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今月の写真 2007年02月

  ホソヒラタアブ
ホソヒラタアブ
1月初旬、庭の蝋梅にいるホソヒラタアブ、真冬の今も活動している。
(2007.1.8 撮影)

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今月の言葉(2月) 2007年02月

梅一輪一輪ほどの暖かさ

―嵐雪 

 梅の季節である。むかしから万木に先駆けて開花するので「春告草」の別名がある。

 植物学的にはバラ科の落葉樹。近来は園芸技術の発達で花の季節感が薄れているが、梅の花は、まぎれもなく春の序曲を彩る。

 冒頭の句は、芭蕉の門下、十哲の一人、服部嵐雪の代表句。梅が咲く時期は、冬の名残雪が舞う日もあるが、むかしもいまも春を待つ心情はかわらない。

 冬に咲く寒梅の品種もあるが、「冬梅の既に上を含みおり」と高浜虚子も、待春への思いを詠んでいるほどである。

 地球の温暖化の波及で自然現象に変化が云々される昨今。梅の梢に点々と蕾が吹き出すと気持ちがなごむ。それは桜の開花とはまた違った季節の風情がある。

 梅の原産地は中国。初期の遣唐使時代に薬用として持ち帰ったという。梅の薬用については、歳時記にも書かれており、いまここで詳述はさける。が、万葉集には梅を詠んだ歌は百数十首にのぼり、当時、花といえば梅の花に代表されていたほど。桜は、少なく四十五首ぐらいだとされていたが、平安時代、恒武天皇時代から観桜宴が盛んになり、しだいに花の座は、梅から桜に、詠まれる和歌も桜の賛歌へ変遷する。

 しかし、花=桜の前座をつとめる梅をこよなく愛した人は、昔もいまもいる。

 梅花の悲劇の主人公といえば、菅原道真。平安前期。漢学者で時の宇多天皇に重用され、右大臣に。それが藤原時平の中傷により太宰権帥に左遷、大宰府に配流された人。

 「東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と詠んだ。その故事にちなんだ梅(飛梅)が大宰府天満宮にはある。

 梅の咲く時期はまた受験シーズン。菅原道真にゆかりのある社には、合格祈願の若者が押しかける。私が「二月の言葉」に冒頭の句をあげたのは、風雪に絶えて萌芽、蕾から花、そして実となる梅の一生に人生を見るから。 この句は『梅の時候句』だけでなく人生句。

 

 「紅梅にたつ美しき人の老い」

 

 俳人・富安風生が大宰府の梅林で詠んだ句を思い出した。

 

(風彦)

今月の言葉

雑感(2月) 2007年02月

代表取締役 田河内秀子

 我が社に野良猫の親子が住んでいます。黒い小柄なお母さん猫と白黒の子猫二匹。
 十二月の初め頃だったか、生まれたばかりの子猫と母猫が会社の庭に姿を現した時、とにかく道路に出て行かないようにするにはどうすればいいのかとみんなで考えましたが、いい知恵がでてきません。そうこうする内に初めは五匹いた子猫が二匹に減ってしまいました。それで、いつも名刺の仕事で協力いただいている同業の方に相談しました。早速彼は、猫用のハウスとトイレ用の砂をいれた入れ物、水入れを持って来ました。毛布やネコ用フードと缶詰もお土産です。野良猫ですので、はじめは警戒して近寄りませんでしたが、次第にハウスの中で三匹が仲良く寝るようになり、昼間はハウスの上でくつろいでいます。缶詰をやるとお母さん猫はなかなか来ない子猫を呼んだりします。子猫もずいぶん大きくなって、大柄な方の子猫はそろそろお母さん猫を追い越しそうです。
 名刺屋さんの彼が言うには、トイレと水と暖かい住まいがあれば、わざわざ道路に出て行くことはないとのこと。本当にそのとおり猫達はハウスをすっかり我が家と思ってくつろいでいるので、みんな安心して仕事が出来ます。
 しかし、まるっきりの野良猫で、全く人に馴れません。毎日朝に晩に、餌をやるのですが、近づくと『ハー』と威嚇します。子猫もちっとも馴れません。
 しかし、その媚びない態度、餌をくれるのは当たり前だ、という態度は、それはそれでいさぎよいものです。
 もうすぐ春です。猫も恋の季節。母猫が又妊娠しないように、早めに避妊手術をしないといけないのですが、さてどうやって捕まえるか。
 名刺屋さんは、自分の会社の仕事場で、何匹も野良猫の世話をしていて、それだけでも餌代が大変なのに、我が社の野良猫にまで、時々これは美味しいキャットフードだからと差し入れを持ってきてくれます。
 売上を上げなくてはとか、経費を削減して利益を上げなくてはという会社経営の厳しさの中で、子猫の遊ぶ愛らしさや、名刺屋さんの親切から、ほっとするひと時をもらっています。
 本当にありがとうございます。

