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今月の写真 2007年07月

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ヤマサナエ
今年の初認は5月16日、それから何度も出会った。(6月13日撮影)

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今月の言葉(7月) 2007年07月

五十年の歴史を忘れまい―。
広島市民球場の
過去と現在と未来

――風彦 

 早いもので、広島市民球場ができて七月二十二日に五十年を迎える。当時を知るファンにとっては懐旧の念もまた一入であろう。私もその一人。その後、二度の拡張で現在の『威容』を整えたわけだが、球場の施設は老朽化が目立ち、改装・建替え計画や新球場の建設が持ち上がりながら、建設費などをめぐり、紆余曲折(この件は割愛)、難航していた。
 過日、広島市・県・経済界のトップが会談してJR東広島駅貨物ヤード跡地に新球場建設について合意した。総工費九十億円のうち三者で四十六億円を負担しあうことを共同声明で発表した。残りの建設費の捻出には、まだ問題があるが、まずは、めでたしというところであろう。
 今の球場は広島経済界のリーダー格だった東洋工業(現在のマツダ)の社長 松田恒次さんが広島経済界の「二葉会」に呼びかけて実現した。すべて、カープ強化のためにナイター設備のある球場を作ってやろう―との思いからだった。建設資金として、一億六千万円を寄付。昭和三十二年二月、総工費は二億円で着工。七月二十二日竣工式という突貫工事だった。当時の「二葉会」の財界人は、すでに亡くなり、また当時のいきさつを知る人も少ない。
 先月、広島市南区にある広島市郷土資料館での企画展「広島市民球場の50年」に出かけた。当時の渡辺市長などの政界の動向、球場をめぐる公文書、設計図、選手のユニフォーム、ファンの熱烈応援ぶりの写真、球場建設の経過と周辺の風景写真の展示には、感慨無量…。
 そのなかで私が胸をうたれたのは、アニメの作品「ドリーマーズ」のビデオ上映だった。原作は、あの「はだしのゲン」の作者、中沢啓治。監督は兼森義典。上映は八十六分だったが、内容は、原爆で両親を失った野球少年と原爆症で息を引き取る弟との兄弟愛。そして野球少年たちの友情を軸に呉に駐留していた米国兵士たちとの野球試合。カープの創立当時の少年たちの思い、郷土愛を描いたこの作品を見て、熱いものがこみ上げてきた。一九九四年の作品だが、カープと原爆の悲劇は、語り続けなければならぬ広島の社会文化である。
 私たちは、新球場の建設の『朗報』のなかに、広島の歴史を忘れてはならない。

 

 

(風彦)

今月の言葉

雑感(7月) 2007年07月

代表取締役 田河内秀子

  いよいよ新しい場所でのスタートです。事業年度も七月決算ですのであと一ヶ月を残すのみとなりました。この一年間いろいろな事を考え、実践しながらやってきたわけですが、出来た事、出来なかった事、多々あります。しかしその中でも長年、もっと広く、しかも社員の通勤に便利の良い場所で、しかも家賃は払える範囲の私達に最適な工場・事務所をと欲張って願っていた事が、ことごとく叶う場所を与えられたという事は、本当にただただ感謝のみです。
 又、工場・事務所の引越しという一大プロジェクトを無事成功できたのは、意見の相違を乗り越えてプロジェクトリーダーの下、社員全員で協力できたお陰です。引越しが決まってから何度も会議を行い、各階のレイアウトを決め、必要な備品設備の手配、電気工事・内装工事・大型印刷機械の移動・荷造り・引越し・荷解き、旧社屋の看板の撤去やゴミの処理・掃除と六月一日からすべて完了にほぼ一ヶ月を要しました。その間、売上目標も追いかけながらでしたので、実に大変な一ヶ月間でした。
 引越しが終わると関係者の方々や友人達からたくさんのお祝いが届きました。本当に有り難く、多くの人たちの支えがあって初めて出来た事だなあと実感しております。
 これから心機一転社業に励むわけですが、一人当たり約十五坪分の場所を与えられた訳ですのでそれを存分に生かし、今までと違う仕事のやり方、違う商品の開発、違う売り方を発想していかなくてはいけません。又、印刷会社として、もっとお客様の役に立つサービスも提供できるようにならなくてはいけません。課題は山積しておりますが、一歩一歩前進していくつもりです。
 イチローが、ずっと今まで心がけていた事はたった三つのことだった、と先日の大阪での研修で聞きました。ひとつは誰よりも早く球場に行く。ふたつめは誰よりも多く練習をする。みっつめは誰よりも道具を磨く。この三つの事を積み重ねた結果が今のイチローで、決して天才ではなく、毎日毎日小さい事を積み重ねた結果がとてつもない所に連れて行ってくれるのだ。という内容でした。
 イチローにはほど遠いですが、まずはひとつでも誰にも負けないこれ! というものを社員一人一人が持って新しい場所で研鑚を積んで行きたいものと思っています。
 今後ともご指導お引き立ての程をなにとぞ宜しくお願い申し上げます。

