| ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門 | 2007年03月 |
この本は、私のPC師匠のSさんが、自称「電脳乱雑空間」の余りの無秩序さに呆れて、かつてこの本で見事変身したという実績から、進呈して下さったものである。ごく最近でも知人に顕著な効果があったという謳い文句だったが、読後あろうことか、早速我が会社に、空き段ボールをごっそり頼んだくらいだから、どうしてどうして、実際に説得力満点の1冊である。
勿論「片付け下手の散らかし上手」では人後に落ちず、しかも「整頓は弥生の習性」と嘯き、「綺麗すぎると人が近寄らない」などとほざいて憚らなかったのだが、その実内心、これではその内に例の「ゴミ屋敷になるんでは」という強迫観念に近い思いもあったので、不眠を逆手にとって一気に読破した。
「風水整理術入門」とあるように、著者は風水を活用した建物浄化作業「スペース・クリアリング」という分野のパイオニアとして活躍し、本書は世界14カ国で翻訳され80万部というベストセラーになっているが、内容は常識的な風水書ではないし、難解な風水定位盤の代わりに、ごくわかりやすい独特の定位盤を用いて、誰でも簡単に建物や住居のあり方を示してくれる。
本書は、第1部で、ガラクタとは何かという理解から始まり、第2部では、ガラクタの見分け方、そして第3部でガラクタの処分法を伝授してくれるのだが、巧みな筆致で、ガラクタ・コレクターの弱点をグイグイと突いてくる。
たとえば第1部では、ガラクタを溜め囲まれることは人生の停滞だとして、精神だけでなく身体そのものも不要なもの(贅肉・脂肪・便秘)を溜め込んだ人が多いと指摘する。またなぜガラクタを溜め込むかという理由についても、大いに納得の出来る回答を用意してくれている。
第2部では、各部屋でのガラクタ占拠率を集計し、それを部屋数で割ると、平均ガラクタ占拠率が出るが、その数字を知れば、整理しなくてはおれなくなること請け合いである。
またガラクタの分類でも、明確な仕分けから、モノが滞る理由、特に「紙」の洪水に対する対処法を明示してくれる。いつも悩むのが、「またいつか必要になる」「この前捨てたばかりに~」などという理屈など、木っ端みじんに打ち砕いてくれる。
第3部では、いかにガラクタを整理するか、身辺がすっきりしたら、いかにハッピーになるかを知らせてくれる。その一方で、いわゆる「潔癖性」の人による、味も素っ気もない、寒々とした整頓は否定している。
加えるに日本人は、「勿体ない」という感情が強いこともあるが、結局死蔵していることの方が、勿体ないことだと悟る必要があるそうだ。
結びで著者は、ガラクタを整理することで、「身体を、心を、感情を、そして魂を綺麗にしなさいと説いている。こうした点が普通の「整頓術」の本と違うところだが、残念ながら著者の指摘の一つ一つが、ストンと腑に落ちる。こうなったら潔くその軍門に下るとして、カミさんにもこの本を大急ぎで読まさなければ~。
| 祖国とは国語 | 2007年02月 |
松浦 育郎(寄稿)
大ベストセラー「国家の品格」の著者が、それに先立つ2000年から2003年かけて書かれたエッセイを文庫化されたものである。本書 は「国語教育絶対論」「いじわるにも程がある」「満州再訪記」の3篇から成っている。
「国語教育絶対論」は、明治大学教授で「声に出した読みたい日本語」の著者齋藤孝に「ああ、この人に文部科学大臣になってもらいたい」 といわせた教育論である。著者はまず、日本の現状を危機と見る。外交上も経済上もであるが、教育の乱れがその本質ではないかと説く。ゆと り教育路線が定着してから、学力は着実に低下し続けている。ゆとり教育が解決を目指した落ちこぼれ、いじめ、不登校、学級崩壊なども一向 に減る兆しを見せない。次に述べる所論には全く同感としか言いようがない。漠然と感じていたことを顕在化させてくれた。
1.国語はすべての知的活動の基礎である。
情報伝達のため最重要なのは読む、書く、話す、聞くであるという。これができていないと思考がままならない。語彙を多くするため、漢字 を多く知らねばならない。小学生の頃の、記憶力が最高で、退屈な暗記に対する批判力が育っていないこの時期を逃さず叩き込まなくてはなら ない。強制で一向に構わないという。このためには読書が最良の手段である。読書は教養の土台であり、教養は大局観の土台である。大局観は 長期視野と国家戦略の基本である。これが失われていることを嘆く。
2.国語は論理的思考を育てる
日本の大学生がアメリカの大学生に比べて論理的思考に弱いことについて、国語による論理的思考の習得を説く。書くことや討論を通じて物 事を主張させることの重要性を言う。筋道を立てて相手を説得させることが論理の始まりであるという。