雑感

身近な野鳥「我がもの顔のカワウ」 2007年02月

野鳥観察の楽しみ(五十五)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
カワウ
写真は羽を広げて泳ぐカワウ(‘07.1.25.大沢田池で撮影)〔Nikon D100, Nikkor ED600mm×1.4, F/5.6S, 1/500秒-F/6.3,トリミング〕

 カワウの大群が大沢田池にやって来た。そして、我がもの顔に振舞っている。池の中での餌とりは勿論、水上でも写真のように羽を広げて休んだり、他の水鳥たちの休憩場所である浮御堂を占領してしまった。
 
 大沢田池にカワウが初めてやってきたのは2002年10月であった。その時は1羽であったが、僅かずつ数を増やして昨年2月には5羽になっていた。ところが今シーズンになると急増し、一度に50羽を超えた。

 カワウは鵜飼に使うウミウと同様、全体が黒色で、細長い嘴は先がかぎ形となっている。しかし、カワウの背中や羽根は黒褐色、ウミウはそこが黒緑色。また、カワウの嘴の付け根の黄色い部分は円いが、ウミウは三角に尖っている。

 大沢田池のカモ類の飛来数が昨シーズンから急に減り、今シーズンも大きく減少している。これは大沢田池周辺の急激な開発と関係していると考えられるが、都市化を物ともせずカワウの飛来数は増加している。今シーズンのカワウの激増の理由が知りたい。 

(2007年1月31日記)

野鳥観察の楽しみ

日本文明の有り様-2 2007年02月

縄文が日本を救う! (48)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 温暖で食料が豊富、しかも恐ろしい捕食者もほとんどいない日本の地は、長い長いサヴァイヴァルの生活を送って来た流浪の民にとって、ようやくたどり着いた楽園であった。

 日本の地には、おそらく数万年前に渡来した先住者もいただろうし、その後ヴユルム氷河期の終わりころ、寒冷期ヤンガードリアス末期の18000年前頃、新モンゴロイドに追われ、アラスカ・樺太方面より、それにコリア半島を経て、チャイナから直接、それに琉球列島を島づたいに北上した南方よりの民という5つルートから、この地に定住を果たしていった。

 先住の民はナウマン象やオオツノジカなどを追って来ただろうが、その後の温暖化は、水位の上昇を招き、日本海を形成して、夏場の豪雨、冬場の豪雪を招き、平原の減少と森林の発達、湖沼地帯の増加から、そうした草食大型動物の絶滅を見ることになる。

 日本列島では縄文時代、人口が東に偏重したと言われているが、水位の上昇で海に飲み込まれた部分や、弥生遺跡の下に隠された部分を推察すれば、また違った答えが出るかもしれない。

 「森と水に恵まれた縄文の民は、早くから定住していた」と書いてきた。では定住の条件と証拠はなにか。

 彼らは1万年以上も前から、「竪穴住居」に居住していた。当時の部落(バンド)の一族は、通常2~30人、多くても50人未満だったから、例えば直径が5m、の深さが50cm~1mの縦穴を、木片や石器で掘るとなると、1ヶ月から2ヶ月も掛かる計算になる。少なくとも1ヶ月以上も掛かけて掘ったものをすぐに捨てて移動することは考えにくい。

 移動しなかったとしたらそれは何故か。当然移動しなくても充分食料が豊富にあったからである。彼らの主食はドングリ・クリ・クルミ・トチなどの堅果であり、副食はキノコ山菜類であり、無数に流れる小川の魚であり、海岸の魚介類であり、たまには山の動物であった。

 漁労や山の猟以外、いわゆる「採集」は婦女子でも出来る。そこで余暇を得た縄文の男たちは、土器の製造を始めることになる。土器を造るための条件は、まず粘土であり、豊富な水分であり、焼き固めるための燃料である。しかも重くて壊れやすい土器は移動生活には適しない。そういう条件に合致した日本だからこそ、世界に先駆けて芸術的にも卓越した土器を造ることが出来たのである。

 ではなぜ土器を造ったのか。土器の最大の利用法はやはり「煮炊き」である。「煮炊き」のための土器を造った縄文人こそ、世界で最初に「食のイノヴェーション」を成し遂げた民族でもあった。

縄文が日本を救う!

