石光真清の手記 2010年11月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

城下の人―石光真清の手記 1~4 (中公文庫)  石光 真清

 石光真清氏が残した膨大な手記をご子息の石光真人氏が整理・編集した作品である。石光真人編集とせずに、石光真清著として出版しているところに、真人氏の父に対する尊敬の念と父の無念に報いたいという心情が溢れているように思える。
 真清氏は死期迫りし時、膨大な手記を焼却しようとした。子息真人氏は幸い残された大量の手記を丹念に整理し、意味不明の箇所は徹底的に調査してジグソーパズルを解く如く亡き父の足跡を一本の筋に見事に編みあげた。その熱意と忍耐に対して先ずは敬意を表したい。そして親子を結ぶ深い愛情の絆に心が洗われる。
 石光真清氏は明治元年に熊本で生を受け、幼年学校に学び軍人を志した。
 将校として日清戦争と日露戦争の激戦に参戦し、幸運にも九死に一生を得ている。明治期新興国・日本の国民としてロシア軍事大国の圧力を肌で感じた著者はロシア研究の必要性を痛感し、自ら志願してシベリアの一地方都市ブラゴヴェヒチェンスクにロシア語の研修で入りこみ、同時にロシアの動向把握の諜報活動に携わる。
 この地で彼はロシア人による清国人三千人の大虐殺を目撃し、日本がロシアに征服された時の悲劇を直感し、ロシア対応の国家的使命の重さを痛感する。その後波乱万丈、今日の平和の中では想像を絶する苦難と危険をかいくぐり諜報活動を続ける。
 馬賊の親分との親交、薄幸な女郎への思いやりなど著者の人柄の幅と奥行きには感動する。大正時代に入り、再び命を受けて革命ロシアの動向把握と対英権益確保のために、諜報活動と謀略活動に従事する。
 真清氏の誠実にして信に重きを置く人柄の為に信用する部下に失敗され、また援助した人に裏切られて多額の借金を背負いこみ、失望の中で、母親の死に望み、泣き崩れるとろで手記は終わる。

 全編を通じて、幕末から明治そして大正時代にわたるわが国歴史の側面を鮮やかに浮かびあがらせる。幕末から維新への激動、熊本神風連の騒動、西南戦争から日清・日露の両大戦、大正期の軍部と政界の混迷など的確な観察と記録が光る。一方石光真清の個人史として人情の機微にふれる記述に満ちている。中には哲学的響きを持つ個所もあり、しばしば書を置いて沈思黙考した。
 著者は大正時代において共産主義の脅威を的確に見通している。
米国大統領ルーズベルトが石光氏と同程度の危機感を共産主義に対して持ち、レーニン率いるソビエト政府に対処していたら、世界歴史は違った方向に進んだ可能性はある。
 また2.26事件の発生を予見するような記述もある。肥大した軍組織の官僚化、大正期利権で蠢く政治家たちへの言及などを読むと、大正時代も現在も政治はすこしも進歩していないのではないか!
との思いに至り愕然とする。
 手記の中で、文豪森鴎外とか二葉亭四迷との触れあいがあり、著者の活動範囲の広さと人脈の広がりには驚嘆する。
 晩年莫大な借財を抱えて呻吟する中、朝鮮人の地位向上に努力する姿勢に自己よりも他人を、そして私よりも公を重んじた著者の人柄がにじみでている。
 朝鮮人の地位向上活動の中で、上海の李承晩亡命政権との関わり合いも出て来る。複雑に歴史の糸の絡み合いは、もつれながらも連綿と現在に続いている。歴史の継続性についても多くの示唆を受ける。
 明治期おける対露諜報活動と大正期ロシア革命の混乱の中で現地において時代の激動に翻弄されながら著者八面六臂の活動は手に汗握る思いで読書が進む。
 ここのくだりは事実に基づく記述だけにへんな講談本よりもはるかに迫力がある。冒険活劇ノンフィクションとしても誠に価値が高い。
 
 生きた歴史書として、また誠実にしかも凄まじく生き抜いた著者の個人史として類い稀なる良書と思う。久し振りで読後に余韻が残る作品に巡り合えた。NHKがテレビドラマ化しており、中公文庫のベストセレクションにも選ばれている。それだけ値打ちのある書籍である。

 補遺:
  ~歴史に残された無数の事実はあたかも空中に浮かぶ水滴のようである。
    無数の水滴にある方向から光をあてると鮮やかに虹が浮かびあがる。
    その虹がその民族にとっての歴史である。~

