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今月の写真 2008年07月

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「クロイトトンボ」
アサザの花の上でじっと獲物を待っていた。(08.05.30撮影) 

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今月の言葉(7月) 2008年07月

「自分で選んで歩き出した道ですもの」

         ―女の一生より―

            ―杉村春子

 杉村春子といえば、広島の生んだ新劇界の女王であった。九十一歳で亡くなって十一年が過ぎる。映画に舞台に、その存在ぶりは伝説的に語られている。晩年の映画では、進藤兼人監督の作品「午後の遺言状」で、乙羽信子と共に老いた女優らしい演技力をみせた。
 私は演劇批評家ではないが、舞台では、記録と記憶に残るのは、「女の一生」。森本薫の戯曲で一九四五年四月初演。久保田万太郎演出、杉村春子主演。孤児から中国貿易商となった「布引けい」の一生を通じて、明治~昭和の激動期を描いた作品。杉村春子さんは「布引けい」役を九百四十七回の公演でこなしたほどである。
 それだけに、冒頭の色紙を見つけたときは軽い興奮をおぼえた。『流暢な書体』ながらも、言葉にこの人らしい芯の強さを感じたからである。その色紙は、広島市民球場前のレストラン「マリーナ」の一隅にさりげなく額に収められていた。
 店のあるじ中川公一郎さんが、祖母寳山敬子(ほうざん・ゆきこ)さんと女学校時代の同級生だった杉村春子さんの縁で広島公演(一九九五年三月)の際に頂いたものだという。店は場所柄もあり、カープ球団担当のマスコミ関係者が出入りする。
 過日、元カープの監督だった阿南準郎さんと選手の「能力格差」について話し合った時、阿南さんはこう言った。
「要は、選手の能力は練習への姿勢。練習をさせられていると思う者と自分の能力を高めるためだと積極的に取り組む者との差だね。自分の選んだ道への生き方だよ」
―好きこそものの上手なれ―であることを説いた。野球も芸道も同じこと。冒頭の杉村春子さんの言葉がそれを教えてくれる。
―すべての道は『愛』からはじまる―。
『愛』は『LOVE』でもあり『LIKE』でもある。

(風彦) 

今月の言葉

雑感(7月) 2008年07月

代表取締役 田河内秀子

 又暑い夏がやってきた。七月は私にとって喪の季節。娘が七歳で亡くなったのも。孫が一歳で亡くなったのも、看護師として手術室に勤務していた折、夏休み中に治そうと蓄膿症の手術をした高校生の男の子が、思わぬ出血で亡くなったのも、すべて七月。人は生まれたからには必ず死ぬものだが、いかにも早い死は、受け入れ難いものだ。しかし、一歳は一年分のたくさんの驚きや喜び、七歳は七年分のたくさんの思い出を残してくれた。あの高校生のご両親は今どうされているだろうかと三十年以上たった今も時々思い出すが高校生になるまでに重ねた想い出をご夫婦で楽しく語らっていらっしゃればと願う。
 先月、毎年行うクラス会で宇治平等院を訪れた。平等院鳳凰堂は、約千年前の藤原頼道による建造物で、建築・彫刻・絵画・工芸が一体化し、さらにその周囲は、浄土庭園の遺構がひろがり、建築と庭園が融合したたぐい稀な遺跡で、世界遺産に登録されている。そのテーマは極楽往生を願う浄土信仰。鳳凰堂内部に描かれた各扉の来迎図には、看取るものと臨終者、仏様たちのお迎えの瞬間が、日常生活する場所や活動も含めて上品・中品・下品と生き方の格に応じて描かれている。
 「まさに平生の中にこそ死があり、そこに自然の中からの迎えがあり、そのこと自体が「ありのまま」=自然である」と『平安色彩美への旅』の中で神居文彰氏が述べられているが、死と極楽往生を表す鳳凰堂を、お財布の中に必ずある十円玉に刻むという発想をしたのは、一体どこの誰なんだろう?

