| 第三の母国日本国民に告ぐ!―日本に帰化した韓国系中国人による警世的日本論 | 2008年10月 |
金 文学 著 祥伝社 1,680円
十二月九日、番外編の「繩文塾・忘年の集ひ」に今年もまた參加させていただいた。本來ならば、塾長恩顧の方々の集ひなのだらうが、あつかましく、かつ場所を辨へないのが小生の取り柄ゆゑ、「如何しますか」のお誘ひに、ついついのつかることと相成つた。
飮み會ゆゑに「ここをけづれ」とは趣旨が違ふが、我が儘を承知で謂へば塾長・金先生のトーク&トークを今少し聞きたかつた。しかし、「參加賞」として戴いた「第三の母国 日本国民に告ぐ」(金文學著・祥伝社刊)を読みその想いも晴れたので、書評といふよりも讀後感を述べて見たいとキーボードを叩いている。
結論を先にいふと、前出の「韓国民に告ぐ」、「中国人民に告ぐ」(いずれも祥伝社刊)を讀んで後にこれを讀むと著者の意圖がよくわかるのだが、それでは讀後感にもならないので先へ進める。
「脆弱な国家体制、墮落した国民のみじめな様相」とは、よくぞ言ひきつたものであり、時代が違へば市中引囘しの上「八裂き」の對象である。しかし行間には、我が國を「第三の祖国」と筆者が言ふ通り祖國愛があふれてゐる。ただ、來日で期待したものと、目の前を去來する事象の落差に「怒り心頭」が發端ではあらうが、一つ一つの事象に具體的對應作が記述されてゐる。
第五章で「パチンコ」が採上げられているが、私もこの問題は憂慮すべきであると思ひ續けてきた。理由はその經濟的規模である。洩れ聞くところによると、一時期は三十兆圓ほどの賣上を誇つていたともいうが、これは自動車産業に匹敵する。
「パチンコ」とはギャンブルであり、筆者に指摘されずとも「墮落した國民」を象徴してゐる。その眞つ先に擧げられるのは「パチンコ業は生活保護受給率が高い地域ほど賣上げがよい」と言はれてきたことであり、近年では「サラ金」とリンクしていたことも良く知られてゐる。幸いにもサラ金に規制が掛かり、大手の撤退、中小の廢業などサラ金業界の淘汰と共に、パチンコ業界の賣上げも激減してゐるそうな、慶賀すべきことである。
私は「パチンコ」もそして「ゴルフ」もやらない。それは高邁な思想があってのことでなく運動神經が鈍いことと、自身の人生そのものが「ギャンブル」(家族談)と承知しているからであり、加えて、巷で流行つてゐる「ゴルフ」はスポーツに非らずして「ちびた金をかけるギャンブル」でしかないとも考えている。
著者は、特に若者のことばの亂れ、服裝、立ち居振る舞のおぞましさを問題にしてゐる。
ゆゑに、この本は若い世代に讀んで欲しいと思ふ。
ゆゑに、この本は若い世代に讀んで欲しいと思ふ。
私たち(昭和十八年生)の世代になると、筆者の經歴を先に參照して、本文に入る前に「大きなお世話」が腦味噌を席捲し、主題まで屆かないと愚考する。
上に關しては塾長も「最近の日本の有り様に苦言を呈する内容だとして、事実とはいえやはりいささか気が重い。」と繩文通信で吐露してゐるから、危惧する課題は同じと推察した。
全文を讀むことがもどかしい諸兄は最終項の「日本の未来を救う処方箋二〇カ条」だけでも熟読すべし。就中、国政を預かる「政治屋」、そして主客が転倒していると事実認識に缺けた「高給(誤植に非ず)官僚」ども必讀の書と確信した。
| どうする東アジア聖徳太子に学ぶ外交 | 2008年09月 |
豊田 有恒著 祥伝社新書 777円
著名なSF作家であり、かつて(手塚治虫の)「鉄腕アトム」のシナリオライターであり、ノンフィクション作家、ドキュメンタリー・ライターであり、しかもチャイナ&コリア・ウオッチャーという多彩な活躍をする著者が書き下ろした、「聖徳太子に学ぶ東アジア=チャイナ&コリアとの付き合い方」の課外教科書である。ちなみに著者は、現在島根県立大学教授として、「東アジア問題研究」を担当している。
日本が生んだ数少ない天才のトップにランクされる聖徳太子だが、我々はその実像に関しては、まだ低い認識度にとどまっている。たとえば有名な『一七条憲法』にしても、第一条の中の「和をもって尊しとなす」という超有名な言葉しか知らない上、それさえも決して正しく認識していないと著者は指摘する。
第一条(読み下し文)は、
一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
の中で、「事を論(あげつら)~」は、相談=談合でなく、議論=ディベートであって、いたずらに「和する」ことを押しつけるのではなく、徹底的に議論を尽くした後に一致点=和に到達することだと謂う。
実は同憲法の条文のほとんどが、官僚の心得を諄々と説いていることを知らせてくれることで、官僚という人たちが、飛鳥の時代から現在に至るまで、いかに狡猾で一筋縄ではいかない存在なのかわかる。特に昨今の社保庁や防衛省の醜態に代表される官僚制度の有り様を見れば、大いに納得が行くというものだ。
また著者は太子が、我々の想像するような、「和」を第一義とした柔弱で知的な人物」ではなく、むしろ国家元首としての誇り高い気概と矜持をあわせ持った武人であったと断言する。
その証拠として第一に挙げられるのは、随の煬帝に送ったという「日出ずる国の天子 日没する国の天子にいたす。恙なきや」という胸のすくような言葉である。当時
アジアでは、中華の国チャイナの周辺はすべて野蛮な国であって、貢ぎ物を持って天子に拝謁し、下賜品を恭しく拝受するという屈辱的な「朝貢貿易」を行うのが常であった。いわゆる「冊封制度」である。
その中でいち早くこうした軛(くびき)を脱して、「独立宣言」したのが日本であり、聖徳太子であったのだ。聖徳太子は、こうした弱腰の屈辱的関係を嫌い、同じ天子という対等の立場を確立したのである。以来日本は、この立場を堅持してきた。それが今この国には、屈辱的・隷属的関係を指向する卑屈な腰抜け政治家が多いことか。
著者は、6世紀当時当時今と同じく、日韓関係はギクシャクしていたことを指摘する。たとえば当時半島には、高麗・新羅・百済の他、同三国に属さぬ都市国家群として伽羅(任那)があり、日本への渡来人が多かったこともあり、いわば今の「竹島」と同じような位置づけにあった。太子が伽羅に対して圧力を加える新羅に対して取った毅然とした対応と、今の腰が引けた気概も矜持もない日本外交の有り様との間のギャップがいかに大きいことか。
これはまた今の自本政府の、朝鮮総連や従軍慰安婦問題などへの接し方にも見られるが、一体この国はなにを生き甲斐に日本の民を導こうというのかと、著者は厳しく問うている。もっともそこに著者の「聖徳太子の外交術に学べ」という「混沌の時代を乗り切る」教訓がある。
昨今の東アジアの情勢は、依然として軍拡を続け、しかも訓練中のアメリカ艦隊のいくつのも防備システムをかいくぐって、航空母艦を攻撃可能な位置にまで潜水艦を送り込み、軍事衛星を破壊できる能力を獲得したチャイナと、ならず者国家北朝鮮と、反日政策をとり続け、限りなく北朝鮮に接近するコリアの姿がある。
果たして今の日本に、こうした北東アジア3国に、聖徳太子の示した「毅然たる外交」の復活があるのか、見通しは限りなく暗い。
著者は、「核にしてもロケットにしても、国家を背負って、愛国心に支えられているからこそ、北朝や中国のような途上国でも、それなりの成果が達せられる」のだが、「日本では、軍事も愛国心も、これまでタブーとされてきた」とした上で、
身辺に男女に絡むドロドロした軋轢、叔父である崇峻帝の暗殺などを体験して、人並みに悩んだ等身大の聖徳太子が、「後進的な古代日本を率いて、国際社会に伍していけたのは、ひとえにその揺るぎなき気概と矜持を持ち続けたからだ」と謂う。
いま大きく変わりつつある北東アジアの情勢に即応していくために、日本に必要なのは、聖徳太子のチャイナ・コリアに対する毅然とした、しかも相手の状況をよく把握し理解した上での的確な対応に学んだ、「今日的な問題化の解決にも繋がる国家としての気概の問題」だと喝破する。
ここらで我々日本人、いい加減で「歴史を学ぶ」ことから「歴史に学ぶ」ことにシフトすべきではないか。
