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今月の写真 2008年05月

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「クビキリギス」
庭にやって来て、すぐ居なくなった。(08.3.15撮影)

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今月の言葉(5月) 2008年05月

  「森は海の恋人」  ――畠山重篤

  「緑化運動は平和への一里塚」  ――風彦

 青葉、若葉のシーズンである。この季節になると気になるのが、原爆被爆樹の柳。被爆直後、七十日は草木も生えないと言われた廃墟から生き続けていた柳の存在。あの日の広島市街地を流れる京橋川に架かる鶴見橋の東詰めに残る。一時は枯死の危篤状態だったが、いまなお被爆六十三年の歳月と風雪に耐えて蘇っている。主幹のケロイドは、セメントの処置を受け、鉄柱に支えられる老樹となりながらしなやかな枝には青葉が川風に靡いている。植物の生命の逞しさを知り、命の尊さを学ぶ。広島の町は、廃墟から幾多の犠牲と変遷の末、緑豊かな美しい平和都市として再生。世界に「平和アピール」を訴え続ける。
 「緑」は、まさに平和のシンボルではないだろうか。以前、ソ連のガガーリン宇宙飛行士は「地球は青かった」と言い、同じ宇宙飛行士、向井千秋さんは「地球は美しい星」と表現したが、現実の地球には、国境があり、争いが絶えない「醜い星」でもある。
 中でも中東地域。テロ行為をめぐる「戦争」が続く。「戦争」は山野の「緑」と言わず街を破壊。多くの人間を殺傷する。「戦争」だけではない。人間によるアマゾンなどの熱帯密林の伐採による行為を含め、大規模な開発は、深刻な地球温暖化を。もちろん工業優先の企業活動なども一因であろう。
 地球温暖化とは、「化石燃料の消費で生ずる二酸化炭素などの温室効果によって、全世界の平均気温が長期的にみて上がっていく現象」(広辞苑)であるが、森林(植林、緑化)によって二酸化炭素の弊害が解消されるというわけである。が、先進国、開発途上国とも国同士のエゴによりその対策は未解決である。
 過日、広島市中央図書館で興味ある本をみつけた。「森は海の恋人」(畠山重篤著=北斗出版)である。著者は、宮城県気仙沼で牡蠣養殖業を営む人。牡蠣は植物プランクトンなどを食べて育つことに着目。山(森)との自然環境との関係から海に注ぐ川の上流への植林、緑化活動に取り組み、その成果を実証。大漁旗を掲げる漁民と山村の人との連携で山地の植林、緑化運動を実践しているそうだ。
 牡蠣といえば、広島の海の幸。畠山さんは十二年前、崇徳学園での招きで太田川上流の山地での植林の大切さを説き、それがまた地球温暖化対策への一助にもなると訴えた。
「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛を紡ぎゆく」(宮城の歌人・熊谷龍子)
 畠山さんは、この一首が好きだという。
 そこで私の蛇足の一句を。
―幸せや緑を紡ぐ人と人―

(風彦)