雑感

Q:介護予防サービスの日割り計算の方法についての質問です。ショートステイを利用した月の日割り計算ってどうするのでしょうか? 2008年07月

A: 日割り計算が利用できるのは、月途中に①要介護から要支援に変更となった場合、②要支援から要介護に変更となった場合、③要支援度が変更になった場合、④同一保険者管内での転居や事業所の廃止等により事業所を変更した場合 に限られるとされていました。しかし、平成20年4月21日付の「介護療養型保健施設に係る介護報酬Q&A」によると、ショートステイを利用した場合は、その利用した日数を減じた日数に日割の単位数を乗じて請求するとあります。新しくでたQ&Aですので県によって対応が異なるようです。そういう事例が出た場合は、保険者に確認される事をおすすめします。
①~④の場合の日割り計算は、サービスコード表にある日割りの単位を使用します。その単位×算定基準日数 です。算定基準日数の求め方は実際のサービス利用開始日ではなく変更日が起算日となります。

 

キャプスホームページ:http://www.tanishi.co.jp/kaigo/index.html

キャプスショッピングサイト:http://www.caps-shop.jp/

介護Q&A

身近な野鳥 「お寺のアオバズク」 2008年07月

野鳥観察の楽しみ(七十)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
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写真はアオバズク。(‘08.6.14。東広島市西条町)〔Nikon D300,          AF VR-Nikkor ED80-400mm, 1:4.5-5.6D, 1/100秒,f/8, ISO400,トリミング〕

あたりが暗くなってくると、ホホッ、ホホッ、とやさしい声が聞こえてくる。東広島市の町なかの、或るお寺の境内。アオバズクが今年もやってきた。市の都市化は著しく、中心街は高いビルで埋め尽くされ、夜も明々と灯がともされる。

お寺の方は今年も来てくれるだろうかと心配されていたが、やって来た。今年で見納めになるかも知れないと、6月の中旬、お寺の子供会の人たちに、一人ずつそっと観てもらった。お昼寝をしていたアオバズクは厳しい目でこちらを睨んだ(写真)。

アオバズクはフクロウの仲間で、初夏東南アジアからやって来て子育てをする。黒褐色の顔と丸い頭、大きな丸い目は金色。胸や腹は白地に茶褐色の縦斑がある。昼間は大きな木の枝で休み、夜行動する。

大正の末期に植えられたと言うセンダンの大樹、地上4mくらいの所に大きな空洞がある。損傷が激しく、入口にひさしをつけてあるが、ここ2年は巣として使われていないそうだ。今年こそは、この雄の呼びかけに応えてくれる雌が現れてほしいものだ。

(2008年6月27日記)

 

野鳥観察の楽しみ

世界を席巻するJ・カルチャー  サブ・カルチャーから真のカルチャーへ 2008年07月

縄文が日本を救う! (64)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

 日本のマスコミは、国内の情報に重点を置いた報道を倦むことなく続けている。しかも明るいニュースを避けて、極端に暗い事件に偏っているきらいがある。良くも悪くも、「海外の日本を見る目」についての報道は、ほとんどないのが現状で、そうしたことからいつしかネクラにされてしまった日本人は、自らをまた自らの文化を極端に低く見ることに慣らされてきた。

 冷静に伝統文化という面で見た場合、日本ほど長い歴史を有する文化は世界のどこにも存在しない。単に歴史の長さだけを見ると、お隣のチャイナなどに及ばないが、易姓革命によってそれ以前の歴史を否定し、事あるごとに「焚書坑儒」を繰り返してきたチャイナには、継続した文化や文明を持ち得なかった。今こそ日本の価値ある文化に新しい光を当てる時ではないだろうか。 

 それはしばらく置くとして、今いわゆるサブ・カルチャーと呼ばれるジャンルの中から、いつしか世界の注目を浴び、いまや真のカルチャーとして大きく羽ばたこうとしている分野があることを認識しなければならない。日本人自体が、それを日本文化だと認めるかどうかは別として、世界中で日本発文化として認知されたものが数ある事に気付かされる。

 日下公人『数年後に起きていること』によると、「フランスやイタリアで学んだ日本人と、原宿表参道で感性を磨いたフランス人・イタリア人の競争が始まる」というのだが、いまや世界中、日本人の美意識や芸術的感性を疑う者は少数派だと言えそうで、「知らぬは日本人ばかり」という風潮といえる現状にある。

