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“バック・トゥ・ザ・トクガワ” ・・・ 今こそ「温故知新」だ ・・・

縄文が日本を救う! (66)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

★徳川時代再認識が始まった!

 前回(サブタイトル)『グロ-バリズムといかに対決するか』の後半で、「目標を失った今」として、次のように書いた。


 ところが今大きな問題となっていることは、「気がつけば日本が世界の先頭を走っていた」という事実であって、今までのように「追いつき追い越せ」という手法が通用しないことがはっきりしてきた。
 (中略)。
 同時に、「過去に捨て去ったものの中に、再評価すべきものがあまりに多くはなかったか」しかも「良いと信じて導入したものの中に、むしろ排除すべきものはなかったか」という反省がある。 (後略)

 同文中、列記してきたように、かつて日本は常に新しい文化・文明を吸収・咀嚼し、一定の消化・熟成期間を経て、換骨奪胎して新日本ハイブリッド文化としてきた。

 ところが明治維新というかつてない巨大な国難に直面したとき、早急且つ貪欲に新文明を受け入れなければ国家存続に関わるという危機意識に捉らわれたのである。いわゆる「疾風怒濤時代」であった。


★2つの超弩級「国難」

 国の首脳・中枢要員を含むによる一大デリゲーション(遣欧使)を組織して、1年有余という長期に亘って欧米列強への訪問・視察という破天荒で貪欲な新文明吸収という壮挙を成し遂げるのである。

 その結果、無血で技術革命を自家薬籠中のものにすると共に、明治革命の主役であった武家階級まで(秩禄革命によって)切捨て、富国強兵を旗幟に掲げて瞬く間に世界の大舞台に躍り出た。

 かくして大正・昭和と拡大の一途を辿り、結局大東亜戦争(太平洋戦争)に一敗地に塗(まみ)れてしまう。

 その後の経緯は省略するが、想像を絶する苦労の末、お家芸の「モノづくり」によって奇跡的な復興を遂げ再び繁栄の途を歩むことになるが、ここでもまた新しい文明吸収に努めることで、さらなる繁栄を勝ち取ってきた。

 かくの如く日本は、常に「追いつき追い越すための目標」を必要としてきた歴史を繰り返してきたのだが、ここに来ていわば一種のバーンアウト(燃え尽き症候群)を発症したと言えるだろう。

 現在の日本の混迷と不安、自信や目的達成意欲喪失などは、ここに由来するといっても言い過ぎではないだろう。

 ここで明治以来日本の採ってきた来し方を振り返ってみよう。

1. まず明治維新=王政復古という革命の達成には、どうしてもそれ以前の「徳川時代」というパラダイムを打破する必要があった。
2. その後吸収すべきものの余りの多さとグローバルな時代趨勢の中で、過去を振り返る余裕などとても持てなかった。
3. 戦後マルキシズムの汚染で、江戸時代を「暗黒時代」として糾弾する風潮が高くなった。
4. 技術革新のめまぐるしい進歩の中で、「追いつき追い越せ」という思想があたかも「国是」のような合い言葉になっていった。

 そして今、気付けばいつしか先頭ランナーになってしまっていたのだが、バブル絶頂期には、むしろ「(日本は世界から)すでに学ぶものはない」という傲慢で思い上がった考えが横行し始めたのである。

 その後バブル崩壊によって、そうした自信が打ち砕かれると一転して、重症の「混迷と不安、自信と目的達成意欲喪失症候群」に罹ってしまったのである。


★国家的規模での「温故知新運動」のすすめ

 ここで今始めてといえる、国家的規模での「温故知新運動」として、「バック・トゥ・ザ・トクガワ!」に取り組むことを提唱したい。

 ご存じのように昨今、省エネ意識の高まりの中で「リサイクル運動」が活溌になってきた中、江戸時代こそ世界に誇りうる「超リサイクル先進国」だったことも昨今大いに喧伝されるようになった。

 なお少し前から「江戸学」として、265年に及ぶ平和な時代「パックス・トクガワーナ」が注目されてきた。(本号記載,「感銘の1冊」『江戸の遺伝子』参照)

 「前方に目標を失ったのならば、後ろを振り返ってみよう!」という話である。
一寸考えてみるだけでも、急ぎすぎた結果失ったものの余りの多さに気付くであろう。最近ベストセラーになっている「品格本」などのブームがまさにそれを示している。

明治維新当時、新興日本をリードしてきたのは、福沢諭吉・森有礼(ありのり)・西周(あまね)などの西欧派教育者たちであった。彼らは日本語を捨てローマ字・英語を国語として採用しようとまで考える。

 そうした文明開化の波の中で、過去との決別の一端として強行したのが「廃仏毀釈」運動であり、「神社合祀」であった。その結果いかに国家的財宝が破壊され放逸し、しかも弊履の如く海外流出していったことか。

 さいわい、日本の自然環境と伝統文化の破壊を憂慮した南方熊楠や、佛教美術・芸術の破壊や海外散出に警鐘を鳴らし続けた岡倉天心などの尽力で、「廃仏毀釈」の流れは辛うじて堰き止められたのである。

 そうした経緯を踏まえて現状を見ると、やはり教育面での問題が指摘されるだろう。
 いまや日本の伝統的教育の根幹が失われ、漢字制限という愚行に加え、まるで役に立たぬ英語教育が延々と継続されてきたことか。加えて自分の頭で考える術を軽視する、丸暗記方式という進学優先教育に堕してきたか。

 ここではいささか極論的に(明治から敗戦までの)日本における、「過去との決別」を強調してきたが、誤解を防ぐために付言すれば、それでもなお日本は、伝統文化とその継続を重視してきた国柄であることはまぎれもない事実である。

 ただ敢えて「文化と文明」とに別けて考えた場合、たとえば悲惨な生活を強いられた戦後において、「物質文化から物流文明」へ、「自然から人知」への偏向を余儀なくされたように、予想以上に進んだ欧米(舶来)文明に対する憧憬が、文化継承意識を上回った結果だとも謂えるだろう


★破綻に直面したグローバリズム

 昨今の狂乱的石油価格、代替燃料としてのバイオエタノールへの移行など、アフリカを中心とした食糧難や水不足現実化の中で、まるで歯止めの掛からない状態が続いている。

 これは現在の投機市場・金融システムが、いかにいかに不条理なものかを如実に示している。果たしてこうした理不尽な仕組みがこのまま継続されて良いのか、おそらく何かのきっかけで一挙に破綻し崩壊する危険性を内蔵している。

 デリヴァテイヴの基本となる先物取引は、江戸時代世界で始めて米のリスクヘッジを目的に大阪堂島で創出された。ところが今では、本来のリスクヘッジの本質を逸脱して、行き過ぎた投機目的手段に堕しているのだ。

 こうした中において、世界経済の有力一員として、日本のなすべき事の見極めと、確固たる信念の元でのネオ・グロ-バリズム構築のために、我々は真摯に「江戸の智恵」に学ばなければならない。

  『江戸の遺伝子』と重複する部分も多いので以下割愛するが、いま日本における国家的規模での『新温故知新運動=バック・トゥ・ザ・トクガワ』こそ、喫緊の急務ではないだろうか。


*** お知らせ ***

 長らく『縄文が日本を救う!』ご愛読賜り、ありがたく厚く御礼申し上げます。

 実は今,本稿を中心として新たな構想も加え、『縄文が世界を救う!』として世に問うべく鋭意執筆中です。

 つきましては『縄文が日本を救う!』本号を持って、休筆いたしたく御通知申し上げます。