エーモン フィングルトン著 中村仁美訳 早川書房 1,995円
実はこの本には、2つの特質すべき?エピソードがあった。本題に入る前にいささか長くなるが、紹介しておきたい。
その一、実は1円(送料は別)だった!
いつも書籍通販で利用しているアマゾンの検索サイトで、「製造業」で探したところ、この本が見つかった。しかもそこに「21点の新品/ユーズド商品を見る」とあるので、そこを見ると、なんと1円で、評価レベル・5つ星とあるではないか!
題名もイカシているし、すぐさま申込み感銘を持って読み切った。
安い理由の1つは、1999年と8年前の出版という点だが、アメリカ経済界を支配している、「ポスト工業化社会」と(彼らポスト工業化社会論者がすでに陳腐化したという)「工業化社会」の比較論だから、むしろ現在(いま)の方がよく分かるというものだ。
最初に思ったのは、1円~300円というランクがあるので、心ある製造業のトップや管理者は、すぐさま買い占めて、社員に読ませるべきだということだった。
その二、実はこの本をすでに購入して読み、且つ「感銘の1冊」として紹介していた事実があったのだ!
著者が比較対象として取り上げている「ポスト工業化社会」のことを調べようと、グーグルで検索してみたところ、なんとの2000年2月に、ちゃんと自分の手で書いているのが見つかったのだ。なんたる不覚…。
毎月の書評を収録している縄文塾HPのメニューより、
『感銘の1冊』(2000.2)参照
いくら7年半という昔とはいえ、きれいに記憶からすっかりと消えていることに、我ながら呆然、真剣にボケ到来を懸念している始末である。なにしろ以前読んだ記憶も、書いた記憶もが、わが脳髄から見事にポッカリと欠落しているからである。
あわてて本棚を探してみると、確かに同じ本があった。別のところで、「過去の記憶は極力忘れようとしている」と書いたのは事実だが、感銘を受けたにしてはあまりに酷い。
こうなっては開き直るしかない。前回よりは年月を経ているだけ、新しい結果や視点が見つかるかもしれない。ぜひ以前の書評と一緒に読んでいただきたいものだ。
なお以下表現的には、自らの検証や思い入れを重点に置いて、同著から離脱した部分が多いことを、前もってお詫びする。
(ここから本題)
本著が上梓されて8年を経過している。当時バブル真っ最中だった日本だが、多くの無能なアナリストの無為無策ぶりがあらわになる中、小泉・竹中の「ぶっ壊し政治」によって、というより、お上に頼ることの無意味さを覚った製造業を中心とし
た企業の自主努力から、ようやく暗くて長いトンネルを抜けて成長度はともあれ、長さでは「岩戸景気」を上回る復活を遂げてきている。
その後日本の製造業は、小泉・竹中の「ぶっ壊し政治」によって、と言うより、お上に頼ることの無意味さを覚った製造業を中心とした企業の自主努力から、人員整理を中心としたリストラを含め、血の滲むような努力もあって、ようやく暗くて長いトンネルを抜け、成長度はともあれ、長さではかつての「岩戸景気」を上回る成長の復活を遂げてきている。そこにはマスコミの喧伝した「情報化社会」というポスト工業化社会の華やかな姿はないものの、着実に日本の実力を発揮してきた結果といえるだろう。
その理由は、ポスト工業化社会的思考の根源にある「株主優先・短期利益優先」という、アングロユダヤ的経営思想にあり、それが生んだMBAスタイル経営者の跋扈が挙げられるだろう。所詮この思想では、研究開発のための投資など不可能である。
ここで「ポスト工業化社会」を再定義すると、主としてITを基盤とした「高度情報化社会」であり、金融や株式売買関連、それに物販・流通業などであろう。
