« 2008年07月 | 2008年08月 | 2008年09月 »

今月の写真 2008年08月

  0807kuroirotonbo.jpg
「ヘイケボタル」
近くの川筋約100mの間に、78匹のホタルがいた(08.06.29撮影) 

フォトギャラリー

今月の言葉(8月) 2008年08月

勝って涙、負けて涙―

 ―涙の本質をみる―

            ―風彦 

 今年の八月は、スポーツの夏。北京五輪の開幕をはじめ、全国高校野球甲子園大会、インターハイの各種競技会がある。その日のために錬磨した技を競う。なかでも地球規模のスポーツイベントである五輪大会。しかも今回は共産圏で、市場経済下で経済発展をした中国での開催だけに、大いに注目される。
「スポーツには、国境はない」―。と言われながらも現実には、国威の昂揚の場。今回もその例にもれないだろう。選ばれたアスリートたちは、文字通り「スポーツ戦士」の意気込みで、その国のために競う。そこには歴然とした勝者と敗者の明暗が醸し出される。
―勝って涙、負けて涙ーである。
 先進国と後進国(開発途上国)とでは「涙の質」が違うだろうが,勝利の感激と敗者の悔しさを目の当たりにすると、第三者にも「涙の質」を越えて感動を呼ぶ。
 それはなにも五輪に限ったことではない。高校野球など、スポーツ競技の宿命でもある。
 先年、高校野球界の知将、蔦文也さん(故人=徳島 池田高校野球部監督)が、よく語った。
「鍛錬は千日の行。勝負は一瞬の行」ゆえに、日々の練習の積み重ねの結果により「涙の価値」が決まるとも説いた。
 哲学者であり、宗教学者、教育家の山折哲雄さんの著書「涙と日本人」(日本経済新聞社発行)は興味深い。その中で目を引いたのは、涙をめぐる国内外の哲学者、心理学者、俳人、茶人、演歌歌手、政治家、野球選手の引退の弁などさまざまな視点からエピソードを紹介。涙の本質を分析した内容だった。
「涙は清らかで美しい排泄物」の記述がある。(概要)「不思議なのは、体内のものが外部に排出されたとたんに、それが汚物になるが、汚物にならないものが、それは涙。涙には悲しみの涙に、喜びの涙もある。どの涙もときに清らかに美しく輝いているときがある」
 涙は欲望、愛情、感傷の万華鏡でもある。
 さて、この夏の涙の万華鏡が楽しみである。

(風彦) 

今月の言葉

雑感(8月) 2008年08月

代表取締役 田河内秀子

 孫にと、とうもろこしを買って行って娘に蒸してもらい食べさせた。よほど美味しかったのだろう。「甘い」「甘い」と言いながら二本分全部すっかり平らげてしまった。それはデパートで買ったトウモロコシだったせいか、本当に素晴らしく甘いトウモロコシだったが、一歳十ヶ月でも、もう美味しいものはしっかり分かるらしい。先日は近所のスーパーでデラウェアを買って食べさせると、「すっぱい」と言って吐き出した。確かに熟れ方が足りなかったが、そんな吐き出すほどすっぱくはなかったのだが、子供の味覚は侮れない。
 我が子を育てている時は、子どもが何時どんな言葉を覚え、初めてその言葉を使うのがどんなシーンだったかなんてちっともわからなかった。私はずっと働きつづけてきたので、保育所に預けるまでは母に預け、保育所に預け出してからは、子どもが病気の時・自分が病気の時は母の出番。弟のお嫁さんにも世話になった。歯医者などは殆ど近所の友達が連れて行ってくれていた。離乳食もパンツはずしも保育所の保母さんがやってくれた。長男は「自分は親にほっとかれた」と今だに言っている。確かに下の子が小学校に上がった頃は七つ下の妹の昼ご飯はお兄ちゃんに任せていたような気がする。ともかく我が家の子ども達は習い事をさせるわけでもなく、塾に行かせるわけでもなく、特に長女が心臓が悪かったので、健康な子どもたちはほったらかしだった。今子ども達が健康で人並みに仕事が出来ているのは、祖父母や叔父さん伯母さん、両親の友達、保育所の先生、学校の先生、すべて回りの人たちが育ててくださったお陰なのだとしっかり覚えておいて欲しい。
 しかしそれにしても我が子の時は残念なことをした。子どもの成長を観察するのは実に面白い。「まだ ある」「もう ない」と二語文が出ると、人は言葉によって人間になっていくと思ったり、木馬に立って乗ろうと試みているのを見て、人間は生まれながらに冒険者なのだと思ったり、いろいろな発見をする。我が子の時には出来なかった楽しみを孫が与えてくれている。

