| 今月の言葉(11月) | 2008年11月 |
「もったいない」と「捨てる」
―複合的な精神の苦悩―
―風彦
食欲の秋というのに、いまなお相次ぐ食品をめぐる偽装、欺瞞の事件があとを絶たない。
なかでも事故汚染米の流通事件に至っては、言語道断。政府も業者も指弾されるべきであり、指弾すべき重大な事件である。
食は生命の源泉。食の不信は、政治への不信へ波及する。利潤追求のあまり、企業家は企業モラルをも一顧だにしないのか。あれほどまでに世の批判、非難を浴びながらである。
以前、ビジネス評論家、今泉正顕著の本で読んだ言葉を思い出した。企業にたずさわる人間で大切なことは、「七つのシン」を忘れないことだと、強調して説いていた。そのなかで
「真」。嘘やごまかしのない真実の「真」
「信」。人間で一番大事な信用の「信」
「心」。真心のある人の「心」
この三つのシンこそが企業モラルのバックボーンではあるまいか。その欠如が今回の一連の不祥事である。
こうした社会背景のなかで、過日、ある民放テレビで日本人の食の消費の無駄を指摘し、ケニアのマー夕イさんは、こう言った。
「地球上には飢餓に苦しむ人々が沢山いる。日本には『もったいない』という言葉があるのに『もったいない』心を忘れているのでは」と。
今、現地では「もったいない」という言葉が「MOTUTAINAI」として広まっているそうだ。私たちは、食事の際でも一粒のご飯をこぼしたりすると、バチが当たる-。お百姓さんへの思いを。そして物への大切さ、人への感謝-という躾を受けて育った。それが日本人の倫理観でもあった。その心が希薄になったのは、戦後の経済社会の変化だろう。
大量生産、大量消費…。消費こそが「経済天国」の思想を生んだ。戦前、戦時中、敗戦直後の貧しい時代を体験した世代の人間には、その思いが一入。「漢字の楽しみ方」(岩波書店発行)の著者、辰濃和男さんは、「捨」の項目で書籍、資料の整理などにふれながら「捨てるということは、執着を捨てること」と言い切る。が、何事も「もったいない」心の煩悩が世の功罪に-と思うと複雑である。
(風彦)
| 今月の言葉(10月) | 2008年10月 |
散策と万歩計
―歩きながら考える―
―風彦
四季のうち十月は、ものを想う秋。京都の「哲学の道」を散策したことを思い出す。銀閣寺の疎水辺りの参道で、銀閣寺橋から若王子町までの一・六キロ。桜の季節もよいが、桜並木の黄葉、紅葉の時期がとりわけ風趣がある。日本の代表的な哲学者、西田幾多郎が京大時代に思索にふけって歩いた小径である。
「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える」-。戦後間もない頃のベストセラー。「ものの見方について」の書き出し。著者は戦時中、滞欧していた朝日新聞の特派員、笠信太郎。各国の国民性を明快に分析。その国の政治、教育などのあり方にも言及した一書。今日の日本はスペイン型。暴走した軍国主義から見れば、スペイン以上だろう。思慮深さに欠けるきらいがある。
なにもすべてに哲学的であれ、というわけではない。「哲学」とは原語のギリシャ語では愛智の意。西周(にしあまね)により賢哲を希求するという意味から哲学という訳語に定着。のちに人生の根本原理を追求する学問となる=広辞苑(概要)
冒頭の言葉をとりあげたのは、健康管理のための「一日一万歩」が強調され、最近は携帯電話にまで万歩計の機能がある。私の友人は、ひたすらに「一日一万歩」を目標に万歩計の数値にこだわっている。数値よりも、西田幾多郎ではないが、思索を楽しみながら「散策」をする、自然のうつろいのなかで人生を考える、いまはそのよい季節。このような「ものの見方」・「考え方」で気ばらずに「歩く」-、すなわち「散策」こそ心身の健康によいのではなかろうか。
この季節に私の好きな句がある。
―秋深し石に還りし石仏― 福田蓼汀
―村村のその寺寺の秋の暮― 鷹羽狩行
(風彦)
| 今月の言葉(9月) | 2008年09月 |
「年寄りは、年寄りの誇りを持とう」
―私の「戒老録」―
―風彦
