« 2007年03月 | 2007年04月 | 2007年05月 »

今月の写真 2007年04月

  クサギカメムシ
クサギカメムシ
越冬中のクサギカメムシが家の中にいた。
(2007.3.8 撮影)

フォトギャラリー

今月の言葉(4月) 2007年04月

「人の心にタネを植えよう」

―公共広告機構のCMから 

  最近、民放テレビのCMに流れるキャッチフレーズである。荒廃する社会に命の大切さと人間愛を訴える言葉。まさに人間社会での「啓蒙的標語」といえよう。

 同機構の発案に民法各社が無償で協力、三十秒、六十秒の二本のCMを全国のお茶の間に流しているそうだ。

 この言葉の字義ではタネならば蒔く。苗木なら植える(じゃがいもの場合はタネいもを植えるともいうけれど…)であるが、些細な字義の講釈を云々するのではない。

 要するに、人の心のなかにタネからの発芽を、苗木から大きな樹木を、そだてる豊かな情愛とその喜びを通して命の大切さを訴えようというCM企画。とかく民法メディアのあり方が論議されるなか、民放の志向する一端のCMである。

 四月の言葉としてとりあげたのは、新しく進学、社会人になった人たちへの餞(はなむけ)である。新しい環境のなかでさまざまな「出会い」から新しい人間関係が生れる。そのなかでお互いが、相手を認めあうこと、友情をはぐくむことの大切さを示唆する言葉でもあろう。

 四月は若葉燃え立つ五月への序曲。生命の息吹を実感できる季節。タネ蒔きの時期で、地方によっては苗代の作業を始める土地もあるし、夏・秋に花を咲かせるためのタネを蒔く。近年は、農業・園芸技術の進歩により変化がある。が、タネ蒔きは、歳時記の季語では「春」。

 俳人・星野立子の句に―

 「きらきらと輝く種を蒔きにけり」

 また同じ俳人・岡安迷子の句には―

 「花種を蒔かんとすれば土笑みぬ」があり、ほのぼのとした印象的な句もある。人の心にタネを蒔いたり、植えたりする場合、相手の『心の土』をいかに耕し、柔らかい土壌にするかである。それは、やはり相手を思いやることで、「博愛」、「慈愛」の涵養につながる。

 荒廃した社会の復興は、まず人の心の復興からだろう。

 人に情けあり
 情けに縋(すが)りて
 人の縁(えにし)を悟る

 この三行詩には、人と人との「出会い」の絆を説いたもの。人の絆は心の絆―。

(風彦)

今月の言葉

雑感(4月) 2007年04月

代表取締役 田河内秀子

 先日サンダーバードに乗車して、新大阪から石川県七尾に行った。ちょうど能登半島は地震に見舞われた直後で知り合いの会社が被害はどうなのか心配だったが、壁にひびが入り、階段も亀裂が入っていたが、けが人もなく皆さん元気にお仕事をされていてひと安心だった。しかしその会社の前のお店は瓦が被害にあったようで、ところどころ瓦の葺き替えをされていた。
途中の車窓からは一軒だけ誰も住んでいないような古い家屋がつぶれているのが見えた。
 新大阪から京都、福井、小松、金沢へ。金沢からは名倉温泉行きと富山行きに列車は切り離され、とたんに特急列車がガタンゴトンという音とともにスピードが落ちた。
 車窓からは、掘り起こされ、田植えを待っている田んぼや、芽吹いたばかりの青々とした草に覆われた畑、黄色いラッパ水仙の群生、ふきのとうも見ることができた。
 車窓ののんびりととした田園風景と懐かしいガタンゴトンという音に、久々にゆっくりとした列車の旅を味わった。昨年の春頃から世間の猛烈サラリーマンのように自分も新幹線で慌しく移動する機会が増えてきたが、新幹線での旅は全く旅をしているという感じがしない。ただ移動しているというだけだ。
 昔学生の頃、リュックを背負い、広島から北海道まで各駅列車で行ったことがある。あの頃の旅は、いまでも鮮明に思い出すことができる。十和田湖・奥入瀬・青函連絡船・函館・積丹半島・利尻・・・札幌の駅前で食べたイカの刺身、積丹半島のウニ、ユースホステルでの他のグループの男の子達との出会い、すべてを記憶に刻みつけながら、身体中で味わった旅の感触だったのだろう。
 懐かしく思い出すことの出来る記憶は、考えてみれば宝物のようなものだ。今となっては、もうあんな旅は望めないだろうが、いつか『青春18切符』を利用したのんびりとした旅をしてみたいものだ。
 若者よ、家に閉じこもらないで貧乏旅行をしてみれば、きっとそれは記憶の中の大事な宝物になると思うよ。

