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今月の写真 2010年09月

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【クロケブカヒメハナバチ】 身体を丸めてムラサキツメクサの蜜を一心に吸っていた。 
(2010.7.17 東広島市で撮影)
東広島の野鳥と自然に親しむ会 環境カウンセラー(環境省登録) 新名 俊夫

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今月の言葉(9) 2010年09月

〝老春〟を楽しもう!
〝敬老の月〟に寄せて

―風彦 

 五十をすぎると「回想年齢」になるそうだ。ある雑誌を読んでいたら、そんな記事があった。著者は村田幸子さん。元NHKの婦人記者で、論説委員を務めていた人。現在は福祉ジャーナリスト。各地で講演、著述活動をしており、ラジオ、テレビでもその論説には興味があった。昭和一桁生まれの私は、後期高齢者で「回想年齢」の該当者のひとり。
 「お年寄りは、とかく口説くなる。といって老いた人の話は敬遠しないで聞いてあげましょう。歳を取ると、話すことが何より楽しみなのだから」と、敬老精神を訴える。
 村田さんは、この「回想年齢」時代の人を認知症から守るための認知症予防に取り組んでいるドクターを紹介していた。
 国立長寿医療センター医師、遠藤英俊先生は認知症の専門家。愛知県師藤町(現・北名古屋市)で認知症の人だけでなく、高齢者を対象に「回想法」を取り入れている。高齢者にとって昔懐かしい生活道具などを使って、かつて自分たちが体験したことを語り、過去に想いをはせたりすることにより、脳を活性化させて自分を取り戻そうという方法。
 昔習った教科書、昔歌った唱歌、童謡などを合唱することが認知症の予防に役立つともいう。こんなエピソードを聞いた。
 老人施設の人たちの、たっての願いから、生前の演歌歌手の大御所と永六輔のコンビでみんなで歌える歌を作った。その披露をするために、施設を訪問した際、会場に一人遅れた車椅子の老婦人が、日露戦争当時の歌を歌いながらやってきた。すると会場のみんなが、一斉に合唱しはじめた。永六輔さんたちは結局、苦心の新曲発表をとりやめたそうだ。
 私たちの仲間が集まる「四季の会」がある。気心の知れた者ばかりで、月に一度、世話人会を開く。その席で代表のYさんは、童謡、唱歌の詩を配布。そしてみんなで合唱する。
 また、難解な漢字の読み方や、時には身近な医学にかかわる記事なども紹介してくれる。そのあとが楽しみ。女性たちの手作りの料理を味わう。忘れていた家庭料理とおふくろへの郷愁のひと時・・・。味覚の回想におしゃべり。それになにより、人と人との出会いに、こころの花を咲かせて〝楽習〟(学習)できる。
 これもある意味では、遠藤英俊先生の説く「回想法」だろう。九月二十日は「敬老の日」。高齢者の存在が問われる日。世の諸氏よ。それぞれの〝老春〟を楽しもうではないか。
 ―老いらくの恋の目覚めや宿の秋―

(風彦)

今月の言葉

雑感(9) 2010年09月

代表取締役 田河内秀子


 我が社も第28期を迎え一ヶ月たった。一年が本当に早い。決断しなくてはいけない事が次々とあるのに、最近はどうも決断できなくて、ああでもないこうでもないと迷ってばかりだ。切羽詰っているときは選択肢が少ないうえに、何を優先しないとヤバイかがわかっているので決断は比較的簡単なのだが、すべてが中途半端な状況になると優先順位がつけづらくなり、迷いの中に落ち込んでしまう。
 たまたま今日、ある経営コンサル会社からFAXが送られてきていて、こう書かれていた。「一流経営者は、自分の行動をコントロールする基準をもっている。決断はその基準に沿って『よかれ』と判断したからなされるのだが、それが基準に反すると分かったら軌道修正するのに躊躇しない。その基準は『損得』より『善悪』を優先させて考えることで決断は正しく行われるであろうし、たとえ間違っていても容易に修正できる」とあった。一流経営者には程遠い自分は、そもそも『損得』でも損か得か判断がつかず、『善悪』も善なのか悪なのかも判断がつかないこともあり、いよいよ決断がつかない。困ったものだ。
 又将来ビジョンも中途半端になっているために会社をどのようにしたいとか、社員さんにどういう状態で働いてもらいたいとか、自分の未来に対しても何かボンヤリと雲がかかったような感じになっている。 いまこそしっかりと、ビジョンを描くときなのだろう。
 まわりには経営者の諸先輩もたくさんいて、コンサルタントの先生も、顧問の税理士の先生もいる。いろいろなご意見を聞き、自分がどうありたいかビジョンを明確にしていく月にしていきたいと思う。