お年寄りをいたわる―。先祖を敬い、亡くなった人々を偲ぶ―。これは人類の美徳である。日本では、そのために九月には「国民の祝日」がある。十五日の「敬老の日」であり、二十三日の「秋分の日」。しかし、最近の風潮ではその精神が薄れているようだ。
ある公演の席で、こんな話を聞いた。八十になるおばあさんが、スイミングスクールに通い始めた。それを知った嫁さんが、理由をたずねた。おばあさんは、『三途の川』を渡るための泳ぎの練習だと答えた。するとその嫁さんは、コーチに言ったそうだ。
「おばあさんには、ターンすることだけは教えないで欲しい」―。会場の笑いを誘った。たぶんにブラック・ユーモアだろうと察したが、「軽老」の風潮を知らされた思いだった。以前、作家・曾野綾子さんの「戒老録」を読んだことを思い出した。
「人は生きる限り、肉親に頼らず、身だしなみに気をつけ、一生涯努める。心を救うものは自ら以外にない」と説いていた。その彼女も、最近はご主人の作家、三浦朱門を悩ませる鬱だそうだ。私は、決して一人では生きていくことは出来ないと悟った。核家族化と高齢化がすすむ中で、これからの日本社会は?と考えると暗い気持ちになる。さりとて現役社会から退いた昭和一桁生まれの「後期高齢者」。自問自答の結論は―。
「敬老精神」におもねるのではなく、自立精神の気概をもち、社会生活での共生の中で、年寄りとしての「誇り」を持つこと。あの昭和の激動期を生き抜いてきた「誇り」である。
閉じこもり老人にならず、「社会の風」にふれて生きる。若者から慕われ、愛される。そして、若者が憧れる老人になれば、先祖を敬う気風も芽生る。社会も変わる。これが私の「戒老録」である。
(風彦)
| 今月の言葉(8月) | 2008年08月 |
勝って涙、負けて涙―
―涙の本質をみる―
―風彦
今年の八月は、スポーツの夏。北京五輪の開幕をはじめ、全国高校野球甲子園大会、インターハイの各種競技会がある。その日のために錬磨した技を競う。なかでも地球規模のスポーツイベントである五輪大会。しかも今回は共産圏で、市場経済下で経済発展をした中国での開催だけに、大いに注目される。
「スポーツには、国境はない」―。と言われながらも現実には、国威の昂揚の場。今回もその例にもれないだろう。選ばれたアスリートたちは、文字通り「スポーツ戦士」の意気込みで、その国のために競う。そこには歴然とした勝者と敗者の明暗が醸し出される。
―勝って涙、負けて涙ーである。
先進国と後進国(開発途上国)とでは「涙の質」が違うだろうが,勝利の感激と敗者の悔しさを目の当たりにすると、第三者にも「涙の質」を越えて感動を呼ぶ。
それはなにも五輪に限ったことではない。高校野球など、スポーツ競技の宿命でもある。
先年、高校野球界の知将、蔦文也さん(故人=徳島 池田高校野球部監督)が、よく語った。
「鍛錬は千日の行。勝負は一瞬の行」ゆえに、日々の練習の積み重ねの結果により「涙の価値」が決まるとも説いた。
哲学者であり、宗教学者、教育家の山折哲雄さんの著書「涙と日本人」(日本経済新聞社発行)は興味深い。その中で目を引いたのは、涙をめぐる国内外の哲学者、心理学者、俳人、茶人、演歌歌手、政治家、野球選手の引退の弁などさまざまな視点からエピソードを紹介。涙の本質を分析した内容だった。
「涙は清らかで美しい排泄物」の記述がある。(概要)「不思議なのは、体内のものが外部に排出されたとたんに、それが汚物になるが、汚物にならないものが、それは涙。涙には悲しみの涙に、喜びの涙もある。どの涙もときに清らかに美しく輝いているときがある」
涙は欲望、愛情、感傷の万華鏡でもある。
さて、この夏の涙の万華鏡が楽しみである。
(風彦)
| 今月の言葉(7月) | 2008年07月 |
「自分で選んで歩き出した道ですもの」
―女の一生より―
―杉村春子
杉村春子といえば、広島の生んだ新劇界の女王であった。九十一歳で亡くなって十一年が過ぎる。映画に舞台に、その存在ぶりは伝説的に語られている。晩年の映画では、進藤兼人監督の作品「午後の遺言状」で、乙羽信子と共に老いた女優らしい演技力をみせた。
