金谷 武洋著 講談社 1,785円
本著の帯紙には、表紙側に大きく、
『日本語に主語はいらない』とあり、小さく「日本語文法を/英語の呪縛から解き放った/天才日本語学者/初の本格評伝」とある。
またその裏側には、
日本語は非論理的な言語ではない。文法が英語と違うだけだ。日本語の文法構造を初めて合理的に解明した三上文法。その先駆性ゆえに長らく不遇を託っていた『街の語学者』の生涯を、カナダ在住の日本が学者が敬愛を込めて描く。
と書かれている。考えようでは、これで全て言い尽くしている感がある。以下この帯書きを脳裏に入れて読んでほしい。
著者は東大教養学部でフランス文学を学び、国際ロータリークラブの奨学生としてカナダ・ケベック市のラヴァル大学に留学するが、数多くの外国語クラスを渡り歩く内に、次第にランス文学よりも「言語学」の魅力に取り憑かれていく。
その内に日本語の講座を受け持つことになるのだが、そこで(印欧語族と呼ばれる)フランス語や英語などと、日本語の間に横たわる大きな氷山に遭遇して頭を抱える。なにしろ理論武装として欠かせない日本国語教育の指針や指導要綱などがまるで通用しないのだ。
外国語と日本語を、相互置き換えるという場合、当然直訳ではなく意訳するという作業が必要になる。著者が最初に突き当たった壁は、たとえば「ジュ・テーム」 とか「アイ・ラヴ・ユー」という言葉を日本語に置き換えようとすると、「私はあなたを愛します」としたら、文章なら悪文そのものになるし、第一日本人が愛を囁くとき、誰もそんな野暮くさい言葉など決して使わないではないか。
多くの事例を通じて、まさに氷山に突き進むタイタニック号乗組員の心境で困り抜いていた著者に、日本の友人から送ってくれたのが、三上章の、『現代語法序説』と、『象は鼻が長い』という変わった題名の本であった。ここで著者は、初めて「日本語には主語はいらない」という画期的な理論に出会って、その疑問は一挙に氷解し、目からウロコを何枚も落とした彼は、たちまち三上章理論と、それを書いた三上章個人に傾倒することになる。
その後モントリオール大学に移った著者は、修士論文にこの「日本語主語不要説」を選ぶことになるが、その時の指導教授から、「(主語不要という)日本語の構文は、西洋の(ギリシャ語・ローマ語など)古典語に似ている」と指摘され、日本の国語文法学者が指標としてきた現在の英語・仏語などの文法概念が、決して普遍性を持たないことを知る。こうした経緯を経て、ますます三上章に傾倒していった著者は、どうしても彼の生涯を追ってみようと決意することになった。その成果が本著である。
三上章は、1903年高田郡(現在の安芸高田市)甲立村で生まれで、没年は1971年、すでに死後36年が経過している。三上は和算研究の数学者であった叔父三上義夫の薦めに従い、京都三高の理科甲類からの建築学科に進む。ちなみに三高時代の同級生に今西錦司、1級下に桑原武夫がおり、その後も長く交流を続けていた。
北海道出身でしかもカナダ在住の著者から、図らずも広島県出身の偉大な学者の存在を知らされることになった次第だが、ただ三上章が広島に住んだ期間はごく短く、広島市の修道中学で数学の教鞭を取ったも、ごくわずかの期間に過ぎない。
東大卒業後は幾つか屈折を経たあと数学教師の道を歩み、その後は一貫して数学教師を続けながら、天職とも言うべき日本語文法の道を進んだ変わり種で、生涯「街の語法研究家」という立場で過ごした。その間幾多発表した論文も、結局偏狭な日本の国語学会において認められることはなく、さりとて反論もされず黙殺・無視され続けるいう不遇な生涯を送くることになる。
著者が2003年から3回に亘って帰国し調査した「三上章の生涯」は、この一冊に圧縮され集約されているが、「評論」と謳ってはいるものの、さすがに言語学者、三上に対する敬愛の念が書かせた優れたノンフィクション作品の趣があり、近づきにくい文法という題材を扱いながら、平易な表現で一気に読ませてくれる。
三上は一生結婚しなかったが、彼の研究は妹茂子の献身的な存在の支えがなければ決して成功しなかっただろう。それほど妹茂子の存在は大きかった。 著者は執筆に当たって、茂子の驚異的な記憶力と文献の保存などに大いに助けられたとして、本書を三上茂子に捧げている。
