| 地衣類のふしぎ | 2010年03月 |
柏谷 博之 著
ソフトバンク クリエイティブ株式会社 発行
『地衣類』という生物は、コケとよく似ており、「○○ゴケ」というような名前を持つものが多いので混同されやすいらしい。しかし、コケは単独の生物で緑色植物に属し、地衣類は菌と藻の共生体で菌類に属する。本書を読むまで、木でもなく草でもなく地面や壁にへばりついている「あれ」は、全部コケだと思っていた。外で見ると地味な地衣類も、本書に掲載されている接写された拡大写真を見ると、かたちも変化に富んでおり、美しい。
それにしても、これまで地衣類とかコケなど目もくれたことのなかった私が、なぜ、この本に惹かれたのだろうかと自問してみた。たぶん、書店で手に取り頁をめくったとき目にとまった『共生』という言葉に心をとらえられたのだと思う。
「菌類は地衣体の中で安定した生活の場と水や無機物を藻類に与え、代わりに藻類が光合成でつくる栄養(炭水化物)を得ている」(本書より)
自分と会社・地域社会の関係とオーバーラップするような気がした。ここに、私にとって重要な示唆を含んでいるような気がしてならない。(哉)
| インド夜想曲 | 2010年02月 |
アントニオ・タブッキ 著 須賀敦子 訳
株式会社白水社 発行
『あの小説を読みかえしたい』と頭の隅で思いつつ10年以上経ってしまった。ネットで探そう。PCの前に座ったら検索してみようと思いつつ、また日が経つうち、町のいつもよく行く書店の棚で見つけた。
なぜ、私の心の中で、浮きつ沈みつしながらも、引っかかっていたのだろう。その理由を探るように本書を開いた。
『失踪した』友人の所在を求めて、インドを放浪する男が主人公。彼が、ポンベイ、マドラス、ゴアといった町で出会う人々は、現在のインドという国を体現している人たち。タクシードライバー、娼婦、牧師、占いをする少年、ホテルのボーイ…。
第一人称で語られる文章は、謎めいていて、推理小説のような感じもするが、読みながら、手に汗を握る…という類いの小説ではない。明確な解決が示されるわけでもなく、そもそも問いからして読者に取っては曖昧模糊としている。最後の頁までたどり着いたら、おぼろげながら、作者の意図が見えるような気もした。しかし、それが正しいかどうかはわからない。
主人公の目に映る情景は詩的で美しい。たとえ、そこが貧富生死がごった煮となった場所であり、そこにいるのは寂しい人間ばかりであるとしても。
初めから終わりまで、ずっと夢を見ているような感じ。それを味わいたい。この小説が、密やかに私の心の片隅に残って来た理由かもしれない。「インド夜想曲」というタイトルは、まことに適切だと思う。同じ著者で、「遠い水平線」という本もあり、これも同じように淡く長く私の心に留まり続けている。(哉)
| この世界の片隅に 上・中・下 | 2010年01月 |
こうの史代 著 株式会社双葉社 発行
「江波の出ている漫画があるんよ」
その江波在住のKさんが興奮した声で教えてくれた。
本を開いてみて、うなずいた。第二次世界大戦前、中、そして戦後に少しまたがっているといった時代のお話だが、江波(現在、広島市中区内)から呉市に嫁に行った「すず」という女性が主人公。作者は、話題の漫画『夕凪の街 桜の国』を描かれた方だ。
上巻の2話目に、子供時代のすずが、草津(現在、広島市西区内)の親戚から江波の自宅に干潟を歩いて帰る様子が描かれている。現在では広大な埋め立て地が広がり、海岸線が沖に出て、さらにコンクリートの護岸で固められ、干潟の景色など望むべくもない。
また、すずは、海苔を洗ったり干したりする作業を手伝ったりしているのだが、そんな光景も現在は見ることができない。本書を教えてくれたKさんがグッときたわけもわかるような気がした。もちろん私も、グッときた。著者の略歴を見ると、私よりもお若いのに、現在は幻となってしまった情景を見事に再現されており感心した。
それにしても、登場人物、とりわけ主人公のすずがとても魅力的だ。清純で、まっすぐで、夢見がちな、少女のような若い妻。夫の周作も、おとなしいけれども男らしい性格。ひとつひとつの絵、セリフから、若い夫婦がお互いに相手を想っている気持ちが伝わってくる。すずと周作の出会いは、伏線がきいており、途中まで読んだところで、「なるほど!」と思わず手をうった。
呉の大空襲や原爆など悲しい出来事に見舞われるが、優しいタッチの絵と、登場人物たちの醸し出すしみじみとした雰囲気に、読むものは救われる思いがするだろう。(哉)
| クリスマス・カロル | 2009年12月 |
ディケンズ 著 村岡花子 訳 新潮文庫
金儲けのことしか頭になく、困っている人に一銭も恵んでやろうなどと思っていない、嫌われ者の老人スクルージのもとにかつての相棒マーレイと3人の幽霊が現れた。スクルージは、幽霊たちにつれられて、過去・現在・未来の自分の幻影を目の当たりにすることになる。