私は演劇批評家ではないが、舞台では、記録と記憶に残るのは、「女の一生」。森本薫の戯曲で一九四五年四月初演。久保田万太郎演出、杉村春子主演。孤児から中国貿易商となった「布引けい」の一生を通じて、明治~昭和の激動期を描いた作品。杉村春子さんは「布引けい」役を九百四十七回の公演でこなしたほどである。
それだけに、冒頭の色紙を見つけたときは軽い興奮をおぼえた。『流暢な書体』ながらも、言葉にこの人らしい芯の強さを感じたからである。その色紙は、広島市民球場前のレストラン「マリーナ」の一隅にさりげなく額に収められていた。
店のあるじ中川公一郎さんが、祖母寳山敬子(ほうざん・ゆきこ)さんと女学校時代の同級生だった杉村春子さんの縁で広島公演(一九九五年三月)の際に頂いたものだという。店は場所柄もあり、カープ球団担当のマスコミ関係者が出入りする。
過日、元カープの監督だった阿南準郎さんと選手の「能力格差」について話し合った時、阿南さんはこう言った。
「要は、選手の能力は練習への姿勢。練習をさせられていると思う者と自分の能力を高めるためだと積極的に取り組む者との差だね。自分の選んだ道への生き方だよ」
―好きこそものの上手なれ―であることを説いた。野球も芸道も同じこと。冒頭の杉村春子さんの言葉がそれを教えてくれる。
―すべての道は『愛』からはじまる―。
『愛』は『LOVE』でもあり『LIKE』でもある。
(風彦)
| 今月の言葉(6月) | 2008年06月 |
あなたは霊魂を信じますか?
「不滅の霊魂は千の風になって」 ――風彦
六月といえば、梅雨のシーズン。花でいえば、紫陽花の咲き競う季節。私には、この季節になると、忘れえぬ思い出がある。それは今から五十五年前の六月八日のこと。瀬戸内海の柱島沖で爆沈した戦艦「陸奥」の戦後初めての海上慰霊祭の取材だった。その日は、しとしとと降る梅雨。宇品港(現・広島港)から二隻の第六管区海上保安本部の巡視船に守られた御霊船とともに遺族を乗せた貸し切り客船で現地へ。(当日の詳細は割愛するが…)
柱島近くになると、急に海が荒れ始めた。遺族の人たちも一様に悲しみと不安におののいた。爆沈現場では波頭がたち、停船した御霊船も、その遺族船も揺れた。今でも記憶に残るのは、戦艦「陸奥」の三好輝彦艦長の未亡人が、白いハンケチで顔を覆い嗚咽されていた。雨の中、慰霊祭の祭壇が整い、同行した神職の修祓の儀がはじまり、遺族から託された花、お酒、菓子などを三人の潜水夫が海底に供えて上がると、海面は、うそのように穏やかになった。そして、海底からは戦艦「陸奥」の艦首の、あの「菊のご紋章」が引き上げられた。私を含め参列者の涙を誘った。
「陸奥」が爆沈したのは、昭和十八年(一九四三年)六月八日 十二時十分。原因はつまびらかにされていないが、一四七一人の乗員が一瞬に海に飲まれ込み、一一二一人が亡くなった。この惨事は、当時は極秘だった。その後、吉村昭の小説「陸奥爆沈」が話題になった。が、私は当時の慰霊祭の光景を一部始終見聞して以来、「霊魂」を信じるようになった。あの日の荒れた波は海底に眠っていた人たちの魂の叫びにちがいないと。
台風シーズン、天気予報のテレビの画面で日本列島に向けて北上する台風の進路を見ながら思う。台風は、南海に散華した人たちの魂の「望郷の叫び」ではないだろうか。
六月は、第三日曜日に、広島の原爆医療の恩人、ジュノー博士の功績を顕彰して「ジュノー記念祭」が開催される(※)。参列する広島少年合唱隊、広島のガールスカウトたちのこどもたちとともに、安芸郡府中町の中学生たちが吹奏楽演奏で亡くなった被爆者の霊を弔う。昨年は同中学生が新井満さんの「千の風になって」を合唱。参列者の共感を呼んだ。
「私のお墓の前で/泣かないでください/そこに私はいません/眠ってなんかいません/千の風に/千の風になって/あの大きな空を/吹きわたっています」(後略)
宗教家のひろさちやさんは、「魂は千の風になりますか?」(幻冬社発行)の著書で、魂は一人ひとりの心の持ちかたにあるという。さて、皆さんは?
