| 今月の言葉(1月) | 2008年01月 |
福寿草の如く
――風彦
新しい年の初めの格言は「一年の計は元旦にあり」。むかしからの『定番』である。
その年、一年の計画、準備は一月一日の朝整えておくべきである。何事にも計画、準備が大事である、という教訓。家庭、学校でも説き、聞かされた。
ことわざ辞典によると「一日の計は、あしたにあり、一年の計は春にあり、一生の計は、勤むるにあり、一家の計は、身にあり」(月令広義)にある。解釈するまでもあるまい。読めば理解できるはなし。とくに注釈するならば、あしたは、明日ではなく、朝。
時代の流れでこの言葉を暗誦する人もいないだろう。季節感の『旬』もなくなり、家族も『核家族』化した世の中。そんななかで、「福寿草」の鉢植えをみつけた。
黄色い花、蕾をつけた福寿草は、おたがいに寄り添うようにしているではないか。
むかしは、山野に自生していたが、日本では秩父の山地にみるぐらいだそうだ。
植物図鑑で調べてわかったが、福寿草は、キンポウゲ科の多年草でアジア北部に分布、日本の山地にも自生。縁起のよい名称として花の少ない時期に咲くのが珍重され、正月用の花として栽培されている。地上茎は二十センチ、葉は羽状複葉。早春、葉に先立って黄色の美花を開く。元日草ともいう。
私が魅せられたのは、黄色い花、蕾がまるで家族のように寄り添っていることだった。
核家族化のすすむなか、正月になると生れ故郷に戻り、仲むつまじく一時を過ごす「家族愛」を感じるからである。
私は年賀状に南天の小枝をペンにして駄句を添えて書く。(南天は、難を転じて福とする縁起がある)
―寄り添いて命はぐくむ福寿草―
私とおなじ福寿草に思いを寄せる俳人がいた。歳時記をひもとき、思わず膝をうった。
―福寿草家族の如くかたまれり―福田蓼汀
まさしく合点だ、と。
森澄雄の―福寿草なれば豊かや静心―もよいが、保坂仲秋の句も気に入った。
―地に低く幸せありと福寿草―
花には花それぞれの生き方がある。桜は桜、梅は梅…。福寿草の、あの黄色が心に残る。
「色彩心理学入門」(大山正 著 中公新書)や「まんがでわかる色のおもしろさ」(サイエンス・アイ新書)によると黄色は、『夢』・『幸福』・『希望』を表現するそうだ。ちなみに福寿草の花言葉は「幸福」・「思い出」―。
新しい年のスタートにあたり、この一年が「幸福」であるように願いたい。
(風彦)
| 今月の言葉(12月) | 2007年12月 |
渦巻く義憤の嵐
―誤った情報操作による日本の悲劇―
――風彦
十二月といえば師走。歳末大売出し、クリスマス商戦の狂騒で街は活況づく。が、昭和ひと桁の世代には、この月は忘れることのできない日本の悲劇の序幕である。十二月八日。大東亜戦争の開戦記念日。今から六十六年前のこと。今でも、あの時の大本営発表は、鮮明に記憶している。
「大本営発表。本日未明、わが国は米英両国と戦闘状態に入れり」
ラジオから流れるニュース。威勢のよい軍艦マーチ。相次ぐ勝利の戦果。当時小学五年生だった私を含め国民は、一時の勝利に酔い驚嘆したものである。
「鬼畜米英打倒!」「大東亜共栄圏確立」「一億火の玉」「撃ちてし止まん」「贅沢は敵だ」「勝つまでは欲しがりません」
大東亜戦争を「聖戦」といい、すべてを犠牲にしての戦争。大本営発表の真偽を知る術もない社会情勢下。のちに戦場は拡大、泥沼化。神国日本を救う神風にあやかっての「神風特攻隊」、人間魚雷の「回天特攻隊」を編成してまでの異常な戦況の末、敗戦の悲劇をみた。私は今年も思う。八月十五日の「終戦記念日」などの国をあげての戦没者への追悼をする式典も結構ではあるけれど、あの忌まわしい戦争への十二月八日の「開戦日」を忘れてはならない。多くの戦争を知らない世代に、あの歴史の真実を伝えるべきである。
過日、旧日本銀行広島支店で「戦争展」があった。戦時中の国民生活から支那事変の勃発の経緯、日本の政治、軍部の台頭、大東亜共栄圏の虚像、大東亜戦争から太平洋戦争への戦火などさまざまな当時の写真、ポスターなどの展示品を見たし、併設のコーナーではVTRの紹介と戦争、原爆の語り部たちの話も聞いた。そのなかで従軍看護婦だった老人の切々と語る戦争と人間愛は、心に残った。
