「知識」と「知恵」
プラス思考で日本人の復興を
―風彦
「知識」と「知恵」は、「ニワトリ」が先か「卵」が先かの論点に似ている。「知識」から「知恵」が生まれる。「知恵」から「知識」が生まれる。これまた事実である。
ある日、幼稚園児の母親から提起されたこの論点で、すこしばかりとまどった。
が、私は単純な例をあげて説いた。ここに一つの林檎ともう一つの林檎がある。さて、林檎はいくつ? とたずねると、二つ。1+1=2で、当たり前の計算。林檎を六つにしたい。どうする? 1+1=6は成り立たない。さて、となると林檎を切ることにより、六つにする。これが「知恵」。そのあとにつけくわえた。
幼いときから分かち合う心をはぐくむようにしたら―と。単純明快に理解してもらった。決して思想的な主義主張ではない。
話は変わる。ある日、書店で一冊の文庫版を見つけた。完本「梅干と日本刀」―日本人の知恵と独創の歴史―(著者・樋口清之)である。六百五十一頁にのぼる分厚い本で、一昔前のベストセラーでもあった。
樋口清之氏は生前、テレビなどマスメディアでも評判の学者(国学院大学名誉教授)。
十二章にわたって日本人の先祖が培った知恵と知識のすばらしさを検証した一冊である。内容も語り口調の文章で、いまはやりの「雑学」の史書ともいえる。
「日本には古来、すごい〝科学〟があった」「驚くべき〝自然順応〟の知恵」「日本人は〝独創性〟に富んでいる」「古来計画性に富む日本の職業教育」「日本企業の驚くべき柔軟性の原体」など、日本人讃歌論でもある。
樋口氏は、敗戦後、日本人は、日本人でありながら自虐肯定論者が多いことへの批判の一書。この本の解説者、伊沢元彦氏は、「一種の文化的閉塞状況を打破。独善的な国粋主義に偏ることなく外国文化の優れた点を認めた客観的な日本文化の美点を捉えており、日本人に勇気と誇りを与えた名著」という。
百年に一度という不況社会に対処するためには、日本人は、外国には見られない日本人らしい「知識」と「知恵」で、日本の伝統・文化の美点への回帰をはかることだろう。
これは、政治にも企業にも社会にも「温故知新」―。古きをたずねて、新しきを知る―。
何事も「グローバル」化という名の中で埋没してはならない。
―寒空に知者の一灯朝までも―
(風彦)