| 今月の言葉(9月) | 2009年09月 |
「人間は万物の霊長」
─ 祖先を敬う心と敬老の心を─
―風彦
人間は動物である。が、他の動物と違うのは、霊長動物である。霊長とは、霊妙不思議な力を持つすぐれたもの。万物のかしら。人類(広辞苑)。生物で一番進化したもの(新明解国語辞典)などとある。
古代ギリシャの哲学者プロタゴラスは説いている。「人間は万物の尺度である」─。
フランスの科学者であり、哲学者、パスカルは「人間は考える葦である」ともいい、近世哲学の祖、デカルトも「我思う。故に我あり」─。簡潔にいえば、人間の特質は、論理、倫理をわきまえて、その真理を追究できるということだろう。他の動物とは違う所以でもある。
学問的な論議は、さておき、「霊長」の証の一つは、先祖への供養であろう。
しかし、最近は経済、社会の変化により、家族構成も『核家族』化。先祖の供養もおろそかになった。歳時記では、お盆、送り火、流し灯籠…はあるが、供養への意識は希薄になっている。
この月の二十三日は「秋分の日」。国民の祝日。戦前でいえば「秋季皇霊祭」。先祖を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日。秋のお彼岸ともいう。また、その年の五穀豊穰を神に感謝する「神嘗祭」もあったが、食文化も変わり、日常の食生活では、季節感もなくなり、飽食の時代。食べ物への感謝の心もなくなった。
食だけではない。お年寄りへの敬老精神も薄れる。敬老が『軽老』に。年寄りを後期高齢者と呼ぶ。一九六六年、これまでの十五日の「老人の日」を「敬老の日」として国民の祝日としたが、休日の連休化で、今年は二十一日に。ことほどさように、人間─、なかんずく日本人は、いとも簡単に暦までも変える。
私はふと思った。日本の構造改革は、日本人の精神構造まで変えてしまったのか。
「万物の霊長」である証としてでも、祖先の存在を崇め、お年寄りを敬う心を持ち、豊かな国づくりに努めよう。それに相応しい「国民の祝日」がある。
生前、作家・司馬遼太郎さんは語った。「人間には志というものがある。志がないところに、社会の前進はない」
(風彦)
| 今月の言葉(8月) | 2009年08月 |
「過ちは繰り返しませぬから」
― 原爆慰霊碑の言葉に誓うことを ―
―風彦
平和公園の蝉しぐれ、夾竹桃の花ざかりがやってくる。八月六日、あの日から六十四年目。歳月は人を待たずである。被爆者の高齢化がすすみ、平均年齢も七十五歳近い。当時の悲惨な体験の記憶も風化しがちである。
しかし、広島の悲劇を繰り返してはならぬ。思いは、被爆者のみならず人類の願い―。
「ノーモア・ヒロシマ」であり、「ノーモア・ナガサキ」である。原爆を考えたのも人間なら、人間は、それをなくすこともできる。
世界の世論は、そのことを百も承知しながらも、平和の抑止力の手段に原爆の開発や核の保有を諦めない。人類の愚かさをさらけ出している。
核保有国の指導者たちよ。ヒロシマの原爆資料館を見るがよい。広島での世界会議開催を呼びかける秋葉市長の意図もそこにある。が、意のごとくならないのが現実…。悲しさ、むなしさが渦巻く。
原爆被爆で父親を亡くし、私自身、入試被爆者のひとり。新聞記者時代に取材体験した「被爆胎児の少年の死」の話を、東京の雙葉学園、日女大付属中学生に伝える。そこに私の使命感もある。
「安らかに眠って下さい。過ちは 繰り返しませぬから」―。原爆慰霊碑に刻んである。
岡本太郎が生前、語った一部が印象に残る。
