« 2007年04月 | 2007年05月 | 2007年06月 »

今月の写真 2007年05月

  ヒシベニボタル
ヒシベニボタル 
山の中の谷沿いの葉の上で目立つ昆虫。

フォトギャラリー

今月の言葉(5月) 2007年05月

「辛いときでも幸せなつもり」       

―山崎陽子 

 五月は、若葉光る。風薫る。希望に満ちた季節である。が、しかし、進学、また社会に巣立った人の中には、新しい環境に馴染めず、心をさいなまれる人もたくさんいる。こんな症状を「五月病」といい、昔から神経症候群と言われていた。
 とくに親元から離れての生活では、ホームシックに陥ったりするのも、「五月病」の典型的なものだろう。
 しかし、現在は携帯電話、インターネットの通信事情、交通、社会経済の事情の変化とその産業の急速な発達などで、ひと昔前の「五月病」の症候群とは、様変わりしている。
 私の身近な周辺の人の話では、せっかく大学に進学したのに、学校に行かなくなった、とか、良い企業に就職したのに、人間関係がうまくいかずに挫折している、ということを耳にする。
 今ごろの若い者は、耐えることができない―などとは言いたくはない。が、たしかに、新しい環境への適応する力がなくなっていることは、事実のようである。
 冒頭の言葉を語っていたのは、山崎陽子さん。彼女は、元、宝ジェンヌのスターで、童話作家、ミュージカルの脚本家。二児の母親でもある。私が彼女の話を聴いたのは、過日のNHKラジオ深夜便の再放送。彼女の現在までの生き方を書けば、一編の長編ドラマである。が、簡潔に紹介すれば、幼いころは、病弱、運動神経も鈍く、人前に出ることすらできなかった内向性。
 その彼女が、読書が好きで、先生から人には、だれにもひとつは良いところがある―、と諭されたことから生きる自信を持ち、宝塚歌劇のスターまでに。そして子どもを育てながらの主婦生活からユニークな発想をもとに、童話を書くまでになったという。
 その彼女が、「自分史」から学び、身につけたのが、「辛いときでも幸せなつもり」の人生観である。さらに人には、それぞれひとつは良い点があることをモットーに、他人への思いやりを持つことを座右の銘にしているそうだ。
 私が感心したのは、彼女の生き生きした語り。辛いことを幸せだと受け止め、明るく耐える処世術である。

 若い諸君―挫折する前に、もう一度踏みとどまって考えよう。
 「辛いときでも幸せなつもり」で―。
 これは、私たちの処世術にも言える言葉。

 

(風彦)

 

※山崎陽子さんのサイトは、
 http://www.yoko-world.com/index.html
 エッセイ集に「しあわせは、いつも いま」(二〇〇四年二月)など。 

今月の言葉

雑感(5月) 2007年05月

代表取締役 田河内秀子

 『ジュード・ロウに魅せられて・・・』エンドマーク5月号5ページのタイトル(サロンシネマ発行。何をかくそう弊社が長年お付き合い頂いているお客様)ですが、このタイトルに我が意を得たり。
 3月から公開されている『ホリデイ』では、キャメロン・ディアスの恋人役として登場、妻に先立たれ娘2人を育てているシングルファーザー役で、とってもキュートでした。
 かなり以前の『リプリー』(アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』のリメイク版)では、マット・ディロンがアラン・ドロン役を演じていて、相手役の方のジュード・ロウにアラン・ドロン役を演じて欲しかったなと思ったものです。そのクールな2枚目ぶりがアラン・ドロンを彷彿とさせていたので・・・。でも『ホリデイ』では、笑顔と涙顔が人間味豊かで、いっぺんでジュード・ロウ様いのちになってしまいそうです。ヨン様いのちを笑えない状況ですね。
 二十代の頃、友人とアラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモントどっちが好き?と盛り上がっていたのですが、今ならジョニー・デップとジュード・ロウどっち?と話したら、ジュード・ロウと答えてしまいそうです。今まではジョニー・デップが一番だったのですが・・・。
 本当にたまにしか映画を観にいけないのですが(年に二、三本かな?)私にとって衝撃の一本といえば『幸福』というフランス映画です。夫が不倫をして、妻が自殺し、ラストシーンは夫と不倫相手が幸福に暮らしているというストーリー(あまり記憶が定かではありません)だったと思いますが、二十代前半だった自分にとって「結婚の概念」を根底から崩された一本でした。そしてその時浮かんだ「死んでしまったら負けだよ」という自殺した妻に対しての自分の思いは未だに自分の中に息づいています。貴方にとっての衝撃の一本は何でしょうか?
 たった一本の映画との出会いにひょっとしたら人生を変える力があるかもしれません。
 さて、この原稿を担当者に渡したら、ジュード・ロウ様の『オール・ザ・キングスメン』を観にいく事にしましょう。

