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今月の写真 2007年12月

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キボシアオゴミムシ
胸が金属色で藍色に見えたり、赤黄金色に見える。(07.10.12東広島市八本松町)

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今月の言葉(12月) 2007年12月

渦巻く義憤の嵐
  ―誤った情報操作による日本の悲劇―

――風彦 

  十二月といえば師走。歳末大売出し、クリスマス商戦の狂騒で街は活況づく。が、昭和ひと桁の世代には、この月は忘れることのできない日本の悲劇の序幕である。十二月八日。大東亜戦争の開戦記念日。今から六十六年前のこと。今でも、あの時の大本営発表は、鮮明に記憶している。
「大本営発表。本日未明、わが国は米英両国と戦闘状態に入れり」
 ラジオから流れるニュース。威勢のよい軍艦マーチ。相次ぐ勝利の戦果。当時小学五年生だった私を含め国民は、一時の勝利に酔い驚嘆したものである。
「鬼畜米英打倒!」「大東亜共栄圏確立」「一億火の玉」「撃ちてし止まん」「贅沢は敵だ」「勝つまでは欲しがりません」
 大東亜戦争を「聖戦」といい、すべてを犠牲にしての戦争。大本営発表の真偽を知る術もない社会情勢下。のちに戦場は拡大、泥沼化。神国日本を救う神風にあやかっての「神風特攻隊」、人間魚雷の「回天特攻隊」を編成してまでの異常な戦況の末、敗戦の悲劇をみた。私は今年も思う。八月十五日の「終戦記念日」などの国をあげての戦没者への追悼をする式典も結構ではあるけれど、あの忌まわしい戦争への十二月八日の「開戦日」を忘れてはならない。多くの戦争を知らない世代に、あの歴史の真実を伝えるべきである。
 過日、旧日本銀行広島支店で「戦争展」があった。戦時中の国民生活から支那事変の勃発の経緯、日本の政治、軍部の台頭、大東亜共栄圏の虚像、大東亜戦争から太平洋戦争への戦火などさまざまな当時の写真、ポスターなどの展示品を見たし、併設のコーナーではVTRの紹介と戦争、原爆の語り部たちの話も聞いた。そのなかで従軍看護婦だった老人の切々と語る戦争と人間愛は、心に残った。
「今の日本は、あの頃と似ているのが恐ろしい」
 その人が訴えたかったのは、国による情報の隠蔽と操作ではなかったろうか。
 政府筋のインド洋での自衛艦の米軍艦船への給油量の情報問題と継続のあり方をはじめ厚労省の薬害問題や建築の耐震偽造、食品の産地欺瞞、賞味期限の捏造が相次ぐ。
 今年ほど義憤を感じた年はない。それは国に対しても企業に対しても。
 義憤とは正義、人道の行われないことを憤ること。公憤(広辞苑)、とある。
 『国家の品格』。『企業のモラル』を正すためにも義憤を死語にしてはならない。

(風彦)

今月の言葉

雑感(12月) 2007年12月

代表取締役 田河内秀子

  我が社では今期(平成十九年八月一日~平成二十年七月三十一日)を始めるに当たって、経営理念と経営ビジョン、活動指針と第二十五期スローガンを成文化して、壁に貼り毎朝朝礼で唱和することにしました。四ヶ月経過して、はじめは気恥ずかしかった唱和も徐々に慣れて暗唱(?)出来るまでになりました。しかしその中身を実行するのはなかなかではありません。
 今までと同じ仕事の考え方や、やり方ではできそうもないので、まずは視野を広げなくてはと、いろいろな研修に取り組んでいます。社外研修では印刷工業会が主催する印刷周辺の各種研修、通販サポート会社の主催するポートフォリオの研修、昼食休憩を利用して社員が講師になっての実務研修、外部講師を招いての出版物の編集についての研修。
 目の前の同じ仕事の繰り返しは知らず知らずの間に考え方も仕事のやり方も硬直化してしまいます。
 塗装業で使うただの養生テープがカラフルなマスキングテープと名前を変えて一部の若い女性達の間で密かなブームになっていることなど、私も全く知りませんでした。目の前にある何でもないものでも名称や使い方や形を変えるとびっくりするような商品に化ける可能性があるといういいサンプルです。
 フレキシブルな柔らかい頭脳になって、もっといい商品、もっといいサービス、もっといい仕事のやり方を生み出せるような会社になりたいなぁと思っています。
 経営理念は会社案内にもホームページにも書いてあるので、第二十五期スローガンを紹介します。
《常に工夫! もっと改善! 思い切った挑戦! 即実行! マンネリは敵、変化は友!》
 スローガン倒れにならないよう 頭を柔らかく柔らかく!!