雑感

身近な野鳥 「嘴の赤いユリカモメ」 2010年09月

野鳥観察の楽しみ(九十六)

東広島の野鳥と自然に親しむ会
環境カウンセラー(環境省登録)
新 名 俊 夫
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写真はユリカモメ成鳥(冬羽)、(‘08.11.30.東広島市安芸津町)〔Nikon D300, Nikkor ED,AF-S 600mm,1:4DⅡ, 1/4000秒,f/6.3, ISO400,トリミング〕、写真(円内)はユリカモメの夏羽(‘08.4.26.東広島市安芸津町

 

 冬鳥のユリカモメは、8月ウミネコの飛来に続いて、9月には他のかもめ類と一緒にやって来て、いつも彼らと群れている。数は比較的少ないのにも拘わらず、嘴が赤いのでよく目立つ。何か物の上で休んでいると足の赤いのも確認でき、他のかもめ類とは簡単に識別できる(写真)。

 ユリカモメの体の大きさは比較的小さいカモメ(種名)と比較しても更に小さく、よく一緒にいるセグロカモメやウミネコと比べると随分小さく感じられる。翌年の春には夏羽になっているのもいて(写真円内)、顔や頭が覆面をかぶっているように黒褐色となる。

 同じように夏羽で、顔や頭が黒くなるズグロカモメとよく似ているが、良く見ると夏に黒くなったユリカモメの嘴は赤味を帯びているし、ズグロカモメはユリカモメより更に体が小さい。

 10年以上も前になるが、私は月に一度は仕事で上京していた。羽田から浜松町へのモノレールの窓から、多くの野鳥の姿を見てきた。その中でも最も印象に残っているのがユリカモメで、数の多さに驚いた。他のかもめの仲間には何がいたのか思い出せないが、ユリカモメの飛ぶ姿だけははっきりと思い出す。

(2010年8月31日記) 

野鳥観察の楽しみ

世界史の中の石見銀山 2010年09月

縄文塾塾長 中村 忠之

縄文塾  

豊田有恒 著  祥伝社新書202

世界史の中の石見銀山(祥伝社新書202) (祥伝社新書 202)
 今でこそ無資源国だといわれているが、かつて日本は銅に始まり鉄・金そして銀といずれも世界有数の産出国であった。その中でも(今の島根県)出雲の国は、荒神谷遺跡の膨大な銅剣・矛、加茂岩倉遺跡からの銅鐸の出土、神代の時代から江戸時代まで続いた、砂鉄を精錬するたたら(踏鞴)でも知られているが、それに石見の国の銀が加わったのである。
2007年7月、その石見銀山がユネスコの世界遺産(文化遺産)への正式登録が決まり、日本中が(喜ぶと言うよりむしろ)驚いたことは記憶に新しい。選ばれた理由として、「今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されている」というのだが、それでは根拠が稀薄すぎる。
 著者も指摘していることだが、世界遺産に登録されている、かつて銀山だったところは、その富を背景にすべて数万を数える都市を形成しているのに、現在住民の努力で当時の雰囲気を色濃く保全しているとはいえ、わずか数百戸の寒村で、しかもごく一部の間歩(まぶ)=坑道と、その入り口を持つのみの、いわばどこにでもありそうな貧弱な遺跡が、なぜ世界文化遺産となり得たか。
 山陽の「厳島=宮島」のあでやかさ優美さに較べてもあまりに地味すぎる。近くに「温泉津(ゆのつ)温泉」という格好の保養地をもちながらも、いまでも訪れる人はあまりにもすくない。
 それについて著者は──あくまで仮説だと断りながらも──膨大な資料を駆使し、世界史的な視点において、
 
