| 今月の言葉(2) | 2012年02月 |
「布施と愛語」
― 道元禅師の言葉に学ぶ ―
私は宗教哲学者ではない。が、仏道を求めて生きた人への興味と関心をもっている。
過日、図書館で立松和平さんの「良寛」(大法輪閣発行)の著書をみつけた。立松さんは、異色の作家で、環境問題にも積極的に取り組みながら、道元禅師についても興味ある作品を残しており、道元思想の信奉者でもあった。
この二月は、彼の一周忌。私はこの人への思いとともに、「良寛」の著書を通じて道元禅師の「正法眼蔵」を学び、良寛の生きざまを知ることができた。
布施とは、人に物を施しめぐむこと。僧に施し与える金銭または品物(広辞苑)とあるが、「正法眼蔵」では仏道を極める修行には大切な一つで、むさぼらないこと。世の中にへつらわないこと。さらにお釈迦さまの言葉として、人のために舟を岸につないだり、橋を渡すことも布施の行である。(概要)
このほか愛語、利行、同時の大切さを説かれていることも書かれている。
愛語について言えば、今の若者たちは「日本語を大切にすることだろう。」と解釈する人が多いだろう。が、愛語は、「衆生をみるときには、慈愛の心をおこし、慈悲の言葉をかけることである。」と説く。愛語を施せばどんどん広がっていく。愛語の徳行は、怨敵を降伏させ、相争う国王たちを和睦させる。平和な世をつくるのは、愛語を根本とするという。
立松和平さんは、難しい原典を比較的わかりやすく書いている。
来月は東日本大地震、津波禍の一周年を迎える。あらためて道元禅師の「正法眼蔵」のもつ本当の言葉を考えたい。
「布施と愛語」とは、今風に言えば、ボランティア活動に通じるだろう。そしてその活動を通じて「絆」ができる。
私は以前、詩をつくった。
情けにすがりて
人の縁をさとる―
十四、五年、ある席で一筆。するとそばにいたあるお寺の住職が言った。
「悟るとはちょっと言いすぎだよ。われわれ凡人は、なかなか悟ることは、容易なことではない。この俺だってまだ悟ってないよ」
たしなめられた。そこで私は―。
人の縁を知る―と書きあらためた。
言葉=文字の解釈は、心して使わなければならない。と感じたものである。
(風彦)
| 今月の言葉(1) | 2012年01月 |
「花のメッセージ」
― 花言葉から学ぶもの ―
ことしもN弁護士さんのK夫人から、美しい水彩画の「花のカレンダー」を頂いた。机の前の壁に飾り、心を癒す。玄人はだしの画才にいつも敬服している。
新年のカレンダーは、人それぞれの好みがある。この人の作品は、B4版大のもので、描かれた花に詩情がある。過日読んだ「366日 誕生花の本」(滝井康勝著=三五館、発行)の序文にあった一文が気に入った。
「花々は人間にいろいろなことを発信しています。そして花たちの生き方が人々にいろいろな生きる喜びをもたらしてくれるのです。その嬉しいメッセージをあなたも受信してみませんか」
滝井康勝さんは、花の研究家で知られており、世界各地の“花の巡礼”中とのこと。
俳人・森澄雄夫人、アキコさんの遺句を思い出した。
「花はみないのちの糧となりにけり」
平凡な句ながらこの人の、花と主人との花への思いを知ったものだ。(お二人とも故人)
花のカレンダーを見ると、滝井康勝さんの花言葉と人生への“指針”に魅かれる。花への慈しむ心は、自然の恵みに感謝することになり、それが人への愛、理解につながる。世の中は、ことしも混迷、不透明な時代が続くだろう。そんな時にけなげに生きる花の力=生命力=に学んではどうだろう。
海からの風雪に耐えて咲く水仙、歩道の割れ目から可憐に咲くスミレ草、落花してもなお咲こうとするかのような椿、雪、冷雨にもめげずに咲く梅、桜ー。野に咲くもの、ビニールハウスの園芸用の花だって、それぞれの環境の中で精いっぱいに生きている。
そして花は、花なりに、その花にふさわしいメッセージを発信している。
私たち人間もそれぞれ違った環境の中で、くじけないで、精一杯に生きよう。
花言葉の本には、多少違う表現内容はあるが、言葉の意味は、共通している。国際的な俳人・宇咲冬男さんは、薔薇の花は、棘の間に咲く。薔薇の棘は苦しみ、つらさの象徴。そのくるしみ、つらさの中から美しい花が咲くといった。そして、ドイツ・バートナウハイム市の薔薇博物館長、キューブラ女史の詠んだ句を披露した。(彼女はドイツの俳人)