3.国語は情緒を培う
人生のいろんな体験を通じて培われる情緒が人間を作る。直接体験だけではなく、読書を通じた経験が更に幅を広げる。日本には情緒に満ち た著作が古今を通じて多い。これらから学ぶことが必要である。特に年齢に応じた読書は重要である。
4.祖国とは国語である
本著の表題であるこの言葉は、フランスのシオランという人のものである。他民族の国では共通の言葉がアイデンティティーであり、祖国、 祖国愛であるという。
5.これからの国語
最近有名になっている「小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、後は十以下」。ルビつきでよい 、文語の語調のよさも大切である。 今分からなくても、語調として覚えておけば、いつか分かるときがくるのである。
その他、英語第二公用語無用論、犯罪的な教科書、まずは我慢力などの教育論が続く。
「いじわるにも程がある」
家族の間で発せられる「発見ノート」にまつわる話や、父新田次郎と母藤原ていの思い出、 畏友山本夏彦との交友などが軽妙な語り口で書 かれており、楽しく読める。
「満州再訪記」
著者の出生地である満州瀋陽を家族で訪問したときのドキュメントである。満州の成り立ち、当時の日本の状況などにソ連侵攻から逃避行の 記憶、父母のことなどをを混ぜ合わせて楽しくまた切実に記述してある。その逃避行を書いた母藤原ていさんの「流れる星は生きている」(中公文庫)を併せて読まれることをお勧めする。
| 国家の品格 | 2007年01月 |
著者は小説家新田次郎と藤原ていという、優れた文科系両親に持つ(理数系の)数学者だが、その血筋は争えず軽妙でしかも情緒溢れるエッ セーでも有名であり、本書も又わかりやすい筆致ながら、適切な表現でかつての日本が持っていた、しかし今失われてしまった、世界に冠たる 資質そして思想を的確に私たちに指し示してくれる。
100万部を超える大ベストセラーになったのも、むべなるかな!
著者はその経験を通じて、「論理」だけでは世界は破綻すると警告し、戦後欧米型の論理優先型社会への変貌が、日本をおかしくしてきたと 指摘する。数学から敷衍して、(たとえば風が吹いたら桶屋が儲かる式の)「長い論理」は危ういのだと謂う。この典型が(国際人になるため に)「小学生から英語を教える」という発想がそれである。
これが真実なら英米人はみんな国際人になるはずだと切って捨てる。
いま大きな問題になっている子供たちの精神的荒廃に、殺人は悪いことだと教えたり、学校にカウンセラーを置くよりも、強者が弱者をいじ めたり、大勢で少数者を襲ったりすることは、「卑怯なことだからしてはいけない」そして「ダメなものは絶対ダメだ」と教えなさいと説く。 「殺人」については、戦争で人を殺したり、凶悪人を死刑にしたり、警官が正当防衛でピストルを撃ったり、「殺人」の正当性はいくらでもあ るのに、「殺人はいけない」という論理は通用しないのだという。
そうした規範こそ「武士道」だと著者はいう。日本の武士道には「もののあわれ」という「弱者をいたわる思想」が、そして美しい情緒が内 蔵されているからである。
美しい情緒は、日本という美しい国柄(風土)が生んだもので、ここではただ咲いた桜が美しいだけではなく、そのはかない命だから散り際まで 美しいのである。
著者は、「自由と平等」とか、「民主主義は善」という発想を、偽善であり幻想でしかなく、むしろ平等よりも「惻隠の情(相手の気持ちを 推し量る、思いやる)」を持つべきだと強調する。また強者が弱いものに勝つに決まっているのに、自由競争がいいわけはないではないかと指 摘する。
実は弱者が強くなったのはヴェトナム戦争以降だが、著者は1990年頃から、アメリカで生まれ、世界中に蔓延している「悪疫」に、「ポ リティカル・コレクト」、実際は「弱者こそ正義」だという考え方があるという。弱者とは社会的=(黒人などの)マイノリティや身体的=身障 者・婦女子・老人・子供などである。こうした考え方からは真の幸福は生まれることはないという。
著者は又、「美しいところにしか天才は生まれない」として、もし万葉集ごろから、ノーベル文学賞があれば、日本では30を超える受賞者 がいただろうとして、アイルランドやイングランドに多くの天才が生まれたという事例を挙げながら、日本は、いわゆる「普通の国」を目指す ことなく、「異常な国」であり続けなさいと説く。
そして最後に戦後日本が失い続けてきた「国家の品格」を取り戻すために、幾つかの条件を挙げているが、それは読んでのお楽しみにしてお きたい。