<参考サイト>
『聖徳太子の一七条憲法』(原文 読み下し 現代語訳)
http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm
| 深層水「湧昇」、海を耕す! | 2008年08月 |
長沼 毅著 集英社新書 693円
9月18日、NHKテレビ「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、はじめて著者を知った。肩書きは広島大学大学院生物生産学部 生物海洋学研究室の準教授で、専門は生物海洋学・微生物生態学、従来の海洋生物学から軸足を生物に置き換えた、全く新しい研究分野の第一人者である。テレビでは、高温・有毒ガスの充満する火山口などに棲む、生命発生に繋がる微生物を探して歩くフィールド派(行動学者)の姿を映し出している。
著者はかつて、深海探査艇「しんかい6500」で幾多の深海探査に従事、特に「チューブワーム」という深海生物の生態観察で有名になった。チューブワームは、深海の熱水噴出孔付近で、硫化水素などを栄養源としている微生物との共生によって生きている、口も消化管も持たないチューブ状の不思議な生物である。
同著は、学生への生物海洋学「講義ノート」をベースにしているとあるが、シャレや言葉遊びも交えた平易な表現で、私たちの知らなかった海洋生態圏の食物連鎖・海洋気象学、それに表題となっている「湧昇(ゆうしょう)」を始め、海流のメカニズムなど多様な知識を与えてくれる。
日本は古くから魚食が中心で生きてきたが、世界的に見ると圧倒的少数派で、現在(牛乳・乳製品を除く)農業生産は年間約35億7000万トンに対し、漁業生産は1億3300万トンに過ぎないという。漁業は古代からの漁撈という延長路線を踏襲しているが、より以上収量を求める手段として、いま養殖(幼魚まで飼育して放流する方法と、成魚まで飼育する方法がある)という方法が採られているが、特に成魚まで飼育する方法には、環境破壊と病気の発生が大きな問題となっている。
いま地球上には65億人という人類がおり、ごく一部の飽食社会を除き、今でも飢えに苦しむ多くの人たちがいる。しかも今世紀末には100億人を突破することが確実視されている。その時点において従来の陸上由来の食料だけでは到底賄いきれないが、今までいわば眠っていた海洋由来の食料を、「湧昇」という自然現象を活用し、且つそれに人知を付加することで、マグロで100億人が賄えるという試算を提示しているのが本著である。
本著は陸上にしろ海洋にしろ、食物連鎖のスタートは、日光による光合成であることを再認識させてくれるが、それが陸上では草であり、それを食べる草食動物なのだが、草は有機物を消化できない。従って土中の微生物や菌類などがそれを無機質に代えたものを吸収する。そして草を消化できないヒトは、草を消化できる家畜を食べることで食物連鎖の頂点「人間生態圏」を構築している。
海においては、川から流れ込んだ、また浅い海中で発生して光合成を行う植物プランクトンを、動物プランクトンが食べ、それを小魚や幼魚が、またそれをイワシ・サンマなど中型魚が~、最後に極相(クライマックス)としてマグロという連鎖サイクルで形成され、その過程や極相で人間生態圏に組み入れられる構図が見えてくる。そうしたメカニズムを生むのが海流であり、その循環過程で引き起こす「湧昇」という現象が、このサイクルの主役であることを教えてくれる。
以上が「生食連鎖」と呼ばれるが、実はもう一つ「死骸・食べ残し」という、いわば陸上の生ゴミに当たる存在があり、それがマリン・スーノーになって海中を浮遊し、再び動物プランクトンや幼魚などの掃除屋に70%は食べられ、30%が深海に堆積されて行くのだが、そうした堆積物が「湧昇」という現象によって 再び海面近く上昇して、再び植物性プランクトのエサとしての発生にリユースされる。これを「腐食連鎖」と呼んでいる。そうしたメカニズムを生むのが海流であり、その循環過程で引き起こす「湧昇」という現象が、この「腐食連鎖」というサイクルの主役である。
大きな漁場は「生食連鎖」に「腐食連鎖」が加わった恩恵の上に成り立っている。さしずめ、新車の流通という「動脈流通」と、中古車のリサイクル・リユース流通に当たる「静脈流通」とに当たると考えると分かり易い。ちなみに植物性プランクトンの必要とする栄養源は、窒素分でありリンであり、ケイ素(シリコン)というミネラル分である。
ではなぜこの「湧昇」が海の豊穣をもたらすかだが、堆積物が持つ窒素分の再利用である。深海では、硝酸化された窒素分が、海面地殻に上がってくると、植物プランク論が光合成にとって大発生を促すことになる。これは陸上でのマメ科植物が、根粒菌の働きで地中に窒素固定を行うことと似た現象と言えるだろう。ご存知窒素分は肥料の主成分である。
地球上には、海流の位置によって幾つもの大小「湧昇」ゾーンがあり、豊かな堆積物のあるところには大きな動物性プランクトンが育つ。例えばヒゲクジラやペンギンのエサになり、世界最大の哺乳類シロナガスクジラを生んだ南極の動物性プランクトン、オキアミは体長5センチもある。またカリフォルニア沖では、ウニやアワビを大発生させ、それがラッコのエサになって、ジャイアントケルプの大森林を守っている。
著者によると、もしこのオキアミをマグロの味に出来たら、すぐにでも100億人は養えるというのだが、海での捕食者たちは、多くの場合サイズがその下のエサの10倍くらいになるそうだが、陸上でも同様、頂点に近づくほど個体数が減少する。
そのために、本当にマグロで100億人を養うより、「ヒトがトラを食べる」という比喩を用いて、生態系の頂点にいるマグロを食べることより、その過程にあるオキアミ・イワシ・サンマなどを食べ、マグロは100億人が祭りの日に、ご馳走として食べることで結んでいる。
自然の力に比べて、悲しいことヒトの力はまだまだ弱小であるが、英知を絞って人工湧昇に取り組む必要を説いている。たとえば現在(いま)、ポンプによる汲み上げとか、人工海底山脈を造り上昇海流を起こそうという試みがなされているという。
ここから敷衍すれば、未開発の海に比べて、環境問題とも絡んで陸上における耕地の開発、食料生産量は限界に近いといえる。とすればいつでもウナギを、牛肉を食べるということが困難になってくる日は近い。
やはりウナギは土用の丑の日に食べるべきで、牛肉はハレの日という昔の生活に活路を見出すと共に、100億人時代にもなれば、もはや飼料効率の低いウシからブタ、ブタからニワトリへというように、動物タンパク源は、マグロを頂点とした海洋生産物の利用と同調して、(エサ要求率の低い捕食の中位以下の動物)例えばニワトリの肉やタマゴ主体にシフトすべき事を示唆している。
| 製造業が国を救う―技術立国・日本は必ず繁栄する | 2008年07月 |
エーモン フィングルトン著 中村仁美訳 早川書房 1,995円
実はこの本には、2つの特質すべき?エピソードがあった。本題に入る前にいささか長くなるが、紹介しておきたい。
その一、実は1円(送料は別)だった!
いつも書籍通販で利用しているアマゾンの検索サイトで、「製造業」で探したところ、この本が見つかった。しかもそこに「21点の新品/ユーズド商品を見る」とあるので、そこを見ると、なんと1円で、評価レベル・5つ星とあるではないか!
題名もイカシているし、すぐさま申込み感銘を持って読み切った。
安い理由の1つは、1999年と8年前の出版という点だが、アメリカ経済界を支配している、「ポスト工業化社会」と(彼らポスト工業化社会論者がすでに陳腐化したという)「工業化社会」の比較論だから、むしろ現在(いま)の方がよく分かるというものだ。
最初に思ったのは、1円~300円というランクがあるので、心ある製造業のトップや管理者は、すぐさま買い占めて、社員に読ませるべきだということだった。
その二、実はこの本をすでに購入して読み、且つ「感銘の1冊」として紹介していた事実があったのだ!