「棘の間に薔薇麗しく棲む不思議」
ドイツ人的な感覚を評価したそうだ。
広島の平和公園の一角にある小さな薔薇園は広島の復興を願ってのものだったに違いない。
ちなみに薔薇の花言葉は「美の象徴」「平和の象徴」である。
私は想う。昨年三月の地震、津波の復興を願う花こそ、薔薇がふさわしいのではー。廃墟と化した三陸の地域に薔薇の花が咲く日を祈りたい。
(風彦)
| 今月の言葉(12) | 2011年12月 |
「努力」と「迷い」
― ゲーテの言葉に学ぶ ―
ゲーテといえば、ドイツの詩人、劇作家。
「若きウェルテムの悩み」「ファウスト」の作品で知られる。生没年は、1749年~1832年。彼は「ファウスト」のなかで神の声として語った。
「人間は努力するかぎり迷うものだ」
薀蓄のある言葉である。が、考えると当たり前のことでもある。
私がこの言葉に魅かれたのは、森本哲郎の「旅と人生」の本を再読してからだった。
十二月は一年の締め括り。世の多くの人たちは、この一年をふりかえって反省し来年の新しい年への飛躍と発奮に賭けるだろう。
とりわけ、プロ野球選手のその思いは強い。セ・リーグで奪三振王を手にした前田健、新人王にとどかなかった福井…打点部門で活躍したものの本塁打争いから脱落した栗原、故障に泣いた広瀬、梵、永川らは、それぞれの立場で反省するだろう。これは選手のみならず、野村監督自身にも采配をめぐる反省点もあろう。勝負の世界で生きる男たちの宿命でもある。
俳人・高浜虚子は「年惜しむ心うれひに変わりけり」と詠みながらも「去年今年貫く棒のごときもの」と詠んでいる。たしかに新しい年を迎えたからといって別段、お天気が様変わりするわけではない。「きのうに続くきょうである」が、古来、日本人には、新年を寿ぐ“淑気”がある。だからこそ、過去を洗い流して、新年こそ心機一転、発奮への情熱を燃やす。
ゲーテの言葉である。
「迷うからこそ人間なのであり、努力するからこそ迷うのだ」
先年、亡くなったカープの長谷川良平さんは、言った。
「結果のでない努力は無にひとしい」と。
私は反論したことを思い出した。
「努力する過程がだいじではないか」と。彼は激しい口調で反論した。
「それはアマ。プロでは結果がすべてだ」
この人の逞しいプロ根性を知った思いだった。
球団創設の弱小時代、カープの屋台骨を支えてきた“小さな大投手”と言われた所以であった。
いまのカープの選手、監督はどのように受け止めるだろうか。それは各球団の選手、監督とも同じことだろう。
「努力」と「迷い」、「努力」と「悩み」はプロ球界のみならず、日本の政治、経済を含めた社会でも直面していること。人それぞれが、国家意識のもと、どのように対処して危機を切り開くか、思考したい。
(風彦)
| 今月の言葉(11) | 2011年11月 |
「文化」と「文明」を考える
習慣、風俗と技術開発の物質的な影響
十一月は日本列島「文化の花」の花盛り。三日の「文化の日」をきっかけに小、中、高校、大学のみならず国をあげ多彩な文化祭が催される。皇居では各界の文化功労者の表彰も。まさに季節の風物詩。戦前のこの日は明治天皇の誕生を祝う「明治節」。1948年、廃止され、「国民の祝日」―「文化の日」―になった。
ある友人がいった。「文化の日」があって「文明の日」がなぜ無いのか。また「文化」と「文明」の違いはどうなのか。
いささか返答に窮した。多分に「文化」は「文明」と同義に解釈されることがある。
「文化とは文徳で民を教化すること。世の中が開けて生活が便利になること。学問、芸術、道徳、宗教、政治などの生活形成の様式と内容―。西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び技術発展のニュアンスが強い文明と区別する。文明は文教が進んで人知の明らかなこと。主教、道徳、学芸、などの精神的所産としての狭義の文化に対し人間の技術的、物産的所産」(広辞苑)
生前、司馬遼太郎さんがいった言葉が一番分かりやすかった。
「文明は交通信号機。文化は赤になったら止まる。青になったら進む。交通道徳や」
