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今月の写真 2008年02月

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ベッコウハゴロモ
朝、部屋の中にいるのに気づいた(08.01.18撮影)

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今月の言葉(2月) 2008年02月

「春望」賦は、故郷への賛歌

――風彦 

「春望」―。広辞苑、大辞林、新明解の辞書には、この言葉の漢字は記載されていない。
 「望春」、という字をひいても漢字はなかった。「迎春」とは、新しい春を迎える、とあるが、漢字の持つ感じは少しばかり違う。「春望」・「望春」は、春を待ちわびる望郷賛歌でもある。
 この二月は、まさにそんな思いの季節であるが、「春望」という言葉には記憶があった。
 杜甫の有名な詩である。「国破れて山河在り/城春にして草木深し」(後略)ー。題名は「春望」。杜甫は唐時代李白と並び称された詩人。彼の詩と人となりについての『故事来歴』は割愛しよう。
 日本人ならずとも詩人のこころには、「ふるさと」への思いー望郷の念がある。
 ある日、ある時、広島市内の寺町通りと城南通りの四つ辻近くの一隅にある知り合いの「あったかぽけっと」という名のお店を訪ねた。自然食品、健康食品などを扱っている看板通りの『あったかな』心の持ち主の主婦の店。そこで尋ねられたのは、高野辰之という人の名前だった。恥ずかしながら思い当たらなかった。
 長野県信州中野出身の詩人。名前こそ知らなかったが、この人の作品は知っていた。「春が来た」「春の小川」「故郷」「朧月夜」「紅葉」…。小学時代の音楽の時間で習い、歌った唱歌の名作ばかり。昭和時代の日本人なら誰でも歌っている。が、作者については、教えられていなかった。
 改めて詩人・高野辰之の存在を認識、人となりを学んだ。長野師範から東京音楽学校へ、のちに大正大学教授に。一連の唱歌、童謡はこの人の望郷の一念から生まれた。と同時に日本人の心の琴線にふれた作品であり、故郷の賛歌である。
 故郷は遠きにありて思うものーと詠んだ室生犀星の「小景異情」。石川啄木のーふるさとの/山に向かいて/言ふことなしーの詩もそうだ。
 また、この時期にふさわしい唱歌の「早春賦」。―春は名のみの/風の寒さや―(作詞 吉丸一昌)
 ―私は真っ赤なリンゴです―の「りんごかわいや」(作詞 武内俊子)の童謡も詩人の望郷から生まれた。
 「春望」「望春」は、日本人の心の遺伝子。そのふるさとは、いま疲弊。都会との生活格差を生じている。「ふるさと納税」なる税制が話題になるのも日本ならではの「故郷賛歌」かもしれない。

(風彦)

今月の言葉

雑感(2月) 2008年02月

代表取締役 田河内秀子

 パソコンのインターネットが不具合だ。ルーターが悪いようでどういう訳か夕方になると繋がらなくなる。翌朝、管理者がいろいろ操作をすると、どうにか繋がるようになるが、今、部品を依頼しているので、2・3日うちには修理ができるだろう。しかし本当に不便である。
 何時の頃からか、まず『インターネットで検索』という癖がついてしまい、英語の単語ひとつ辞書を引かないでネットで調べてしまう。もう還暦に近い私でさえこれなのだから、若い世代はいかばかりか!
 先日、地域の町内会長さんにお話しを伺う機会があった。その方のおっしゃることには、いろいろな地方の昔の事を調べて記事を書く時、その土地に実際に行って、たとえ夜中であっても町を歩くだけで、書いた記事に深さがでてくる。ただ書物で調べて書いたものはそれなりなんですよ。と。
 書物で調べるのも、インターネットで調べるのに比べるとあれやこれは頁をひっくり返して調べるのだから、それはそれで手間がかかっているのだが、やはり現場感がいかに大事かということだろう。
 仕事に関しては、ともすれば合理的に効率的にと考え、社員にも話しているが、現場感に裏打ちされたと言う事を忘れないようにしなくてはいけない。
 インターネットなしではもう仕事が出来ない時代になってしまっているのだが、実際に自分の目で見る、耳で聞くという事を大事にしていきたいと思う。

雑感

身近な野鳥 「松林のビンズイ」 2008年02月

野鳥観察の楽しみ(六十五)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
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写真はビンズイ(‘08.1.10,広島大学構内)〔Nikon D100, Nikkor ED600mm×1.4, F/5.6S,1/400秒-f/6.3,トリミング〕