著者が比較対象として取り上げている「ポスト工業化社会」のことを調べようと、グーグルで検索してみたところ、なんとの2000年2月に、ちゃんと自分の手で書いているのが見つかったのだ。なんたる不覚…。
毎月の書評を収録している縄文塾HPのメニューより、
『感銘の1冊』(2000.2)参照
いくら7年半という昔とはいえ、きれいに記憶からすっかりと消えていることに、我ながら呆然、真剣にボケ到来を懸念している始末である。なにしろ以前読んだ記憶も、書いた記憶もが、わが脳髄から見事にポッカリと欠落しているからである。
あわてて本棚を探してみると、確かに同じ本があった。別のところで、「過去の記憶は極力忘れようとしている」と書いたのは事実だが、感銘を受けたにしてはあまりに酷い。
こうなっては開き直るしかない。前回よりは年月を経ているだけ、新しい結果や視点が見つかるかもしれない。ぜひ以前の書評と一緒に読んでいただきたいものだ。
なお以下表現的には、自らの検証や思い入れを重点に置いて、同著から離脱した部分が多いことを、前もってお詫びする。
(ここから本題)
本著が上梓されて8年を経過している。当時バブル真っ最中だった日本だが、多くの無能なアナリストの無為無策ぶりがあらわになる中、小泉・竹中の「ぶっ壊し政治」によって、というより、お上に頼ることの無意味さを覚った製造業を中心とし
た企業の自主努力から、ようやく暗くて長いトンネルを抜けて成長度はともあれ、長さでは「岩戸景気」を上回る復活を遂げてきている。
その後日本の製造業は、小泉・竹中の「ぶっ壊し政治」によって、と言うより、お上に頼ることの無意味さを覚った製造業を中心とした企業の自主努力から、人員整理を中心としたリストラを含め、血の滲むような努力もあって、ようやく暗くて長いトンネルを抜け、成長度はともあれ、長さではかつての「岩戸景気」を上回る成長の復活を遂げてきている。そこにはマスコミの喧伝した「情報化社会」というポスト工業化社会の華やかな姿はないものの、着実に日本の実力を発揮してきた結果といえるだろう。
その理由は、ポスト工業化社会的思考の根源にある「株主優先・短期利益優先」という、アングロユダヤ的経営思想にあり、それが生んだMBAスタイル経営者の跋扈が挙げられるだろう。所詮この思想では、研究開発のための投資など不可能である。
ここで「ポスト工業化社会」を再定義すると、主としてITを基盤とした「高度情報化社会」であり、金融や株式売買関連、それに物販・流通業などであろう。
ポスト工業化社会論者が見落としたものは、いわゆる製造業も、IT武装を身につけて再登場すというシナリオではなかったか。見落としたのではなかったとしたら、過小評価していたことになる。「コンピュータ ソフトがなければ ただの箱」は、そっくり裏返せば、「コンピュータ ハードがなければ ただのゴミ」だということだったことになる。なにしろ日本が生んだラップトップ・パソコンが世界を席巻し、ディジタル・カメラの進化たるや空恐ろしい程である。
アメリカが選択した「ポスト工業化社会」だが、その求人機能はごく低く、結局一部の特別富裕層を生んだだけで、インドやチャイナにソフト・エンジニアを外注するていたらくである。日本においては、マスコミが「勝ち組・負け組」という、けっ
たいな差別発言をして話題を呼んだが、それがあのホリエモンや村上ファンド、それにコムスンなど六本木ヒルズ住民の去就としたら、まさに虚業をもて囃し、しかも水に落ちたイヌは徹底的に叩くというマスコミのお家芸に過ぎない。
では物販ではどうか。日本の商業コンサルタントは、なぜか安売りの王者「ウオールマート」を礼賛する。ところがこのウオールマートも、フランスの大型量販店カルフォールも、日本では成功していない。
わかりきっていることなのだが、こうした店が成長したのは、この店の存在を必要とする「低収入層」の存在が日本にはないことである。それに日本人は「安かろう悪かろう」という商品には目もくれない。そこを忘れた日本企業が、彼らとの提携に失敗するのは当然のことである。
では「100円ショップは~」という人がいるだろう。これは価値・価格費=コスト・パフォーマンスの問題であって、100円でこれだけの価値があるから行くだけで、ここにはルイ・ヴィトンやシャネルを持つ人でも訪れるという、日本特有の価値観があるのだ。
日本のマスコミは、IT家電のランキングとして、白物家電・携帯電話・テレビ・パソコンなどの広い分野で、日本企業の劣勢を伝えるが、本当に問題とすべきは、そうした製品の中で占める日本製部品、特に心臓部における日本製品のことも正確に伝えるべきではないか。
最近のハイテク電化製品においても、国際分業が確立し、すべてを自国で、と言う仕組みは失われてしまっている。日本のマスコミはそれに目をつぶって、製品としての(国別)ブランドにこだわりすぎている。
唐津一さんが夙(つと)に謂うように、表面には出ない部分での日本製品は、すでにこれなくしては世界の製造業が成り立たないと言う面を、マスコミはもっともっと強調すべきであろう。曰く「ロボット=メカトロニクス、数値管理マシーン、金型産業・ファインセラミックを含むナノテクノロジー・製造マシーンを造るシーン・半導体などエレクトロニクス部品などから、チェーン・ボルトナット・ワイアー・ファスナー、大型では造船・橋梁・耐震構造建築」などの分野まで、いまや日本の製造業なくしては、世界が回らなくなっている事実を無視してはならない。
製造業とポスト工業企業の差は、雇用人員の数だけでなく、所得格差の差に顕著に現れている。いまや日本は、あの長いバブル崩壊を味わいながら、平均収入にしろ、雇用係数にしろ、アメリカはおろか、ヨーロッパの各国を凌駕して居ることを認識する必要がある。
今日本は、高度成長の陰の部分といえるブルーカラーを嫌う思考から、一日も早く脱却して、真の「高度精密製造工業立国」への道を邁進すべきこと、それが決して間違いでないことをこの本は強く示唆している。
なお今後注意すべきは、金融のグローバル化から大株主として外資の行動、すなわち株主利益の強要の傾向であろう。企業理念として、研究開発・従業員の優遇と熟練化への投資の必要性、言い換えれば、製造業界での「ジョーモニズム」を、「ネオ・グローバリズム」として認識させることに、国を挙げて取り組むことであろう。
「軍需産業」に依存しない日本製造業の有り様を取り上げた、
キャッスルゲイトHPの中の『平和に発した日本技術論』
http://joumon-juku.jp/gijyutu/index.html
もぜひご参照下さい。
| 日本の森にオオカミの群れを放て 改訂版―オオカミ復活プロジェクト進行中 | 2008年06月 |
吉家 世洋 著 ビイング・ネット・プレス 1,680円
かつて日本の山に森に、気高いニホンオオカミ(北海道にあってはエゾオオカミ)がいた。彼らは「食物連鎖」の頂点に君臨し、われわれの先祖は、「大いなる神」として恐れ敬ってきた。ところが明治の世に到り、蕃神キリストを信じる「青い目の助っ人」のそそのかしを真に受けた日本人の手で、愚かにも銃砲で、あるいはストリキニーネなどの毒薬で、森の守り神を(明治38年=1905)絶滅してしまった。まさに「野生の殺戮」である。
森の動物生態系の頂点であるオオカミを絶滅させることで、動物相を破壊してしまった日本人は、その後極相(クライマックス)である「広葉樹の森」を醜く攪乱して、陽樹であるスギ・ヒノキの単一林にしてしまった。昨今農村におけるサル・クマ・イノシシの被害、それに都会部でのカラスの跳梁は、すべて針葉樹の行き過ぎた植林と、オオカミ不在という、生態系の頂点を排除した結果だと言っても決して言いすぎではないだろう。
それでも森林の方は、(日本のように湿暖の地にあっては)長時間放置すれば極相林に復元する。ところが、動物相の方はそうはいかない。ニホンカワウソも絶滅したままだし、トキ(朱鷺)やコウノトリ(鸛)でも、多大時間と費用を掛けながら、実績は遅々としてはかどっていない。日本の森での生態系の頂点にいた肉食獣オオカミ復元にあたっては、恐ろしいケモノという誤解と万一の人身事故を恐れて、積極的に論議されてこなかった経緯がある。
本著は、私たちに、いくつもの教訓を与えてくれる。「野生の殺戮」は一体なにを生んだか。元来厚いコケで覆われていた大台ヶ原(吉野熊野国立公園)の原生林は、シカによって樹皮を食べられて、樹木が枯死したことで、差し込む日光でコケも枯死していった。またヤギだけが取り残された無人島(小笠原諸島)では、天敵がいないため異常繁殖して、いまや草のない島と化し、土砂が海に流れ込む惨状を呈しているというのだ。
ご存じの日光でも、昨今シカが樹木を枯らす被害に頭を悩ましている。自然の巧みな生態系を無視した行為(オオカミの絶滅)によって、結果としてシカ(エゾ・ジカ)やカモシカやイノシシの増加を生むことになってしまったのだ。それに加えて私たちは、クマやサルやイノシシの食料となる、ドングリのなる広葉樹を伐採して、分別を欠くスギ・ヒノキというモノカルチャーの推進によって彼らの食料を奪ってきた。食料を奪われたかれらは、やむなく危険を冒して人里に出没し、貴重な作物を荒らす手段に出た。「野生のしっぺ返し」である。
