孫にと、とうもろこしを買って行って娘に蒸してもらい食べさせた。よほど美味しかったのだろう。「甘い」「甘い」と言いながら二本分全部すっかり平らげてしまった。それはデパートで買ったトウモロコシだったせいか、本当に素晴らしく甘いトウモロコシだったが、一歳十ヶ月でも、もう美味しいものはしっかり分かるらしい。先日は近所のスーパーでデラウェアを買って食べさせると、「すっぱい」と言って吐き出した。確かに熟れ方が足りなかったが、そんな吐き出すほどすっぱくはなかったのだが、子供の味覚は侮れない。
我が子を育てている時は、子どもが何時どんな言葉を覚え、初めてその言葉を使うのがどんなシーンだったかなんてちっともわからなかった。私はずっと働きつづけてきたので、保育所に預けるまでは母に預け、保育所に預け出してからは、子どもが病気の時・自分が病気の時は母の出番。弟のお嫁さんにも世話になった。歯医者などは殆ど近所の友達が連れて行ってくれていた。離乳食もパンツはずしも保育所の保母さんがやってくれた。長男は「自分は親にほっとかれた」と今だに言っている。確かに下の子が小学校に上がった頃は七つ下の妹の昼ご飯はお兄ちゃんに任せていたような気がする。ともかく我が家の子ども達は習い事をさせるわけでもなく、塾に行かせるわけでもなく、特に長女が心臓が悪かったので、健康な子どもたちはほったらかしだった。今子ども達が健康で人並みに仕事が出来ているのは、祖父母や叔父さん伯母さん、両親の友達、保育所の先生、学校の先生、すべて回りの人たちが育ててくださったお陰なのだとしっかり覚えておいて欲しい。
しかしそれにしても我が子の時は残念なことをした。子どもの成長を観察するのは実に面白い。「まだ ある」「もう ない」と二語文が出ると、人は言葉によって人間になっていくと思ったり、木馬に立って乗ろうと試みているのを見て、人間は生まれながらに冒険者なのだと思ったり、いろいろな発見をする。我が子の時には出来なかった楽しみを孫が与えてくれている。