感銘の一冊

日本語は亡びない 2010年10月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

金谷 武洋 著  ちくま新書

 水村の著書は、その衝撃的なタイトルもあってベストセラーになり、翌2009年度小林秀雄賞まで受賞している。それに対して著者は真っ向から反論の烽火(のろし)を上げたのである
 著者がカナダ・ケベック州に渡ったのは24歳の時だが、一方水村美苗はそのちょうど半分、12歳の時父親の仕事の関係で渡米する。その後バイリンガルとして、米教育界(日本近代文学)や小説家として活躍するのだが、著者は渡米時に彼女が味わったであろう言語的トラウマが、こうした日本語滅亡論を生んだのではないかと推論する。
 反論第1弾として著者は、国際交流基金による2006年(5年ごと)の統計による海外日本語習得者数は(学校教育のみで)133カ国298万人弱に達し、1979年比で学習者数は実に23.4倍に達するという事実、また世界的に有名なタイム誌が、毎年世界50カ国12万人対象に行っている世界の好感度国20カ国の順位だが、2009年、日本が77%で1位を占めている現実を挙げている。
 また水村が、(漱石に代表される)近代文学以外の新しい文芸作品をことごとく無視してている点を指摘、現代日本人の作品のいかにが多くが、フランス語訳で出版されているかを本著の中で列記して水村の偏向性を鋭く指摘する。
 次いで著者は、日本でも氾濫している「日本語の乱れ」説に対して、日本では庶民の力で造り上げた、かつての江戸における──洪水や増水防止のための──堀川の役割に当たる「五つ免疫」を挙げている。
 いくつかの例だが、
 古来より日本は、「やま・かわ…」「はる・なつ…」「いつ・だれ…」など二文字ごとに発音する「2モーラ」を使い続けてきた経緯がある一方、外来語=漢字・カタカナ語は「4モーラ」を当てている。
 しかも外来語はすべて名詞であり動詞ではなかったことと、その後ろに「する」などをつけることで(名詞から)動詞とする術(すべ)や、テニオハを温存多用することで、日本語を守り続けた事実がある。
(中村注:日本語は子音のみで独立しないで、かならず語尾に母音を伴う1モーラであること、また明治維新時に作成し、対欧米訳語として今でもた和製漢字のほとんどが、4モーラの二字熟語であることに気づかされた)
 また同著の中で、宮島達夫『現代語い(彙)の形成』(括弧内中村挿入)を援用して、西暦753年から1331年までに書かれた14の古典文学書の中で使用された頻度を紹介しているが、基本語彙のベストテン上位に並んでいるのが「ある」「こと」「ひと」「する」「いと」「ない」「こころ」「おもう」「みる」「もの」で、驚くべきことにその中でいま使用されていないのは「いと」だけであると、日本語の並外れた健全性を強調している。
  
 その上で著者は、1066年王位継承を巡ってイギリスがフランスに統治されていた事実(世にいう「ノルマンの征服」)から、国王を始め支配者階級がフランス語を使用し続けてきた結果、爾来仏語に浸蝕されることで、むしろ「一度死にかけたのは英語の方」ではないかと謂う。

 しかし日本において、庶民の健全性に反して文部官僚およびその背景にある日本語教育界・文法学者の頑迷さに厳しく警告をならす。
 たとえば、外人に日本語を教える場合の最大の問題点である「主語」の有無だが、「私はあなたを愛します」といえば、悪文である前にまず絶対に使われないことを知らぬはずがないのに、旧態依然として、日本語には存在しない「SVO(主語+動詞+述語=これはペンです 'This is a pen'」式の英文法を、英語教育にとどまらず日本語文法にまで連綿と押しつけ続けているのだ。
 ここには、かつての江戸庶民の知恵である「堀川」を埋めてしまって暗渠化し、道路のすべてをアスファルトで被い尽くした結果、ヒートアイランド化現象に加え、昨今豪雨の度に下水道の溢水に悩まされている、かつての江戸、東京の現状を招いたお上のバカさ加減と、すっぽりオーバーラップするではないか。

 フランス語圏で日本を教えることの困難さが、三上章の『日本語には主語がない』説で氷解した経験を持つ著者は、日本語で主語に代わるものを「名詞+は」を主題(トピック)、「名詞+が」を主格補語と呼んでおり、そうすれば、「…が」対「…は」という疑似問題もただちに解決するという。
 にもかかわらず、なぜお上はなぜかくも「英語」にこだわるのか? 
以下私見だが、 
おそらくそれは、明治維新の際「後進国日本から脱皮するためには日本語をローマ字・英語に変えるべきだ」と主張した、当時の超エリート官僚であり知識人であった、福沢諭吉・西周(あまね)・森有礼(ありのり)たちの亡霊が、「敗戦」という好機にも庶民の知恵に阻まれ、「当用漢字・常用漢字」という枠にしがみついて、いまだに成仏出来ぬまま、疲弊し硬直しきった役所や文法学界の中をさまよい続けている姿ではないだろうか。
 なお皮肉にも上記和製二字熟語作成に貢献したのが、同じ福沢諭吉・西周・森有礼たちであったが、それが日本の近代化に大いに貢献し、今なお見事に活用され続けている事実、しかも福沢諭吉と親交のあった、孫文たち往事の打倒清国の志士が里帰りした際、この和製熟語を持ち帰り、これまた故郷の地で現在なお立派に通用している事実を知ったらどんな思いにとらわれることだろうか。

 同著には(主語を持たぬ)広島原爆碑の碑文問題、それに宮部・中島両みゆきのことなど、まだまだ書き足りないのだが、最後に著者は、こよなく日本を愛した、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲 1850年~ 1904年 ギリシャ人とイギリス人の混血)の文章、それ
に1921年から1927年の間駐日大使をつとめた、詩人であり劇作家あったフランス人、ポール・クローデル(1868~1955)の言葉を借りながら、著者は「日本語は世界を救う!」と明言するのだ。
 私たち日本人が心すべきは、それをそっくり裏返すと『日本語が亡びるとき』こそ『日本が亡びるとき』なのだという真実ではないだろうか。

感銘の一冊

世界史の中の石見銀山 2010年09月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

豊田有恒 著  祥伝社新書202

世界史の中の石見銀山(祥伝社新書202) (祥伝社新書 202)
 今でこそ無資源国だといわれているが、かつて日本は銅に始まり鉄・金そして銀といずれも世界有数の産出国であった。その中でも(今の島根県)出雲の国は、荒神谷遺跡の膨大な銅剣・矛、加茂岩倉遺跡からの銅鐸の出土、神代の時代から江戸時代まで続いた、砂鉄を精錬するたたら(踏鞴)でも知られているが、それに石見の国の銀が加わったのである。
2007年7月、その石見銀山がユネスコの世界遺産(文化遺産)への正式登録が決まり、日本中が(喜ぶと言うよりむしろ)驚いたことは記憶に新しい。選ばれた理由として、「今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されている」というのだが、それでは根拠が稀薄すぎる。
 著者も指摘していることだが、世界遺産に登録されている、かつて銀山だったところは、その富を背景にすべて数万を数える都市を形成しているのに、現在住民の努力で当時の雰囲気を色濃く保全しているとはいえ、わずか数百戸の寒村で、しかもごく一部の間歩(まぶ)=坑道と、その入り口を持つのみの、いわばどこにでもありそうな貧弱な遺跡が、なぜ世界文化遺産となり得たか。
 山陽の「厳島=宮島」のあでやかさ優美さに較べてもあまりに地味すぎる。近くに「温泉津(ゆのつ)温泉」という格好の保養地をもちながらも、いまでも訪れる人はあまりにもすくない。
 それについて著者は──あくまで仮説だと断りながらも──膨大な資料を駆使し、世界史的な視点において、
 
