「虚礼」と「礼節」
―日本人の品格を考える―
―風彦
新年を迎えた。人さまざまな賀詞が届く。それに目を通すのは、元日の朝の楽しみなひとときでもある。干支の寅の象形文字、絵入りのもの、家族との団欒の写真、詩文…。能筆を誇示したもの、お決まりの定番の賀状…。
バラエティの“作品”には、それぞれの人柄や人生観を感じる。
最近は若者の活字離れのせいか、携帯電話での賀詞交換が目立つという。そのためか年賀はがきも昨年度より約5億少ない36億4千280万枚(最高の発行枚数は平成15年度の44億6千万枚)。が、パソコンによる手作りの賀状もふえてきた。書店にも「年賀はがき」特集の出版物が昨年の十月ごろから氾濫していた。バブルがはじけた頃には、虚礼廃止論が高まった。
賀状を「虚礼」とみなすか「礼節」とみなすかは、差出人と受け取る側の心情による。「虚礼」とは誠意のないうわべだけの礼儀(広辞苑)。このあしき「虚礼」は、年賀にとどまらず、日本の社会通念でもある。
「礼節」とは貴人に対して礼を行う作法、礼儀のきまり。礼儀の節度。『衣食足りて礼節を知る』(広辞苑)。その社会の秩序を保つための礼儀作法や節度(新明解国語辞典)。
共通することは、「礼」である。1社会の秩序を保つための生活規範 2敬意を表すこと、その動作 3謝意をあらわすこと。またそのために贈る金品。慣用例には、礼煩わしければ、則(すなわち)乱れる―とある。広辞苑から学んだ解釈であるが、私はそこに改めて、日本人の“複合的な品格”を感じた。
「衣食足りて礼節を知る」―。飢餓時代の敗戦後の日本人。その後社会の安定で立ち直った日本人。しかし、今日「衣食足りて飽食」の時代になり、「礼節」を失った。そればかりか、あしき「礼節」の解釈から、“汚職・贈収賄”にまで発展…。昨今、「品格」物の出版物がベストセラーになったのも、こうした日本人への警鐘であろう。
「国家の品格」の著者・藤原正彦氏は「日本は金銭至上主義の国々とは一線を画すこと。市場原理主義は日本の精神性の土壌をずたずたにしてきた。かって駐日フランス大使を務めた詩人・ポール・クローデルは『日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ』と。日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務」(概略)とまで強調した。
新年にあたり「虚礼」と「礼節」を通じて日本人の品格=国家の品格を考えたい。
(風彦)