 たとえば、ポップ・アーティスト村上隆だが、日本では「単なる模倣者で知らないガイジンばかりが持て囃す」と、その評価が依然として手厳しく毀誉褒貶の最中にあるが、あの世界一のブランド、ルイ・ヴィトンがデザインを依頼し、しかもそれが世界中で売れていることを無視できない。彼の評価は、評論家よりも年端もいかぬ少女が握っているのだ。

 世界中でもっとも有名ブランドが売れ、特大の店舗をつくっている国は日本を置いて他ない。今や世界に著名ブランド(メーカー)にとっても、日本人の感性を無視してはやっていけない時代になったことを知るべきであろう。そこには「モノを唯の物と見ない」、縄文以来脈々と続く「モノづくり」に対する日本人の、美意識・感性の大きさがある。

 もはや私たちは、かつての高度成長の復活を夢見たり、競争力の消長に一喜一憂する時代ではない。今こそ「日本人にしかできない 世界の新しい価値観を創造する」ことに意を注ぐときではないだろうか。

 たとえば、世界中で普及しているカラオケ、スシ(寿司)をトップバッターとした和食、それにJ・カルチャーと呼ばれて注目を浴びているJ・ファッション、J・アニメ、J・ポップス(ポピュラー・ミュージック)など、私たちの目にはごく当たり前のサブ・カルチャーに過ぎませんが、その実、カラオケにしろスシにしろ、いずれもそのまま世界語として通用しており、高度に普及しているのが事実である。

 特にスシの場合、ハンドメイドの和食というイメージに相反する、スシ・ロボットとコンベアーシステムというメカトロとの奇妙なハイブリッドが世界中で受けていると言えるし、カラオケではどんな歌でもワンタッチで即座に選択できて、曲に同調したテレビ画面には、状況にマッチした映像に加え、歌詞までがタイムリーに現れるというハイテク性が売り物となっている。ここには、決して他国が思いも付かなかった、ハイテクと感性を巧みにハイブリッドさせた日本の文化力が見て取れるではないか。

 特に世界中を席巻している日本のマンガ・アニメだが、たとえば野茂英男やイチローが「巨人の星」「ドカベン」を見てプロ野球選手を夢みて成功し、女子バレー選手たちが「サインはV」を見て大きく育ち、日本の選手だけでなく、フランスの名選手ジダンにまでがサッカー選手を夢みるきっかけとなったという「キャプテン翼」、最近では少年囲碁ファンを増やしたという「ヒカルの碁」…。こうなればサブ・カルチャーなどという時代ではなくなったことがはっきりしている。

 つづまるところこうしたJ・カルチャーは、決して無から有が生じたわけではなく、日本という国土が生んだ「たぐい稀な感性」に裏打ちされた文化であり、その根底に脈々と流れるのは、「縄文癒しのアニミズム」であり、「万葉の大らかさ」であり「平安の雅(みや)び」であり、「源平のものの哀れ・無常観」であり、「鎌倉の侘び・寂び」であり、「戦国の婆娑羅(ばさら)」であり、室町の「百花繚乱」であり、「安土・桃山の絢爛豪華」であり、「江戸の粋(いき)・風流」である。

 しかもそれらが、集約され、渾然一体化し、醸成され、しかも昇華された「多様化の美」なのである。マスコミや多くの識者は、今の日本の持つ「多様性」に目をつむって、その一面だけを切り取って悪し様に言挙げしているのだと言えるだろう。

縄文が日本を救う!

製造業が国を救う―技術立国・日本は必ず繁栄する 2008年07月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

エーモン フィングルトン著  中村仁美訳  早川書房 1,995円

 実はこの本には、2つの特質すべき?エピソードがあった。本題に入る前にいささか長くなるが、紹介しておきたい。

その一、実は1円(送料は別)だった!