「『過ち』は過去のことだ。『繰り返しませぬ』というのは未来である。だが、ここには現在が欠けている」
彼は、碑文の解釈をめぐり、痛烈な批判をしたことがあった。
現在、この碑前の池に、昨年八月、国際ロータリー第2710地区から寄贈された英・仏・独・露・伊・中国・韓国、各語の碑文のプレート板(タテ60センチ、ヨコ90センチ、強化ガラス製)が設置されており、世界各国の人々に訴えている。主語のない碑文(広大教授・雑賀忠義氏)は、今なお論議されるが、主語は我々人類ということか。ちなみに英文ではこう書かれている。
― Let all the souls here rest in peace for we shall not repeat the evil ―
私は考える。核廃絶への叫びもさることながら、政界、経済界を含め自己中心主義の社会から「過ちは繰り返しませぬ」と誓い合うこと。一人ひとりの「慈愛の灯火」こそが世の中を、世界を照らすことにつながる。
(風彦)
| 今月の言葉(7月) | 2009年07月 |
「六根清浄、お山は天気」
― 山開きと山岳信仰に学ぶ ―
―風彦
夏山シーズンである。日本列島の霊峰には登山者で賑わう。むかしは修験者の山岳信仰の舞台であった。富士山もそうだし、中四国では、石鎚山、大山、厳島の弥山…。現在では、男女ともスポーツと趣味、健康を目的に登山ブームにまでに発展した。今でも登山者たちが、「六根清浄、お山は天気」と唱えながら山を登るのは、修験者の〝呪文〟の名残り。広辞苑を見ると、「六根清浄」(ろくこんしょうじょ)とは六根の福徳によって清らかになること。山登りの行者、寒参りする者などの唱える語。六根とは六識を生ずる六つの感官、すなわち、眼・耳・鼻・舌・身・意の称とある。人間の欲望(煩悩)を断つことを山の神に誓う言葉だろう。
山登りに縁のなかった私が、この言葉を知ったのは、学生時代に詠んだ志賀直哉の小説「暗夜行路」。主人公・時任謙作が大山に登る件(くだり)で、同伴の男たちの「六根清浄、お山は天気」と唱える描写があった。
私たち「四季の会」の仲間は、毎年、七月の石鎚山の山開きに出かける。標高一九八二メートル四国第一の高峰であり、修験道の霊場で知られる。会長のOさん、Mさんは、昔からの信仰があり、白装束、白足袋姿で登る。当日は、関東、九州からも信者が集う。頂上近くの神社の本殿でお祓いを受ける。頂上の天狗岳までの山道で行き交う人々は、「おのぼりさん」、「おくだりさん」と、お互いの労をねぎらう。
―「六根清浄、お山は天気」―。山岳への信仰心は、山の威容と山の霊験への畏怖から生まれたもので、昔から煩悩にさいなまれる人間が求めた信仰でもあろう。
現在の混沌とした社会、環境破壊に対応していくためには、「六根清浄」の心を信仰から学ぶことも必要である。
この七月は、山開き、川開き、鵜飼、海開き、朝顔市、ほおずき(鬼灯)市、蛍狩り、夏越し祭り、天神祭、麦秋のあとの田植え…。地方、地方の気候風土、風習による夏の風物詩がある。自然と人間との共生で豊かな社会を構築するためにも、地球を大切にする人類の知識と知恵を生かそう。
― 山開き太鼓で雲の封を切る 本宮鼎三
― さまざまな夏の姿や万華鏡 風彦
(風彦)
| 今月の言葉(6月) | 2009年06月 |
「ホタルと霊魂」
― 初夏の風物詩への思い
―風彦
ホタルには霊魂の伝説がある。現世の愛しいひとのもとに、舞い戻ってくるという。
歌人・窪田空穂も詠んでいる。
「其の子等に/捕られむと母が魂/蛍となりて/夜を来たるらし」