祖国とは国語 2007年02月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
藤原 正彦 著   新潮文庫

松浦 育郎(寄稿)

 大ベストセラー「国家の品格」の著者が、それに先立つ2000年から2003年かけて書かれたエッセイを文庫化されたものである。本書 は「国語教育絶対論」「いじわるにも程がある」「満州再訪記」の3篇から成っている。

 「国語教育絶対論」は、明治大学教授で「声に出した読みたい日本語」の著者齋藤孝に「ああ、この人に文部科学大臣になってもらいたい」 といわせた教育論である。著者はまず、日本の現状を危機と見る。外交上も経済上もであるが、教育の乱れがその本質ではないかと説く。ゆと り教育路線が定着してから、学力は着実に低下し続けている。ゆとり教育が解決を目指した落ちこぼれ、いじめ、不登校、学級崩壊なども一向 に減る兆しを見せない。次に述べる所論には全く同感としか言いようがない。漠然と感じていたことを顕在化させてくれた。

1.国語はすべての知的活動の基礎である。
 情報伝達のため最重要なのは読む、書く、話す、聞くであるという。これができていないと思考がままならない。語彙を多くするため、漢字 を多く知らねばならない。小学生の頃の、記憶力が最高で、退屈な暗記に対する批判力が育っていないこの時期を逃さず叩き込まなくてはなら ない。強制で一向に構わないという。このためには読書が最良の手段である。読書は教養の土台であり、教養は大局観の土台である。大局観は 長期視野と国家戦略の基本である。これが失われていることを嘆く。

2.国語は論理的思考を育てる
 日本の大学生がアメリカの大学生に比べて論理的思考に弱いことについて、国語による論理的思考の習得を説く。書くことや討論を通じて物 事を主張させることの重要性を言う。筋道を立てて相手を説得させることが論理の始まりであるという。

3.国語は情緒を培う
 人生のいろんな体験を通じて培われる情緒が人間を作る。直接体験だけではなく、読書を通じた経験が更に幅を広げる。日本には情緒に満ち た著作が古今を通じて多い。これらから学ぶことが必要である。特に年齢に応じた読書は重要である。

4.祖国とは国語である
 本著の表題であるこの言葉は、フランスのシオランという人のものである。他民族の国では共通の言葉がアイデンティティーであり、祖国、 祖国愛であるという。

5.これからの国語
 最近有名になっている「小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、後は十以下」。ルビつきでよい 、文語の語調のよさも大切である。 今分からなくても、語調として覚えておけば、いつか分かるときがくるのである。

その他、英語第二公用語無用論、犯罪的な教科書、まずは我慢力などの教育論が続く。

「いじわるにも程がある」
 家族の間で発せられる「発見ノート」にまつわる話や、父新田次郎と母藤原ていの思い出、 畏友山本夏彦との交友などが軽妙な語り口で書 かれており、楽しく読める。

「満州再訪記」
 著者の出生地である満州瀋陽を家族で訪問したときのドキュメントである。満州の成り立ち、当時の日本の状況などにソ連侵攻から逃避行の 記憶、父母のことなどをを混ぜ合わせて楽しくまた切実に記述してある。その逃避行を書いた母藤原ていさんの「流れる星は生きている」(中公文庫)を併せて読まれることをお勧めする。

感銘の一冊

新 自分を磨く方法 2007年02月

 スティービー・クレオ・ダービック 著
干場弓子 訳
ディスカバー・トゥエンティワン 発行

 書店や図書館に行けば膨大な数の自己啓発関係の書籍を見ることができるし、会社の費用でその手のセミナーに参加できる可能性もある。自分を深め、仕事に必要な技術を高めていくためには、いろいろな本を読み、さまざまな人々と接して人のやり方を吸収していかなければならないわけだが、その第一歩として、本書は最適だ。
 また、新入ばかりでなく、すでに社会に出て自分のキャリアを築きつつあるベテラン、あるいは躓いて少し落ち込んでいる人にとっても、本書の力に満ちた、それでいて包み込むようにやさしい文章に触れれば、生きていく勇気が湧いてくるだろう。
 頑張ることばかりが重要だと一概にいうことはできないが、泣いても笑っても自分で自分の人生を背負って生きていかなければならないわけで、充実した人生を送りたいならば自分を磨く努力は必要だ。自分磨きのレシピがここにある。

(哉)

 哉の店長イチオシ
この春社会に飛び出す若者に最適な1冊!
生きテクマニュアルなのだ!

