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今月の写真 2008年06月

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「ハナムグリ」
シャリンバイの花に群がって蜜を吸っていた。(08.5.06撮影)

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今月の言葉(6月) 2008年06月

あなたは霊魂を信じますか?

  「不滅の霊魂は千の風になって」  ――風彦

 六月といえば、梅雨のシーズン。花でいえば、紫陽花の咲き競う季節。私には、この季節になると、忘れえぬ思い出がある。それは今から五十五年前の六月八日のこと。瀬戸内海の柱島沖で爆沈した戦艦「陸奥」の戦後初めての海上慰霊祭の取材だった。その日は、しとしとと降る梅雨。宇品港(現・広島港)から二隻の第六管区海上保安本部の巡視船に守られた御霊船とともに遺族を乗せた貸し切り客船で現地へ。(当日の詳細は割愛するが…)
 柱島近くになると、急に海が荒れ始めた。遺族の人たちも一様に悲しみと不安におののいた。爆沈現場では波頭がたち、停船した御霊船も、その遺族船も揺れた。今でも記憶に残るのは、戦艦「陸奥」の三好輝彦艦長の未亡人が、白いハンケチで顔を覆い嗚咽されていた。雨の中、慰霊祭の祭壇が整い、同行した神職の修祓の儀がはじまり、遺族から託された花、お酒、菓子などを三人の潜水夫が海底に供えて上がると、海面は、うそのように穏やかになった。そして、海底からは戦艦「陸奥」の艦首の、あの「菊のご紋章」が引き上げられた。私を含め参列者の涙を誘った。
 「陸奥」が爆沈したのは、昭和十八年(一九四三年)六月八日 十二時十分。原因はつまびらかにされていないが、一四七一人の乗員が一瞬に海に飲まれ込み、一一二一人が亡くなった。この惨事は、当時は極秘だった。その後、吉村昭の小説「陸奥爆沈」が話題になった。が、私は当時の慰霊祭の光景を一部始終見聞して以来、「霊魂」を信じるようになった。あの日の荒れた波は海底に眠っていた人たちの魂の叫びにちがいないと。
 台風シーズン、天気予報のテレビの画面で日本列島に向けて北上する台風の進路を見ながら思う。台風は、南海に散華した人たちの魂の「望郷の叫び」ではないだろうか。
 六月は、第三日曜日に、広島の原爆医療の恩人、ジュノー博士の功績を顕彰して「ジュノー記念祭」が開催される(※)。参列する広島少年合唱隊、広島のガールスカウトたちのこどもたちとともに、安芸郡府中町の中学生たちが吹奏楽演奏で亡くなった被爆者の霊を弔う。昨年は同中学生が新井満さんの「千の風になって」を合唱。参列者の共感を呼んだ。
「私のお墓の前で/泣かないでください/そこに私はいません/眠ってなんかいません/千の風に/千の風になって/あの大きな空を/吹きわたっています」(後略)
 宗教家のひろさちやさんは、「魂は千の風になりますか?」(幻冬社発行)の著書で、魂は一人ひとりの心の持ちかたにあるという。さて、皆さんは?

(風彦)