近年は汚染された環境の再生をはかり、ホタルの幼虫の餌になるカワニナの生息する清流の復活でホタルを蘇らそうという地域活動もある。ホタルの飛び交う幽玄な光景を知らない人には、霊魂伝説も信じ難いだろう。
霊魂伝説の舞台は、清流ではなく人間社会にある。ラフカディオ・ハーンのエッセイ「蛍」にも、生きている人間の魂がホタルになった話があった。
ホタルの霊魂物語で耳新しいのは、敗戦まぎわの特攻基地、知覧での「ホタルと特攻隊員」をめぐる秘話。「死んだら必ずホタルになって帰ってくる」と言い残して出撃。そしてホタルになって別れを惜しんだ食堂のおばさんのもとに帰ってきたという。
知人の山口積さんは、好奇心旺盛な人で、二年前、この霊魂話を検証するため知覧を訪ねた。それは事実だった。その手書きの一文を読ませて貰った。山口さんは、現在、八十四歳。広島市安佐北区亀崎在住。昭和十九年、最後の召集兵として出征。中国戦線では、大陸縦断千六百キロの行軍で九死に一生を得て復員。東洋工業(現・マツダ)の工場設計担当に。戦争の悲惨さを訴える「平和論者」。
ホタルといえば、戦前、戦中派の人間には小学唱歌の「螢の光」。
「ほたるの光/窓の雪/書(ふみ)読む月日/重ねつつ/いつしか年も/すぎの戸を/明けてぞ/けさは/わかれゆく」
この惜別の歌は、スコットランドの古い民謡に十八世紀、詩人のロバート・バーンズが詩をつけたもの。
私には忘れがたい「ホタル」がある。東広島市志和堀の酒造会社「千代乃春」の銘酒「ホタルの舞い」。蔵元の近くの小川に群生したホタルにちなんだ銘柄。冷酒がことのほか美味かった。江戸時代中期の創業の蔵元。この二月、廃業に至った。これまた惜別の情ひとしおである。
昭和から平成へ。時代の変革は激しい。環境破壊は、日本人の心情までも蝕む。ホタルの醸し出す風物詩は、風前の灯のごとく揺らぐ。心ある人々は、叫ぶ。野も山も川も、自然の再生こそが日本人のルネッサンスであると。
「ほっほっ/ホタルこい/こっちの水は/甘いぞ/あっちの水は/にがいぞ」
少年時代のホタル狩りがなつかしい。
(風彦)
| 今月の言葉(5月) | 2009年05月 |
「子どもは国の宝」
― 自然の摂理を讃え、命を慈しむ ―
―風彦
さわやかな風、明るい陽光。野も山も若葉の輝き。ある年、ある日、山あいの里で出会った光景のメモを思い出した。
『藁葺きの農家。三、四人の喪服が出入り。読経が流れる。鶯も法華経を説く/山鳩は低く鳴咽(おえつ)する/早苗の田んぼにシオカラトンボ一匹/弔問か/すいすいと旋回/小川の水豊かに/水車を回す/人も自然も/四季の中に息づき/そして四季の中で息絶える』
向かいの農家の庭には大空を緋鯉の幟が泳ぎ、矢車が回っていた。
五月の風物詩は、夏への序章を飾る。
この月は『子供が主役』である。五日は『子供の日』。私は、よく歩道で乳母車におさな子を乗せて買い物、散策の母親とすれ違うとき、また、バス、電車の乗り物で隣あわせになると、決まって声をかける。
「子供は国の宝ですから大事にね」
お世辞でもなんでもない。子供を慈しむ心からである。昭和一桁生まれの世代は、「産めよ殖やせよ、国の宝」の軍国主義の国策を知っている。が、現在は時代背景も違う。国家の衰亡につながりかねない、危機感がある。
子供を思う親心を詠んだ歌といえば、山上憶良の万葉集。
『銀(しろがね)も/金(くがね)も玉も/何せむに/まされる宝/子にしかめやも』
山上憶良は、子供思いであると同時に、良き家庭人だったようだ。宴席から退席する時に詠んだ一首がある。
「憶良らは/今は罷(まか)らむ/子泣くらむ/それその母も/我を待つらむぞ」
