今月の写真
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命には終わりあり
能には果てあるべからず
――世阿弥
十一月は、灯火親しむ読書の季節。文化、芸術祭の花盛りの季節。冒頭の言葉は、能の『神様』世阿弥の著述した「花鏡」にある名言である。過日、世阿弥の「花伝書」(風姿花伝)、「花鏡」を読み直したときに、あらためて世阿弥の能楽論を通しての芸術論にふれた。父親の観阿弥の口述を体系的にまとめた芸術論であるが、後世の人からは、この人の作として評価されており、長らく能楽の秘伝でもあった。
「花鏡」にある言葉には―。
「是非の初心を忘るべからず」
「時々の初心を忘るべからず」
「老後の初心を忘るべからず」
この言葉の解釈について、斉藤孝さん(教育学者)は、成功、失敗を問わず、初心者のときの体験を忘れては上達しない。そのためにも
「初心を忘れば、初心へ返る理(ことわり)をよくよく工夫すべし」と世阿弥は説いている。「時々の初心」とは初心から年の盛り、そして老後にいたるまで、その時分時分での習うことは、それぞれが初体験だから初心を忘れないことだという。
未熟であることの自覚を忘れなければ、芸の上達は限り無い。
「命には終わりもあり、能には果てあるべからず」という薀蓄のある言葉につながる。
この言葉は能に限らず、スポーツ、芸術各分野にも通じる。私たちの実社会での人生訓。まさに「初心忘るべからず」である。
ある人が言った。たしか、岡本太郎だった。
「人生は芸術だ。芸術は創造だ」
人それぞれ、生きる道はさまざまである。が、その生き方は、人それぞれが創造すること。作りだすことである。
人生は演劇だと言った人もいた。そのシナリオを書くのは、自分自身。
「全ての人は自己の運命の創造者である」と言ったのは、英国の随筆家、スティル。
「人間が賢いのは、その経験に応じてではない。経験に対する能力に応じてである」とは、バーナード・ショー(英国、劇作家)。
世阿弥の言葉に共通する。
最後にソクラテスの言葉を紹介しよう。
「汝自身を知れ」
他山の石として自戒したい。
(風彦)
山本一力著『あかね空』を読んだ。先日久しぶりに本屋さんをぶらぶらし、単行本をいろいろ手に取ってみたけれど買う気がしない。文庫本のコーナーで『あかね空』の『あかね』という言葉に心惹かれ、又、映画『蝉しぐれ』を見た影響もあったのか、その本を買ってきた。その夜十二時過ぎに読み始め一気に三時までかかって読んでしまった。
考えてみれば最近は小説本を読むことが殆どない。ビジネス書や、自己啓発本、健康に関する本等が主流だ。カーネギー『人を動かす』とか北尾吉孝『何のために働くのか』、松下幸之助『一日一話』、新谷弘実『病気にならない生き方』といった本だ。これらの本は初めから読まなくても自分にとって必要なところだけ読むこともできるし、細切れの時間で開いたところを読む事だってできる。
しかし、小説はそういうわけにはいかない。面白くない小説にあたると、もう少し読めば面白くなるかと辛抱して読む事もあるが、結局途中で読むのを止めてしまう。反面、面白い小説に当たると読み出したら途中で止めることができない。そのような性癖で昔は寝不足で困る事も結構あったので最近は小説を避けていた。又面白い小説になかなか当たらないこともあったのだが、今回は久しぶりに寝不足な状況に陥ってしまった。
『あかね空』は平成十四年の直木賞をとった作品で、今年三月に映画化され、三月・四月に弊社のお得意様でもあるサロンシネマ・シネツインの両館で上映されていたのだが、その時分は『ドリームガールズ』と『ホリデイ』、『オール・ザ・キングスメン』など洋画ばかりに目が行き、『あかね空』は見逃していた。今となってはとっても残念だ。
江戸下町の市井の人情話だが、一組の夫婦を中心にして、親や子供、この夫婦をめぐる周囲の人間模様、お互いの思惑のすれ違い、最後に謎解きと幸せな結末、どこにでもあるような家族の話ではあるが、ぐいぐいと読ませてしまう作者の筆力と人物描写の深さに、小説の面白さを再認識した。又、時代小説と言われるこのジャンルの一般庶民や下級侍が主人公の小説がこれほど心を捉えるとは自分自身意外だった。新しく知った読書の楽しみで、この秋の夜長は充実してすごせそうだ。
