| 今月の写真 | 2007年03月 |
(070212撮影)
| 今月の言葉(3月) | 2007年03月 |
逆も真なり
「練習を休むのも練習のうち」
―阿南準郎
本格的なプロ野球のキャンプの時期である。各監督は、Vを目指してチームの骨格づくりに…、各選手は、技量の上達に更なる練磨に…、励む。ファンは、テレビ、新聞を通じて伝えられる「キャンプ便り」に胸がときめく。
この時期になると思い出すのは、冒頭の言葉。これはけだし『名言』である。
今から十八年前、当時、広島の監督だった阿南準郎さんは、キャンプでの正田耕三選手の昼夜を問わず打撃練習に打ち込む姿を見て伊勢孝夫コーチに「正田の練習にブレーキをかけたらどうだい」と伝えた。
というのも、正田は一九八七、八八年、連続首位打者になった。前年の八八年には、すでに右手首を痛めていた。それでもなお正田は、三年連続首位打者を目標に、昼夜の練習のあと夜間練習場にでかけての打撃練習に打ち込む。彼の気迫に圧倒されながらも伊勢コーチは、長時間の練習を思いとどめさせる。が、正田は自分が納得いくまで続けた。
「どれだけ練習すれば、首位打者になれるか」と彼には彼なりの体感による練習量があったようだ。キャンプ中、夜間練習から宿舎に帰ってきた正田に、阿南監督は言った。
それが冒頭の言葉だった。
「正田。練習を休むのも練習だよ」
阿南監督は、厳命だとも言った。
「わかりました。監督…」
正田は意外と素直に答えた。私はたまたま居合わせて、その光景を見た。
当時、三年連続首位打者になったのは、巨人の長島茂雄(一九五九、六〇、六一年)と王貞治(一九六八、六九、七〇年)の二人。
正田は右手首を痛めながらもONに挑んだわけであった。彼は翌平成一年、3割2分3厘の好成績を残したが、首位打者の巨人・クロマティーの3割7分8厘に及ばなかった。
のちに正田は、近鉄、阪神球団の指導者として転出したが、阿南監督の説いたのは、逆説の真理。逆も真なり―である。私はマラソンの著名な監督の言葉を思い出した。
「走りながら休め」
これも逆説的で含蓄のある言葉。良き指導者は、ときとしてこの手法で選手を育てる。
(風彦)
| 雑感(3月) | 2007年03月 |
毎日が余りにも忙しく、本当にこれでいいのかしらと疑問に思っていた時、いい本に出会った。『いい言葉はいい人生をつくる』斎藤茂太著。
昨年お亡くなりになられた斎藤茂太さんは、誰でも知っている精神科医だ。彼はこの本の中でこう言っている。
「人生、長く生きると、人の価値は『何ができる』ではなく、『何が楽しめるか』にかかっているのだとわかってくる。何ができるかは技術革新の時代には大した意味をもたなくなる場合があるが、あらゆることに楽しみを見つけることは人間だけに許された醍醐味なのだ。自分は若いときから人の二、三倍は仕事を抱え、食事の時間さえ取れないほど東奔西走していた。今でも毎朝手帳を見て綱渡り的なスケジュールになっていたりするとかえってファイトが湧いてくる。過密スケジュールを無事クリアできると、やったゾ、と満足感が湧いてくる。」
忙しい毎日を楽しんでいらっしゃる様子が、伝わってくる。
私の場合は、綱渡り的なスケジュールには程遠いが、それでも、食事の時間が取れないくらい忙しい時もたまにある位、以前より格段に忙しくなっている。やり残していていることも書かなければいけない原稿もたまっている。本日の予定を無事クリアして、やったゾ、という満足感で眠りにつける人生は、本当に幸せだろう。そんなふうに思うとこの忙しさがありがたいのだが、ただなかなか『やったゾ』という満足感がなくで「あれも出来なかった、これも出来なかった」という後悔が残ってしまう。これからの人生は、『やったゾ』という満足感と、自分の身に降りかかるあらゆる事を楽しんで生きていきたいものだと思った。
| 身近な野鳥 「威勢のよいヒヨドリ」 | 2007年03月 |
今も窓の外から、「ピーヨ、ピーヨ。」とヒヨドリの威勢のよい声がする。このところ毎日やって来る。今季、良く実を付けた庭のクロガネモチも、その実はいつの間にかきれいに食べられてしまった。
街で見かける木でいつまでも実がついている木はセンダンではないだろうか。この実をたいらげるのも大抵ヒヨドリである。しかも大群でやって来て、忽ちのうちに食べてしまう。今年もこの光景を2月の初めに見た(写真)。
ヒヨドリはスマートな体形で、波状に飛ぶ姿もかっこいい。嘴はピンセットのように先が尖り、赤褐色の頬がかわいらしい。全体が灰褐色で頭は銀灰色。気分の良い時は「ピロリロリ!ピロリロリ!」と歌う。
多くの人に親しまれているヒヨドリだが、お百姓さんにはあまり人気がない。畑のほうれん草や、葉野菜などを食べて被害を与えるからだ。しかし、この時期、口の周りいっぱいに黄色い花粉をつけて、椿の花の蜜を吸う姿は憎めない。
(2007年3月16日記)