意訳すれば、私、憶良は失礼いたします。今頃は子供が泣いているでしょうし、その母親も待っているから。ということだ。
母親といえば、十日は『母の日』。母親への感謝デーである。昔から子を持った女性は、その子のためには、どんな苦労も厭わぬシンの強さを示す。
「女は弱し、されど母は強し」と言ったのはフランスの文学者 ビクトル・ユーゴー。『レ・ミゼラブル』などの著者であり、ヒューマニズムの詩人でもある。
ちなみに、『母の日』の設定が五月の第二日曜日となったのは、北米ウェブスターのメソジスト教会の信者が、母親の追憶のために白いカーネーションを配ったことから教会を通じて全世界に広まる。現在では健在の母親には赤のカーネーションを贈り感謝する。
最近、わが子を殺す母親の事件が多い。胸の痛む思いであるが、この月は、連休となる祝祭日の趣旨を通じて人間の営み、自然との共生などを考えたい。
(風彦)
| 今月の言葉(4月) | 2009年04月 |
「勝敗と勝負」「叱ると怒る」
―風彦
「本格的なプロ野球シーズン。WBCも閉幕。日本代表選手もそれぞれの所属チームに戻り、ペナントレースに賭ける。これからが本番再開。そこで冒頭の言葉を考えた。字義的な解釈は同じだろう。ちなみに辞書の定義は―。
☆【勝敗】=勝つこと負けること。「勝敗は時の運」(広辞苑)/=勝つか負けるか。「勝敗の鍵。勝敗を競う」(新明解国語辞典)
☆【勝負】=かちまけ。「勝負をつける」争ってかちまけを決すること。「勝負に出る」「真剣に勝負せよ」(広辞苑)/=命や生活をかけて勝ち負けを争うこと。またその勝ち負け。「勝負を賭ける」「勝負の世界のきびしさ」(新明解国語辞典)
と、慣例的な言葉もあげている。
私の独断と偏見でいうならば―。【勝敗】と【勝負】とは、違う意味がある。
勝敗は、チーム、団体競技的な勝ち負けの結果であり、勝負は個人的な勝敗を決する―ことであろう。野球の場合、投手対打者の対決では「勝負」である。【叱ると怒る】にも似て非なる解釈である。
☆「叱る」は目下のものに対して過ちをとがめ、戒める―。教え導く意味合いがある。
☆「怒る」はミス、失敗した者に我慢できなく、不快な気持ちを言動でなじることである。
この言葉と態度で指導者の器量がわかる。個々の勝負の結果の集大成が、勝敗につながる。だから、勝負への執着心―命や生活までも賭けて挑む―。そこから技術の進歩もある。
ある監督は言った。「稽古は千日の行。勝負は一瞬の行」―。蘊蓄のある言葉だった。
当然、監督、指導者が意図する用兵術にともなう選手への育成方針のなかで、「叱る」と「怒る」の認識が大きなポイントになる。
古い話になるが、川上巨人のV9時代の牧野ヘッドコーチが生前、こう語った。
「失敗、ミスは、だれにもある。だが、絶対人前では、叱らなかった。ロッカールームで叱った。そこは家庭…。選手は家族であり、他の選手もそのミス、失敗に対して共通の認識をもち同じ過ちをしなくなる」。
私の知るN監督は、しばしば公然とマスコミの前で失敗した選手を指弾した。後年、N監督は、その癖を直したというが、いまだに?である。温故知新―。明治新政府の逓信大臣・榎本武揚が人の使い方を清水次郎長親分に聞いた。「どんなつまらない野郎でも人前で叱ったことはありません」と答えたそうだ。
監督四年目のブラウン。新球場での「勝負の年」。勝敗の結果をどのように導き出すか。
監督の用兵策―才覚・器量―が問われる。
(風彦)
| 今月の言葉(3月) | 2009年03月 |
望郷讃歌
―詩人の心と季節
―風彦
「高野辰之」を知っている?