雑感

身近な野鳥 「ブッポウソウの子育て」 2008年08月

野鳥観察の楽しみ(七十一)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
    0808buppouso02.jpg
写真1(‘08.7.19。東広島市)〔Nikon D300, AF-S Nikkor ED600mm, F4DⅡ×1.4,1/640秒,f/6.3,ISO400,トリミング〕
     
0808buppouso01.jpg
写真2(‘08.7.11。東広島市)〔Nikon 100, AF VR-Nikkor ED80-400mm, 1:4.5-5.6D, 1/1250秒,f/5.6, ISO400,トリミング〕

 東広島市にブッポウソウが来ているのを確認されたのが5年前、すぐ巣箱を近くに住む会員たちが設置した。しかし、その巣箱は利用されないままだった。次の年(2005年)2月、巣箱をあらかじめ10数か所設置した。5月にはブッポウソウがその内の一か所を利用し、7月には無事雛が巣立っていった。

 同じ場所の巣箱を利用し始めて今年で4年目になる。さらに、巣箱の利用数も数か所に増加した。ある巣箱からの巣立ちを今年こそは観ようと数日通い、雛が巣箱の穴から上半身を出し、ゼエッ、ゼエッ、ゼエッ、ゼエッと餌をねだるところ(写真1)まで確認した。親はもう餌を与えていない、巣立ちが真近い。

 ブッポウソウは東南アジアからやって来る夏鳥である。暗青緑色の顔と頭、嘴と足が赤く目立つ。体全体が青緑色で翼に白斑がある。大きさはハトよりやや小さい。親鳥は子育て中、見晴らしの良い高い木の先や枝に止まり、昆虫を見つけては空中捕獲する。巣の近くの電線や木に一旦帰り、あたりを警戒しつつ餌をさばいてから雛に与える(写真2)。

 巣立ちが予想される日と次の日は用事があり行けなかった。3日後の早朝、現場を訪れたがもぬけの空で、辺りにもブッポウソウの姿はなかった。無事巣立ちしたものと安堵すると同時に少しさみしさが心をよぎった。

 

(2008年7月30日記)

2008年12月31日一部訂正

 

野鳥観察の楽しみ

グロ-バリズムといかに対決するか 2008年08月

縄文が日本を救う! (65)

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾
 

★理不尽な現実

 2000年少し過ぎた頃からようやく回復を見せ始めた日本経済だが、相次ぐ原油高と、穀物価格の高騰に加え、アメリカで発生したサブプライムローン崩壊の影響をもろに受けて、前途に再び暗雲が立ち籠めてきた。

 一国の力だけではどうしようもないグロ-バリズムの荒波に、日本はいかに対応していくのだろうか。なにしろ実際には、それ以前に比べて急に産出量が減ったわけではないのに、金融市場に溢れた余剰資金が石油業界に流れ込んだのが原因で石油価格が高騰した。

次いでそれまで食料・飼料用に生産されていた穀物が、バイオエタノールにシフトしたことから、その暴騰につながり、たちまち食糧難に陥ったアフリカ諸国では、大きなパニックから暴動騒ぎまで引き起こしている。

 工業先進国として化石燃料への依存度が高く、しかも食糧自給率30%を切っていることから、その影響をもろに受けた日本として、いかにこうしたグロ-バリズムの荒波を乗り切ればいいのだろうか。


★今更鎖国は許されない

 特に金融・株式界でグロ-バリズムの(日本人の意識にとって)不条理・非常識さは目に余るものがある。だからと言って開かれた世界に住む以上、今更「鎖国政策」を、「攘夷主義」を採るわけにはいかない。