ポスト工業化社会論者が見落としたものは、いわゆる製造業も、IT武装を身につけて再登場すというシナリオではなかったか。見落としたのではなかったとしたら、過小評価していたことになる。「コンピュータ ソフトがなければ ただの箱」は、そっくり裏返せば、「コンピュータ ハードがなければ ただのゴミ」だということだったことになる。なにしろ日本が生んだラップトップ・パソコンが世界を席巻し、ディジタル・カメラの進化たるや空恐ろしい程である。
アメリカが選択した「ポスト工業化社会」だが、その求人機能はごく低く、結局一部の特別富裕層を生んだだけで、インドやチャイナにソフト・エンジニアを外注するていたらくである。日本においては、マスコミが「勝ち組・負け組」という、けっ
たいな差別発言をして話題を呼んだが、それがあのホリエモンや村上ファンド、それにコムスンなど六本木ヒルズ住民の去就としたら、まさに虚業をもて囃し、しかも水に落ちたイヌは徹底的に叩くというマスコミのお家芸に過ぎない。
では物販ではどうか。日本の商業コンサルタントは、なぜか安売りの王者「ウオールマート」を礼賛する。ところがこのウオールマートも、フランスの大型量販店カルフォールも、日本では成功していない。
わかりきっていることなのだが、こうした店が成長したのは、この店の存在を必要とする「低収入層」の存在が日本にはないことである。それに日本人は「安かろう悪かろう」という商品には目もくれない。そこを忘れた日本企業が、彼らとの提携に失敗するのは当然のことである。
では「100円ショップは~」という人がいるだろう。これは価値・価格費=コスト・パフォーマンスの問題であって、100円でこれだけの価値があるから行くだけで、ここにはルイ・ヴィトンやシャネルを持つ人でも訪れるという、日本特有の価値観があるのだ。
日本のマスコミは、IT家電のランキングとして、白物家電・携帯電話・テレビ・パソコンなどの広い分野で、日本企業の劣勢を伝えるが、本当に問題とすべきは、そうした製品の中で占める日本製部品、特に心臓部における日本製品のことも正確に伝えるべきではないか。
最近のハイテク電化製品においても、国際分業が確立し、すべてを自国で、と言う仕組みは失われてしまっている。日本のマスコミはそれに目をつぶって、製品としての(国別)ブランドにこだわりすぎている。
唐津一さんが夙(つと)に謂うように、表面には出ない部分での日本製品は、すでにこれなくしては世界の製造業が成り立たないと言う面を、マスコミはもっともっと強調すべきであろう。曰く「ロボット=メカトロニクス、数値管理マシーン、金型産業・ファインセラミックを含むナノテクノロジー・製造マシーンを造るシーン・半導体などエレクトロニクス部品などから、チェーン・ボルトナット・ワイアー・ファスナー、大型では造船・橋梁・耐震構造建築」などの分野まで、いまや日本の製造業なくしては、世界が回らなくなっている事実を無視してはならない。
製造業とポスト工業企業の差は、雇用人員の数だけでなく、所得格差の差に顕著に現れている。いまや日本は、あの長いバブル崩壊を味わいながら、平均収入にしろ、雇用係数にしろ、アメリカはおろか、ヨーロッパの各国を凌駕して居ることを認識する必要がある。
今日本は、高度成長の陰の部分といえるブルーカラーを嫌う思考から、一日も早く脱却して、真の「高度精密製造工業立国」への道を邁進すべきこと、それが決して間違いでないことをこの本は強く示唆している。
なお今後注意すべきは、金融のグローバル化から大株主として外資の行動、すなわち株主利益の強要の傾向であろう。企業理念として、研究開発・従業員の優遇と熟練化への投資の必要性、言い換えれば、製造業界での「ジョーモニズム」を、「ネオ・グローバリズム」として認識させることに、国を挙げて取り組むことであろう。
「軍需産業」に依存しない日本製造業の有り様を取り上げた、
キャッスルゲイトHPの中の『平和に発した日本技術論』
http://joumon-juku.jp/gijyutu/index.html
もぜひご参照下さい。