子ども時代、ひとりぼっちで過ごしていた自分。青年時代、守銭奴への道を歩み始めたスクルージと、それに愛想を尽かした婚約者とのやりとり。現在、自分をクリスマスパーティーに招待してくれた甥とその家族の中で交わされる自分の噂。そして、未来。ケチで冷酷な男として死んで行った自分のことを悪し様にけなす人々。見たくもない幻を、幽霊たちと見ていくにつれて、スクルージの心に変化が起こる。固く氷のように閉ざしていた心が、自分以外の人間に対して開き始めたのだ。そんなストーリーだが、出現する幽霊のイメージや、幻想的なシーンは150年以上も前に書かれた小説とは思えないくらい、特撮的な表現だ。現在、ディズニーの映画として公開されていることもうなずける。
(クリスマスは)「親切な気持ちになって人を赦してやり、情けぶかくなる楽しい時節ですよ」と、スクルージの甥が言う。
私は、スクルージほどお金への執着心はないが、引きこもりがちな性格なので、もしかしたらクリスマスの晩、幽霊の訪問をうけるかもしれない。怖くもあり、訪ねて来てほしいような気もする。(哉)
| 葛飾ブランド 葛飾町工場物語 | 2009年11月 |
発行:葛飾区/東京商工会議所 葛飾支部
東京都葛飾区は、町工場集積している場所であり、地域の技術のすばらしさを紹介していこうと設けられたのが「葛飾ブランド」。本書は、その中で選りすぐられた10社を親しみやすい漫画で紹介したものです。メッキ加工、極薄ゴムシート、ツインメガホン、ペンクリップ、メガネフレーム、セルロイド雑貨、ケーブルをまとめる器具、美術館の展示ケース、六角ナット。様々な物が、葛飾の町工場から生み出されていることがわかります。JGASの記事でも紹介した布地への染色の会社も「葛飾ブランド」です。当社が所在している舟入にも結構工場があります。本書に刺激され、「舟入ブランド」というものがほしいなと思いました。
(哉)
| 偏愛マップ ―ビックリするくらい人間関係がうまくいく本― | 2009年10月 |
斎藤 孝 著 新潮文庫
自分の「偏愛するもの」を自由なかたちで書き出していくのが「偏愛マップ」。ふだんあまり話しをすることがない人とテーブルをはさんで「書きあいこ」すると、相手との思わぬ共通点が見つかって、一気に盛り上がる。合コン、婚活パーティーでこれをやると、効果てきめん。意気投合したカップルがあちこちに出現するという。
人とおしゃべりしても、イマイチ話が盛り上がらないのは、お互いに相手の好きなことを知らないということも原因であろう。偏愛マップは、このような事態を楽しく解消してくれそうだ。
本書には、偏愛マップの例として、著者が書いたマップが載っている。岡本太郎、向田邦子、坂口安吾、寺山修司、etc…。彼らの「偏愛するもの」を著者が推測して書いたものだ。眺めているだけでもおもしろく、怪しいマップの数々。このように、作者になり代わって偏愛マップを書けば、読書がより楽しいものになるだろう。
名刺の裏に自分の偏愛マップを乗せている人もいるとか。本書を参考にして、みなさんも偏愛マップに取り組んでみられてはいかがだろう。
(哉)
| オリジナルワーキング 独創的仕事人のセオリー | 2009年09月 |
高橋宣行 著 株式会社ディスカバー・トゥエンティーワン 発行
クリエイティブな仕事をするために、本書では、「知る・想う・創る・動く」というセオリーを提唱している。
社会のこと、客のこと、競合先のこと、その他何でも「知る」
高い志をもって、大きな夢を「想う」。
自らの想いをわかりやすくかたちにする。「創る」。
相手との絆を永続させ、深化させるように「動く」。
著者は、かつて博報堂に勤め、現在フリーのアドバイザーをされているということ。広告を作ろうと考えている人たちにとってとても有意義な本に違いない。
広告会社に勤めているわけではないが、この「タニシインフォメーション/舟入散歩」を担当している私にとって、本書で述べられていることは、大いに参考になる。というよりも、その仕事中、いつも考えてはいるが、漠然としていたことを明確な言葉で語ってくれたという感じだろうか。
独創的な発想は、感性を磨くことから始まる。著者が勤めていた会社では、その方法として、社員にデパートの地下から屋上まで見て回るということを課していたそうだ。様々な人の気持ちを理解できてこそ、人の心に突き刺さる仕事ができると筆者は言う。
ライオン、サントリー、ユニクロ、ソニー、スターバックス、新潮社…、その他の、企画に携わっている方々がどういうストーリーを作り出そうとし、実際に作り出してきたか。その事例が、「知る・想う・創る・動く」という項目にそって、わかりやすく紹介されている。
また、本文中の重要箇所や、見開きの右ページは手書きのデザインを採用し、見た目も楽しく、独創的な本だ。
(哉)
| 自分でやってみた男 | 2009年08月 |