雑感

ハイブリッド宗教事始め 2007年07月

縄文が日本を救う! (53)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 神道と仏教の融合

 『ハイブリッド文化の精華』で前回記載した"「漢字とカナ」の融合(50~52)"とは、後先になったが、縄文時代は、(言うまでもなく)宗教と言うよりもまだアニミズムの世界であった。彼らは、すでに「ハレ(晴=非日常・祭り)」と「ケ(褻)」という生活を区分をする文化を持っていた。
  
 マツリというハレの日には、男女とも精一杯のおめかしをしてご馳走を並べ、その喜びを祖霊に、森羅万象を形成する自然神に、森の中のありとあらゆる精霊に、種族を守護してくれる守護神に、心からの喜びの祈りや収穫の品を捧げて踊り、ニワトコやヤマブドウなど木の実の酒を飲んでトランス状態となり、神々や精霊と一体になって、笑い泣きまた陶酔の境地の中で歌い舞い明かしただろう。

 一方恐ろしい地震は「地母神」の怒りであり、火事は「火の神」、噴火は「山の神」、台風は「雨の神」と「風の神」、旱は「天の神」の洪水は「川の神」の、そして津波は「海の神」の怒りであった。
縄文の民は過酷な自然現象に自らの罪意識を重ね合わせ、恐れおののいて許しを乞いうた。

 それらは、あらゆる自然を神と一体に見る「*マナイズム」であり、万物の精霊を神とし、自分たちを護ってくれる先祖の霊を信仰する「アニミズム」であり、祖霊・万物の精霊が憑依し、現世の対話やお告げを行う「シャーマニズム」であり、種族を象徴する守護神、特定する主神を祭る「トーテミズム」であった。

 また「言霊」によって悪霊を避け幸せを願う、あるいは敵対するものに災いをもたらす「呪術」でもあった。たとえば、現在まで日本の風土や社会環に脈々生き続けている「言霊(ことだま)思想」だが、呪術的なものとしては、その後「真言」からお経という意味不明な形態で、また日常生活に於いても、口してもよい「縁起のよい言葉」、はばかられる「・悪い言葉」として脈々として今に生き続けている。

 こうした多彩な自然神が渾然一体となった多神教の森の世界に、水田稲作を持ち込んだ弥生の民によって、自然神は次第に人格神姿に変わっていくことになった。

 もともと蛇を主神としていた縄文の民と、同じく蛇を主体にいろんな動物守護神を集合して「竜」をトーテムとした前期弥生人との融合は容易であった。

 彼らは各地で竜信仰の「国津神」を形成していったのだが、その後より国家統一意識に満ちた、太陽神を信仰する後期弥生人「天孫族=天津神」の到来によって、自然神は急速に衰え、あたらな人格神として再生することになった。「古代神道」の誕生である。