雑感

身近な野鳥 「用心深いヒクイナ」 2007年04月

野鳥観察の楽しみ(五十七)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
ヒクイナ
写真はヒクイナ(‘07.3.23,東広島市)〔Nikon D100, AF-S Nikkor ED 600mm×1.4,F4D, 1/160秒-f/6.3,トリミング〕

 やっとヒクイナの姿を写真(上)に撮ることが出来た。東広島市の中心地の東を南北に走る中川の水辺。ヒクイナは用心深く、葦の中からなかなか出てこない。出てきてもすぐに逃げ込む。この一週間に5回も足を運んだ。

 夏鳥のイメージが強いヒクイナが冬にいると言う最初の情報は2月末であった。場所は安芸津町、早速出かけて行き、居ることは確認できたが、写真を撮る間もなく葦の中へ駈け込んだ。次に入った情報がこの中川である。

 ヒクイナはムクドリくらいの大きさで、やや長い足が赤い。顔から胸、腹が赤褐色、背中は灰緑褐色、ルビーのような赤い目をしている。あまり飛ばず、速足で逃げる。夏の繁殖期の夜「キョッ、キョッ、キョッ、キョッ、キョッ、・・・」と透き通った声で鳴き続ける。

 私の家の近くの田んぼでは毎年ヒクイナが繁殖していたが、2年前からアパートが建ってしまった。今はどこで繁殖しているのだろうか。もし川の中の葦の茂みに巣をかけるようなことがあれば、大雨による増水で流されてしまう危険があるのだが。

(2007年3月23日記)

野鳥観察の楽しみ

ハイブリッド文化の精華「漢字とカナ」の融合 2007年04月

縄文が日本を救う! (50)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

  「日本人は縄文×弥生のハイブリッド民族」だと言ってきた。 ではどのような文化が生まれたのだろうか。その最大の精華こそ「漢字と仮名文字をドッキングさせた日本文字」の創造であった。

 聖徳太子が随の煬帝(ようだい)に送ったという「日出ずる国の天子~」で始まる書簡によって、チャイナ文化・文明への決別宣言以降、和漢折衷型の平城京文化を経て、菅原道真の決断で遣唐使を廃したあと、平安の京の都から見事に和風回帰する。

 万葉集では、チャイナ風の韻律や*平仄(ひょうそく)を捨て去って、五文字と七文字の組み合わせの繰り返しが長々と続く長歌の最後の部分、五・七・五・七という、三一文字だけを抽出した「和歌」という短詩形式を完成させる。その後は鎌倉時代の「わび(侘び)・さび(寂び)」という日本特有の美意識まで創造し、ついには短歌の終わりの七・七の14文字までをも捨て去った、五・七・五の一七文字の発句=俳句にまで凝縮し昇華させてしまうのである。こうした事例は日本の歴史を通じて枚挙にいとまがない。(ちなみに最後の七・七を「挙句(あげく)」という)

 もっとも「漢字とカナ」の融合という世紀の大実験が、なにもすんなりと成功したわけではない。そこには相も変わらぬ頑強で厚い「官僚の壁」があり、「省あって国なし」という悪習が、近年生まれたものでないことを教えてくれるし、それを打破するためには、並々ならぬ努力と知恵が必要だったことも教えてくれる。

 平安の御代になってチャイナから移植した律令が破綻し、平安王朝の財政は危機に瀕していた。そこで時の右大臣菅原道真(845~903)は、寛平六年(894)遣唐大使に任じられ中断していた遣唐使の派遣を検討するが、唐の衰退が進んでいるという情報からそれを諦め、自らの手でそれを解決する必要に迫られることになった。なお、唐の滅亡は907年のことである。

 そこで道真は、地方の土地を地元の豪族に与え、分に応じた租税を徴収する策を採ろうとするが、役得と賄賂(まいない)の減少を嫌う官僚の反対で計画は難航し、その挙げ句讒言による左遷で九州太宰府の地に左遷されることになった。また道真の後を継ぎ、その政策を踏襲した藤原時平(886~909)もまた、同じように官僚の抵抗に遭い、計画は頓挫して一歩も前進しなかったのである。

 いつの世も官僚は、自らの世界を墨守して、新しい文化の風を拒むのが常である。破綻した律令を頑なに守り、自らの知識をひけらかす道具として、漢文からの脱却を頑強に拒むのである。この傾向は、今の時代に到っても、官僚そして学会という閉鎖社会でも顕著である。まさに弥生の悪い面の真骨頂といえるだろう。