1.当時明朝への朝貢貿易に名を借りた「勘合船」の活動
2.同銀山の開発と精錬にかかわった豪商たち、そしての存在、
3.西欧列強に呉して活躍した御朱印船を含む貿易船の活躍
3.そして短かったが当時の日本と非常に深かったポルトガルとの関係
 すなわち「世界史の一面を飾る、大航海時代における日本の銀の役割、そしてその中での石見銀山という存在と比重を考えなければならない」と指摘している。
 豊富な内容を詳述する紙数を持たないが、私なりに受止めた要点を二つだけ挙げて見よう。
 その一つは、川勝平太『文明の海洋史観』が、「西洋の大航海時代に相似した」とまで述べた、当時の日本の海外熱──秀吉の朝鮮征伐の一面も含め──は、全国の大名から富豪・文化人までも巻き込んだ、茶の湯ブームのための素朴な茶碗・茶壺などの焼き物輸入が目的であったのだという。
 ちなみに秀吉は朝鮮から多くの陶工を連れ帰ったが、祖国よりは遙かに優遇された彼らが、日本の陶磁器の質量共に発展させる原動力になったことは衆知のことである。
 そしてもう一つは、そうした物産の入手と引き替えに、一説総量6000トンともいわれる膨大な量の銀が流出したこと、そしてその多くを石見銀山が担ったことである。
 著者はまた、日本の銀、特に石見銀山の生産量・精錬の歩留まりが飛躍的に増大したのは、ポルトガルの技術による「灰吹き法=南蛮吹(なんばんぶき」が採用されたことを挙げている。
 私たち日本人の多くは、今でもポルトガルを、キリスト教(ローマン・カソリック)の普及という使命感とセットで、海外侵略の尖兵としての一面しか知らないが、この国の歴史は意外なほど弱々しく短いものであった。
 中世の長い間、イスラム教国の支配下に呻吟したこの国は、スペインに次いで、レコンキスタ(聖地回復)を果たしたものの、程なくスペインに併合され、1385年に一時独立を果たしながらも、1580年には早くも再びスペインの属国となり、秀吉(1536?~1598年)の時代にはすでに、事実上滅んでしまっていたのである。
 ヴァスコ・ダ・ガマ(1430~1497)の新航路発見、次いで新大陸への進出を果たしながらも、そこは小国の悲しさ、すぐに新世界でスペインに覇権を奪われ、1493年に、時のローマ教皇アレクサンデル6世に泣きついて「世界境界線=分界線」を策定して貰いながらも、結局持ち場である東南アジアでは、カソリックの軛(くびき)を脱した新勢力、オランダそしてイギリスに次々と追い落とされていってしまう。
 小国ポルトガルの短い栄華と、祖国を失い日本への帰化を心から念じて亡命しながらも、それがかなわず、再度国外に去った人たちへの、そこはかとない憐憫の意を込めて述懐した著者の、鎮魂賦とも謂える表現が数多く見られる。
 著者は、そうした歴史背景として、異様に多いポルトガル語由来の言葉や、南蛮文明移植の実績を挙げている。
  
  
 ではこれほどまで日本に受け入れられてきたポルトガル人が、なぜ日本から消えたのか。
 著者は、秀吉に次いで家康(1543~1616)も、やはり彼らカソリック
という一神教の信仰力の強さを恐れ、改宗を求めて日本では珍しい残酷
な処刑という仕打ちを行なったからではないかという。
 もっとも改宗した場合には、一転すこぶる温和な処置がとられたのだが、「転びバテレン」となった一部の人を除いて、殉教者となるか日本から去る道を選んだというのである。
 歴史に付きものの「もし ~たら」をお許し頂くと、
「もし信仰の自由は認めるが、布教活動は御法度」という対応がなされていれば、今の日本は大いに変わっていたかも知れない」

 我々が疎い世界史という視座で、石見銀山そして日本史に欠けた部分を、鋭くしかも明確に俯瞰した同著は、仮説というにはあまりに鮮やかな読後感で迫ってくるものがある。 
 同著に鏤められた、数々の典拠・傍証・ミステリアスのエピソード茶器に対する深い造詣など、その多くを紹介できないのは遺憾だが、読み物としても愉しい同著の必読をお奨めする。

   <付 記> 
 同著は著者より恵送戴いたものである。
 私が著者と面識を得たのは10年以上も前のことになる。某縄文塾メンバーから県立島根大学の先生方による、ヴィデオ映像などを駆使した『石見風土記』の説明会が、邑智郡(石見町=現在邑南町) にある、その名も「縄文村」という峠のレストランで開かれるという案内を貰ったことがきっかけである。
 その主旨は同じ島根でも、出雲地方に較べてあまりに存在感のない石見地方に光を当てたいという主旨の企画だったが、その教授グループの中に、著者の名前を発見、若いころそのSFファンタジーを愛読していたところから、同姓同名かとも思いながら、参加したのが最初である。
 爾来何度もお逢いし、講演などもお願いしてきたが、何時も驚かされるのは、著者の多方面に亘る執筆活動と博覧強記ぶりであり、まさに「行くところ可ならざるはなし」である反面、非常に気さくで温和、懐の深さにいつも感銘を受けたものだ。
 本著は、まさに『石見風土記』の一環だとも謂えるが、実は1年ほど前、著者より同大学の職を辞することになったという書簡を受け取った。その文面には、志半ばで石見の地を去らねばならなくなったことへの無念さが、色濃くにじんでいた。
 もし著者が、この狭隘な土地柄が生んだ排他的性向によって、研究と永住の道を阻まれ、石をもて追われる如く……」この地から去ったのだとしたら、石見にとってまことに大きな損失であり、この地の将来は、銀という血液を失ったまま、薄暗い闇につつまれた間歩(まぶ)のごとく、暗く空虚のままでであろう。