 時代は下がり、チャイナあるいはコリアの地より仏教が伝来する。
 当然守旧神道派(物部氏)と新興仏教派(蘇我氏)の抗争が激くなり、新興仏教派蘇我氏の勝利に終わるのだが、それを契機に起こるであろう大きな抗争と分裂を憂れえた聖徳太子は、神道と仏教に儒教まで包含した「神仏儒集合」を見事に成功させるのだ。

 堺屋太一『日本とはなにか』によると、太子は、「神を幹とし仏教を枝として伸ばし、儒教の礼節を茂らせて現実的反映を達成するという詭弁的論理を編み出し、一を加えて他を否定することはない」と述べ、「神々は敬わなければならない。敬ってなお祟るのが日本である。その祟りを沈めるのが仏である」という至極便宜主義的発言によって民を納得させたと指摘する。

  「和を以て尊しとなす」という思想の根源が、そして我々日本人の精神構造と社会倫理意識の発生は、ここに遡ることが出来る。その後紆余曲折を経て、一見便宜的にも見えながら、今ほど他を許し昨日の敵を今日は友と見る寛容さが求められる時は無いことを考えれば、日本という国の一見矛盾に富んだ有り様が、いかに貴重なものか再認識する時が来るであろう。

 ユダヤ・キリスト・イスラムという一神教が破綻し、エンドレスの血を血で洗う復讐劇、さらに救いのない終末思想が、やり場のない虚無感となってわれわれに迫って来ることに比べ、この一見頼りない宗教観のなんと安らかな思いをもたらすことか。

 安田喜憲『蛇と十字架』は、西洋史観がそして近代科学の枠組みから脱却できず行き詰まりを示している状況を指摘して、世界中で顕在化してきた「文明の衝突」や、行き場のない精神の袋小路の突破口として、「アニミズム・ルネッサンス」を提唱する。

 ただ神道には、一つ決定的な問題点があった。それは「穢(けが)れ意識」という発想である。精神的にも物質的にも汚いもの、汚れたものを徹底して嫌い、そうしたものに遭遇した時には、必ず禊ぎ、祓(はら)い、清めることが不可欠というものである。

 なにしろいまの子どもたちの「いじめ」の深層にも、根強い穢れ意識を見て取れるし、原子力や基地問題から、病気や倒産まで、ある意味穢れに対する差別的な視点の存在が厳存する。またその裏返しとしての清潔意識、行き過ぎた潔癖観念、抗菌グッズの人気などに連綿生き残っている。

 そうした穢れのもっとも顕著な例は「死」であり、古事記を繙(ひもと)けばよくわかる。イザナギが最愛の妻イザナミの死を嘆き悲しみ、黄泉(よみ)の国まで追うのだが、そこで醜く変わり果てたイザナミの姿に恐れおののき、逃げ帰るという逸話に見られるように、「死穢(しえ)」を徹底的に忌み恐れてきた。

 飛鳥・白鳳・天平と続く奈良の時代の、度重なる遷都もそうした恐れが為さしめた行為に他ならない。結局そうした不得意なところを仏教に全て委譲することで万事解決としてしまうのだ。神道にとっておそらく、土葬でなく火葬という行為が、この上ない禊ぎであり、祓い清めであった。

 こうした神道が、果たして宗教かどうかという基本に立ち戻って考察する必要があるだろう。たとえば神道には教典や教義はおろか、本当の意味でのご神体もない。神社に参拝する場合、そこに祀られた神様がどういう神様なのかわからないケースがほとんどである。
 しかも現世でご利益をもたらすと思われる神様を、元の神社から分祀して貰って来たりするから、益々分からなくなる。いうなれば「原理・原則」などもともと存在しない、空気のようなものが、神道における神のなのである。

 そうした神道の性格が、仏教をはじめ儒教だけでなく、道教やヒンドゥー教まで取り込んだ、「日本教」を創り上げることになる。
 まさにご都合主義的な日本教は、敬虔な信者を持つほとんどの国にとって、疑念と不信感を抱かすのだが、案外こうした融通無碍、相手の宗教を認め、敵すらも認め包含する思想が、相互不信に充ち満ちた一神教の行き詰まりを、暖かく溶解させる、新しい宗教観として認知される可能性を期待したい。


注:*マナイズム
 上田篤『神なき国ニッポン』は、マナイズムを「万物の中で超人間的、あるいは超自然的な力を持つものを畏れる「超人間教」「超自然教」、アニミズムは「精霊教」といってよく、万物にはどんなものにでも肉体の他に精霊がある」とみるものである」と定義している。

 

 

縄文が日本を救う!