| 食のイノヴェーションとは? | 2007年03月 |
土器の発明は「食のイノヴェーション」を生むことになった。 考古学には、その当時の人が何を食べたか調べる方法として、「糞石=糞化石」を調べる方法が採られている。これを分析すると、当時の人がどんな物を食べていたかががわかるという。
その結果縄文人は、何十種類の食材を摂取していたらしい。当時としては驚異的な数字である。それまでの食事法は「単体食」であった。せいぜい1つの食材を「炙り焼き・蒸し焼き」するという程度が関の山だったのである。
縄文の創生期、鹿児島の上野原遺跡では、薫製したと思われる遺構が見つかっているが、それとてまだ単体食であった。土器の発明は、わずかな動物・魚介類の動物性タンパク源に、ドングリなどのデンプン質、山菜・根菜・キノコなどを加えたバランス食である、(今で言う)「鍋物」として食べた、世界で最初の民族だったのである。
ドングリなどは、土器を使って水晒し・煮沸によるアク抜きなどを
行ったし、堅い食材も、煮ることで柔らかく消化がよくなる。
また海辺の民は、土器を海水の濃縮に使用したはずだ。あえて補足すれば、日本で多く見つかっている貝塚だが、短い期間に非常に多量の貝殻の集積がある。
このことは、貝の身はその場所の民が食べただけでなく、おそらく交易品として利用されたのではないか。すなわち貝は、濃縮した塩に加えられ、美味しい調味料である「出汁の素」として彼らの丸木舟で川を遡行し、奥地の民に届けられたのではあるまいか。
食べるのが精一杯だった当時の人たちは、味覚に鈍感だったといわれるが、おそらく縄文の民は、今で言う「グルマン(美食家)」だったに違いない。
当時はもちろん「物々交換」である。交換した物はドングリ、それを元にした「縄文クッキー」だったり、塩を煮詰める土器だったり、欲しい物は幾らでもあったはずだ。逆に奥地の民は、新鮮な魚介類や海藻など、これまた幾らでも欲しい物があった。
こうして縄文に発した「鍋物文化」は、連綿今に継続し、我々の食卓を豊かなものにしてくれていることは確かである。
ご存じ鍋物は、「北高南低」である。ご当地鍋として有名なものも、いきおい北の方が有利である。いささか脱線して紹介すると、
北海道 北海鍋・石狩鍋(サケ)
青森 じゃっぱ汁(タラ・サケ)・せんべい汁
秋田 きりたんぽ鍋(ハタハタ)・しょっつる鍋
福島・茨城 あんこう鍋
福井 かにすき
山梨 ほうとう鍋
兵庫(丹波) ボタン鍋
広島 牡蠣土手鍋
大阪・山口 てっちり・ふぐちり
福岡 水炊き・もつ鍋
(注:ミスや漏れなどがあればぜひご教示下さい)
それに全国版として、すき焼き・しゃぶしゃぶ、それに特殊な物では鍋物では、お相撲さんのちゃんこ鍋がある。各地には知られた芋煮があるし、寄せ鍋やおでんも一種の「鍋物」だと言えるだろう。
一部を除いて、魚介類が主役と言うことも、その由緒ある?歴史を物語っているではないか。
閑話休題。ユーラシア大陸で交易に従事したのは、移動という「足の文化」に長けた、狩猟→遊牧の民であったが、日本においては、主として漁撈を主にして来た沿海に棲む人たちであったろう。
おそらく彼らは、丸木舟を駆って漁をし、そうした獲物や塩を川を遡って山の民に届けたに違いない。
ではなぜ日本にこうした土器・鍋物が生まれたのか、次号では別の視点で見てみたい。
| ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門 | 2007年03月 |
この本は、私のPC師匠のSさんが、自称「電脳乱雑空間」の余りの無秩序さに呆れて、かつてこの本で見事変身したという実績から、進呈して下さったものである。ごく最近でも知人に顕著な効果があったという謳い文句だったが、読後あろうことか、早速我が会社に、空き段ボールをごっそり頼んだくらいだから、どうしてどうして、実際に説得力満点の1冊である。
勿論「片付け下手の散らかし上手」では人後に落ちず、しかも「整頓は弥生の習性」と嘯き、「綺麗すぎると人が近寄らない」などとほざいて憚らなかったのだが、その実内心、これではその内に例の「ゴミ屋敷になるんでは」という強迫観念に近い思いもあったので、不眠を逆手にとって一気に読破した。
「風水整理術入門」とあるように、著者は風水を活用した建物浄化作業「スペース・クリアリング」という分野のパイオニアとして活躍し、本書は世界14カ国で翻訳され80万部というベストセラーになっているが、内容は常識的な風水書ではないし、難解な風水定位盤の代わりに、ごくわかりやすい独特の定位盤を用いて、誰でも簡単に建物や住居のあり方を示してくれる。
本書は、第1部で、ガラクタとは何かという理解から始まり、第2部では、ガラクタの見分け方、そして第3部でガラクタの処分法を伝授してくれるのだが、巧みな筆致で、ガラクタ・コレクターの弱点をグイグイと突いてくる。