久しぶりに訪れた生態園の松林は綺麗に下刈されていた。足を踏み入れると、小鳥が数羽、地面からサッと飛び立ち、松の枝に止まった。スズメかと思ったが枝の上で尾を上下に振っている。ビンズイだ。

暫くすると、一羽、また一羽と地面に降りている。ゆっくりと近づいてみると、ビンズイは忙しく地上の餌を探して歩き回り、少しもじっとしていない。しかし、上空をヒヨドリが鳴きながら通り過ぎると、サッと身を伏せる(写真)。

ビンズイはタヒバリと本当によく似ている。ビンズイには眉斑の後ろに白色斑があるので区別される。頭から背中にかけてはオリーブ緑色に見え、タヒバリのオリーブ褐色よりやや緑色味が強い。胸から脇は淡バフ色で黒い縦斑がある。

ビンズイは冬鳥としてやって来て、このような開けた林でよく見かける。この時、他にアトリ、シメ、ヒヨドリ、メジロ、エナガ、コゲラがおり、それに細い川からコガモ4羽が飛び立った。近くのブドウ池を覗くと、その周囲の林の一画の立木が綺麗に伐採され、今まで多数来ていたカモが激減しているので驚いた。
 

(2008年1月17日記)

野鳥観察の楽しみ

Q:介護サービス実施記録(キャプスではテレッサという名称で販売)は何故書くのですか? その法的根拠はあるのですか? また、複写にしておく必要があるのですか? 2008年02月

A:  根拠は、厚生省令第37号(平成11年3月31日発令)、『指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準』の第19条サービスの提供の記録第2項「指定訪問介護事業者は、指定訪問介護を提供した際には、提供した具体的なサービスの内容等を記録するとともに、利用者からの申し出があった場合には、文書の交付その他適切な方法により、その情報を利用者に対して提供しなければならない。」によります。複写でないといけないとは書かれていませんが、利用者から申し出があった場合は、サービスの内容などの情報を提供しなければいけないとありますので、あらかじめ複写して一部を利用者様宅に置いておく方がよりベターとキャプスでは複写式をご用意しています。最近の監査は利用者様宅への抜き打ち調査もあると聞いていますので…

 

キャプスホームページ:http://www.tanishi.co.jp/kaigo/index.html

キャプスショッピングサイト:http://www.caps-shop.jp/

介護Q&A

文明の衝突を生きる―グローバリズムへの警鐘 2008年02月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
町田 宗鳳著  法蔵館  2,100円