 いつも書籍通販で利用しているアマゾンの検索サイトで、「製造業」で探したところ、この本が見つかった。しかもそこに「21点の新品/ユーズド商品を見る」とあるので、そこを見ると、なんと1円で、評価レベル・5つ星とあるではないか!
題名もイカシているし、すぐさま申込み感銘を持って読み切った。

 安い理由の1つは、1999年と8年前の出版という点だが、アメリカ経済界を支配している、「ポスト工業化社会」と(彼らポスト工業化社会論者がすでに陳腐化したという)「工業化社会」の比較論だから、むしろ現在(いま)の方がよく分かるというものだ。

 最初に思ったのは、1円~300円というランクがあるので、心ある製造業のトップや管理者は、すぐさま買い占めて、社員に読ませるべきだということだった。

その二、実はこの本をすでに購入して読み、且つ「感銘の1冊」として紹介していた事実があったのだ!

著者が比較対象として取り上げている「ポスト工業化社会」のことを調べようと、グーグルで検索してみたところ、なんとの2000年2月に、ちゃんと自分の手で書いているのが見つかったのだ。なんたる不覚…。

 毎月の書評を収録している縄文塾HPのメニューより、
 『感銘の1冊』(2000.2)参照

 いくら7年半という昔とはいえ、きれいに記憶からすっかりと消えていることに、我ながら呆然、真剣にボケ到来を懸念している始末である。なにしろ以前読んだ記憶も、書いた記憶もが、わが脳髄から見事にポッカリと欠落しているからである。

 あわてて本棚を探してみると、確かに同じ本があった。別のところで、「過去の記憶は極力忘れようとしている」と書いたのは事実だが、感銘を受けたにしてはあまりに酷い。

 こうなっては開き直るしかない。前回よりは年月を経ているだけ、新しい結果や視点が見つかるかもしれない。ぜひ以前の書評と一緒に読んでいただきたいものだ。

 なお以下表現的には、自らの検証や思い入れを重点に置いて、同著から離脱した部分が多いことを、前もってお詫びする。

  (ここから本題)

 本著が上梓されて8年を経過している。当時バブル真っ最中だった日本だが、多くの無能なアナリストの無為無策ぶりがあらわになる中、小泉・竹中の「ぶっ壊し政治」によって、というより、お上に頼ることの無意味さを覚った製造業を中心とし
た企業の自主努力から、ようやく暗くて長いトンネルを抜けて成長度はともあれ、長さでは「岩戸景気」を上回る復活を遂げてきている。

 その後日本の製造業は、小泉・竹中の「ぶっ壊し政治」によって、と言うより、お上に頼ることの無意味さを覚った製造業を中心とした企業の自主努力から、人員整理を中心としたリストラを含め、血の滲むような努力もあって、ようやく暗くて長いトンネルを抜け、成長度はともあれ、長さではかつての「岩戸景気」を上回る成長の復活を遂げてきている。そこにはマスコミの喧伝した「情報化社会」というポスト工業化社会の華やかな姿はないものの、着実に日本の実力を発揮してきた結果といえるだろう。

 その理由は、ポスト工業化社会的思考の根源にある「株主優先・短期利益優先」という、アングロユダヤ的経営思想にあり、それが生んだMBAスタイル経営者の跋扈が挙げられるだろう。所詮この思想では、研究開発のための投資など不可能である。

 ここで「ポスト工業化社会」を再定義すると、主としてITを基盤とした「高度情報化社会」であり、金融や株式売買関連、それに物販・流通業などであろう。

 ポスト工業化社会論者が見落としたものは、いわゆる製造業も、IT武装を身につけて再登場すというシナリオではなかったか。見落としたのではなかったとしたら、過小評価していたことになる。「コンピュータ ソフトがなければ ただの箱」は、そっくり裏返せば、「コンピュータ ハードがなければ ただのゴミ」だということだったことになる。なにしろ日本が生んだラップトップ・パソコンが世界を席巻し、ディジタル・カメラの進化たるや空恐ろしい程である。

 アメリカが選択した「ポスト工業化社会」だが、その求人機能はごく低く、結局一部の特別富裕層を生んだだけで、インドやチャイナにソフト・エンジニアを外注するていたらくである。日本においては、マスコミが「勝ち組・負け組」という、けっ
たいな差別発言をして話題を呼んだが、それがあのホリエモンや村上ファンド、それにコムスンなど六本木ヒルズ住民の去就としたら、まさに虚業をもて囃し、しかも水に落ちたイヌは徹底的に叩くというマスコミのお家芸に過ぎない。

