日本文明の有り様-1 2007年01月

縄文が日本を救う! (47)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 ユーラシアの西で、移動し続けた西洋文明に反して、チャイナ及びインドという東ユーラシアの文明が、決して移動しなかったことを述べて きた。ではサミエル・ハンティントンが、独立した文明だと定義した日本文明の場合はどうか。

 背面に太平洋という広大な海を持った日本という島国は、文字通り「文化果つる国」であり、「文明の吹き溜まり」という立地にあった。た とえば東西相似の島国と擬したイギリスの場合、日本と同じように背面に大西洋という広大な海を持ちながら、決して同じような歴史を辿るこ とがなかったのは何故か。それはイギリスが、

1. ヨーロッパの国々から侵略も文化の移入もあった距離に位置していたこと
2. イギリス自体、西へ西へという西洋人の移動性向を内蔵しており、むしろ海洋国としてその先端を走る存在だった
3. 民族構成も征服者(アングロ・サクソン)中心で、前住者(ケルト系住民)の抗争も未だに続いている。

という日本とは似ても似つかぬ国柄だったのだが、先人たちが日本を相似の(海洋指向の)国と見誤り、その文化や文明に追随してきたところ に、大いなる錯誤と挫折があったことを見過ごすわけにはいかない。日本という国の有り様は、万一動きたくてもそれを許さぬ国柄であったし 、また決して動こうとしなかった民族でもあった。すなわち日本は、決して海洋国ではなかったのである。(この件「葬送曲“日本非海洋国論”」参照)

 日本を取り巻くのは世界有数の「海の難所」であり、どうにか大陸の文化や文明を取り込むことが出来たが、攻めるには難攻不落の立地にあ ったし、過去世界最大の文明国チャイナは、(元という異端王朝を除き)外に目を向けることがない、すなわち海軍という組織を持ったことの ない国と海を隔てて対峙していたのである。そのため現在に至るまで、先住者である縄文人と唯一の渡来民弥生の民との混交以外に異血を交え なかった稀有の民族だと知るべきである。

 その実縄文人にしろ弥生人にしろ、その詳しい人種的構成や渡来経路、言語的始祖の地など、ナゾに包まれたままである。ここでの詳述は避 けるが、縄文人自体、いつからこの地に住み着いたかも不明で、その後北方から南方から或いは朝鮮半島や直接チャイナからやってきた可能性 もある。

 最近の時代測定技術の進歩によって、12500~12000年前に始まったと言われてきた縄文時代の黎明は実は16000年前まで繰り上がると言われ、 西暦前3~200年前とされてきた弥生時代の始まりも5~400年も遡るのだそうだ。

 日本の地に定着した縄文人そして弥生人たちは、動こうにも行き止まりであったこともあるが、なにしろこの地には猛獣が棲息せず、氷河に 覆われることもなく、山の幸・海(川)の幸に恵まれてまったく動く必要のない別天地、蓬莱の国であり、シャングリラ(地上の楽園)だった のである。この地にあって縄文の民は、世界で最も早く「定住」という生活様式を獲得することになるのだ。

 移動を重ねる民族と、定住を果たした民族では、当然文明の定着度で大きな差が生じる。縄文の民は定住によってどんな文化を、文明を獲得 したのだろうか。 

 (この項つづく)

縄文が日本を救う!