※「ジュノー記念祭」は毎年六月第二日曜日ですが、 今回は第三日曜日になります。 

今月の言葉

雑感(6月) 2008年06月

代表取締役 田河内秀子

 先日、看護学校時代の友人が「暑いからビールを飲みにいこう!料理も美味しい所があるから」と電話をかけてきて、(彼女の誘いはいつも突然ですが・・・)、久しぶりに飲みに行きました。
 さんざん飲んでおしゃべりをして、その中での事です。「明日コンサートがあって、コンサートの主催者に頼まれてステージのバックの字『夢』を書いたけど大きな字を書くのは難しいものだね、コンサートのチケットが余っているから行かない?」との事で、『夢』の字も見たいしと、何のコンサートかもわからないまま、出かけました。
 それが、平岡麻衣子さんのユニバーサルコンサートでした。
 平岡麻衣子さんは、大阪音楽大を卒業し、将来を嘱望されウィーンの音楽大に留学中の二〇〇一年十月、階段から転落し四ヶ月間意識不明、意識が戻ってからも手足に重い障害と、記憶など高次脳障害を負われたそうです。本当につらいたいへんなリハビリの中で、車椅子に座れるようになり、左手が動くようになり、硬く固まっていた右手も開き始め、この日は杖で、お母様に後ろから支えられて登場されました。リハビリの様子など、テレビで放映された時の映像が流れましたが、この七年間のリハビリがどれほど過酷なものだったか…。
 演奏は、シューマンの「トロイメライ」、バッハの「プレリュード」、ショパンの「ノクターン」など十曲、バイオリンの上野眞樹さんや、ホルン奏者の藤咲真介さん、平岡さんを音楽面で支えてこられた音楽家の方々との共演もありましたが、一番感動したのは、ショパンの「ノクターン」。左手の指が優雅に演奏し、右手の指は一音一音を力強く響かせ、演奏されました。今までうまい演奏家のピアノ演奏も何度か聞きましたが、これほど音に魂を感じたのは初めてでした。
 彼女の言葉です。
『自分で限界だと思ったら、何もかもストップする』
 天使のような微笑と、たどたどしいけれど心のこもった言葉と、そして何より日に日に上達していく魂のピアノの音色。平岡麻衣子さん、来年の貴女に、再来年の貴女に会いたいです。

雑感

身近な野鳥 「大きなシギのホウロクシギ」 2008年06月

野鳥観察の楽しみ(六十九)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
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写真は上下ともホウロクシギ。('08.4.25。東広島市安芸津町)〔Nikon D300, AF-S Nikkor ED600mm, F4DⅡ×1.4,1/1000秒,f/8,ISO400,トリミング〕

大型なチュウシャクシギの傍に、さらに大きなシギがいる。大きく下に曲がった嘴、長い足、体全体が褐色に見える(写真1)。大きさも姿も良く似たホウロクシギかダイシャクシギのどちらかだ。じっくりと観察を続ける。羽を開いた。裏が褐色をしている。ホウロクシギだ(写真2)。裏が白いとダイシャクシギ。

内陸部の旧東広島市では今までホウロクシギの記録はなかった。しかし、昨年8月沿岸部の安芸津町で初めて報告された。これは広域合併のお陰である。私もこれを観察できたし、今年4月にも会えたのである。

ホウロクシギとダイシャクシギの区別は、羽の裏を観るのが確実であるが、他に、尾筒(お尻のあたり)が上下とも褐色であるとホウロクシギで、上下とも白いとダイシャクシギである。また全体的にホウロクシギの方が褐色味が濃い。

ホウロクシギは絶滅危惧種に指定されている。飛来数が少なく、また、旅鳥のため広島県を通過するだけなので、目に止まるチャンスが少ない。同じ旅鳥のダイシャクシギはレッドデーターブックに記載はないが、広島県での観察例はもっと少ない。

 

(2008年5月31日記)

 

野鳥観察の楽しみ

グロ-バリズムとジョーモニズムのハイブリッド ・・・ ネオ・グロ-バリズムの創成ー2 2008年06月

縄文が日本を救う! (63)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 小泉前首相は、「自民党をぶっ潰す!」「改革無くて成長無し」と獅子吼して、国民の圧倒的な支持を得、強引な手法で「規制緩和・構造改善」に着手した。その結果保守論壇を含め、自民党内も真っ二つに割れてしまった。

 ところが小泉さんのあとを継ぎ、国民の大きな期待を担って、ようやく世界で通用する若さと実行力を持った(と思われた)安倍総理の登場だったが、相次ぐ閣僚のスキャンダル、それに思わぬ年金問題から、タカ派的スタンスを恐れ嫌う守旧派議員や官僚に加え、マスコミまでもが陰に陽にその足を引っ張るという、まさに「ヤヨイズム」の猛攻に会い、結局衆参両院における大きなねじれを生んだままで退陣してしまった。その結果いま福田内閣になって、改革路線の大きな後退が指摘されている。