それでも少し前までは、あの嫌われものの野犬が横行していた。それを人はすべて捕獲し毒殺してしまったのだが、今ころになってようやく皮肉にも、嫌われ者の野犬たちが、クマ・イノシシ・サルが人里に降りてくることの防波堤になっていたことがわかってきた。
本著の中で丸山直樹(東京農工大学教授は、「ニホンオオカミは、中国モンゴル自治区にいるハイイロオオカミの亜種で、ブラックバスなどの外来種とは異なり、日本の生態系に悪影響を及ぼす心配がない」と言い、「人間が絶滅させた(オオカミという)種の復活は責務であって、コウノトリの放鳥と似たような手法であり、しかも犬に比べて狩りが上手で、サルやイノシシをも捕らえる。抑制効果が期待できる)のだという。
ニホンオオカミに復元には、丸山直樹が中心となって設立した*「日本オオカミ協会」という研究団体が、地道な活動を行っているが、当面の導入候補地として、尾瀬を含む日光国立公園を挙げているのだが、理由としてシカの数が多く貴重な植物の食害が深刻で、しかも公園内での狩猟が禁止されている上、自然が既に詳しく調べられているからだとしている。また日本では、ハンターが老齢化し、次第に減っていることも大きい。問題は、地元を含め関係諸機関の説得が課題だが、たとえば前述無人島での、ヤギの天敵としての実験的導入なども視野に入れるべきであろう。
*「日本オオカミ協会」
「オオカミが増えすぎるのでは~」という懸念は杞憂に過ぎない。サヴァンナの最強のプレデター、ライオンにしても、最速ランナーチータにしても、非捕食者がいなくなると絶滅が待っている。森の中で多くの植物群から各種哺乳類・鳥類・昆虫、それに微生物に到るまで、巧緻に構築された「森林生態系」では、当然植物相・動物相の貧弱なサヴァンナとは、比較にならない調整機能が備わっているからだ。
丸山は、食物連鎖の頂点を占めるオオカミの能力は特に偉大だという。彼らは1つがいの夫婦オオカミと数代の子供たち10数頭が1つのテリトリーを形成する。成長した子供たちは、成長するまでにその半数は死に、数年で群れから離れるのだが、他のテリトリーに迷い込んだ子供の内、(特にオスは)半数以上がそこで咬み殺される。運と力があってはじめて、そこのボスに取って代わるのだ。
彼らオオカミの偉大な知恵とは、テリトリーと隣のテリトリーとの間に、緩衝地帯を持っているこだという。そこでは獲物たちが安住する場所になっていて種の数を維持できると共に、未熟な子供たちにとって格好の、「狩りのトレーニング場」にもなっている。またかれらオオカミのエサは、決して健康で元気なものたちではなく、老齢・病気・ケガ・若齢であって、このこともオオカミが、非捕食者の健全なバランス維持に貢献しているのだ。オオカミのエサの残滓は、クマや(これも絶滅を危惧されている)ワシ〔鷲)やタカ(鷹)、それにフクロウなどのエサになる。それにカラスだって山に帰ってくるだろう。
ニホンオオカミより一回り大きいエゾオオカミは、まだ生息しているといわれる同種のカラフトオオカミで、こちらも有志によって復元も計画されているようだが、出来ればニホンオオカミ保存を願うメンバーと提携しての運動が望まれる。
アメリカのイエローストン国立公園などでは、かつてタイリクオオカミを絶滅させたため、エルク(オオジカ)が増え過ぎてバッファローの草を奪ってしまい、小型肉食獣のコヨーテが増え過ぎてアナグマなどテリトリーを奪うなど、生態系が狂ってきたことから、11年前よりカナダからタイリクオオカミを移入してようやく正常な生態系に戻り始めているのだという。
「オオカミ復元」に立ちはだかる壁としては、(近隣住民の誤解も大きいが)もっとも強敵は「自然(動物)保護団体」であろう。彼らは鯨の徹底保護活動でも見られるように、理屈や理論でなく、「かわいそうだ」という感情論優先である。当然対象は「食べられる、かわいそうなシカであり、ウサギであり、カモシカである。
加えて、「もし人がオオカミによって殺されたら誰が責任を取るのか」という言葉がある。人のエゴと誤解によって絶滅させられたオオカミこそ、「自然(動物)保護団体」の復元目標であるべきで、野生動物による人身被害は、北海道のヒグマ、本土のツキノワグマ、それにイノシシによって起きている。オオカミの復活は、むしろそうした被害を防ぐことはあっても、増えることはないという。
もちろん牧畜国家のアメリカでは、オオカミ復元に当たった地域において家畜が襲われるケースもあるのだが、その被害補償を行って解決しているという。幸い日本には、アメリカのような放牧に近い牧畜農家は至って少ない。また実際には、アメリカ史上、オオカミによる人身事故は1件も発生していないという事実がある。
森の再生とセットして、ぜひオオカミの復元の成功を祈りたいものだ。
| 眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く | 2008年05月 |
アンドリュー・パーカー 著 渡辺政隆・今西泰子 訳 草思社 2,310円
太陽系惑星群の一つとして、地球が誕生したのが46億年前である。煮えたぎるマグマオーションが、有毒のスープと言われる「混沌の原始の海」に転じ、そこから生命が発生したのが37億年前、そして過激な酸素の発生に対応できる多細胞生物の発生を見たのが30億年前だと言われている。
太陽系惑星群の一つとして、地球が誕生したのが46億年前である。煮えたぎるマグマオーションが、有毒のスープと言われる「混沌の原始の海」に転じ、そこから生命が発生したのが37億年前、そして過激な酸素の発生に対応できる多細胞生物の発生を見たのが30億年前だと言われている。
現在の地球学では、その歴史を5億4300万年前のカンブリア紀を起点として、それ以前の40億年余を一括して「先カンブリア紀」と呼び、それ以降古い地質の境界線毎に年紀を定めている。
余談になるが、この年紀を区分する地層に刻まれた境界線こそ、その時点で起きた地球環境の大異変、あるいは多くの種、そして生命の絶滅を見た大カタストロフィーの証明である。
(年代記 以下サイト後尾の部分参照)
ではなぜこの5億4300万年前のカンブリア紀と、それ以前を区分したのだろうか。このカンブリア紀にいったい何が起きたのか?それはカンブリア紀になって初めて動植物の大発生があり、大進化の幕開けであったからに他ならない。予兆はその少し前の、「エデアガラ動物群」の発生であり、カンブリア紀に入っての、ヴァーチェス頁岩遺跡の化石群で有名な、節足動物の大発生である。
なぜカンブリア紀に大発生・大進化が起きたのかについては、ダーウィンや・スティーヴン・グールドなどを悩まし続けてきた難題なのだが、彼アンドリュー・パーカーは、「すべては眼の誕生にあった」という画期的な仮説を提示する。
今まで「眼の誕生」という現象については、的確な理論的解明が為されていなかったのだが、彼は「眼の誕生が捕食者を生み、それから逃れるための捕食者の鎧や目くらましの技法などを発達させ、それが種の大進化に繋がったのだと謂う。
本書は370頁を超すボリュームだが、その約半分近くを割いて、生命発生からの通史に費やしている。その過程で彼は偶然3000万年前のカブトムシの持つ色彩を発見、そのほか、発光性動物の生態や理由の解明することで、遂に エディアガラ動物群、ヴァーチェスの化石群が、豊かな色彩を持っていることを突き止め、特にヴァーチェス(節足動物)化石の眼の構造を解明していくことで、眼の発達が生物の進化に大きく作用したという結論を導き出したのだ。
カンブリア紀以前、「生と死の営み」は、光に無縁な海中や土の中で細々となされてきたのだが、それがカンブリア紀の始めになって、ようやく太陽の光の下で営むようになり、光感知のための「眼」が誕生したことで、爆発的に大進化が始まったというのが、著者の提唱する「光スイッチ説」である。
おそらく当初は、おぼろげに光を感じ、その光を遮る「動く物体」を、かろうじて識別できる程度の眼であっただろうし、その陰の大きさや動きの早さや特徴から、それがエサなのか、それとも捕食者なのかを、なんとか判断していたに過ぎなかった。ところが、捕食と被捕食という生存を賭けた競争の激化から、「眼」の進化は急速に進み、それに伴って種の増加や進化が、爆発的に行なわれたのだと著者は謂う。
ご存じのように、眼の存在は「見たものの識別」のために、脳の存在が不可欠であって、幼稚な脳の持ち主は、当然対象物の識別は曖昧になる。そこで眼の発達こそ脳の進化に大きな影響を与えることになったというのだが、(逆にこれを見られる側から考えると)果たして脳を持っているのかどうかわからないような原始的動・植物でさえ、優れた保護色彩や模様を持っていることに自然界の驚異をみる思いである。
著者は「矛と盾と刀傷」という巧みな比喩で、カンブリア紀の最強の捕食者アロマロカリスは、防御用のヨロイ(硬い皮膚)を持たなかったが、その他の捕食者でもあり、被捕食者でもある動物たちは、鋭い武器と同時にヨロイも持っていたことを教えてくれる。彼の鋭い眼力は、当時の化石から捕食者の牙を逃れた傷跡を発見したことから、おそらく彼らは、その時点で自然治癒力も獲得したのだろうと指摘している。