「アッ、出た!」「どこ、どこ、どこ!」「あそこの雲の切れ目から、ホラッ、出るよ!」「これはスゴイ!」「「大群だ! 1、2、3、‥‥‥。」 あたりは騒然となる。毎年観測している竜王山の頂上。
今年は会員の他に、バードウオッチング入門講座生、一般の方にも参加を呼びかけ、総勢40名弱。頂上は歓声で埋め尽くされる。やっと昼食にかかったところだが、それどころではない。
発見時は遠くて肉眼では針でついたくらいの点だ。だんだん近づいてくるのを双眼鏡でよく観察して、ハチクマと断定する。多くの群れがわれわれの上空やや西で、旋回し、タカ柱となる(写真上)。高く、高く上り、西南西に向けて一気に流れて行く。
ワシ・タカの識別は難しい。しかし、ハチクマは幅の広い翼に、スマートな頭をしている(写真下)。下面が白いのだが、上空では黒っぽく見える。この日は他にノスリとサシバが1羽ずつ渡った。いずれもハチクマより小さい。
(2007年9月24日記)
ここでもう少し、村山史学という「東西文明」の、時空を加えたDNA的コスモロジーを、古代に遡って紹介しよう。ご存じのように通常「歴史」とは、事件とか特筆すべき要素の多いところを厚く、そうでないところは省略して記述されてきた。
3回に亘って紹介した、村山節(みさお)先生の『東西文明周期800年説』の総括を兼ねて、今世界を覆っている、(文明交代期に生じるという)大きな混乱の概要を俯瞰してみよう。
表面的には、両文明の中間である、中東周辺における、
1.イラクでの泥沼的混乱
2.イスラエル対パレスチナおよびレバノンでの紛争
3.イランの核開発問題
4.アフガニスタンにおけるタリバンの復活反攻
などに集約されるが、その陰でもっと大きな問題が表面化しつつある。
それを列記すると、
1.アメリカの実力の相対的低下
2.ロシアのエネルギーをバックにした対外戦力と、プーチンの強権政治の危険性
3.「資源爆食怪獣(宮崎正弘氏命名)」チャイナのエネルギー獲得奔走
4.世界的規模の、温暖化/エネルギー危機/環境汚染の進行/砂漠化の進行と水資源枯渇の危機
などなどが挙げられるだろう。
まず「アメリカの実力の相対的低下」だが、共和党ブッシュ政権がイラクでの戦後経営の稚拙さが祟ってレイムダックになり、次回大統領選では民主党の大勝が予想されるが、この中東地区でのエネルギー確保が大きく頓挫した中で、イランの核開発問題に腐心して、北朝鮮問題での変節と弱腰が日本を失望させている一方、国内ではサブプライムローンの破綻で益々ドルの価値が下落の一途を辿っている。そこにはもはやパックス・アメリカーナを誇った栄光の姿はない。
さてそれが、民主党になってそれが劇的に改善する保証はどこにもない。共和党ほどは露骨ではないとしても、この国の復活には、軍需産業の繁栄は欠かせない。かつてのソ連と違ってエネルギー資源を握ったロシアは、いまや公然とアメリカの地位を窺う気配を見せているが、戦争と言えばイランか北朝鮮ということにななるが、なんでもイラク爆撃というシナリオもちらほら聞かれるという情報があるようだ。
イラン空爆話の再燃 (田中宇の国際ニュース解説 (2007年8月28日)
一方ヨーロッパ文明の低迷には、北狄(ほくてき)ロシアの台頭は頭痛の種がある。エネルギー資源の大きな部分を新興ロシアに依存しなければ成り立たない苦悩が根底にある。EU内部でもだが、同非加盟国間においても総論賛成・各論反対という矛盾の露呈、移民との軋轢やテロの脅威、そして労働人件費の格差や人種的偏見、それに失業率の増大が拡大しつつある。
いまやロシアは、冷戦敗北の後遺症を克服して、豊富なエネルギー資源(主として天然ガス)を武器に優位な対外戦略を着々実行中である。共産主義は崩壊したものの、プーチンの強引且つ強硬な姿勢、エネルギー政策の成功はロシア国民に強い支持を獲得している。
一方「共産主義に市場主義を接ぎ木する」という、破天荒な政策を採用して驚異的成長を続けているチャイナは、(公称)毎年10%以上という急速な成長を続けているが、その反動として急速に資源大消費国に転落し、エネルギーを主体とした資源獲得になりふり構わぬ行動を示して、世界中に恐怖と顰蹙の輪を拡げ続けている。(なお、ここではBRICsと呼ばれる新興工業国群のうち、ブラジル・インドの動向は割愛する)
では今のロシアおよびチャイナに弱点はないのか。決してそうではない。いずれも大きな課題を抱えていることは明白である。