 おそらく意見の大きく分かれるところだが、だったら「改革は不要か?」といえばノーであって、やはりこれからも改革は大いに進めなければならないという事になる。結果の是非は歴史が答えを出すことだが、いまの守旧派の有り様を見ると、明治維新での改革派と守旧派の対決と酷似している気がしてならない。

 原理原則をモットーとするアメリカでは「共和党=保守VS民主党=リベラル」という明確な図式だが、日本の場合保守とリベラルの混在、それに社会主義者まで加わるという「あいまい型」であり、確固たる主張や大義名分は欠如し、「政策無くて政局有り」という現状から見て、とても2大政党政治実現は「夢の又夢」といったところである。

 それと同時に、今日本の取り組むべき急務は、どう考えても「官僚制度のリストラ」なのだが、まず自民党では不可能だし、さりとて自治労シンパや官僚OBが横流れた民主党で、それを成し遂げることが出来るかという危惧がある。

 となればねじれ現象を解消させるための再編成「ガラガラポン」が不可欠なのだが、現実的には、政治の停滞を懸念する形での「大連合論」がくすぶり続けている。欲を言えば、いたずらに政権に恋々しない若手を中心とした真性保守政治家が1つになって独立し、理想を現実化させる努力を地道に講じて欲しいのだが…。

 さて本題の「ネオ・グロ-バリズムの創成」だが、その前提として「日本をいかなる国体とすべきか」という、根本的命題抜きには不可能である。その場合政治家にしても官僚にしても、はたまた学識経験者やマスコミにしても、確たる回答を持たないようでは、到底実現不可能な相談である。

 金融市場において、いまや「ニホン・パッシング(無視・素通り)」がますます進行している。少なくとも世界第2位のGDPを誇る国の有り様ではない。ここは実質経済をはるかに凌駕する金融マネーが飛び交う世界とはいえ、閉鎖的な日本の株式市場のあり方に愛想を尽かしたためであって、なにも日本の企業に魅力が無くなった訳ではない。むしろ実力に比べて株安だと言われている。

 本当に日本企業に実力がないためなら諦めも付くが、実力以下に評価されるところに、日本における市場関係者の不手際や拙策があるというべきである。まず第一に、自国の力に自信を持てない事に繋がる「円安誘導」がある。しかもそれを論議しない(させない)風潮がある。もしそれが低評価の原因だとすれば、その改善を急ぐ必要がある。

 企業サイドにしても、いたずらに買収を恐れることなく、しかも充分に買収問題の研究を怠ることなく、その戦術・戦略を研究して逆に買収側に廻ることも視野に入れるべきであって、そのためには広く世界から人材を求める事も必要であろう。

 と同時に、特に製造業の場合は企業のアイデンティティや経営理念として、「短期利益を優先しない。研究費や最新設備を導入する。それに人材育成に投資する。」という方針を大きく掲げ、つねに公表する努力を怠ってはならない。しかもこれは、技術立国ニッポンの国是だということを広く知らしめることが必要であろう。

多くの人は日本製造業の代表を自動車・家電・IT機器だと思いこんでいる。ところがそれらはすべて全世界からの部品の集合体であって、相対的に日本の製品が多いというだけで絶対的なものではない。

 いま我々が知るべき事は、そうした部品の中でも特に必要不可欠な部分において、日本が圧倒的な力を持っていることと、そうした圧倒な力量を持っていることであり、しかもそうした製造業のほとんどは、買収には無縁の中小企業だという事実である。ということは、そうした中小企業群が安泰でいる限り、世界の中でしめる日本の地位はいささかも揺るがないと知るべきである。

