| 雑感(4) | 2011年04月 |
代表取締役 田河内秀子
未曾有の大災害が発生しました。被災者の皆様には何と言っていいか言葉を失います。自然は人智をはるかに超えています。二〇〇九年にギネスに登録されたという十一メートルの防波堤はいともやすやすと乗り越えられ、三重にも四重にも安全ガードで囲まれたはずの原子力発電所も、人間の必死の努力をあざわらうかのように暴走しました。日本で記録された津波の最大の高さは三十八mだそうですので、十一メートルではまるで足りなかったのです。でも例え五十メートルの防波堤を築いたとしても原発直下でマグネチュード9がきたらどうなるのでしょう?
CNNニュースにいつも出てくる世界地図の右端にある小さな小さな島国は幾万年かの歴史の中で、周期的に繰り返す大地震や大津波、火山の噴火に見舞われ続けています。それがこんな風光明媚な日本列島を作り上げてきて、今もその活動の真っ最中にあるのです。
でもどんな災害があろうとも人間は生きていかなければいけません。今日も明日も生きている限りは生きていかなければなりません。そして子供たちに孫たちにこの美しい日本という国を残していかなくてはいけません。今までそのように日本人はやってきたのです。
三日後に助かったお年よりが言っていました。「大丈夫! 大丈夫! また一から始めたらいい」と。四枚のプレートの上に乗っかって何千年も生き抜いてきた日本人のDNAの言わせる言葉でしょうか。
しかしそれにしても世界で一番地震の多い日本で、五十四基もの原子力発電所が稼動しているのは正気の沙汰ではないですね。この度のことは本当に肝が冷えました。今こそ世界に誇る日本の技術を駆使して自然エネルギーに大転換していく事はできないのでしょうか。そしてそれと共に少々電気がこなくても生活できるような知恵を持ちたいものです。
| 雑感(3) | 2011年03月 |
代表取締役 田河内秀子
家の近くの市民農園はもう種を蒔くばかりと黒々とした土が畝を作り、日曜日の朝は六十・七十代とおぼしき男性が何人か集まって話をしている姿をよく見かけます
思い起こせば父も、定年後の六十・七十代は団地の空き地を借りて野菜を作っていました。農家の九男坊だった父は何を作るのも上手で、実家に帰るとたくさんの野菜を土産にもらったものです。母は、四十代に団地に引っ越してからはタバコやパンや切手を扱う小さなお店を始めました。丁度団地の真ん中にあった母のお店は、近所の皆さんから重宝がられ、朝早くから食パンをスライサーで切って袋に入れていた姿を思い出します。子どもたちも駄菓子を買いによく母の店に来ていました。
両親は、十代の終わりに満州で出会い大恋愛の末終戦後に結婚。結婚に至るまでは父の四年に渡るシベリア抑留生活、母の満州からの逃避行とドラマさながらの物語があったそうで、お酒が入ると、中国語での「夜来香」の歌と共にその頃の話が良く出てきます。ロマンチックで過酷な青春時代だったのでしょう。
戦後の貧しい時代に私たち姉弟を育て一人前にし、私の子育ての頃は、何かというと母の出番。どんな頼みでもノーと言うことはなく、そのお陰で休まず働き続けることが出来ました。
最近、四歳の孫と生まれたばかりの孫を見ていて、自分が子育てをしていた頃に両親にどれだけお世話になっていたのか、今更ながら思い出します。
でも自分が親孝行をする番である昨今は、つい忙しさにかまけ、認知症になってしまった母の世話も、益々頑固になっていく父の世話も、実家の弟夫婦と介護保険に頼りきりです。もう九十歳に手の届くようになった両親の好きなことは歌を歌うことなので、これからは出来るだけ行って、ご飯を一緒に食べ、昔の歌でも一緒に歌おうと思っています。
| 雑感(2) | 2011年02月 |
代表取締役 田河内秀子
印刷の業界紙上で、10年後の印刷業界の予測について書いてあった。最悪のシナリオでは、現在6兆円の印刷市場は3.8兆円に縮み、印刷会社の3割が消えるとのこと。20年前には印刷市場は9兆円だったので、今までより早いスピードで縮むと予想されているわけだ。
印刷業の場合は景気の後退や少子高齢化の影響というより、技術革新によって家庭でも会社でも誰でもが印刷屋になれるようになった影響が大きい、そしてこれからは広告も書籍も紙媒体ではなくディスプレイで読もうという時代に突入する。昨年は電子書籍元年と言われた。今年からは着々とあらゆるものの電子書籍化が進んでいくだろう。これから5年後には皆のケータイはスマートフォンになり、今持っているケータイは過去の遺物になってしまうのだろうか?