感銘の一冊

傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学 2010年05月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

夏井睦 著  光文社新書

 昨年の2月、肺炎の後で発病し、同11月に再発して手術を行なった「MRSA=耐性黄色ブドウ状菌(院内感染症)」に言及しているということで、友人より紹介頂いた一冊だが、常識を覆すタイトルが気に入って早速購読した。もしそれが事実なら、医師もだが私たちはずっと間違いを犯してきたことになる。
 もしそれ(傷の消毒をしないこと)が事実だとすれば、なぜ日本中の殆どの外科・整形外科の医師は、なぜそんな間違いをいまだに続けているのだろうか。たとえば著者が外科医から形成外科に変わったのだが、外科では患部を乾燥させることが常識なのに、形成外科では濡らす、湿らすことが常識だという。
 著者は、医師がジャンルによって、それぞれの慣習に従い、同じものに違った対応することをみても、「医学は決して科学ではない」と喝破する。
 筆者がまだ外科医の時代、ある病院でインターンから傷や火傷の治療に「湿潤療法」という治療法があるという話を聞いて興味を持って実際に試したところ、顕著な効果が見られたという。
 その後学会で発表して注目されるが、だからといって従来の仕組みを打破することは決して出来なかったこと、そして同じ病院で医師によって違い治療法を行う事への不信感の醸成を招いたところから独立することを選び、且つ学会発表からインターネット上での発表・啓蒙にシフトして今日に到っている。
 なお著者のホームページ『新しい創傷治療』
    ⇒http://www.wound-treatment.jp/
は、訪問数600万にあとわずかと迫るマンモス・サイトである。
 湿潤療法とは、患部を消毒しないことと併せ乾燥させないことがポイントだという。著者はその1例として、火傷をした際にまず水で冷すと痛みが止まり、自ら患部を出すとまた痛み出すことを見ても、「傷は乾燥させるな」ということの正しさを指摘する。
 ごく軽い傷を家庭で湿潤療法をするためには、傷の上に貼る治療用被覆材がひつようだが、同サイトによると、調剤薬局・院内薬局(ただし店舗限定)で処方箋なしに購入できる「プラスモイストP」、一般薬局で購入できる「ハイドロヘルプ」バンドエイドの「キズパワーパッド」「ケアリーヴ バイオパッド」、同じく「ケアリーヴ 血を固めるタイプ」などがある。
 ごく軽い傷の場合は、傷口に白色ワセリンを塗布し、上に上記パッドを貼るといい。なお、「最長5日」は大丈夫とあっても、原則毎日張り替える方がいいということだ。
 なお、近く最盛期が予想される「花粉症」だが、目の周囲や鼻の下辺りに、白色ワセリンを塗っておくと、ッ症状が軽減するそうで、該当される方はぜひお試しあれ。

 さて、本題の「 傷は消毒するな」について、たとえば腹部の手術で、胃や腸の縫合部分は消毒しないのに、なぜか皮膚・筋肉の縫合部分は消毒するの矛盾しているではないか、という。腹部縫合したら胃や腸の消毒が出来ぬからというのは、本末転倒であり、結果として消毒しなくても大丈夫という事を示しているのだと指摘する。
 またもっと単純な例で、「痔」で、排泄物と常に接触する肛門部を消毒しないのに、それが致命的感染症に罹らないではないかという。言われた見ればその通りである。
 著者はまた、昨今の清潔志向・抗菌物質依存傾向にも警鐘を鳴らす。著者の仮説では、
「細胞壁を失い、脆弱な細胞膜が露呈した多細胞生物が生き残るために、自分の皮膚や粘膜に、大きな危害を与えない細菌を棲まわせることで、彼らの働きで病害菌からの防御を行なってきた」
というもので、抗菌物質による手や喉の消毒や洗い過ぎは、かえって感染症を増やす作用に結びつく恐れがあるという。
 さて普段はごく弱くておとなしいMRSAだが、身体が弱ったときとか、他の感染症で抗生物質を多用した際などに、いたずらをすることが知られている。
 著者によると、病院内とか自分の身体の中に助剤するMRSA(緑膿菌)が、抗生物質に対する抵抗性を獲得する代わりに、その作用を保持するために、分裂・増殖する機能を著しく犠牲にする必要がある、実はひ弱な菌なのだという。
 最後の部分で、同じく仮説としながも、「脳は皮膚からつくられた?!」のだという。詳述は避けるが、なかなか説得力のある論旨で、それだけでも一読に値する一冊である。

感銘の一冊

単純な脳、複雑な「私」 2010年04月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

池谷裕二 

 明確には記憶していないが、少なくとも1年以上前から、視力が低下して老眼鏡が見えにくくなり、本欄の執筆にも支障が出始めた。眼鏡屋に行っても、もう老眼鏡ではこれ以上は無理ということで、デスクトップのPCディスプレイを大型(32インチ)にしたり、接眼型拡大鏡のお世話になったりしてお茶を濁していた。
 そのため夜読書をしなくなったところから、ついつい睡眠導入剤にお世話になっていたのだが、ごく最近、体調がよくなったせいか、ある朝(裸眼で)タイトルしか読めなかった新聞の字が、おぼろげだがなんとか読めるではないか。そこで長い間ベットの脇でほこりをかぶっていた、読みかけの本書の再読をしたのだ。
 問題は本書が面白すぎて、かえって中々寝つかれないでいる。そこで読書スピードを上げ、読書時間を伸ばして書評に取り組むことになった。お蔭で以降睡眠薬のお世話にならずに済んでいる。