また著者は、三上の生き様を幾人かの有名人と重ね合わせているのだが、その一人が国学の先駆者、僧契沖であり、もう一人はロンドン留学で神経を病んだ夏目漱石である。
晩年67歳の時請われて勇躍ハーヴァード大学に行くのだが、なぜか妹茂子が同行していない。もともと病弱の上、一切家事の出来ない晩年の三上にとって、慣れない外国での生活、到着時からすでに悲惨なものであった。結局心身共に疲れ果てた三上は、わずか2週間の滞在で自ら「敗北宣言」して帰国する。彼が亡くなるわずか1年前のことである。
著者によると、世界の日本語熱はすこぶる高く、(2002年の段階で)海外127ヶ国・地域での学習者は、実に235万6745人に上るという。これにテレビやインターネットでの学習者を加えると、それこそ膨大な人数に上るのだが、そうした人たちに対する日本語教材として、いまだに適切とは言えない教材と教師に多く依存しているという問題がある。
本著は三上章の優れた評伝であると同時に、「学閥や古い理論に凝り固まって新しい才能の台頭を許さぬ、日本の既成学界に対する痛烈な批判」と、「ここらで硬直した文法呪縛を解き放ち、三上文法に依拠した『主語不要日本語文法』普及が急務」であることを、われわれに、また日本語指導に行き詰まっている教師たちに指し示してくれる。
<付 記>
三上章と叔父義夫とは、それぞれ海外で認められ、死後国内でも評価され、その著書がロングセールを続けるという因縁的共通点を持っている。考えようでは(文字通り)「以て瞑すべし」とも言えるが、ただ叔父三上義夫の「そろばん碑」は広島市に建立されたものの、三上章の顕彰碑はまだない。
ちなみに著者が住むモントリオール市は、1998年に広島市と姉妹都市縁組を締結しているが、その際通訳として立ち会った縁もあるところから、最近始まったメール交換の中で、著者より中村に、「三上章顕彰碑の実現に一臂の助力」の依頼があったことをお伝えしたい。
本著の帯紙には、表紙側に大きく、
『日本語に主語はいらない』とあり、小さく「日本語文法を/英語の呪縛から解き放った/天才日本語学者/初の本格評伝」とある。
またその裏側には、
日本語は非論理的な言語ではない。文法が英語と違うだけだ。日本語の文法構造を初めて合理的に解明した三上文法。その先駆性ゆえに長らく不遇を託っていた『街の語学者』の生涯を、カナダ在住の日本が学者が敬愛を込めて描く。
と書かれている。考えようでは、これで全て言い尽くしている感がある。以下この帯書きを脳裏に入れて読んでほしい。
著者は東大教養学部でフランス文学を学び、国際ロータリークラブの奨学生としてカナダ・ケベック市のラヴァル大学に留学するが、数多くの外国語クラスを渡り歩く内に、次第にランス文学よりも「言語学」の魅力に取り憑かれていく。
その内に日本語の講座を受け持つことになるのだが、そこで(印欧語族と呼ばれる)フランス語や英語などと、日本語の間に横たわる大きな氷山に遭遇して頭を抱える。なにしろ理論武装として欠かせない日本国語教育の指針や指導要綱などがまるで通用しないのだ。
外国語と日本語を、相互置き換えるという場合、当然直訳ではなく意訳するという作業が必要になる。著者が最初に突き当たった壁は、たとえば「ジュ・テーム」 とか「アイ・ラヴ・ユー」という言葉を日本語に置き換えようとすると、「私はあなたを愛します」としたら、文章なら悪文そのものになるし、第一日本人が愛を囁くとき、誰もそんな野暮くさい言葉など決して使わないではないか。
多くの事例を通じて、まさに氷山に突き進むタイタニック号乗組員の心境で困り抜いていた著者に、日本の友人から送ってくれたのが、三上章の、『現代語法序説』と、『象は鼻が長い』という変わった題名の本であった。ここで著者は、初めて「日本語には主語はいらない」という画期的な理論に出会って、その疑問は一挙に氷解し、目からウロコを何枚も落とした彼は、たちまち三上章理論と、それを書いた三上章個人に傾倒することになる。