「今の日本は、あの頃と似ているのが恐ろしい」
その人が訴えたかったのは、国による情報の隠蔽と操作ではなかったろうか。
政府筋のインド洋での自衛艦の米軍艦船への給油量の情報問題と継続のあり方をはじめ厚労省の薬害問題や建築の耐震偽造、食品の産地欺瞞、賞味期限の捏造が相次ぐ。
今年ほど義憤を感じた年はない。それは国に対しても企業に対しても。
義憤とは正義、人道の行われないことを憤ること。公憤(広辞苑)、とある。
『国家の品格』。『企業のモラル』を正すためにも義憤を死語にしてはならない。
(風彦)
| 今月の言葉(11月) | 2007年11月 |
命には終わりあり
能には果てあるべからず
――世阿弥
十一月は、灯火親しむ読書の季節。文化、芸術祭の花盛りの季節。冒頭の言葉は、能の『神様』世阿弥の著述した「花鏡」にある名言である。過日、世阿弥の「花伝書」(風姿花伝)、「花鏡」を読み直したときに、あらためて世阿弥の能楽論を通しての芸術論にふれた。父親の観阿弥の口述を体系的にまとめた芸術論であるが、後世の人からは、この人の作として評価されており、長らく能楽の秘伝でもあった。
「花鏡」にある言葉には―。
「是非の初心を忘るべからず」
「時々の初心を忘るべからず」
「老後の初心を忘るべからず」
この言葉の解釈について、斉藤孝さん(教育学者)は、成功、失敗を問わず、初心者のときの体験を忘れては上達しない。そのためにも
「初心を忘れば、初心へ返る理(ことわり)をよくよく工夫すべし」と世阿弥は説いている。「時々の初心」とは初心から年の盛り、そして老後にいたるまで、その時分時分での習うことは、それぞれが初体験だから初心を忘れないことだという。
未熟であることの自覚を忘れなければ、芸の上達は限り無い。
「命には終わりもあり、能には果てあるべからず」という薀蓄のある言葉につながる。
この言葉は能に限らず、スポーツ、芸術各分野にも通じる。私たちの実社会での人生訓。まさに「初心忘るべからず」である。
ある人が言った。たしか、岡本太郎だった。
「人生は芸術だ。芸術は創造だ」
人それぞれ、生きる道はさまざまである。が、その生き方は、人それぞれが創造すること。作りだすことである。
人生は演劇だと言った人もいた。そのシナリオを書くのは、自分自身。
「全ての人は自己の運命の創造者である」と言ったのは、英国の随筆家、スティル。
「人間が賢いのは、その経験に応じてではない。経験に対する能力に応じてである」とは、バーナード・ショー(英国、劇作家)。
世阿弥の言葉に共通する。
最後にソクラテスの言葉を紹介しよう。
「汝自身を知れ」
他山の石として自戒したい。
(風彦)
| 今月の言葉(10月) | 2007年10月 |
君は船なり庶人は水なり
――荀子
この言葉は、中国の古い諺である。一読すれば、意味簡明である。君主と庶民の関係を説いたもの。
荀子は、中国戦国時代の思想家。(紀元前二九八年?~同二三八年以降)生年、没年は不詳。著書二十巻三十二編の中の王制編九に書かれている。念のため解釈すれば「君主は舟であり、庶民は水。水は即ち、舟を載せ、水は即ち舟を覆す」―。庶民が安ずればこそ、君主も安泰であり、君主の苛政を戒めた言葉。今回この言葉をとりあげたのは、安倍政権への警鐘である。
多くを語るまでもなかろう。理由はともかく民意を反映できず、さきの参議院選挙での自民党惨敗。与野党逆転から衆、参両議院の「ねじれ国会」の行方を杞憂してのこと。
この言葉は、政権与党の自公、野党の民主両党にも言える。
現在の国会運営は、テロ対策特別措置法延長、年金記録不備、政治とカネ、大臣の任命権問題など、国内外での大きな課題がある。この難局を私たちの「日本丸」は、どのように乗り切っていくのか? 安倍晋三首相の操舵範を見守るほかはないが、これまでの経緯からは不安も隠し切れない。