ヨロイと同時に彼らが身につけたものが「色」であった。目くらましのため、また脅かしのための発光システムであり、保護色や捕食者に似せた文様=擬態などであった。またこうした色彩は、日光の到達する浅い海で進化した。たとえばいま沖縄などの近海で見られる、カラフルな熱帯魚やサンゴ・ウミウシなどの、豊かな生態の起源こそカンブリア紀であった。
目の出発点は、ものは見えないが光を感じる皮膚の斑点の誕生であり、それが内側に陥没していき、次第に高度な光検知器を形成していったのだと著者は謂う。生物進化の過程にある種によって、いろんな段階の性能の検知器が存在することになる。
なお色彩とは、その生物や物質が、特有の「色」を持っているというのではなく、膚の構造が、(見る側の)眼の持つプリズム作用で、ある種の光を撥ね付け、あるいは吸収することによって生じる視覚効果である。
ただ未だ脳や、目という脳の出先機関が未発達な動物や植物まで、防御に関わる彼ら特有巧みな色彩や、模様生み出す皮膚構成、形態による変身術などが、どのような仕組みで獲得していったのかまだまだ不明な点は多い。
また光の届かない深海や、夜行性の水棲生物や地中の微生物たちの中には、光の反射ではなく、自ら発光する能力をもつものもいる。それは暗黒あるいはそれに近い世界での、幼稚な光検知器に対応しての「目くらまし」効果であり、「危険信号」である。
眼には、単眼と複眼がある。カンブリア紀の王者節足動物は複眼の道を選び、その後魚類→両生類→爬虫類、そして哺乳類は単眼という道を選ぶことになる。それぞれ画像を結ぶ仕組みは違うが、結果としてその仕組み以上に、その後脳の進化の違いによって、視覚としての能力に大きな差がついて行ったことになる。
われわれ門外漢には理解しがたい学術的バリアーの外側での憶測になるが、初めて大進化の根源に踏み込んだ著者の「眼」仮説は、古生物学の発展に大きな突破口を開いていったものとして、大いに賞賛されてしかるべきだろう。
| 日中比較優劣論 | 2008年04月 |
金 文学著 南々社 (1600円+税)
本著で、著者が日・中・韓3国で出版したちょうど50冊目に当たる。当通信でも案内したように、6月24日(日)広島市で行われた出版記念会が行われた。
著者は、遼寧省瀋陽で生まれた韓国系3世である。母国の東北師範大学での日本語の専攻から、日・中・韓3国の比較文化に進み、その後文明批評家としての道を歩き始め、17年前日本に留学、広島大学院の博士課程を経て後10年、広島に居住している知日派・親日派である。テレビの「サンデープロジェクト」「TVタックル」にも出演、著書も比較文明・文明批評だけでなく、小説やエッセー、古典の解説書まで、多彩な才能を発揮している。
日本人は、外国人による日本人論が大好きにも拘わらず、どうも自分では「比較という視座でものを見る」ことが苦手のようで、戦時中、中国・韓国に取ってきた日本の行動に対する贖罪意識、悪く謂えば自虐意識が根強く、その裏返しとしての友好意識があり、また逆に中韓両国の対日言動に対して、深い嫌中・嫌韓の意識を持つという、2つのタイプに分けられるようだ。
著者は、ことある毎に冷徹な日・中・韓3国の比較の目を注いでいるのだが、本著の「まえがき」で触れているように、「(たとえば)ある国で長所だとするものも、比較することでかえって短所や欠点になる場合も多いとして、
『この意味で、私は一般的日本人に弱点と見られているものを長所と捉え、中国人に長所と見られるものを弱点として捉えたりして、「優劣論」を敢行することにしました』
と述べている。さらに「日本人の中国に対する認識の甘さも鋭く批判している」とあるように、(公平に見つもりだが)国柄・国民性については、なべて日本を高く、両国を低く見ている感が拭いきれない。
これは日本での出版ということも作用しているかもしれないが、案外、これこそとりもなおさず、日本の方が高度な国民性を持っていることを証明しているかのように受け止めてもいいのではないか。
ここらに問わず語りで、「なぜ著者が17年も日本に居住しているのか?」というナゾが解けてくるような気がするのだ。すなわち、血液と郷土という結びつき以上に、日本の持つ国柄や国民性が、著者を強く引きつけてやまないことを示しているように思えてならないのだ。
第1章の「柔らかい日本」に対して、第2章に「かたい中国(の)脆弱性)」を持ってくる。著者は、日本の柔構造社会「和」に対して、中国は「闘」だと謂う。加えて韓国人については、「情」と言う言葉を当てはめるのだが、日本人の感じる「情」と、韓国の国民性における)「情」とは、受け止め方で大きな差がある。別に韓国を表現する「恨(はん)」に置き換えてみると分かり易くなる。
また第3章の(両国民性の)「比較優劣論」でも、ここまで言ってよいのだろうかというくらい、中国の問題点を厳しく指摘している。これはある種の日本人における、対中盲目的友好意識に対しての、一種の警告ともいうべき意味合いを示しているのだろう。
本著は又韓国にも言及して、まず地政学通り日中の中間に置いた前著『大陸根性・半島根性・島国根性』の延長線上に位置づけ、その硬直性と行き過ぎたナショナリズムに対しては、厳しい視点と批判を投げかけている。たとえば歴史認識の問題にしても、相争い、屈服・隷従させてきた側と、逆に屈服・隷従されてきた間に、共通な歴史観など存在するはずがないと斬って捨てる。大切なことは、「なぜそうした歴史が生まれたのか」という事実を、避けることなく熟視する必要性を指摘している。
第4章では、そうした3国が抱える東アジアの持つ、深く大きい内紛(内訌)を乗り越え超克して、世界的歴史観を樹立せよと説く。全体的に日本よりむしろ、中・韓において強く取り組むべき事柄のようだが、日本は忍耐強く繰り返し繰り返し自己主張していくべきだと謂う。その点ひ弱になった日本の有り様に、むしろ切歯扼腕している感があり、最後に当たって、『日本人の国民性改造案』を提示している。
ではなぜ我々日本人は、自分たちの国民性を改造する必要があるのか。その答えを次のように考えてみた。
同じ東アジアの国とはいえ、文中にみられる内紛(内訌)という、同一国に擬した表現を、本著では使用している。このことに、いささか不審に思われる向きもあるだろうが、今までに交わした著者との会話の中で、いま危機に瀕している「西洋発一神教」に代わるものとして、「東洋発多神教」への転換という命題があるが、(比較法にしても消去法にしても)東洋における最大の盟主候補は日本をおいてほかにはいないとしても、それには、日・中・韓という東アジアの協力・連携なくしては、アジアの時代を全うすることは不可能だといえることから来ている。
このことからも日・中・韓が、いわば西洋のEUとでも言える関係を構築する必要性に鑑みて、あえて「内紛(内訌)」という表現を採ったものと理解したい。
そのほか本著には、我々の知らないような、日・中(韓)に絡む歴史的事実を、これでもかという程提示してくれるのだが、私たちは、そうした事実を偏りなく読み取ることが肝要であり、相互理解に至る大道だと知るべきであろう。
この日・中・韓という、近くて遠い国の関係が改善されるまで、著者の苦悩と努力は、まだまだ続くことだろう。
本著で、著者が日・中・韓3国で出版したちょうど50冊目に当たる。当通信でも案内したように、6月24日(日)広島市で行われた出版記念会が行われた。
著者は、遼寧省瀋陽で生まれた韓国系3世である。母国の東北師範大学での日本語の専攻から、日・中・韓3国の比較文化に進み、その後文明批評家としての道を歩き始め、17年前日本に留学、広島大学院の博士課程を経て後10年、広島に居住している知日派・親日派である。テレビの「サンデープロジェクト」「TVタックル」にも出演、著書も比較文明・文明批評だけでなく、小説やエッセー、古典の解説書まで、多彩な才能を発揮している。
日本人は、外国人による日本人論が大好きにも拘わらず、どうも自分では「比較という視座でものを見る」ことが苦手のようで、戦時中、中国・韓国に取ってきた日本の行動に対する贖罪意識、悪く謂えば自虐意識が根強く、その裏返しとしての友好意識があり、また逆に中韓両国の対日言動に対して、深い嫌中・嫌韓の意識を持つという、2つのタイプに分けられるようだ。
著者は、ことある毎に冷徹な日・中・韓3国の比較の目を注いでいるのだが、本著の「まえがき」で触れているように、「(たとえば)ある国で長所だとするものも、比較することでかえって短所や欠点になる場合も多いとして、
『この意味で、私は一般的日本人に弱点と見られているものを長所と捉え、中国人に長所と見られるものを弱点として捉えたりして、「優劣論」を敢行することにしました』
と述べている。さらに「日本人の中国に対する認識の甘さも鋭く批判している」とあるように、(公平に見つもりだが)国柄・国民性については、なべて日本を高く、両国を低く見ている感が拭いきれない。