今月の言葉

雑感(5月) 2008年05月

代表取締役 田河内秀子

 風薫る五月、本当に爽やかな良い季節です。先日東京で仕事があったのでその帰りに鎌倉に寄った。藤沢から江ノ電に乗り八時過ぎに鎌倉に着き、由比ガ浜に面したホテルに泊まった。朝早く湘南海岸をブラブラ。犬を連れた人たちが毎朝の日課なのだろう散歩をしている。海岸から一歩入った路地には、サーフボードを庭先に置いたモダンな家々。ホテルのマスターに聞くと、この辺はかつて保養所通りと言われ、バブルの頃は企業の保養所が軒を並べていたとか。泊まったホテルも昔はどこかの企業の保養所だったとか。朝食後、ともかく鎌倉駅まで歩き、さてどこを観光しようか思案。観光本も持たず前準備もしていなかったのだが、駅前にレンタサイクルがあり、今日こそサイクリングにピッタリのお天気という事で自転車で回る事にした。レンタサイクル屋のおじさんが丁寧に地図に印を付け、こう行ってこう行くといいよとの言葉に地図を片手に出発。まずは長谷寺。桜は済みアジサイは未だだが、芍薬、シャガ、大コデマリ、椿、様々な山野草たちが迎えてくれた。見晴らし台からは湘南海岸が眼下に見え、太平洋の大海原には幾艘ものヨットが白い帆をたてていた。次にやさしいお顔を前に傾けた大仏様。そこから鶴岡八幡宮に。約千年前源頼朝がこの地に鎌倉幕府の中心として祭られ、今や初詣に訪れる人の数は日本一とか。次は山奥にひっそりとという風情の瑞泉寺、そして竹の美しい報国寺。自転車で風を切って鎌倉の道を走り抜け、はや時刻は三時を過ぎもう帰る時間。鎌倉のほんの少しを味わっただけだが、鎌倉という地に魅せられてしまった。誰かが書いていたが、芥川竜之介が若い頃鎌倉に住んでいて、作家として忙しくなりだして東京に移り住み、最後自殺してしまったのだが、もしあのまま鎌倉に住んでいたら自殺なんてしなかったのではないか、と。多くの作家が鎌倉の地に住まいを定めている。何とも言えない奥深さをそこかしこに感じた。何度も訪れてみたい、いやいつかは住んでみたい地だと思った。

雑感

身近な野鳥 「国賓級の来訪者コクガン」 2008年05月

野鳥観察の楽しみ(六十八)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
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写真はコクガン(‘08.4.11。広島県廿日市市)〔Nikon D300, AF-S Nikkor ED600mm, F4DⅡ×1.4,1/1000秒,f/8,ISO400,トリミング〕

国の天然記念物に指定されているコクガンが地御前海岸にいると連絡が入った。国賓級の来訪で、広島県にとって17年振り4回目のはずである。T氏の確認も得て、報道機関に連絡すると、すぐ現場に急行するとのこと。

海岸には記者の方が先に到着している。コクガンのことについて矢継早に質問される。通常は北海道や東北地方の限られた場所にのみ飛来して越冬する。それに、個体数も多くなく、絶滅危惧種に指定されている。そのような貴重な鳥がどうしてここに来たのか。         

コクガンは一緒にいるカモ達よりも大きく、頭から首、背中にかけて黒い。尾筒が真っ白く目立ち、脇腹は白地に焦げ茶が混ざる。首に白い輪のように見える斑がある。首の前側上部の白斑の中には黒色の斑点が見える。首はあまり長くない。

コクガンは九州や山口県、鳥取県で迷鳥として記録がある。このコクガンも迷って廿日市市より南に行き、越冬を終わり、今一緒にいるヒドリガモ達と共に帰路の途中なのかも知れない。無事に極北の地まで帰り着いてほしいものだ。 

(2008年4月17日記)

*このコクガンはNHK総合で4月11日午後6時半と9時前に放送され、中国新聞4月12日朝刊第1面に紹介。読売新聞には4月13日朝刊に掲載された。

 

野鳥観察の楽しみ

グロ-バリズムとジョーモニズムのハイブリッド ネオ・グロ-バリズムの創成 2008年05月

縄文が日本を救う! (62)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

(毀誉褒貶はあるものの)小泉・竹中路線によって、一応はどん底から立ち直った日本経済だが、マスコミは、新たに格差問題とか、「勝ち組・負け組」「ワーキング・プア」など新しい課題をことさらに喧伝している。いくらグロ-バリズムに問題有りと言っても、日本もその開かれた世界市場で活動する以上、それを鎖国的感覚で排除するわけにはいかない。

 問題は、もっと広く視野を広げて、アメリカという「アングロ・ユダヤ」という市場原理主義者以外の価値観を持つ、穏健な仕組みの中で生きる国々の研究も怠ってはならないだろうし、その上でニホンナイズした新しいグローバリズムを構築する必要がある。