 日本の企業の、実に99%以上が中小企業であり、しかもその比率は年々高くなっており、2004年度では、実に99.7%に達している。ちなみに中小企業の定義だが、平成11年の中小企業基本法改正で、

1.資本金3億円以下(卸売業については1億円以下、小売業、サービス業については5,000万円以下)
2.常時使用する従業員の数が300人以下(卸売業、サービス業については100人以下、小売業については50人以下)の会社及び個人事業者とされている。

 このことは、いわゆるグローバリズムによる買収や合併騒ぎには無縁の企業がいかに多いかということを示している。それを知った上で国の取るべき政策とは、

1.中小製造業の保護・育成・振興をはかる
2.地方大学との産学協同による新製品開発研究制度の拡充をはかる
3.過疎地の活性化と併せて、企業の移転・拡充に便宜を図ること
4.共同製品開発・販売・仕入れや販売のネットワーク構築、
5.中小企業のために、海外での関連見本市への出品など、クローバルな販路拡充へのテコ入れと優遇策

などなどである。

 ここでの問題は、こうした中小企業への融資を、日本の金融機関が(土地担保・連帯保証など)旧態依然とした対応に終始し、いわゆる「貸し渋り・貸し剥がしなどを行うようでは、優良企業の外資依存への傾斜を招きかねない。寡聞にして、日本金融界が世界での実例を元に、新しい融資システムを構築することが急務であろう。

 

 

縄文が日本を救う!

日本の森にオオカミの群れを放て 改訂版―オオカミ復活プロジェクト進行中 2008年06月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