 逆に一方日本も、グロ-バリズムの恩恵を受けて来たことも事実である。グ-バリズムの負の一面だけを取り上げての、軽率で身勝手な判断は厳に慎まなければならない。

 では我々は、いかに対応していけばいいのか。個々の問題にまで踏み込むことは別に機会に譲るが、一つだけ言えるのは、かつて日本が外に開かれる度に行ってきた、
海外文化の導入術、言うなれば、「縄文に発した匠の技」をバックボーンとして、弥生との遭遇以降、常に無意識のうちに行われた、「ヒトと文化のハイブリッド化」を、ここでも意識的且つ積極的に行うことである。

 考えようでは、グロ-バリズムとはいいながら、その現状はアングロ・ユダヤというアメリカ発市場原理の最後の足掻きだと見ることも出来る。いまこそ新しいグロ-バリズムの創成を考えるべき時期ではないだろうか。


★日本ハイブリッド文化の軌跡

 日本においては、外来文化の吸収→咀嚼→消化の過程において、不要なものは排泄してしまい、必要なものだけを取り込んでまさに換骨奪胎、一定の熟成期間を経ることで、従来の日本文化と合体して、移入元の文化を遙かに凌駕する新日本文化を創造してきたのである。

 ここでその軌跡を検証してみよう。
 (↓は醸成期間)

<日本のハイブリッド文化>

縄文×弥生

↓ 古墳時代
     (農業革命)
帰化人×縄+弥=日本文化・文明

↓  奈良時代・律令
     (都市文明)
髄・唐×日本文化・文明

↓  平安時代
     (漢字+仮名文字)
(元寇)×日本文化・文明

↓  戦国時代/下克上
     (古い権威の崩壊)
明・ポルトガル×日本文化・文明

↓  室町・安土・桃山時代
     (百花繚乱・絢爛豪華)
英・オランダ×日本文化・文明

↓  徳川・江戸時代
     (庶民文化・地域産業)
欧米文明×日本文化・文明

↓   産業革命時代
     (疾風怒濤時代・富国強兵)
米・物量文明×日本文化・文明

↓  敗戦後の日本時代
     (平和モノづくり立国)
グローバリズム×日本文化・文明

↓  バブル崩壊時代
 
ネオ・グロ-バリズム
(新日本文明の創成へ)

 
 ここでは影響力の大小を問わず取り上げたが、それ以外にも数多くの海外文明との接触によって、日本の文化そして文明の進化が行われてきたことは間違いない。


★目標を失った今

 ところが今大きな問題となっていることは、「気がつけば日本が世界の先頭を走っていた」という事実であって、今までのように「追い抜き追い越せ」という手法が通用しないことがはっきりしてきた。

 しかも一神教に発したグロ-バリズムが、ようやく崩壊の兆しを見せているという事実である。

 同時に、「過去に捨て去ったものの中に、再評価すべきものがあまりに多くはなかったか」しかも「良いと信じて導入したものの中に、むしろ排除すべきものはなかったか」という反省がある。

 ここらで一呼吸置いて、じっくりと過去を振り返って見るべき時が到来したのである。  
 (以下次号)

 

縄文が日本を救う!

深層水「湧昇」、海を耕す! 2008年08月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

長沼 毅著  集英社新書  693円

 9月18日、NHKテレビ「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、はじめて著者を知った。肩書きは広島大学大学院生物生産学部 生物海洋学研究室の準教授で、専門は生物海洋学・微生物生態学、従来の海洋生物学から軸足を生物に置き換えた、全く新しい研究分野の第一人者である。テレビでは、高温・有毒ガスの充満する火山口などに棲む、生命発生に繋がる微生物を探して歩くフィールド派(行動学者)の姿を映し出している。

 著者はかつて、深海探査艇「しんかい6500」で幾多の深海探査に従事、特に「チューブワーム」という深海生物の生態観察で有名になった。チューブワームは、深海の熱水噴出孔付近で、硫化水素などを栄養源としている微生物との共生によって生きている、口も消化管も持たないチューブ状の不思議な生物である。

 同著は、学生への生物海洋学「講義ノート」をベースにしているとあるが、シャレや言葉遊びも交えた平易な表現で、私たちの知らなかった海洋生態圏の食物連鎖・海洋気象学、それに表題となっている「湧昇(ゆうしょう)」を始め、海流のメカニズムなど多様な知識を与えてくれる。