机の引き出しのテレフォンカードももう出番がなくなった。図書券も出番がなくなるかも知れない。
テレビであるタレントが、お財布ケータイひとつで、現地通貨もカードも使わずイギリスに行って帰って来たと言っていた。
昔、「私はケータイは持たない」と言っていた人も、「パソコンは使わない」と言っていた人も、仕事をしている人はみんな持っているし、使っている。いくら時代に逆らおうと思っても、仕事をし、この世界で生きていくからには時代の波に乗るしかないのだ。
おりしも今年は辛卯年、植物が新たに芽吹き大きく成長して繁茂する様子を表しているという、非常に縁起のいい年だそうだ。新しく物事を始めるにふさわしい年!
我が社も時代の波に乗り遅れないよう、冒険の旅に出よう!
| 雑感(1) | 2011年01月 |
代表取締役 田河内秀子
新年明けましておめでとうございます。
昨年は何かと気ぜわしい年でした。一ヶ月を追いかけて行くのが精一杯で、一ヶ月ずつこなしていってあっという間に一年たったというのが実感です。でも今年も二月に孫が誕生の予定で益々忙しくなりそうな予感が・・・
といっても何にも手伝えそうにないのですが、孫がみるみる大きくなるのを見逃すわけにはいけません。
仕事の面では、七月が決算なので今月で半期が終わります。昨年は経営方針書作成の取り掛かりが遅く、各部門もじっくり計画を練ることが出来なかったので、今年は早目に計画づくりに取り掛かろうと思います。以前岡山の旭東病院の土井院長先生(岡山同友会代表理事)の講演をお聞きした時、五ヶ月前からスケジュールをたて、医師・看護師含め四百名の職員全員参加で経営指針の成文化に取り組んでいるということでした。業種には関係ないのだなぁと感心して聞きました。計画と段取りでその仕事の成否は80%決まっていると言われています。今年こそは準備に力を入れ、働き甲斐のあるいい会社づくりを目指したいと思います。
そして体力作り、毎年年の初めに体力作りをしなくてはと思うのですが、昨年は膝を悪くして何もできず。今年こそは、十一月三日の平和マラソンで、せめて1kmを走れるようにとささやかですが、私にとっては大きな目標をたてています。
何はともあれ新しい年! 悔いの無いような毎日を過ごしてまいりましょう!
| 雑感(12) | 2010年12月 |
代表取締役 田河内秀子
今日は大阪から帰ってきてこの文章を書いています。朝10時の便で大阪に行き、お昼からある経営研究会の全国経営発表大会に参加。今年は聞くだけの参加なので気楽、気楽・・・。気楽過ぎて居眠りしてしまいました。過去3年間は毎年経営発表をし、聞いてもらったグループの経営者の方々からの鋭いフィードバック。緊張の2日間を過ごしたのですが、ちょっと息切れし、今年は発表をお休みです。
途中17時には大阪を出て、初めてジパングを使い、帰りの切符を買いました。2割引きです。4回目からは3割引きになるそうです。使ってみるまですごさを実感できませんでした。還暦後すぐ手続きをすればよかったです。JRを使って九州も東京も大阪も奈良も下関も行きましたのに・・・。
還暦と言えば、映画も千円。他にも何か優遇されるものがあるのでしょうか? どうせなら飛行機代もホテル代も還暦から安くなれば、もっと旅する熟年層が増えて、日本の経済にプラスになるのではと思います。映画館も飛行機もホテルも埋まっているのが一番いいので。時間がたっぷりある熟年層にそれなりの値段で、楽しい時間を提供するビジネスがこれからは絶対イケルと思いますが、いかがでしょうか?