雑感

身近な野鳥 「渡りの途中のサシバ」 2007年05月

野鳥観察の楽しみ(五十八)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
サシバ
写真はサシバ(‘07.4.24,奄美大島)〔Nikon D100, Nikon フィールドスコープ 1000mm相当, 1/10秒-f/13,トリミング〕

 渡りの途中のサシバに出会えた。鳥仲間と4月の下旬、奄美大島の探鳥旅行に出かけた時のことである。住用のマングローブの林にいた(写真)。実はもう東広島市にもやって来ていた。

 サシバは冬、東南アジアで過ごす。日本には夏鳥として本州以南に渡ってきて繁殖する。私は夏には稀にしか会っていないが、秋の渡りのときハチクマに混じって上空を流れるように飛んで行くのを良く見る。

 サシバはハチクマよりやや小さく、飛んでいる姿を下から見ると白っぽい褐色で、翼色が透けて見える。止まっている時には白い眉斑がはっきりしていて、喉に黒褐色の縦斑が目立つ。

 合併して同じ市内となった安芸津町に海辺の鳥を見に行った。そこで逢った鳥仲間のKさんが毎年サシバのやって来ている場所に案内してくれた。幸運にも上空を舞うサシバに会えた。奄美に行く前から来ているとの事だった。 

(2007年5月4日記)

野鳥観察の楽しみ

ハイブリッド文化の精華「漢字とカナ」の融合-2 2007年05月

縄文が日本を救う! (51)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 日本人の英知は、そうした和風回帰の一環として、漢詩や漢文には順序を示す数字や返り点などを施して、日本流に読み解くという術(すべ)を発明したし、平仮名に併せて片仮名も生み出し、それを連綿現在(いま)に引き継ぐという離れ業さえやってのけるのである。

 かくして漢字・かな(カナ)の併用は、世界に冠たる高識字率を生んだ。このことがいかに素晴らしいことかだが、時代は下がりコリアにおいて李氏朝鮮(1392~1910)では文字(漢字)が知識階層に一部の所有物に固定され、大衆は文字が書けず読めずという「事大主義」状態の打破を願って、李世宗(1418~1450)は学者に命じて「ハングル文字」を作成させた。

 「ハングル文字」自体合成文字として非常に優れたものであったが、漢字との共通性もなかったこともあり、官僚を中心とした知識層の「小中華意識」も手伝って、その普及ははかばかしくなかった。結局漢字との併用による「ハングル文字」の普及を成功させたのは、日韓併合後の日本総統府の教育によってであった。

 それがいまのコリアでは、戦後ナショナリズムの台頭もあって、次第に漢字を廃して「ハングル文字」ばかりになっている。このことから見ても、いずれにも偏らぬハイブリッド文化の創成や継続は、思ったほど簡単なものではない。いまコリアにとって大きな問題は、次第に歴史・古典や古文書の理解が出来ぬ人たちが知識人の間に蔓延しているという事実である。

 漢字の本家チャイナではどうか。かな文字を持たないチャイナでは、識字率の向上を目指して、従来の文字=繁体字を廃して、簡体字という簡易漢字に置き換えてきた。そのためここでもコリアと同じく、古典や歴史を読めぬ人たちを増やし続けているのだ。

 戦後日本は、GHQの意を体した軽薄な御用学者によって、簡略漢字・当用漢字・常用漢字、それに新仮名遣いという愚挙を押しつけられてきた。(それでもコリア・チャイナに比べればまだましかも知れないが)そうした過去の失態を反面教師として、今後古典の学習、使用文字の増加などに取り組むことが重要課題だと知るべきであろう。

 さて、話は戻って太宰府に流された菅原道真は、結局許されぬままこの地で客死する。彼の死後、都では原因不明の疫病が流行して多くの死者を出し、時平までもが病死してしまう。迷信深い当時のことだ。これは道真の祟りであり怨霊のなせる仕業と恐れおののき、学問の宮「天満宮」を造営して彼の霊を鎮めることになった。

 どちらかというと道真に学術的にも人格的にもシンパシーを抱いていたと思われる時平が、彼を陥れた極悪人のように言われてきたのは不幸なことだが、時平が道真の政策を踏襲しながら、「古今和歌集」という絡め手からの官僚統治に成功したとしても、官僚たちへの決め手となったのは、道真への懼(おそ)れであったかもしれない。