雑感

身近な野鳥 「ようこそウズラシギさん」 2007年12月

野鳥観察の楽しみ(六十三)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
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写真はウズラシギ(‘07.10.11,八本松町)〔Nikon D100, Nikkor ED600mm×1.4, F/5.6S,1/40秒-f/6.3,トリミング〕。

「ようこそウズラシギさん」~5000キロの旅の途中、東広島へ~の見出しで読売新聞10月11日付けの広島版に私の写真が掲載された。秋にウズラシギが旧東広島市内で観察されることは稀で、この11年間でこれが3度目だそうだ。

このウズラシギさん(10月7日発見)は到着間もなかったのか、大変お疲れの様子で、ずうっと眠っていた。しかし、翌日にはいなかった。ところが、11日に1日だけ1羽、18日朝から19日夕方まで別のウズラシギ2羽を確認した。

ウズラシギは全体的に暗赤褐色に見え、下面は白い。胸は薄い赤褐色。頭は濃い赤褐色の地に、黒色斑が縦縞に見える。3回目の2羽は内陸では珍しいハマシギ2羽と連れ添ってきた。この4羽は水田の中で忙しく餌を採っていた。

秋の旅鳥は滞在期間が短く、そそくさと去って行く。そのためか、人の目にとまることが少ない。にも拘らず、その貴重な一瞬に遭遇し、あたかも、秋の夜の流れ星を見たような気がしている。

(2007年10月20日記)

野鳥観察の楽しみ

なにが人を救えるのか? 2007年12月

縄文が日本を救う! (58)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 最近「一体なにが人類を救えるのか?」という難問が大きく膨れあがって、筆者を苦しめる。この場合の人とは、個人々々ほど狭くなく、さりとて全世界の人類というほど広範囲ではない。世界中には数多くの国々があり、そこに居住する種族は無数である。そうした人たちのすべてを包含することは不可能であり且つ無意味に近い。従って「一つの国」ほどに限定して考えるしかない。

 もっとも「一つの国」といっても、そのすべての人が同じ価値観や思想、感性や感受性を持つわけではないので、少なくとも他国と比較し、いろんな係数や数値を元にして、「個」ではなく「マス」として考えたい。当然対象として「日本」を中心にしている。

 さて今回のタイトルだが、「一体なにが人類を救えるのだろうか?」それは「宗教」だろうか?それとも「哲学」だろうか? いやいや「政治」なのか?あるいは「教育」? そうじゃあなくて「経済」?
 
 まず「宗教」はどうか?
昨今中東を中心に、憎悪と相互不信をむき出しにして、エンドレスの「宗教戦争」が血で血を洗っている現実がある。
 
  「なぜ宗教同士が相争うのか?」
  「お互い永遠に和解できないのか?」
  「宗教は人を救えるのか?」
  「宗教で人は幸福になるのか?」
  「宗教の教えで、一体どのくらいの人が善行を旨とするようになれるのか?」
  「救われた人はまた人を救うのだろうか?」

 偉大な宗教者である、キリストを生んだユダヤから、布教の拡大したヨーロッパから南北のアメリカ、偉大なる預言者マホメットを生んだ中東一帯(トルコ・アラビア・イラン(ペルシャ)からアフガン・パキスタンなど南アジアから東南アジア。釈迦を生んだインド。孔子・孟子・老子を生んだチャイナ、偉大な宗教者を生んだ国々には、すべて平和で愛に満ちているか?