吉家 世洋 著  ビイング・ネット・プレス  1,680円

 かつて日本の山に森に、気高いニホンオオカミ(北海道にあってはエゾオオカミ)がいた。彼らは「食物連鎖」の頂点に君臨し、われわれの先祖は、「大いなる神」として恐れ敬ってきた。ところが明治の世に到り、蕃神キリストを信じる「青い目の助っ人」のそそのかしを真に受けた日本人の手で、愚かにも銃砲で、あるいはストリキニーネなどの毒薬で、森の守り神を(明治38年=1905)絶滅してしまった。まさに「野生の殺戮」である。
 森の動物生態系の頂点であるオオカミを絶滅させることで、動物相を破壊してしまった日本人は、その後極相(クライマックス)である「広葉樹の森」を醜く攪乱して、陽樹であるスギ・ヒノキの単一林にしてしまった。昨今農村におけるサル・クマ・イノシシの被害、それに都会部でのカラスの跳梁は、すべて針葉樹の行き過ぎた植林と、オオカミ不在という、生態系の頂点を排除した結果だと言っても決して言いすぎではないだろう。
 それでも森林の方は、(日本のように湿暖の地にあっては)長時間放置すれば極相林に復元する。ところが、動物相の方はそうはいかない。ニホンカワウソも絶滅したままだし、トキ(朱鷺)やコウノトリ(鸛)でも、多大時間と費用を掛けながら、実績は遅々としてはかどっていない。日本の森での生態系の頂点にいた肉食獣オオカミ復元にあたっては、恐ろしいケモノという誤解と万一の人身事故を恐れて、積極的に論議されてこなかった経緯がある。
 本著は、私たちに、いくつもの教訓を与えてくれる。「野生の殺戮」は一体なにを生んだか。元来厚いコケで覆われていた大台ヶ原(吉野熊野国立公園)の原生林は、シカによって樹皮を食べられて、樹木が枯死したことで、差し込む日光でコケも枯死していった。またヤギだけが取り残された無人島(小笠原諸島)では、天敵がいないため異常繁殖して、いまや草のない島と化し、土砂が海に流れ込む惨状を呈しているというのだ。
 ご存じの日光でも、昨今シカが樹木を枯らす被害に頭を悩ましている。自然の巧みな生態系を無視した行為(オオカミの絶滅)によって、結果としてシカ(エゾ・ジカ)やカモシカやイノシシの増加を生むことになってしまったのだ。それに加えて私たちは、クマやサルやイノシシの食料となる、ドングリのなる広葉樹を伐採して、分別を欠くスギ・ヒノキというモノカルチャーの推進によって彼らの食料を奪ってきた。食料を奪われたかれらは、やむなく危険を冒して人里に出没し、貴重な作物を荒らす手段に出た。「野生のしっぺ返し」である。
 それでも少し前までは、あの嫌われものの野犬が横行していた。それを人はすべて捕獲し毒殺してしまったのだが、今ころになってようやく皮肉にも、嫌われ者の野犬たちが、クマ・イノシシ・サルが人里に降りてくることの防波堤になっていたことがわかってきた。
 本著の中で丸山直樹(東京農工大学教授は、「ニホンオオカミは、中国モンゴル自治区にいるハイイロオオカミの亜種で、ブラックバスなどの外来種とは異なり、日本の生態系に悪影響を及ぼす心配がない」と言い、「人間が絶滅させた(オオカミという)種の復活は責務であって、コウノトリの放鳥と似たような手法であり、しかも犬に比べて狩りが上手で、サルやイノシシをも捕らえる。抑制効果が期待できる)のだという。
 ニホンオオカミに復元には、丸山直樹が中心となって設立した*「日本オオカミ協会」という研究団体が、地道な活動を行っているが、当面の導入候補地として、尾瀬を含む日光国立公園を挙げているのだが、理由としてシカの数が多く貴重な植物の食害が深刻で、しかも公園内での狩猟が禁止されている上、自然が既に詳しく調べられているからだとしている。また日本では、ハンターが老齢化し、次第に減っていることも大きい。問題は、地元を含め関係諸機関の説得が課題だが、たとえば前述無人島での、ヤギの天敵としての実験的導入なども視野に入れるべきであろう。
  *「日本オオカミ協会」
 「オオカミが増えすぎるのでは~」という懸念は杞憂に過ぎない。サヴァンナの最強のプレデター、ライオンにしても、最速ランナーチータにしても、非捕食者がいなくなると絶滅が待っている。森の中で多くの植物群から各種哺乳類・鳥類・昆虫、それに微生物に到るまで、巧緻に構築された「森林生態系」では、当然植物相・動物相の貧弱なサヴァンナとは、比較にならない調整機能が備わっているからだ。
 丸山は、食物連鎖の頂点を占めるオオカミの能力は特に偉大だという。彼らは1つがいの夫婦オオカミと数代の子供たち10数頭が1つのテリトリーを形成する。成長した子供たちは、成長するまでにその半数は死に、数年で群れから離れるのだが、他のテリトリーに迷い込んだ子供の内、(特にオスは)半数以上がそこで咬み殺される。運と力があってはじめて、そこのボスに取って代わるのだ。
 彼らオオカミの偉大な知恵とは、テリトリーと隣のテリトリーとの間に、緩衝地帯を持っているこだという。そこでは獲物たちが安住する場所になっていて種の数を維持できると共に、未熟な子供たちにとって格好の、「狩りのトレーニング場」にもなっている。またかれらオオカミのエサは、決して健康で元気なものたちではなく、老齢・病気・ケガ・若齢であって、このこともオオカミが、非捕食者の健全なバランス維持に貢献しているのだ。オオカミのエサの残滓は、クマや(これも絶滅を危惧されている)ワシ〔鷲)やタカ(鷹)、それにフクロウなどのエサになる。それにカラスだって山に帰ってくるだろう。
 ニホンオオカミより一回り大きいエゾオオカミは、まだ生息しているといわれる同種のカラフトオオカミで、こちらも有志によって復元も計画されているようだが、出来ればニホンオオカミ保存を願うメンバーと提携しての運動が望まれる。
 アメリカのイエローストン国立公園などでは、かつてタイリクオオカミを絶滅させたため、エルク(オオジカ)が増え過ぎてバッファローの草を奪ってしまい、小型肉食獣のコヨーテが増え過ぎてアナグマなどテリトリーを奪うなど、生態系が狂ってきたことから、11年前よりカナダからタイリクオオカミを移入してようやく正常な生態系に戻り始めているのだという。
 「オオカミ復元」に立ちはだかる壁としては、(近隣住民の誤解も大きいが)もっとも強敵は「自然(動物)保護団体」であろう。彼らは鯨の徹底保護活動でも見られるように、理屈や理論でなく、「かわいそうだ」という感情論優先である。当然対象は「食べられる、かわいそうなシカであり、ウサギであり、カモシカである。
 加えて、「もし人がオオカミによって殺されたら誰が責任を取るのか」という言葉がある。人のエゴと誤解によって絶滅させられたオオカミこそ、「自然(動物)保護団体」の復元目標であるべきで、野生動物による人身被害は、北海道のヒグマ、本土のツキノワグマ、それにイノシシによって起きている。オオカミの復活は、むしろそうした被害を防ぐことはあっても、増えることはないという。
 もちろん牧畜国家のアメリカでは、オオカミ復元に当たった地域において家畜が襲われるケースもあるのだが、その被害補償を行って解決しているという。幸い日本には、アメリカのような放牧に近い牧畜農家は至って少ない。また実際には、アメリカ史上、オオカミによる人身事故は1件も発生していないという事実がある。
 森の再生とセットして、ぜひオオカミの復元の成功を祈りたいものだ。