日本では百人に一人は富裕層と言われています。東京にそんな人たちは集中しているので、余り実感はないのですが、富裕層でなくても、確実に昔より豊かになり、生活必需品は満ち足りています。あとはどれだけ楽しく喜びに満ちた生活を送れるかが、人生のテーマになってくるのではないでしょうか。
我が社の仕事が、そんな人生のテーマに少しでもコミットしていけるのかどうか、次回の経営発表参加を目標に、考え続けて行きたいと思います。
| 雑感(11) | 2010年11月 |
代表取締役 田河内秀子
知り合いの印刷会社の社員と事業を引継ぎ、そこのT社長様のご逝去に伴う様々な出来事、そして待ちわびていた息子の結婚式と尋常で無く慌しかった10月が終わりました。そんな慌しさの中でたった数時間でしたが、能の世界に触れました。
10月16日の夕刻、能楽シテ方喜多流能楽師大島衣恵さんの講演に参加し、大島さんの指導のもとに初めて謡と仕舞の一端を経験しました。能は室町時代に始まり、その精神性は死者の魂を慰めるものから始まったというお話。大島さんの実演ではろうろうと響く謡の声と仕舞の所作を体感し、その声は、その朝収骨室で骨壷に収めさせて頂いたT社長様の魂に届いているのではないかと心震える思いをしました。
人生は短く感じます。娘と孫を先に天国に送った身には、今生きていることはまだまだやるべきことが残っているから生かされているのだろうと思います。誰でもなんらかの使命をもってこの世に生まれてきて、その役割が終わったらいやおうなくこの世にさようならをしなくてはなりません。
「ひろしま女ヂカラ」という本の中で、大島さんは若者たちに向けてこう言っています。「自分のやりたいことを探すのではなく、自分の出来ることの中から、社会に役立つものを考えてやっていってはどうか!」と。若干32歳の彼女の凛としたたたずまいに深い精神性を感じました。2歳からひたすら能の世界で生き、厳しい練習を経て、今や世界の人に能を広めようと活動している彼女の言葉は使命感に満ちています。
一度しかない人生、自分の出来ることで人様のお役に立つことを追及していけばいいのだと納得しました。でもそうは言っても「薪能」や「狂言」、「歌舞伎」など日本の伝統芸能に触れる時間もつくり、心豊かに生きていきたいのもです。
| 雑感(10) | 2010年10月 |
代表取締役 田河内秀子
暑い暑いと言っているうちに、朝晩はすっかり涼しくなり、とっても爽やかないい季節になりました。毎日がとても慌しく、ゆっくり季節を味わうまでにはいたりませんが、今年こそは心落ち着けて、今この時を楽しみたいと思うのです。
幸いに、9月の25・26日は奈良に小旅行、今月19日~22日はマニラ・香港への旅行が決まっています。気分転換をするのはもってこいです。ただ右足の薬指にヒビが入り、長時間の歩行には支障があるので、杖を調達して行こうと思っています。それにしても私の右手・右足はよく故障します。昔から、大体怪我をするのは右手・右足と決まっていて、たまには左足も怪我をしますが、殆ど右です。右手の骨折1回、右足の骨折2回、左足の骨折1回と、以前はよくギプスを巻いていて、又どうしたん?と笑われていました。
昨年からは右膝の故障で、やっと治って、休んでいたダンスを再開しようと思った矢先に今度はヒビです。澄ましていても余程ソソッカシイのが周りの皆さんにバレバレです。でも最近はギプスを巻くことがなくなったので大分進歩したとひそかに自分を褒めています。
願わくば死ぬ時は布団の上でと思っていますが、この調子だと、どこかでこけて又は階段から落ちて頭を打って、周りの人からやっぱり! と言われるパターンではないかと危惧しています。そうならないために何とか筋力をつけて、こけない・落ちない・引っかからない、どこまでも歩いて旅行を楽しめる人生を送りたいものだと本当に心の底から願っています。
| 雑感(9) | 2010年09月 |
代表取締役 田河内秀子
我が社も第28期を迎え一ヶ月たった。一年が本当に早い。決断しなくてはいけない事が次々とあるのに、最近はどうも決断できなくて、ああでもないこうでもないと迷ってばかりだ。切羽詰っているときは選択肢が少ないうえに、何を優先しないとヤバイかがわかっているので決断は比較的簡単なのだが、すべてが中途半端な状況になると優先順位がつけづらくなり、迷いの中に落ち込んでしまう。
たまたま今日、ある経営コンサル会社からFAXが送られてきていて、こう書かれていた。「一流経営者は、自分の行動をコントロールする基準をもっている。決断はその基準に沿って『よかれ』と判断したからなされるのだが、それが基準に反すると分かったら軌道修正するのに躊躇しない。その基準は『損得』より『善悪』を優先させて考えることで決断は正しく行われるであろうし、たとえ間違っていても容易に修正できる」とあった。一流経営者には程遠い自分は、そもそも『損得』でも損か得か判断がつかず、『善悪』も善なのか悪なのかも判断がつかないこともあり、いよいよ決断がつかない。困ったものだ。