 また相手の手口を研究して、「待った」のかからない企業乗っ取り騒ぎや、株の買い占めなどから会社を守る必要がある。企業買収の動きは、なにも外資だけではない。かつてのホリエモンや村上ファンドなど、マスコミが「勝ち組」と持ち上げ続けてきた虚業の仇花であるマネーゲーム感覚の若者たちの跳梁も目に付いた。

 その後、介護サービルの「コムスン」・英語教室の「NOVA」・人材派遣の「グッドウイル」などなど…、時代の寵児と謳われたソフト企業のモラルハザードや破綻を見ると、虚業のむなしさが増幅されるばかりである。これは何もソフト産業が日本という風土に根付くかどうかという問題ではなく、トップの知らないまま、あるいは知った上でのモラルハザードを許容する姿勢に虚業の本質があることを知るべきである。

 さてこのグロ-バリズムだが、どうもアメリカにおける1970~80年代の「脱工業化社会論」から端を発しているのではないかと思う。アメリカでは、日本を始めとする工業国台頭の中で、次第にその思想が国是になり、急速にサービス産業優先に傾斜し、製造品は外国の安いものを購入し、アメリカは物販を基底として、IT産業・金融産業など頭脳産業に特化していった経緯がある。その結果、ゴールデン・シィクスティ(黄金の60年代)といわれた中流階級花盛りの時代から、急速に上下の格差が拡大していき、低所得者層やホームレスの増大に繋がっていく。

 ある識者は、アングロ・サクソンをハチ(蜂)、イスラムをサソリ(蠍)、ユダヤをクモ(蜘蛛)、そして日本をアリ(蟻)であると例えた。ご存じのようにいままで働きアリの日本は、相手の弱点を鋭く突くハチと、知的所有権の網を張り巡らして獲物を絡め取るクモの共同部隊「アングロ・ユダヤ」の、狡猾極まりない戦略と戦術によって、いかに膨大な国富を掠め取られてきただろうか。今こそ馬鹿正直で脳天気なアリが、いかに彼らに立ち向かうべきかが問われているのだ。

 たとえばこのグロ-バリズムの本性だが、日本の閉鎖性を突くために、「グローバル・スタンダード(国際標準)などといいながら、その実アメリカ発の市場原理主義ルールであって、そのアメリカ自体、いまだにポンド・ヤード法を遵守し国際標準であるグラム・メートル法を採用していないというダブルスタンダードに安住していることも認識する必要がある。

 では、西欧はどうか? 最近アメリカ主導の経済環境から脱して、ユーロが堅調なところから、国際通貨としての道を着実に歩んでいるEUでは、そこに食い込もうとしている日本企業の動きを警戒して、多くの制約や罰則強化している。日本円が国際通貨としての力を持ち得ず、さりとて今更かつての鎖国制度に戻れない以上、否応なくグローバルな視野での対応を講じる必要がある。

 あの有名なヘッジファンドの雄、ジョージ・ソロスは、最近急速にアメリカ離れの言動を行っているが、考えようでは沈みかかったアメリカという船から、ユダヤがいち早く逃げ出そうとしているという見方さえ出来るだろう。

 すなわち幾多の欠陥を蔵した「グロ-バリズム」と、どのように接していくべきかが今後の重要な課題となるであろう。ここで提示したいのは、新しいグロ-バリズムとジョーモニズムの合体、言い換えると両者のハイブリッドとして、「ネオ・グロ-バリズム」を創成することが急務でではないか。
 (以下次号へ)

 

縄文が日本を救う!

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く 2008年05月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