感銘の一冊

「孤独な少年の部屋」 2008年06月

中島義道 著 角川グループパブリッシング 発行

 著者の中島義道氏は哲学者で、以前にもこのコラムで著作の紹介をしたことがあります。善意の言葉や善行の裏にびっしりと苔のように生えている自己愛を徹底的に拒否したり、日本中に蔓延している騒音(「エスカレーターの足もとにお気をつけ下さい」のような言わずもがなのアナウンスetc.)や光害(昼間でもついている看板の光etc.)を糾弾したりとアグレッシブなイメージの強い中島氏ですが、本書でクローズアップされているのは、氏の、こわれてしまいそうなほどの繊細な部分。
 カイコが自分の吐いた糸で繭を紡ぐように生み出された、少年時代の中島氏の創作物にまつわる思い出が語られています。空想を織り交ぜて描かれた地図、偏執狂的な緻密さで書かれた観察記録やノート類、涙をぬぐいながらホルマリンの注射を虫たちに施して作製した昆虫標本、模造紙に書いた10mを超える歴史年表…。そして、たぶん著者の他の著作で深くは言及されたことが無かった、子供時代の家族と友人たちのエピソード。
 本書で見られる中島氏ほどすごいものではなかったのですが、頁を繰りながら、純白で真摯だった少年時代の自分をなつかしく思い出しました。

(哉)

今月の気になる本

アイム・ノット・ゼア 2008年06月

【監督】トッド・ヘインズ
【出演】ケイト・ブランシェット、ヒース・レジャー、リチャード・ギア、クリスチャン・ベイル、マーカス・カール・フランクリン、ベン・ウィショー

 一人の人物を六人の俳優が演じていることが話題になっている。しかしボブ・ディランに関しては、この手法は極めて正しい。
 ディランの“正史”についてはM.スコセッシ監督の『ノー・ディレクション・ホーム』に任せよう。例えばK.ブランシェットひとりがディランの半生を演じたらどうか。なんだか物理的に無理に思える。H.レジャー、彼には彼自身の人生を取り戻してあげたい。R.ギア、C.ベイル…彼らにもやはりひとりで演じきることはできない。それは俳優の力量のせいではない。だってボブ・ディランなのだから。六人でも足りないくらいだ。七人目のボブ・ディランは観るひとの頭の中。でも当人はきっと「私はそこになんかいないよ」と、そっぽを向いている。

 (nao)

キネマ見ましょか

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