まずロシアだが、冷戦の破綻、ソ連邦の解体によって、かつての衛星諸国は次々と離反していった。その中で特にイスラム信仰国と、たとえば揃ってNATO(北大西洋機構軍)に加盟したバルト3国(エストニア・ラトビア・リトアニア)のように、かつてのソ連を踏襲するようなロシアの態度を快く思わぬ国々との間に、大きな摩擦を内在しており、先般も大きな列車爆発事件が頻発し、それに対しての暗殺の横行という、「負の連鎖」が後を絶たないという悩みを抱えている。
おそらくプーチンは大統領の任期が切れた後も、強圧的な院政を敷くはずだが、パイプラインの敷設を中心にしたエネルギー政策は、いつ引火してもおかしくない危険をはらんでいることは想像に難くない。しかも最近、ロシア国内における新興富裕層の拡大と裏腹に、低収入層の増加は過激なナショナリズムとなって、これも大きな火種になろうとしている。
順風満帆に見えたチャイナ経済の方はどうか。ご存知のように、ここ最近世界中で有毒・有害製品が数多く発生して問題化し、中共政府は、その対策に躍起になっているが、「安かろう 悪かろう」という領域を遙かに超えたこの国のアン・モラル性が今後も続くとしたら、その経済的地位も揺るぎかねないだろう。
今や貿易総額でアメリカに次いで第二位にのし上がり、近いうちに第一の貿易国になると豪語はするのだが、なにしろ国民の平均所得が、アメリカの27000ドルに対して1000ドルという極端な格差は、この国の実情を如実に物語っている。
チャイナの急速な経済発展が生んだ豊富な外貨は、内に沿岸部(都市)と内陸部(農村)の極端な所得格差を生みながら、それを貧困層の救済や、後述環境破壊対策に用いることなく、飽くなき「資源爆食怪獣」(宮崎正弘氏の命名?)として、外に向かって浪費を拡大しているのが現状である。
この国の問題点は山ほどあるが、最大の課題は党幹部による汚職と、それに関連した手抜き工事の続発であろう。先日工事中に崩壊した「湖南鳳凰是沱江大橋」には鉄筋が一本もなく、しかも割れ口には砂利ばかりでセメントらしきものが見られないというひどさで、わずか9ヶ月で、実に6つの橋が崩壊したと言うから話にならない。現在世界各地でチャイナが絡んでいる工事が多いのだが、大惨事の発生が大いに懸念されるところである。
また最近話題になっているのは、資源・エネルギーの枯渇よりも、むしろ「水資源の枯渇」である。来年の北京オリンピックで、空気の悪さ・食品の安全性と共に、水の問題で開催を危ぶむ声が大きいほどである。識者の中には、6年後の上海万博はおろか、まず北京オリンピックさえ、無事開催出来るかという声さえも聞こえるのだが、さていかがなものか。
両国に絡む日本にだが、個々に見られるのは、外交下手というよりもむしろ無外交政策ともいえる日本の「資源・エネルギー対策」のまずさであり、また「譲歩・謝罪・沈黙(黙認)」という、外交上のタブーを遵守し続ける姿勢である。「言うべきは言う」という、毅然とした外交姿勢の復活と、「日本ではこんな事が出来る」という自己主張が肝要であり急務である。たとえば、日本の持つ、省エネ・水問題、それに環境改善など、両国が苦手としている課題に特化して両国との関係を深める努力が必要となる。
宮崎正弘氏によれば、両国のエネルギー効率は、日本を100とした場合、<チャイナ870/ロシア1800>という、驚くべき低効率だという。(ちなみにインドは920/アメリカ300/EU170 資料はIEA))
両国の課題、(と併せ、過重な目標を押しつけられた京都議定書のいかがわしさ) がいかに大きいかがわかるというものだ。
◎参考文献
宮崎正弘著 『世界資源新戦争』 (阪急コミュニケーションズ)>
日・中・韓三国の比較文化の若手研究者である著者の、3国で出版した42冊目に当たる比較文化論である。韓国系3世で日本語文学を専攻した著者は、在日期間10年以上を経過している。歯に衣着せぬ表現で、本国チャイナでは、2冊の著書が出版拒否にあっている。
我々日本人は、往々にして西洋との比較を行ってきたこともあり、同三国の比較文化論は極めて貧弱である。氏は日本人特有の性情であり、社会構造だと思われ勝ちな「甘え(の構造)」(土井健郎)「縦割り社会」(中下千枝)だが、前者はコリア、後者はチャイナで顕著であると指摘する。
