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「ジョーモニズム」とはなにか-2

縄文が日本を救う! (60)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

5.ジョーモニズムに対する(比較文化論としての)ヤヨイズム、そしてグローバリズム

 縄文人は「クニ意識」を持たなかったが、後に渡来する弥生人ほど、国家統一意識が高く、邪馬台国から大和王朝などを形成する。弥生人の特徴・資質それに思想は、コメづくりを根底とした社会制度を完成させる。

 この縄文(ジョーモニズム)と弥生(ヤヨイズム)の邂逅は、自由と規則、創造性と模倣・改善性、工と農、断続と継続など相反する特性を包含したハイブリッド日本人を誕生させた。しかもその絶妙の立地によって、殆ど狩猟文化に触れることなく、この採集→農耕という生活様式は、必要なものだけを吸収し、不要なものは捨て去るという「いいとこ取り文化」によって他国の侵略をかわして、実に19世紀、黒船襲来・開港に到るまで継続することになった。

 では「グローバリズム」とはなにか。世界の歴史を文明発祥の時代から大きく俯瞰すれば、なべて狩猟→遊牧の民による、採集→農耕の民の支配・隷属化であった。移動という「足の文化」は、通商を発達させ、弱小種族を支配するという構図を拡大していったのだ。彼らの信奉する一神教は、農耕の民の持つ多くの神々を滅ぼした結果という側面を有しているのだ、旧約聖書に見られる(アダムとイヴに発した)「原罪」は、ヒトの「性悪説」を物語り、旧約・新約という言葉通り、神と人さえ契約によって結ばれるという「契約の文化」を信奉している。

 この「性悪説・契約の文化」を逆に見れば、「契約になければそれはないことに等しい」という意味であり、日本の「性善説・縁の文化」の対極点にある。彼らがいま信奉する市場原理は、まさ(狩猟に発した)理論であって、ダーウィンの謂う「食物連鎖=弱肉強食説」を牽強附会したものである。

 彼らの戦争を頂点とする「商」の原点は、他を信用しない疑心暗鬼が生む「性悪説」だと知るべきである。すでに征服し、隷属化してきた農耕の民との争いがすでに終焉したいま、(ご存知のように)バスク地方VSスペイン・アイルランドVSイングランド・イスラエルVSパレスティナ・イラクVSアメリカ…、すべて一神教同士の争いである。

 20世紀末、日本は突然バブルが崩壊、日本金融界はハゲタカファンドに、いいようにしゃぶり尽くされてしまった。彼らの旗印こそ「グローバリズム」である。では「グローバリズム」とはなにか?これは西洋特にアングロ・ユダヤという狩猟→遊牧の民の本分とする、「待ち伏せ・追跡・ワナ・囮(おとり)・落とし穴・威嚇・はったり…」という商の原点である。

 バブル景気を謳歌する日本に、彼らは、「閉鎖的な日本は、グローバル・スタンダード(この言葉は、外圧を利用する日本官僚の造語)に合致しない」といって、守旧的保護主義ヤヨイズムの堅城に、楔を打ち込んできたのである。今成すをべきこと事は、彼らの「買収・合併」など、その戦略を洞察し、十分な対策を講じることであり、その上で新しい「ジョーモ二ズム戦略」を打ち立てることである。

 疲弊した「ヤヨイズム」に、再び「ジョーモニズム」の血を、そして心を注入しなければ、日本全体が早晩「グローバリズム」に飲み込まれてしまうことだろう。だったら「グローバリズム」をやみくも排除すればいいのかといえば、自分たちは海外でそのルールに則りながら、日本においてそれを拒むことは不条理である。

さて「ヤヨイズム」を打破した後、「グローバリズム」の大波に飲み込まれるか、それとも「ジョーモニズム」に回帰するか、今その選択が迫っている。いずれにしろ、今こそ硬直した排他的な意識を捨て去る必要があるのではないか。