又将来ビジョンも中途半端になっているために会社をどのようにしたいとか、社員さんにどういう状態で働いてもらいたいとか、自分の未来に対しても何かボンヤリと雲がかかったような感じになっている。 いまこそしっかりと、ビジョンを描くときなのだろう。
まわりには経営者の諸先輩もたくさんいて、コンサルタントの先生も、顧問の税理士の先生もいる。いろいろなご意見を聞き、自分がどうありたいかビジョンを明確にしていく月にしていきたいと思う。
| 雑感(8) | 2010年08月 |
代表取締役 田河内秀子
熱帯夜が続く、出来るだけ扇風機でと頑張っていたが、とうとうエアコンのお世話になることに・・・。空気には熱がなく水蒸気の中に熱があるから砂漠では夜が寒い、という今更ながらの知識で、冷房は使わないでドライにしているのだが、これで結構涼しい。でも電気代は冷房でもドライでもさほど違いは無く、エアコンの機種によってはドライの方が高くなることもあるそうだ。これはネットで調べての知識。ドライの方がエコなのではという思い込みが間違っていたのに驚いた。こんな事ってよくある話。
昔お土産を「おどさん」と読んで大恥をかいたが、その時は注意してくれる人がいて助かった。すっかり思い込んでいたのだ。まだ中学か高校の頃だったが恥ずかしかったのでよく覚えている。今だったら誰も注意してくれないのではないかと心配だ。そんなこともあって、約7、8年前から朝礼で中国新聞の「天風録」を全員で声を合わせて読んでいたが、最近は毎日新聞の「余禄」に変更してみた。「天風録」と「余禄」を比べてみると「余禄」の方が政治ネタが多いし、難しい漢字も多い。声を合わせて読んでいたのも、最近は一人ずつが段落で交代して読む読み方に変えてみた。声を合わせて一緒に読むより緊張感があり、読み方の解らない漢字は誰かが教えて、なるほどと覚えられる。
印刷会社であるからには漢字や言葉の言い回しなどに強くなくてはということもあるが、誰しも思い込みで間違って覚えている漢字もあり、人の名前や地名などは本当にあやふやだ。新聞は殆どルビを振っていないのでいい教材になり、ちょっとした時事ネタも、新米営業にもそのうち役立つのではと思ったりしている。
寝付けない時にはよく漢字ナンクロをするのだが、やりだすと完成するまで眠れないので、それでなくても寝苦しい夜は寝不足になる。こんなことではこの夏が乗り切れそうにないので、「漢字ナンクロ」はしばらくお休みして、エアコンの快適温度でぐっすり眠ることにしょう。
| 雑感(7) | 2010年07月 |
代表取締役 田河内秀子
年末に買っていただいたケア手帳に一部ミスが見つかり、そのミス分の手帳を購入していただいたお客様に差し替え分を届けに行った。全国にお客様がいらっしゃるので、余りにも遠いところは郵送で勘弁していただくことにして、行ける範囲は行こうと、幹部3人で分担したのだが、行ってみると皆さん驚かれて、とても好意的に受け止めて下さった。
私の受け持ち範囲は、広島から西で、山口・北九州・福岡・佐賀で合計8件、宮崎・鹿児島・熊本の5件は5月に済ませていたので、今回は車で行った。ナビなしで、ネットで地図をプリントし、途中道に迷うと、コンビニで尋ねながら行ったのだが、尋ねた人はみんな親切で、トイレはきれいだし、コンビニの有難さを改めて感じた。
最初は2日で全部回る予定だったのだが、出発が遅れてしまい1日目は1件のみ済ませ小倉に宿を取った。翌日、北九州のお客様に寄り、福岡の4件を回った頃には夕方になったので、もう1泊し、佐賀に行くことにした。
さて佐賀は伊万里に行くので、パーキングの売店の方に、どこで泊まるのが一番便利か聞いていると、近くで食事をしていた同じ年代の女性に、「今から武雄温泉に行くから一緒にどう?」と声をかけられた。彼女は有田に実家があり、92歳の母親がひとり暮らしなので、住まいの福岡から週2回通っているとのことで、有田に帰る途中、いつも武雄温泉でお風呂に入るのだそうだ。この武雄温泉の泉質が素晴らしいし、宿も安いし、武雄から伊万里は30分の距離との事で、ご一緒させてもらうことにした。まことお風呂は最高だった。明治9年に建立されたという天井の高いレトロな雰囲気の元湯、千三百年の昔から日本の名湯として多くの人に親しまれているというツルツルした泉質、お風呂で世間話をし、又、ご縁があったらどこかで会いましょうと分かれた。
翌日は伊万里で用事を済ませ、唐津に出て、西九州自動車道、福岡都市高速、九州自動車道、山陽自動車道と高速道路をひた走り、夕方広島に到着。走行1000キロ以上の一人旅は無事終了。届けた先のお客様もコンビニの店員さんも、そしてお風呂と宿を世話して下さった見ず知らずの女性、疲れはしたが人間っていいなと感じた素敵な3日間だった。