 では物販ではどうか。日本の商業コンサルタントは、なぜか安売りの王者「ウオールマート」を礼賛する。ところがこのウオールマートも、フランスの大型量販店カルフォールも、日本では成功していない。

わかりきっていることなのだが、こうした店が成長したのは、この店の存在を必要とする「低収入層」の存在が日本にはないことである。それに日本人は「安かろう悪かろう」という商品には目もくれない。そこを忘れた日本企業が、彼らとの提携に失敗するのは当然のことである。

 では「100円ショップは~」という人がいるだろう。これは価値・価格費=コスト・パフォーマンスの問題であって、100円でこれだけの価値があるから行くだけで、ここにはルイ・ヴィトンやシャネルを持つ人でも訪れるという、日本特有の価値観があるのだ。

 日本のマスコミは、IT家電のランキングとして、白物家電・携帯電話・テレビ・パソコンなどの広い分野で、日本企業の劣勢を伝えるが、本当に問題とすべきは、そうした製品の中で占める日本製部品、特に心臓部における日本製品のことも正確に伝えるべきではないか。

 最近のハイテク電化製品においても、国際分業が確立し、すべてを自国で、と言う仕組みは失われてしまっている。日本のマスコミはそれに目をつぶって、製品としての(国別)ブランドにこだわりすぎている。

 唐津一さんが夙(つと)に謂うように、表面には出ない部分での日本製品は、すでにこれなくしては世界の製造業が成り立たないと言う面を、マスコミはもっともっと強調すべきであろう。曰く「ロボット=メカトロニクス、数値管理マシーン、金型産業・ファインセラミックを含むナノテクノロジー・製造マシーンを造るシーン・半導体などエレクトロニクス部品などから、チェーン・ボルトナット・ワイアー・ファスナー、大型では造船・橋梁・耐震構造建築」などの分野まで、いまや日本の製造業なくしては、世界が回らなくなっている事実を無視してはならない。

 製造業とポスト工業企業の差は、雇用人員の数だけでなく、所得格差の差に顕著に現れている。いまや日本は、あの長いバブル崩壊を味わいながら、平均収入にしろ、雇用係数にしろ、アメリカはおろか、ヨーロッパの各国を凌駕して居ることを認識する必要がある。

 今日本は、高度成長の陰の部分といえるブルーカラーを嫌う思考から、一日も早く脱却して、真の「高度精密製造工業立国」への道を邁進すべきこと、それが決して間違いでないことをこの本は強く示唆している。

 なお今後注意すべきは、金融のグローバル化から大株主として外資の行動、すなわち株主利益の強要の傾向であろう。企業理念として、研究開発・従業員の優遇と熟練化への投資の必要性、言い換えれば、製造業界での「ジョーモニズム」を、「ネオ・グローバリズム」として認識させることに、国を挙げて取り組むことであろう。


 「軍需産業」に依存しない日本製造業の有り様を取り上げた、
キャッスルゲイトHPの中の『平和に発した日本技術論』
 http://joumon-juku.jp/gijyutu/index.html
もぜひご参照下さい。

感銘の一冊

「硝子戸の中」、「調査されるという迷惑」 2008年07月

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「硝子戸の中」

夏目漱石著 株式会社岩波書店 発行

「調査されるという迷惑」

安渓遊地著 みずのわ出版 発行

 かつて、病気のため書斎(硝子戸の中)にこもっていた夏目漱石は、そこにやって来る人たちの話・伝聞した情報をもとにして、過去の出来事や自分の境遇に思いをはせたエッセイを書きました。話題は他人の親族の消息、しかも大正時代に書かれたものなのに、なじみの店で友人の話を聞いているような安らぎを感じるのはなぜでしょう。作者が「漱石」だからでしょうか。新聞連載ということで、短めの章だてで読みやすく、元祖「すべらない話」とでもいった趣です。もっとも、声を立てて笑ってしまうような種類の話ではありませんが。
 ところで、いま手に取っておられる、このささやかな印刷物の裏面は「舟入散歩」という企画になっています。これは、社内にこもりっきりで仕事をするのではなく、外に出て地元と積極的に関わって、視野・仕事の幅を広げようとする試みの一つです。言わば「硝子戸の中」とは逆の行き方です。
 その取材中、あらかじめ記事にまとめやすいカタチを思い描いて、人の話を聞くことがあります。これはマスメディアのやらせにつながる危険な考え方かもしれないと、なんとなく感じてはいたのですが、安渓さんのブックレットを読んで、あらためて身の引き締まる思いがしました。