これは日本での出版ということも作用しているかもしれないが、案外、これこそとりもなおさず、日本の方が高度な国民性を持っていることを証明しているかのように受け止めてもいいのではないか。
ここらに問わず語りで、「なぜ著者が17年も日本に居住しているのか?」というナゾが解けてくるような気がするのだ。すなわち、血液と郷土という結びつき以上に、日本の持つ国柄や国民性が、著者を強く引きつけてやまないことを示しているように思えてならないのだ。
第1章の「柔らかい日本」に対して、第2章に「かたい中国(の)脆弱性)」を持ってくる。著者は、日本の柔構造社会「和」に対して、中国は「闘」だと謂う。加えて韓国人については、「情」と言う言葉を当てはめるのだが、日本人の感じる「情」と、韓国の国民性における)「情」とは、受け止め方で大きな差がある。別に韓国を表現する「恨(はん)」に置き換えてみると分かり易くなる。
また第3章の(両国民性の)「比較優劣論」でも、ここまで言ってよいのだろうかというくらい、中国の問題点を厳しく指摘している。これはある種の日本人における、対中盲目的友好意識に対しての、一種の警告ともいうべき意味合いを示しているのだろう。
本著は又韓国にも言及して、まず地政学通り日中の中間に置いた前著『大陸根性・半島根性・島国根性』の延長線上に位置づけ、その硬直性と行き過ぎたナショナリズムに対しては、厳しい視点と批判を投げかけている。たとえば歴史認識の問題にしても、相争い、屈服・隷従させてきた側と、逆に屈服・隷従されてきた間に、共通な歴史観など存在するはずがないと斬って捨てる。大切なことは、「なぜそうした歴史が生まれたのか」という事実を、避けることなく熟視する必要性を指摘している。
第4章では、そうした3国が抱える東アジアの持つ、深く大きい内紛(内訌)を乗り越え超克して、世界的歴史観を樹立せよと説く。全体的に日本よりむしろ、中・韓において強く取り組むべき事柄のようだが、日本は忍耐強く繰り返し繰り返し自己主張していくべきだと謂う。その点ひ弱になった日本の有り様に、むしろ切歯扼腕している感があり、最後に当たって、『日本人の国民性改造案』を提示している。
ではなぜ我々日本人は、自分たちの国民性を改造する必要があるのか。その答えを次のように考えてみた。
同じ東アジアの国とはいえ、文中にみられる内紛(内訌)という、同一国に擬した表現を、本著では使用している。このことに、いささか不審に思われる向きもあるだろうが、今までに交わした著者との会話の中で、いま危機に瀕している「西洋発一神教」に代わるものとして、「東洋発多神教」への転換という命題があるが、(比較法にしても消去法にしても)東洋における最大の盟主候補は日本をおいてほかにはいないとしても、それには、日・中・韓という東アジアの協力・連携なくしては、アジアの時代を全うすることは不可能だといえることから来ている。
このことからも日・中・韓が、いわば西洋のEUとでも言える関係を構築する必要性に鑑みて、あえて「内紛(内訌)」という表現を採ったものと理解したい。
そのほか本著には、我々の知らないような、日・中(韓)に絡む歴史的事実を、これでもかという程提示してくれるのだが、私たちは、そうした事実を偏りなく読み取ることが肝要であり、相互理解に至る大道だと知るべきであろう。
この日・中・韓という、近くて遠い国の関係が改善されるまで、著者の苦悩と努力は、まだまだ続くことだろう。
| モノづくりのこころ | 2008年03月 |
縄文塾塾長 中村 忠之
常盤 文克著 日経BP社 1,470円
著者は元花王の代表取締役である。東京理科大学卒、米スタンフォード大学留学、理学博士と言う経歴ながら、アメリカ型NBA型経営を否定し、理科系に偏らない「思いきって理文の枠を外せ」と説き、職人の技を尊重する異色の経営者である。
著者は元花王の代表取締役である。東京理科大学卒、米スタンフォード大学留学、理学博士と言う経歴ながら、アメリカ型NBA型経営を否定し、理科系に偏らない「思いきって理文の枠を外せ」と説き、職人の技を尊重する異色の経営者である。
著者は、日本の製造部門及びそれに付随する部門の比重が、GDPで大きな比率を占めていることを挙げると共に、課題として輸出される工業製品の内、わずか6業種で80%を占める現状(2003年度)に警鐘を鳴らし、新しい次世代型基幹産業育成の必要性を説いている。
著者はまた、日本型MOT(マネージメント・オヴ・テクノロジー)の必要性を説いているのだが、日本に於いてMOTは、
1. 理工学と経営学を融合させた教育・研究を行う大学院修士課程のプログラム
2. 企業戦略に合致した技術戦略を、立案できるエンジニアに与える資格(理工版NBA)
3. 企業に於いて技術を経営戦略に活かすことのできるマネージャー
4. 技術を中心とした経営戦略、あるいはマネジメント と幾つもの意味に使われているが、著者は日本型MOTを、(4)の経営戦略の1つとしてとらえ、次のように定義づけている。
1. 理工学と経営学を融合させた教育・研究を行う大学院修士課程のプログラム
2. 企業戦略に合致した技術戦略を、立案できるエンジニアに与える資格(理工版NBA)
3. 企業に於いて技術を経営戦略に活かすことのできるマネージャー
4. 技術を中心とした経営戦略、あるいはマネジメント と幾つもの意味に使われているが、著者は日本型MOTを、(4)の経営戦略の1つとしてとらえ、次のように定義づけている。
「MOTとは、マネジメントというテーブルの中央に技術を於いて議論すること、あるいは技術を中心にして経営戦略を立案し、実施していくこと」
日本の大学院に於いて確かにMOT講座が増えているのだが、テキストはアメリカ版の直輸入が多いことを指摘し、日本に於いて職人のモノづくり意識、夢やロマン、情熱・創意工夫・やる気などに敬意を払うべきだと強調する。
著者の経歴からは異質に思える職人の技だが、たとえば幕末黒船を率いて日本に渡来したペリー提督の、次のような言葉を紹介している、
実際的および機械的技術において日本人は非常に巧緻を示している。そして彼らの道具の粗末さ、機械に対する知識の不完全を考慮するとき、彼らの手工上の技術の完全なことは素晴らしいもののようである。(中略)他の国民の物質的進歩の成果を学ぶ彼らの好奇心、それらを自ら使用にあてる敏速さによって、これら人民を他国民との交通から孤立せしめている政府の排外政策の程度が少ないならば、彼らはまもなく最も恵まれたる国々の水準まで達するだろう。日本人がひとたび文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば、、強力な競争者として、招来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう。 (「ぺルリ提督 日本遠征記(四)岩波文化」
顧みれば、ペリーの予言の通り、瞬く間に産業革命を自家薬籠中のものとして「文明開化」した日本だが、先の大東亜戦争において一敗地にまみれた後、刻苦勉励によって、空前の発展を遂げた原動力こそ、職人を中心とした技術の力、すなわち(縄文に発する)「匠の技」ではなかったか。
ところがいまや、戦後高度成長に注がれた情熱は今や消え失せ、やる気を失い無気力になった若者の増えてきた現状は、その後モノづくりを3Kと卑しみ、モノづくりの前に人づくりを怠ってきたことの証左である。
著者が説くのは、東洋の古典「易経」の陰陽五行説が示す相互依存であり、「個」ではなく「集団」であり、昔の日本の姿に立ち戻ることである。アメリカ型(「個」の)経営は「晴れの日の経営法であり、日本には根付くことはない。
ただ問題は、多くの日本人が、グローバルスタンダードに名を借りたマネーゲームにうつつを抜かし、コスト面にこだわって、チャイナに製造をゆだねるという風潮である。著者は日本が、いまこそ奥深い「日本型モノづくり」に回帰することを願っているのである。
文中「知の揺らぎが企業を豊かにする」とか「独自の質に<経験価値>を加える」とか「職人型社員が製造業を支える」など、含蓄ある言葉を鏤(ちれば)める。理文の枠を大きく超えた著者の英知と教養が吐かせた言葉である。
いま多くに企業に見られる、考えられないような事件・事故、たとえば電力会社であってはならない原発での隠匿・虚偽報告などを見ると、経営のトップに、モノづくりスピリットを軽視する「アメリカ型NBA型経営者」の姿を見いだせるではないか。彼らは知らず知らず「モラルハザード」の道をひた走っているのだ。
世の経営者諸氏必見の1冊であろう。
| 文明の衝突を生きる―グローバリズムへの警鐘 | 2008年02月 |
町田 宗鳳著 法蔵館 2,100円
これは14歳で家出して出家し、以後20年間禅宗寺院での僧坊生活を送ながら、その後一転して名門(ボストンの)ハーバード大学(神学部)大学院で修士課程を修了、フィラデルフィアのペンシルバニア大学東洋学部で博士号を取得した後、プリンストン大学で助教授として教鞭を取るという「破天荒」な半生を送ってきた著者の自叙伝であり、記述の各所に鏤(ちりば)められた、(仏教を中心とした)日本宗教のもとでの社会構造の生んだ明暗と、その対極(良くも悪くも)キリスト教文明の最先端にある米社会の抱えた明暗について、またそれぞれの社会の中で、錯綜し、混迷し、しかも乱高下を繰り返している精神のゆらぎについての、示唆と含蓄に富んだ比較文明論でもある。