ところで、古代中国には、荀子の書のほかに政治に関わる金言、名句がたくさんある。
「国は人をもって本となす。安ければ国安し」(潜夫論、準南子、書経など)―。
「民の欲するところは、天は必ずこれに従う」(左伝、書経)―。
「国を治むる者は、民を富ますをもって本となし、学を正すをもって基とす」(潜夫論)―。
「すくなきをうれえずして均(ひと)しからざるをうれえ、貧をうれえずして安からざるをうれう」(論語)―。
中国五千年の歴史には、孔子、孟子、司馬遷、孫子などすぐれた思想家、歴史家、戦略家などが残した言葉がある。かっての毛沢東をはじめ共産主義国家の政治家を含め、現在の市場経済導入から近代国家をめざす政治家たちへの「遺言」ともいえる。が、そのままわが国の政治家への「提言」でもある。
(注)この文章は、九月の早い時期に執筆されたものです。
(風彦)
| 今月の言葉(9月) | 2007年09月 |
われ未だ木鶏たりえず
――三十五代横綱・双葉山定次
この言葉を知っている人は、もうほとんどいないだろう。かくいう私は、少年時代に父親に教えられたし、のちに書物で読んだ記憶がある。双葉山といえば、戦前、大相撲では不世出の名横綱。不敗を誇り、七十連勝を目前に安芸海に破れ、当時角界のみならず、センセーショナルな社会事件であった。
昭和十四年春場所四日目、安芸海の外掛けに崩れ落ちた一番だった。当時、小学二年の私にもラジオ実況放送の熱狂的な叫び、私の周辺の大人も子供も欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した興奮ぶりは、今でも遠い記憶のなかに残っている。安芸海は、前頭三枚目、新進気鋭の力士。広島出身だけに広島の相撲ファンは、安芸海への身びいきは当然だった。現在の六場所制とちがい、二場所制。春場所は一月。相撲への関心は、国をあげての人気。まさに伝統ある『国技』であり、『文化』であった。
冒頭の言葉は、双葉山が親交のあった安岡正篤(やすおか・まさひろ)氏宛て電文。
安岡正篤氏は、東洋政治哲学者、人間学の権威で、昭和天皇の終戦の詔(玉音放送)の草案に加筆、戦後の歴代宰相の師でもあり、平成の年号の発案者としても知られる。
当時、安岡氏は、欧州旅行中の船の中で双葉山からの無線電信を受けたという。
「ワレイマダモッケイタリエズ フタバヤマ」
双葉山は、常日ごろ、安岡正篤から中国の故事「木鶏」の話を聞き、相撲は単なる勝ち負けではなく、心を鍛錬、天にいたる道であると自ら人格形成に励んでいた。が、安芸海に不覚をとったことから、まだ修行のたりないことを自戒したという。
ところで「木鶏」とは、荘子の達生に出てくる話。簡略すると中国の王が、闘鶏を養う名人に強い闘鶏を求めた故事によるもので、強さを表に出さない最強の闘鶏のことである。
さて、九月は大相撲秋場所がはじまる。が、横綱・朝青竜は、例の巡業拒否、モンゴル帰国事件の処分で、今場所、九州場所と謹慎、減俸処分問題でいまだに論議があとを絶たない。嘆かわしい話である。
わが国の相撲は古代より神への奉納の儀式から発展。日本文化の「国技」である。横綱の綱は、神と人間を結ぶ絆。綱を締める力士は、最高の名誉ある地位。今回の問題は、相撲協会を含め「国技の品格」「横綱の品格」が問われることだ。
(風彦)
| 今月の言葉(8月) | 2007年08月 |
生命の力と平和の尊さを
原爆被爆樹から学ぶ
――風彦
広島の町を流れる京橋川にかかる鶴見橋の東側たもとに、老いた一本の被爆柳がある。
痛ましいケロイドの木肌を晒しながらも、今なお川風に枝を靡かせている。早春に芽をふいた青葉の色も夏の日に輝いている。誰が捧げたのか千羽鶴の束…。風雨にさらされて色あせている。
そのそばを通るたびに私は、きまって立ち止まり、老柳に話しかける。というのも、私の被爆した父は、死の際に、一夜明けた翌日、避難した比治山からおりて鶴見橋のたもとで救援を待っていた―と聞いていたからである。
