「年寄りは、年寄りの誇りを持とう」
―私の「戒老録」―
―風彦
お年寄りをいたわる―。先祖を敬い、亡くなった人々を偲ぶ―。これは人類の美徳である。日本では、そのために九月には「国民の祝日」がある。十五日の「敬老の日」であり、二十三日の「秋分の日」。しかし、最近の風潮ではその精神が薄れているようだ。
ある公演の席で、こんな話を聞いた。八十になるおばあさんが、スイミングスクールに通い始めた。それを知った嫁さんが、理由をたずねた。おばあさんは、『三途の川』を渡るための泳ぎの練習だと答えた。するとその嫁さんは、コーチに言ったそうだ。
「おばあさんには、ターンすることだけは教えないで欲しい」―。会場の笑いを誘った。たぶんにブラック・ユーモアだろうと察したが、「軽老」の風潮を知らされた思いだった。以前、作家・曾野綾子さんの「戒老録」を読んだことを思い出した。
「人は生きる限り、肉親に頼らず、身だしなみに気をつけ、一生涯努める。心を救うものは自ら以外にない」と説いていた。その彼女も、最近はご主人の作家、三浦朱門を悩ませる鬱だそうだ。私は、決して一人では生きていくことは出来ないと悟った。核家族化と高齢化がすすむ中で、これからの日本社会は?と考えると暗い気持ちになる。さりとて現役社会から退いた昭和一桁生まれの「後期高齢者」。自問自答の結論は―。
「敬老精神」におもねるのではなく、自立精神の気概をもち、社会生活での共生の中で、年寄りとしての「誇り」を持つこと。あの昭和の激動期を生き抜いてきた「誇り」である。
閉じこもり老人にならず、「社会の風」にふれて生きる。若者から慕われ、愛される。そして、若者が憧れる老人になれば、先祖を敬う気風も芽生る。社会も変わる。これが私の「戒老録」である。
(風彦)