 前置きがいささか長くなったが、本書は若き脳生理化学者である著者の、出身高校後輩への講義録である。
 たしか前著の書評でも述べたが、著者の本はいずれも対話型・口語体で、難解な脳科学を分かり易く記述する才能は驚嘆するばかりだ。
 著者の書評を取上げるのは、『進化しすぎた脳(2008.02)』『ゆらぐ脳(2008.08)』から3冊目だら、一種の追いかけファンみたいなものかもしれない。
 この内で著者がもっとも気に入っているという本書は、4つのチャプターで構成されているが、それを横断して特に大きなキーワードとして幾つか挙げると、
1.人の脳は、少ないゲノムをうまく使い回すことで進化した。
2.精緻のようで、結構間が抜けて曖昧な脳の働き。
3.我々の行動以前に、脳の始動は始まっている。
4.脳は行動の結果=成功/失敗などを、行動するまでにすでに予知している。
5.脳のある部分を刺激すればで、「幽体離脱」は起きる。
6.脳は身体から取り出され、薄くスライスされても栄養液の中で長期間生息し、かつ活動出来る。
7.「脳のゆらぎ=ノイズ」によって、人格、秩序、美しい創発が生まれる。
8.自分の脳で「脳」のことを考える「入れ子(リカージョン)」構造になっている。
 ざっとこのくらいが挙げられる。内容は著者自身の研究もだが、「ネイチャー(英)」「サイエンス(米)」という二大科学雑誌に掲載された脳科学の記事紹介で構成されている。
 最近DNAの研究でヒトゲノムの推定値は、わずか約2万2000個だという。だからこの非常に少ないゲノムをうまく使い回すことになるというのだ。そのため、どうしても手抜きから来る問題も起きているという。そうして進化を続けた結果、我々ヒトは「心」の働きという奇蹟を会得することになる。
 特にとても信じられないのが、3及び4の「行動より脳の始動が早い」だが、ゴルフプレイヤーが、前に入れた々条件のパットを外す場合、脳はすでにそのショットの前に、どのような具合に外れるかを知っているという、にわかには信じがたい事実を提示する。
 しかもその失敗は、脳波がアルファー波の時に起きるという。それがわかれば脳波をコントロールして、アルファー波が出ないときにパットすることも可能になるというのだ。
 さて「幽体離脱」という一見外からの刺激の結果と思える現象が、頭頂葉と後頂葉の間にある「角回(かくかい)」という部位を刺激することで惹起されるというのだ。著者によれば、他人の目で自分を観察し批判するという行為は、ある意味「幽体離脱」ではないか、ともいう。
 わずか2万あまりという乏しいヒトゲノムを最大限に活用して、類人猿とは途方もない高みに到達し、マクロでは宇宙発生の時代にまで遡及し、ミクロでは自らの構成を無限に追求するに止まらず、心(こころ)とか意識などという、形而上的、哲学的な命題にまで組み込んだ「ヒトという種」の摩訶不思議さを存分に教えてくれる一冊だと断言できる。 
 ここでいささか付言すれば、30億塩基対あるという我々のDNAから、上記ヒトゲノムを差し引いた残り(と言っても殆どだが)も、当然我々の脳の構成要因である。
 我々人の脳は、脳の基底部にあって──(俗に)爬虫類あるいはワニの脳と呼ばれる──五感や、生きる上での基礎的感情などを支配する部位=脳幹+延髄+中脳+間脳と、哺乳類あるいはウマの脳と呼ばれる大脳の各部野で構成される。
 人の脳は、特に大脳皮質の部分にあって、類人猿と比較しても特に大きな脳として発達しているというのだが、あまりに少ないヒトゲノムの数とのギャップは一体何か?
 おそらく──ヒトゲノムだけでなく、あらゆる部野の脳も含め──使い回しをスムースに行なうために、複雑に張り巡らされた脳神経細胞の過度の発達が、大きな脳を生んだのであろう。
 そうした様々な機能を生みだす脳神経細胞ニューロンの、インプット・アウトプット、そしてフィードバックという機能は、そべて電気=イオンの働きであるが、それがどのようにして精神・心などに変換されるのか、著者が、「永遠に解決しない学問」というように、一向に謎は解けないままである。
 ここで挙げたエピソードや事実は、本書のごくごく一部に過ぎないことをお断りしておく。

感銘の一冊

マンゴーと丸坊主―アフリカ自転車5000km! 2010年01月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

山崎 美緒 

プロローグ:
 著者は大学の後輩である。女性一人でアフリカ大陸を自転車で走破した珍しい経験の持ち主なので、同窓会広島支部総会に際し、来広頂き冒険談を聴かして貰った。
 頭を丸刈りにし、胸にさらしを巻き、男装で冒険に挑んだとのことだったので、さぞかし筋骨隆々な女子プロレスラーを思わす体躯の持ち主だと思っていた。しかし当日お会いすると理知的な顔に均整の取れたスリムなボディーの可愛い乙女であった。
 しかし足が化膿して自転車が漕げなくなった時、現地の医師に麻酔なしで切開手術をうけたり、摂氏53度の砂漠を乗り切り、マラリアに罹ったりもしながら、5千キロを一人で走破したのだから、 やはりただ者ではないと感じた。
 彼女の話がとても面白く、且つ大変に感動したので、早速彼女の著書を求め、一気に読み下した。