まず著者は、「なぜもこの三国がすれ違いを繰り返すのか」について、「非同一文化圏」であるという認識を持たなければならないと説く。それはまず日本が採集から農耕に進んだ湿潤の国であるのに、この両国は狩猟から遊牧に進んだ文化圏なのだと謂う。
我々が、遊牧民の文化として拒否してきた「宦官・纏足・抱擁という挨拶」などは、「湿潤の国にとって、いずれもふさわしい手段ではなかったから」という新しい見解を表示して驚かせる。
著者は地政学的見地から、大陸のチャイナと島国の日本との中間がコリアの位置づけだと言うことを、この国民性の面から見ても当てはまるという。例えば両国の人たちが日本に来て一様に驚くのは、川の水が綺麗だということで、濁流のチャイナと中間的なコリアをそこに見付けている。すなわち日本とチャイナを対極に置き、その中間がコリアだとする。
昔から今に至るまで、チャイナはいわゆる「中華思想」から一歩も抜けきれなかったが、コリアは小中華を自負する事大主義に取り憑かれ、日本はいち早く聖徳太子の時代に「脱チャイナ」を宣言している。
我々は「日本人は愛国心がない」と言って嘆くが、実際にはチャイナの人たちは「生まれ変わったら~」という設問に、中国人になりたくないと答えた者が(1万人あまりのアンケートで)64%もいたということが話題になった。おそらく日本人は100%近くが、また日本人に生まれたいと答えるだろうとことから見ても、愛国心は日本人が高いのだと教えてくれる。勿論コリアンはその中間と言うことになる。
たとえば「和の国・闘の国・情の国」とか、チャイニーズはなぜ痰を吐くか?とか、自然に対するそれぞれの違いとか、我々の知らない両国の姿も垣間見せてくれる。その一方で、両国を驚かせた日本の神々について、古事記に出る「屎(ふん・くそ)尿(にょう)の神」の存在で、日本では排泄物にまで神を見るという異常さに、農耕文化と遊牧文化の違いを強調する。彼らにとって糞尿は、悪口の具でしかないのだ。
最後にショートSFストーリーで、宇宙人が日・中・韓の人たちをある星に移住させる話で締めくくっている。始めはリーダーを選ぶのに全く収拾がつかない中で、妥協して(中間である)コリアンを選出するのだが、数十年経って相互の混血が進んで、次第に融和することになる。
この一種の寓話は、三国の強調には長い年月と相互の交流が必要だということ、そしてそれを実現するために、忍耐強く相互交流を図る必要があることを示唆している。
また著者は、この三国共通のシンボル・マークとして、韓国の有名な文化人李御寧(イ・オ・リョン)氏との対談から、すでに効用を失った漢方薬的「漢字圏・儒教文化圏」に代わって、「梅花文化圏」という認識を提起している。
我々日本人は、この若い親日家の優れた比較文化論を、真剣に読み解く必要がありそうだ。
池 田 風 彦 著 (「今月の言葉」執筆者)
題字 :石原千穂子 挿絵 :折本千代子
本書は、このタニシインフォメーションに連載中の「今月の言葉」2003年の3月から2007年5月までの50本の文章をまとめたものです。その季節その月にちなんだ話題が綴られたコラムをまとめて読んでみると、風彦氏の博識に驚かされます。氏独特の飄々とした言い回しで語られている文章は、風彦流の歳時記、文明批判。B6(12.8×18.2cm)のハンディな本書ですが、視野の広い本なのです。
それにしても、このインフォメーションの作成に関係している者として、「じゃがいもの花」を発行させていただけたことは、とても感慨深いものがあります。毎月のインフォメーションの作成は、まず風彦さんからファックスで送られてくる「今月の言葉」の原稿を入力する作業で始めてきたわけですから。
(哉)
いるんです。こういう父親。彼のように元過激派でもアナーキストでもないけど、我が子でさえ困っちゃうような偏った自信と主張を持っていて周りはとにかく扱いかねてしまうのです! あ、ちょっと愚痴っぽいですか? そんな訳で始めのうちは微かな不快感すら抱きながら見ていました。
でもこのお父さんの曇りのない笑顔にだんだん乗せられてきてしまいました。東京ではごろごろしていたくせに西表島に着いた途端、息を吹き返したように行動を始めます。口先ばかりではなく、やる時はとことん本気でやる人だったんですね、お父さん。その本気がとうとう大変な騒ぎを起こしてしまうけど、でもこのお父さん(と、さらに大物のお母さん)なら笑顔で乗り切ることでしょう。そしてしっかりした子供達がいれば。実際、この頃奇妙なほど大人びた子供たちが多いのは、大人が大人じゃないからかなぁと思い、最初の愚痴は忘れて反省した次第です。
