「もったいない」と「捨てる」
―複合的な精神の苦悩―
―風彦
食欲の秋というのに、いまなお相次ぐ食品をめぐる偽装、欺瞞の事件があとを絶たない。
なかでも事故汚染米の流通事件に至っては、言語道断。政府も業者も指弾されるべきであり、指弾すべき重大な事件である。
食は生命の源泉。食の不信は、政治への不信へ波及する。利潤追求のあまり、企業家は企業モラルをも一顧だにしないのか。あれほどまでに世の批判、非難を浴びながらである。
以前、ビジネス評論家、今泉正顕著の本で読んだ言葉を思い出した。企業にたずさわる人間で大切なことは、「七つのシン」を忘れないことだと、強調して説いていた。そのなかで
「真」。嘘やごまかしのない真実の「真」
「信」。人間で一番大事な信用の「信」
「心」。真心のある人の「心」
この三つのシンこそが企業モラルのバックボーンではあるまいか。その欠如が今回の一連の不祥事である。
こうした社会背景のなかで、過日、ある民放テレビで日本人の食の消費の無駄を指摘し、ケニアのマー夕イさんは、こう言った。
「地球上には飢餓に苦しむ人々が沢山いる。日本には『もったいない』という言葉があるのに『もったいない』心を忘れているのでは」と。
今、現地では「もったいない」という言葉が「MOTUTAINAI」として広まっているそうだ。私たちは、食事の際でも一粒のご飯をこぼしたりすると、バチが当たる-。お百姓さんへの思いを。そして物への大切さ、人への感謝-という躾を受けて育った。それが日本人の倫理観でもあった。その心が希薄になったのは、戦後の経済社会の変化だろう。
大量生産、大量消費…。消費こそが「経済天国」の思想を生んだ。戦前、戦時中、敗戦直後の貧しい時代を体験した世代の人間には、その思いが一入。「漢字の楽しみ方」(岩波書店発行)の著者、辰濃和男さんは、「捨」の項目で書籍、資料の整理などにふれながら「捨てるということは、執着を捨てること」と言い切る。が、何事も「もったいない」心の煩悩が世の功罪に-と思うと複雑である。
(風彦)