 たとえばマザーテレサは、インドで献身的な救助活動を行ってきた。イエズス会の大木神父は、ネパールで障害児童の救済に一生を捧げている。だったらそこから相互救済の輪が広がって、大きな「善のうねり」となって、貧困者や差別に泣く人たちが少なくなっているのか? 所詮宗教が救えるのは「個」単位でしかないのだろうか。その一方で自爆テロで無辜の大衆を巻き込んでも、彼ら聖戦の徒は少しも胸が痛まないのだろうか。

 では哲学はどうか。日本人にとって「フィロソフィ=哲学」は、難解な孤高の学者の持ち物に過ぎないが、語源は「愛を知る学問」だという。ご存知ギリシャは、プラトン・ソクラテス・アリストテレスを始め多くの哲学者を生んだ。近世ドイツはカント・ヘーゲル・ショーペンハウエル・ニーチェを生んだ。

 ではすばらしい哲学者を生んだ国が、つねに英知を発揮し、幸福を継続させ、生活者の精神的依り代となり得たか? 奴度の上に民主主義を植え付けたギリシャは滅び、ドイツは2度の世界大戦の信管となり、火薬庫となったではないか。

 だったら「政治」は、「教育」はどうか。こういった設問をすること自体、どうもこれらのいずれもが、決して究極的に愛や幸福や平和を生んできていないことが明白となる。

 別の切り口で語ってみよう。もともとこうした命題は、「人(民)を幸せにする」という目的で誕生し、発達したものではなかったのではないかとさえ考えるべきではないだろうか。

 つづまるところ、宗教や優れた宗教家、哲学や哲人、それに政治家は、その国をそしてその国の民を、決して幸せにしてこなかったし、平和にすることが出来なかった。だったら彼らの布教や教えの目的は何だったのだろう。それはおそらく、スタートの時点と、拡大の時期で大きく変質し、目的と結果があらぬ方(かた)に大きく逸れていったのだろう。

 やや違ったカテゴリーで取り上げたのが「経済」である。これも「個」と「マス=全」で考えた場合で違った答えが出てくるのだが、国の経済状態がいいことは物質面で「個」にも波及する。争いに巻き込まれているときよりも、平和であった方がいい。
ただここでは、当然ながら貧富の差が生じるし、物欲の増大がかえって不幸を招くことすらある。

 とは言え、国の経済状態が悪いより良いほうがいいに決まっている。ではどうすれば「経済」がよくなるのか? 過去他国を犠牲にして自国の富を勝ち取ってきたケースが多かったという事実がある。今ではそうした目に見える国の悪行は少なくなったとしても、それは形を変えて現在でも不幸な国や最貧国を生み続けている。

 ここまで「幸せとは何か?」という命題には触れないで来た。人を救うと言うことは、人を幸せにすることに通じるが、この「幸せ」には、計量的な基準はないし、主観によって大いに異なる。ここでもやはり、前述の通り、他国と比較し、いろんな係数や数値を元にして、「個」ではなく「マス」として考えていくしかないだろう。

 さて以上縷々述べてきたことを根底において、日本という国の現状を、少しでも正しく把握し、よいところは何故よいのかを徹底的に究明し、それを伸ばして他国にも波及させ、思い違いがあればそれを是正していく必要がある。幸か不幸か、日本では「言論の自由」がある。しかも国民性というか自らを低く見る一種の「自虐性」を特性としている。

 特に最近のマスコミは、大局を無視して、些細な事象を「針小棒大」に報じ、なにかの大きな意志によってか、白痴的番組を垂れ流している。しかも(純粋な)「愛国心=ペイトリオティズム」を、危険なナショナリズム=民族(国家)主義と置き換えて、歪んだ教育を礼賛している嫌いがある。

 今こそ日本という国の「真の姿」を公平に見つめ直していくことが急務ではないか。
本項で述べてきたことの集大成として、縄文再発見」をし、そのことによって“縄文が日本を救う!”から“縄文が世界を救う!”へと進んでいくことが、いわば日本人の崇高な使命ではないだろうか。