(風彦)
※「ジュノー記念祭」は毎年六月第二日曜日ですが、 今回は第三日曜日になります。
| 今月の言葉(5月) | 2008年05月 |
「森は海の恋人」 ――畠山重篤
「緑化運動は平和への一里塚」 ――風彦
青葉、若葉のシーズンである。この季節になると気になるのが、原爆被爆樹の柳。被爆直後、七十日は草木も生えないと言われた廃墟から生き続けていた柳の存在。あの日の広島市街地を流れる京橋川に架かる鶴見橋の東詰めに残る。一時は枯死の危篤状態だったが、いまなお被爆六十三年の歳月と風雪に耐えて蘇っている。主幹のケロイドは、セメントの処置を受け、鉄柱に支えられる老樹となりながらしなやかな枝には青葉が川風に靡いている。植物の生命の逞しさを知り、命の尊さを学ぶ。広島の町は、廃墟から幾多の犠牲と変遷の末、緑豊かな美しい平和都市として再生。世界に「平和アピール」を訴え続ける。
「緑」は、まさに平和のシンボルではないだろうか。以前、ソ連のガガーリン宇宙飛行士は「地球は青かった」と言い、同じ宇宙飛行士、向井千秋さんは「地球は美しい星」と表現したが、現実の地球には、国境があり、争いが絶えない「醜い星」でもある。
中でも中東地域。テロ行為をめぐる「戦争」が続く。「戦争」は山野の「緑」と言わず街を破壊。多くの人間を殺傷する。「戦争」だけではない。人間によるアマゾンなどの熱帯密林の伐採による行為を含め、大規模な開発は、深刻な地球温暖化を。もちろん工業優先の企業活動なども一因であろう。
地球温暖化とは、「化石燃料の消費で生ずる二酸化炭素などの温室効果によって、全世界の平均気温が長期的にみて上がっていく現象」(広辞苑)であるが、森林(植林、緑化)によって二酸化炭素の弊害が解消されるというわけである。が、先進国、開発途上国とも国同士のエゴによりその対策は未解決である。
過日、広島市中央図書館で興味ある本をみつけた。「森は海の恋人」(畠山重篤著=北斗出版)である。著者は、宮城県気仙沼で牡蠣養殖業を営む人。牡蠣は植物プランクトンなどを食べて育つことに着目。山(森)との自然環境との関係から海に注ぐ川の上流への植林、緑化活動に取り組み、その成果を実証。大漁旗を掲げる漁民と山村の人との連携で山地の植林、緑化運動を実践しているそうだ。
牡蠣といえば、広島の海の幸。畠山さんは十二年前、崇徳学園での招きで太田川上流の山地での植林の大切さを説き、それがまた地球温暖化対策への一助にもなると訴えた。
「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛を紡ぎゆく」(宮城の歌人・熊谷龍子)
畠山さんは、この一首が好きだという。
そこで私の蛇足の一句を。
―幸せや緑を紡ぐ人と人―
(風彦)
| 今月の言葉(4月) | 2008年04月 |
「落花の情」「花の鎮魂」