これは14歳で家出して出家し、以後20年間禅宗寺院での僧坊生活を送ながら、その後一転して名門(ボストンの)ハーバード大学(神学部)大学院で修士課程を修了、フィラデルフィアのペンシルバニア大学東洋学部で博士号を取得した後、プリンストン大学で助教授として教鞭を取るという「破天荒」な半生を送ってきた著者の自叙伝であり、記述の各所に鏤(ちりば)められた、(仏教を中心とした)日本宗教のもとでの社会構造の生んだ明暗と、その対極(良くも悪くも)キリスト教文明の最先端にある米社会の抱えた明暗について、またそれぞれの社会の中で、錯綜し、混迷し、しかも乱高下を繰り返している精神のゆらぎについての、示唆と含蓄に富んだ比較文明論でもある。
プリンストン大学では、学生にとって人気講座となりながら、大学(と言うより)アメリカ教育界の有り様とのギャップなどからも窺い知れるアメリカの限界が契機なのか、同著を書いた2000年には、一転シンガポール大学の日本研究科準教授、その後東京外国語大学教授(01~06)を経て、現在は広島大学大学院総合科学研究科教授、週末は福山市郊外の「ミロクの里」に小庵を構え、非僧非俗の暮らしを送っている。
我々は本著によって、葬式仏教に堕した日本仏教界の中に残された、唯一高潔な戒律を守る宗派と思ってきた禅宗すら、世襲や妻帯など世塵にまみれており、しかも修行の場ですら妬みやいじめの存在するミニ社会であったことを知ることになるのだが、そうした現実が著者をアメリカという未知の世界に誘(いざな)った原動力の一つであった。
著者のアメリカでの生き様を読み取れば、生半可な体力や神経では到底耐えられないほど厳しいものであって、当初語学のハンディに加え、日本における論理的手法を欠如した宗教学と、多方面から知的アプローチ・分析・比較を厳密に行うアメリカの宗教学との間に横たわる、決して埋められぬことのない乖離にチャレンジしながら、自らの宗教観を確立していく著者の行動力・知識欲に圧倒されるばかりである。
一方そうした著者に寄り添い、二回の難産にも耐え抜いた、決して頑強とは言えない夫人の生命力の凄さに、むしろ戦慄すら覚えるほどだ。
著者は自叙伝的記述の中に、日米の比較文化論をさりげなく織り込んでいくのだが、ある面では日本の状況を擁護し、また批判しながら、同じスタンスで平等にアメリカの問題を指摘している。
たとえば著者は、(文明の)「アフリカ的段階」から「アメリカ的段階」という表現をしているように、アメリカ文明が決して文明の終着点ではないことを強調し、息の詰まる日常生活のカタルシスの一例だとして、アメリカのドラマに見られるカーチェースと銃乱射のシ-ンの多さを挙げる。現在注目を集める複雑系」あるいは「カオス理論」なども、こうした文明社会を背景に生まれたとも謂えるのではないか。
もっともこれは、戦後60年以上平和国家として生きてきた日本に於ける、殺戮をテーマとしたテレビゲームの普及にも言えることだが、その辺り3D技術の進化が可能にした、グローバルなヴァーチャル・リアリティの恐ろしさを痛感させられる。
著者はまたアメリカが口にするグローバリズムの欺瞞性を、大航海時代世界に進出していったキリスト教宣教師たちの愚行とオーヴァーラップさせながら痛烈に批判するのだが、その背景にある、善か悪・黒か白、右か左という二元論によって、世界の平和や安寧がもたらされると思うのは幻想に過ぎないことは、中東の有り様を見れば明白である。なにしろその裏にはしっかり「商業主義」が根を張っているのだから。
著者は謂う。
本当のグローバリズムとは、「徳島人は阿波踊り、花巻人が鹿踊り、アイヌは鶴の舞を踊ることが(明恵の謂う)「あるべきようは」の世界なのである。徳島人も、花巻人も、アイヌも、アメリカ風のディスコ・ダンスしか踊れなくなれば、「一切悪しきなり」と言ってもよいだろう。
また西田幾多郎の言葉を借りて語れば、として、
「アメリカ的段階」は、主体的で、意識集中的な生き方が尊重され、自我が前面に打ち出された「主語的世界」であり、それとは対照的に何事につけ曖昧な日本人は、「場所的」で、下意識的かつ拡散的な「述語的世界」に生きているといえよう。
この指摘は奇しくも先月、同欄で紹介した、モントリオール大学金谷武弘教授の、『日本語には主語は不要』という説と見事に重なり合うことに、偶然以上のなにかを感じてしまうのだ。
サミエル・ハンチントン『文明の衝突』は、日本文明を独立したものと認めながらも、『日本語版への序文』の中で、「日本は自国の利益のみを顧慮して行動することも出来るし、他国と同じ文化を共有することか生じる義務に縛られることがない」とした上で、第二次世界大戦以降のアメリカと、今後発展が続くと見られる新興覇権国中国との狭間で、今後どちらに付くかの選択や対応に迫られる、という問題にぶつかるだろうとしている。
ハンチントンさえも安住している(アメリカかチャイナかという)西欧的二元論な視座に立った発想からは、決して迷路の出口は見つからないのは当然だが、彼にこうした予告をさせる、今までの日本の生き様に対する反省に立って、これからの日本の有り様と展望にというて、本著は一つの示唆を与えてくれるようだ。
つまり、現在曲がりなりに多神教という平和な宗教観を持っている唯一の先進国日本の採るべき道こそ、虚偽と打算と非妥協に満ちた似非グローバリズムに代わって、真実と思いやりと共生を基底とした本物のグローバリズムの実現ではなかろうか。
| 主語を抹殺した男/評伝三上章 | 2008年01月 |
金谷 武洋著 講談社 1,785円
本著の帯紙には、表紙側に大きく、
『日本語に主語はいらない』とあり、小さく「日本語文法を/英語の呪縛から解き放った/天才日本語学者/初の本格評伝」とある。
またその裏側には、
日本語は非論理的な言語ではない。文法が英語と違うだけだ。日本語の文法構造を初めて合理的に解明した三上文法。その先駆性ゆえに長らく不遇を託っていた『街の語学者』の生涯を、カナダ在住の日本が学者が敬愛を込めて描く。
と書かれている。考えようでは、これで全て言い尽くしている感がある。以下この帯書きを脳裏に入れて読んでほしい。
著者は東大教養学部でフランス文学を学び、国際ロータリークラブの奨学生としてカナダ・ケベック市のラヴァル大学に留学するが、数多くの外国語クラスを渡り歩く内に、次第にランス文学よりも「言語学」の魅力に取り憑かれていく。
その内に日本語の講座を受け持つことになるのだが、そこで(印欧語族と呼ばれる)フランス語や英語などと、日本語の間に横たわる大きな氷山に遭遇して頭を抱える。なにしろ理論武装として欠かせない日本国語教育の指針や指導要綱などがまるで通用しないのだ。
外国語と日本語を、相互置き換えるという場合、当然直訳ではなく意訳するという作業が必要になる。著者が最初に突き当たった壁は、たとえば「ジュ・テーム」 とか「アイ・ラヴ・ユー」という言葉を日本語に置き換えようとすると、「私はあなたを愛します」としたら、文章なら悪文そのものになるし、第一日本人が愛を囁くとき、誰もそんな野暮くさい言葉など決して使わないではないか。
多くの事例を通じて、まさに氷山に突き進むタイタニック号乗組員の心境で困り抜いていた著者に、日本の友人から送ってくれたのが、三上章の、『現代語法序説』と、『象は鼻が長い』という変わった題名の本であった。ここで著者は、初めて「日本語には主語はいらない」という画期的な理論に出会って、その疑問は一挙に氷解し、目からウロコを何枚も落とした彼は、たちまち三上章理論と、それを書いた三上章個人に傾倒することになる。
その後モントリオール大学に移った著者は、修士論文にこの「日本語主語不要説」を選ぶことになるが、その時の指導教授から、「(主語不要という)日本語の構文は、西洋の(ギリシャ語・ローマ語など)古典語に似ている」と指摘され、日本の国語文法学者が指標としてきた現在の英語・仏語などの文法概念が、決して普遍性を持たないことを知る。こうした経緯を経て、ますます三上章に傾倒していった著者は、どうしても彼の生涯を追ってみようと決意することになった。その成果が本著である。
三上章は、1903年高田郡(現在の安芸高田市)甲立村で生まれで、没年は1971年、すでに死後36年が経過している。三上は和算研究の数学者であった叔父三上義夫の薦めに従い、京都三高の理科甲類からの建築学科に進む。ちなみに三高時代の同級生に今西錦司、1級下に桑原武夫がおり、その後も長く交流を続けていた。
北海道出身でしかもカナダ在住の著者から、図らずも広島県出身の偉大な学者の存在を知らされることになった次第だが、ただ三上章が広島に住んだ期間はごく短く、広島市の修道中学で数学の教鞭を取ったも、ごくわずかの期間に過ぎない。