柳はまさに当時の生き地獄さながらの、あの一帯を知る、なによりの「生き証人」。いとおしむ心もさることながら、逞しい生命力にただならぬ畏敬の念が込み上げてくるのである。被爆者の多くは、すでに亡くなり、高齢化して記憶も風化している。
あれから六十二年。被爆直後、広島には七十年間、草木も生えないとの風聞があった。それでも広島市内には、被爆樹木(五十二本=広島市植物公園資料=平成十六年三月)が今なお逞しく生きている。
その中でよく知られているのは、平和公園の一隅にある被爆アオギリだろう。このアオギリは広島市中区白島町にあった広島逓信局(中国郵政局の前身)の中庭で被爆した三本。一九七三年、現在地に移植(内一本枯死)されたもの。同局勤務中、被爆した沼田鈴子さん(当時二十二歳、現在、八十四歳)は、このアオギリのもとに寝かされて救護された。結局、沼田さんは、左足を切断、九死に一生を得て、現在「原爆の語り部」として活躍。被爆時のこと、このアオギリをめぐる生命の力、平和の尊さを語り伝えており、広く世界でも知られるようになった。
被爆アオギリは、夏に淡黄色の花を咲かせ、秋には実を結ぶ。落果したタネを、今では広島市植物園で育苗。苗木は広島市内の小、中、高校にも植樹。逞しく育っている。世界各国でも育苗、苗木が移植されるなどアオギリを通して「ノーモア・ヒロシマ」運動の輪に広がる。八月は忘れることのできない原爆忌であり、敗戦忌。改めて原爆被爆樹から生命の大切さ、平和の尊さを学び、訴えよう。
「世界平和の花を咲かせよう」
― Let's bloom for the World Peace!―
(風彦)
| 今月の言葉(7月) | 2007年07月 |
五十年の歴史を忘れまい―。
広島市民球場の
過去と現在と未来
――風彦
早いもので、広島市民球場ができて七月二十二日に五十年を迎える。当時を知るファンにとっては懐旧の念もまた一入であろう。私もその一人。その後、二度の拡張で現在の『威容』を整えたわけだが、球場の施設は老朽化が目立ち、改装・建替え計画や新球場の建設が持ち上がりながら、建設費などをめぐり、紆余曲折(この件は割愛)、難航していた。
過日、広島市・県・経済界のトップが会談してJR東広島駅貨物ヤード跡地に新球場建設について合意した。総工費九十億円のうち三者で四十六億円を負担しあうことを共同声明で発表した。残りの建設費の捻出には、まだ問題があるが、まずは、めでたしというところであろう。
今の球場は広島経済界のリーダー格だった東洋工業(現在のマツダ)の社長 松田恒次さんが広島経済界の「二葉会」に呼びかけて実現した。すべて、カープ強化のためにナイター設備のある球場を作ってやろう―との思いからだった。建設資金として、一億六千万円を寄付。昭和三十二年二月、総工費は二億円で着工。七月二十二日竣工式という突貫工事だった。当時の「二葉会」の財界人は、すでに亡くなり、また当時のいきさつを知る人も少ない。
先月、広島市南区にある広島市郷土資料館での企画展「広島市民球場の50年」に出かけた。当時の渡辺市長などの政界の動向、球場をめぐる公文書、設計図、選手のユニフォーム、ファンの熱烈応援ぶりの写真、球場建設の経過と周辺の風景写真の展示には、感慨無量…。
そのなかで私が胸をうたれたのは、アニメの作品「ドリーマーズ」のビデオ上映だった。原作は、あの「はだしのゲン」の作者、中沢啓治。監督は兼森義典。上映は八十六分だったが、内容は、原爆で両親を失った野球少年と原爆症で息を引き取る弟との兄弟愛。そして野球少年たちの友情を軸に呉に駐留していた米国兵士たちとの野球試合。カープの創立当時の少年たちの思い、郷土愛を描いたこの作品を見て、熱いものがこみ上げてきた。一九九四年の作品だが、カープと原爆の悲劇は、語り続けなければならぬ広島の社会文化である。
私たちは、新球場の建設の『朗報』のなかに、広島の歴史を忘れてはならない。
(風彦)
| 今月の言葉(6月) | 2007年06月 |
「梅雨前線異常あり」??