帝国海軍が日本を破滅させた(上) Incompetent Japanese Imperial Navy 2007年07月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
佐藤 晃 著  光文社  1,000円

 不思議な本である。表題からある程度同感できると思って読んでるうちに、「同感、同感」という思いがあったのが、次第に「何で」という気になってくる。下巻になると「まだ懲りないのか」という感を深くする。著者は1927年(昭和2年)福岡生まれ、陸軍士官学校61期生(最後の入校者)、戦後大分経済専門学校卒。三井鉱山(株)、三井石油化学工業(株)に勤務、1987年退職後、戦史研究に基づく執筆活動に入る。

 一貫して「陸軍悪玉、海軍善玉」史観を批判し日本敗戦の真相を追究してきた。主要著書に『帝国海軍の誤算と欺瞞(1995星雲社)』、『帝国海軍「失敗」の研究(2000芙蓉書房)』、『太平洋に消えた戦機(2003光文社)』、があり、本書はこれらに続く「帝国海軍研究」の決定版といえよう。

 そもそもの基本的原因は大日本帝国憲法にある。統帥権(軍の最高指揮命令権)の独立である。これは立法・行政・司法に並立する(あるいは超越する)第4の権力である。(もう一つ問題点があった。憲法に内閣総理大臣の規定がなく、国務大臣の一人でしかなく、大臣をまとめるだけで抑えることはできなかった。意見が合わないと閣内不統一ということで内閣総辞職に追い込まれた)。

 しかし、日清戦争では政・軍の調整を元老(伊藤博文・山県有朋・大山巌・井上馨・松形正義)が行い、軍も平時は陸海並列対等であったが、戦時大本営条例では参謀総長(陸)が全軍を統帥し軍令部長を指導することができた。日清戦争を何とか勝利したが三国干渉で臥薪嘗胆している中で、海軍は陸軍の下に立つことを好まず陸海並立対等を唱えた。一時は沙汰止みになったが海相山本権兵衛の強力な意向でついに成立した。

 これが戦争の統一指導を阻み、海軍の担当分野への陸軍の介入を拒否した原因になっている。日露戦争が実は辛勝であったのに現象面での快勝を理由に次の仮想敵をアメリカにして戦備増強を図って、軍縮条約に反対し国家予算の多くを獲得した。このため国民的英雄東郷元帥を取り込んだのは許せない。それが戦略思想面では「艦隊決戦」「通商破壊軽視」となって表れ、更に「艦隊保全」「情報軽視」につながったと考えられる。

 大東亜戦争では、当初考えられていた「速やかに極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立するとともに更に積極的措置により蒋政権の屈服を促進し独尹と提携してまず英の屈服を図り米の戦意を喪失せしむるに勉む」とあり太平洋地域は持久正面であった。これを山本五十六は、ハワイ奇襲による開戦に切り替え、表面的な勝利は得たが山本の期待した戦意の喪失とは逆に燃え上がらせてしまった。

 また、戦力転換点(彼我の戦力と兵站支援力のバランスが逆転する距離)を勝手に越えてその後始末を陸軍に要求したり(代表例がガダルカナル)、世界の海軍の常識である通商破壊戦を全く考えず相手の輸送船は航行自由、我の輸送船はほとんど沈められるという結果をどう考えればいいのだろうか。 

 開戦時の戦力で戦うという考え方から戦力の補充という点に考えが向いていないのも問題である。特に、パイロットは世界一の技能集団であったのに次第に消耗し、適切な補充施策がないまま戦力は一気に低下している。戦果確認も、確認機を置いた当初と異なり各自の報告のみの積み上げとなれば戦果は当然過大となる。