この人はまたこんなことを話した。
「個人の文化もあれば、民族が共有する文化もある。それは慣習、習慣といってよい」
環境、風土により、それぞれの文化がある。
その文化の違いを理解することである。都会には「都会の文化」があり、田舎には「田舎の文化」がある。「文化の日」の趣旨は自由と平和を愛し文化をすすめることだという。
話は前後する。
確かに「文明の日」はない。「文化」と「文明」とは表裏一体だからか。
これまでの近代日本史からみれば、「文明」といえば、鉄道、郵便もあるだろうが、やはり電気、電力にかかわる事業だろう。(これは私の独断と偏見)と、なると電気の普及に貢献した発明王のエジソンの誕生日、1847年二月十一日を「文明の日」にしたらどうだろう。
いま私たちの生活様式は、電気エネルギーなくして考えられない。その電気エネルギーの基盤に登場していたのが、原子力エネルギー。それが東日本大地震で福島の原発事故から核汚染を誘発。一気に脱原発運動が盛り上がる破目に。原子力をめぐる賛否両論は国運を左右しかねない。日本民族の最大の課題である。「文化」が「文明」を、「文明」が「文化」を滅亡させるのか。これは人類の悲劇である。
―原子力を考えたのも人間ならその悲劇を救うのも人間―
(風彦)
| 今月の言葉(10) | 2011年10月 |
天下の秋を知る
自然界の輪廻転生と政局に学ぶ
星野富広さんの画集詩 「木の葉」が気に入った。「木にある時は/枝にゆだね/枝を離れれば/風にまかせ/地に落ちれば/土に眠る」(後略)―。「葉っぱのフレディー命の旅」を描いたレオ・バスカーリアを思い出した。春から夏、秋から冬にかけての葉っぱの物語り。
共通するのは、輪廻の精神だろう。秋は、実りのときであり、落ち葉の季節。そして新しい生命を生み出す春を迎える。それは人間の一生にも似た転生―。なにごとも生に執着するのではなく、感謝する豊かなこころで一生を送ることを説いている。
星野富広さんの画集詩、バスカーリア博士の絵本も「神さまからの教本」かも知れない。とくに秋の日本風趣に富んだ自然の変化がある。それが侘び、寂びの文化を生んだわけだが、こと政治になると人間模様が変わる。これがまた日本の政治文化だろう。
「一葉落ちて天下の秋を知る」―。
中国の漢時代の準南子書にある言葉。意訳すれば、物事のきざしを見て衰亡を推し量る比喩的な表現である。いまの日本の政治でいうならば、一葉とは、時の首相(前、菅直人氏)であり、天下とは国の行く末であろう。
三月の東日本大震災は、「千年に一度」の大規模な天災。加えて人災といわれる原発事故をめぐる政府の対策の遅れに、官僚発言の不一致などから野党の反発のみならず、世論からの不信感も。
なにしろ平成になってから二十三年間に歴代の首相は十七人目。竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅―。新首相をめぐる政治体制は、依然、不透明。与野党の駆け引きは、活発になる。季節の秋は、変化に富んだ自然の美があるけれどこの世界は、政治家の人間模様による「政局の秋」となる。
その変化と行く末は、世界各国からも注目されている。
国内外での多難な秋―。多難な時―(新辞源では秋を時とも読む)
日本の針路を委ねる私たちにも責任の一端はある。いたずらに世論に付和雷同するのではなく政治家の動向を「監視」すべきである。
芭蕉の句では無いが、「秋深き隣は何をする人ぞ」と無関心であってはいけない。
私たちは、一人ひとりが、確かな目で冷静に判断することである。
芭蕉と同じ俳人、蕪村の句にこんな句がある。 「人は何に化(ばく)るかもしらじ秋のくれ」
いやはやである。
駄句を一句―。
「秋深き狐狸うごめきし永田町」
(風彦)
| 今月の言葉(9) | 2011年09月 |
老いと人間の賞味期限
敬老月間に考える
食品には賞味期限がある。花には花の〝盛り〟がある。人には人の〝旬〟があり、賞味期限がある。