その名前を知らない人でも、「春が来た」、「春の小川」、「朧月夜」、「故郷」、「紅葉」の唱歌なら、歌った人は多いだろう。明治、大正、昭和の世代を越えて歌い継がれたその作詞者が「高野辰之」。作曲者 岡野貞一とのコンビ。
高野は、長野県生まれ。長野師範卒。東京音楽学校(現東京芸大)、東大講師、大正大教授。歌謡、邦楽研究の先駆者で「日本歌謡史」、「日本演劇史」、「日本歌謡集成」などを著した国文学者であり、詩人でもあった。当時の文部省の小学唱歌は、日本の気候、風土、風習を歌っており、日本人の精神文化の糧でもあった。
今の季節になると「故郷」を思う。
「春が来た/春が来た/どこに来た/山に来た/里に来た/野にも来た」であり、「春の小川は/さらさらながる/岸のすみれや/れんげの花に/すがたやさしく/色うつくしく/咲いているねと/ささやきながら」―。
「兎追ひし かの山/小鮒釣りし かの川/夢は今も めぐりきて/忘れがたき ふるさと」―。
広島市内で高野辰之の詩をこよなく愛する詩人の主婦がいる。松本暁子さん。高野の出身地、信州中野の知友―小林基作さん―に「高野唱歌の作品」を讃歌して届けた詩が、地元でも評判になり、東京在住の俳優、堀淳さんがその詩にメロディをつけて朗読、中野市讃歌としての「CD」まで制作したほどだ。
松本さんは、市内寺町通りと鯉城通りの交差点近くにある健康食品などのお店にボランティアに通っている。小林喜作さんは、林檎、葡萄の果樹園、稲作も有機栽培などに取り組む「農業の哲学者」。信州中野では、高野辰之の作品を通して「故郷讃歌」の機運を盛り上げている。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土の乞食になるとても/帰るところにあるまじや(後略)…」
室生犀星の「小景異情」の詩ではないが、現今の厳しい不況、リストラの嵐の中。「うらぶれて異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや」とは思わず、嘆かず。高野辰之の「故郷」(ふるさと)の歌詞にもある。
♪「いかにいます父母/つつがなしや友がき/雨に風につけても/思ひ出ずるふるさと」―。
「望郷の讃歌」とともに「帰郷する勇気」を持ち、過疎化する「故郷への復興」を願う。
望郷の一念もゆる桃の花―風彦
(風彦)
| 今月の言葉(2月) | 2009年02月 |
「知識」と「知恵」
プラス思考で日本人の復興を
―風彦
「知識」と「知恵」は、「ニワトリ」が先か「卵」が先かの論点に似ている。「知識」から「知恵」が生まれる。「知恵」から「知識」が生まれる。これまた事実である。
ある日、幼稚園児の母親から提起されたこの論点で、すこしばかりとまどった。
が、私は単純な例をあげて説いた。ここに一つの林檎ともう一つの林檎がある。さて、林檎はいくつ? とたずねると、二つ。1+1=2で、当たり前の計算。林檎を六つにしたい。どうする? 1+1=6は成り立たない。さて、となると林檎を切ることにより、六つにする。これが「知恵」。そのあとにつけくわえた。
幼いときから分かち合う心をはぐくむようにしたら―と。単純明快に理解してもらった。決して思想的な主義主張ではない。
話は変わる。ある日、書店で一冊の文庫版を見つけた。完本「梅干と日本刀」―日本人の知恵と独創の歴史―(著者・樋口清之)である。六百五十一頁にのぼる分厚い本で、一昔前のベストセラーでもあった。
樋口清之氏は生前、テレビなどマスメディアでも評判の学者(国学院大学名誉教授)。
十二章にわたって日本人の先祖が培った知恵と知識のすばらしさを検証した一冊である。内容も語り口調の文章で、いまはやりの「雑学」の史書ともいえる。
「日本には古来、すごい〝科学〟があった」「驚くべき〝自然順応〟の知恵」「日本人は〝独創性〟に富んでいる」「古来計画性に富む日本の職業教育」「日本企業の驚くべき柔軟性の原体」など、日本人讃歌論でもある。
樋口氏は、敗戦後、日本人は、日本人でありながら自虐肯定論者が多いことへの批判の一書。この本の解説者、伊沢元彦氏は、「一種の文化的閉塞状況を打破。独善的な国粋主義に偏ることなく外国文化の優れた点を認めた客観的な日本文化の美点を捉えており、日本人に勇気と誇りを与えた名著」という。
百年に一度という不況社会に対処するためには、日本人は、外国には見られない日本人らしい「知識」と「知恵」で、日本の伝統・文化の美点への回帰をはかることだろう。
これは、政治にも企業にも社会にも「温故知新」―。古きをたずねて、新しきを知る―。