 これは14歳で家出して出家し、以後20年間禅宗寺院での僧坊生活を送ながら、その後一転して名門(ボストンの)ハーバード大学(神学部)大学院で修士課程を修了、フィラデルフィアのペンシルバニア大学東洋学部で博士号を取得した後、プリンストン大学で助教授として教鞭を取るという「破天荒」な半生を送ってきた著者の自叙伝であり、記述の各所に鏤(ちりば)められた、(仏教を中心とした)日本宗教のもとでの社会構造の生んだ明暗と、その対極(良くも悪くも)キリスト教文明の最先端にある米社会の抱えた明暗について、またそれぞれの社会の中で、錯綜し、混迷し、しかも乱高下を繰り返している精神のゆらぎについての、示唆と含蓄に富んだ比較文明論でもある。
 プリンストン大学では、学生にとって人気講座となりながら、大学(と言うより)アメリカ教育界の有り様とのギャップなどからも窺い知れるアメリカの限界が契機なのか、同著を書いた2000年には、一転シンガポール大学の日本研究科準教授、その後東京外国語大学教授(01~06)を経て、現在は広島大学大学院総合科学研究科教授、週末は福山市郊外の「ミロクの里」に小庵を構え、非僧非俗の暮らしを送っている。
 我々は本著によって、葬式仏教に堕した日本仏教界の中に残された、唯一高潔な戒律を守る宗派と思ってきた禅宗すら、世襲や妻帯など世塵にまみれており、しかも修行の場ですら妬みやいじめの存在するミニ社会であったことを知ることになるのだが、そうした現実が著者をアメリカという未知の世界に誘(いざな)った原動力の一つであった。
 著者のアメリカでの生き様を読み取れば、生半可な体力や神経では到底耐えられないほど厳しいものであって、当初語学のハンディに加え、日本における論理的手法を欠如した宗教学と、多方面から知的アプローチ・分析・比較を厳密に行うアメリカの宗教学との間に横たわる、決して埋められぬことのない乖離にチャレンジしながら、自らの宗教観を確立していく著者の行動力・知識欲に圧倒されるばかりである。
 一方そうした著者に寄り添い、二回の難産にも耐え抜いた、決して頑強とは言えない夫人の生命力の凄さに、むしろ戦慄すら覚えるほどだ。
 著者は自叙伝的記述の中に、日米の比較文化論をさりげなく織り込んでいくのだが、ある面では日本の状況を擁護し、また批判しながら、同じスタンスで平等にアメリカの問題を指摘している。
 たとえば著者は、(文明の)「アフリカ的段階」から「アメリカ的段階」という表現をしているように、アメリカ文明が決して文明の終着点ではないことを強調し、息の詰まる日常生活のカタルシスの一例だとして、アメリカのドラマに見られるカーチェースと銃乱射のシ-ンの多さを挙げる。現在注目を集める複雑系」あるいは「カオス理論」なども、こうした文明社会を背景に生まれたとも謂えるのではないか。
 もっともこれは、戦後60年以上平和国家として生きてきた日本に於ける、殺戮をテーマとしたテレビゲームの普及にも言えることだが、その辺り3D技術の進化が可能にした、グローバルなヴァーチャル・リアリティの恐ろしさを痛感させられる。
 著者はまたアメリカが口にするグローバリズムの欺瞞性を、大航海時代世界に進出していったキリスト教宣教師たちの愚行とオーヴァーラップさせながら痛烈に批判するのだが、その背景にある、善か悪・黒か白、右か左という二元論によって、世界の平和や安寧がもたらされると思うのは幻想に過ぎないことは、中東の有り様を見れば明白である。なにしろその裏にはしっかり「商業主義」が根を張っているのだから。
著者は謂う。
 本当のグローバリズムとは、「徳島人は阿波踊り、花巻人が鹿踊り、アイヌは鶴の舞を踊ることが(明恵の謂う)「あるべきようは」の世界なのである。徳島人も、花巻人も、アイヌも、アメリカ風のディスコ・ダンスしか踊れなくなれば、「一切悪しきなり」と言ってもよいだろう。
 また西田幾多郎の言葉を借りて語れば、として、
 「アメリカ的段階」は、主体的で、意識集中的な生き方が尊重され、自我が前面に打ち出された「主語的世界」であり、それとは対照的に何事につけ曖昧な日本人は、「場所的」で、下意識的かつ拡散的な「述語的世界」に生きているといえよう。
 この指摘は奇しくも先月、同欄で紹介した、モントリオール大学金谷武弘教授の、『日本語には主語は不要』という説と見事に重なり合うことに、偶然以上のなにかを感じてしまうのだ。
 サミエル・ハンチントン『文明の衝突』は、日本文明を独立したものと認めながらも、『日本語版への序文』の中で、「日本は自国の利益のみを顧慮して行動することも出来るし、他国と同じ文化を共有することか生じる義務に縛られることがない」とした上で、第二次世界大戦以降のアメリカと、今後発展が続くと見られる新興覇権国中国との狭間で、今後どちらに付くかの選択や対応に迫られる、という問題にぶつかるだろうとしている。
 ハンチントンさえも安住している(アメリカかチャイナかという)西欧的二元論な視座に立った発想からは、決して迷路の出口は見つからないのは当然だが、彼にこうした予告をさせる、今までの日本の生き様に対する反省に立って、これからの日本の有り様と展望にというて、本著は一つの示唆を与えてくれるようだ。
 つまり、現在曲がりなりに多神教という平和な宗教観を持っている唯一の先進国日本の採るべき道こそ、虚偽と打算と非妥協に満ちた似非グローバリズムに代わって、真実と思いやりと共生を基底とした本物のグローバリズムの実現ではなかろうか。

★町田 宗鳳のホームページ
  http://home.hiroshima-u.ac.jp/soho/

感銘の一冊

TAKEO DESK DIARY 2008 2008年02月

株式会社 竹尾 発行

 【年間】と【見開き1ヶ月】のデスクダイアリーですが、紙の販売をしている会社と美術家・詩人・作家とコラボレートして制作されたものだけに、一般のダイアリーとは一線を画したものになっています。あたかも展覧会の図録とかアーティストの作品集といった趣です。
 毎年テーマを決めて制作されているこのTAKEO DESK DIARY 2008年版は「紙と言葉の十二宮」。デザイナー・アートディレクター・アーティストといった多彩な顔を持つ立花文穂氏をまとめ役に、谷川俊太郎、別役実といった詩人や作家の「言葉」がちりばめられグラフィックな表現と融合させた図版が盛り込まれています。
 日記帳というよりも美術品のようなこのダイアリーに、日常の出来事やスケジュールを書き込むのには勇気がいります。私は、昨年も一昨年もこのTAKEO DESK DIARYを購入しました。でも、自分のペンで汚してしまってはこの美しいものが台無しになってしまうと躊躇しつつ、結局何も書けないまま終わってしまいました。でも、今年は、思い切って元日からこのダイアリーに筆をおろしてみたのです。それからこのダイアリーを開くたびに、罪悪感とぜいたくな気分が入り交じった不思議な気分の高揚を味わっています。いわば、ベンツで近所のコンビニに買い物に行くような感じでしょうか。

