五十年の歴史を忘れまい―。
広島市民球場の
過去と現在と未来
――風彦
早いもので、広島市民球場ができて七月二十二日に五十年を迎える。当時を知るファンにとっては懐旧の念もまた一入であろう。私もその一人。その後、二度の拡張で現在の『威容』を整えたわけだが、球場の施設は老朽化が目立ち、改装・建替え計画や新球場の建設が持ち上がりながら、建設費などをめぐり、紆余曲折(この件は割愛)、難航していた。
過日、広島市・県・経済界のトップが会談してJR東広島駅貨物ヤード跡地に新球場建設について合意した。総工費九十億円のうち三者で四十六億円を負担しあうことを共同声明で発表した。残りの建設費の捻出には、まだ問題があるが、まずは、めでたしというところであろう。
今の球場は広島経済界のリーダー格だった東洋工業(現在のマツダ)の社長 松田恒次さんが広島経済界の「二葉会」に呼びかけて実現した。すべて、カープ強化のためにナイター設備のある球場を作ってやろう―との思いからだった。建設資金として、一億六千万円を寄付。昭和三十二年二月、総工費は二億円で着工。七月二十二日竣工式という突貫工事だった。当時の「二葉会」の財界人は、すでに亡くなり、また当時のいきさつを知る人も少ない。
先月、広島市南区にある広島市郷土資料館での企画展「広島市民球場の50年」に出かけた。当時の渡辺市長などの政界の動向、球場をめぐる公文書、設計図、選手のユニフォーム、ファンの熱烈応援ぶりの写真、球場建設の経過と周辺の風景写真の展示には、感慨無量…。
そのなかで私が胸をうたれたのは、アニメの作品「ドリーマーズ」のビデオ上映だった。原作は、あの「はだしのゲン」の作者、中沢啓治。監督は兼森義典。上映は八十六分だったが、内容は、原爆で両親を失った野球少年と原爆症で息を引き取る弟との兄弟愛。そして野球少年たちの友情を軸に呉に駐留していた米国兵士たちとの野球試合。カープの創立当時の少年たちの思い、郷土愛を描いたこの作品を見て、熱いものがこみ上げてきた。一九九四年の作品だが、カープと原爆の悲劇は、語り続けなければならぬ広島の社会文化である。
私たちは、新球場の建設の『朗報』のなかに、広島の歴史を忘れてはならない。
(風彦)