 お断りしておくが、これはかつての「八紘一宇」でも「万国民皆兄弟」でもない、一切押しつけも強要もない、真の平和のための試案なのである。

 ここにまた、一神教と多神教の問題がありる。ほとんどの先進国はキリスト教そして少数派だがユダヤ教という一神教で、現在この二つの宗教と、その間で終わりなき宗教戦争を繰り広げているイスラム教という一神教があります。しかもこの三つの宗教は、源流を一つにした、いわば親類筋なのだ。
。 そればかりか、キリスト教ではカソリックとプロテスタント、イスラムではシーア派とスンニ派のように、同じ宗教の中の宗派の違いで骨肉の争いが止むことなく続いているのは、一体何故なのか。こうした難問が、どうしても私の前から消えようとしない。

 ところで、日本はどうなのだろうか。先進国中唯一の多神教的コスモロジー、というより、むしろそうした宗教観を超越した、無神論的コスモロジーをもった、他国から「脳天気民族」として嘲笑されるような、稀有な国柄ということがわかる。なぜ日本にだけ、こうした唯一無二のコスモロジーが生まれ、継続してきたのだろうか。

 日本には、キリストも釈迦もキリストも、ましてや孔子、プラトン・ソクラテス、それにカントやへーゲルという哲学者もいなかった。日本が生んだ三人の天才と言えば、(私見だが)聖徳太子・空海、それに織田信長である。空海は釈迦の教えを報じる仏教者であり、信長はいわば鬼っ子的異端の存在であり、残るのは聖徳太子だけだと言うことになる。

 だったら聖徳太子は一体私たちに何を伝えたのだろうか。外に対しては当時の超大国「随」の煬帝に、「日出ずる国の天子」という言葉で、対等の国発言を行ったこと、それに神道派と佛教派相争うことに歯止めを掛ける「神仏混淆」という『ハイブリッド宗教』の創造という偉業はあったが、私たちは、太子の施行した「一七条の憲法」の中で、わずかに『和を以て尊しと成す』という超有名な言葉を残したくらいしか記憶していない。

 なんでもこの言葉は、孔子の論語の中からの引用だというのだが。驚くべき事にこの「和」という思想が、私たち日本人全体の不抜のアイデンティティとして、連綿且つ厳然と生き残っていることに気付く必要がありはしないか。

 考えようでは、聖徳太子に言われなくてもこの「和」という性状は、それ以前から私たちが持ち続けていたものではないだろうか。私はそれを「縄文以来日本人の持ち続けてきた特性」だと思っている。

 

縄文が日本を救う!

インテリジェンス 武器なき戦争 2007年12月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
手嶋 龍一,佐藤 優 共著  幻冬舎新書  777円

 ここで言うインテリジェンスとは、世で言う「スパイ」と同義と思っていいだろう。
手嶋 龍一はNHKの海外特派員として活躍、特にワシントン勤務中に東西冷戦の終結を迎える。

 のちにその時代の問題を書いた、『たそがれゆく日米同盟』『外交敗戦』などのノンフィクション作品が認められて、ハーバード大学国際問題研究所に迎えられる。その後ドイツのボン支局長、再びワシントン支局長を経てNHKを退職、ノンフィクション・インテリジェンス小説家として脚光を浴び今日に至る。
 
 一方佐藤 優は、ノンキャリアながら外務省切っての情報分析プロフェッショナル、特に屈指のロシア通として活躍する。ところが2002年、背任と偽計算業務問題の容疑で起訴され、現在同省を休暇中だが、この逮捕劇を「国策捜査」と断じて、『国家の罠」を上梓、一躍ベストセラーに躍り出、その後外務省のラスプーチンと呼ばれて、出版に講演に対談に多忙な日々を送っている。

 この異色の二人が、インテリジェンスの神髄を語るのだから、息も継がせぬ迫力感で一気に読ますのは流石である。いわば実力伯仲の格闘家が、その持てる攻撃と防御の技を駆使して、お互いに一歩も引かぬ攻防を繰り返す様に圧倒される思いだ。