 その読後感を下記に纏めた:
 著者は五年前、22歳の時に、自転車により、単身でアフリカのナイロビ(ケニア)から喜望峰(南アフリカ)までの五千キロを三カ月半かけて走破した。
 その冒険旅行記である。
 うら若い女性がたった一人で、アフリカ大陸を五千キロも自転車旅行する!
 屈強な男性でも大変な勇気と体力が必要な冒険を彼女は成し遂げたのだ!
 まさしく前人未到の壮挙である。
 文章は簡潔で、若者らしい表現に満ちている。
 しかし体験した者だけが語れるリアリティに満ち満ちており、深遠な人生哲学の真髄を突く記述がキラリと光る。
 珍しい体験談として面白く読み流すことも出来るが、読者の感性と哲学によって、行間から豊かな泉が湧き出してくる。
 これからの輝く人生を持つ若者には無限の可能性を示唆し、生きる勇気を与えてくれる。
 輝く過去を持つ熟年者にとっては、己の人生哲学を再検証し、更に深めるよすがとなる名著である。
奥中 正之

感銘の一冊

大計なき国家・日本の末路 日本とドイツ、それぞれの戦後を分けたもの 2009年12月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

奥中 正之

 ドイツ在住40年にもなるのに、日本国籍を保持し、母国への熱い思いを燃やし続ける筆者が、遠く離れたわが祖国に対し、母のごとき深い愛情と憂慮をもって放った「頂門の一針」である。
その心は「末路」の一語に凝縮されている。一見祖国を見限ったかと思われる言葉であるが、この激しい言葉により、心有る日本人が目覚めることを願う強い母の言葉として受け止めた。 
 それは本書をひも解けば自ずと分かる。祖国に対する愛情と憂国の情との二つのテーマが織り成されフーガのように奏でられ昇華されて、筆者の結語へと導かれる。そこには決して忘れることが出来ない祖国への熱い思いが主題として貫かれているのである。
 国民・国家の総力をあげて戦ったあの戦争に完敗した日本とドイツの両国は共に戦勝国から苛酷な報復を受けた。その報復への対応の仕方が、冷戦後、世界覇権が多極化する激動の国際社会において日・独それぞれの地位に大きな差異を生むことになった。その経緯がまことに明確に描き出されている。両国の対応の違いについては具体的な事実が例示されており、分かりやすい記述となっている。
 詳しくはお読み頂くとして、紙面の都合上一例として、国家の基本法たる「憲法」について触れると、著者は終章で取り上げ、「独自の憲法を持つ国・持たぬ国――なぜ日本は、国家の芯を抜かれてしまったのか」と指摘している。
 その回答として、著者はあるドイツ人の言葉を借りて次のように分析している。「人類最初の原爆犠牲となったショックは甚大です。そのトラウマから解放されないまま、今日にいたっている」というのだ。
 そのために日本は戦後、アメリカに次ぐ経済大国として見事に復興を果たしたが、安全保障と教育面ではアメリカに首根っこをつかまれたも同然の状態に置かれたという事実を著者は指摘している。
 これに対比して、東西に分断され日本よりも更に苛酷な報復状況下に追い込まれたドイツは決してアメリカをはじめ戦勝国に屈しようとしなかった。ドイツは戦勝国の狡猾さ、弱点をしっかりと握っていた。
 そして知らぬふりをして、地道に忍耐強く国際社会の信頼を回復してゆき、戦勝国の介入を一切はねのけて独自の憲法を制定したと、彼我の違いを明確にしている。
 一針の痛みを自己覚醒の妙薬とすることを著者は我々のDNAに眠る大和心に期待しているのである。
 中国は核武装の強化に加え、軍艦や航空機の増強に狂奔している。そしてその強大な軍事力を背景に、東シナ海の海底ガス田開発に関して両国の合意を無視する理不尽な対応を行っている。
 北朝鮮は核武装路線をひた走っており、拉致被害者全員の解放をしようともしない。かような東アジアの激動の渦中にある日本では民主党政権が誕生し、さらに社民党と野合する。
 民主党は政権を奪取したならば、無謀とも言える選挙公約の中身を大胆に修正して現実路線を目指すものと、かすかに期待していたが、産業界に言わせると「荒唐無稽」な温室ガス削減目標を、選挙公約に謳った通りに、国連で約束する気配が濃厚である。
 その上国家安全保障に関して現実無視の社民党と連立を組めば、この日本は世界の潮流及び東アジアの激動の中で、迷走しさらには沈没する危険性すらあり得る。
 まさにクライン孝子氏が強く訴える「末路」に日本はあるようだ。その「末路」の危機から抜け出す勇気と知恵を得るヒントがこの図書にはちりばめられている。全日本人必読の書である。

感銘の一冊

動的平衡 2009年11月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

福岡伸一著  木楽舎

 分子生物学者でありながら、前著“ 生物と無生物の間 ”が60万部超という大ヒットしたのは、その内容に加えて、日本の学者には珍しく類い稀な筆力を持っているからで、前著以上に哲学的で難解なタイトルにかかわらず、09年2月の発売からわずか2ヶ月ほどで7万部を超えたと言われる。