過日、元広島東洋カープの監督、阿南準郎さんとの会話。あるテレビ局の、ある野球解説者の起用をめぐってこの人の見解であった。私が過去、見聞した野球人でもそのことは言える話。華やかな現役時代から引退した選手のなかには、マスメディア。とりわけテレビメディアに起用された人のなかには、そんな賞味期限で辞めた、辞めさせられた者があった。
「だから、引退した選手が通用するのは、四、五年…。それが賞味期限だよ」(阿南準郎さん)であった。
この人は、この人らしい自分の存在価値、賞味期限を知っていたのか、テレビメディアからの誘いを断ったそうだ。
賞味期限は、一過性の場合と歴史的な〝不変〟の賞味期限もある。プロ野球を例に引くと、三原修、広岡達郎、野村克也、最近では江川卓、張本勲(各敬称略)らがいる。
この人たちは、個性=感性=豊かで、独自の哲学を持ち、野球論を披歴している。
要するに、この道についての〝権威者〟である。論陣を聴いても、著書を読んでも、傾聴に値する。今なお賞味期限があるのである。
戦国時代の武将、江戸時代の儒者、医学、地学、経済界でも財を成した篤実家、明治維新前後に活躍した人物…。いまから何百年前からも〝賞味〟ができる。また、あがめられている。年を老いたから、その人にはもう賞味期限が切れた―、賞味する価値がない―と、思うなかれである。
老いた人ゆえに、それなりの知恵がある。
生前、司馬遼太郎が言った。
江戸幕府では、年寄りの存在を評価したのが、長期幕府体制の基になったという。家老もしかり、老中もしかりであると、そうした年寄りを要職にすえたことをあげていた。なかには〝老害〟的な人物もいた。が、社会全体に〝敬老〟精神が脈々と続いていた。
古代中国にもこんな諺がある。「老馬は道に迷わず」―、この解説は割愛する。さきの東日本大震災の被災地、三陸地方は昔から〝津波の常襲地〟といわれ、土地の古老たちは、津波の怖さを知りつくしていた。子孫に警告的な石碑をつくり伝えていた。が、時代とともに現実的な生活を優先、津波への恐怖心も希薄になっていたともいう。
私は毎年、九月―敬老月間―を迎えるたびに説く。お年寄り―高齢者―は、若者たちから尊敬される〝朗人〟になるように、心がけ凛とした〝心勢〟で生きるように努力を。次代を背負う若者たちとのコミュニケーションを通して絆をもち、ともに豊かな社会を築くようにと。
温故知新、古きをたずねて新しきを知る―。世界に冠たる「長寿国ニッポン」に生きる誇りを持とうではないか。
(風彦)
| 今月の言葉(8) | 2011年08月 |
「祈りと鎮魂」
散華した救国志士の“祥月命日”の月
第二次世界大戦で亡くなった人は、約三百万人。救国の志に燃えて逝った人たちのこころを思うとき、胸の痛みを覚える。
八月は大和民族―日本人―にとっては、“祥月命日”の月である。六日、九日、廣島、長崎での“原爆忌”であり、十五日は終戦記念日の“敗戦忌”。主要都市が戦争で、廃墟と化した。いまその当時を知り、語る世代の人は、少なく、高齢化。戦争を知らない世代になった。
あの三月の東日本大地震による甚大な災害に匹敵、いやそれ以上の災害―戦災―だった。
そこから日本は立ち上がり、紆余曲折の中、世界の一、二を争うまでに復興、再生した。私たちは、そうした先人の犠牲の上に現在の平和を共有していることを認識しよう。
平和への祈り、犠牲者への鎮魂…。「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ウォーズ」を高らかに、全世界へ向けてアピールを。
過日、「日本人のわすれもの」(石井英夫著=産経新聞出版)を再読。俳人・宇咲冬男とドイツのパートナウハイム市の「バラ博物館」館長のサビーネ・キューブラ女史とは俳句の師弟関係。冬男の「薔薇は実に人活き活きと薔薇の町」の句碑が同市に建てられた。そしてこんどはキューブラ女史が来日。「刺の間に薔薇麗しく棲む不思議さ」と詠んだ。原意、そのままのドイツ語との句碑を冬男ゆかりの埼玉・熊谷市の常光院の境内に建てたという。
トゲは苦しみのしるし、つらいものの象徴。その苦しみの中から美しい花が咲く―。この話を知り、広島の原爆ドーム近くや平和公園内に薔薇が植えてある意味が理解できた。
広島の平和公園を貫く百メートル道路のふちに植えられている樹木の多くは、各都道府県からの供木。人類初の原爆による戦災から立ち上がってほしい―全国からの祈りと鎮魂からだったことを思い出した。