アンドリュー・パーカー 著  渡辺政隆・今西泰子 訳  草思社  2,310円

  太陽系惑星群の一つとして、地球が誕生したのが46億年前である。煮えたぎるマグマオーションが、有毒のスープと言われる「混沌の原始の海」に転じ、そこから生命が発生したのが37億年前、そして過激な酸素の発生に対応できる多細胞生物の発生を見たのが30億年前だと言われている。
 現在の地球学では、その歴史を5億4300万年前のカンブリア紀を起点として、それ以前の40億年余を一括して「先カンブリア紀」と呼び、それ以降古い地質の境界線毎に年紀を定めている。
 余談になるが、この年紀を区分する地層に刻まれた境界線こそ、その時点で起きた地球環境の大異変、あるいは多くの種、そして生命の絶滅を見た大カタストロフィーの証明である。
 (年代記 以下サイト後尾の部分参照)
 ではなぜこの5億4300万年前のカンブリア紀と、それ以前を区分したのだろうか。このカンブリア紀にいったい何が起きたのか?それはカンブリア紀になって初めて動植物の大発生があり、大進化の幕開けであったからに他ならない。予兆はその少し前の、「エデアガラ動物群」の発生であり、カンブリア紀に入っての、ヴァーチェス頁岩遺跡の化石群で有名な、節足動物の大発生である。
 なぜカンブリア紀に大発生・大進化が起きたのかについては、ダーウィンや・スティーヴン・グールドなどを悩まし続けてきた難題なのだが、彼アンドリュー・パーカーは、「すべては眼の誕生にあった」という画期的な仮説を提示する。
 今まで「眼の誕生」という現象については、的確な理論的解明が為されていなかったのだが、彼は「眼の誕生が捕食者を生み、それから逃れるための捕食者の鎧や目くらましの技法などを発達させ、それが種の大進化に繋がったのだと謂う。
 本書は370頁を超すボリュームだが、その約半分近くを割いて、生命発生からの通史に費やしている。その過程で彼は偶然3000万年前のカブトムシの持つ色彩を発見、そのほか、発光性動物の生態や理由の解明することで、遂に エディアガラ動物群、ヴァーチェスの化石群が、豊かな色彩を持っていることを突き止め、特にヴァーチェス(節足動物)化石の眼の構造を解明していくことで、眼の発達が生物の進化に大きく作用したという結論を導き出したのだ。
 カンブリア紀以前、「生と死の営み」は、光に無縁な海中や土の中で細々となされてきたのだが、それがカンブリア紀の始めになって、ようやく太陽の光の下で営むようになり、光感知のための「眼」が誕生したことで、爆発的に大進化が始まったというのが、著者の提唱する「光スイッチ説」である。
 おそらく当初は、おぼろげに光を感じ、その光を遮る「動く物体」を、かろうじて識別できる程度の眼であっただろうし、その陰の大きさや動きの早さや特徴から、それがエサなのか、それとも捕食者なのかを、なんとか判断していたに過ぎなかった。ところが、捕食と被捕食という生存を賭けた競争の激化から、「眼」の進化は急速に進み、それに伴って種の増加や進化が、爆発的に行なわれたのだと著者は謂う。
 ご存じのように、眼の存在は「見たものの識別」のために、脳の存在が不可欠であって、幼稚な脳の持ち主は、当然対象物の識別は曖昧になる。そこで眼の発達こそ脳の進化に大きな影響を与えることになったというのだが、(逆にこれを見られる側から考えると)果たして脳を持っているのかどうかわからないような原始的動・植物でさえ、優れた保護色彩や模様を持っていることに自然界の驚異をみる思いである。
 著者は「矛と盾と刀傷」という巧みな比喩で、カンブリア紀の最強の捕食者アロマロカリスは、防御用のヨロイ(硬い皮膚)を持たなかったが、その他の捕食者でもあり、被捕食者でもある動物たちは、鋭い武器と同時にヨロイも持っていたことを教えてくれる。彼の鋭い眼力は、当時の化石から捕食者の牙を逃れた傷跡を発見したことから、おそらく彼らは、その時点で自然治癒力も獲得したのだろうと指摘している。
 ヨロイと同時に彼らが身につけたものが「色」であった。目くらましのため、また脅かしのための発光システムであり、保護色や捕食者に似せた文様=擬態などであった。またこうした色彩は、日光の到達する浅い海で進化した。たとえばいま沖縄などの近海で見られる、カラフルな熱帯魚やサンゴ・ウミウシなどの、豊かな生態の起源こそカンブリア紀であった。
 目の出発点は、ものは見えないが光を感じる皮膚の斑点の誕生であり、それが内側に陥没していき、次第に高度な光検知器を形成していったのだと著者は謂う。生物進化の過程にある種によって、いろんな段階の性能の検知器が存在することになる。
 なお色彩とは、その生物や物質が、特有の「色」を持っているというのではなく、膚の構造が、(見る側の)眼の持つプリズム作用で、ある種の光を撥ね付け、あるいは吸収することによって生じる視覚効果である。
 ただ未だ脳や、目という脳の出先機関が未発達な動物や植物まで、防御に関わる彼ら特有巧みな色彩や、模様生み出す皮膚構成、形態による変身術などが、どのような仕組みで獲得していったのかまだまだ不明な点は多い。
 また光の届かない深海や、夜行性の水棲生物や地中の微生物たちの中には、光の反射ではなく、自ら発光する能力をもつものもいる。それは暗黒あるいはそれに近い世界での、幼稚な光検知器に対応しての「目くらまし」効果であり、「危険信号」である。
 眼には、単眼と複眼がある。カンブリア紀の王者節足動物は複眼の道を選び、その後魚類→両生類→爬虫類、そして哺乳類は単眼という道を選ぶことになる。それぞれ画像を結ぶ仕組みは違うが、結果としてその仕組み以上に、その後脳の進化の違いによって、視覚としての能力に大きな差がついて行ったことになる。
 われわれ門外漢には理解しがたい学術的バリアーの外側での憶測になるが、初めて大進化の根源に踏み込んだ著者の「眼」仮説は、古生物学の発展に大きな突破口を開いていったものとして、大いに賞賛されてしかるべきだろう。