堀田 純司 著 講談社アフタヌーン新書
いろいろ理屈はつけてみても、ようするに「やってみたかっただけ」ということは、よくあることだ。本書もそのひとつ。好きな映画のワンシーンを自分たちで再現している。
子供のころは、ヒーローに変身して暴れまくることができたが、大人になって同じことをやると、まわりから白い眼で見られる。しかし、本書の著者と、彼の仲間たちは「やってみた」。
スパルタ軍の戦士やゾンビをはじめとして、どちらかというとビミョーな映画の登場人物などを、大まじめに演じ、その写真が載せられている本書。ジョークと呼ぶには、手間ひまかかり過ぎている。鍛えられているのか、単にメタボなのか、たくましい(?)男たちが、恥ずかしげもなく素肌をさらす。大スペクタクル映画をやってみたくても、人数が足りないので、コンピューターで増殖させたり、女性役がみつからなかったのか、あやしい人形を代役にしたりと、やりたい放題だ。
パラパラ頁を繰ると、よい歳のおじさんの仮装写真のおもしろさばかりが目を惹くが、本文の文章が、すばらしくおもしろい。映画の蘊蓄やら、コスプレ写真撮影時のエピソードなどについて書かれた文章は、普段の会話のなかで話題に困ったとき役に立ちそうな気もする。もっとも、わかる人には(おそらく)わかる的な内容ではあるが。
それにしても、いい歳をした連中が集まって、互いに蘊蓄を語りながら、わきあいあいと映画のシーンを真似しているところを想像すると、こちらまでワクワクしてくる。わたしも「やってみたく」なった。
(哉)
| 渚と街角の神話 | 2009年07月 |
福島清 著
松山市の沖に由利島という無人島があり、そこに電話機のない電話小屋があるという。同じ伊予灘にある二神島の漁業協同組合がひいたものだが、海底ケーブルが不通となって電話機が撤去され、小屋だけが残っているというわけだ。かつて電話機があった頃には、その傍らには常に10円玉が積まれており、利用者の礼状がいくつも貼られていたという。本書に書かれているエピソードの一つだが、私は、無性に由利島へ行きたくなった。それも、現在のではない、電話機のそばに10円玉があった頃の島へ。
さらに、由利島には桟橋がなく、小舟に乗りかえて、この、砂州のある島へ上陸しなければならないという。そして、浜辺と樹林の境界には、サボテンが数カ所、群生していると書いてある。「明日の予定なんか全部キャンセルにして…♪」、そんな気分。なので、ちょっと由利島散歩に行ってきます。
というわけにはいかない…。いや、行ってもよいが、そうしたら、このタニシインフォメーション作成の時間が非常に短くなって、自分の首を絞めることになる。しかたないので、本書を再読して島旅への渇望を癒すしかないか。
福島さんが広島市の画廊で本書の原画展をされたとき、少しお話をした。そして、氏の持っておられた取材のメモ帳を見せていただき、いたく感動したものだ。そうしたら、そのひと月後くらいに、胸騒ぎを覚えるほどに膨らんだ郵便物が私のもとに届いた。例の手帳と、本書のソフトカバー版の本書(市販されている通常版はかたい表紙)。どちらものしがついていた。
福島さんは、現在、夏に予定されている京都での個展の準備中とのこと。
(哉)
| ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影 | 2009年06月 |
内堀 弘 著
ちくま文庫
昭和初期、鳥羽茂という人がいた。ボン書店という出版社を一人で経営し、シュルレアリスムなど、当時の最先端の詩集などを刊行した。7年間の活動の末、忽然と姿を消した不思議な出版社ボン書店。選ばれた紙と素材を使い、鳥羽自身が活版印刷し、製本も手がけたらしい。大手の出版社が出す豪華本とは比べ物にならないが、貧しいながらも、独特の美意識で貫かれた瀟洒な本の数々は、美的なセンスでは豪華本を凌ぐほどの出来。若い詩人たちを魅了したようだ。
そんなボン書店は、鳥羽本人の他界で自然に消滅。夢の中の出来事のような、小さな出版社。その実体とはどのようなものだったのだろうか。著者は、当時を知る人々や記録にあたり、想像力を駆使して、鳥羽の残した痕跡を追う。まるで足跡を消しながら歩くような鳥羽の人生をたどるのは困難を極めたようだ。結核に冒され、妻に先立たれ、幼いわが子を連れて東京を去った鳥羽だが、最期の時をどこで迎えたかということすらわからない。ところが、本書の初版の単行本発行以後、著者のもとに届いた新情報で、それまで見えなかった事実が明らかとなり、晩年の鳥羽の姿が『文庫版のための少し長いあとがき』として収録されている。そこに語られていることは、せつなく、悲しい。できることなら、読まずに本を閉じてしまいたいほどに。
でも、こういう生き方をした人がいたということを知ることができて良かった。人はみな、それぞれが自分の名前を冠した店の店主みたいなものだから。
(哉)