 日本が先の大戦に参戦する頃、ユダヤ人科学者ルドルフ・シェーンハイマーはドイツからアメリカへ亡命、ニューヨークのコロンビア大学で、マウスにアイソトープで標識を付けたアミノ酸を与える実験を行なったところ、3日以内に半数以上が体内の筋肉・肝臓・血液などに認められ、しかも体重は増えなかった、という研究結果を得た。
 そこで彼は、我々の身体そして生命は、日々変わりゆく身体組織の流れの中で、辛うじて一定の状態を保っている特異な有り様、すなわち「動的平衡(Dynamic equiibrium)」だと定義づけた。当然本著のタイトルはそこから来ている。
 著者は、「(シェーンハイマーの実験結果は)デカルト的な機械論的生命観に対して、還元論的な分子レベルの解像度を維持しながらも、コペルニクス的変換をもたらした、20世紀最大の科学的発見だった」としている。
 ただシェーンハイマーにとって不運だったことは、当時同じニューヨークの、ロックフェラー大学にいたオズワルド・エイブリーによって、遺伝物質である「核酸」が発見され、それが複製メカニズムを持つ「二重螺旋」を持つことがわかり、一挙に分子生物学時代の幕が切って落ちされることになったことである。 
 その結果、偉大な業績にもかかわらずシェーンハイマーの名前と業績は、歴史の澱(おり)に沈むことになった。
 ご存じのように、それ以後分子生物学の世界では、シェーンハイマーのいわばアナログ・ワールドは打ち捨てられ、以降遺伝子=DNA・RNAの解析から、ゲノム解明・遺伝子操作という、ディジタル・ワールドという還元論者が跋扈する時代となっていくのだ。
 本著の伏流として全巻に流れる思想は、生命ですら全て物質とみなす最近の分子生物学の趨勢、たとえばクローン・遺伝子操作・生体間臓器移植・ES胚細胞・iPS細胞(人工多機能性幹細胞)などなどへの、行き過ぎに関する警告であり、「生命もすべて物質である」という思想、また細分化が行き着く還元主義的発想の危険性である。
 脳内の記憶を司る器官内で、記憶関連物質として認められるのは「ペプチド」というタンパク質だが、本著では、かつてマウスの記憶中枢に蓄積されている「ペプチド」を抽出して別のマウスに注入して失敗した例を挙げる。
 ここで再登場するのが、上述シェーンハイマーの実験である。すなわち、食品から体内に移行したタンパク質は、ごくわずかの時間で消えてしまい、すべては新しく取り込まれたタンパク質と交代し、わずか3ヶ月ほどで体内の細胞はすべて新品になってしまうと言う事実である。
 このことは「生きる」あるいは「記憶」という働きは、決してタンパク質あるいはアミノ酸という物質だけではない事を示している。すなわち、わずかな期間に過去の物質と入れ替わった際に受け継いだ「生命」「記憶」などは、すぐさま次の物質に受け渡されることになる。
 そうしたわずかな期間の持つ「揺らぎ」の中にこそ、「生命」や「記憶」が存在する、というのが題名の由来なのである。
 当然のことながら、物質で構成され、そのわずかな電気パルスによって行なわれる生体反応は、いくら分子レベルにまで細分化し還元化しても、決して再現できないのは、そうした生命体構成物質が、たえず移り変わり、移動し、微妙に揺らぎ続けているからだということなのだ。
 著者はいろんな研究を元に、(例えば)100gのタンパク質を摂取し、20g排泄したら、80g消化されたかと問う。答えはノーである。これを「ペニー・ガム」と呼ぶそうだが、その心は、「自動販売機に1ペニーのコインを入れてガムが出た」ことと同じたと説く。
 なぜなら生体は、別の形で(膵臓という器官で)、食事で得たとは別に、毎日常に100gに相当するタンパク質を造り続けているのだという。
 その事実の裏返しとして、最近サプリで膝の軟骨にいいとして、コラーゲン含有製剤があるが、本来コラーゲンは吸収されにくいアミノ酸で、消化されなかった残滓はすぐに排泄されてしまい、一方消化されたものは血液によって全身に運ばれ、その時点で身体が必要としている部分で使用されるというのが正解らしい。
とすれば「看板に偽りあり」であって、「個人差があります」などと小さく添え書きしてもいわば詐欺行為ではないか。
 著者はまた、食物(その中に含まれるタンパク質=アミノ酸)によって動物の身体が成り立っているという事実から、タンパク質の摂取にしても、それが毎日の三度の食事に配分されないと、時間的に飢餓状態を招くと指摘する。
 これは昨今母親の怠慢によって、幼児から学生など若い世代、それにダイエット目的の女性など、朝食抜きという傾向が強いことへの大きな警告でもある。
 その一環としてだが、フール・フーズ(全タンパク質をバランス良く含んだ食品)として、鶏卵を挙げていることも、(経歴柄)うれしい限りである。
 また「人間は考える管である」として、もともとの先祖が、腸管主体のミミズとかナメクジウオなど腔腸類だったのだから、「すべて脳で考える」という発想は行き過ぎであって、脳以外の腸を主体とする脳以外の器官の作用を無視する風潮に釘を刺すことも忘れていない。
 その柔軟な発想と共に、日本の科学者には珍しい際だったストーリーテリング能力を認めざるを得ない。目からウロコを沢山落としてくれる好著として、一読をお勧めする。

感銘の一冊

日本の曖昧力 2009年10月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

呉 善花著  PHP研究所

 著者は『スカートの風』シリーズで一躍日本で有名になったが、その反動として母国韓国では、国賊扱いという理不尽な仕打ちを受け、日本国籍を取得したことで肉親の葬式に帰国できたというエピソードを持つ。希代の親日派・知日派である。
 現在拓殖大学の教授をしているが、本書は同大学国際学部で、(留学生保含む)学生に「日本の歴史と文化」という講座を理解して貰いたいという希望で開いた講演集を『歴史街道』(PHP研究所)に大幅加筆して連載したものである。
 聴講者は、初年度か予想の50名を遙かに超え、つには300名にも達し、翌年には500名にたというのだから、いかに学生が、こうした当然知るべき知識に飢えていたかがよくわかる。
 本来は日本人の教師が行なって然るべきだが、なにしろ女史は、それまでの著書を通じて、ネイティヴな日本人以上に日本を理解していることで定評がある。
 かえって身贔屓を排した外からの視点からの洞察が、聴講する学生たち、特に留学生にとって大きなインパクトを与えたことは疑いの余地なく大きく評価すべきだろう。特に韓・中留学生にとっては、女史の貴重な体験からのアドヴァイスほど有益なものはないであろう。
 いずれも反日的な偏向教育を受けて来日し、最初は実際に親切な日本人と接してカルチャーショックを受けるが、しばらくするとどこか他人行儀でよそよそしい感じを受けた時点で、帰国するため、かえって反日感情が強くなるケースが多いという。
 女史はもう少し日本を、そして日本人と付き合ってみて、真の日本人をよく認識することを提唱し、その助となるテーマをを本講座の中心に置いている。
 女史は「日本の歴史と文化」は、『日本文化の起源は縄文時代にあった!?』として、そこに「神と大地と人間でもって構成され、他には絶対に見られぬアニミズム的な世界観の継続を指摘し、そこにこそ「世界が見習うべき日本文化の未来性」があるのだと明言していることがなによりもうれしい。
 また日本神話から、北方系の天より「垂直的降臨」と、海から生まれて海に死に、且つ再生を続けるという、南方由来の「水平的降臨」の存在を指摘、双方民族の複合体が日本人の構成だと指摘していることも大いに参考になった。
 今後私の「縄文×弥生=ハイブリッド日本人説」を補完し、強固にするものとして、ちゃっかり援用させて貰うつもりである。
 各章での詳細は避けるが、最終章『天皇はいかにして日本社会に平等をもたらしたのか』が圧巻である。その中でも「「工」と「商」は天皇の領域だった」という説は私にとっても初めての知識で、説得力を持つ。
 外国の皇帝と違って日本の天皇には、古来政治的な統治でなく、農業神を含めあらゆる神々の祭祀を司さどると言うという精神艇根幹であったことことから、農耕民のみの頭領であった武家からの敬愛され続けてきたことを強調している。
 天皇制をあたこも「悪」のごとく謂う左翼連に、女史の爪の垢でも飲ませたい気持ちである。
 まああとは「読んでのお楽しみ」としたい。