 今の世も、官僚の壁を打ち破るためには、飛び切りの妙手と、彼らを恐れおののかす奇手が必要なのかもしれない。

 話を戻そう。文字を持たなかった日本人が漢字と出会って悪戦苦闘した末に、まず生み出したハイブリッド文字のプロタイプが万葉仮名であった。

 万葉集に収録された和歌には、漢字と漢字を仮名として使用した、いわゆる「万葉仮名」と呼ばれるもので、万葉集には「音(おん)仮名と訓(くん)仮名」が入り交じったり、チャイナの文を借用したり、当て字を用いたり、当時の人のウイットを偲ばせる創意に富んだ和歌は、今の我々にとってはまるで「判じ文」と同じくらい難解なものであった。

 柳瀬尚紀『日本語は天才である』は、たとえば、「孤悲?不有国(こひにあらなくに=恋にあらなくに)」など、「門外漢にとっても面白い」というのだが、とにかく難解であったことは間違いない。  (「に」の簡体語は常用漢字に含まれないので表示不能)

 その後仮名として、「四十七文字」プラス「ゐ・ゑ・を」を加えた五十音図が次第に定着していく。こうした仮名は、漢字を元にして表音文字として特化したもので、実際には万葉仮名も正式に仮名という位置づけとして、いまでは書道の世界で平仮名になって、生き残っている。

    ひらがな・カタカナの語源

あ(安)  い(以)  う(宇)  え(衣)  お(於) 
か(加)  き(幾)  く(久)   け(計)  こ(己)
さ(左)  し(之)  す(寸)  せ(世)  そ(曽)
た(太)  ち(知)  つ(州)  て(天)   と(止)
な(奈)  に(仁)   ぬ(奴)  ね(祢)  の(乃)
は(波)  ひ(比)  ふ(不) へ(部)  ほ(保)
ま(末)  み(美)  む(武) め(女)  も(毛)
や(也)  ゐ(為)  ゆ(由)  ゑ(恵) よ(与)
ら(良)  り(利)  る(留)  れ(礼)  ろ(呂)
わ(和) ん(无)

ゐ(為)  ゑ(恵)  を(遠)

    カタカナの語源

ア(阿)  イ(伊)  ウ(宇)  エ(江)  オ(於)
カ(加)  キ(幾)  ク(久)  ケ(介)  コ(己)
サ(散)  シ(之)  ス(須)  セ(世)  ソ(曽)
タ(多)  チ(千)  ツ(州)  テ(天)  ト(止)
ナ(奈)  ニ(仁)  ヌ(奴)  ネ(祢)  ノ(乃)
ハ(八)  ヒ(比)  フ(不)  ヘ(部)  ホ(保)
マ(末)  ミ(三)  ム(牟)  メ(女)  モ(毛)
ヤ(也)  ヰ(井)  ユ(由)  エ(慧)  ヨ(与)
ラ(良)  リ(良)  ル(留)  レ(礼)  ロ(呂)
ワ(和)  ン(无)

ヰ(井) ヱ(衛の簡体語?) ヲ(乎)
 (ヱ(衛の簡体語は常用漢字に含まれないので表示不能)

 

縄文が日本を救う!

海馬―脳は疲れない 2007年05月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
池谷裕二 糸井重里  共著  新潮文庫  620円

 2000年にこの初版本が出版されたとき、池谷裕二はまだ30歳という若さで、薬学の立場で脳の研究に取り組む気鋭(東大の薬学部助手という)の学者である。糸井重里については紹介する必要のないくらい著名なコピーライターだが、糸井の当意即妙な発言によって、うまく池谷の考えや表現を引き出されえるという形で、「脳」という不思議で難しい分野を、われわれにわかり易く説明してくれる。まさに絶妙のコンビネーションが難解なテーマを分かり易く楽しい読み物にしている。

 「海馬」という脳の一器官が、記憶を司る場所だということを始めて知ったのだが、脳細胞は減る一方で増えることがないといわれてきたのに、この海馬の細胞(神経)だけは、使うことで増えるということも真剣な驚きだった。同神経回路(シナプス)は、思考を重ねる毎に増える上、「決して疲れない」のだそうな。

 この「海馬」という器官は、大脳皮質の内側(脳の中心)にショックから大切に守られている、小指くらいの大きさで、タツノオトシゴの形をしているところから名付けられたもので、先に扁桃体というクルミ状の器官とセットになった左右1対で構成されている。

 この「海馬」の仕事は、毎日側頭葉から送り込まれる情報を取捨選択し、必要なものを記憶として側頭葉に送り返す事だそうだ。

 脳細胞が死ぬ一方だという理由は、いつまでも昔のことを覚えていると、新しい記憶との混同を避けるためで、実際にわれわれは、脳細胞の98%は使っていないのだから脳細胞が死んだと言っても何の問題はないという、嬉しいような寂しいような事実も教えてくれる。