 これを客観的に分析することなく突入した搭乗員の報告を尊重するという情緒的な処理で確認し、しかもそれを自分でも信じてしまった。しかも、これに乗っかった陸軍の少壮参謀がいる。自分たちが現地で見たものよりも海軍の意向に乗じようとして、終末作戦指導をした者たちである。瀬島、服部、辻など自分の責任を感じることなく戦後を生き延びたことは到底許しがたい。

 というふうに、著者は海軍を指弾しその説得力は抜群である。ただこれで陸軍は善玉にはならない。特に政治的に動いて世界の世論に与えた影響は無視できない。しかし、先の戦争を考えてみたい方にとっては一度ご覧になったほうがよい書ではないかと思う。

 

感銘の一冊

デザインのひきだし2 2007年07月

グラフィック社
2007年6月25日
初版第1刷発行

 何やらきれいでかわいらしい「モノ」が好きです。とくに紙をゴショゴショッといじって作った、「ほぉー」っとうならされるような「モノ」。最近では、街角で手渡されたauの「決める夏。」という広告。これは、開くとA4のチラシですが、うまく折りたたんであって、サッカーの審判が着ているシャツのような形になっているので感心しました。こんな私みたいな性格でなくても、本書を開けば、そこに紹介されている数々のアイテムに目を奪われるはずまちがいなしです。「ほぼ日」グッズや各社の工夫を凝らしたノベルティーグッズがいっぱい載っています。それらを参考にして、記載されている業者にたのめば、自社をグッとアピールするアイテムを製作することも出来るでしょう。
 クラフト紙はただの物を包むだけの紙ではない。クラフト紙の製造過程から、一般的に包み紙として認識されているクラフト紙を書籍の本文にまで採用したデザイナーの談話。
 半分空気で出来ている紙とは。「吾輩は猫である」を今の感覚で装丁したらどんな本ができあがるのか。鉛筆デザインプロジェクト、などなど、興味津々の記事が目白押しです。
 ところで、ここ数年来、未経験の活版印刷に憧れ続けてきた私が、最も心引かれたのは、「巻末特集 まだまだ現役 活版印刷」という記事です。手動式のコンパクトな活版印刷機FOR SALE!とのこと。即、本文中に記載されていたURLにGOしました…。ああ、心がズキズキ痛む、疼く。女性でも移動させることが出来るほど軽量で、卓上にポンと(でもないかもしれないが)置けるらしい。うちの父親が乗っているトヨタのヴィッツより安い。ローンを組めば何とかなるかも…。清水の舞台が近くにあれば、思い切って飛び降りてしまいそうです。
 「あの人は引き出しが多い」という表現があります。経験豊かで、アイデア豊富な人=引き出しの多い人なわけですが、本書を閉じたとき、あなたの「デザインのひきだし」(の中味)は、少し増えていることでしょう。 

(哉)

今月の気になる本

アポカリプト 2007年07月

【監督】メル・ギブソン
【主演】ルディ・ヤングブラッド,ダリア・ヘルナンデス,ジョナサン・ブリューワー モリス・バード,カルロス・エミリオ・バエズ

 タニシ企画印刷移転に際し、今回は"新しい始まり"を求めた青年を描いた映画の話をします。その映画はメル・ギブソン監督の最新作『アポカリプト』。歴史の授業やテレビの紀行番組では触れられることのない、生身の人間たちと彼らが生きて滅びていった時代の物語でした。
 この映画を見て最も強く思ったのは、死ぬってこんなに痛くって血がたくさん出ることなんだ、ということでした。物語を語るための極端なシーンも誇張しすぎる部分も確かにある作品です。けれど人間の生死は決して観念的なものではない、頭の中で思い描くものではなく一人ひとりが現実的に対峙しなければならないものだ、と語りかける力強さは他の映画には無いものでした。森の中を走る主人公は世界を救う不死身のヒーローではありません。新しい始まりのために、そして愛のために戦うひとりの、私たちと変わらない人間です。

(nao)

キネマ見ましょか

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