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「ジョーモニズム」とはなにか

縄文が日本を救う! (58)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 いままで縄文に関わる思いを、たとえば『乱世の縄文』『縄文が日本を救う!』というように、すべて「縄文」という大きな括りで表現してきた。これはあまりにあいまいな表現であり、逆に考えれば「縄文」にとって重荷であったとも謂える。

 今まですでに私の諸文を読まれた方は、おそらく至極明確に、あるいは漠然としながらも、意とするところを汲み取って下さってきたものと思うが、時事あるいは政局に関する発言などから、矛盾を感じさせたり、また誤解を与えたりした可能性も否定できない。

 加え新しい読者も対象にして、あらたに私の思想の根底にある「縄文観」を指し示すために、「ジョーモニズム」という造語によって定義付けすることで、より深い理解を頂くための一助としたい。では「ジョーモニズム」とは一体何か。ごく簡略に述べてみたい。

1. 日本という風土が生んだ思想・生命観、それに性状

 アジアモンスーン地帯という湿潤な気象に、峻険な山脈が連なって南北に細長く延び、外部から攻めるにも、逆に外部に侵攻するには遠く、なんとか諸文化の吸収は可能という絶妙な立地であって、四季を持つ気候、大きくて幾つもの天災にさらされ、1万4000年の長きに亘って採集と漁猟を生業として平和に過ごしてきたことから、生まれた穏やかながら芯の強い、独特の思想や生命観を保持して、稀有の文化を今に継続さて来た。すなわち日本の風土は、狩猟という生活様式を主体とすることを拒んだことから、世界的に稀有な採集文化を確立した民族だった。

2.森が育んだ「縄文の匠の技」

 豊かな森の恵みは、早くから縄文の民を定住させ、大きな余裕を、余暇生んだ。縄文の民は、余暇に手仕事を発達させていくが、その最大の成果が「土器の文化」である。世界に例を見ない素晴らしい土器こそ、森にはする縄文の「モノづくり=匠の技」だといえるだろう。

 縄文の匠の技は、その後弥生との邂逅で益々洗煉され、大陸の文化と接する度に、「師の国を超える技」にしていった。西洋のモノづくりが戦争によって陶冶されたのに反して、日本においては、縄文以来の平和に根指したモノづくりに特徴がある。

 日本は幾度も存亡の危機に見舞われていた。曰く明治維新・大東亜戦争の敗戦、それにバブルの崩壊…、その都度いかにしてそうした危機を乗り越えて、不死鳥のごとく甦ってきたのか?それはすべてによってであることを心に銘記すべきである。

3.モノに霊性を、生命を見た!

 日本のモノは、決して物質ではない。そこには精神的な要素を包含した命あるモノがある。たとえば同じ「商」にしても、かつて縄文時代より連綿と、「霊を持った物=マナ」という意識がある。「霊を持ったモノ」を贈り、貰った者がそれに匹敵するモノをお返しするという崇高な習慣が、他に類のない「進物文化」となって連綿と続いているのだ。

 こうした特異な歴史の中で生まれた「ジョーモニズム」のバックボーンは、穏やかな多神教であり、敵すらも死すれば神として祀るほど、常に相手をおもんばかる「性善説」なのである。

 <参考文献:『縄文からアイヌへ』町田宗鳳(せりか書房)

4.弥生との邂逅と融合
    ──ハイブリッド日本人を誕生

 世紀前8世紀、チャイナより弥生の民がボートピープルとして渡来した。彼らは主として採集から進化した農耕(水田稲作)と漁撈の民だったので、容易に混血を果たし、遅まきの「農業革命」を経験し、わずかの期間に最果ての青森の地まで稲作を普及させる。

 縄文=創造の資質と、弥生=継続・改良の資質のドッキングによって生まれたのがハイブリッド日本人ということになる。

 我々が弥生から継承したのは、その根底に日本という風土に根付いた「コメ文化」である。それはいつしか社会全般の底辺に拡大され、何時しか「縦割り・横並び・談合・経験優先・農業暦に基づくディジタル発想であり、個より集団であり、出る釘は打ち、他者は排除する」という、陋習を形成していくのである。これをヤヨイズムと呼ぶことにした。

 こうした「コメ文化=ムラ意識」は、平時では大きな力を発揮するが、賞味期限・耐用年数が過ぎると次第に硬直化し、内部から崩壊していくが、(それと気付かぬまま)守旧派が旧来の陋習に固執し、結局外圧によって解体されるという経緯を辿ってきた。
                 (次回につづく)