町田 宗鳳著 講談社α新書 880円(税込)
この本を佐伯宏美さんという方から戴いた。実は筆者に町田先生を紹介して下さったのも佐伯さんで、その際にも頂戴した『文明の衝突を生きる』と町田先生の概略は、本欄でも紹介させて貰った。
http://joumon-juku.com/books/2007_4.html
またこの本の出版に当たっても、佐伯さんが大きく関わったことは、本書のあとがきで知ることになった。そのあたりを町田先生はこのように書いていらっしゃている。
(前略)この本を書くきっかけになったのは、広島市在住の佐伯宏美さんとの何気ない会話でした。彼女はひたすら「イワンの馬鹿」のように家族のために尽くす、日本の家庭ならどこにでもおられるような主婦ですが、人に不思議なインスピレーションを与えてくれる女性です。今まで物語風の本を書いたことのないわたしにとって、彼女との出会いは神の恵みだったと深く感謝しています。(後略)
佐伯さんご夫妻の生き様は筆者にとっても、お会いするだけで一陣の涼風の趣で、いつも自然と心が和んでくる思いに満たされる。
さて、ここで紹介される『イワンの馬鹿』の他、民話の形で提示される幾つかの物語(寓話)は、絶対的平和を希求したトルストイにふさわしく、戦前に断固徴兵拒否を貫いた平和主義者、北御門二郎の翻訳に依っている。
裕福な家に生まれながら、汚くてつらい仕事を決して厭わず、愚直で働き者で、健康なイワンには、軍人として栄光の道を歩む長男のセミヨン、商人として才覚を現した次男タラス、それに聾唖者の妹マラーニアがいる。しかも兄たちは、妹の面倒もつらい畑仕事も全部イワンに押しつけて顧みない。
それぞれ才知に長けた兄たちに悪魔が取り憑いて、成功に持ち上げた揚げ句、今度はどん底に落とすのだが、馬鹿正直なイワンにはその魔法が通じず、結局イワンの「神様と一緒に!」という言葉でみんな消し去られる。トルストイはこのイワンの生き様に、本当の信仰のあり方を見いだしたのである。
そして著者は、トルストイがイワンに見いだした「愛と満足の生活」の中に、キリスト教だけではなく「老荘思想」への傾倒をも見いだしている。
また本書では、現実に我々を取り巻く社会の中にイワンの生き方を当てはめて、小細工や小賢しい言動のむなしさを指摘してくれるのだが、ひるがえって周辺を見渡したとき、たとえば「額に汗しないで儲けを考える」風潮とか、感謝を忘れて愚痴ばかりの生活とか、思い当ったり反省したりすることのあまりの多さに嘆息するばかりである。
そのほかに、仲のよい謹厳実直な男と(イワンに似た)愚直な男の、家庭生活と巡礼の旅での出来事の話とか、生涯よい靴を造り続ける男の話、欲張って広い土地を求め、結局命を失う男の話などが、著者の解釈と教訓を交えてながら、真面目に愚直に働き、人のために尽くす(愛のために働き、愛の中に生きる)者の中に本当の幸せが宿ることを教えてくれるのだ。
ここで少し本題から逸れるが、筆者なりに「チエ」について考えてみたい。なお英語に対する浅薄な知識から誤訳や思い違いなどがあればご指摘願いたい。
まず(今まで)筆者にとっての「チエ」とは、
1. まず知識(Knowledge)を無差別にデータ(data)として集積する。
↓
2. データの中から、目的に沿った同方向・同系列のものを集めて、情報(Information)にする。
↓
3. 情報に自分自身の考察や発想を加えて醸成させたものが(自らの)「知恵」(Intelligence, Intellct)となる。
というものであって、そこへの到達を目指してきた経緯がある。
ところが本書を読んで私なりに感じたことは、一体筆者が求めてきた「チエ」と、ここでの“愚者の知恵”との乖離は一体何なのか、という思いである。
結局自分なりに導き出したのは、「チエ」には、知恵/智恵/智慧の3種類があるのではないかということである。
私にとってイワンのチエとは、今まで私が求め続けてきた、理詰めな「頭脳」からのアプローチの結果としての「知恵」など、とてもおよびもつかない「智恵」であって、本来私たちの心の中に隠されてきたものではないかという発見であった。
いわばイワン達のそれは、(筆者なりに当てはめた)智恵(Wisdom)であって、決して理詰めなアプローチで行き着けるものではないのだ。
では「智慧」とはなにか? これこそカミそしてホトケの広大無辺な慈悲の心であって、決して求めて得られるようなものではなく、イワンのような無垢の愚者が、その一生を終えるとき、自然にとたどり着く境地ではないだろうか。
ただ一つ言えることは、(筆者の独断と偏見だが)この『イワンの馬鹿』に見られる心根を最も多く蔵している民族は、天然の風土・資源に恵まれ、戦(いくさ)も階層もない時代を1万年以上に亘って過ごしてきた、縄文に発する日本の民ではないか。
たとえば「日本の常識 世界の非常識」という言葉がある。これば脳天気な日本人を揶揄するものだが、真実は「日本の生き様がいかに常識的であって、世界的な発想や生き様がいかに非常識なものか」ということにもなる。
また現在(いま)の日本の有り様を、堕落したと嘆く向きがいかにも多いが、筆者は敢えて、(善悪上下を網羅して)「いま日本ほど多様な価値観が息づいている時代はないのだ」と、楽天的な思いを込めて──いささか場違いで書評からかけ離れているが──本書の読後評としたい。