(哉)

今月の気になる本

4分間のピアニスト 2008年02月

【監督・脚本】クリス・クラウス
【主演】ハンナー・ヘルツシュプルング、モニカ・ブライブトロイ

このコラムを担当して下さっているnaoさんが風邪のためお休み。今回はnaoさんの友人のamoさん(a)と当社印刷部のtiku(t)の対談をお届けします。
a:音楽映画ファンの私としては、しびれたわ。
t:ぼくも感動しました。とくにラストシーン。
a:その話はあとでゆっくりと…。まずストーリーを紹介しなくちゃ。
t:刑務所に収監されている女の子がピアノの天才で、受刑者たちにピアノを教えに来ているおばあさんの先生がその才能にほれ込んで、若手のピアニスト発掘コンテストで優勝めざしてしごきまくる。
a:看守や他の囚人たちの嫌がらせもあったりして、主人公の子は問題を起すしで、彼女はコンテストに出場できるのか、ってハラハラした。
t:なんだか、ありきたりの人物設定とストーリーという感じもするんですが。
a:そうかなあ。主人公のジェニーとピアノ教師のおばあさんの演技に引き込まれてしまって…。そして、なんといっても音楽が最高じゃない? ジェニーが鍵盤を叩くたびにゾクゾクしたわ。
t:ぼくもジェニーにはまいっちゃいましたよ。わが国で例えるなら堀北真希ちゃんってところかな。スクリーンに釘付けでしたよ。それに、あのピアノの先生、前につとめていた会社の会長さんにそっくりなんだ。なんか親近感の湧く映画だったなあ。
a:ああ、そう。まあ、その会長さん…じゃなくてピアノの先生とジェニーって、いい関係よね。
t:ですね。看守も粋な計らいを見せたし。くらい映画だけど、ハッピーな気持ちになりました。
a:で、問題のラストシーン…。
t:やっぱりそれは伏せておいたほうがよいかも。
a:そうね。かわりにオフィシャルサイト(http://4minutes.gyao.jp/intro/)を紹介しておきましょ。
t:じゃ、最後にまとめのとして何かひと言…。
a:はい。あなたの「生きる目的は何ですか?」

キネマ見ましょか

[不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―19 ビフカツ最強 2008年02月

最強のビフカツを求めて、求め続けて月日が経ちました。

今回、この店なら最高のビフカツ食べれるはず!との情報を二軒入手しました。

広島の洋食の老舗中の老舗の名店と広島では最高級の肉を誇る焼肉の名店です。

以前から情報は聞いてましたが余りにも有名な両店なんで敬遠してましたが、そろそろ自分の中で広島のビフカツにひとまずケリをつけたくなりました。

チャレンジ企画第二弾、ビフカツ最強対決。

まあ、食べてみないと本当に凄いかわかりませんが?

まずは西区は庚午南へ向かう、11時半ちょっと前に到着。

ランチタイムの開店ギリギリを狙って来たのだが予定通りに最初の客みたいだ。

テーブル席に着いてワクワクしながらメニューを探し、ランチメニューを見る。

…、…。


…、あれ~?


え~、マジですか…。

また、やったみたいだぜ…。


ハンバーグやステーキ、ランチはありますが噂のビフカツないじゃん。

もう一つのメニューを見るとある、ビフカツが。

こ、これはビフカツはランチは無いんじゃないか~。

しかしこんなトラブル、苦難、幾度も乗り越えている(強引に、しかも半分以上挫折)。

恐る恐る、店主にビフカツは無いですか、と聞いてみる。

もちろん、ランチはビフカツは無いんよとの答え、まあ当たり前ですわ。さあ、この時点で企画終了。

ところが、「でもまだお客もおらんし、時間があるからいいよ」との助け舟。

もちろん、遠慮なくお願いします。

ラッキーに酔いしれながらメニューを眺めてるとまずはこれからとモヤシが来た。

 