 我々素人は、スパイとかインテリジェンスというと、すべて同じもののように思いこんでいるが、佐藤ラスプーチンによると、戦前のスパイ養成目的の中野学校の「秘密戦」という分類では、
  1.積極的「諜報」=ポジティブ・インテリジェンス
  2.「防諜」=カウンター・インテリジェンス
  3.「宣伝」
  4.「謀略」
の4つに分類されるのだという。佐藤ラスプーチンは、日本のカウンター・インテリジェンスはかなり高度なのだが、その他こうしたインテリジェンスに沿った仕組みや、系統だった組織、統率する機関がなく、しかもそれぞれ縦割りの弊害、必要とする上層部にスムースに届かず、しかも日本には教育機関がないため、適材が育っていないと指摘する。

 特にポジティブ・インテリジェンスにしても、映画で見るようなスパイ活動でなく、必要とする事項は、新聞などに掲載される記事からだけでも、かなり多くの収穫を得られるのだと指摘する。それと当該国の重要なポジションにいる人たちと、いかに親密になれるかということが重要で、しかも彼らの発言から、いかに「言外の意味」をくみ取る能力があるかが重要なのだという。

 そのためには、金額は別として、自由になる機密費が必要だというのだが、さてみみっちい日本のマスコミやそれに踊らされる国民が、それを是とするかどうか、例えば今回安倍内閣が熱望する日本版NCS構想にしても、もっとも配慮すべき問題であろう。

 ワシントンとロシア(モスクワ)と、真反対に位置しながら、それぞれその存在を早くから認め合ってきたことが、この対談の各所で伺われ、お互い共通した判断を示すことに驚かされる。

 とは言えすべてが納得ではなく、手嶋が佐藤の判断ミスを指摘する場面もあって、息を呑む思いがするが、佐藤はその挑戦を正面から受けて一歩も引かない。

 最後に両者は、日本版NCS構想に触れるが、両者ともそうした機構構築以前に、少なくとも200名くらいの専用スタッフの充実と教育を提言する。機構が先行すれば、主導権を巡って警察庁・防衛庁、それに外務省などの綱引きが行われ、関連各省庁は、情報の提供を渋るという「縦割り構図」が避けられないと警告している。

 確かにその弊害を指摘する声も多いが、特に優秀なインテリジェンス・オフィサーの選定が急務であり、佐藤ラスプーチンは、最適の人事トップ・オフィサーととして手嶋を推挙している。さて安倍首相が、この本を読んで感銘を受けていればいいのだが。

 それにしても、この佐藤優そして手島龍一というポジティブ・インテリジェンス・オフィサーとして得がたい2人の人材を、日本という国がそして安倍首相が、果たして生かして使いきれるか、そこに日本とアメリカの揺るぎない連携と、北方四島問題を含む、対ロシア交渉の鍵が隠されていると思うのだがどうだろうか。

 

感銘の一冊

不思議なほどうまくいく人 2007年12月

メッテ・ノルガード 著
柴田昌治 訳 三笠書房発行

 会社や学校で浮いているなと感じたときは、アンデルセンの「みにくいアヒルの子」のストーリーを思い出しましょう。みんなからばかにされ、変なアヒルだと思われていた主人公は、ある日水面に映った自分の姿を見て驚きます。そこには真っ白な美しい鳥が自分を見つめ返していたのですから。
「自分の能力を低く見ることは、自信を持つことよりも簡単です。だから、人は自分の本来の力を100%出し切れないのです」と著者は言います。
「失敗するのはかんたんです。学ぶのをやめればいいだけ。しかし、大きな成功を生むには、たくさんの小さな努力が必要です。毎日少しずつの発想の転換が素晴らしい実りをもたらします」とも。
 純粋な心は、「みにくいアヒルの子」の白鳥のように、いつかきっと空高く羽を広げるときが来るでしょう。本書のくれたメッセージの数々を読んで、自分も白鳥になる日が訪れるかもしれないという勇気が湧いてきました。

(哉)