 日本は古くから魚食が中心で生きてきたが、世界的に見ると圧倒的少数派で、現在(牛乳・乳製品を除く)農業生産は年間約35億7000万トンに対し、漁業生産は1億3300万トンに過ぎないという。漁業は古代からの漁撈という延長路線を踏襲しているが、より以上収量を求める手段として、いま養殖(幼魚まで飼育して放流する方法と、成魚まで飼育する方法がある)という方法が採られているが、特に成魚まで飼育する方法には、環境破壊と病気の発生が大きな問題となっている。

 いま地球上には65億人という人類がおり、ごく一部の飽食社会を除き、今でも飢えに苦しむ多くの人たちがいる。しかも今世紀末には100億人を突破することが確実視されている。その時点において従来の陸上由来の食料だけでは到底賄いきれないが、今までいわば眠っていた海洋由来の食料を、「湧昇」という自然現象を活用し、且つそれに人知を付加することで、マグロで100億人が賄えるという試算を提示しているのが本著である。

 本著は陸上にしろ海洋にしろ、食物連鎖のスタートは、日光による光合成であることを再認識させてくれるが、それが陸上では草であり、それを食べる草食動物なのだが、草は有機物を消化できない。従って土中の微生物や菌類などがそれを無機質に代えたものを吸収する。そして草を消化できないヒトは、草を消化できる家畜を食べることで食物連鎖の頂点「人間生態圏」を構築している。

 海においては、川から流れ込んだ、また浅い海中で発生して光合成を行う植物プランクトンを、動物プランクトンが食べ、それを小魚や幼魚が、またそれをイワシ・サンマなど中型魚が~、最後に極相(クライマックス)としてマグロという連鎖サイクルで形成され、その過程や極相で人間生態圏に組み入れられる構図が見えてくる。そうしたメカニズムを生むのが海流であり、その循環過程で引き起こす「湧昇」という現象が、このサイクルの主役であることを教えてくれる。

 以上が「生食連鎖」と呼ばれるが、実はもう一つ「死骸・食べ残し」という、いわば陸上の生ゴミに当たる存在があり、それがマリン・スーノーになって海中を浮遊し、再び動物プランクトンや幼魚などの掃除屋に70%は食べられ、30%が深海に堆積されて行くのだが、そうした堆積物が「湧昇」という現象によって 再び海面近く上昇して、再び植物性プランクトのエサとしての発生にリユースされる。これを「腐食連鎖」と呼んでいる。そうしたメカニズムを生むのが海流であり、その循環過程で引き起こす「湧昇」という現象が、この「腐食連鎖」というサイクルの主役である。

 大きな漁場は「生食連鎖」に「腐食連鎖」が加わった恩恵の上に成り立っている。さしずめ、新車の流通という「動脈流通」と、中古車のリサイクル・リユース流通に当たる「静脈流通」とに当たると考えると分かり易い。ちなみに植物性プランクトンの必要とする栄養源は、窒素分でありリンであり、ケイ素(シリコン)というミネラル分である。

 ではなぜこの「湧昇」が海の豊穣をもたらすかだが、堆積物が持つ窒素分の再利用である。深海では、硝酸化された窒素分が、海面地殻に上がってくると、植物プランク論が光合成にとって大発生を促すことになる。これは陸上でのマメ科植物が、根粒菌の働きで地中に窒素固定を行うことと似た現象と言えるだろう。ご存知窒素分は肥料の主成分である。

 地球上には、海流の位置によって幾つもの大小「湧昇」ゾーンがあり、豊かな堆積物のあるところには大きな動物性プランクトンが育つ。例えばヒゲクジラやペンギンのエサになり、世界最大の哺乳類シロナガスクジラを生んだ南極の動物性プランクトン、オキアミは体長5センチもある。またカリフォルニア沖では、ウニやアワビを大発生させ、それがラッコのエサになって、ジャイアントケルプの大森林を守っている。