クミコの「INORI~祈り~」の絶唱が聞こえてくる。
「めぐりめぐり行く季節をこえて/今でも今でも祈っている/二度と二度と辛い思いは/誰にもしてほしくはない/誰にもしてほしくはない」(一節から)―。
一発の原爆で一瞬に消えた被爆者は…。秋川雅史の歌声でもある。
「私のお墓の前で 泣かないでください/そこに私はいません 眠ってなんかいません/千の風に/千の風になって/あの大きな空を/吹きわたっています」(後略)―。
「千の風になって」(新井満の訳詩、作曲)いま、歴史的な国難に思いを寄せて―。
(風彦)
| 今月の言葉(7) | 2011年07月 |
「戦争と天災」
原爆の被爆と原発の被曝―広島と福島
最近、友人に出す葉書に私は「戦争と天災」についての私見を縮小コピーして出している。
=「天災と戦争の違いがあるけれども、天災は自然のエネルギーの想定外の脅威を。戦争は民族の差別から。共通するのは人類の過信がもたらす。(異論もあるが…)
科学の進歩は驚異的である。その驚異が人類への脅威になり、いまや地球、人類の破滅にもつながりかねない。端的な例は、原子エネルギーの開発だろう。
天災は人災をも招く。今回の福島原発爆発事故による放射能の汚染。戦争も核戦争への懸念も。私たちは人類の叡知を集め、地球の安全と平和を守ろう。
地球は宇宙に存在する星。
科学者、政治家よ。論理より倫理を」=
といった内容。過日、NHKの番組制作キャスターの女性が知人を通じて、「被爆の廃墟から現在の広島に至るまでの発展過程を調べたい」との話があった。
後日、会って私なりの意見と知識をお話ししたが、彼女は、四月から番組キャスターになったばかり。奇しくも仙台であの東日本大地震津波の災難に遭遇。広島の祖母から聞いた原爆被爆当時の話がきっかけで番組企画を思い立ったそうだ。
広島では被爆当時の惨状を知る人も高齢化がすすみ、だんだん知る人も少なくなっている。
その祖母は「被爆した人たちみんな一人一人ががんばってきたんだよ」としか多くを語らないそうだが、福島での原発事故による汚染情報は複雑な思いで聞くという。その思いは、被爆者の多くがそうであろう。
私もその一人。原爆で父親を亡くし、その父親の安否を求めて被爆後、入市した。真夏のさかり。乾いたノドを潤すために破れた水道栓からあふれた水を飲んだし、残留放射能にさらされながら、廃墟と化した焼け跡をさまよった。のちに入市者も、被爆者と同じような症状を訴えて亡くなったり、病魔に苦しんだりした。被爆後、わずかな空地で野菜を作り、飢えをしのいでいた人もいた。
今回の福島の原発事故の汚染禍のニュースは、あらためて放射能の恐怖の波及を知った。
過日、「原爆市長」―よみがえる廃墟広島の記憶―浜井信三元市長の回顧録を読み、当時の市長が都市復興計画策定のために、心血を注いだ実情の一端を知る。紆余曲折のすえ「広島平和記念都市建設法」が成立したのは、被爆後、四年。そして廃墟の街が、緑の都市に再生できたのは、二十余年の歳月も。福島の原発事故は、近代文明への警鐘…。天災も戦争もその悲劇は人災から―。いま被爆地、広島はあの夾竹桃の花が平和に咲き誇っている。
(風彦)
| 今月の言葉(6) | 2011年06月 |
「風聞は怖い」
広島の被曝と福島の被曝
天災は人災をも招く早春賦―。ある俳句の仲間にしましたが、共鳴してくれたのは、あまりいなかった。三月の東日本大地震の災害のまもない頃であった。
それから例の福島原発事故が大きな問題に発展したことは、周知の通り。いまなおその対応をめぐる論議が繰り返されている。原発爆発による放射能の影響を懸念、福島周辺地域の住民に〝被曝〟避難命令が出たときに、さまざまな〝風聞〟がマスメディアに流れた。
人体への影響、さらに農漁業への影響…。今回の地震は、岩手、宮城、福島、茨城…各県におよぶ広範囲だけに政府、地元の自治体などの対応にも問題があった。そのなかで地震、津波の災害の連鎖ニュースで心を痛めたのは、福島の原発事故から発生した〝風聞〟だった。私はすぐに思った。あの原爆で廃墟と化した広島に肉親、親族の安否を求めて出かけた人たちのなかには、下痢、脱毛、歯ぐきからの出血、体の倦怠感を訴えた人が多くいた。「広島にいったらピカがうつるげな」といった〝風聞〟があったことを記憶している。