――地球温暖化の視点
六月といえば、梅雨の季節。地球温暖化にともなう梅雨前線の動向が気になる。カラ梅雨か長雨か―。何らかの因果関係があるのでは…、との指摘もある。が、しかし、広島地方気象台の防災資料室の話では、断定的なことは、避けている。
ちなみに私の日記の過去五年間の六月中のお天気メモを見ると、平成十四年では、雨の日は三日。十五年では九日。十六年では八日。十七年は三日。昨年の十八年は十一日が雨の日。降雨量の多少はもちろんある。広島地方気象台防災資料では、梅雨時期の六月、七月の二ヵ月の降雨量は次のようになっている。
平成十四年 二九七・五㍉
同 十五年 六六八・〇㍉
同 十六年 二八一・〇㍉
同 十七年 四〇八七・五㍉
同 十八年 六〇〇六・五㍉
同資料室の話では、月によって降雨量にばらつきがあり、一概に増えているとは言い難いという。
しかし、気象状況は不安定な傾向である。
梅雨とは、六月上旬から七月中旬にかけて日本と中国の揚子江流域で見られる一ヵ月以上にわたる長雨の時期。オホーツク海高気圧の冷たい湿った風と小笠原高気圧の暖かい湿った風が向き合って生れる停滞前線が、その正体。前半の雨は、『しとしと』、後半は『荒梅雨』(現代俳句歳時記)と表わし、豪雨に見舞われる。
以前、気象大異変を特集したNHKテレビで、スーパーコンピューターによる百年後の「地球シュミレーション」をしていた。それによると、地球の気温が四・二度上昇した時、東京の正月は紅葉の季節となり、四月には初夏の気候、海開きは五月…。夏の季節が二ヵ月早くなるだろうとの予測。三年前のフランスの熱波現象、モンゴル草原の砂漠化もその予兆か。
「病めゆく地球」の『実像』にショックを受けた。改めて地球規模の温暖化対策と環境問題を、一人一人…。国境を越えて真剣に取り組むべきである。京都議定書に批准していない大国、アメリカはもとより、中国を含めた開発途上国も、利害関係を抜きにして―。
環境こそが何よりの平和論であろう。
さあ、地球の皆さん、梅雨前線の動向は、地球規模の視点で思考しましょうよ。
(風彦)
| 今月の言葉(5月) | 2007年05月 |
「辛いときでも幸せなつもり」
―山崎陽子
五月は、若葉光る。風薫る。希望に満ちた季節である。が、しかし、進学、また社会に巣立った人の中には、新しい環境に馴染めず、心をさいなまれる人もたくさんいる。こんな症状を「五月病」といい、昔から神経症候群と言われていた。
とくに親元から離れての生活では、ホームシックに陥ったりするのも、「五月病」の典型的なものだろう。
しかし、現在は携帯電話、インターネットの通信事情、交通、社会経済の事情の変化とその産業の急速な発達などで、ひと昔前の「五月病」の症候群とは、様変わりしている。
私の身近な周辺の人の話では、せっかく大学に進学したのに、学校に行かなくなった、とか、良い企業に就職したのに、人間関係がうまくいかずに挫折している、ということを耳にする。
今ごろの若い者は、耐えることができない―などとは言いたくはない。が、たしかに、新しい環境への適応する力がなくなっていることは、事実のようである。