 著者によると、もしこのオキアミをマグロの味に出来たら、すぐにでも100億人は養えるというのだが、海での捕食者たちは、多くの場合サイズがその下のエサの10倍くらいになるそうだが、陸上でも同様、頂点に近づくほど個体数が減少する。
そのために、本当にマグロで100億人を養うより、「ヒトがトラを食べる」という比喩を用いて、生態系の頂点にいるマグロを食べることより、その過程にあるオキアミ・イワシ・サンマなどを食べ、マグロは100億人が祭りの日に、ご馳走として食べることで結んでいる。

 自然の力に比べて、悲しいことヒトの力はまだまだ弱小であるが、英知を絞って人工湧昇に取り組む必要を説いている。たとえば現在(いま)、ポンプによる汲み上げとか、人工海底山脈を造り上昇海流を起こそうという試みがなされているという。

 ここから敷衍すれば、未開発の海に比べて、環境問題とも絡んで陸上における耕地の開発、食料生産量は限界に近いといえる。とすればいつでもウナギを、牛肉を食べるということが困難になってくる日は近い。

 やはりウナギは土用の丑の日に食べるべきで、牛肉はハレの日という昔の生活に活路を見出すと共に、100億人時代にもなれば、もはや飼料効率の低いウシからブタ、ブタからニワトリへというように、動物タンパク源は、マグロを頂点とした海洋生産物の利用と同調して、(エサ要求率の低い捕食の中位以下の動物)例えばニワトリの肉やタマゴ主体にシフトすべき事を示唆している。

感銘の一冊

「忘れられた日本人」 、「風の人宮本常一」 2008年08月

0808book

「忘れられた日本人」

宮本常一著 岩波文庫 発行

「風の人宮本常一」

佐田尾信作著 みずのわ出版 発行

 「忘れられた日本人」は、民族学者の宮本常一が日本各地の村を取材し、老人たちから聞いた話をまとめたものです(1960年発行)。13の章からなる本書は、日本の村に残っていた、あるいはその当時すでに失われてしまった習俗の記録。しかし、語り手の存在感が際立っており、民衆を主人公にした短編小説の趣きです。
 最も印象深かった章は『土佐源治』(盲目の馬喰の老人が自身の女性遍歴を語る)。芝居となり、坂本長利という役者が40年間にわたって1000回以上も演じつづけておられるということです。
 各地の方言で語られた老人たちの昔話や、昭和30年以前に宮本氏が撮影した写真を眺めていると、体験はしていないのに懐かしい。本書のページを繰りながらノスタルジーに浸ってしまいました。
 「風の人 宮本常一」は、宮本氏といろいろなかたちで係わってきた人々を丹念に取材して、『宮本常一』という人にせまった労作です。『宮本常一』とこんなにも真摯に向き合っている人たちがいる! 上記のように宮本氏の本を読んでノスタルジーに浸っていた私は、恥ずかしくなりました。
 じつは、坂本長利氏の芝居についは、本書で知りました。宮本常一をめぐる世界自体が面白い。今まで民族学など学んだこともない私ですが、本書に刺激されて、『宮本常一』という現象にはまってしまいそうです。

(哉)

今月の気になる本

シークレット・サンシャイン 2008年08月

【監督】イ・チャンドン

【出演】チョン・ドヨン、ソン・ガンホ

 亡くなった夫の故郷で新しい暮らしを始めた矢先に一人息子を悲惨な事件で喪ってしまう母親。そんな彼女に思いを寄せる一人の男性…設定はまるでひっそりとした恋愛映画なのですが、柔らかなベールで包まれたお話ではありません。母親シネは意地っ張りで頑なで子供や現実と向き合っているとは云えないし、街のひと達も善意より好奇心が勝っています。悲しみを癒すはずの信仰も、都合のいい欺瞞に満ちた世界のように見えます。
 徐々に心の平衡を保てなくなっていく彼女の傍にはいつも、出会いの時から思いを寄せるジョンチャンがいました。おせっかいでちょっと俗っぽいけれど、彼女に対する態度はずっと変わりません。彼の想いはシネの上に覆われた雲の隙間から射す陽の光。その光を受けて、シネは新しい表情を鏡に映すことがでたのでした。 

 (nao)

キネマ見ましょか

« 2008年07月 | 2008年08月 | 2008年09月 »