豊かな日本語の語彙
――風彦
四月は花の季節であり、春の終曲でもある。その春の花を代表する梅、桜、椿…。その花の落花には、それぞれの風情があり、日本語の表現も違う。語彙の豊かさがある。日本人の感性でもあろう。
咲く花の終わりは、それぞれが違う。一般的には、開花の反対語は、散るであるが、梅の花は「こぼれる」であり、椿の花は「落ちる」という。桜の花は「散る」である。
季節の言葉の「宝石箱」、歳時記(角川春樹編)を調べると、梅の花「こぼれる」ではないが、水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)が詠んだ句に、
―雹(ひょう)のあと蘂(しべ)真青(まさお)に梅こぼれ―があったが、季語秀句辞典の津根元潮(つねもとうしお)の句は印象的。
―梅の花の下には涙の壷がある―
椿については落ちる、と詠んだものが結構ある。
―椿落ちてきのふの雨をこぼしけり―
蕪村の句もそうだし、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の句には、
―赤い椿白い椿と落ちにけり―
異色の一つに種田山頭火が詠んだ句がある。
―笠へぼつり椿だった―
椿の花への惜情感は、地に落ちてなお命を宿している風情がある。以前、芭蕉の生家、伊賀上野の街にある愛染院で落下した椿が、青い苔の上に赤く咲いているかのような点景に接した。花の魂を見る思いであった。
花の魂を供養―鎮花の念で一句ひねった。
―寒椿落ちてなお咲く命かな―
この即興句は今も古い手帳に残っている。
―ありありと別の世があり落椿―
これは青柳志解樹の句。無常観がある。
散る桜にも無常観がある。良寛の一句がそれ。
―散る桜残る桜も散る桜―
「花」にはそれぞれの終末の景がある。
植物研究家の滝井康勝さんは、「花たちの生き方が人々に生きる喜びをもたらす」、「人々は人間として素晴らしい生き方を花に求め続ける」と言った。(誕生花の本=三五館発行)
世阿弥の「花伝書」(風姿花伝)にある「秘すれば花なり」もそうだろう。父親・観阿弥が世阿弥に伝えた能楽論。その一部である。
「時分の花・幽玄の花(中略)咲く花のごとくなれば、また散る時分あり。(中略)ただ花は、咲く道理も、散る道理も、人のままなるべし」(中略)
蘊蓄のある芸術論でもある。「花」を悟ることが人間の生き方にも通じる。
私事で恥じ入るが、一筆を所望されると―
―花のごと花のごとくに咲きにけり―と。
花といえば、平安の昔から桜に代表されるが、桜は桜、梅は梅、椿は椿。道端に咲くイヌフグリ、菫、蒲公英…。花の姿、形が違ってもそれぞれの環境のなか、精一杯咲いている。人間とても同じではないだろうか。
(風彦)
| 今月の言葉(3月) | 2008年03月 |
「ALL IN」激!