1.当時明朝への朝貢貿易に名を借りた「勘合船」の活動
2.同銀山の開発と精錬にかかわった豪商たち、そしての存在、
3.西欧列強に呉して活躍した御朱印船を含む貿易船の活躍
3.そして短かったが当時の日本と非常に深かったポルトガルとの関係
 すなわち「世界史の一面を飾る、大航海時代における日本の銀の役割、そしてその中での石見銀山という存在と比重を考えなければならない」と指摘している。
 豊富な内容を詳述する紙数を持たないが、私なりに受止めた要点を二つだけ挙げて見よう。
 その一つは、川勝平太『文明の海洋史観』が、「西洋の大航海時代に相似した」とまで述べた、当時の日本の海外熱──秀吉の朝鮮征伐の一面も含め──は、全国の大名から富豪・文化人までも巻き込んだ、茶の湯ブームのための素朴な茶碗・茶壺などの焼き物輸入が目的であったのだという。
 ちなみに秀吉は朝鮮から多くの陶工を連れ帰ったが、祖国よりは遙かに優遇された彼らが、日本の陶磁器の質量共に発展させる原動力になったことは衆知のことである。
 そしてもう一つは、そうした物産の入手と引き替えに、一説総量6000トンともいわれる膨大な量の銀が流出したこと、そしてその多くを石見銀山が担ったことである。
 著者はまた、日本の銀、特に石見銀山の生産量・精錬の歩留まりが飛躍的に増大したのは、ポルトガルの技術による「灰吹き法=南蛮吹(なんばんぶき」が採用されたことを挙げている。
 私たち日本人の多くは、今でもポルトガルを、キリスト教(ローマン・カソリック)の普及という使命感とセットで、海外侵略の尖兵としての一面しか知らないが、この国の歴史は意外なほど弱々しく短いものであった。
 中世の長い間、イスラム教国の支配下に呻吟したこの国は、スペインに次いで、レコンキスタ(聖地回復)を果たしたものの、程なくスペインに併合され、1385年に一時独立を果たしながらも、1580年には早くも再びスペインの属国となり、秀吉(1536?~1598年)の時代にはすでに、事実上滅んでしまっていたのである。
 ヴァスコ・ダ・ガマ(1430~1497)の新航路発見、次いで新大陸への進出を果たしながらも、そこは小国の悲しさ、すぐに新世界でスペインに覇権を奪われ、1493年に、時のローマ教皇アレクサンデル6世に泣きついて「世界境界線=分界線」を策定して貰いながらも、結局持ち場である東南アジアでは、カソリックの軛(くびき)を脱した新勢力、オランダそしてイギリスに次々と追い落とされていってしまう。
 小国ポルトガルの短い栄華と、祖国を失い日本への帰化を心から念じて亡命しながらも、それがかなわず、再度国外に去った人たちへの、そこはかとない憐憫の意を込めて述懐した著者の、鎮魂賦とも謂える表現が数多く見られる。
 著者は、そうした歴史背景として、異様に多いポルトガル語由来の言葉や、南蛮文明移植の実績を挙げている。
  
  
 ではこれほどまで日本に受け入れられてきたポルトガル人が、なぜ日本から消えたのか。
 著者は、秀吉に次いで家康(1543~1616)も、やはり彼らカソリック
という一神教の信仰力の強さを恐れ、改宗を求めて日本では珍しい残酷
な処刑という仕打ちを行なったからではないかという。
 もっとも改宗した場合には、一転すこぶる温和な処置がとられたのだが、「転びバテレン」となった一部の人を除いて、殉教者となるか日本から去る道を選んだというのである。
 歴史に付きものの「もし ~たら」をお許し頂くと、
「もし信仰の自由は認めるが、布教活動は御法度」という対応がなされていれば、今の日本は大いに変わっていたかも知れない」

 我々が疎い世界史という視座で、石見銀山そして日本史に欠けた部分を、鋭くしかも明確に俯瞰した同著は、仮説というにはあまりに鮮やかな読後感で迫ってくるものがある。 
 同著に鏤められた、数々の典拠・傍証・ミステリアスのエピソード茶器に対する深い造詣など、その多くを紹介できないのは遺憾だが、読み物としても愉しい同著の必読をお奨めする。

   <付 記> 
 同著は著者より恵送戴いたものである。
 私が著者と面識を得たのは10年以上も前のことになる。某縄文塾メンバーから県立島根大学の先生方による、ヴィデオ映像などを駆使した『石見風土記』の説明会が、邑智郡(石見町=現在邑南町) にある、その名も「縄文村」という峠のレストランで開かれるという案内を貰ったことがきっかけである。
 その主旨は同じ島根でも、出雲地方に較べてあまりに存在感のない石見地方に光を当てたいという主旨の企画だったが、その教授グループの中に、著者の名前を発見、若いころそのSFファンタジーを愛読していたところから、同姓同名かとも思いながら、参加したのが最初である。
 爾来何度もお逢いし、講演などもお願いしてきたが、何時も驚かされるのは、著者の多方面に亘る執筆活動と博覧強記ぶりであり、まさに「行くところ可ならざるはなし」である反面、非常に気さくで温和、懐の深さにいつも感銘を受けたものだ。
 本著は、まさに『石見風土記』の一環だとも謂えるが、実は1年ほど前、著者より同大学の職を辞することになったという書簡を受け取った。その文面には、志半ばで石見の地を去らねばならなくなったことへの無念さが、色濃くにじんでいた。
 もし著者が、この狭隘な土地柄が生んだ排他的性向によって、研究と永住の道を阻まれ、石をもて追われる如く……」この地から去ったのだとしたら、石見にとってまことに大きな損失であり、この地の将来は、銀という血液を失ったまま、薄暗い闇につつまれた間歩(まぶ)のごとく、暗く空虚のままでであろう。