冒頭の言葉を語っていたのは、山崎陽子さん。彼女は、元、宝ジェンヌのスターで、童話作家、ミュージカルの脚本家。二児の母親でもある。私が彼女の話を聴いたのは、過日のNHKラジオ深夜便の再放送。彼女の現在までの生き方を書けば、一編の長編ドラマである。が、簡潔に紹介すれば、幼いころは、病弱、運動神経も鈍く、人前に出ることすらできなかった内向性。
その彼女が、読書が好きで、先生から人には、だれにもひとつは良いところがある―、と諭されたことから生きる自信を持ち、宝塚歌劇のスターまでに。そして子どもを育てながらの主婦生活からユニークな発想をもとに、童話を書くまでになったという。
その彼女が、「自分史」から学び、身につけたのが、「辛いときでも幸せなつもり」の人生観である。さらに人には、それぞれひとつは良い点があることをモットーに、他人への思いやりを持つことを座右の銘にしているそうだ。
私が感心したのは、彼女の生き生きした語り。辛いことを幸せだと受け止め、明るく耐える処世術である。
若い諸君―挫折する前に、もう一度踏みとどまって考えよう。
「辛いときでも幸せなつもり」で―。
これは、私たちの処世術にも言える言葉。
(風彦)
※山崎陽子さんのサイトは、
http://www.yoko-world.com/index.html
エッセイ集に「しあわせは、いつも いま」(二〇〇四年二月)など。
| 今月の言葉(4月) | 2007年04月 |
「人の心にタネを植えよう」
―公共広告機構のCMから
最近、民放テレビのCMに流れるキャッチフレーズである。荒廃する社会に命の大切さと人間愛を訴える言葉。まさに人間社会での「啓蒙的標語」といえよう。
同機構の発案に民法各社が無償で協力、三十秒、六十秒の二本のCMを全国のお茶の間に流しているそうだ。
この言葉の字義ではタネならば蒔く。苗木なら植える(じゃがいもの場合はタネいもを植えるともいうけれど…)であるが、些細な字義の講釈を云々するのではない。
要するに、人の心のなかにタネからの発芽を、苗木から大きな樹木を、そだてる豊かな情愛とその喜びを通して命の大切さを訴えようというCM企画。とかく民法メディアのあり方が論議されるなか、民放の志向する一端のCMである。
四月の言葉としてとりあげたのは、新しく進学、社会人になった人たちへの餞(はなむけ)である。新しい環境のなかでさまざまな「出会い」から新しい人間関係が生れる。そのなかでお互いが、相手を認めあうこと、友情をはぐくむことの大切さを示唆する言葉でもあろう。
四月は若葉燃え立つ五月への序曲。生命の息吹を実感できる季節。タネ蒔きの時期で、地方によっては苗代の作業を始める土地もあるし、夏・秋に花を咲かせるためのタネを蒔く。近年は、農業・園芸技術の進歩により変化がある。が、タネ蒔きは、歳時記の季語では「春」。
俳人・星野立子の句に―
「きらきらと輝く種を蒔きにけり」
また同じ俳人・岡安迷子の句には―
「花種を蒔かんとすれば土笑みぬ」があり、ほのぼのとした印象的な句もある。人の心にタネを蒔いたり、植えたりする場合、相手の『心の土』をいかに耕し、柔らかい土壌にするかである。それは、やはり相手を思いやることで、「博愛」、「慈愛」の涵養につながる。
荒廃した社会の復興は、まず人の心の復興からだろう。
人に情けあり
情けに縋(すが)りて
人の縁(えにし)を悟る
この三行詩には、人と人との「出会い」の絆を説いたもの。人の絆は心の絆―。
(風彦)