 そこで時平は、和歌によって官僚を手なずけるという妙案を実行することになる。まだ漢詩に押されてマイナーな地位に甘んじていた和歌の読み手の多くは、若手の下級官僚であったが、時平は紀貫之を始めとする四名の歌い手に「古今和歌集」の編纂を命じ、醍醐天皇(885~930)の勅選和歌集として世に出たのが延喜五年(905)であった。

 ご存じのように最古の歌集は「万葉集」だが、それは「万葉仮名」と呼ばれ、例えば「仮=仮、名=な」というように、漢字の音を日本読みしたものであった。その後漢字の草書を更に砕いた書体である「かな文字」が出来ていたのだが、それを使って新しい和歌集をというのが時平の作戦であった。

 格式を重んじる官僚も、先祖たちの古い歌を持ち出されては無下には反対出来ず、ついに「かな文字による古今和歌集」が完成、さすがに頑強な官僚の壁も、時平のソフト作戦の前に瓦解することになった。

 かくして「古今和歌集」は、仮名書きが漢字の下層に甘んじることから脱して、飛鳥・白鳳・天平という唐様優位の文化から、平安という和風文化に回帰しただけに止まらず、これを契機に「かな文字」の普及によって、紫式部や清少納言という世界でも稀有な女流文学作家を誕生させ、次第に漢字との併用・合体させるという世界に冠たるハイブリッド日本文化へと昇華させていった画期的なエポックを担うことになったのである。

 注: *平仄 平(ひょう)音と仄(そく)音を、一定の配列で組み合わせる漢詩における韻律作法。

縄文が日本を救う!

よみがえる緑のシルクロード 2007年04月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
佐藤 洋一郎  岩波ジュニア文庫  780円+税

 縄文塾にもご縁の深い著者から贈呈いただいた一冊だが、これがジュニア(中高生)対象の文庫とは、今の子供たちはあまりに恵まれすぎているようだ。書き方こそ子供向けに丁寧に書かれているが、実に濃い内容の好著である。

 コメ化石のDNA鑑定による専門家である著者が、なぜ今砂漠の真っ直中かにあるかつてのシルクロードの終着駅」で、コメには縁の薄い、新彊ウイグル地区にある「小河墓遺跡」を中心にした視察メンバーの一員に選ばれたかだが、1997年に当時静岡大学(現総合地球環境研究所教授)助教授だった氏は、かつてのシルクロードの要衝、ウズベキスタン近郊の遺跡調査の機会を得た際に、約1500年前のこの遺跡から多量の(イネの)モミが発見されたという事情が伏線としてあったからである。 (『DNA考古学』参照)

 この「小河墓(しょうこうぼ)遺跡」は、新彊ウイグル自治区の中で、という北に天山山脈、南に崑崙(ろん)山脈とチベット高原に挟まれた広大なタクラマカン砂漠にある、約4000年の墓場の遺跡である。

 この小河墓遺跡視察では、コメこそ発見できなかったものの、コムギ・ウシに関わる副葬品、それに胡柳と呼ばれるポプラによる大きな墓標が数多く発見された。砂漠という環境に助けられた、生けるがごときミイラの顔立ちは、西域の人の特徴を備えており、おそらく現在の新彊ウイグル地区の先祖なのだろう。

 ちなみにこの地の住民は70%がウイグル人(トルコあるいはペルシャの出自だろうといわれる)、その60%はイスラム教徒で、西洋人的なはっきりした目鼻立ちで、青い目を持った人も多い。

 著者の疑問は、前著『DNA考古学』からずっと継続されたものなのだが、こうした遺跡・遺物など併せ、「果たして当時の人は、砂漠だらけのシルクロードを交易の道としたのか?」「こうした砂漠化には、気象の変化だけでなく、農業(特に農耕)がその一端を担っていたのか?」という疑問である。 

 著者は慎重に言葉を選びながらも、農業が荷担した可能性を取り上げ、当時はまだ緑の多い地帯であったとしているのだが、結局農業による過度の灌漑によって、天山山脈から流れる地下水脈を枯渇させ、もともと雨量の少ないこの地を砂漠化させてきた事を検証し、今後こうした環境を中心とした史学に力を注いで、積極的に研究していけば、砂漠のシルクロードは、必ずや緑のシルクロードになるだろうと結んでいる。 