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モヤシにタレがかかり、横に生卵の黄身がとろーんと佇んでいる。

掻き混ぜて食べるモヤシのユッケなそうだ。

店主いわく、1番よく出る定番人気メニューだ。

確かに旨い、これで生ビールあったら堪らんだろうな~。

 

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とサラダも着いている、栄養バランスや女性にはウレシイだろうがモヤシが二個ならよかったな~、とおバカな妄想によう。

すると香ばしさと美味そうな匂い包まれ本命登場。

 

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昼間とはいえ、ちょっと暗めのお洒落な店内なんでこれはケータイではろくな写真は撮れないと半分諦め、お待ちかねのビフカツを喰らう。

こんがりとキツネ色のビフカツは素材を生かす塩胡椒の味付け。

ソースは無しだが喰ってみてわかるその理由と旨さ。

まずは端っこのカリッとしたところから食べ始めたのだが店主からダメ出し。

1番美味しい真ん中から食べて欲しいそうだ。

やはり最初の一口が全てなんで肉の塊である以上、焼け具合や身の中心を味わって欲しいのだ。

確かにその通りだと感動、しかし端っこも美味しいし端っこ好きなんですよ、私。

けれども店主が言われるように真ん中を喰らうと恐ろしく美味い。

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柔らかく口の中でうま味が溢れ、やがてとろける。

店主に柔らかくて美味いっすよ

と叫ぶと柔らかいのは二の次、オマケでしかなく美味いかまずいしかないのだそうだ。

柔らかいのはあくまで要素の一つで先代からこだわる肉の旨さ、広島の最高級のA5の中でも最高級のサーロイン、あえていうならシャトーブリアンというやつらしい。

正直、僕は肉なんて詳しくないし量食えればというタイプなんだけどその店主の自信に溢れた蘊蓄を聞くと余りにも堂々として何か気持ち良いです。

また肉も脳みそを刺激されてかさらに美味く感じます。

確かにこれだけ美味い牛肉なら噂通り、最強のビフカツなのかも?

 

…通常はここでおしまい、来月に続く!

だが最強の噂も高い店がもう一軒、行かねば。

 

夕方、仕事を自主的に早めに切り上げて南区は宇品御幸へ向かう。

創業1941年、60年を余裕で越える広島が誇る老舗の洋食屋さんだ。

事前情報によると店は新しくなり、現在は三代目に移っている。

しかし今回の目玉のドミグラスソースは昔から絶やす事なく継ぎ足しなが今に伝わってるそうな。

開店の18時に合わせて入店。

やばい、作業着はこの店には、また浮いてるかも?

席につき早速、ビフカツを頼むがその際にライスかパンはついてるのか聞いてました。

ライス、スープも付いてるらしい、実はライスが別ならカレーをライス代わりに食べよっかな~とね。

だってメニューのカレーがぶち美味そうなんだもん、カレーネタの時は是非再訪しなければ。

なんて妄想2してるとオニオンスープが来ました。

 

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冬場は美味い暖かいスープを飲むとそれだけで幸せになります。

いつも思うのだがスープの大盛り頼みたい店は期待できます。

そしてメインのビフカツ参上。

 

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こんがりサクッと美味そうなカツに、いかにもというドミグラスソースがかかり美味そう。

サクリと柔らかいカツを切ると微かに赤身を残した断面がいい感じ。

口にほうり込むとジューシーレアな肉の旨味がいっぱい広がります。

思わず微笑み、おそらくはその姿は周りを恐怖に陥れるでしょう、でも旨いんだもん。

ソースも見た目ほどくどくなく香りも良いし、旨いっす。何より継ぎ足し続けたソースならではのお金に変えれない時間という贅沢感が溜まりません。

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ただ、個人的に惜しむべくはソースをもっとどばーっとかけて欲しいし、肉も食い足りません。

できればカツダブル、ソースツユダク、スープ倍付けなんて頼めたら最高です(多分、めちゃめちゃ高い&店の雰囲気ぶち壊し)

ツユダクと言えば、ソースを味わうにはタンシチューもいいかも。

昼、夜と贅沢で豊かな余韻に浸りながら思うのはビフカツは取りあえずの結論は出たかな?

ただ帰り道に恐るべきメールが…。

何と以前、市内中心部で美味いと評判の洋食屋があり友人と向かったのですが閉店してました。

その店が白島方面に移転してるらしいんです。

しかもビフカツが2枚乗り、スッゲー美味いらしい。

い、今から行くべきか?

やっぱ、行かないとダメ?

 

広島くっちゃね隊

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