その後モントリオール大学に移った著者は、修士論文にこの「日本語主語不要説」を選ぶことになるが、その時の指導教授から、「(主語不要という)日本語の構文は、西洋の(ギリシャ語・ローマ語など)古典語に似ている」と指摘され、日本の国語文法学者が指標としてきた現在の英語・仏語などの文法概念が、決して普遍性を持たないことを知る。こうした経緯を経て、ますます三上章に傾倒していった著者は、どうしても彼の生涯を追ってみようと決意することになった。その成果が本著である。
三上章は、1903年高田郡(現在の安芸高田市)甲立村で生まれで、没年は1971年、すでに死後36年が経過している。三上は和算研究の数学者であった叔父三上義夫の薦めに従い、京都三高の理科甲類からの建築学科に進む。ちなみに三高時代の同級生に今西錦司、1級下に桑原武夫がおり、その後も長く交流を続けていた。
北海道出身でしかもカナダ在住の著者から、図らずも広島県出身の偉大な学者の存在を知らされることになった次第だが、ただ三上章が広島に住んだ期間はごく短く、広島市の修道中学で数学の教鞭を取ったも、ごくわずかの期間に過ぎない。
東大卒業後は幾つか屈折を経たあと数学教師の道を歩み、その後は一貫して数学教師を続けながら、天職とも言うべき日本語文法の道を進んだ変わり種で、生涯「街の語法研究家」という立場で過ごした。その間幾多発表した論文も、結局偏狭な日本の国語学会において認められることはなく、さりとて反論もされず黙殺・無視され続けるいう不遇な生涯を送くることになる。
著者が2003年から3回に亘って帰国し調査した「三上章の生涯」は、この一冊に圧縮され集約されているが、「評論」と謳ってはいるものの、さすがに言語学者、三上に対する敬愛の念が書かせた優れたノンフィクション作品の趣があり、近づきにくい文法という題材を扱いながら、平易な表現で一気に読ませてくれる。
三上は一生結婚しなかったが、彼の研究は妹茂子の献身的な存在の支えがなければ決して成功しなかっただろう。それほど妹茂子の存在は大きかった。 著者は執筆に当たって、茂子の驚異的な記憶力と文献の保存などに大いに助けられたとして、本書を三上茂子に捧げている。
また著者は、三上の生き様を幾人かの有名人と重ね合わせているのだが、その一人が国学の先駆者、僧契沖であり、もう一人はロンドン留学で神経を病んだ夏目漱石である。
晩年67歳の時請われて勇躍ハーヴァード大学に行くのだが、なぜか妹茂子が同行していない。もともと病弱の上、一切家事の出来ない晩年の三上にとって、慣れない外国での生活、到着時からすでに悲惨なものであった。結局心身共に疲れ果てた三上は、わずか2週間の滞在で自ら「敗北宣言」して帰国する。彼が亡くなるわずか1年前のことである。
著者によると、世界の日本語熱はすこぶる高く、(2002年の段階で)海外127ヶ国・地域での学習者は、実に235万6745人に上るという。これにテレビやインターネットでの学習者を加えると、それこそ膨大な人数に上るのだが、そうした人たちに対する日本語教材として、いまだに適切とは言えない教材と教師に多く依存しているという問題がある。
本著は三上章の優れた評伝であると同時に、「学閥や古い理論に凝り固まって新しい才能の台頭を許さぬ、日本の既成学界に対する痛烈な批判」と、「ここらで硬直した文法呪縛を解き放ち、三上文法に依拠した『主語不要日本語文法』普及が急務」であることを、われわれに、また日本語指導に行き詰まっている教師たちに指し示してくれる。
<付 記>
三上章と叔父義夫とは、それぞれ海外で認められ、死後国内でも評価され、その著書がロングセールを続けるという因縁的共通点を持っている。考えようでは(文字通り)「以て瞑すべし」とも言えるが、ただ叔父三上義夫の「そろばん碑」は広島市に建立されたものの、三上章の顕彰碑はまだない。
ちなみに著者が住むモントリオール市は、1998年に広島市と姉妹都市縁組を締結しているが、その際通訳として立ち会った縁もあるところから、最近始まったメール交換の中で、著者より中村に、「三上章顕彰碑の実現に一臂の助力」の依頼があったことをお伝えしたい。