今月の気になる本

Little DJ ~小さな恋の物語~ 2007年12月

【監督】永田 琴
【主演】神木 隆之介、福田 麻由子

 10代の頃、ラジオは傍にありました。MTVのなかった当時は、新しい曲を聞いたのも、昔の音楽を勉強したのも、すべてラジオでした。そしていつの間にか、たまにタクシーや美容院で聞くだけのものになってしまった頃、枕元に再びラジオを置く日が来ました。それは病院のベッドでのこと。3週間の入院の間、傍に置くのを選んだのはテレビではなく、少し時代遅れの型をしたラジオでした。
 この映画は憧れだったDJになった男の子の物語です。彼の番組がオンエアされたのは、患者として入院した病院でした。私がいた病院に彼がいたら、きっと毎日リクエストを書いたでしょう。スピーカーから流れる彼の声に体調を心配したりもするでしょう。ひとの語る言葉と音楽の持つ力を信じながら、そっとお互いの回復を祈ったと思います。そしてi-Podで70年代の曲を聞いている今も、その力を私は信じているのです。

(nao)

キネマ見ましょか

[不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―17 ビフカツ 2007年12月

豚骨ラーメン、浸け麺、讃岐うどんと広島の食べ物の流行の並びはこんな感じだろうか?
ではポスト流行は何が来るのだろうか?
個人的に来て欲しいベスト3は1位が天丼2位がビフカツ3位がホルモン天ぷらです。
かれこれ3年近く言ってますが、気配の気の字もありません。
友達に言っても『ない』の一言で終わります。
そうか~、やっぱし無理か? 仕方ないので

チャレンジ企画第一弾、美味いビフカツを求めて~。

 

中区は土橋、中国新聞社の近くにあるその店は広島市内でも洋食屋さんの老舗に仲間入りした有名店。
普段から女性客が多い人気店なんで時間をずらして昼過ぎに店内に入ったのですがいまだ主婦グループやOLさん達がいっぱいで作業着の私は浮いてます。
カウンターに恥ずかしながらチョコンと陣取りまして計画通りビーフカツセットを注文。

匂いにつられて横目で回りを見ると美味そうなハンバーグだのハヤシライスだのが通り過ぎていく。
濃厚なドミグラスソース、見てるだけでヨダレもの。

しばらくすると、僕のテーブルにもスープとパンがやって来た。

 

スープ

スープはトマト味のジャガ芋のポタージュ。
この店のスベシャリティーらしく、昔からの変わらぬ味が人気らしい。
確かに旨い、カップではなくドンブリで飲みたいくらいだ。
これってお代わりとか大盛りとかできないのかしら?

 

 

そしてメインのビーフカツが登場。

ビーフカツ

こんがりキツネ色に揚がった衣は見るからに食欲をそそる。
熱々なのか湯気がまた鼻孔をくすぐり、辛抱たまらんという気分になる。
丸い形だが厚みもあるのでボリュームは申し分ない。

 

で、

あれ~?

う~ん、ないよね~?

 

ビーフカツ

なんでソース掛かってないの?

 

ハンバーグやハヤシライスのドミグラスソースのイメージが強かったので勘違いしたみたい。
ここの店はテーブルにあるウスターソースを使うのだ。
確かにビーフカツは元々はご飯、ライスに合うようにウスターソースを掛けてたらしい。
クラシックスタイルってやつかな~?
しかたないので端っこを薄く切り、ウスターソースを掛けて口に入れる。

 

うん、旨い。

 

サクッとした薄い衣に上質なヒレ肉の柔らかい食感、絶妙なレアづジューシーな味わいで
ウスターソースのあっさり感と合わさり確かに旨い
旨いんだけどな~、胃袋と脳みそはデミグラ気分だったので自滅的ガッカリ感、まあしかたない。
残りはソースをかけずに食べた。
ほんまにいい肉だし、味付けもシッカリしてたのでサクサク、ジューシー感を満喫した。

デザートは4種類からセレクト。

 

大好きなプリンにした。

デザート  

うん、かわいいし旨い。
しかし作業着のオッサンのデザートを独り、笑顔で味わう絵面はかなり怖いに違いない。

 

食べ終わり店を出ると、リッチな満足感に足取りも軽くなる。
今度はソース溢れるハンバーグにしよう、でもデザートはプリンかな?
いや、その前に次のビーフカツを捜さねば。

広島くっちゃね隊

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