感銘の一冊

『竹取物語(全)』『行動することが生きることである』の2冊 2010年09月

ビギナーズ・クラシックス日本の古典
竹取物語(全)

青木 誠一郎 著 / 角川学芸出版 発行

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 最初に触れたのは幼稚園の時。次に触れたのは高校の古典の授業。先月本屋でたまたま見つけ、懐かしく思い購入した。古文と現代語訳、コラムを交えて書かれているので、時代背景もわかり勉強になる。竹取物語の今までとは違った見方が出来るような形になっている。自分も読んでみて今までとは違った見方が出来た。「かぐや姫の良さはどこなんだ?」と感じた。見たことのない相手に自分は求婚出来ない。自分は最初に出てくる野次馬の一人にしかなれないだろう。現代だと顔も見たことのないメール相手に告白するようなものだろうか。
 かぐや姫と聞くと、子供の時には悲しいお話のように感じていた。成長した分、考えていろんな角度から読むことが出来る。

 

生き方についての343の知恵
行動することが生きることである

宇野 千代 著 / 集英社 発行

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 人生は凡てのことにのぼせなければならない…のぼせていると何事をするのにも、することに勢いがつく―。のめりこむことを“のぼせる”と表現する所に素朴さを感じる。
 この本は著者が91歳の時に書いた1冊。波乱万丈の人生経験から紡ぎ出される言葉の数々に、誰もが頷くこと間違いなし。最近メディアでも著者自身の人生にスポットを当てた特集番組も放送され、話題を呼んでいる。4回の結婚に至る数々のエピソードも有名であるが、98歳で亡くなった今も尚、多くの人々に支持されるのは著者の生き方に今を生きるヒントがあるからだろう。行動しないことは何もしないことと同じ。迷い立ち止まっている人も今日から行動を起こしていこう! 

今月の気になる本

キャタピラー 2010年09月

【監督】若松孝二
【出演】寺島しのぶ  大西信満 

 やはり寺島しのぶさんが強烈だった。戦場で手足をなくし芋虫のようになった夫に最初はただ恐れ従うだけ。やがて軍神の妻を演じる旨味も知り、村人から尊敬されるのを楽しみさえする。ただ、可哀相な戦争の被害者だけでなく、もっと狡猾にしたたかに生きぬこうとした庶民を、寺島さんがものすごい説得力でみせてくれた。その姿は美しくはないがリアルだし今生きる自分たちもその一員なのだ。
 対照的に、美しい日本の農村というコトバがぴったりくるのどかな風景。かつて当たり前のようにあったこの国の村々が当たり前のように戦争とくっついていた、その事実の重さ哀しさが実は一番衝撃だった。国際映画祭での受賞などセンセーショナルな話題以外でも観てほしい一本でした。 (NEO)

キネマ見ましょか

タニシ君が行く! Re 2010年09月

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タニシ君が行く!

社員のひとこと 2010年09月

お盆は父と阿蘇へ。朝5時の山頂は濃霧で、夏とは思えない寒さでした。 (デミ)

盆休みは家でしっかり休養をとりました。これで残暑にも負けません。 (サン)

夏の日差しのおかげで、僕の肌は真っ黒です。スポーツ選手みたいです。 (G)

今年は残暑が厳しく、秋が短いそうで、寂しく感じます。 (K)

今年のお盆は墓参りくらいしかしなかった。平凡すぎる連休でした。 (山本)

う~ん。西野カナ?って思ってたけど、聴いていると心が晴れる曲ばかり!! (Q)

ここのところ夜になると土のにおいがする。家の裏でイノシシが土をほってなにかを食べているみたい・・・ ( ^o^) (お)

クーラーのない生活を続けて20年! 昔は平気だったのに最近は堪えます。これも歳かぁ・・ (伸)

お盆休みから胃が痛くなってしまいました。 (S4)

気づいてますか? 影の長さが変わってきていること… (モン)

トイカメラに凝っています。フィルム残量が気になります。 (哉)

あれ、それ、これ。つい代名詞に頼ってしまう毎日。 (北)

ドラム式の洗濯機を買いました。前の物は20年使いました。お疲れ様。 (千)

出ました!! 初・大玉ミルキー (朝)

サンマ一本四百円…庶民の味方はどこか遠い所にいかれたようです。 (元)

今年の誕生日はたくさんの人にお祝いして頂いた。幸せだな~☆ (B)

ひろしま美術館のちひろ展がすっっばらしかったです (尚)

初自作PC。快適に動いています。 (高)

こおろぎが鳴いている。もう草むらはすっかり秋なのに、この暑さときたら… (秀) 

社員のひとこと

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