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今月の言葉(9月)

われ未だ木鶏たりえず

――三十五代横綱・双葉山定次 

 この言葉を知っている人は、もうほとんどいないだろう。かくいう私は、少年時代に父親に教えられたし、のちに書物で読んだ記憶がある。双葉山といえば、戦前、大相撲では不世出の名横綱。不敗を誇り、七十連勝を目前に安芸海に破れ、当時角界のみならず、センセーショナルな社会事件であった。
 昭和十四年春場所四日目、安芸海の外掛けに崩れ落ちた一番だった。当時、小学二年の私にもラジオ実況放送の熱狂的な叫び、私の周辺の大人も子供も欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した興奮ぶりは、今でも遠い記憶のなかに残っている。安芸海は、前頭三枚目、新進気鋭の力士。広島出身だけに広島の相撲ファンは、安芸海への身びいきは当然だった。現在の六場所制とちがい、二場所制。春場所は一月。相撲への関心は、国をあげての人気。まさに伝統ある『国技』であり、『文化』であった。
 冒頭の言葉は、双葉山が親交のあった安岡正篤(やすおか・まさひろ)氏宛て電文。
 安岡正篤氏は、東洋政治哲学者、人間学の権威で、昭和天皇の終戦の詔(玉音放送)の草案に加筆、戦後の歴代宰相の師でもあり、平成の年号の発案者としても知られる。
 当時、安岡氏は、欧州旅行中の船の中で双葉山からの無線電信を受けたという。
「ワレイマダモッケイタリエズ フタバヤマ」
 双葉山は、常日ごろ、安岡正篤から中国の故事「木鶏」の話を聞き、相撲は単なる勝ち負けではなく、心を鍛錬、天にいたる道であると自ら人格形成に励んでいた。が、安芸海に不覚をとったことから、まだ修行のたりないことを自戒したという。
 ところで「木鶏」とは、荘子の達生に出てくる話。簡略すると中国の王が、闘鶏を養う名人に強い闘鶏を求めた故事によるもので、強さを表に出さない最強の闘鶏のことである。
 さて、九月は大相撲秋場所がはじまる。が、横綱・朝青竜は、例の巡業拒否、モンゴル帰国事件の処分で、今場所、九州場所と謹慎、減俸処分問題でいまだに論議があとを絶たない。嘆かわしい話である。
 わが国の相撲は古代より神への奉納の儀式から発展。日本文化の「国技」である。横綱の綱は、神と人間を結ぶ絆。綱を締める力士は、最高の名誉ある地位。今回の問題は、相撲協会を含め「国技の品格」「横綱の品格」が問われることだ。

(風彦)

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2007年09月10日 15:47に投稿されたエントリーのページです。

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