今月の気になる本

ヘンダーソン夫人の贈り物 2007年02月

【監督】スティーブン・フリアーズ
【主演】ジュディ・デンチ、ボブ・ホプキンス

 第二次世界大戦の最中に英国で初めて裸体女性のレビューを企画開催した女性の物語。ということで、皮肉な笑いに満ちた映画を予想していました。実際にそういう部分もありましたが、それだけのお話ではありません。
 主人公は金持ちの未亡人ならではの傲慢さも持っていますが、それが見ていてとても気持ちがいい。間違っていないと思っても、自分の云いたいことをはっきり主張したり、思うままの行動をとるのは難しいことです。けれどヘンダーソン夫人はそれを堂々とやってのけてくれます。そんな怖いもの知らずで格好いい彼女の突飛な発想や体制に屈しない姿勢は、実は悲しい思い出から導かれたものでした。この映画は、時間はかかるけれど涙を笑顔に変えられる日はきっとくるのよ、と温かい手で包まれるような気持ちになる物語です。

(nao)

キネマ見ましょか

[不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―8 天丼 second stage! 2007年02月

年も越えて牡蠣もふっくらして美味しくなってきた。
それならば一年越しの誓いを果たさねばならない、

そう、

牡蠣の天丼を食べに行かなくちゃ。

市場が休みで定休日の水曜日に思いついた為に一日いらいらを貯めながら翌日、木曜日に店へ向かう。

仕事もひと区切りつけて空港通りからダイヤモンドホテル側の天ぷら専門店へ、

エネオスの隣のその店はぼーっとしてると通り過ぎそうになる。

開店そうそう11時半、最初の客なのを確認しつつ店に入った。

しかし、

しかしながら、

牡蠣だけ仕入れのルートが違うのでまだ入荷してない

軽くショックを受けながらも諦めの悪い僕は一人なのを幸いにお店の方と相談し、多分入荷すると思われる1時半に再訪を予約?して店を出た。

無理矢理に仕事をこなし、1時半に再訪。

しかしまだ入荷してなかった。

諦めていつもの瀬戸内天丼を食べようとしたら、店のおばちゃんが店を閉めるのを2時まで待っててくれると優しいお言葉。

死ぬ程の牡蠣好きとしては

もちろん甘えます。

待っこと10分、配送のお姉さんが牡蠣をその手に入ってきました。

牡蠣の天丼は牡蠣穴子天丼と牡蠣海老天丼の二種類ありますが今回はこれまた大好きな穴子をチョイス。
来たばかりの新鮮な牡蠣に思いを寄せて待っていると笑顔のおばちゃんが天丼を持ってきながら、待たせてごめんなさい、と泣かせる一言。

いや~、悪いのは僕のほうなんだけどなんかうれしいですね。

早く食べたいので適当にケータイで写真を撮り、箸をグイッと握る。

牡蠣穴子天丼

 

最高にボリューム満点で感動しつつ、熱々の牡蠣から食べる。

う、

うますぎる。

牡蠣フライと違い衣が薄っぺらい分、明らかにこいつはデカイ牡蠣だ。
しかもジューシーかつ味が濃いのだ。

軽く火傷しつつ、少し冷静になり数を数える。

いやらしい話だがこんなおおぶりの牡蠣の天ぷらが4つ載ってるのだ。

牡蠣穴子天丼アップ


しかも穴子も一匹まるごとを二つに分けて載せてボリューム満点過ぎるのだ。

しかも美味い、

牡蠣も胡麻油に合うよね~。


家庭で食べるなら牡蠣フライだがプロ、天ぷら屋さんで食べるなら牡蠣の天ぷらが最高ですわ。
衣の薄さ、火の通り加減がやっぱり違います。
とはいっても天丼なんでサクサク具合や蒸されて熱も少し入り気味かも知れないが天ぷら、たれ、ご飯と一体感の美味さはやはり最高です、もちろん穴子もとろける美味さでした。
やはり季節限定、冬だけのメニューだからもう一回くらい食べたいな~。
次は牡蠣と海老の天丼でもいいかな?

広島くっちゃね隊

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