感銘の一冊

蜘蛛の糸は必ず切れる 2008年05月

諸星  大二郎 著   株式会社 講談社 発行

 背すじも凍るような恐怖ではなく、じっとりと汗ばむような恐怖でじわりじわりと責めてくる。もう読むの止めたいのに、指が吸い付いたように頁を繰るのを止めてくれない。「こわい」+「せつない」+「おもしろい」。
 著者の諸星大二郎氏は漫画家で、本書は二冊目の小説集(一冊目は「キョウコのキョウは恐怖の恐」)。漫画家だからか、文章がビジュアルでわかりやすい。もっとも、彼の漫画は、文章の量も多いし、着想の面から見ても文学的な傾向があるので、小説の執筆は自然の流れ。漫画と小説がクロスオーバーする作家といえるだろう。
 いつ来るかわからない船を待つ人々の心情を粘っこくと描き込んだ「船を待つ」、不思議なOLが不可思議な生活を語る「いないはずの彼女」、同窓会で徐々に暴れて行く男の秘められた過去(「同窓会の夜」)、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の大胆な変奏曲「蜘蛛の糸は必ず切れる」。四つの中短編が収められた本書は、人の心の闇にたらされた銀色に光る蜘蛛の糸かもしれない。
 蜘蛛の糸を表現した線が表紙~扉~目次と続く等、しゃれた装丁も本書の魅力。

(哉)

今月の気になる本

マイ・ブルーベリー・ナイツ 2008年05月

【監督】ウォン・カーウァイ
【主演】ノラ・ジョーンズ ジュード・ロウ

 二人で歩いていて何かの拍子にはぐれてしまったら、どちらかは動かないでその場にじっとしていること。そうすれば相手が見つけてくれて、また出会うことができるから。この映画に登場するカフェの店長はそんな迷子の鉄則を守って、突然いなくなってしまった女性を探し歩くのではなく、もう一度出会うのを待つことを選びました。彼女についてはほとんど何も知らないけれど、はぐれてはいけないひとであることを彼は分かっていたのでしょう。
 風のようにいなくなり、また戻ってくる女性はカーウァイ監督の映画によく登場します。寒そうに肩をすくめて彼女を待つ男性も、二人の距離を近づける鍵や手紙、ビデオといった小道具も。この映画はジェレミーの焼くブルーベリーパイ。はぐれたついでに旅をして戻ってきた観客を、当然のように同じ味で迎えてくれました。

 (nao)

キネマ見ましょか

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