初めて体験した原子爆弾での被曝。医学的にも未知の世界。だれもが予想しなかった原子爆弾― 〝新型爆弾〟による被爆…。加害者の米国ですら人体への影響については、未知の分野だったという。しかも人道的な面、医学的な面からも米国の厳しい報道管制…。
「今後、七十年間、広島には植物は生えない」とまで。また未知の放射能による人体への遺伝問題にまで発展…。〝被爆者〟への差別が増幅していった。被爆者の苦悩は、井伏鱒二の小説『黒い雨』にも描かれた。その後、医学的にも解明されてはいるが、いまなお研究課題となっている。
今回の東日本大地震、津波の天災…。とりわけ原発事故による放射能による大地への汚染は、一九八六年、旧ソ連ウクライナ共和国でのチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故以来の放射能汚染(半径二十キロ)を招く破目になり、〝風聞〟のタネが飛び散る一因。なかでも農漁業者には悲しい〝偏見と差別〟を招きかねない。しかし、今回の天災にともなう災害は、エネルギー資源に恵まれない日本自体の〝国難〟である。しかも〝地震大国〟。
現在、日本には原発基地が五十四か所、国全体の電気消費のうち原発による電力は三十四%。原発反対を叫ぶことは出来ても、現代の文化生活を否定することは出来ないだろう。といって原発事故による放射能禍の影響を考えるとき、地球、人類の危機として受け止めて、いまこそ〝叡知〟を集めるべきだ。
―科学の発達は、驚異であり、脅威でもある―
(風彦)
| 今月の言葉(5) | 2011年05月 |
「里山讃歌」「望郷讃歌」
山野の新緑、若葉を讃えるなかで
万葉集巻一(一六)にある天智天皇が春と冬はどちらがよいか―と藤原鎌足にたずねた。そのおり額田王は和歌で「秋山我れは」(前略)―と判定したという。著名な一首でそれなりに説得力もある。が、この季節になると山野の新緑に自然の息吹きに魅せられる。
好天のある日、広島・三次の風土記の丘に大の字になり、青空を眺めながら、周辺の里山に思いをはせた。里山は幾億年もだまって生きていた。その間に木々が生え、育ち、小動物のすみかにもなり、人間との営みに欠くことのできない存在になったのだろう。
ふと思い出したのは、壺井繁治の詩だった。
「石は億年を/黙って/暮らしつづけた/その間に/空は晴れたり曇ったりした」
しかし、里山は自然界の鼓動の中で生きていた。その多くは、宅地開発により姿を消した。都市近郊の集落では、それがひどかった。昔日の面影をみることはできない。残った里山は、人間の営みの社会環境の変化とともに荒れた。
いま心に残るのは、あの三月の東日本大地震、津波禍により廃墟と化した沿岸地方。空撮でみる里山。荒廃のなかにも生き残っていた。若葉も萌えていた。
以前、宮城県の沿岸での牡蠣養殖の漁業者、畠山重篤さんなどは「山は海の恋人」として山での植林運動に立ち上がったほどだった。
それが今回は海の悲劇に見舞われた。が、山、里山への思いは変わらない―という。
“海の復興”の一端は、里山などの植林活動と意気込む。ブナ科のシイ、トチなどの落葉樹で里山の再生に取り組み始めるそうだ。
ちなみに、里山と山との“定義”は広辞苑によると、里山は「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」―。山は「平地より高く隆起した地塊。谷と谷に挟まれた凸起部。古く、神が降下し領する所として信仰の対象とされたなど(後略)」とある。
この時期、五月晴れともなれば、山野の緑は目に染みる。
―それぞれに名のりて出づる若葉かな―。加賀千代の句である。中川宋湖の句も季節感がある。
―若葉風吹くたび峯の光かな―
“都会砂漠”で暮らす人たちには、「緑の讃歌」であり、「望郷讃歌」であろう。が、地震津波禍の被災者の皆さんを思うとき―。
想定外の天災を想定して生きる恐怖のなかで、私たちは日本列島の美の中に、“悪魔のマグマ”が潜んでいることを認識しなくてはなららない。
(風彦)