(nao)
自他共に認めるラーメン好きなので、時々広島で1番美味しいラーメン屋をたまに聞かれる。
でもラーメンほど好みが分かれる食べ物も少ないのでいつも答えに困る。
熊本ラーメンを紹介しても豚骨スープはダメとか、麺が太いのや細いはダメとか言われたらもう好みが違うから何が美味しいかは、わからんよ?てな話になる。
でも1番好きなラーメンは?と改めて質問されると、
あの店かな~。
その店は西区大芝にある
魚魚骨(ととこつ)ラーメンでした。
本当に旨かった。
その日も近くのコインパーキングに車を停めて店に向かうと、同じ道沿いだけで美味いラーメン屋が二軒ある。
当時の横川から大芝付近は本当に美味いラーメン屋がたくさんあって、本当にラーメン好きには堪らない場所だった。
もちろん1番美味いと僕が思っていたのが、その店の魚魚骨ラーメンだ。
「QueensTown」というbarが、昼間ラーメン屋になるのだが、正確にいうと昼間に間借りさして貰ってたらしい。
元は五日市のコイン通りにあったのだが、事情でこちらに移ったのだ。
店内はバーになったが、寡黙だが温かいご主人と小まめで優しい奥様は変わらず迎えてくれた。
大好きだった魚魚骨ラーメンを注文した。
魚魚骨ラーメンとは魚の骨と野菜からスープを作るラーメンで、優しいのだがめちゃめちゃ美味いラーメンなのだ。
季節や日によって魚の骨が変わる、鯛、鮃、鱸、アイナメ、その他いろいろ。
大体2、3種類ミックスされているので来るたびに今日は何かな?と楽しみにしていた。
下ごしらえをキッチリして臭みや雑味を取り除いた魚の骨から取る日本人好みのダシと、野菜を合わせたそのスープは、滋味溢れ、優しくしみじみと旨さが身体に染みわたるんです。
福岡県での学生時代以来10年間ハマリ続けた豚骨ラーメンより初めて美味いと感じたラーメンだった。
豚骨ラーメン命だった自分がラーメンの味覚に自由になったのはこのラーメンのお陰かなと今は思う。
実際、季節事に牡蠣や海老、ラーメンとは違うけど冷やし担々麺など限定ラーメンもあり、その時々塩や醤油、味噌ベースなど楽しんだ。
牡蠣や海老などもそうだが魚貝系とスープの相性が良いみたいで1番好きだったのはアサリ塩バターラーメンだった。
塩バターラーメン自体、美味いと思った事はなかったのに、この野菜と魚の骨から摂ったスープには感動して感謝したくなる程合うのだ。
しかし、この日に食べたラーメンはトトコツラーメンだが、実は半月近く、魚魚骨ラーメンではなかっのだ。
この日で店を閉めるのだが、閉店の理由の魚の骨が安定して仕入れられなくなり、替わりに肉を使いコンソメの技巧を使いトトコツ風のラーメンを作られたのだ。
自分も事前に知らなければ何かの魚だと思っだろう、それだけ美味いラーメンだった。
食べてる途中に店主の旦那さんに話かけて頂いたのだが、無口なご主人だし、自分もラーメン屋さんでは料理される方には話かけないしので長く通った店だが初めてに近い会話だった。
隠していたつもりだが、僕がある方にこの店を紹介した事や今後の事を聞かせていただいた。
中でも胸を打ったのは、閉店の理由であるコストや仕入れの難しさ、調理の手間から50杯が限度だった事。
今回のラーメンはこの技法を使えば魚の仕入れに関わらず作れたのに、また新しいラーメンのアイデアもあったのに、最後までお客さんの求めたトトコツラーメンの味を提供したのだ。
個人的な意見として、トトコツラーメンでなくてもご主人のラーメンが今後も食べたかった。
話を聞けばこの新しいスープに合わせた新しいラーメンのアイデアやイメージがあるなら、それを作って挑戦して欲しかったと僕の生意気で、我が儘な意見を伝えた。
しかしご主人はいつものように静かな、そして優しい表情で微笑まれただけでした。
きっと、最後になろうとトトコツラーメンを食べに来られるお客さんにご主人なりの最高の誠意を提供されたんだなと思いました。
ご主人と奥様にまた、どんなラーメン、いや食べ物で構わないんで、必ず待ってます。と言って店を出た。
あれから何年か経つがまだ、店を再開した話は聞かない。
でも、多くのファンは待っています。
無くなったから素晴らしいラーメンだった、とは思われたくない。
きっと復活して、また最高のラーメンを食べさしてもらいたい。