何事も「グローバル」化という名の中で埋没してはならない。
―寒空に知者の一灯朝までも―
(風彦)
| 今月の言葉(1月) | 2009年01月 |
「笑いの効用」
笑い上手は生き上手
―昇 幹夫
「笑う門には福来たる」―。この意味は言うまでもあるまい。「いつもにこにこして笑いが満ちている人の家には自然に幸運がめぐってくる」(広辞苑)
「和合、平和、快活、明朗などは幸福を招く原因となる」(福音館小辞典文庫)。笑いは人間社会での大切な要素である。
以前、職場の昼食時に、「笑いの効用」のおしゃべりを楽しんだ。座長格は年長者。物の本で得た知識を披露してくれた。
「笑うとアセッルコリンの分泌が高まり、副交感神経の働きが強まり、末梢血管はひろがり血圧はややさがる。血中の糖分が減る。唾液、胃液などの分泌が高まる」(笑いの辞典・神吉拓郎著)。さらにかの有名な哲学者カントの自説まで話す。「哄笑は消化に必要な筋肉の振動であり、それは医者の投薬よりもはるかに消化を促す」
はたまた「人は相手の笑い方でその人柄を知る」とまで説いた。
いま、そのメモを拾い読みして思い出した。
後年、NHKのある雑誌で「健康百話」(著者・昇幹夫)を読んで、よく理解できた。
この人は、大阪の産婦人科の先生で、「日本笑い学会」の副会長。「元気で長生き研究所」を主宰。医師の立場から「前向きで極楽トンボの生き方が長生きの秘訣」と各地で説く。
現実にガン患者に吉本興業の新喜劇を見せたり、落語を聞かせたり、糖尿病患者・リウマチ患者に「お笑いビデオ」を見せて治療効果を裏付けた。(詳細は割愛する)「人は賢くなったからこそ笑う。賢くなった分、同時に悩む。悩むだけでは、生きてはいけない。悩むことと笑うことはセット」(昇幹夫氏)
昨年、NHKテレビの「プロフェッショナル百人の脳活用法」の番組で、脳科学者の茂木健一郎さんは、各界プロがプレッシャーに打ち勝った共通点を「笑いの効用」にあげた。
笑い上手は、生き方上手でもあるようだ。
さて、ことしは例年以上の厳しい不況の社会。
「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」と高浜虚子は、一夜にして年の移り変わる感慨を詠んだが、皆吉爽雨の一句に「茶の間には笑初めともなくつづく」がある。笑って暮らせる「福の神」の到来を望みたい。
(風彦)
| 今月の言葉(12月) | 2008年12月 |
「地球の温暖化を憂う」
―風彦
十二月は師走という。語源は「為果つ(しはつ)月あり、一年の終わりの物事をなし終える」―。
「この月は師(僧侶)と呼ばれるような人々も東西に走り回る」―。との俗説もあり、また、極月(ごくげつ)とも言う(現代俳句歳時記)、歳末らしい季節である。
俳人・山口青邨の句に、こんな一句があった。
―極月の人々人々道にあり
いつの世も歳末になると、街は人出で賑わう。不景気になればなったで、「Xマス商戦」・「歳末大売り出し商戦」が、よりいっそう激しく、騒然とする。以前、タイのバンコクでこの時期を迎えたことがあった。デパートの入り口に、赤いマントをまとい、トナカイのソリを操り、雪を蹴立てて走るサンタの大きな看板を飾っての歳末商戦を目にしたときは、季節の違和感があった。
現地の人には暦通りの「歳末風景」だろうが、日本人には、師走といえば「冬の歳末」であるし、これまた「サンタといえば冬のXマス」として体感する。四季列島のなかで生きてきた遺伝子のせいかも知れない。
広島気象台の資料によれば、昨年の十二月の平均気温は、七・五度。年により気温の変化は微妙な高低現象があるものの、百年単位で見ると一・八度高くなっている。
気象庁の資料でも、日本は長期的には百年当たり一・一度の割合で上昇。とくに一九九〇年代以降、高温となる年が頻出しており、すでに自然界では、昆虫、植物、渡り鳥、海中の生物にも影響があるという。
二年前、NHKテレビの番組「NHKスペシャル」では「地球温暖化」を取り上げていた。スーパーコンピュータの予測では、百年後の正月は紅葉の季節。四月は初夏…。モンゴルの草原は砂漠化に―。このまま気象の変化(温暖化)が続けば、当然、四季によってはぐくまれた日本の文化も衰退への道をたどるだろう。日本だけの問題ではなく、人類の危機であることを警告した。これは二百年先か五百年先かわからないが、過去、地球の気象変化で文明国家が滅亡した歴史もある。
「病める地球」を救うのは、人類の知識と知恵の課題である。「行く年、来る年」の師走の風物詩のなかで考える。
(風彦)