 また記憶力だが、問題はただ記憶することだけではなく、それを思い出すことの方が大切であって、われわれは記憶したものを脳のいろんな箇所に分けて保存しており、必要に応じてそれらを手際よく纏めて書いたりしゃべったりすることなのである。

 各章ごとに取り纏めとしての要約があって、しかも非常にわかりやすいのが特徴で、われわれ年寄りにもうれしい部分が沢山ある。たとえば第1章「一流はおしゃべり」というもので、お喋りし過ぎていつも反省しきりだった塾長への助け舟でもある。

 本書のお陰で、「眠ることは脳の整理である」とか、「記憶にも沢山の種類があり、記憶を高める方法がある」など、今まで知らなかったことを実に沢山教えられた。その中で特にうれしかったのは、「歳を取っても脳は成長する」というくだりと、「30歳の誕生日」が人生の縮図で、その時に考えたことでその後の人生が決まるようなものだ」というところである。

 ちなみに塾長の場合(誕生日云々は別として)この時期に、ハイブリッドアメリカ鶏が輸入されたことであり、このハイブリッド理論がイン・プリントされ、縄文塾に結びついたのである。

 また歳を取ったから物忘れがひどくなると言うのも、興味のあることや特に気になることなどはしっかり記憶するところから見ても、ウソだということが分かる。自分事で恐縮だが、塾長の場合も、昔から見てはるかに物覚えが良くなったのだが、これも「柔軟性と好奇心」をモットーにして、興味のある本を読み、話を聞いてきたせいだとわかった。

 皆さんもぜひこの本を読んで、自ら実証して欲しいものだ。このような「タメになる本」が500円あまりで読めることは、幸福以外にない。なお、もっとくわしく「記憶力のメカニズム」と、その実践法に触れたい方は、同池谷氏の記憶力を強くするの併読をお勧めする。

感銘の一冊

ありふれた魔法 2007年05月

盛田隆二 著
光文社 発行

 主人公は、44歳にして銀行の支店次長のエリート。もちろん妻も子供もいます。最初、この主人公のことが、独身(しかもこの本の主人公より年上!)の私の目にはかけ離れた存在に映りました。しかし、読み進めていくうちに、本書のリアリティに富んだ文章にぐいぐいと引きずり込まれ、いつのまにか融資先の状況について不安にかられたり、無断欠勤を続けている部下のことが気にかかったり、ひいてはそれらが自分の昇進の道を脅かすのではないかと気を揉んだりしてしまうといったような、物語の世界と現実の世界が重なるような感覚を体験しました。メインストーリーは、主人公が「ありふれた魔法」にかかり、酔いしれ、さめていくまでの経緯を描いたものと要約できますが、はたしてその「ありふれた魔法」とは…。私も主人公のように「ありふれた魔法」にかかってみたいものです。
 ところで、ここで、秘密のクイズに移行します。本書のタイトルになっている「ありふれた魔法」ということばは、J-POPの歌詞の一節からとられたものです。その曲名と演奏しているバンド名をお答えください。正解された方2名様(早い者順)に手作りの秘密のプレゼントを差し上げます。 

(哉)

今月の気になる本

ユメ十夜 2007年05月

【監督】実相寺昭雄、市川崑、清水崇、清水厚、豊島圭介、松尾スズキ、天野喜孝&河原真明、山下敦弘、西川美和、山口雄大
【主演】小泉今日子、うじきつよし、他

 お伽話などで「夢落ち」というものがあります。「不思議の国のアリス」のように、実は夢でした、で終わる、ちょっと反則のような結末です(それでも「アリス」は面白いですけど)。その点、夏目漱石の「夢十夜」は"こんな夢を見た"で始まる「夢落ち」ならぬ「夢始まり」。何が書いてあっても訳が分からないなんて云わせない、これも反則のひとつかも。
 見た夢を文章にするのは難しい。話して他人に興味を持たせるのも難しい。面白くもない夢の話を聞かされてどう反応したらいいのか困ったこと、あるでしょう?でも漱石の「夢十夜」は不思議な魅力に溢れる連作です。自分が書き残すことが出来なかった夢がそこに書かれているような気にさせられます。その原作を十人十色の描き方で映像にしたのが本作品です。漱石の文章の香りまで伝わった実相寺監督作品、2ちゃんねる語で語りながら実は原作に最も忠実な松尾作品…十編続けて見ると混乱してしまいそうですが、今夜の夢でまた続きを見るのかもしれないですね。

