散策と万歩計
―歩きながら考える―
―風彦
四季のうち十月は、ものを想う秋。京都の「哲学の道」を散策したことを思い出す。銀閣寺の疎水辺りの参道で、銀閣寺橋から若王子町までの一・六キロ。桜の季節もよいが、桜並木の黄葉、紅葉の時期がとりわけ風趣がある。日本の代表的な哲学者、西田幾多郎が京大時代に思索にふけって歩いた小径である。
「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える」-。戦後間もない頃のベストセラー。「ものの見方について」の書き出し。著者は戦時中、滞欧していた朝日新聞の特派員、笠信太郎。各国の国民性を明快に分析。その国の政治、教育などのあり方にも言及した一書。今日の日本はスペイン型。暴走した軍国主義から見れば、スペイン以上だろう。思慮深さに欠けるきらいがある。
なにもすべてに哲学的であれ、というわけではない。「哲学」とは原語のギリシャ語では愛智の意。西周(にしあまね)により賢哲を希求するという意味から哲学という訳語に定着。のちに人生の根本原理を追求する学問となる=広辞苑(概要)
冒頭の言葉をとりあげたのは、健康管理のための「一日一万歩」が強調され、最近は携帯電話にまで万歩計の機能がある。私の友人は、ひたすらに「一日一万歩」を目標に万歩計の数値にこだわっている。数値よりも、西田幾多郎ではないが、思索を楽しみながら「散策」をする、自然のうつろいのなかで人生を考える、いまはそのよい季節。このような「ものの見方」・「考え方」で気ばらずに「歩く」-、すなわち「散策」こそ心身の健康によいのではなかろうか。
この季節に私の好きな句がある。
―秋深し石に還りし石仏― 福田蓼汀
―村村のその寺寺の秋の暮― 鷹羽狩行
(風彦)