(哉)

今月の気になる本

ジュノ JUNO 2008年07月

【監督】ジェイソン・ライトマン
【出演】エレン・ペイジ、マイケル・セラ

 物語の始まりは高校生で妊娠しちゃった、というちょっと古風(?)な出来事。主人公ジュノにとっての初体験は、彼女の周りの人たちにも初めて接する事件でした。驚き戸惑うのは「大人」たちで、しっかりと意思を持ち自分の決断を実行していくのはジュノと友人の高校生たちです。成熟できないでいる大人に、チープな服装でガムを噛みながら「しっかりしなよ」と叱るジュノのかっこいいこと!思わず「すみません」と謝ってしまいました。
 16歳って結構しっかりしています。感受性は豊かだし、記憶力は良いし、神経伝導も活発だから判断も決断も素早いのです。10代を主人公にした映画は若さゆえの純粋さ、傷付きやすさを主体に描かれることが多いですが、この映画は若さゆえの賢さとたくましさを見直させてくれました。大人の皆さん、これを見て気持ちよく叱られましょう。 

 (nao)

キネマ見ましょか

[不定期連載] ひろしまくっちゃね隊―21 2008年07月

自分が健康だな~とか、

頑張って働けるぞ

というパロメーターは昼飯を美味く食べれるかどうかにかかっている、

と最近は思う。

市内の友人と久しぶりに昼飯を食べる。

お互いに忙しくなる前だから美味い昼飯をガッツリ喰らおうと言う事になった。

広テレの裏へ向かい、2階にあるその店に入る。

1時はとっくに過ぎているので少し遅めの昼飯。

空腹が限界まで近づき少し凶暴な気持ちになっている。

普段はお客さんでいっぱいの店内も今日は比較的、空いている。

いつものようにメンチカツ定食を頼もうと思ったが、すでに完売。

弁当とビフテキ丼しかないそうだ。

弁当よりはガッツリなビフテキ丼かな~?

と考えていたら弁当とビフテキ丼のセットがあるので二人ともそれを頼んだ。

しばらくしてドガーンとどでかい丼のような器がくる。

覗き込むと色華やかに肉、魚、野菜と詰め込まれてる。

 

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これが弁当?

そして実は二段重ねのその下にビフテキ丼が隠されていた。

 

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う~ん、こういうの好きなんよね~。

もどかしくも適当に写メり、ビフテキ丼から喰らう。

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う~ん、牛、美味い。醤油タレとバターが効いて咥内から鼻腔をくすぐり暴れ狂う。

口いっぱいにほうばり、強引に嚥下すると飢餓による苛立ちから開放され笑顔が甦る。

柔らかさが肉の全てではないと聞いたが、口の中で溶け、米と共に拡がる旨さは間違いなくヤバイ。

そこに嘘はない。

少し余裕を取り戻した事で弁当の御膳にも、心が移る。

ハヤシのようなビーフストロガノフのようなのを食べる。

弁当とはいえど温かく、酸味と肉肉しい濃うま味がまた好みな感じで好き。

何よりドガーン入っているのがうれしい。

ケチ臭く少ないと冷めるのも早いしね。

これをまた丼のご飯にぶっかけて食べるとまたしんぼー、堪らん、てぐらい旨いよね。

やはりハヤシライスなんかな?

また魚や野菜でなんかバランスの良い食事をしてる気分となる。

そもそもこの店は洋食屋さんなんだがみそ汁もついており、和のスタンスの強い感じがした。

でも、それがこの店の暖かみに似合ってる気がする。

胃袋と心を満たされて久しぶりに満足した。美味い昼飯を食べる事はやっぱりいいよね。

広島くっちゃね隊

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