(nao)

キネマ見ましょか

[不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―11 (真) 大ジョッキ 2007年05月

今日は仕事で身体も心も疲れた…

普通なら家にまっすぐ帰って寝るのが1番だ、でもそれじゃあストレスって奴は抜けちゃくれない。

友人にメール攻撃を浴びせ掛け、呑みに連れ出した。

こんな日はビールをガツーンと呑みたいので

五日市はコイン通りの南の端っこ、パチンコ屋の裏側に連なる飲み屋へ向かう。

いかにも昔からやってますよ、って感じの焼肉屋に乗り込み、まだ他の客に接客中のおばちゃんに生ビールを頼みめちゃめちゃ怒られる。

だってもう辛抱たまらんもん、

生呑みたいんじゃもん。

 

友人にも怒られつつ、改めておばちゃんにメニューを頼む。

生ビールしかないだろう、

生だよ、生!

肉の注文は、今日は呑みメインのつもりなんで塩主体で頼む。

タン塩、やさき、ミノ、豚耳とカルビだけタレにした。

しばらくして生ビールが二杯くる。

そう、

今日は中ジョッキなんてセコいことは言わないで大ジョッキだ。

 

0705beer3.jpg

 ガツーンと呑むのだ。

ずしっと腕に感じる重さがたまらない。

いつもより重い響きをあげつつ乾杯すれば渇いたはずの咥内によだれが満ち溢れる。

なんて余韻に浸っている自分と違い、友人は一心不乱にビールを呑み、気付けばもう半分になっている。

負けずに呑んでやる。

うーん、旨い、感動だ。

大ジョッキならではの喉にほうり込いつもと違うむ巨大な圧力が快感なんだよね。

今日はビールを呑むにはいい日だ。

ハイペースで二人揃ってお代わりするタイミングで肉がくる。

 

0705oniku.jpg

塩4品、一つの皿にきたが二人ともなんの相談もなくタン塩から焼き始める。

やっぱしビールにはタンでしょ、

タン塩しかないね。

厚みのあるタンを焼きすぎず、口へほうり込めば柔らかい歯ごたえのあとにジューシーなうま味が襲ってくる、すかさずビールを喉にほうり込む。

薄切りのタン塩なんて寂しくて泣けてくる。

タン塩をまた喰らう、ほうり込むを繰り返し次は白い恋人、ミノ、白肉を焼く。

ミノは少しカリッとしたのが好きなので焼いてる合間に豚耳を軽くあぶり食べる。

 

0705tonmimi.jpg

う、旨い、

口の粘膜にねっとりしたうま味が広がる。

そういえばこの店を知ったきっかけはこの豚耳と豚足だった。

去年、豚の内臓専門店

めちゃめちゃ豚耳と豚足が旨い焼肉屋がある

と教えて貰ったのがこの店だった。

酔った勢いで

ここの豚耳はなんでこんなに旨いんか、

と聞いたら茹でかたらしいが素人にはよくわからんかった。

とにかく焼きすぎんよう軽くあぶり食べるとやばいくらいに旨くてビールをまたお代わりしてしまった。

カリッと焼いたミノは歯ごたえとうま味といい最高ですね、白肉は天ぷらが最高と昨日まで思ってたけどやっぱし焼肉が最高だね。

合間にヤサキを焼く、心臓独特の血の香りと歯ごたえが猛烈に食欲を加速する、もうなんでも旨いじゃんと、二人ビールをお代わりする。

タイミングでサシのたっぷり入ったカルビが来る。

 

0705karubi.jpg

タレも旨いし、肉も口の中でとろけるけど今日は肉を喰らうより、ビールを呑みに来てる日なんでやはり豚耳が最高だね。

途中で片方は中ジョッキにダウンしちゃったけど

やっぱり今日も生ビールは最高だった。

 

0705beer1.jpg

 

広島くっちゃね隊

[不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―11 おまけ 2007年05月

omake3.jpg

 友人が広島市内のフランス料理店のランチで遭遇した一コマ。 

ヤ○ダ電○の近くにある店で、 結構有名なお店らしいです。

豪快です。

インパクトがあるので思わず載せちゃいました。

スミマセン・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

omake1.jpg

ばんざ~い!

  って見えます。

 

 何だか気分も

ばんざ~い!

 ってなります。

 

 

思わず、

こいつを丸々食べるのか?!

と思ってしまいますが、実際は下の通り。

  omake2.jpg

 おいしそうです。

こうなると『フランス料理』って感じになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

omake4.jpg

ばんさ~い!

広島くっちゃね隊

« 2007年04月 | 2007年05月 | 2007年06月 »