、ようやく青森の六ヶ所村に再処理工場を建設することになった。再処理されたものがMOX(Mixed Oxide)燃料である。
日本中の設備がプルサーマル対応になれば、石油や天然ガスの消費が大いに節約され、温暖化防止にも大いに貢献できることになる。

 唯一の原爆被害国である日本には、「原発」に対する強い拒否反応がある。しかし「核」の平和利用という観点に立ち、しかも温暖化防止という大きな課題を見据えた上で、建設的な論議を重ねる必要が肝要だろう。

 『ガイアの復讐』は、ラヴロックの、まことに明快で説得力に富む一冊であり、もはや取り返しのつかない人の愚行に対する警告の書であり、反省の意志も行動も示さないヒトに対するガイアの手酷いしっぺ返しを示唆する予言の書でもある。

 筆者は『森と人の地球史(第3章 ホモ・イノヴェーティス論)』の中で、最近「地球にやさしい~」というキャッチフレーズを、しばしば耳にする。これは人が飽くことなくエネルギーを浪費することで、汚染物質を空中や海中に撒き散らしていることの反省の意を込めての発言のようだが、まるで地球が自分の持ち物とでも言うようなスタンスはいかがなものか。

 気の遠くなるような悠久の時間を費やして眠りについた化石燃料たちを、あわただしく目覚めさしている人の行為こそ、それと気付かぬままに、かつて地球を覆い尽くしていた、生命発生以前の原始的環境への回帰していることに繋がっている。

 45億年という寿命のガイアにとって、人がやさしく接することも、あるいは無制限に汚染物質を撒き散らすことも、そのために人が絶滅しようがすまいが、「痛くも痒くもない」ことなのである。

 と書いた。ヒトが自ら招いた環境汚染が元で死に絶えたとしても、おそらく1000年いや100年余りもしたら、何事もなかったように元通りなガイアに立ち返るのではないか。

 年齢すでに80代半ばという高齢な彼の本は、特に世界の主導的国々の首脳部に、もっともっと広く読まれてほしいものである。

        <既読のジェームス・ラヴロックの著籍>
 ◎ 地球生命圏  スワミ・ブレム・ブラブッダ訳    工作舎
 ◎ ガイアの時代        〃               〃