――M・ブラウン
待ちに待った『球春』の到来。センバツ高校野球からプロ野球の開幕である。なかんずくカープファンの思いは、いかばかりか。今年は黒田、新井の投打の大黒柱が抜けてのシーズンイン。彼らへの思いは、ファンそれぞれ違うだろう。黒田は別にしても、広島生まれ、広島育ち、カープで強打者に育った新井には格別な哀惜の情がある。私もその一人。知人の住職は今でも嘆き憤慨する。
「優勝を争うチームでプレーしたい」―何を言う。優勝を争うために必要なのは、選手自身の意識、能力、闘争心ではないか。一生懸命、応援してきたファンの心を裏切るものだ」
カープの合い言葉は、何だったのか。
「ALL IN」であった筈。もともとは自分の持っている全て(エネルギー、経験、能力)を勝つために注ぎ込むという、ブラウン監督の米国時代からのモットー。チームもフロントもファンもそして全ての人が一つの方向に向かう(球団広報資料)であった。
その意味から一昨年の黒田残留への署名運動は、『市民運動』にまで発展。黒田の心を繋ぎ止めたし、これまで頑なまで『干渉』を拒絶していたフロントもファンとの垣根を取り払って『市民運動』に理解を示す。「ALL IN」は赤ヘルのウェーブにまでなった。
しかし、ブラウン・カープは、二年連続Bクラスに低迷。黒田の米大リーグでの新天地を求めたことには理解できたものの、新井のFA宣言での阪神入りには、前述の住職ならずとも多くのカープファンの心情でもあった。
当初、私自身ブラウン野球は、従来の日本式野球を改革する「創造するベースボール」(練習内容、投手起用、打順の構成など詳しくは割愛する)として評価したが、ブラウンの意図は実らなかった。理由は一口で言えば、日本人の体質、思考に適合できなかったから。
ロッテのバレンタイン、日本ハムのヒルマンがそうであったように、彼らは苦悩した。三年、四年をかけ、日本式野球との融合をはかり、成功の道を求めた(野球と技術、戦術、指導体制など)。ブラウンは今年で三年目。
「石の上にも三年」―。もう一度、「ALL IN」。今年はこの言葉に「激!」がついた。監督もファンもフロントも激しく、あの創設期の「ALL IN」の原点に還ろう。ブラウンさん。日本にはよい言葉がある。「郷に入っては郷に従え」―。という例えもあるぞ。「創造野球を軌道修正してカープをV軌道へ」―。黒田、新井のことは忘れよう。三年目のブラウン監督に望みを託そう。
(風彦)
| 今月の言葉(2月) | 2008年02月 |
「春望」賦は、故郷への賛歌
――風彦
「春望」―。広辞苑、大辞林、新明解の辞書には、この言葉の漢字は記載されていない。
「望春」、という字をひいても漢字はなかった。「迎春」とは、新しい春を迎える、とあるが、漢字の持つ感じは少しばかり違う。「春望」・「望春」は、春を待ちわびる望郷賛歌でもある。
この二月は、まさにそんな思いの季節であるが、「春望」という言葉には記憶があった。
杜甫の有名な詩である。「国破れて山河在り/城春にして草木深し」(後略)ー。題名は「春望」。杜甫は唐時代李白と並び称された詩人。彼の詩と人となりについての『故事来歴』は割愛しよう。
日本人ならずとも詩人のこころには、「ふるさと」への思いー望郷の念がある。
ある日、ある時、広島市内の寺町通りと城南通りの四つ辻近くの一隅にある知り合いの「あったかぽけっと」という名のお店を訪ねた。自然食品、健康食品などを扱っている看板通りの『あったかな』心の持ち主の主婦の店。そこで尋ねられたのは、高野辰之という人の名前だった。恥ずかしながら思い当たらなかった。
長野県信州中野出身の詩人。名前こそ知らなかったが、この人の作品は知っていた。「春が来た」「春の小川」「故郷」「朧月夜」「紅葉」…。小学時代の音楽の時間で習い、歌った唱歌の名作ばかり。昭和時代の日本人なら誰でも歌っている。が、作者については、教えられていなかった。
改めて詩人・高野辰之の存在を認識、人となりを学んだ。長野師範から東京音楽学校へ、のちに大正大学教授に。一連の唱歌、童謡はこの人の望郷の一念から生まれた。と同時に日本人の心の琴線にふれた作品であり、故郷の賛歌である。
故郷は遠きにありて思うものーと詠んだ室生犀星の「小景異情」。石川啄木のーふるさとの/山に向かいて/言ふことなしーの詩もそうだ。
また、この時期にふさわしい唱歌の「早春賦」。―春は名のみの/風の寒さや―(作詞 吉丸一昌)
―私は真っ赤なリンゴです―の「りんごかわいや」(作詞 武内俊子)の童謡も詩人の望郷から生まれた。
「春望」「望春」は、日本人の心の遺伝子。そのふるさとは、いま疲弊。都会との生活格差を生じている。「ふるさと納税」なる税制が話題になるのも日本ならではの「故郷賛歌」かもしれない。
(風彦)