東大卒業後は幾つか屈折を経たあと数学教師の道を歩み、その後は一貫して数学教師を続けながら、天職とも言うべき日本語文法の道を進んだ変わり種で、生涯「街の語法研究家」という立場で過ごした。その間幾多発表した論文も、結局偏狭な日本の国語学会において認められることはなく、さりとて反論もされず黙殺・無視され続けるいう不遇な生涯を送くることになる。
著者が2003年から3回に亘って帰国し調査した「三上章の生涯」は、この一冊に圧縮され集約されているが、「評論」と謳ってはいるものの、さすがに言語学者、三上に対する敬愛の念が書かせた優れたノンフィクション作品の趣があり、近づきにくい文法という題材を扱いながら、平易な表現で一気に読ませてくれる。
三上は一生結婚しなかったが、彼の研究は妹茂子の献身的な存在の支えがなければ決して成功しなかっただろう。それほど妹茂子の存在は大きかった。 著者は執筆に当たって、茂子の驚異的な記憶力と文献の保存などに大いに助けられたとして、本書を三上茂子に捧げている。
また著者は、三上の生き様を幾人かの有名人と重ね合わせているのだが、その一人が国学の先駆者、僧契沖であり、もう一人はロンドン留学で神経を病んだ夏目漱石である。
晩年67歳の時請われて勇躍ハーヴァード大学に行くのだが、なぜか妹茂子が同行していない。もともと病弱の上、一切家事の出来ない晩年の三上にとって、慣れない外国での生活、到着時からすでに悲惨なものであった。結局心身共に疲れ果てた三上は、わずか2週間の滞在で自ら「敗北宣言」して帰国する。彼が亡くなるわずか1年前のことである。
著者によると、世界の日本語熱はすこぶる高く、(2002年の段階で)海外127ヶ国・地域での学習者は、実に235万6745人に上るという。これにテレビやインターネットでの学習者を加えると、それこそ膨大な人数に上るのだが、そうした人たちに対する日本語教材として、いまだに適切とは言えない教材と教師に多く依存しているという問題がある。
本著は三上章の優れた評伝であると同時に、「学閥や古い理論に凝り固まって新しい才能の台頭を許さぬ、日本の既成学界に対する痛烈な批判」と、「ここらで硬直した文法呪縛を解き放ち、三上文法に依拠した『主語不要日本語文法』普及が急務」であることを、われわれに、また日本語指導に行き詰まっている教師たちに指し示してくれる。
<付 記>
三上章と叔父義夫とは、それぞれ海外で認められ、死後国内でも評価され、その著書がロングセールを続けるという因縁的共通点を持っている。考えようでは(文字通り)「以て瞑すべし」とも言えるが、ただ叔父三上義夫の「そろばん碑」は広島市に建立されたものの、三上章の顕彰碑はまだない。
ちなみに著者が住むモントリオール市は、1998年に広島市と姉妹都市縁組を締結しているが、その際通訳として立ち会った縁もあるところから、最近始まったメール交換の中で、著者より中村に、「三上章顕彰碑の実現に一臂の助力」の依頼があったことをお伝えしたい。
本著の帯紙には、表紙側に大きく、
『日本語に主語はいらない』とあり、小さく「日本語文法を/英語の呪縛から解き放った/天才日本語学者/初の本格評伝」とある。
またその裏側には、
日本語は非論理的な言語ではない。文法が英語と違うだけだ。日本語の文法構造を初めて合理的に解明した三上文法。その先駆性ゆえに長らく不遇を託っていた『街の語学者』の生涯を、カナダ在住の日本が学者が敬愛を込めて描く。
と書かれている。考えようでは、これで全て言い尽くしている感がある。以下この帯書きを脳裏に入れて読んでほしい。
著者は東大教養学部でフランス文学を学び、国際ロータリークラブの奨学生としてカナダ・ケベック市のラヴァル大学に留学するが、数多くの外国語クラスを渡り歩く内に、次第にランス文学よりも「言語学」の魅力に取り憑かれていく。
その内に日本語の講座を受け持つことになるのだが、そこで(印欧語族と呼ばれる)フランス語や英語などと、日本語の間に横たわる大きな氷山に遭遇して頭を抱える。なにしろ理論武装として欠かせない日本国語教育の指針や指導要綱などがまるで通用しないのだ。
外国語と日本語を、相互置き換えるという場合、当然直訳ではなく意訳するという作業が必要になる。著者が最初に突き当たった壁は、たとえば「ジュ・テーム」 とか「アイ・ラヴ・ユー」という言葉を日本語に置き換えようとすると、「私はあなたを愛します」としたら、文章なら悪文そのものになるし、第一日本人が愛を囁くとき、誰もそんな野暮くさい言葉など決して使わないではないか。
多くの事例を通じて、まさに氷山に突き進むタイタニック号乗組員の心境で困り抜いていた著者に、日本の友人から送ってくれたのが、三上章の、『現代語法序説』と、『象は鼻が長い』という変わった題名の本であった。ここで著者は、初めて「日本語には主語はいらない」という画期的な理論に出会って、その疑問は一挙に氷解し、目からウロコを何枚も落とした彼は、たちまち三上章理論と、それを書いた三上章個人に傾倒することになる。
その後モントリオール大学に移った著者は、修士論文にこの「日本語主語不要説」を選ぶことになるが、その時の指導教授から、「(主語不要という)日本語の構文は、西洋の(ギリシャ語・ローマ語など)古典語に似ている」と指摘され、日本の国語文法学者が指標としてきた現在の英語・仏語などの文法概念が、決して普遍性を持たないことを知る。こうした経緯を経て、ますます三上章に傾倒していった著者は、どうしても彼の生涯を追ってみようと決意することになった。その成果が本著である。
三上章は、1903年高田郡(現在の安芸高田市)甲立村で生まれで、没年は1971年、すでに死後36年が経過している。三上は和算研究の数学者であった叔父三上義夫の薦めに従い、京都三高の理科甲類からの建築学科に進む。ちなみに三高時代の同級生に今西錦司、1級下に桑原武夫がおり、その後も長く交流を続けていた。
北海道出身でしかもカナダ在住の著者から、図らずも広島県出身の偉大な学者の存在を知らされることになった次第だが、ただ三上章が広島に住んだ期間はごく短く、広島市の修道中学で数学の教鞭を取ったも、ごくわずかの期間に過ぎない。
東大卒業後は幾つか屈折を経たあと数学教師の道を歩み、その後は一貫して数学教師を続けながら、天職とも言うべき日本語文法の道を進んだ変わり種で、生涯「街の語法研究家」という立場で過ごした。その間幾多発表した論文も、結局偏狭な日本の国語学会において認められることはなく、さりとて反論もされず黙殺・無視され続けるいう不遇な生涯を送くることになる。
著者が2003年から3回に亘って帰国し調査した「三上章の生涯」は、この一冊に圧縮され集約されているが、「評論」と謳ってはいるものの、さすがに言語学者、三上に対する敬愛の念が書かせた優れたノンフィクション作品の趣があり、近づきにくい文法という題材を扱いながら、平易な表現で一気に読ませてくれる。
三上は一生結婚しなかったが、彼の研究は妹茂子の献身的な存在の支えがなければ決して成功しなかっただろう。それほど妹茂子の存在は大きかった。 著者は執筆に当たって、茂子の驚異的な記憶力と文献の保存などに大いに助けられたとして、本書を三上茂子に捧げている。
また著者は、三上の生き様を幾人かの有名人と重ね合わせているのだが、その一人が国学の先駆者、僧契沖であり、もう一人はロンドン留学で神経を病んだ夏目漱石である。
晩年67歳の時請われて勇躍ハーヴァード大学に行くのだが、なぜか妹茂子が同行していない。もともと病弱の上、一切家事の出来ない晩年の三上にとって、慣れない外国での生活、到着時からすでに悲惨なものであった。結局心身共に疲れ果てた三上は、わずか2週間の滞在で自ら「敗北宣言」して帰国する。彼が亡くなるわずか1年前のことである。
著者によると、世界の日本語熱はすこぶる高く、(2002年の段階で)海外127ヶ国・地域での学習者は、実に235万6745人に上るという。これにテレビやインターネットでの学習者を加えると、それこそ膨大な人数に上るのだが、そうした人たちに対する日本語教材として、いまだに適切とは言えない教材と教師に多く依存しているという問題がある。
本著は三上章の優れた評伝であると同時に、「学閥や古い理論に凝り固まって新しい才能の台頭を許さぬ、日本の既成学界に対する痛烈な批判」と、「ここらで硬直した文法呪縛を解き放ち、三上文法に依拠した『主語不要日本語文法』普及が急務」であることを、われわれに、また日本語指導に行き詰まっている教師たちに指し示してくれる。
<付 記>
三上章と叔父義夫とは、それぞれ海外で認められ、死後国内でも評価され、その著書がロングセールを続けるという因縁的共通点を持っている。考えようでは(文字通り)「以て瞑すべし」とも言えるが、ただ叔父三上義夫の「そろばん碑」は広島市に建立されたものの、三上章の顕彰碑はまだない。
ちなみに著者が住むモントリオール市は、1998年に広島市と姉妹都市縁組を締結しているが、その際通訳として立ち会った縁もあるところから、最近始まったメール交換の中で、著者より中村に、「三上章顕彰碑の実現に一臂の助力」の依頼があったことをお伝えしたい。