感銘の一冊

農業が日本を救う 2009年09月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

財部 誠一著  PHP研究所

 いささか皮肉っぽい、逆説的なタイトルだが、副題には「こうすれば21世紀最大の成長産業になる」とある。問題はこの「こうすれば…」が、一筋縄でいかないところが日本農業の泣き所だと言えるだろう。
 シンクタンク「東京財団」の上級研究員である山下一仁氏の指摘によれば、「(2007年度)全農家299万戸の総生産額が8兆2000億円で、パナソニック1社の2008年2月期9兆700億円に及ばない上、同社の従業員31万人と比較すれば、日本の農業がいかに非効率かがわかる」
という。しかもこれだけの農家数で農業に取り組みながら、食糧自給率が40%以下という数字を示していること自体、長年に亘ってコメ本位という「モノカルチャー」を継続してきた日本の農政がいかに劣悪なものであったか、しかもそうした農政を支えてきたのが農協であるというのが著者の指摘である。
 戦後GHQの命令で地主が追放され、小作農がすべて自作農に変身した。昔から農村で自作農の田畑相続は長男だけになされ、次男以下は婿養子になるか、小作農となるか、都市に出て奉公人になるかしていた。
 これは少ない田畑を分けることを「田分け=たわけ」と言って避けた知恵だった。それをいくら占領軍に押し付けられたとはいえ、農村改革の美名の元に、なんの疑いもなく「国策的たわけ」を断行したツケが今大きくのし掛かっていることになる。
 それが戦後の復興期を過ぎて高度成長時代に突入した1965年頃から、都市部の工業地帯からの求人に応じて、数多くの農家の若者が、狭小な農地から上がる少ない収入と過酷な労働を嫌って、「中学生という金の卵」と呼ばれた人手ブームに乗って都市部に殺到したのである。
   
   ♪ ああ上野駅 ♪
 ♪ どこか故郷の 香りを乗せて
   入る列車の 懐かしさ~
 すでにその頃から日本農業の衰退は始まっていたことになる。そして現在では「専業農家」と呼ばれる農家戸数が、実に1割を割っているという憂うべき現況にあるのだ。
 現在自民も民主も、農業施策として補助金制度を全面に打ち出しているが、農地法で禁じられている耕作放棄地も放置地主もそのまま放置されており、彼らすら農家としてたとえば「減反農家」として補助金対象となっている。
 またかつての農地を転用して進出した企業に勤務する兼業農家も、当然補助金を受けられるし、自分の農地をそうした企業に売った農家は、当然多額の売却費を得て、豪邸を建てて優雅な生活を送っている。
 逆に専業農家が、土地の貸し出しや売却を求めてもそれに応じず、大型小売業や工場、あるいは産廃施設として売れることを待っているのが今の農村の姿だと指摘する。
 著者によれば、こうした不合理・不条理を改善するためには、「ザル法」になっている現行法を忠実に守るだけでまずは充分だという。それが出来ぬようではまさんいこの国の未来は暗い。
 その反面、新たに農業に参入したいという個人や企業には厚い拒否の壁が立ちふさがる。またなんとか参入を果たしたとしても、それまでの企業経営と農業とのギャップで、挫折したケースも数多いと指摘する。逆に成功した事例を挙げてはいるが……。
 
 また著者によれば、本著の執筆に当たって各地の農村を取材し、農協にもインタヴューを試みたが、各地であからさまな妨害と、取材拒否の連続であったという。
 たとえば、ミカン(蜜柑)の某産地では、規格外の小玉はすべて廃棄処分とされ、「小玉排除の幕まであるらしいのだが、取材前には撤去されたり、事前に変な取材には応じないように伝えられたケースまであったという。
 実際には小玉の方が美味しいらしいのだが、農協を通じて出荷する場合、出荷を断られると手の打ちようがないという。ここにも、既存の流通システムに依存し切っている、農協の硬直姿勢が見て取れる。
 最後にタイトルの「日本を救う農業」としては、
1.農地管理のデータベース化
2.民間型農協の出現
3.新規参入の壁排除
4.素晴らしい農作物の海外輸出
などなどを提案しているのだが、ただその前提として絶対に不可欠なのは、昨今日本中に充満している「物貰い根性」からの脱却ではなかろうか。
 ここでは「書評」に名を借りて、日頃からの思いを吐露した部分も多いことをお伝えしておく。

感銘の一冊

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