たとえば第1部では、ガラクタを溜め囲まれることは人生の停滞だとして、精神だけでなく身体そのものも不要なもの(贅肉・脂肪・便秘)を溜め込んだ人が多いと指摘する。またなぜガラクタを溜め込むかという理由についても、大いに納得の出来る回答を用意してくれている。
第2部では、各部屋でのガラクタ占拠率を集計し、それを部屋数で割ると、平均ガラクタ占拠率が出るが、その数字を知れば、整理しなくてはおれなくなること請け合いである。
またガラクタの分類でも、明確な仕分けから、モノが滞る理由、特に「紙」の洪水に対する対処法を明示してくれる。いつも悩むのが、「またいつか必要になる」「この前捨てたばかりに~」などという理屈など、木っ端みじんに打ち砕いてくれる。
第3部では、いかにガラクタを整理するか、身辺がすっきりしたら、いかにハッピーになるかを知らせてくれる。その一方で、いわゆる「潔癖性」の人による、味も素っ気もない、寒々とした整頓は否定している。
加えるに日本人は、「勿体ない」という感情が強いこともあるが、結局死蔵していることの方が、勿体ないことだと悟る必要があるそうだ。
結びで著者は、ガラクタを整理することで、「身体を、心を、感情を、そして魂を綺麗にしなさいと説いている。こうした点が普通の「整頓術」の本と違うところだが、残念ながら著者の指摘の一つ一つが、ストンと腑に落ちる。こうなったら潔くその軍門に下るとして、カミさんにもこの本を大急ぎで読まさなければ~。
| 知らずに他人を傷つける人たち モラルハラスメントという「大人のいじめ」 | 2007年03月 |
香山リカ 著
KKベストセラーズ発行(ベスト新書)
「モラルハラスメントとは、ことばや態度で繰り返し相手を攻撃し、人格の尊厳を傷つける精神的暴力のことである」
人間関係激突の二大空間、家庭と職場。ここでは誰でもモラルハラスメント(モラハラ)の被害者あるいは加害者になってしまう危険性が潜んでいます。
会社で身を粉にして働いて給料をもらってきているのだから十分自分の責任を果たしていると考えているお父さん。自分以外の8割の人は会社の利益に貢献していないと考えている超エリートビジネスマン。あなたたちはモラハラ加害者である可能性大です。
主人の言うことはごもっとも。私の努力がいたらないせいで、聞き分けのない子に育ってしまったと一人で悩んでいるお母さん。自分なんか、仕事が遅いないからみんなにバカにされてもしかたない、転職しようかなと思っている社員さん。あなたがたは、まさにモラハラ被害者。
奥さんの相談に真摯に耳を傾けず、彼女を育児ノイローゼにまで追いやる。部下あるいは同僚を無視して、出社拒否・退社に追い込む。モラハラによる深刻な事態を防ぐために、夫婦で、あるいは会社ぐるみで本書をテキストにして話しあう機会をもってみられてはいかがでしょうか。
(哉)
| [不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―9 ちゃんぽん | 2007年03月 |
夜10時、
まだまだ寒いので
ガッツリと
暖かくてボリュームがあるものが食べたくなり東観音に車を向ける。
東観音町には天満川沿いに三軒メン屋があるが、その真ん中の豚骨ラーメンの店に入る。
普段は豚骨ラーメンとミニ炒飯にするところだが、今日はチャンポンにしよう。
やっぱしチャンポンは最高だ。
ごく太の歯ごたえのある麺と、キャベツたっぷり野菜と豚肉とイカの炒めたのが山盛り乗って、見るからにボリューム満足、迫力満点だ。
スープも熱々濃厚な豚骨スープに炒めた野菜と油の旨さと甘さが加わると、たまらんですね、身体の芯から暖ったまり、満足感に浸ります。
しかも本場長崎のチャンポンと比べたらこの店は
福岡風チャンポンなんでワイルドな感じ、
豚骨が濃くてガツガツ食えるのが好きなんだよね。
しかも今回は大好きなミニ炒飯を付けなかったのは
替え玉
ができるからです。
チャンポンに替え玉、とは言っても、あの太い麺を頼める訳ではなく、豚骨ラーメンの店らしくストレート細麺を替え玉として頼めるのだ。
つまり
チャンポンからラーメンへと変化するのだ!
固めんをスープで泳がすと、また食欲が出てきてついつい食べ過ぎてしまいます。
もともと豚骨ラーメンがメインの店だからこれが
当たり前のように美味い!!
ついでに書くと最初からラーメン用の細い麺でチャンポン風もできる。
しかし上の炒めもんを食べてるうちに細麺だと延びる人もいるだろうから、やはり替え玉で味わって欲しい(ちなみに私は早食いなんで麺は延びない)。
自分は大学時代、福岡に住んで以来の豚骨ラーメン好きだが、この店のラーメンやチャンポンはボリュームだけでなく、学生時代を懐かしく思い出す、温かい味がします。
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