 考えようでは、目先しか見ない大人よりも、純粋なジュニア層に大きな期待を示した1冊と言うことが出来るだろう。

感銘の一冊

オテル モル 2007年04月

栗田有起 著
集英社 発行

 「オテル・ド・モル・ドルモン・ビアン」。そのオテル(ホテル)のフロントデスクの募集条件は、夜に強く、孤独癖があり、いらいらしないこと。一風変わった面接にも見事に合格した「本田希里」は、さっそく次の日から働くことになる。
 地下13階建て(?)のこのオテルは会員制契約型宿泊施設であり、日没から日の出までの滞在を原則とし、最高の眠りと最良の夢を提供することを目的とする、何とも不思議極まりない職場であった。さらに、希里の複雑な家庭環境が、この物語をいっそうややこしく(おもしろく)している。奇妙な感覚の中にユーモアがちりばめられ、ずっと読んでいたい気分にさせられる。春の陽気でねむたくてしかたないこの季節にぴったりのストーリーともいえる。
 言うなれば現代人の悩みの一つである「眠り」が最大のテーマであろう。毎日ぐっすりの人も、眠れなくて困っている人も、この本を読んでオテルを体験してみては? いい夢が見れるかも…。

(北)

今月の気になる本

ドリームガールズ 2007年04月

【監督】ビル・コンドン
【主演】ビヨンセ・ノウルズ、エディ・マーフィー、ジェニファー・ハドソン、ジェイミー・フォックス

 映画館で同級生に遭いました。また、職場の同世代の女性陣が揃って「見たい!」と云っていました。ビヨンセにもモータウンにも特に興味がない、かなり昔にガールだった女性達をそんな気にさせるのがこの映画です。歌うことが大好きな少女達の挫折と成功を描いた物語ですが、彼女達に関わる男性達の役割が絶妙です。成功に導いてくれるけれど人生を満たしてはくれない夫、軽薄だけどいとおしい、必死に生きて破滅していく恋人、優しく厳しく付かず離れずいてくれる兄、そして全ての人に見放された時、引っ張りあげてくれる父親のような年配の男性。昔のガール達は彼らに誰かを重ねて見るかもしれません。
 映画のように明確ではないけれど、何かを夢見ていた頃のことも思い出して、頑張っていたあの頃の私はどこへ行ったのかしら、とほろ苦い気持ちにもなるでしょう。でも映画館を出た時、きっと心の中のドリームガールが背中を押して前を向かせてくれることと思います。

(nao)

キネマ見ましょか

[不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―10 カツカレー 2007年04月

友人と市内で昼ご飯を食べる事になった。

いろいろ悩んだが八丁堀にある老舗のすき焼きと洋食の店に向かう。

精肉店と一体となったその店は自分が幼児の頃からあり、市内に出ると駄々をこねて無理矢理に連れて来てもらったものだ。

ボクの外食の原点であり、食べ歩きのルーツの店なのかも知れない。

さすがに30過ぎのオヤジなんで、駄々はこねなかったが友人はラーメンやうどん屋に行きたかったみたいだ。

時間は11時半、

入った時はまばらだった客席も5分と経たず埋まる。

二階に座敷があるとはいえ、早めに入って良かった。

早速二人、料理を注文した。

友人は 特上ランチ大盛り

自分はカツカレーとビーフカツのダブルライダーならぬ

  ダブルカツ

ダブルカツ

 

で攻める。

本来はこの店は

すき焼きサービストンカツ350円

が有名だし、安くて旨いが今日はどうしても

 

 

  カツカレー

カツカレー

が食べたかったのだ。

こんもりとした昔ながらの洋食屋さんのカレーに薄っぺらいカツが乗り、

  ソース

この店のこの店たらんとする黄色いソースがかかっている。

カツカレーの常識を越えたこのソースがボクを虜にして離さない。

もちろんカツカレーとして旨いのだが、子供の頃からこのソースに慣れ親しんだボクには魔力のように旨く感じる。

サクッとした薄いトンカツもカツカレーのバランスから言うと好みで、分厚いトンカツはカツカレーのバランスを崩す気がする。

満足はしてるのだが、今の職場では最近はめったにこの店に来れないので、大好きなビーフカツも頼んだ。

やはり美味い。

個人的な感想だが、このソースにはトンカツよりビーフカツの方があうと思う。

できればこの店で初めてビーフカツを頼む人には普通のではなく、上ビーフカツにして欲しい。

  ビーフカツ

やはり柔らかさが違うのでこちらの方がソースに合う気がする。

洋食屋はやっぱしビーフカツが旨い

とボクは独りよがりに思う。

ついでに友人の特上ランチも美味そうなんで、食べかけを問答無用で写メを撮る。

特上ランチ大盛り

カツとハンバーグ、オムレツ、プレスハムはリッチなランチだなと思う。

しかし、カツカレーとビーフカツという荒業の方がボクには合っている。

お互い満足、満腹感を味わいながら店を出て、次こそは

昼間からすき焼きビールを頼もうと誓った。

以外と昼間から洒落たお年寄りや予備校生がすき焼き食べてるのだ。

やっぱしうらやましいし、

どうせならビール飲みながら食べたいよね。

広島くっちゃね隊

« 2007年03月 | 2007年04月 | 2007年05月 »